◇人は、何のために生きるのか?
“人は何のために生きるのか?”という問いは、多くの地球人にとって、誰もが分からなくて当たり前という前提の下で生きているように思われま
す。あるいは、ほとんど考えたこともないのだと思います。
しかし、人間は、人生の様々な場面で苦しみ、悲しみながらも生き続けなければならないことを経験し、“人は何のために生きるのか”を気にかけ
ていたという人は少なくないかもしれません。それが証拠に、“なぜ生きる”等の書物が時々出版され話題となることがあるからです。
なぜ生きるかについて、少し考えている人は、生きる意味を知るため≠ニいう意見もありますが、確かにそのレベルの人もいると思われます。し
かし、生きる意味を知った上で生きていくというのが本来の生き方なのだと思います。
更に進んでいる人は、学ぶため=A奉仕のため≠ネどと考えているようです。そのような意味があることは確かでしょう。
しかし、アダムスキーを知り「生命の科学」を学習していくと、人が何のために生きているかについて気づくようになります。そうすると、もっと
適した表現があるように思います。
私としては、「宇宙の意識」の正確な表現体となることなのだと考えています。
宇宙の意識の正しい表現体となることで、個人としての魂は学ぶ≠アとができ、結果として奉仕≠キることとなり、生まれて来た目的を達成す
ることとなって、負債も返済していくこととにつながるのだと思われます。
但し、これは、根源的な意味であって、スペースピープルも目指しながら、やはり過ち(宇宙の意識に沿わない行動)をする事があるわけで、当然
に、地球人である私たちは何度もくじけることがあるでしょう。
「宇宙の意識」の表現体というのは、宇宙の中に存在する総て、例えば、あらゆる生命体や物質と言われるものなどを、宇宙の意識が自らの意志を
もって創造したという考え方に基づくものです。すなわちそれは、宇宙の意識が、これあれかしと願う世界、イメージを持っている世界を現実の中
へ表出したものと言えるわけで、それら生み出された宇宙の総てのものは、宇宙の意識の表現体と言えるということです。
しかし、正しい表現体というのを具体的な人間の行動で見た場合、宇宙の意識を感じることがそのまま行動となるわけで、宇宙の意識からのメッセ
ージに何も混ぜずに100パーセント正しく表現していることとなり、極めて困難であることは言うまでもありません。
ここで、誤解なきように加えると、人はそれぞれ固有の特性があり能力にも差があるため、誰もが同じ行為をメッセージされるということはないと
いうことです。また、例えば、金星人であった時の自分と地球人であった時の自分とでは、魂は同じであっても能力や環境に差があるため、当然、
それぞれに、現段階において必要であって行動可能な行為についてメッセージがされるのだと思われます。
地球上で、唯一、宇宙の意識に反して行動している人類が、「宇宙の意識」の正しい表現体となって行動するとき、正に天国のような世界が実現で
きるのだと思われます。
今回のようなテーマは、「G・アダムスキー通信」など、既にいくつか書いてきましたが、やはり地球人にとっては、繰り返し感じておかなければ
ならない重要なところであると思います。
2014.10.6 K・W
◇簡素は進化の証明!?
日本の縄文時代における縄文土器は、その後、大陸の影響を受けた弥生時代の土器より複雑な形をしています。しかし、簡素な弥生土器は、蒸焼き
で焼かれ生地が薄くて固く、進化したものであるとていると言われています。
こうした時代の延長線上にある現代社会は、基礎的学問、社会の仕組み、人の考え方の総てのものが複雑です。
「ガリバー旅行記」(ジョナサン・スウィフト著)の馬の社会では、法律などがないシンプルなものですが、馬は理性を持っていて誰もが幸せに暮
らしている社会です。ここでは、決まりなど設けなくても、理性があれば幸福であるという点が重要です。
スペースピープルの社会では、次のような基本的な事項をもっています。
1.日常の健康と慰安にとって実際に必要な物だけを望むこと。
2.偏愛することなく万人を平等とみなすこと。
3.自分の想念を観察しコントロールして、それをいつも宇宙的な状態に保っていること。
この程度の基本的な枠組みで、平和な社会が築かれているのです。彼らの社会にも、馬の理性に対応する基準として“宇宙の意識”が本道に置かれ
ているからだと思われます。
一方、地球人の社会では、理性、あるいは宇宙の意識という自然的な基本が脇道におかれ、人間の思考≠ノよって行うべきこと、行ってはならな
いことを様々な場面で定めています。
ころとなっています。
地球での人間の思考≠ノよるとは、つまるところエゴを基準に社会を築き、様々な恐怖心から思考し定めを作っているということなのです
以上のことは、人が生きるための基準が、どこにあるかによって社会がどのようになるのかが分かる好例だと思われます。
人間は、視覚を中心とした感覚器官によって、形態の異なりを区別し、それぞれ別物と判断するような学習をしていることから、複雑な呼び名や社
会構造を生み出してきたものと思われます。
しかし、宇宙的な視点、人間本来の生き方という点では、進歩とともに簡素な方向に移行していくものと思われます。進化したスペースピープルの
社会は、地球上での科学的と言われる分野では超絶な進歩をしているものの、それらを含めた生活や思考は、意外とシンプルなのだと思われます。
これらは宇宙の意識が簡素であることを意味していて、それが理解できるような思考を私たちは持たなくてはならないことを示しているようです。
2014.10.18 K・W
◇意見の違いを理解するのは基本なのですが・・
人間社会には、様々な意見があり、しばしばAさんとBさんの意見が異なるということがあります。これが単に事実関係の認識の違いと言うことで
あれば、事実関係を検証することで対立まで至らないかもしれません。
しかし、この人間社会では、そのようなことであっても対立が起こるところのようです。
そもそも、事実関係の認識が異なる場合は、目くじらを立てて争うようなことではないのです。例えば、野球において、ライン上にボールが飛ん
で、ファールなのかヒットなのかという場合、それを専門に見ている審判員の判断や、場合によってはビデオ確認も可能なのです。
意見の違いを別の例でいうと、中央にある板を右から見ている人は赤いといい、左から見ている人は白いという。上から見ている人はそれが混ざっ
てピンクだという。誰が正しいのか? このような場合、どれも正しいということでしょう。確かに、それぞれの角度から見るとそのように見える
からです。
少し加えれば、自分とは異なる立場から見ることの重要性や、立ち位置が異なると見え方も異なって見える事実を理解する必要があるということで
す。そして、そのうえで、どのように見えるのかについて、誤解を生まないよう正確に説明することの重要性が理解できるのです。こうした事実か
ら、他人を尊重する考え方も生まれるでしょう。
これらは、簡単な例なのですが、同じ人間が2人といないという事実からも、他人を理解することの難しさと重要性が理解できるというものです。
このような認識で生きているとき、人々は争うこともなく和やかな生活となります。
ここまでは、ある種、物理的で基本的な部分ですが、ここは地球なのです。ここに利害関係が加わると、このような考え方は成立しなくなります。
つまり、お互いの対立は強化され、主張は平行線になるということです。
ここが、地球特有なところであり、宇宙的には全く理解できない部分となりますが、地球的生き方に長じている人にとっては、自己の利益のために
うまく利用できる部分となるのです。誠に残念ながら、こうして地球上では、いつの時代でも争いが絶えないということになるようです。
2014.10.30 K・W