宇宙に想う!  

 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象につい
         ての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書い
         ていきたいと思います。

    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。

    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。


自由とは危険な言葉!?

 新年早々、大変不幸な事件がフランスで起きました。

 去る1月7日の昼前、週刊新聞社に武装した3人組が押し入り、自ら信仰している宗教が冒涜されたとして、元凶となった風刺画の関係者や警察官
 等11人を射殺するというテロ事件でした。
 その後、この3人は、人質をとって立てこもり、更に犠牲者を17人と増やす惨事となりました。
 結局、3人は射殺され、事件は解決しましたが、今後、いつこのようなことが起こるのか不安を残す結末となりました。

 この事態にフランス国民は立ち上がり、事件により亡くなられた人々の追悼≠ニ表現の自由≠訴えるデモ行進を行い、フランス全土で370
 万人という史上最大規模の参加者があったということです。

 フランス国は、1789年にフランス革命という下(国民自)からの革命が王権を崩壊させたことで知られ、自由、博愛、平等≠ニいう理念を掲
 げ現国家を成立させました。

 ここで注目すべきは、自由≠ニいう文言が、革命の先頭に来ていることです。
 フランスは、王権力という国家権力からの自由を掲げて新国家を成立させたのです。それなりに、納得できるところです。

 そこで、フランスは、更に、この思想を広げるべく、先だって1776年にイギリスからの独立を果たしたアメリカに自由の女神≠プレゼント
 しています。その期待通り、アメリカ合衆国は、今日に至るも自由を高々に掲げて各国に影響を与え続けています。

 そもそも、この自由≠ニは、何からの自由なのでしょうか?
 人間の生命を本質的に捉えると、自由には大きく2つあると考えられます。
 1つは、エゴからの自由です。これこそ、スペースピープルが「生命の科学」で伝えている自由なのです。
 2つには、この対極にある宇宙の意識からの自由です。宇宙の意識は、神の摂理と同等であることから、ある程度の規範があります。そのことから
 の解放を意味する自由を意味しています。

 ここで知恵が必要です。
 このどちらが、永遠をもたらすのかということです。言い換えると、片方は、エゴを満足させるものの、永遠の生を初め幸福をもたらさないという
 ことです。

 言うまでもなく、私たち人類は、1のエゴからの自由を求めていかなくてはなりません。しかし、実際のところ多くの地球人は、1と2の混合とな
 っていて、結論から言えば2の宇宙の意識からの自由を強く求めているのです。
 このことは、よく理解しておかなくてはならないところです。

 もし、私が、地球を支配しようとすれば、エゴに基づく自由を求める人々を増やしていくだろうと思います。そうすることで、扱いやすい人々を生
 み出すことになるからです。

 この辺のカラクリを知っていなくてはならないでしょう。

 地球上での人間の生き方、価値観、世界に存する様々な仕組みを本当に知るためには、「生命の科学」の活用と地球を愛し理解していく努力が必要
 なのだと思います。その結果、地球上での自由が、どのような性質のものなのか、どのような危険をはらんでいるのかなどが理解できるものと思い
 ます。
 


                                              2015.1.16  K・W 


軸足はどこにあるのか?
 世界中には、素晴らしい教えや考え方があるという事実は否定することはできません。
 地球は、賢い星ではありませんが、しかし、それが故に素晴らしい人間が生まれ、人々に優れた教えを残しているからです。

 ここで、優れた教えというのは、地球のみならず宇宙的に意味のある普遍的であり、かつ不変的な教えこのとです。
 アダムスキーによって伝えられた「生命の科学」等の教えは、正に、それに相当しています。
 「生命の科学」を学習し、日々活かしているというのは、自己の成長を育んでいることとなり、どこに転生しようと引き継がれていくことになるで
 しょう。

 「生命の科学」等は、人が人として生きていくための最も基本的な土台であり法であり、電化製品を動かすための電気のような存在です。

 一方、道徳であったり、栄養価の高い食事、身体トレーニング、あるいは、健康維持のための各種の手法や教えなどは、身体を円滑に保つための潤
 滑油にたとえることができると思います。言い換えれば、電化製品を長く活用できるようにするための油などです。

 しかし、これらは、考え方がシンプルであったり、効果が分かりやすいことから、魅力的に見え心が動く人が多いようです。
 それはそれで、必要ならな取り入れていけば良いと思いますが、そのことに夢中となって、「生命の科学」の探究を怠ってはいけないと思います。

 それでなくとも「生命の科学」は、理解できる人はもとより、知っている人さえ少ないという状況です。また、それ以上に、広めようとして何らか
 の活動をする人々は更に少数となっているようです。これでは、益々、知る人はいなくなってしまうでしょう。
 
 2002年11月における「アムスキー大会」の基調講演では、アダムスキーに軸足を置くことの重要性についてお話をさせていただきました。
 常に、アダムスキーに軸足を置き、他を学びながらも、そこを起点に考察し理解していくことが重要となるのです。
 そうすれば、宇宙で生きるための奥義や、地球上で意義ある生を送るすべを理解できるようになるでしょう。

 アダムスキーの教えを、身体を円滑に保つための教えと同列に置いたり、ご利益があるからと言って、他の教えに傾倒して軸足を変えてしまうこと
 があってはならないと感じています。

 
                                               2015.1.27  K・W