宇宙に想う!  


   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象について
    の感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書いてい
    きたいと思います。
    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。
    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。

他者を支援するとは?
 困っている他者を助ける、あるいは支援するというのは大切なことです。
 人々が、集団で生きるということは、こうした他者への支援が重要であり共に進歩につながるのだと思います。

 では、他者を助けるというのはどのようなことを言うのでしょうか?
 恐らく他者が、何らかの理由で本来いるべきところにいられず、落ちてしまったことに困っていて、それをもとの位置に戻すことが助ける、あるいは支援する本
 当の姿ではないかと考えます。
 
 その位置より高くても低くてもいけないのが真の助け、支援なのではないかということです。
 ときには策略があって、元いた位置より上位へ、あるいは違うところへ行きたがる人もいることでしょう。

 そのことを支援するのは、支援される者にとっては最大の喜びであるかもしれませんが、真の支援ではないと思います。
 仮にそれが可能となって、策略のある人間が、その思いを行うことが第三者にとって迷惑で不幸になる可能性は高いと考えます。

 類似の例として、芸能関係者やスポーツマンが、現在の位置より高い位置へ行きたがるのは普通のことです。
 この場合は、希望者と他者(ファン)が共に上位を願っていて、目的が共通となっているのです。
 これは、会社の中でも起こり得ることです。

 つまり、これらは、共に同様な利益を得る関係なので、支援というより共同作業と呼ぶべきものです。

 なかには、自分の元いた位置へ支援を受け戻った人間が、他者へ迷惑をかける行為をする場合があります。
 これでは、助けなくてよかったのではないかと第三者から言われかねません。

 しかし、これは、攻められるものではないのだと考えます。
 事前に危険性があれば別ですが、困っていた人を元いた位置へ戻してやることは、重要な人助けであると思います。

 助けられた者が、その位置から他者へ迷惑をかけてしまうのは、その本人の問題であり、その位置まで支援した他者の問題ではないと考えます。
 これは基本的な考え方であり、人間は常にこうした少々厄介な関係の中に生きているのだと思います。

 人はそれぞれに個性があり、お金儲けが得意な人や苦手な人、謙虚な人や横柄な人、体の丈夫な人や虚弱な人、大きな人や小さな人などが存在します。
 その負と思われるところを補えるのが集団(社会)生活です。
 その人々が、〝生〟に対する基本的なところで共通認識をしていれば、良好な社会が期待できるはずです。
 
 今日、日本の多くのところで地震や豪雨による災害が多発しています。
 その後の復旧作業に、多くの人々がボランティアとして関わっています。

 本当に頭が下がります。
 しかし、上述したことは、どちらかというと日常における様々な出来事を含んでのことです。

 また、世界の一部では、戦いの最中にあります。
 かつて、ユダヤ人の多くを助けた日本人は複数存在します。

 その人々に対する一部の偏った評価は、上述のように考えるとよいと思っています。
 何らかの形で他者を助けることは、人類普遍の善であり大切なことであると思います。


                                 2024.10.7(月)  K・W
  


エゴを使っても進歩はある?
 ときどき考えてしまうのは、〝エゴを使っていては精神的な進歩はないのか〟ということです。
 まず、おさえておきたいことは、エゴ中心に存在しているこの地球社会は、かりそめのものでも、偽りのものでもなく意味のある世界であるということです。

 これを、いずれ正しいところに足をつけるための仮のものとしてしまうと、現在の社会の意味はなくなってしまいます。
 そのように考えるものではないと思っています。
 
 これを是とすると、現在の人間社会すべてが意味を持つものとなります。
 とはいえ、〝だから、この生き方でよい〟ということではありません。

 また、エゴたる不純な動機から行動を起こしても、その結果が自他ともに救われるような大きな成果を得ることも少なくありません。
 つまり、エゴから出発しても、行動が真剣なら成功や進歩につながるのです。

 地球は、心と体を使って行動し、社会活動を通して対人関係や人の幸せを知り、何を行うことが良くて何が良くないのかなど、人間が人となるための基本的な
 ことを学び、忍耐、寛容、他者への愛などを育む星であると思います。

 なかには、このような社会を嫌って人里離れた生活を送る人々も存在します。
 その人々の何割かは、いずれ人々の中で生きることを学ばされることでしょう。

 この社会の中でエゴを拡大させてしまうと、楽しいと思う部分もありますが、真理を見抜く力を欠落させ学びが大きいものとはならないでしょう。
 それでも、学べるということではあります。

 地球上では、自己と他者の〝失敗〟から多くを学んでいるように感じます。
 そして肉体的には、〝病気〟から多くの学びを得ているようです。

 ですから学びは、どこにでも存在しているということになります。
 ただし、正しく学んでいく必要があります。
 
 何度も同じ誤ちを繰り返すようでは、学んでいるとはいえません。
 地球上では、このことが大きな問題であると思います。

 正しく学ばれれば学びが積み重なり、安定して昨日の自分より一歩進んだ自分を発見するようになって、次のステップに移行できるのだと思います。
 そのような人は、自己の心(エゴ)をある程度コントロールできるようになっているはずです。

 私たちは、エゴを毛嫌いしたり厳しく取り締まるのではなく、優しく見守りながら、何事もやりすぎることがないよう、うまくコントロールしていくことが肝要なよう
 です。
 そのためには、常に世界平和を願い、日々学ぶことで進歩につなげることが大切だと心に刻まねばなりません。
 

                                  2024.10.23(水)  K・W