宇宙に想う!  


   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象について
    の感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書いてい
    きたいと思います。
    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。
    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。

地球隠棲説を肯定する学術論文があった!
 これは、月刊「ムー」10月号の「隠棲異星人説エイリアンは地球内にいる!!」(文:宇佐和通 氏)として、アメリカでの論文を紹介しています。
 UAPとは、2020年以降、UFOに替える呼び方としてアメリカ国防省を中心に使うようになった言葉です。

 そこでは、Unidentified Aerial Phenomena 未確認空中現象をUAPとしています。
 しかし、この本タイトルのUAPは、もっと範囲が広く、Unidentified Anomalous Phenomena の訳で、未確認異常現象となっています。
 最近では、このどちらのUAPも使用されているようですから、書く際も読む際にも注意が必要です。

 本論文は、日本語では、「地球外生命体仮説:未確認異常現象に対する地球隠棲的説明に対する科学的開放性の考察」というものです。
 これは、哲学と宇宙論、それに未確認異常現象(UAP)を内容とするもので、その媒体となったのは、地球隠棲異星人仮説(CTH)ということです。
 今回は、UAPのところが掲載されているわけですが、哲学と宇宙論についても知りたいところです。
 
 この論文のリーダーは、ハーバード大学公衆衛生大学院疫学部のティム・ロマス博士ということです。
 そこには、次のように書かれているようです。

 「近年、UAPに対する社会的注目と関心が高まっている。こうした現象に関する仮説は、従来の地球由来の説明と地球外由来の説明のふたつに分類される
 傾向にある。しかし、支持派の絶対数は少ないながら、第3の仮説も存在する。」として、さらに続けています。

 「CTH=地球隠棲地球人仮説を提起したい。UAPは、地球上(例えば地下)、および/またはその近辺(たとえば月)、さらには『われわれのなかを歩いてい
 る。』(たとえば人間になりすましている)、NHI=非人間知性によるさまざまな活動を反映したものであるとする考え方がある。ほぼすべての科学者が疑念を
 抱くだろうが、UAPと形容されるものが存在する以上、NHI由来の現象である可能性は簡単に否定されるべきではなく、科学的開放性の精神に基づく真の考
 察の対象になり得ることを主張する。」

 これは、UAPが地球上で隠れながら存在するNHIの活動の結果であるとしていて、そこには、地下や水中、さらに私たち人間の中にいることを示しています。
 そこで思い出すのは、本コーナー〝宇宙に想う〟7月にJAXA准教授吉川真さんを取り上げ、「宇宙人は地球にいるのか」と題して書きました。

 このタイトルは、吉川さんが書いたタイトルそのままですが、彼がこの想いに至ったのは、誰かから「興味深い話を聞いた」からでした。
 その誰かは、おそらくJAXA内部の人で、今回取り上げた論文を読んでいた可能性があるということです。

 それは、異星人について、興味を持っているばかりか、もしかすると何か知っている可能性は否定できないと思います。
 今回の論文の内容も、アダムスキーの主張と符合するものや、それ以外にも現実的に可能性が高いものであり、かなり正鵠を得ているものと思います。

 特にアメリカでは、UAP(UFO)について、昔から科学者など専門の学者が真剣に研究しています。
 今回のものも、日本でいうと東京大学が中心となった研究であり、この辺のところは、日本と大きく異なるところです。

 日本でも、少しづつ専門家による研究が増えつつあるようですが、今後、この傾向が増してくることを願うばかりです。
 

                                  2024.11.12(火)  K・W



「神は存在するのか?」Ⅰ
 西洋人にとっての神とは、その多くがキリスト教から派生する神のことで、その存在を信じる人々は少なくありません。
 日本人にとっての神とは、あまりはっきりしたものとは言えないと思います。

 日本では、神道、仏教、キリスト教、あるいは儒教信仰など、色々と混ざっているからです。
 西洋では、この神の存在を証明しようとした人々が少なからず存在します。

 中世より前の西洋においては、神の存在は自明であったとされます。
 しかし、中世になると「神学大全」を著わしたトマス・アクィナスが、「神は自然なる理性においても、その存在や超越的属性が論証可能な存在である。」とされ、
 神の存在を理性や推論によって導き出せるとしました。

 その後、哲学者として著名な、デカルトやカントなどが、神の証明について推論を行っています。
 カントは、色々な前提のもとに推論を行っているものの結局、「神の存在に関することは、理性で扱える範疇以外のものである。」としています。
 つまり、トマス・アクィナスの発言を否定する回答となったのです。

 一方のデカルトは、「不完全な人間が完全な神の理解を可能にするのは、神の存在を何らかの方法で教えてもらっているから。」として、神は存在すると結論し
 たようです。これは、プラトン的な思考法で、なかなか理解しやすいようです。

 そもそも神とは、どのようなものなのでしょうか?
 ここでの神とは、論証可能なものとして、決して宗教的なものではありません。

 私の理解では、「神とは、万物の創造者であり、人間によって決して否定されない絶対的な意識体。」というような感じです。
 つまり、人格神のようなものではなく、古代ギリシャから今日まで、このような存在を神と呼んでいるようです。

 これを「天」と呼ぶ場合もあります。
 イエスは、「天の父」、老子は「天の道」、孔子は「徳を支えるのが天」など、呼び方は異なるものの同一のことと言っていると思われます。

 この他にも、「宇宙の摂理」、「宇宙根源の力」、近年では、「サムシング・グレート」などと言われることもあります。
 神という表現は、どうしても宗教的なものと聞こえますが、決してそうではなく、宇宙に存在する偉大なる力を信じ、それに合わせるように生きる人々が認めて
 いる自然なものなのです。

 こうしたことから、〝神〟は、誰かが証明するものではなく、人間が自ら感じ、従い、生きるものであると推測されます。
 このような宇宙の力は、確実に存在しているのですから、信じる、信じないの問題ではないのだと考えられます。

 アインシュタインは、「神は、人間が創ったものであるから人間と同じように弱いものである。」と言っていますが、ここでは、そのような神ではなく、宇宙の自然
 な力に英知が存在するとしてそれらを神と呼んでいるのです。     ( ※ 次回へつづく )

 
                                 2024.11.26(火)  K・W