◇深宇宙展に想う!
先月(9月)の26日(金)、「深宇宙展」~人類はどこへ向かうのか~へ行ってきました。
これは、日本科学未来館の特別展として行われたもので、最終日(28日)が近くなってからの観覧でした。
内容としては、第1章 宇宙開発の最前線、第2章 月に広がる人類の活動域、第3章 火星圏探査、第4章 さらなる深宇宙へ、というものです。
ここでいう深宇宙とは、地球から200万km先の宇宙と定義されています。
これは、地球から月までの平均距離の約5倍の距離です。
第1章では、人類初の人工衛星であるスプートニク1号から、今日、日本のH3ロケットの成功に触れ、打ち上げコストの削減から将来の宇宙輸送の中
核をなすと紹介しています。
また、国際宇宙ステーションの生活や宇宙技術が支える今日の生活、あるいは宇宙ビジネスについて教えています。
第2章では、月での生活を目指して、ギリシャ神話の月と狩の女神の名を冠したアルテミス計画について多くを伝えています。
日本もこれに参加していることから、月面で二人の飛行士が1か月間宇宙服なして生活できるローバー(月面探査車:JAXA/ トヨタ)の展示や、日本の
SLIM(小型月着陸実証機)の成功にも触れています。
また、月面の将来計画として、月のレゴリス(表面砂)から液体酸素や水素を製造するプラントを含めた居住の構想図などもありました。
第3章では、アルテミス計画により月を拠点として、火星の有人探査や火星への定住について知らせています。
そして、日本による世界初の火星の衛星フォボスからのサンプルリターン計画について、映像をもとに説明していました。
特に、火星のマリネリス峡谷の実際の映像を基に再現された大画面では、自分が浮遊物に乗って、峡谷内を飛んでいるようにつくられて、少なからず
感動的でした。
第4章では、金星、土星、天王星、海王星の探査機の成果をはじめ、小型惑星探査機はやぶさの成果について説明されています。
そして銀河系と、それ以遠の宇宙について、すばる望遠鏡などの活躍を含め解説していました。
当日は、平日にもかかわらず、まんが〝チ。〟の影響なのか若い人々が多く、全体人数は〝チ。〟より少ないものの活況がありました。

日本の月面探査車(かなり大きい) 火星を写す大画面モニター
今回の展示会を観て、色々と想うところがありました。
まず、相当の科学的研究や実証実験等によりロケットが発展してきたこと。
少なくとも、月や火星については、スペースピープルにより許可をされていること。
地球人が火星に住めるなら、もっと発達している人々はどこにでも住めるということ、などです。
そして、本展示会のテーマである、~人類はどこへ向かうのか~については、私の考えとして〝人類は宇宙へ、より遠くへ、宇宙創造の解明と人間誕
生の真実を目指して〟というようなところでしょうか。
アダムスキーも人類の宇宙進出を推奨していますが、どう考えても人類が地球にだけ留まる理由はないのです。
この太陽系も広大ですが、銀河系は、光の速さで10万年もかかる大きさで、その中に2000億から4000億個の恒星(太陽)が存在し、それぞれに惑
星を抱えていて、このような銀河が宇宙には数千億個存在すると推計されています。
この事実を考えると、人類が地球にだけ留まることが、むしろ不思議なのです。
宇宙は、人類の進出を想定して創造されたと考えるのが自然であると思います。
とはいえ、人類の宇宙進出には、何よりも〝宇宙の法則〟を物心共に理解しなくてはならないでしょう。
人類が、このように宇宙を探検することで、アダムスキーが伝えた真実が否定できなくなるのではないかと期待しています。
2025.10.10(金) K・W
◇映像化の良し悪し!
テレビや映画などを観ているとときどき想うことがあります。
それは、映像化することの良し悪しについてです。
映像化されるまでは、人々の心の中に可能性として持っていたかもしれないことを、映像化することによって、その考えを裏打ち(肯定)し、それへの実
行を促してしまうのではないかと考えています。
これは、〝思いを実現させる〟方法として有効なことであると思います。
それだけに、慎重でなければならないのかもしれません。
「思いを実現させる」で想いだされるのは、ナポレオン・ヒルです。
彼は、〝思考は実現する〟として、多くの人々の良き人生の実現へ向けてアドバイスをしています。
京都セラミック株式会社(現:京セラ)の創業者である稲盛和夫さんも、「思いは実現する」を肯定してその人生を生きた人でした。
そして、アダムスキーもそのことを肯定し、そのメカニズムについて「生命の科学」の最後にある「奇跡を発生させる方法」において、次のように説明して
います。
「 ・・・ 何かを現象化しようと思う場合に、それを生み出す意識の能力に対する絶対的な信念と確信を持って、その物事の意識的な青写真を持つので
す。次に ・・・ 結果(実現)に対する絶対的な確信を持ち、言葉による命令を与えながら、明瞭なイメージを描きなさい。」
ここにある〝青写真〟は重要なところですが、これをイメージするには具体的な映像を観ることで描きやすくなり実現へつながるのです。
この際、個々人の物事の実現は、他者への影響がまったく考慮されません。
自分が望むことが、他者を不幸にさせることであっても、実現することができるのです。
ここが現実社会では、問題となるところなのです。
言い換えると、他者を不幸にさせることでも、その実現を後押しさせるような画像を流すことが問題なのではないかということです。
例えば、殺人や詐欺、窃盗などについて、具体的な描写を映像化することによって、〝こういう方法もある〟と考える人も存在するのです。
これは、ニュースから流れる事実を知るだけでも、このような影響はあるのです。
そして、それを実行につなげてしまうのです。
これは、青写真の実現なのです。
しかし、これらの描写がなければ、サスペンス映画をはじめ、人生劇場はつまらないものとなって観に来る人もいなくなるでしょう。
こうした段階に地球はいるのだと思われますが、しかし、これを具体的な描写をせずに表現できないものかと考えたりします。
実際、今日の映像は、随分と抑制されているものと思われますが、しかし、さらに次の段階に近づいていると思います。
例えば、他者を幸福にするようなもので、なかなか実現できないけれども、実現できれば素晴らしいことを映像化して放映すれば、それに関して多くの
実行者が現れてくるものと思います。
これらは、〝正の連鎖〟になっていくように思われます。
本来は、そのようなことが求められているのではないでしょうか。
少々短絡的かもしれませんが、こうして殺人や傷害、あるいは詐欺や窃盗などのない社会に近づいていかないものかと考えています。
2025.10.22(水) K・W