◇「生命の科学」の学びで想うこと・・・。
「生命の科学」の学習や実践を通して色々なことを考えます。
良く考えるのは、宇宙の意識と人間のエゴとの関係です。宇宙の意識とエゴとは、どのような関係になっているのかということです。
人間のエゴは、宇宙の意識に反しようとすることの総てを意味しています。宇宙の意識の意志に反しようとするエネルギーがエゴと呼ばれている物
なのです。しかし、宇宙の意識とエゴとは、対立関係にありながら無関係ではありません。
宇宙の意識がなければ、エゴは存在し得ないからです。一方、宇宙の意識は、エゴの存在がなくとも存在できるものだと思われます。
宇宙の意識は、宇宙の総て、万物を創造したものですが、その創造物の中では、エゴと呼ばれるような宇宙の意識に反するエネルギーが同時に存在
する必要があるようなのです。
それが、吸引と反発、陰と陽、プラスとマイナス、N極とS極、善と悪などの存在から推測できると思います。
宇宙の意識は、宇宙の背後を支配しているようですが、宇宙は、宇宙から生み出されたものたちによって支配する仕組みとなっているようです。
つまり、物質界は、物質によって支配されリードされているということです。
このように考えると、エゴは、自由に振る舞えるという意味において、自己裁量権があって、各人の違いを表現する道具であるようです。特に、こ
の自己裁量権は、宇宙の意識さえも規制する力を持っているのですから驚きです。
ただし、この権利は、宇宙の意識に永遠に反し続けることはできないということです。
エゴは、宇宙の意識の働きを狭める力があり、永遠にそそぐ意識の意志を一部にしか受け取らないようにしてしまうのです。
エゴが強ければ、意識はより狭くなり、エゴが弱ければ、意識は強くそそぐようになります。常に、この関係が成立しているのです。
そのような意味で、自己裁量権を持っているのですが、これは、エゴの賢い活用ではありません。
エゴはあくまで、自己の本当の個性を発揮するために活用するものであるようです。
宇宙の意識とエゴ。この関係は、宇宙全体で行われている対立なのだと思います。
この対立を制することができなければ、真の宇宙の住人になれないということなのだと思います。
2015.2.22 K・W
◇人間活動の基礎は地球平和を願うこと・・・。
地球が、何時になっても、平和にならないことを思うにつけ考えることがあります。
それは、人間の活動の根底に、人々の平和になることへの想いが欠けているということです。
地球上には、知能の高い人や発想力の豊かな人、記憶力の優れた人や文章のうまい人、パワフルな人など優れた人々がたくさん存在しています。し
かし、地球は、いつになっても争いが絶えず、民族間の争いや思想的な争い、ねたみや嫉妬による不和や対立などは、どこにでも存在しています。
これは、ある程度、当然なのだと思います。
能力の高い彼らは、そうでない一般人とともに、平和を実現するために勉強をしてきたわけではないからです。
残念ながら、彼らの多くは、自己のため、家族のため、金儲けのため、あるいは名誉やプライドのために勉強をしてきているからです。
もし、世界平和を願う気持ちがあるならば、仮に地球上の学問の探究であっても、今頃、宇宙の真実にたどり着き、何をどうしたらよいかを知り、
人々が喜びを分かち合っていたことでしょう。
例えば、経済学であれば、世界平和となるような仕組みを編み出すこともできるでしょう。
もし、哲学ならば、宇宙に通じる宇宙哲学≠ノたどり着き、真に生きるための手法を伝えることでしょう。
それが、文学であれば、人々の幸福になるための様々な教えを、使命感を持って伝えていくことでしょう。
あるいは、物理学ならば、生物学等との接点を見つけながら、宇宙の真理を紐解くでしょう。
演劇であれば、人間の生きざまをうまく表現し、人々に教訓を示すことができるでしょう。
このように、人々の活動の根底に、地球平和≠願う気持ちがあるならば、間違いなく現在の様々な問題に気付き解決し、世界平和に近づいて行
けるのだと思います。つまり、人の活動の基礎は、世界平和≠願うことなのだと強く思うのです。
2015.2.25 K・W