宇宙に想う!  

 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象につい
         ての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書い
         ていきたいと思います。

    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。

    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。


◇私たちは自由ではない!

  
近年、私たちは、民主主義を標榜し自由を求め、そのように生きてきました。
 フランスやアメリカをはじめ我が国においても、そのような生き方を求め歩んできたのです。

 その自由とは、エゴの拡大につながることが大半なのですが、それを貫いてきたわけです。
 しかし、実際には、人為的な手のひらで自由を謳歌していたようなものでしょう。 
 なぜなら、余りにも真理を遠ざける政策が、作為か無作為かに関わらず行われ、その事実も気づかないまま生きてきたからです。

 一つには、結果が重視される実利主義が力を持っているからです。
 これは、結果であれ実利であれ、ともに人間の満足度に合わせて言われるもので、結局のところエゴを指針にしているからです。このことは、スポーツ界をも巻き
 込みながら、つまるところ拝金主義を生み出すことになります。

 二つには、表層の世界、形あるものが重視され、目に見えないものは不確実であるとして思考しないようにしてきたからです。
 人間をロボットに見立てた西洋医学が発展したように、科学的と言われるものを重視し、目に見えないものは考えたところで分からないとして、精神的なものを軽
 視してきたのです。いわゆる唯物論が中心とされてきたということです。この結果は、物質的な喪失を恐れるという、恐怖心の増大を生み出しています。

 三つには、少数の個人的意図で操作可能な経済システムになっているということです。
 これは、各国の思惑や少数の力ある人々の利権が絡む問題で、必要により戦争さえも操作しながら世界をもて遊んでいます。この結果、貧富の差が増大し、勝
 ち組と負け組を生み出すこととなり、国によっては社会的な不満が爆発寸前にまでなっています。

 これらのことから、人々は、目先の利益を求めて生きるようになり、宇宙的な真理を求めようとしなくなっていきます。

 18世紀の思想家、ジャン=ジャック・ルソーは、「社会契約論」において、「人間は、自由なものとして生まれ、しかもいたるところで鎖につながれている。」として、
 主権在民の民主主義を唱えましたが、その時代と何も変わらないどころか、益々、人間本来の生き方をするのは困難な時代になってきていると思います。

 何が良く、何が悪いのか、自分の魂は何を求めているのか? 
 自己を知り他者を知り、外界(社会の動きや自然現象など)を良く見つめながら生きていきたいものです。


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◇富は天国に築く!

 通常の地球人は、自己の利益を最大限に考えます。この生き方は、自分の様々な行為に評価を求めるという考え方に通じます。これは、自己の行為に見返りを
 求めるということで、間違っても、自分の行為が他人の利得に影響することを認めません。これが一般的でしょう。

 これに対して、自己の利益より真理を追究することに価値を求める人がいます。これは、天国に貯蓄するという考えに通じるものです。
 言い換えれば、絶対者である宇宙の意識を信じ、そのために奉仕をしようとする人の行為であると思います。

 宇宙の意識を信じるからこそ、自らに利益を求めず、それよりも真実を追究しようという行為になります。
 イエス・キリストは磔刑にされた際、「神よ、あの人たちをお許しください。あの人たちは、自分が何をしているかわからないのです。」と語ったと伝えられています。
 これは、罪を犯す人は、つまるところ自分が何をしているのか理解できないということです。知らないがゆえに、罪を犯すということです。

 人間は、言葉で記憶しているからと言って、知っているということにはなりません。学業におけるテストでは、記憶力の良い人が優位となりますが、人間社会にお
 いては、実行できる人が真に知っている人であり優位となるのです。

 これは、知って行わざれば知らざるに同じ≠ニ語った、貝原益軒(儒学者)や王陽明(陽明学)、または、この考え方の最古参であるギリシャの偉大な哲学者で
 あるソクラテスの言葉を思い出します。知っているとは、必ず行動を伴うということなのです。これは、「生命の科学」の学習についての言えることでしょう。

 やや横道にそれましたが、結局のところ、罪は無知なるがゆえに起こしてしまうということでしょう。
 この対局にあるのが、知っているからこそ、自己への見返りを求めず真実を探求しうよという行為です。自分の行為により、何らかの成功が持たらされたのに、そ
 のことで自分ではなく他者が評価されたとしても、真実を行ったことで満足できるというような行為なのです。

 そしてこれが、天国に富を蓄積する行為となるのです。宇宙の意識に全幅の信頼を置いているからこそ、できる行為であり器の大きな人間のなのです。
 地球上では、その行為を悪用される場合も想定されますが、そのことを含めて妥当に行動することが求められるのです。
 アダムスキーを信じる人間は、少なくともこのように振る舞いたいものです。 


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◇人類の歴史は古い!
 「第二惑星からの地球訪問者」(中央アート出版社)に登場するカルナ(金星人)は、アダムスキーが「他の惑星から来てわたしたち地球人の中で生活しておられ
 る人たちのことですが、このようなことは長く行われて来たのですか?」と質問したことに対して、概ね次のように答えています。
 イエスは地球で生まれ変わるように送られたが磔にされたとし、もっと関係者に危険の少ない方法で使命を果たすように変えたと言っています。
 このことは、それ以前にも、イエスのように地球へ転生し、自己の使命を自覚しながら生きた人がいたことを伝えているのでしょう。おそらく、旧約聖書に登場する
 モーゼ、ノア、アブラハムなど、有名な人物や孔子、ブッダなどもそうなのだと思います。

 危険の少ない方法とは、アダムスキーとコンタクトした、ファーコン(火星人)やラミュー(土星人)のようなコンタクトマンを意味しています。彼らは、自己を守るため
 のあらゆる訓練を受けているということです。

 これらは、この時代での話です。
 これは、1万2千年前に沈没したといわれるムー大陸やアトランティス大陸以降の時代です。

 しかし、カルナは、上文の後に次のように語っています。
 「私たちは七八OO万年にさかのぼる地球の歴史を知っています。・・・・・・地球は成長と破壊、成長と破壊の無限の反復です。」というのです。

 これは、恐竜が絶滅したといわれる6500万年より古い話です。
 あえて彼女がこの話をしたのには意味があると思われます。この時代は、単に地球という惑星を探査したということではなく、前後の文章から、この太陽系のなら
 ず者を最初に地球に送り届けた時代であったと推測しています。

 つまり、最初のエデンの園の時代です。
 このような時代を何度もとおり、一定の段階まで進歩するのですが、進歩するとそのたびに破壊を行って、今日の地球人がいるということなのです。

 そして、今日の地球人も、かつての破壊の段階にいると考えられます。
 新約聖書のヨハネの黙示録で記された、最後の7番目の天使がラッパを吹いている時代であるということです。

 今回は、従来の破壊の時代に比べ、今まで以上に、この太陽系の崩壊をも想定される段階にいると思われます。
 勿論、崩壊というのは、数千年、数万年単位で考える必要があると思いますが、人類が生きるに適さない環境が崩壊以前に起こるだろうことは想像されます。

 いずれにせよ、人類の歴史は想像以上に長く、しかし、人類は宇宙的な進歩を遂げることなく今日を迎えているということは確かなようです。

                                                                      2014.7.31   K・W