宇宙に想う!  

 
   はじめに 
 
        ここでは、「生命の科学学習会」や「G・アダムスキー通信」では、触れることが少ない、日々の生活における行動や社会
    的事象についての感想、あるいは、スペースピープルに馳せる想いなど、広範囲にわたり「生命の科学」をベースにした
    考え方で、分かりやすく書いていきたいと思います。
    重要なことについては、「生命の科学学習会」で追加説明したり、「G・アダムスキー通信」に改めて記載することもあると
    思います。
    頻度は、月数回を目標とします。短文にはなりますが、皆さんの生活の参考になることができれば幸いです。

転生から見たロシアの軍事侵攻!
 人は、生を受け、健康で生き続けるなら、日本では80歳過ぎの平均寿命まで生き続けることができます。
 とはいえ、死を免れることはできません。

 しかし、死は生のはじまりとして、魂は、転生を繰り返すとされます。
 このことについては、スペース・ピープルの世界において、当然のこととして理解されています。

 ときに男性、ときに女性として生まれ、その惑星の学習が一段落すると、他の惑星へと転生して行くということです。
 これを広大な宇宙の中で、永遠に繰り返すということのようです。

 地球上においては、前世の記憶が全くないことから、誰もが当然の知識とはならないのですが、知らないのは肉体の〝心〟であって、魂は知
 っているのです。

 そのため、顕在する記憶はなくとも、心底から信じられる人がいるわけです。
 現在、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、多くの人命が失われ、兵器庫を中心とした建築物が無残に破壊されています。

 しかし、ウクライナには、過去にロシアで財を成し国に貢献し、あるいは、平和な家庭を築いた人々が、転生しているかも知れないのです。
 ロシアには、その人の子や孫が生活し、その先祖であった自分が、その子孫から攻撃されているのかも知れないのです。
 もちろん、その逆の場合もあるでしょう。

 このようなことは、少なからずあるはずです。
 だから、人類皆兄弟姉妹とも言えるのでしょう。

 そう考えると、いかにおかしなこと、不幸なことを行っていることか
 知らないということは、大変に不幸なことです。

 とはいえ、転生を証明することは、今の地球の科学では不可能なことでしょう。
 しかし、これは、確実に存在している宇宙の真理の一つです。
 
 今の生き方一つ一つが、次の転生を決定していくことでしょう。
 今後、転生が認められるようになれば、争いは、減少していくのではないかと思います。

 そのためには、人々が、もっと精神的に高くなる必要がありますが、そのような日が来ることを願ってやみません。
 

                                          2022.5.9(月) K・W



アダムスキー哲学の実践とは!?
 アダムスキー哲学は、皆さんご承知の通り実践することが大切であると言われてきました。
 私も、様々な機会にそれを強調してきました。
 そのことは、論を待ちませんが・・・、しかし、その〝実践〟とはなんなのでしょう?

 なかなか、簡単に説明できるものではありません。
 あえて、不十分ながら言えば、次のように伝えることができるでしょう。
 
 まず、アダムスキー哲学とは、彼の書物である「21世紀の宇宙哲学」と「21世紀/生命の科学」を中心とした教えであるということです。
 もちろん、アダムスキーが残した言葉や他の書物も重要なものとなります。

 そして、具体的には、
 ① 自然界や人間界を観察すること
 ② 何らかの現象を見たら原因を探求すること
 ③ 自分の心を分析し理解すること
 ④ 万物は意識によって生み出され、すべての背後には意識があることを感じること
 ⑤ 肉体の宇宙的細胞を通して意識の声を聞くよう努めること

 大きく5つにまとめてみましたが、その主なものは、山にでもこもって、修業した方が良いような内容です。
 しかし、①に入っているように、〝人間界を観察すること〟も大切なことなので、これは人々の間に生活しないと不可能なことです。
 
 アダムスキーは、都会で暮らすより山で暮らす方が好きな人でしたが、晩年は、多くの人々に接しながら教えを伝えていました。
 この辺が、重要なところです。

 古代中国の哲人(思想家)〝老子〟は、極めて高度な精神的な境地に達していたようですが、一般人の生活向上に力を尽くすことはなく、仙
 人のように山で暮らすことを好んでいました。

 一方、〝孔子〟は、天の摂理を理解したうえで、多くの一般人の生活向上、精神の向上に力を尽くした人でした。
 仙人のように山にこもることは、一般人との接触による〝わずらわしさ〟から解放され、自己研鑽には都合の良いものです。
 自己修練は、進むものと思われます。

 これと比べて、一般人を支援する生き方は、多くの点で困難を伴う高度なものと言えるでしょう。
 アダムスキー哲学を実践しようとしている私たちは、この後者の方を行おうとしているわけです。

 しかも、先の①から⑤は、そう簡単に実行できるものではないでしょう。
 だから、簡単には成果が見えないということです。

 アダムスキー哲学の実践という困難な道を進もうとすることは、何よりも知恵と忍耐を必要としますが、宇宙の意識に称賛されることであり、
 たとえようもなく美しく、そして尊いものなのだと思っています。


                                          2022.5.23(月) K・W