宇宙に想う!  


   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会的事象について
    の感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした考え方で、分かりやすく書いてい
    きたいと思います。
    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると思います。
    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。

「郷に入れば郷に従え」
 「郷に入れば郷に従え」という格言、あるいはことわざがあります。
 これは、よその国(地域)へ行ったなら、その国のしきたりや習慣などに従いなさいという考えです。
 この格言は、日本だけではなく多くの国にあるようです。

 各国は、それぞれに自然環境をはじめ地理的条件や言語などが異なります。
 これらの違いは、衣・食・住はもちろんのこと、多くの伝統や風習、法律なども異なるということです。

 行き先の国のこうした環境に自らを合わせるというのは、時になかなか大変なことだと思います。
 しかし、そうすることが、その国に暮らす人々を理解することであり、自己の健康を維持することにつながるのだと思います。
 もちろん、衛生的でなくてはなりませんが・・・。

 人は、日差しの弱い国から太陽直下の国まで、様々な国に生まれ、それぞれに地域に適した肉体をいただき、その地域の食で成長していきます。
 これは、自然とそのようになっているわけですが、そのことが正に、「郷に入れば郷に従え」を肯定しているのだと思います。

 とはいえ、その国(地域)の伝統や風習あるいは自然環境などが、まったく疑義がなく良好であるとはかぎりません。
 なかには、そのような国に生まれ、その土地になじんで生きながら、他国を知ることで疑義が生まれ、その本人が疑義があるところを改善していくということもあ
 るでしょう。

 これに、他者の賛同が得られるのであれば、伝統行事なども修正されるものです。
 これによれば、他国から住みついて好ましくないと思われるもの・・・、これはあくまでその個人の判断となりますが、それを避ける、行わないということはあっても
 良いはずです。

 しかし、あくまで、「郷に入れば郷に従え」を実践し、その行為等の理由を知ったうえで、判断するのであれば良いのだと思います。
 その意味では、「郷に入れば郷に従え」は、実践として正しいものであると思います。

 仮に、ある国に他国から多くの人々が入国したとして、その人々だけの地域をつくってしまったとしたら、もとの国に異国が出来るようなものでしょう。
 国として、不明瞭な時代でもあれば別ですが、国家として憲法を持ち、政治が国を修める時代では、その国の異分子となってうまくいかないでしょう。

 やはり、「郷に入れば郷に従え」を理解できる人々、その国が好きで住みたいと思う人々でなければ、治安のよい国とすることはできません。
 正にこれが、移民問題で起こっていることです。

 移民問題を考える際も、この「郷に入れば郷に従え」は、一つの指針として重要なものだと思います。
 その視点でも、この格言は正しいように思います。


  PS : 移民(脱国)しなければならない人々は、大変お気の毒であり、まずはその人たちの救済、あるいは支援は重要なこととなっています。それと同様に、
     その背景、そもそもの元凶を明らかにすることは、今後、そうした人々を増やさないためにも大切なことだと考えます。


                                     2024.5.8(水)  K・W



人生は楽しければよいのか?
 私たちの会話の中で、普段から「何事も楽しめ」とか「楽しくなければ人生ではない」などという言葉が飛び交います。
 確かに、楽しくないと継続できないし、精神的な負担にもなります。

 ここで、〝楽しい〟とは、どのような精神状態を言っているのでしょうか?
 楽しいとは、「気持ちよく、明るい気持ち」、「満ち足りて心地よい」というような意味です。

 文字どおりであれば、人を失敗へと導く〝不安〟とは異なり、決して悪い精神状態ではありません。
 ですから、多くの人々は、学業や仕事、趣味などにおいて、〝楽しい〟を求めたり〝楽しくなる〟まで努力しているようです。

 心が楽しければ、テレパシックになりやすく、多くのアイデアが浮かんだり、物事が好循環していくというのも事実でしょう。
 それなら、人々が常に楽しい気持ちでいれば、世界は進歩し平和になるかというと何とも釈然としないものがあります。

 一般的に〝楽しい〟には色々あって、穏やかなものとは限らないうえに、楽しい気持ちを持ち続けることが難しいからです。
 また、〝楽しい〟、〝楽しくない〟を〝好き〟、〝嫌い〟のように判断する場合もあるからです。
 
 楽しくなくても、行わなくてはならないことは、人生には沢山存在しています。
 私たちが普通に〝楽しい〟というのは、「心」(エゴ)であること思われます。

 エゴたる心が、楽しいことを継続するのは好ましいことではありません。
 爆発的な喜びは、その代表的なものであると思います。

 しかし、〝楽しい〟心の中が、穏やかで明るい気持ちで満ち足りているのであれば、〝宇宙の意識〟とつながっている可能性があります。
 これは、意識から来る指令を感じ、行動したその結果が達成される場合に近いものと思います。

 仮に、何も行動していない場合であっても、心のありようによって充足感を感じることはあります。
 このような穏やかで心地よい場合には、その状況を継続することが可能なのです。

 これは単に、その人が好きなことを行っているという単純なものではありません。
 過去から持ち込んでいるものを清算していたり、行うべきことを行っているということではないかと思います。

 ここで整理をすると、〝楽しい〟というのは、エゴを中心とした場合が多いのですが、〝不安〟というテレパシーを阻害する要因を排除することから、そ
 の感情には、宇宙の意識に通じるヒントが含まれていると考えられます。

 心(エゴ)を中心とした〝楽しい〟は、過激であり注意が必要ですが、宇宙の意識に通じた安らかな〝楽しさ〟は、良いことなのだと感じます。
 この辺の区別は、なかなか難しいことですが、私たちは〝宇宙の意識〟につながった〝楽しい〟を学び、人生の本道のうえに踏み出して行きたいと思
 います。


                                      2024.5.21(火)  K・W