◇なぜ、「生命の科学」を学ぶのか?

 角丸四角形:  オーソンは語っている。「地球人の苦悩を光りの前の暗黒のように消すために“宇宙の創造主”を地球人の道しるべにしよう」と・・。       「生命の科学」(SCIENCE OF LIFE)は、1964年にアダムスキーが研究の集大成として著したものです。アダムスキーは、毎月1講ずつ12回に分けて作成し、当時の各国GAP主宰者に送りました。その日本版の“著者あとがき”には、『「生命の科学」講座はスペース・ブラザーズによって伝えられた知識です。』と書いています。  
 
 このことから、「生命の科学」は、単にアダムスキーの研究の成果ではなく、スペースピープルから地球人へ贈られた何か重要な書物であることが想像されます。しかも、これは、アダムスキーが亡くなる前年に書かれているのです。


 「生命の科学」のエッセンスは、「宇宙には、宇宙を創造した普遍的な意識が存在し、その創造物である万物は、創造主の多様な表現であり、愛すべき子どもたちなのだから、創造物である私たちが父である“宇宙の意識”の存在を認識し、すべての指針として従うならば、真の幸福を実現できる。」ということです。そして、この“宇宙の意識”を認識するための方法論について、「生命の科学」では多くの例示をもとに、心(エゴ)が納得できるように書かれているのです。

 これらの教えは、決して地球上の教育機関等では学ぶことのできない、本来の自己を開眼させるための教えであり、宇宙人として自立して生きるための知恵で満ちています。  

かつて、地球上の偉大な指導者達は、創造と破壊を繰り返す地球人に対し、私たち人間が従うべき指針について語っていました。その指針とは、宇宙の意識のことで、真の神とも呼ばれる宇宙の普遍的な原理であり、また、時には真理へ至るまでの道しるべでもあるのです。  

地球人は、モーゼの「十戒」に代表されるような、神から示された遵守すべき指針を明記し、それに従って長年生きてきました。モーゼの時代では、奴隷として扱われたエジプトから脱出した人々であり、知識や教養が乏しかったことから、神を恐れるべきものとして表現し、人々に恐怖心を与えることによって、神の法則に従わせようとしていました。  

 しかし、知的心の限界の中で、その真意が理解されることはなく、長い時代が経過してしまいました。そして、今日では、恐怖の神に代わって、世界的に罰則規程を設けた法令等を設けることで善悪の指針としています。それを守ることで社会的には問題なく生活できますが、幸福になれるというものではありません。なぜなら、神から完全に分離したところ、分離した思考の枠組みの中で生活規範を設定しているからです(補足参照)。

 一方、アダムスキーが伝えている宇宙の意識は、神(創造主)そのものであり、真のよりどころであるために、人間が、それを知り従うことによって、神とともに歩むこととなり、真の幸福に至ることができるのです。賢明な方々ならご理解いただけると思いますが、地球に唯一絶対的な指針、万人が従うべき基準が無いということが国と国とを分断し、人と人とを敵対させているのです。

 スペースピープルは、このことを地球人に知らせるために、古代から最大限の愛を地球人に示してきました。そして、今でもそれを継続しているのです。

「第2惑星からの地球訪問者」の中で、オーソンは、次のように語っています。「地球人の苦悩を光りの前の暗黒のように消すために“宇宙の創造主”を地球人の道しるべにしよう」。この言葉は、彼らのスペース・プログラムであり、知らせる運動のスローガンとして、今でも継続していることを示していると共に、“宇宙の創造主”たる“宇宙の意識”を指針とすることが、地球人には欠けていること、必要であることを示唆しています。

また、オーソンは、次のようにも語っています。「・・・地球人自身がこのことをいかに理解していなくても、地球人は“宇宙時代”に近づきつつあると言えるでしょう」。宇宙の意識を知らない地球人が、宇宙の意識を理解することで宇宙の住人になれるかも知れない“宇宙時代”が近づいているということです。当然、“宇宙時代”というからには、アダムスキー支持者が夢見る、彼らスペースピープルとの交流の時代ともなるでしょう。

かつては、宗教などの姿をとって、あるいは哲学の一部として、偉大な真実である“宇宙の意識”が伝えられてきましたが、多数の人々はそれを理解できませんでした。宇宙時代が迫った今日、それが、スペースピープルにより「生命の科学」として伝えられているのです。だからこそ、地球人である私たちには、そして、特にスペースピープルの存在を理解できる私たちは、“生命の科学”の学習と他者への普及が重要になってくるのです。

これは、きっと「生命の科学」を伝えた、スペースピープルの代表としてのオーソンと、地球人の代表としてのアダムスキーの今なお、大きな願いであると強く感じています。

(補 足)

現在の私達は、宇宙の指針を知らないことから、“行うべくして行う” という宇宙的な必然として行動していません。むしろ、一般人の行動は、個人の損か得かが主な判断基準となっています。個人の損得が基準となった人間は、その行動が継続できなくなることや制限されることを恐怖します。

 地球上では、そこを利用して、法律上の罰則規程が制度化されているのです。宇宙の意識と共に生きる人間は、誰か(他人)が見ていようが見ていなかろうが関係無く、自分が行うべき必要な行動を行いますが、個人の損得を基準とする人間は、人が見ているか、見ていないかで行動が変わります。

 地球上の犯罪の多くは、人が見ていないところで起こるのです。人が見ていると、誰がやったかがわかってしまい、罰則を受けてしまうからです。罰があるから行わない。これが地球人です。それが“不幸な”こと“非宇宙的(宇宙の意識の意思に反すること)”だから行わないのではなく、罰がいやだから行わないのです。罰を受けるのはいやだと分かるが、なぜ“いけない”ことかが分からないのです。

 “人が見ていなくても、いつでも神が見ている”。この境地にスペースピープルはいるのです。人が見ていないから見つからないと考える幼稚さは、地球人の典型的な思考ともいえるでしょう。


◇「生命の科学」を理解できる力の差

  角丸四角形: 理解力の差というのは、端的に言えば、「生命の科学」で書かれていることを信じ切れる力の差であると表現できます。言い換えれば、“宇宙の意識”を信じ切れる力の差なのです。

 「生命の科学」を意義ある書であると認識できる人(※ここでは、書と表現しますが実践的に認識できる人を含みます。)と、そうでない人とは何が違うのでしょう。「生命の科学」が、普遍的な真理の書であるならば、宇宙に存する人間は、誰もがそれを理解(意義ある書であると認識)できるはずです。この考え方が正しいとすると、理解できない人がなぜいるのでしょう。

 地球は、幼稚園のようなものであるとアダムスキーは言っています。地球を幼稚園に見立てれば、ここには宇宙の基本を学んでいる人々がいて、指導者から生活における基本的な規範を教えられても、その規範の理由が分からず、守ることのできない多数の人々がいる中で、それを理解できる一部の人もいます。

 この違いはどこにあるのでしょう。おそらく、生きることへの真摯な姿勢が第一因であり、さらに言えば、前世での体験や記憶が作用していると推測することができます。また、次のようにも言えます。理解できる能力は誰にでもあるのですが、その能力を正しく磨かないと本来の力を発揮できないということです。

これは、おそらく村上和雄さんの言う“遺伝子のスイッチ”がONになるからなのだと思います。ですから、ある事を理解できる人は、自己の意志や自己努力によって、そのことに対して遺伝子がONになっているのではないでしょうか。

かつて、インドにおいて、狼に育てられた少女アマラとカマラの話がありました。それによると、夜になると吠えるばかりか、目が野生動物のように夜行性となって、光が当たると輝いたということです。これも、狼に育てられたことによって、育ての親のようになろうとしたのか、夜間行動する必要性からか、夜行性となる目の遺伝子がONになったものと解釈できます。

 「生命の科学」の理解においても、同じように言えると思います。このことを理解できる人は、その生き方において、人生の意義を思考し生活における様々な側面を観察しながら、「生命の科学」の真実性(意義ある書、普遍的な真理の書等々)を理解できる基礎を学んできたのです。つまり、「生命の科学」の真実性を理解できる遺伝子をONにしているということです。そして、それを決定づけている前世の体験や記憶を大切に魂の中に持ち越しているからなのです。

 一方、「生命の科学」を理解できない人々は、現在のところ、それを理解できるまでの基礎を持ち合わせていないということになります。そのような人に、いくら「生命の科学」の素晴らしさを説明しても意味のないこととなるでしょう。

 それでは、「生命の科学」を理解する人の中でも、スムーズに成長する人となかなか成長できない人とは何が違うのでしょう。

 一言で言えば、理解力の差であるといえます。この理解力の差というのは、端的に言えば、「生命の科学」で書かれていることを信じ切れる力の差であると表現できます。言い換えれば、“宇宙の意識”を信じ切れる力の差なのです。宇宙の意識に対して全幅の信頼をおき、付き従うならば光明に向かわざるを得ないのです。

 なぜ、宇宙の意識を信じ切れるかと言えば、宇宙の意識が何を意図しているかが感じられる、分かるからなのです。言い換えれば、これは、「知る」ということと同じなのです。人間は、知ったことは必ず行動を伴うものなのです。行動を伴わないものは知ったことにはならないのです。

しかし、地球的に言えば、知った(感じた)ことが正しいかどうかまったく証拠がないのです。このことから、当然、不安が生じるのです。しかし、証拠がなくとも、それが正しいと分かるのです。これが、成長できる人となかなか成長できない人との差なのです。言い換えると、テレパシーで神の言葉(宇宙の意識)が聞ける人と聞けない人との違いなのです。この差は、一丁一夕にて埋めることはできません。それが、進歩(精神レベル)の差であり、一歩一歩、永遠に歩み続ける人間の積み重ねの差であると言えるでしょう。

 このことは、次のようにも言えます。宇宙の意識は、宇宙の意識を常に見つめ語りかける人に、宇宙の意識も応えているということです。宇宙の意識を愛すこともせず信じない人へは、宇宙の意識もそれにふさわしい愛を示すにとどまるでしょう。これは、単純なるも大いなる真理です。

意識的に感じたことを実行して、成功を収めることのできる人間。それは、真実を見ぬく目を持っていること、そして、意識を信じ切れることで祝福されているのです。こうした体験は、更に自らを成長させてくれることでしょう。地球は、こうしたこと、つまり、「宇宙の意識」を認め正しく理解することで、望ましい結果を生み出すことができるということを学ぶ惑星なのです。