宇宙に想う!  


   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象について
    の感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書いてい
    きたいと思います。
    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。
    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。

「神は存在するのか?」Ⅱ
 それらを神の存在とするなら、「どうして戦争や病気から人々を助けてくらないのか?」という人々もいます。
 一方で、多くの文学作品の創作や発明などを行い、人々を幸せにしている人も存在します。

 こうした事実から、神と人間を切り離せないものだとすると、神と人間との関係について考えなくてはならないのだと思います。
 人間は、この部分の認識が大変弱いのではないかと思います。

 「神と人間」の関係が、敵対的なものであると考える人はいないでしょう。
 
 もしそうなら、人間はすぐに滅んでしまうでしょう。
 とすれば、良好な関係として存在していると考えなくてはなりません。

 しかし、人間にとって不幸な事態が起こるのは、そのつき合い方に問題があると考えられます。
 そして、先方を変えられないとすると、人間側の行動を変える必要があるのだと推察されます。
 では、どうすればよいのか?

 神という存在は、人間が好ましくない行動をとると、人間側にとって何らかの不都合(病気や、災害など)が起こる、あるいは起こすようです。
 これとは逆に、神にとって好ましい行動をとれば、人間側にとって都合のよい(豊作や健康など)を与えてくれているようです。
 但し、短い時間で反応があるとは限らないようですから、忍耐も必要になります。

 これらが正しいかどうかは、自己の人生や他者の人生、歴史などから総合的に判断する必要があります。
 これを電気に例えるなら、正しい使い方をすれば人間を助けるものの、誤った使い方をするとケガや死を招くことに似ています。
 
 これは、アダムスキーが例えて言ったことです。
 これらのことから私たち人間は、神とのつき合い方を学ばなければならないのだと思われます。

 これは、神により創造された人間の宿命であり、真に光栄なことなのだと考えられます。
 このような結論に誰もが到達しなければ、人類の人としての一歩は、歩めないのだと思います。

 では、神と人間との関係をどのように学んでいくのか?
 これは大変な問題であり、基礎訓練を終えて〝永遠の道〟に人間が乗るための一歩でもあります。

 このことを伝えてくれたのが、アダムスキーであり、スペースピープルなのです。
 特に、アダムスキーの「生命の科学」は、このことを教えているものであり、深く深く探求しなければならない至極の冊子であると思います。

 本書は、、疑って読んでは何の価値もなく、正しいことだと確信して読んでいく必要があります。
 これができないのであれば、まだ、少し時間が必要な状況なのだと思います。

 以上の事柄は、私の長年の活動から言えることなのです。
 〝神(宇宙の意識)は存在する〟のですから、神とつねに関わりながら、永遠に学び行動していかなければならないのだと思います。

 
                                 2024.12.5(木)  K・W



仏教(寺)は無くなるのか?
 最近、本屋で、仏教(寺)が無くなるのではないかと危惧する仏教関係者の本を見つけました。
 その本を買ったわけではありませんが、今日では、墓じまい、集合墓地、樹木葬など、個人の墓を造らない人が増えていることから警鐘を鳴らし
 ていたようです。

 仏教は、仏の教えで、仏というのは、仏陀のことですから、仏陀の教えをつないできたのが宗教となっているのだと思います。
 しかし、今日の仏教は、仏陀の教えそのものを大切にしているというより、その後の信者の教えが中心となっているように感じます。

 宗派も多く、それぞれに大切にしている教えが異なります。
 日本の場合、どちらかというと仏陀の教えに共鳴し、修業を積んだ高僧、例えば最澄や空海、日蓮などの教えが仏教界の中心になっっているよ
 うに感じます。

 特に日本の場合は、核家族化の進展に伴い、仏壇や墓を持たない家族が増えています。
 そこで家族の誰かが亡くなると、新たな墓を造るより個別の墓を持たない方向へ向かうのではないかと思います。
 
 これらの傾向は、神道でもキリスト教においても同じようなものがあると思われます。
 神道では、神社を引き継ぐ神主が不足して、神社本庁の命により神社をかまえる神主が複数の神社の神主となっている場合が少なくありません。

 また、アダムスキーは、今後、人々は、教会へ行かなくなるのではないかと言っていましたが、仏教においても、誰かが亡くなって仏教を意識する
 ような状況なのです。
 ようするに、葬式仏教に堕しているのです。

 これらは、それぞれの継承者の手腕も少なくないものと思われます。
 それぞれの教えがわかりにくいのです。

 小さな決まりごとのほか、その真髄が見えにくいのです。
 仏教では、ひろさちや氏や今枝由郎氏、あるいはネットなどにおいて仏教の良さをやさしく伝えようと努めた人々もいますが、全体として少なすぎ
 るのかもしれません。これは、アダムスキーの継承者にも言えることです。
 
 仏陀の伝えたかったことを、私なりに短く言うと次のような理解です。
 「すべてのものは、絶えず変化し永遠不変なものはない。これが、現実界である。肉体を持つ人間は、その法則を理解し良き事を行い、自我をコ
 ントロールすれば、永遠不滅な天界へ生れることができる。」ということです。

 これは、アダムスキーが伝えたことと同一で、永遠普遍な真理であると考えています。
 このような真理を人々へ分かりやすく、伝えていくことが大切なのだと思います。

 今後、仏教(寺)は、無くなっては困るというようなものではなく、無くなっても困らないものになるかもしれません。
 しかし、仏陀の伝えた真理は、永遠に消えることはなく、人々に注目される日を待っているのではないでしょうか。
 

                                  2024.12.17(火)  K・W