Chase 01 − 招かれた男  コンソールのナヴィゲーション画面が目的地に到達したことを輝点の気忙しい明滅で報せると、無造作に拳が飛んできて、スイッチを叩き切った。その拳が開き、画面の脇に挟み込んであるいささか古風な名刺を摘み上げる。  そこに記されたビルの名前と、目の前の実際のビルを比べて、彼は場所が正しいのと同時に、ビルの方がいささか名前負けしていることを認識する。そもそも彼を呼び付けたこの研究所とやらの名前からしてが笑わせる。特殊車両研究所(Laboratory of Original Vehicles)の略称だとしても、LOVEというのはどうにかならなかったものか。来てみれば想像以上に胡散臭い。しかし訳ありの自分に眼を着けるような研究所だ、まるっきり真っ当だとも思えないし、何よりもどういう了見で自分を呼び付けたのか聞かないと気が済まない。  彼の右足がスロットルを開くと、少し時代遅れになったコールド・モーター・ユニットが気になる異音をあげつつ車を加速させる。車はそのまま駐車場へと飛び込んでいった。  この時代、化石燃料の欠乏等からジェットやレシプロ等の旧世代のエンジン類(ホット・モーター・ユニット、略してホットと呼ばれる)はその姿をほとんど消しており、趣味人の手元か博物館、研究所等の施設でしか見られなくなっていた。それに取って代わった電気式のコールド・モーター・ユニットがいわゆる「エンジン」として通用するようになり、陸上・海上の交通手段に導入されていた。  しかし航空交通だけが技術的困難と大気圏環境の変動による制約により大きく遅れをとり、ごく小規模かつ低空に対応した機体以外は姿を消しつつあった。  一方でそれをカバーするかのように陸上交通、殊に自動車の発展は「いろいろな意味で」著しかった。この研究所もそうした発展の一翼を担っているのだろう……  研究所の入口には、ご多分に漏れず守衛代わりの機械が鎮座している。「こんにちは」だの「職員の方はIDカードを提示してください」だのと、合成の女声で言ってくるその機械の鼻面に、彼は煙草の煙と例の名刺とを突き付ける。  「このお方に呼ばれてるんだがね」  ほんの0.5秒ほど機械はパニックを起こしたように見えた。が、その後は一も二もなく行き先の案内画面を表示してくる。見ると、そこは通常外部の、しかも初めて訪れる人間が通されるはずもない上層階の一室である。  随分な待遇じゃないか、と彼は思う。この研究所に足を踏み入れたことはおろか、実は例の名刺の人物に会ったことさえないのである。ここまでされるとなおのこと気持ちが悪い。が、まあいい。理由だけはとっくりと聞かせてもらおう。  先を急ごうとする彼を、合成音声が呼び止めた。  「構内は禁煙となっております。お煙草はこちらにお捨てください」  灰皿を差し出して待つ機械に、返事代わりに彼はもう一度煙を吹きかけた。  「Division Director」とある自動扉のタッチパッドに触れる。ロックはされていなかったか、誰何も何もなく開いた。その右奥のデスクについていた女が振り向いた。  「あんたか、この名刺の主は? 特殊車両研究所のM開発部ディレクター、久我涼子さんってのは」  三十代前半と見えるその女は腰を上げると、問いかけた男の方に数歩歩み寄り、会釈をしたがその眼は微笑だにしていなかった。  「ご足労願って申し訳ありませんでした、木津仁さん。どうぞお掛け……」  女が言い終わる前に、木津は応接用のソファに腰を下ろしていた。だがそれには特別な反応も示さず、彼女は続けた。  「コーヒーをお飲みになりますか?」  「アルコールは出そうにないな」  「まだ勤務時間中ですので」  相変わらずにこりともしない女の態度に、木津の口元が少し歪む。  「それじゃコーヒーを。三倍濃縮のエスプレッソだ」  「承知しました」  おいおい、本当に出す気かよ。女はインタホンでどこだかにその通りのオーダーを告げ、自分もソファに腰を下ろす。  「申し遅れて失礼しました。私が久我涼子です。このLOVEでM開発部のディレクターを務めております」  「知ってる」と、間髪を入れずに木津。「名刺は見たからな」  そして久我に視線を走らせると、続ける。 「それよりも俺が知りたいのは、何故俺みたいな奴をここに呼び付けたかだ。足代にしちゃちょっとまともじゃない金額をよこして、理由は来れば説明します、と来た。どうしたって出向かざるを得ないような状況だよ」  答を促すような沈黙にも久我は答えない。代わりに木津が続けた。  「こういうやり方を取るってことは、俺のことも相当調べてあるらしいな。あのことも含めて」  「その通りです」  わずかとは言え木津がのけぞる程に、決然として強い口調だった。のけぞった木津の上体が再びさっきまでのように前屈みになるのを待って、繰り返した。  「その通りです。その上で、私たちはあなたが必要であると判断しました」  「俺が必要、ね」  「正確には、あなたの能力が、ですが」  「昔取った何とかで、テストドライバーでもやれと言うつもりかい?」と、肩をすくめながら木津。「テストドライバーに事欠くほど、おたくのプロトタイプには事故が多いのか?」  皮肉めかして笑う木津に、初めて久我が笑い返す。ただ口元だけで。そして答える。  「今回のケースはそうかも知れません」  「おい!」  思わず木津は立ち上がる。と、そこにインタホンから妙に甲高く弾けた声が割り込む。  「コーヒーをお持ちしましたぁ!」  久我はデスクのインタホンの所まで戻る。  「入って。ロックはしていないわ」  木津が扉の方に振り向くと、事務服姿の小柄な、二十歳そこそこと見える若い女が、カップの載ったトレイを手に入って来た。  「失礼します」と彼女は、木津の前にデミタスのカップを置く。座り直ししな、胸のIDカードに、「峰岡真寿美」の名前が読めた。彼女は木津に微笑んで見せると、久我に同じくデミタスのカップを差し出すと、言った。  「こちらの方が新しくメンバーになられるんですか?」  「余計なことを言うんじゃありません。木津さんにはまだ何のお話もさし上げていないんだから」  「はい、失礼しました!」  弾かれたように頭を下げると、そそくさと彼女は部屋を後にした。出て行き掛けにもう一度木津に微笑みかけて。  困ったものだ、という表情をすぐに消して、久我はコーヒーを木津に勧める。  「うえっ!」  うっかりすすった三倍濃縮のエスプレッソは冗談抜きの強烈な代物だった。  「お口に合いませんか?」  「どうやらあんたの辞書には冗談の文字は無いらしいってのは分かったよ。さっきの事故率の話も、まんざらの嘘じゃなさそうだな」  「厳密に言うと少し違います」と久我。  「てぇと?」  「立場上逆になるとは存じておりますが、先に何点かお尋ねしてもよろしいですか?」  そう切り出されては、応じざるを得ない。ディレクターを任されるだけあって、この女、なかなかのやり手だな。  「何だ?」  「あの事件から一年になりますが、それ以来は走ってはいらっしゃらないそうですね?」  「ああ」と木津は答え、窓の外に目を遣る。  「プライベートでも?」  「退職金代わりによこしたあのポンコツじゃあ無理というもんだ」  久我はそれには答えず、次の質問に移った。  「この研究所について、予備知識がおありでしたか?」  「ない」とだけ答え、木津は続く問いを待ったが、久我は  「分かりました」  と言っただけだった。  これにカチンと来たのか、木津は言った。  「いつになったら俺の質問の番が回ってくるのかね?」  応じる久我の方は、慌てた様子もなく言う。  「もう一点だけお願いします」  木津は口を尖らせるが、かまわず久我は続けた。  「あの事件の相手をまだ怨んでいらっしゃいますか?」  木津は思わず立ち上がって叫んだ。  「それとあんたらと、何の関係がある?」  そこへ再びインタホンの割り込み。聞いたような女の声が。  「出動要請です。武装暴走車五台、ルートC553、テイト社工場跡から東に走行中。捕捉の指示が来ています」  「武装暴走車?」   木津の声を無視して、久我はインタホンに近付く。  「マース1からマース3まで出動。指揮はマース1に任せます。いいわね峰岡? C553ということは、研究所に接近する可能性もあります」  「了解!」  木津は声の主を思い出した。さっきコーヒーを持って来た、あの小娘が指揮?  この展開にいささか唖然としている木津に、今までと全く変化のない口調で久我が言う。  「お話さし上げようと思っていましたが、ご覧頂いた方が主旨をよりご理解頂けそうですね。こちらへおいでください」  とりあえずはその言葉に従う他なかった。  久我は木津が来るまで座っていたデスクに戻り、事務器用と思われるディスプレイ・スクリーンを机板から引き起こした。立ったままのぞき込む木津の目に、いくつかに分割された画面が映る。一つはナヴィゲーションのそれ同様に輝点を表示した地図、他の三枚は車のフロントガラスからのと思しきビデオ映像で、各々の左上隅にはM−1から3までの記号が入っていた。さっき言っていた「マース1」云々のことだろう。  地図の上で、彼我を示す紅白の輝点はまだゆうに十五キロは離れていて、しかも向かって来る赤い点に対して、白い点はまだ全く動く気配を見せない。と、そこにさっきと同じ女の声。コーヒーを運んで来た時と変わらない、高く弾けた調子で。  「スタンバイOK! 出ます!」  M−1からの映像が急に動き、一瞬の後には流れる公道とその両脇の景色となる。  「出てるな……のっけから二百五十か」  思わず木津はつぶやく。それを聞き逃さなかったか、久我が問う。  「やはり勘は鈍ってはいらっしゃらないようですね」  その目の前で、地図上の輝点は見る間にその間隔を縮めて行く。  まもなく峰岡の声。  「インサイト! 捕捉します!」  M−1の画面の奥の方に小さく見えていた影は、見る見る邪悪な印象の武装車両の姿となってくる。  「捕捉って、車でか?」と少し嘲るような木津の口調。「連中が素直に停まるようなタマかい? おっ!」  武装暴走車の先頭の一台が機銃らしいものを撃ってきた。M−2とM−3は避けるが、M−1は動じる様子もなく直進する。  「今のは威嚇です」と、落ち着いた声で久我が言う。「しばらくはこの調子で遊んでくるでしょうね」  「遊び、ね。最近のガキどもと来た日にゃ……」  追って二台が撃ち始めた瞬間、両者はすれ違った。次の瞬間、M−1は暴走車の後ろを捉えている。M−2も3もターンは決して遅くはないが、峰岡に比べると相当もたついて見える。  「ほぉ……結構いい腕してるんだ」  「後尾二台、止めます!」  その声と同時にM−1が急加速。そして最後尾を並走していた二台の前に躍り出す。泡を食った二台は頭から接触、への字型に潰れて止まる。  「マース3、落伍車確保!」  「了解!」  峰岡の指令に従って、「マース3」は潰れた二台の脇で止まる。残る二台はさらに武装暴走車を追う。  「あんた方って、ここまでする権利あるわけ?」  そう問う木津に、静かに、だが確信を持って久我が答える。  「あります」  仲間が潰されたのを見たか、先行する三台が今度は本気で狙いを付けて撃ち始めた。M−2の画面では、銃撃をいともたやすく避けつつ追尾する「マース1」の尾部が見える。  暴走車がカウンターステアを当てながら急カーブを切って、建物の谷間となった脇道へ飛び込んでいく。間髪を入れず峰岡の「マース1」が、だが脇道へ飛び込まず、その向こうで百八十度ターンする。  「何だよ、この程度でオーバーランか?」  そう木津が言い終わるか終わらない内に、「マース2」が脇道の横へ差し掛かる。次の瞬間、M−2の画像が途切れる。一方M−1の画像は、砲撃を受けて転覆した「マース2」の姿を捉えていた。  「うわっ……本気かよ」  「今度は本気です」と冷静に久我。その横の画面で、赤い輝点が再び動き出す。それを見て、久我が指示を出す。  「マース3、落伍車両と乗員の確保は?」  「今完了しました!」と、今度は男の声。  「マース1の援護に回りなさい。目標は重砲を使用しています」  「了解」  地図上の白い輝点が再び動き出す。  一方峰岡の「マース1」は、重砲を交えた砲撃をかわしながら追跡を続けている。時速二百キロは下らない速度のまま、「マース1」は見事にコントロールされている。  脇道を抜け、再びメイン・ルートに出た三つの赤い輝点とそれを追う白い輝点は、LOVEのある地区へ急速に近付いて来ていた。そしてもう一つの白い輝点がじりじりと差を詰めてきた。  三角形になって走っていた暴走車の後ろ二台が、何の前触れもなくブレーキをかけた。思わず木津は上体を乗り出す。  「マース1」は一瞬のブレーキングの後、対向車線に飛び出す。わずかに遅れて、その跡に機銃弾が集中する。その様子がようやくM−3の画面にも入ってきた。  飛び出した「マース1」はそのままフル加速し、暴走車の先頭を遥かに引き離す。そして数百メートル先でスピン・ターンし、そのまま輝点もろとも停止した。  「停まった?」  泡を食ったのは、しかし木津だけではなかった。武装暴走車も確かにブレーキを踏んだようだった。その両翼を狙って、銃撃。後ろ二台の機銃が正確に吹き飛ばされた。そしてその後方に、追って来ていたはずの「マース3」の車体の代わりに、半ば人型、半ば車両の形をした奇妙な機械がいた。  木津は思わずM−3の画面に視線を動かす。そこにもまた「マース1」の代わりに、今度はほぼ人型をしたロボット(?)が、暴走車に立ちはだかるように左腕を伸ばしていた。  「な、何だありゃ?」  「私たちLOVEの開発した可変刑事捜索車両の最初のモデルです」  「刑事捜索ってことは……おまわりさん?」  「厳密に言うと少し違います」  その違いを問い質す前に、木津は再び画面に見入った。  機銃を吹き飛ばされた二台の暴走車は、半人半車の「マース3」の「手」に、電源ユニットを抉り取られて動けなくなっていた。  残りの一台、重砲を積んだリーダーと思しき車は、それでも発砲しつつ「マース1」へと向かって行く。「マース1」はジャンプしてかわし、相手に左腕を伸ばす。次の瞬間、暴走車の前輪がはじけ飛び、バランスを崩した暴走車はスピンしながらLOVEの駐車場に突っ込む。そして、そこに駐められていた旧型の車を潰して止まった。  「お、俺の車が!」  木津のこの声に久我は振り返り、やっと人並みの反応を示す。  「あなたのお車でしたか。これは申し訳ないことを致しました……」  「申し訳ないって……」  と木津が詰め寄りかけた時、  「確保終了〜!」  と例の弾けた高音が聞こえてきた。  「全車両確保しましたぁ! 乗員八名も身柄確保ですぅ!」  「よくやったわ、と言いたいところだけど、最後が問題だったわ」  「えっ?」  「巻き添えにした車は、木津さんのだったのよ」  「え、え、え、えぇ〜?」  M−1のカメラがスクラップと化した木津の車を映し出す。  「帰投後に出頭しなさい。それと、『マース2』の状況は?」  「は、はい。安芸君がフォローしました。五十五ミリ有炸薬の実体弾直撃で機体は中破、単独での移動は不可能です。小松さんは両脚と右腕、肋骨の骨折です」  「分かりました。『マース3』は回収班の到着までそのまま『マース2』をフォロー。『マース1』、あなたはそこからそのまま帰投しなさい」  「……了解しました」  さっきとは打って変わったしょげた声。それに相変わらず腹が立つほど冷静な久我の声が続く。  「本当に申し訳ありません」その後にわずかな間があって、「代わりの車は準備致しますので、どうぞ今回はお許しください。これから今回お招きした件について、ご説明申し上げます。どうぞそちらへお掛けになってください」  冷めた三倍濃縮のエスプレッソを脇に押しやり、肘を突き、組んだ両手の上に顎を乗せ、上目遣いで木津は久我の話を聞く。  「今ご覧頂いた通り、私たちは可変刑事捜索車両の開発と同時に、試験運用の責も負っています。これは警察の方から要請と認可を受けて行っているもので、私たちが警察機構に組み入れられているという訳ではありません。先程警察とは少し違うとお話申し上げたのは、そういうことです」  木津は黙ったまま、何の反応も示さずに聞いている。  「試験運用は現在ニ車種二チーム体制で実施しています。ただし実際に刑事任務に着いているのはまだ先程のチームだけです。もう一チームは車両の調整と慣熟に当たっています。こちらは先程とは別の新造車両を使用するのですが、新造でもありまた機構が変更されていることもあって、稼動が少し遅れています。さらに計画ではもう二車種の導入を計画しています。  木津さん、今日ご足労願いましたのは、あなたの能力を私たちにお貸し頂きたい、私たちのチームに加わって頂きたい、とお願い申し上げるためです。もちろん今すぐお返事頂きたいとは申しませんし、無理強いをするつもりもございません。ただ、あなたの能力はこのまま埋もれさせるには忍びないものがあります」  「あんた、さっき、事故は少なくないと言ってたな。事故ってのは、さっきみたいに撃たれて吹き飛ばされることを言うのか?」  低い声で問う木津に、淡々と応える久我。  「事故という表現は妥当ではありませんでした。しかしいずれにせよ危険性という点ではそれを免れることはありません。ただテストドライバーと違うのは、危険性の回避の全ての責任は、自らが負うという点においてです。それはレースの場でも同じではないですか?」  少し言葉を切ると、久我は木津の表情を見る。が、特に反応を示さずに続けた。  「もちろんあなたの命ですから、好んで危険にさらせと申し上げる権利は私たちにはありません。しかしこのまま埋もれたのでは、生きた命であると言うことも出来ないのではないでしょうか?」  木津が口を開きかけた時、インタホンから声がする。  「峰岡、帰還しました」  失礼、と木津に一声掛けてから、久我はインタホンに向かって入るように指示する。  ヘルメットを小脇に抱え、レーシングスーツに似た服に身を包んではいるが、顔は確かにさっきコーヒーを運んで来たあの女だ。  入ってくるなり、木津の姿を探し当てると、  「申し訳ありません!」  と首の抜けそうな勢いで頭を下げた。  木津はつい吹き出しかけて、思わず立ち上がった。  「紹介します」と久我。「峰岡真寿美です。先程出動したマース・チームの第一ドライバーを任せています」  峰岡は再度頭を下げる。  「こちらは木津仁さん。ご協力頂けるようお願いをしています。木津さん、お掛けください。峰岡、あなたもこちらへ」  峰岡は久我の横に腰を下ろした。  久我が木津に問いかける。  「お飲み物をもう一杯いかがですか?」  「いや、三倍濃縮で失敗したから遠慮しておく」  峰岡の口元が少し緩む。  久我は今度は峰岡に。  「先に報告しておくことは?」  「はい。今回の件は『ホット』には関連ないようです」  「『ホット』だと?」  声を荒げる木津に、久我は  「ええ、そうです」  とだけ答え、再び問いかけた。  「この峰岡をはじめ、私たちの技術面については、いかが思われましたか?」  「ちょっと待ってくれ」といささか気色ばんで木津が止める。「今の『ホット』ってのは何だ?」  峰岡が木津の、それから久我の顔を覗き込む。それには意を留めず、久我は簡単に答える。  「最近の一部の刑事事件は、裏側にホット・ユニットを積んだ車両とその主が介在する組織的なものであるとの情報があります。それを確認しているのです」  「『ホット』か……」  そうつぶやいて、木津は立ち上がった。その表情は少し険しくなっていた。  それに気付いてか気付かずか、久我の落ち着いた声が。  「お話を戻させて頂いてもよろしいでしょうか?」  「……ああ」  険しい表情はそのままに、木津は再び腰を下ろし、ほとんど無意識のままに傍らのコーヒーカップに手を伸ばし、口を付ける。  「うぶっ!」  カップの中身は例の三倍濃縮、しかも冷めきったエスプレッソだった。  峰岡が脇を向いてうつむく。しかしその肩の小刻みな震え方から、どう見ても爆笑するのを必死でこらえているのが分かる。おまけにくっくっと声まで聞こえてくる。  「峰岡!」  と、さすがに久我も少し声を上げる。  「ご、ごめんなさい……あー苦しい」  木津も思わず頬を緩めた。  「度重ねての失礼、お詫びのしようもございません。本当に申し訳ありません」  そう言う久我の横で、峰岡の肩はまだ震えている。  「でも」と木津。「テクニックは相当のものを持っていると認めてもいい。一緒に出ていった二人よりも遥かに上に見えた」  その言葉を聞いた途端、峰岡の眼差しが真剣みを帯びる。  「ありがとうございます」  「木津さんご自身の印象としては、この中にあって、もの足りないと感じられることはなさそうですか?」  と、調子を変えることなく久我が切り込んでくる。  「うーん……それはそうかも知れないが、ただそれだけじゃ済まないだろう」  車のテクニックだけでは、と言ったつもりだったが、久我は違う答えをした。  「お返事を急かすつもりはございません。一週間後までに諾否をご連絡頂ければ、それで結構です。ああ、代わりのお車を準備させなければいけませんでしたね」  久我はデスクで電話を取った。  「久我です。……いいえ、駐車場に準備を……そうです、S−ZCを……」  峰岡が急に振り返った。が、久我の送るわずかに咎めるような視線に向き直った。  木津は峰岡に尋ねた。  「S−ZCってのは?」  峰岡が口を開くより早く、ソファに戻って来た久我が腰も下ろさずに簡単に答えた。  「LOVEの車種コードです」  肩をすくめる木津を見ながら席に着いた久我が尋ねる。  「何かご確認なさりたいことは他にございますか? 機密に触れないレベルであればお答え差し上げます」  木津はもう一度肩をすくめて、言った。  「突っついてみても、これ以上はとりあえず何も出て来そうにはないな。答えは一週間以内でいいんだな?」  「はい、色よいお返事をお待ち申し上げます」  座ったばかりの久我はまた立ち上がって、頭を下げた。  「今日は長いことお引き止めした上に、数々の失礼、申し訳ございませんでした。まもなく車の用意も出来ると思います。私はこちらで失礼させて頂きますが、駐車場までは峰岡がお送り致します」  エレベーターを待ちながら、峰岡は半ば上の空の木津に盛んに話し掛けていた。自分の潰した車の話、三倍濃縮の、峰岡の曰くウルトラ・エスプレッソの話、木津の肩くらいまでしかない自分の背丈の話……  「で、君は」と、エレベーターのドアが開いたのを見計らって、木津が口を切る。「専属のドライバー?」  「いいえ、普段は研究所のお茶くみです」  「お茶くみ?」  「はい。もし木津さんが来られたら、専属としては初めてだと思いますよ」  「他はみんな研究所との掛け持ちなんだ」  一階。エレベーターのドアが開く。木津が入口の方に歩きかけると、峰岡が止める。  「木津さん、こっちです」  入口と反対に続く廊下。突き当たりに手動ドア。開くと薄暗い下りの階段。  「何だか待遇悪そうな場所だな」  ふと思い当たった木津が問いかけた。  「あの任務ってやつも結構危険なものだと思うけど?」  「それはさっきの小松さんみたいに怪我することだってありますしね。でも結局は自分の責任だと思うんです」  「ディレクターと同じことを言うね。でも、人に発砲する時ってのは気分悪くない?」  峰岡は怪訝そうな顔をする。  「発砲って、人にはしてないですよ」  「そのうちそういうことも出てこないとは言えないんじゃないかな?」  二人はまたドアに突き当たった。峰岡がカード・キーを通してロックを解除する。  ドアが開かれる。そして峰岡が言った。  「この車です」  Chase 02 − 襲われた仁  「この車です」  薄暗い地下駐車場の中で、そう言って峰岡真寿美が指し示した先には、真紅の大柄な車体が静かに乗り手を待っていた。  木津仁は高く口笛を鳴らした。その音が、コンクリートに囲まれた駐車場の空間に奇妙に反響する。  「まっさら同然じゃないか、こりゃ。本当に、こんな結構な代物を貸してもらえるのかい?」  「はい。お気に召しますかどうか、先ずは見てみてください」  峰岡の勧めに従って、木津は車体の周りをぐるりと回って見る。  「デザインは悪くないやね」  「ありがとうございます」と峰岡。  「この辺の色っぽいラインなんか、結構そそられるし」  峰岡の口が少しへの字に曲がる。どうやら今の木津の台詞の助平っぽさが気に障ったらしい。その様子を見て木津はにやっと笑うと、ドアノブに手を掛ける。車体の割に小さ過ぎる位のドアが開き、木津は体をコクピットに滑り込ませる。  「タイトだな。レーサー並みじゃないか」  と、シートの調節をしながら木津が言う。ポジションを決めると次は計器周りへと眼をやる。  「スタータは?」  「キー・カードはここです。あ、もう入ってますね。スタートはこっちの赤いボタン」  と指し示す峰岡の指の上から、木津はスタータのボタンを押す。  「きゃ! 何するんですかぁ!」  と峰岡は跳び退る。  木津はその大袈裟な反応に笑いながら計器に視線を戻す。始動されたコールド・モーターのごくごく軽い唸りを伴って、計器類はそれぞれに機敏な反応を返す。スロットル・ペダルを軽くニ、三度あおり、その反応に木津は満足そうな表情を浮かべる。  「どうですか?」  戻って来た峰岡が、次の攻撃を警戒して、一歩距離をおいて尋ねる。  「あとは実際に走ってみて、だな」  「気に入って頂けるとうれしいです」  「ほぉ?」  「だって……」  言いさして、峰岡はさっきされたいたずらを忘れたかのように微笑む。そして  「それじゃ、早速走ってみてください」  「はいよ」  「よいお返事をお待ちしてます。もちろん一週間以内でも」  ドアが閉じられる。窓の中から軽く敬礼をする木津に、峰岡は姿勢を正して答礼する。  コールド・モーターの唸りがわずかに高くなったかと思うと、もう赤いボディは出口に向かって飛び出していた。  ドアが開く。その向こうのデスクから久我涼子が顔を向けた。  「木津さんをお見送りして来ました」  「ご苦労様。木津さんは何かおっしゃっていた?」  と、腰掛けるように促しながら久我はデスクから立つと、ソファの方へやって来た。  「車の第一印象は、かなりよかったみたいです。デザインなんかは誉めてもらえましたし。表現がちょっといやらしかったけど」  久我の口元がわずかに緩む。  「コクピットがタイトだとかも言ってました。レーサーみたいだって。きっと乗ってたことがあるんですね」  久我はそれには答えずに、自らも腰を下ろすと、  「好印象を抱いてもらえただけでも、先ずは十分と言えるでしょう。走らせてみれば、彼の想像を遥かに超える性能にすぐに気付くはずです」  峰岡が頷く。が、次には顔を真っ直ぐ久我の方に上げて問う。  「でも、メンバーに入るかどうか、まだはっきりした返事ももらってないのに、どうしていきなりS−ZCを貸しちゃったりしたんですか? S−ZCはまだあの一台しかないんですよね?」  久我の答えは、峰岡が思わずはっとするほどに確信に満ちた口調で言われた。  「彼は来ます。必ず」  ハンドルを握りながら、自分の顔が緩んでくるのが、木津にはどうしても止められなかった。  時に緩く時に急激なコーナリングも、つま先の微妙な動きに反応するスロットルワークも、思った通りに、いやそれ以上に爽快に決まるのだ。さっき潰されたポンコツには望むべくもなかった走り、彼がやむを得ず遠ざかっていた走りが手中に戻ったのだ。  「しかし」ふと木津は一人ごちる。「まさか、こいつをくれるってことはあるまいな。返事するまでの一週間もあれば、あのポンコツだって修理できるだろうし、それに今日の話を蹴っちまえば……」  そこでやっと木津は、今日の本題だった話を、久我涼子の言葉を、峰岡真寿美の働きぶりを思い出した。久我涼子、あの女、俺を半分死んでるみたいに言ってやがったな。本当の命を生きていない、か。だがそれもあながち間違いとも言えない。「あのこと」以来レーサーを干され、果たせるとも思えない望みひとつだけを何となく持ち続け、それでいて何をするでもなく漫然と生きてきて……  顔に浮かんでいた笑みは、いつしか消えていた。  振り払うような急激なコーナリングにも正確について来た車体は、ルートC553へと躍り出す。  両脇を流れる風景は、いつしか峰岡の「マース1」が武装暴走車の最初の二台を潰した場所のそれになっていた。大破した車両の残骸はあの時ここに残った「マース3」が片付けたのだろう、あの大捕物を思い出させるようなものとしては、わずかな破片と液体の染みが残るだけだった。  しかし木津の脳裏には、そのシーンが異様なほど鮮明に蘇っていた。自分が今乗っているこれに比べて、幾分コンパクトな青いボディが、生き物のごとくなめらかに、すうっと連中の前に伸びていったのだった。そう、まるで龍か何かのように。単に車の性能が卓越しているだけじゃない。それを十二分に引き出し、使いこなせる乗り手なのだ、あのお茶くみ娘は。それを的確に見出したのだとしたら、あの久我涼子という女、なかなかの眼の持ち主だ。  が、だとしたら、同じ女に招かれたこの俺は……?  いつの間にか速度が落ちているのに気付いて、木津はスロットル・ペダルを踏み込みながら声を上げた。  「さあて、どうしますかね仁ちゃん!」  と、それに合わせるかのように、異常な、そして不快な騒音が轟いた。木津ははっとして反射的にペダルから足を浮かせ、計器に眼をやる。が、すぐに自分の車からではないことは分かった。  横道から飛び出して来たのか、後方モニターに、さっきのような武装暴走車の集団が、数にしてさっきの倍以上捉えられていた。  どうやら暴走車は、武装以外にもモーターやらボディやらに妙な細工をしてあって、そこからこんな馬鹿な音をさせるようにしているらしい。バリバリという金属を打ち合わせるような音、嵐の時に聞こえるような甲高い風切り音。  木津は舌打ちする。あの連中のことだ、絡む相手は選ばないだろう。だがこっちの車は借り物だ。下手に傷でも付けられたらたまらない。いや、傷程度で済めばまだしも、スクラップにさえされかねない。  スロットルがさらに開かれる。一気に速度計の表示が跳ね上がり、赤い車体が弾かれたように走り出す。  それを追い抜いて、頭上から前方に飛んでいく、オレンジ色や黄色の切れ切れの光がフロントウィンドウから見える。  「曳光弾?!」  久我の言葉が脳裏に蘇る。  「今のは威嚇です……しばらくはこの調子で遊んでくるでしょうね」  木津のつま先はさらにペダルを踏み込み、真紅のボディはまるで膨張するかのように加速する。計器の表示が一斉に動き出す。  一方それを追う暴走車は、エンジンの回転数を上げ速度を上げるにつれて一層騒音を高く轟かせ、さらに、追いたてるように、木津の車の頭越しに浴びせ掛ける曳光弾の数を増やしてくる。  「よせっつーのに」  木津はペダルを踏み込む。次の瞬間、木津の胃を強烈な加速度が襲う。  「うぷっ」  ウルトラ・エスプレッソが喉元にこみ上げてくるのを押さえながら、木津は後方モニターに眼をやる。  長い直線の道路である。速度ののった木津と団子状態で走る暴走車群との距離は見る間に開いていく。やがて届く曳光弾もまばらになり、ついには後方モニターの中でぱらぱらと消えていくだけになった。  表示の色がグリーンからオレンジに変わった計器と後方モニターとに交互に視線を走らせながら、木津はつぶやく。  「何てぇ加速だ……このパワーの出方、フルチューンのレーサー以上じゃないか」  また木津の頬が緩みかけるが、しかし酔ってにやけているだけの余裕はなかった。速度にのせて、今度は正面に、別働隊らしき武装暴走車の群がぐんぐんと迫ってきたからだ。  再び曳光弾が、ただし今度は前から、さっきとは比較にならない勢いで頭上をかすめていく。  「このっ!」  木津の左足が、左手が、右手が、右足が、人間技とは思えない程の速度と正確さをもって操縦装置を操作し、車を脇の路地へ跳び込ませようとする。  その時、木津の脳裏を峰岡真寿美の顔がかすめる。  ブレーキを踏む足の動作がほんの一瞬だけ遅れた。  横様にスライドしつつ、だが路地の入口をわずかに通り越して車は止まる。その直後、路地の奥から三つの火の玉が飛んで来て、路面で弾け、穴を空けた。  重砲だ。  さっきの「マース2」の時と同じやり口。  また久我の声が蘇る。  「今度は本気です」  今度は本気だ、前にいる奴らも、後ろから来る連中も。  木津のこめかみを冷たい汗が伝った。だが気を抜いている余裕はない。  横からの砲撃の結果を期待してか、前の連中からの銃撃は止んでいる。  急加速。九〇度転舵。元のコースを引き返す。   思い出したかのように、後方からの銃撃が再び盛んになる。今度は車体を狙って。  しかし幸いにも速度を見誤ってくれているらしい、銃弾はみな後ろの路面でばらばらと弾けていく。  「抜け道はないか……ったく、あのお茶くみも、ナヴィゲーションのスイッチぐらい入れてよこしゃいいものを」  と言いかけて、木津の視線が鋭くなる。かつてレースの場でそうしていたであろう風に。  木津はまた峰岡の走りを思い出していた。  「……これだけの車を貸してよこしたんだ。だったらやらせてもらおうじゃないか」  後方モニター。道の真中に横に五台並んで追ってくる狂暴な面構えの暴走車ども。その後ろに少なくとも四台。建物との間は、車一台は通れないが少し空いている。  木津の両手がそれぞれにすばやく動く。  赤いボディが速度はそのままに、だがいきなり後進し、大きく蛇行する。  追おうとする銃撃はたちまち乱れる。その中で木津は撃ってくる銃の数を見切る。  一、二、二、一、一。  彼我の距離は急速に縮まる。  「おりゃあっ!」  ハンドルを大きく切る木津。ボディの左半分が持ち上がり、車輪が建物の壁を捕える。  さらにフルスロットル。斜めになったまま木津は暴走車の群とすれ違う。  慌てふためいた暴走車どもは、動作だけは一斉に、だが照準はてんでばらばらに、銃口を木津に向けてぶっ放す。  狙いのでたらめさのせいで、木津に近い側の二台は、向こう側の三台の放つ五門の銃撃をまともに食らって火を吹き、相次いで壁に激突する。後続の一台がそれを避けきれず、まともに突っ込んで擱坐する。  その間に二列目の車の数と配置とを見て取りながら群の後ろへ抜けた木津は、車を壁から降ろすと前進に切り替え、間髪を入れずに二列目の前に躍り出し、目の前を横切って見せる。避けようとした一台の横っ腹に別の一台が突っ込む。巻き込まれるのを辛うじて避けた、重砲を積む一台の後ろに木津はぴたりと着ける。  残り、四台。  コーヒーのカップをデスクに置き、久我は手にしていた資料のバインダーを閉じた。その表紙には、丸秘のマークを伴い、「開発仕様・経過 S−ZC」のタイトルが読めた。  そのバインダーをカップの脇に置き、もう一つの資料を久我は取り上げた。最初のページには、木津仁の写真とプロフィール。  いや、残りは四台ではなかった。最初に振り切った十数台が、向こうから固まって、再び迫ってくる。  「ちっ……そう言えばいたんだった」  このままUターンすれば、難なく振り切ってしまえるだけの性能差なのは、さっきのことからも明らかだ。だが今は、木津の方にも火が着いてしまっていた。  こっちの四台がこのまま回頭するとは、この速度ののり方ではまず考えられない、と木津は読む。とすれば、向こうの群れが隙間を空けて、四台を取り込むような形をとるつもりだろう。先ずはその位置とタイミングだ。  距離が詰まる。木津はプレッシャーをかけるかのように車を左右に振りながら、前方の群れを伺う。  向こうの群れは最前列に四台、その次が多分五台、さらにもう一列、少なくとも三台はいる。  それが動きを見せる。二列目の中央の一台が後ろへ退がった。  真ん中か。  こっちの四台はダイヤモンド型の隊形をとってきた。  向こうの四列は二列ずつ、わずかに左右に開き始める。間違いない。  距離はあと数百メートル。  向こうの中央が完全に開いた。  木津はダイヤモンドの左へ飛び出し、一気に加速、ダイヤモンドの頭を抑え、斜めに向こうの列の隙間へ飛び込んでいく。  群れは発砲してこない。行ける。  先頭の列とすれ違うまで残りあと数十メートル。  その時、三列目の中央二台がいきなり寄り、隙間を詰めた。  見はられる木津の目。  はめられた?!  ブレーキ。  後進へシフト。  ハンドル。  間に合うか?  強烈な横Gが襲う。  そしてすれ違う十数台の暴走車の上げる喧しく激しい轟音。  その狭間で、それでも閉じられることのなかった木津の目には、自分の車体の流れていく先々で、武装暴走車の車体が次々に、まるで自分の通り道を空けるように弾け飛んでいくのが見えていた。  さらに、群れが混乱するのを後方モニターに捉えると、木津は車を停め、そしてあらためて前方を見渡す。  数百メートル先に、再びあの青い人型のメカが、左腕をこちらに伸ばして立っていた。  「お茶くみ……か?」  いや、その脚には小さく「B」のナンバリングが施されている。さっきお茶くみと一緒に出て行った、何とか言う男の方だ。  と、後方でまた激突音が始まった。  木津はモニターを覗き込む代わりに、車体ごと回頭させた。  と、いきなり目の前に重砲の砲身が吹っ飛んでくる。  「くっ!」  急回避。砲身は車体からすれすれのところをかすめて後方に落ちる。  木津が砲身の飛んで来た方へ目をやると、そこではもう一台の青が、こちらは例の半人半車の形で、暴走車どもを翻弄するように走りまた飛びまわっていた。  「あのお茶くみ……またか!」  飛び出そうとする木津のS−ZCの前に、「手」が現れる。いつの間にか、人型をした「マース3」が木津の横に出て来ていた。  思わずそちらへ振り返る木津。その視線はそのまま釘付けになった。  人型が、目にも止まらぬ速度で、車の姿に変化したのだ。  目の前で見るその変形の様に、木津は言葉を失う。  「な……?」  と、横に並んだ青い車体のドライバーズ・シートから、ヘルメットの中の若い男の目がこちらに向く。そのヘルメットが軽く頷いて見せると、次の瞬間にはもう青い車体は猛然と暴走車の群れへと飛び込んでいく。  武装暴走車どもは、あるものは壁にぶつかり、あるものは別の車と衝突して、もはやその半数以上が行動不能状態に陥っていた。  それでもまだ、リーダー級か、腕のいい奴だろうか、二人の撹乱を巧みにすり抜け、機銃の弾丸をばらまいてくるのもいる。  「マース3」が再び人型に変形。ジャンプ一番、正確な狙いで一台の銃身を撃ち、弾き飛ばすと、別の一台の上に馬乗りのように降り、「手」で銃身を捻じ曲げた。  人型になっている時は「マース3」の方が使い手だな。エンジンは切らずに車を止めたまま、木津はそう思う。俺がもしここのメンバーになったら、この人型も動かすことになるんだろうか? 車ならまだしも、手足のある、ずっと操作のややこしいだろう人型を。そしてこんな派手な立ち回りをやらされるのか? 久我涼子、俺にそこまで出来るとでも踏んだのか?  また衝突音。暴走車の残りはとうとう二台にまでなった。だがそのうち一台は重砲を担いでいる。  と、重砲を積んだ方が、木津めがけて急加速してくる。  しまった!  ブレーキを解除。が、次の瞬間、木津の目は、砲口から自分へと吐き出される火の玉を見ていた。  叫ぶ木津。  後進シフト、スロットル、ハンドル。  火の玉は、しかし追って来ない。  代わりに木津が見たのは、吹き飛ばされ舞い上がる「マース1」の右手だった。  「お茶くみ?!」  「マース1」は、残った左手で暴走車にしがみつくと、馬乗りになり、左腕に仕込んだ銃を至近距離で重砲の砲身に叩き込んだ。  さらに、向こうで残る別の一台を足止めした「マース3」が、今度もまた正確な狙いで、こちらの後輪を左右とも弾き飛ばして擱坐させた。  その時、木津は背後に、かすかにエンジン音を聞いた。聞き覚えのあるホット・モーターの爆音を。  木津は振り返った。しかし既に何の姿形も認めることは出来なかった。  その代わり、人型の「マース1」が擱坐した暴走車から飛び降り、半人半車に変形して木津の横へ付けた。  窓が開き、ヘルメットをかなぐり捨てた峰岡真寿美があの弾けた声で呼びかける。  「木津さん! 大丈夫ですか?!」  木津は、数時間前に後にしたばかりのLOVEのディレクター・ルームのソファに、久我涼子の前に戻っていた。  久我の横には、また峰岡真寿美が、今は事務服に着替えて座っている。  出されたミネラル・ウォーターを一息に呷り、木津は言葉を待った。  久我が口を切る。  「車両を無傷のまま守ってくださって、本当にありがとうございます」  「車を守ったわけじゃない」  素っ気無く木津は答える。  「存じ上げています。ただ結果的には守ってくださったのと同じことです」  木津は肩をすくめて尋ねる。  「それじゃ、えっと……何だっけ」と、峰岡の胸を覗き込み、「そう、峰岡さんか、峰岡さんともう一人が出て来たのも、車を守るためか?」  「そんな……」  と言いかけた峰岡を制して、久我が答える。  「それは正確ではありません」  「ほう?」  「私たちの今回の出動は、前回同様に当局からの要請を受けてのものです。ただ今回は要請自体が相当遅れて発せられました。その原因の半ばは、実は私たち、いえ、私にありました。あなたにS−ZCをお貸ししたことがそれです。S−ZCをあなたが使いこなして、暴走車両群を翻弄していたのを、私たちのスタッフが出ていたものと当局が勘違いしたらしいのです。それ故にあなたを危険な状況に置く結果となってしまった、それについては深くお詫び申し上げます。しかし、私たちが要請とは別に目的としていたのは、木津さん、あなたの救出でした。S−ZCを乗りこなせる、あなたの」  「何故、乗りこなせると断言できる?」  「あなた自身が先程の追撃でそれを証明してくださっています」  「俺が乗ったのは、車の状態だけだ。人型とか、半分だけ人型だったりするのまでは分からないだろう」  久我の口調が少し遅くなった。  「それは、これからです。あなたがスタッフに加わって頂けてからのことです。その折には……」  そこへインタホンから男の声が割り込む。  「安芸です。遅くなりました」  ドアが開き、これも事務服姿の、やはり二十代前半と見える若い男が、バインダーを片手に入って来た。そして腰掛けている木津に気付くと、ふかぶかと頭を下げた。  木津はその目に見覚えがあった。さっき、「マース3」で、ヘルメットの中から自分を見た目だ。  「こちらは」と久我。「安芸進士です。峰岡と同じマース・チームのドライバーです」  「よろしくお願いします」  と言う安芸の口調は、もう木津がチームに加わったかのようだった。  久我に促され、安芸は横の椅子に腰掛けると、バインダーを開いて久我の前に差し出して、言った。  「今の出動の報告と、S−ZCの走行記録です。どちらから?」  「記録を取ってたのか?」  木津の問いに、簡単に肯定の答えをしたのは久我だった。そして安芸には報告を先にと指示する。  安芸の報告は、木津自身のくぐり抜けてきたあの場の再現だった。ただ、木津はそこで初めて自分が相手をした暴走車の正確な数を知って、あらためて冷や汗のにじむ思いをした。安芸は続けて彼我の被害状況を告げる。  「二十一台の内、『マース1』の撹乱による衝突あるいは激突大破六、同じく『マース1』の銃撃による擱坐一、『マース3』の撹乱による大破五、狙撃擱坐四、木津さんの撹乱による誤撃炎上二、衝突大破三。乗員は全員拘束し、当局へ引き渡し済みです。こちらの損害は『マース1』が重砲により右手部を破損の小破ですが、変形機能に支障を来しています。以上です。今回も『ホット』の介在は……」  「あった」  木津の声に、三人が三人とも顔を上げる。  「聞こえたんだ。あの排気音が」  久我が珍しく返事をしなかった。  「あんたたちは、『ホット』を追ってるんだな。そうだろう?」  「厳密に言うと少し違います。それだけが任務ではありませんから。ただ」  そこで久我は言葉を切った。  「あなたが『ホット』を追うために私たちのチームに参加してくださるとおっしゃるのであれば、それでも結構です。出動の全てが全て『ホット』に関係するものではないでしょうけれど。それに、そのための道具を、私たちから提供することが出来ます」  「道具……あの車か?」  久我はそれには応えずに、もう一部の資料、S−ZCの走行記録を開いた。三人が一斉に覗き込んだが、木津にはわけが分からないチャートが並んでいるだけだった。しかし峰岡も安芸も、チャートを一目見ただけで感嘆の声を上げた。  「先程お乗り頂いたS−ZCの走行記録です」と、これは淡々と久我。「マースで使用しているS−RYに対して、全般的に約二十パーセントの性能向上を施しています。が、あなたはそれをほぼ使いこなしてしまっている。それどころか、なお改修の余地があることさえ明らかにされました。データにはそう出ています」  「と言ったって」木津が口を挟む。「さっきも言ったけど、車として扱う時だろ? あれだって実は変形するんじゃないのか?」  「その通りです。先程も申し上げました通り、これからトレーニングは必要ですが、あなたならきっと使いこなせるでしょう。今回の件で、S−ZCはあなたによって最初の生命を吹き込まれたに等しいのです」  木津は少し照れ臭そうに肩をすくめる。この女からこんな台詞を聞くとは思わなかったのだ。  久我は言葉を続けた。  「そして木津さん、私たちに協力してくださることは、あなたご自身にとっても、一種のカンフルとなるでしょう」  「あんたの言う、生きてない命への、か?」  「そうです」  木津はまた肩をすくめる。ただしさっきとは別の理由で。  「能書きは抜きにしよう。もっとシビアな話でも俺は構わんぜ。あんたは車を提供して俺の腕を買う、俺は俺であんたたちの片棒担ぎながら『ホット』を追わせてもらう。そういうことだろう? 俺にも出来ると言うお墨付きも貰えるようだしな」  峰岡の視線が木津の顔へと移される。心持ち不安そうな表情を浮かべて。  それとは対照的に、微笑らしきものさえ浮かべて久我は応える。  「それで結構です」  この部屋に入って来て初めて、木津は頬を緩めた。  「決まりだな。実を言うと、俺もあの車を今回限りで手放すのは、どうにも惜しかったもんで……」  「やったぁ!」  峰岡の弾けた声が一層弾け、それを聞いた木津と安芸が顔を見合わせて笑う。制するような口調で久我が、  「峰岡、あなたには木津さんの参加の準備をお願いします。今日は残業になるけど、いいわね?」  返事もそこそこに、峰岡は部屋を飛び出して行く。出掛けにまた首の抜けそうなお辞儀をして。  それを見ながら久我はつと立ち上がると、デスクへ戻り、引き出しから小さなケースを持って来る。ケースから取り出されたのは、銀色の地に赤い線の入ったキー・カードだった。一目見て安芸がつぶやく。  「メイン・キー・カードか……」  久我はカードを木津の前に差し出して、言った。その語調は、木津にとっては今までに聞き覚えのない強さを帯びていた。  「木津さん、S−ZCは、あなたにお預けします」  Chase 03 − 起動された朱雀  空き缶、コップ、食器、雑誌、服。  物の数そのものは少ない割に、妙に散らかって見える部屋。脱ぎ捨てられて、てんでに転がった靴の片方を押しのけながら、ドアがゆっくりと開く。  入ってきたのはこの部屋の主、木津仁だった。  木津は靴を蹴飛ばすように脱ぐ。右側がぽんと飛んで、踵の金具がドアに当たり、音を立てる。だがその主は気にも留めずに、テーブルの傍らまで来ると、腰を下ろした。  抱えていたジャケットのポケットの中に片手を突っ込む。しばらくごそごそと動いていた手が出てきて、開かれると、そこには赤い線の入った銀色の小さなカード、S−ZCのメイン・キー・カードがあった。  何事かを決心したかのような表情で手のひらの上のキーを見つめながら、木津はひとりごちる。  「奴へのキー、か……」  目を上げる。乱雑なテーブルの上に、何故かきれいに片付いた一角があり、そこに写真立てが一つ置いてあった。木津の視線はしばらくそこに注がれたままになる。  五分もそうしていてから、俄かに木津は立ちあがる。  「やってくるか」  キーがテーブルの上に転がされ、代わりにその辺に放り出してあった鞄がつかみ上げられると、一見手当たり次第に服やら小物やらがその中に詰め込まれ、蓋が閉じられる。さっき写真立てを眺めていたよりも短いくらいの時間で。  再び腰を下ろした木津は、火も着けないままくわえていた煙草を灰皿でもみ潰すと、また写真立てを見つめる。だが今度は間もなく立ちあがり、カード・キーと写真の前に転がっていた小さなキーホルダーとを手に取ると、言った。  「行ってくるよ」  メインの通りからは外れた、アパートの前の路上。今や木津に預けられたS−ZCがそこにあった。  夕暮れの太陽のオレンジ色が、真紅のボディの微妙な曲面に反射して、例えようもない色合いを醸し出している。  木津はふと我を忘れてそれに見入る。この車で切りぬけてきた、息の詰まるようなあの追撃戦が、まるで嘘のように思える光景。  と、それを破ってかすれた男の大声が聞こえてくる。  「よう、仁ちゃん!」  振り向くと、道の反対側から顔なじみの飲み友達が近付いてきた。  「カンちゃんか」  「おう……おっ?車変えたんか?」  「変えたっつーかね、まぁ借り物だな。あのポンコツをぶっ潰されたんでな、修理の間の代車だよ」  「いい加減買い替えなってばさ。中古にしたってずっとましなタマはごろごろあるぜ」  木津は肩をすくめるだけで答えない。  「しかし、代車にしちゃあ、すげぇ車だよなぁ。国産じゃないだろ?」  と、彼は車体の周りを眺めて回る。  「純国産らしいぜ」と木津。  「エンブレムも何も無しか。カスタムボディか? いい仕上げしてあるよなぁ」  「あんまり見るなよ。穴が開くぜ」  そう言いながら、木津はコクピットに身を滑らせる。  「馬鹿言え……これからお出かけかい?」  と付け足しのように尋ねながら、彼はコクピットの中までを覗き込む。  いいのかよ、と木津は思う。こんな機密事項の塊みたいなものを、野次馬の目があっちこっちにある環境に出してやっても。どうも久我ディレクターも考えていることってのはよく分からん。  「ああ、しばらく留守にするわ」  「何だぃな、また」と彼は杯を干す仕草をしながら「行こうと思ってたのにさ」  「悪いね」と言いながら木津はドアを閉じる。「またそのうち頼むわ」  「行き先は?」  「な・い・しょ」  「長いの?」  「それもな・い・しょ」  マスター・キー・カードを差し込むと、シート、ハンドル等が自動的に木津のポジションに復帰する。  スタータの赤ボタンを押すと、次の瞬間コールド・モーターはほとんど音もなく目を覚ます。  「それじゃ」  「おう、行ってらっしゃい」  彼は走り去る赤いテールを、じっと見つめる。  「ディレクター御自らがいらっしゃるとは……」  と言いつつ迎えに出た白衣の研究員に、久我はこう応える。  「私がスカウトした人材ですからね。で、どうですか、状況は?」  「まあお掛けください」  促された久我がチャートの散らばった作業テーブルの脇に腰掛ける間に、研究員はキャビネットから薄いバインダーを取り出す。  「コーヒーは?」  「いただきます」  まだ正式ドキュメントではありませんが、と断りを入れてバインダーを久我に渡し、彼女がそのページを繰っている間、研究員はコーヒーをカップに注ぎながら話し始める。  「今日の午前中までに基礎的な体力の測定は完了しています。判定は終了した部分から順次行ってきていますが、現在のところ、全般に予測値以上の結果が出てきています」  「予測値はどのレベルに?」  手渡されたコーヒーに口をつけてから、久我が尋ねる。  「平均値の十五パーセントプラスで設定しましたが、さらにプラス十五から、項目によっては三十五という値が出ました」  研究員はちょっと言葉を切って、自分のコーヒーを一口すすると、  「並みの人間じゃないですね」  久我は応えずにバインダーのページを繰り続け、目を離さずに  「これからのスケジュールはどのようになっていますか?」と問う。  研究員は別の資料を取り上げ、数ページをめくって読み上げる。  「ええとですね、当初の計画から繰り上げる方向で変更が入っています。今日の午後はオフにしましたが、明日からVCDVの基本について座学を交えながら、シミュレータでのトレーニングに入ります」  「あとどのくらいの時間で即戦力になりそうですか? あなたの予測で構いませんけれど」  「正直言って、シミュレータをやってもらうまでは分かりませんね。でも、ディレクターの推薦の場合、峰岡君みたいなすばらしいケースもありましたからね。今回の木津氏は、峰岡君を数字の上では上回っていますし、相当早いのではないかと思います」  久我は資料から目を離し、またコーヒーを口へ運んだ。何かへの渇きを癒すように。  資料へと戻った久我の目が、すぐに止まった。と思うと、同じ個所を何度か繰り返して読んでいるようだ。  「何かお気付きの点が?」  問いかける研究員に、久我は顔を上げる。  「これは……?」  ドアにある表示は「在室」を示している。  インタホンのマイクボタンを押しながら、  「木津さん? 峰岡です」  返事がない。  「木津さーん? 峰岡ですー! お寝みですかー?」  廊下を通りすがりにそれを見て笑う人間が数人。聞きとがめて振り向く峰岡。しかしお構いなしに、向き直り、三度目の挑戦。  「き・づ・さーん!! み・ね・お・か・でーす!! いないんですかー?!」  「なんじゃいな?」  背後からのその声に驚いて、峰岡は飛びあがる。  「きっきっきっ木津さん? なんでこっちから出てくるんですか?」  木津は右手に持ったコップを見せながら  「飲み物ぐらい買わせておくれよ。で、何か用?」  「あ、えーとですね、午後はお休みだって聞いたので、お部屋の不便とかがないか伺おうと思いまして」  「あるよ」と木津。「その在室センサー、壊れてる」  部屋に入る木津の背後で、峰岡は「在室」の表示にパンチを食らわせる真似をする。  「何してんの?」振り向いた木津が半ば吹き出しながら言う。「入ったら?」  赤面した峰岡が部屋に入り、ドアが閉じると、ドアの表示が「不在」に変わった。  ベッドに腰掛けてカップをあおる木津に、立ったままの峰岡が、  「こんなお部屋しかご用意出来なくて、申し訳ありません」  「何も研究所にホテル並みの設備なんか期待しちゃいないさ。まあ、とりあえず座ったら?」  失礼します、と頭を下げて、デスクの椅子に峰岡は座り、さらに問いかける。  「ドアのあれ以外に、何かご不便はありませんか?」  「ま、とりあえずはね。聞きたいことは山ほどあるけど」  そう言って木津はコップを空にする。  「何でしょう?」と峰岡。  「先ずは君の歳」  ちょっと面食らったような顔をしながら、それでもうっかりと峰岡は答える。  「二十二歳です」  「マース1のドライバーはどの位やってるの?」  「半年、かな?……ですね、はい」  「たった半年であれだけこなせちゃうんだ。 すごいね」  峰岡の照れ笑い。  「で、やっぱり久我さん推薦で?」  「推薦って言うのかな……ディレクターに乗ってみないかって言われたのはそうなんですけど」  「ふぅん……そう言えば、何で青いのにマースなんだろう?」  「え?」  「マースって、マルス、つまり火星のことだろ? 赤のイメージがあるんだけどさ」  「あ、そうなんですか?」  「違うの?」  峰岡は満面に笑みをたたえて、  「はい、実は、あれはあたしの名前から取ってるんです」  「名前?」  「そうです、あたしの名前が真寿美ですから、それでマースって」  呆気に取られた木津。  「それって、誰のセンス?」  「ディレクターです」  「ディレクターっていうと、まさか……久我さん?」  「はい、もちろん」笑いながら峰岡は付け足す。「だから、きっと木津さんならキッズ1とかですよ」  「おいおい……しかしなぁ、あの冗談も言わなそうなおばさんが、そーゆーことするんだ」  「おばさんって……」  と言いかける峰岡の声を、鋭い電子音が掻き消す。  「何?」  と尋ねる木津は、峰岡の顔つきが変わったのに気付く。  峰岡はその音の出てくる腰の小さなケースに手をやり、ボタンを押して音を止めると、  「出動です。すみません、お話はまた後でお願いします」  そして椅子を蹴るように立ちあがると、挨拶もそこそこに部屋を飛び出して行く。  残された木津は、空のコップを弄びながらつぶやいた。  「出動か……」  ベンチでミネラル・ウォーターのボトルをラッパ飲みしていた木津が、口からボトルを離すと、  「これはこれは、ディレクターのお出ましですか」  近付いてきたのは久我だった。  相変わらず表情の一つも変えないまま頭を下げてから、久我は問いかける。  「シミュレータでのトレーニングはいかがですか?」  「結構進んでる。人型の基礎編はもう修了させてもらったよ。手足があるから操作が面倒なのかと思ってたけど、そうでもないんだな」  久我は向かいの壁際に立ったままで、軽くうなずく。  「しかし、どうやると車の操作系がああいう人型の操作系に変わるもんかね? 本体の変形と同時に自動的に変わってくれるとは聞いたけど。計器はまだしも、ハンドルなんかは」  「まだ変形のシミュレートはされていないんですね?」  そう尋ねる久我の顔に、珍しく何やら表情らしいものが浮かんでいる。だが木津はそれに気付かずに答える。  「人型と中間の操作をそれぞれ一通りマスターしてからって言われた。座学では教わったがね。まあ中間ももう少しでパスしそうな雰囲気ではあるらしけど。そう言えば、何でも中間の方が人型よりも操作が難しいんだとか言ってたな」  「確かにWフォームは両方の操作が要求されるということはありますが、操作系はそれに対応してあるはずです。それほど複雑化してはいないと思います」  「そうそう、Wフォームと言うんだっけ、あの中間型は。で、操作機構がある程度だとしても、それを使う人間の方が付いて来られるか……」  木津はボトルを口へ運び、二口三口と水を喉へ流し込む。  「……が問題だと言ってたな、トレーナーは。シミュレータじゃそんな感じはあんまりなかったがね」  久我は左手に持っていた資料を抱きかかえるように持ちなおすと言う。  「先日実際に見て頂いた通りです。実戦の場でも峰岡、安芸の両名は問題なく使いこなしていますから」  「俺でも問題はないだろう、か」  木津はボトルの残りを一気に開け、そして久我に尋ねる。  「そう言えば、この前その峰岡さんが、俺のところに来たかと思ったら、出動だって呼び出されてすっ飛んで行ったっけね。あれは何だったんだ? また暴走車?」  「いいえ、重作業車を使った破壊行為の牽制でした」  「重作業車?」  「襲われたのはモーター関連の工場でしたから、企業間の対立ではないかと当局は考えています」  「派手にまた……」  「そんなはずはないんですけれどね」と久我が付け加える。  「え?」  だがそれ以上を問う隙を与えずに、トレーナーが姿を現し、木津に声を掛ける。  「木津さん! そろそろ再開しましょう」  「了解、すぐ行く」  それから久我の方に向き直ると、久我が一言。  「現場に出られる日をお待ちしています」  木津は肩をすくめて立ちあがった。  宙を舞った空のボトルがごみ箱の中で品のない音を立てる。  起動時の軽い唸りと共に、計器盤に乳白色や淡緑色の灯が点り、センサーやら何やらの補器類が取り付けられた木津のヘルメットのバイザーに反射する。  そのヘルメットの中で、木津はトレーナーの声を聞いている。  「……スタンバイよろしいか?……はい、それではコース・トレース行きます……レベルは2アップです……ではスタート。グッド・ラック」  踏み応えのあまりないペダルを、木津は一気に踏み込む。  シミュレータの合成する加速度が体にかかり、スクリーンの映し出す風景と路面とが流れ始める。  間もなくスクリーンの中、木津の目の前に赤い円が現れ、加速し、高速でコースを進んでいく。  木津はそれを追う。アクセルワーク、ハンドリング。  時々不意にスクリーンのどこかに黄色い小さな円が現れる。それを目に留めるや否や、ハンドルを握る木津の指が動く。するとスクリーンの中、その黄色の円に向かって伸ばされた「腕」が現れ、次の瞬間黄色の円が青に変わる。  「当たり」と木津はつぶやく。  S−RYと同様、「腕」に衝撃波銃が仕込んである、という設定だ。  だが赤い円は止まることなく、木津もさらにそれを追ってペダルを踏む。  スクリーンに虎縞の四角。また木津の指が動き、スクリーンの「腕」が今度はそれをつかむ。  続いて現れる同じく虎縞の、今度は台形。「腕」がそこへ伸ばされ、速度を落とすことなく、つかんだ四角をそこへ載せる。  赤い円を追いながら、いくつもの黄色い射撃標的を撃ち、また虎縞の作業目標を動かしていく。  と、突然赤い円が黒に変わる。  フルブレーキング。左「腕」が正面に伸ばされる。衝撃波銃。  黒い円が青に変わると、トレーナーの声がヘルメットの中に入ってくる。  「はいOKです……カプセル開けます」  スクリーンの映像が消え、計器類の灯が全て落ち、真っ暗になったシミュレータの中で木津はヘルメットをはずす。  重い扉の開く音と共に、蛍光灯の光が差してくる。そしてトレーナーの顔。  「お疲れ様です」  「結果は?」と急くように木津が問う。  トレーナーは指で丸印を作って見せる。  「安定してますね。レベルを2つ上げたんですが、走行と姿勢制御は前回以上でした。動態射撃も、銃の収束率は上がってるのに、命中率は前回と変わらず。集弾率はむしろ上回ってるくらいです。ただ動態作業だけ、コーナリング中のマニュピレータのグリップが強めに出てますが」  「コーナリングスピードが上がってるからな、やっぱり反射的にハンドルは強く握ってるか」  「この辺はコントローラ側のアシスト調整でどうとでもなるレベルでしたから、問題はないでしょう……Wフォームのシミュレートも、これでパスですかね」  木津は歯を見せる。  「順調順調」  「本当に」とトレーナーも笑う。「しかし、久我ディレクターもすごい目利きだなぁ。連れて来る人みんながこのレベルなんだから」  「みんな?」  「と言っても、あとは安芸君と峰岡さんの二人ですけどね」  「へぇ、あの二人ともスカウト組なんだ」  「所内でのスカウトですけどね。外部からは木津さんが始めてです。で、次は変形プロセスのトレーニングなんですが、これは実車を使ってやります」  久し振りに見るS−ZCは、見慣れたRフォーム、即ち車型の姿で、その赤いボディを地下駐車場に横たえていた。  そこは峰岡に案内されてS−ZCを引き渡されたのと同じ駐車場だったが、あの時は閉じられていたシャッター類が開かれている今は、単なる駐車場ではなく、むしろ格納庫然とした様相を呈している。横の奥には青いS−RYが、同じくRフォームで三台並んでいる。  こうして近くで見ると、やはりS−ZCよりは一回り以上小さく見えるが、それだけに軽快な運動性能を想像させる。だが、こっちだってそれに劣るものではあるまい。この前の久我ディレクターの言葉を信じれば、性能はニ割増だという触れ込みだ。  木津は自分の車へ振り返り、体をコクピットに滑り込ませる。挿入口から半ば飛び出したままにしてあるキー・カードを親指で押し込み、スタータの赤いボタンを押すと、計器盤に灯が点り、モーターが静かに回転を始める。同時にシートとハンドルの位置が木津のポジションに自動的に設定され、ベルトまでが自動でセットされる。  コンソールに埋め込まれたナヴィゲーションの画面を開き、その周辺のスイッチを入れると、  「こちら木津。準備完了」  トレーナーの声が応じる。  「全システムのロック解除は確認されていますか?」  計器盤のランプがそれを示していた。  「OKだ」  「では、周回テストコースから中央のフィールドへ……いや、ちょっと待ってください……はい……はい、了解……木津さん、青龍が出動します。先に出しますのでそれまで待ってください」  「青龍?」  窓越しに振り返ると、間もなく峰岡と安芸が向こうから駆け下りて来て、S−RYの青い車体に飛び込む。  「マース・チームか」  「S−RYの」とトレーナーの声。「通称が青龍です。ディレクターはこの名前は使いたがりませんけどね」  「なるほど」木津はコンソールのスイッチを操作しながら応える。「あのおばさんのセンスじゃないよな……よし来た」  通信の音声が、件のおばさん、いや、久我のマース・チームへの指示を伝えてくる。  「……区にて示威行為継続中とのこと。車両数は六。内三は重武装の様子。『ホット』の直接指揮によるものと思われます」  「……『ホット』だと?」  「了解」と、これは峰岡。「出ます!」  その声と同時に、峰岡と安芸の二台のS−RY「青龍」が、木津の乗るS−ZCの横を走り抜けていく。  そして次の瞬間、木津の足はスロットル・ペダルを思い切り踏み込んでいた。  安芸は後方モニターに、近付いてくる赤い車体を認める。  「あれは……S−ZC?」  それとほぼ同時に、いつもに比べれば多少違うものの、それでも慌てているとは到底思わせない久我の声が。  「木津さん、戻ってください。まだトレーニングは完了していないはずです」  この声は、マース1の車内にも伝わっていた。  「木津さんが?」と言う峰岡もまたモニターにS−ZCの存在を見る。そして操る木津の声が。  「トレーニングだったら、一通りマルをもらったよ。後は変形と実戦訓練だけだ。それに、マースだって一人足りてないだろ? 補欠出動だよ」  「しかし……」  「あたしたちがフォローします」と峰岡が声を張り上げる。  「そうこなくっちゃ! さすがマース・リーダー」  久我はデスクに片肘を着き、片手で頭を抱えた。  「で、『ホット』が出て来てるって?」  「らしい、というレベルだそうですが」と安芸が応じる。  「行って見りゃ分かる、か」  そう言いながら、安芸の後を追って木津はハンドルを切る。  長い直線コースへ躍り出すと三台は揃って急加速する。  計器の色がグリーンからオレンジに変わり、高速時の操縦安定性を警告する。  ややもすると安芸のS−RYを追い抜きそうになるS−ZCを、木津はつま先のわずかな動きで制御する。  「コンタクトまであと二分……木津さん、慌てて前に出ないでくださいね」  「はいはい、飛び入り参加者は現場まではおとなしくしてますよ」  「インサイト!」  峰岡の声に、木津は反射的にハンドルを切る。安芸のS−RYの陰からS−ZCが横様に飛び出す。  見えた。小さな影が。それが加速をつけて大きくなり、武装車両の姿になる。  「マース1」も車体を少し振って、すぐに元の位置に戻る。  「ニ、三、一。多分中心に『ホット』をおいて、取り囲む形です」  峰岡の言葉が終わらないうちに、砲声。  散開する三台に追い討ちを掛けて、さらに二発。  「なるほど、統制が取れてる」と急ハンドルを切りながら木津。  「向こう側はあたしが押さえます」峰岡が言う。「マース3、キッズ1で挟撃」  結局予告通りの「キッズ1」か。木津の苦笑いは、しかし口元を少し緩ませるだけで、その目はほとんど怒気を帯びてさえいるかのように、前方の武装車両の一隊に向けられている。  その視線の上から、Mフォームに変形したマース1が、左腕の衝撃波銃を連射しながら降りて来る。  銃の衝撃波は、一隊の進む先の路面に大きな破孔をいくつも開け、その向こうに着地しながら、青龍はWフォームに変形する。  しかし一隊は、今まで相手にしてきた暴走車連中とは違っていた。峰岡の威嚇射撃には全く動じる風も、隊伍を崩すこともない。急停止すると、中央と両翼の三台が峰岡に向けて一斉射。  峰岡は巧みにカーブを繰り返しながら急速後進をかけて回避する。  一方木津と安芸も、二門の重砲の狙いをRフォームのままで撹乱しながら、相手の切り崩しのタイミングを伺っている。  後進から前進に切り替えながら、マース3がWフォームに変形、重砲を積む二台の足と攻撃能力を奪うべく、左腕を伸ばして衝撃波銃を連射する。  一見鈍重そうな二台はいとも平然とそれをかわす。  だがそこにわずかな乱れが生じた。  木津はその隙と、その奥の「ホット」のものらしき車体をすべる光の反射とを見逃さなかった。  スロットル・ペダルが床まで踏み込まれる。後衛の二台の間に躍り込む木津。すれ違うと同時に、旋回を始めていた両脇の重砲が相次いでへし折れる。  後方モニターの中には、安芸の青龍が膝を着いた姿勢で衝撃波銃の照準を付けている。  だが木津はそれには目もくれない。  「ホット」はホット・ユニット特有のエンジン音を響かせ、足元からは白煙を上げながら回避行動に移る。  「逃がすか!」  木津の手が変形セレクタのレバーを引いた。次の瞬間、木津を強烈なショックが襲う。  S−ZCの赤い低い車体が、一瞬にして精悍な人型に姿を変えた。  その姿を目にして、峰岡が声を漏らす。  「これが……朱雀」  「待て」と安芸。「何かおかしい」  朱雀は赤いボディを仁王立ちにさせたまま、微動だにしようとしなかったのだ。  武装軍団は狙いを動かない朱雀に変える。  ニ体の青龍が走り、峰岡が叫んだ。  「木津さん?!」  Chase 04 − 開かれた傷跡  「木津さん?!」  計器盤の緑色の灯が反射するヘルメットの中に、峰岡の呼ぶ高い声はうつろに響いた。木津の耳には届くこと無しに。  シートベルトに体は保持されているが、ヘルメットを被った首は前に垂れ、動こうとはしない。バイザーを通して見える目は見開かれたままだ。  「木津さん! どうしたんですか?! 返事してください!」  答えはない。  コクピットの中、正常に動く計器に囲まれて、木津は意識を失っていた。  立ち上がった朱雀の姿に一瞬ひるんだ暴走車群だったが、その赤い躯が木偶の如く突っ立ったまま動こうとしないのを見て取ると、俄かに動き始める。搭載された火器の砲口を朱雀に向け集めるように。  「木津さん! 回避を!」  叫びながら峰岡の青龍は地面を蹴って跳び上がり、左腕の銃を乱射する。その衝撃波は斉射を開始しようとした武装車の一台の屋根をへこませ、もう一台の足元に大穴を開けてバランスを狂わせ、横転させる。  出鼻をくじかれ、攻撃の手にわずかな隙が生じる。  そこをついて、安芸の青龍が、立ち尽くしたまま動かない朱雀に駆け寄り、左腕で武装車へ銃撃を続けながら、右手を朱雀の背中へと伸ばした。  木津は半ば朦朧とした頭で、閉じた瞼越しに青白い光を感じていた。  その光が天井の蛍光管からのものであるということが分かると、もう一つ、自分の後頭部に蜘蛛の巣のように絡み付いている、重いような不快感もまたはっきりと意識され始めた。  すると、砂糖の塊が湯に溶けるように、部屋の天井の色、漂っている消毒薬の臭気、ベッドの上に横たわっている自分、ここが病室であるという事実が次々と分かってきた。しかし、何でこんなところで俺は転がってるんだ?  ああ、あの時「ホット」を仕留めようと、一気に人型に変形しようとして、目の前が真っ赤になって……気絶でもしたか? 俺としたことが。  そこまで思い至って、木津の顔がこわばった。  変形して、しかし「ホット」を仕留めたという記憶はない。敵の包囲の中、変形した直後から記憶は途絶えている。  S−ZCは?  まさか、集中攻撃を受けて損傷したのか? まだ一台しかないというあの車体を「ホット」の餌食に? ディレクターの制止を無視して飛び出したせいで?  まずい……  木津は目を見開き、ベッドの上に上体を起こした。  体のどこにも痛みはない。ただ後頭部の不快感が相変わらず残っているだけだ。  後ろを向いて何かを片付けていた看護婦が布の音を聞きつけて振り返った。  「あ、起きないで! そのまま……」  デスクの上は、何通かのレポートで埋められていた。  久我はその全てに目を通してしまっていたらしく、ただ神経質そうにペンを弄びながらコーヒーのカップを傾けている。  その様子は、何事かを決めかねているかのようでもあり、また何事かにいらだっているかのようでもある。  空になったカップをデスク上のわずかな隙間に置くと、インタホンから声が聞こえてくる。  「久我ディレクター、ご在室ですか?」  「はい」  「こちら医務室です。木津さんがお目覚めですが」  「分かりました」  インタホンの向こうでは、続く言葉を待っているような間。  だが久我は何も言わない。  やがて待ちかねたかのように問が来る。  「どうなさいますか? お出でになりますか?」  ややあって、やっと久我は答えた。  「行きます」  看護婦は受話器を置くと、再び木津の方に向き直った。  「ディレクターが参ります」  木津はベッドの上に上体を起こし、半ば泣き笑いのように表情をこわばらせて問う。  「どんな感じだった?」  その表情に、看護婦の方は半ば吹き出しそうな顔になりながら、  「おかんむりみたいです」  木津の泣き笑いから笑いの部分が抜け落ちる。  「本当に?」  「嘘です」  一転呆気にとられた木津の顔を見て、看護婦はとうとう吹き出してしまう。  「大丈夫ですよ、あの人はそんなに喜怒哀楽を出すタイプじゃありませんから」  「まぁそんな感じだとは思ってたけど……ところで、あんたは状況は知ってる?」  「状況?」  「俺がどんな状況でここに担ぎこまれたか、さ。別段怪我をしているような気もしないんだけど」  「ええ、外傷はありません」  この答えから、彼女は何も知らなそうだと木津は察する。これは久我ディレクターから直接話を聞くほかなさそうだ。ことと次第によると、詳細なしでお役御免のお払い箱、という事態にならないとも言えないが。  「それじゃ、俺は今まで何時間位のびてたのかな?」  「まる1日、いえ、もう1日半近くになりますね」  「そんなに? 何で?」  看護婦は椅子を引き寄せて腰を下ろす。  「検査はさせていただいたんですけれど、結果は私も聞いてませんから」  「久我センセイは知ってるか」  「そのはずですね」  そこに、インタホンからポーンというチャイムの音。  「ご登場のようですよ」と、座ったばかりの椅子を蹴って、看護婦はインタホンへ。  名乗る声は、その通り久我のものだった。  病室に入ってきた久我の表情からは、看護婦の言う通り、そして自身の予想通り、木津は何も読み取ることは出来なかった。  「ご気分はいかがですか?」  その口調は、しかし無理に抑えたような静かさを帯びていたように、木津には感じられた。  「良くはないですな、正直な話」  久我は黙ったまま、資料のバインダーを抱えた両手を前に、木津の顔を見つめている。  その視線に木津は落ち着かない気分になり、立て続けに言葉を発していた。  「『ホット』は取り逃がしたし、それにS−ZCがどうなったかも気になるし、おまけに首の後ろが妙に気分悪いし」  看護婦がさっきまで座っていた椅子に、今度は久我が腰を下ろし、そして口を切る。  「残念ながら、昨日のグループには『ホット』はいませんでした」  「いなかった?」  「いわば『ホット』の影武者でした。車両はコールド・ユニット搭載のものだったのですが、ダミーの熱源ユニットと騒音源で『ホット』を装っていました」  「念の入ったことだな……それじゃ」と木津は言葉を切ってから、言う。「俺が飛び出していったのは無駄どころか、逆にこっちに損害を与えただけだったのか」  「ご心配なく。S−ZCには損傷はありません」  久我は表情一つ変えずに応える。  「本当に? あの状況で?」  「はい」  「どうして?」  木津は上体を乗り出す。  左手の威嚇射撃を続けながら、安芸の青龍は上体を屈めて朱雀に駆け寄り、右手をその背中に伸ばす。  背中に触れるや否や、青龍の指がすばやく朱雀の右肩の下に小さなハッチを探り当て、開く。  中には黄と黒の縞のフック。  青龍がそのフックを引き、そして飛び退るようにして地面に伏せた。  次の瞬間、動かない朱雀は変形した時と同じ速度でRフォームに戻る。  朱雀の胸を狙った暴走車の砲火がその上を通過していく。  伏せたまま、青龍が再度左腕の衝撃波銃を連射する。今度は照準を正確に付けて。  衝撃波は並んだ暴走車を次々となぎ倒していく。一つ、二つ、三つ。  「ラスト!」  峰岡が声を張り上げた。  「ホット」の排気音が轟く。  擱坐した仲間の車両の間を巧みにすり抜けて、「ホット」は逃げを打つ。  「マース3はキッズ1を保護! 『ホット』はあたしが止めます!」と峰岡。  「それほど」と安芸が応じる。「簡単じゃないと思うぞ」  その言葉通り、「ホット」は峰岡の青龍が放つ衝撃波を一つ二つとかわしていく。  起き上がった安芸の青龍は、地面に膝を着いて、まるで小銃を構えるかのような姿で左腕を伸ばした。  音ともいえないような重く鈍い音が続けて二度、周囲の空気を振るわせる。  最初の一発は、峰岡の狙いをかわした「ホット」の鼻先に浅く広い穴を穿つ。  「ホット」は舵を切り急制動。足元から白煙を上げ、車体を揺らしながら穴の縁ぎりぎりに止まる。  次の瞬間、テールを振った「ホット」の後輪を、安芸の二発目が確実な狙いで吹き飛ばしていた。  足の止まった「ホット」に、峰岡の青龍が飛びかかる。と、峰岡があっと声をあげた。  「どうした?」  「……自殺してる」  安芸の青龍が立ち上がり、Wフォームに変形すると、エンジンは動いたままの「ホット」の脇へ近寄る。  ウィンドウ越しに、拳銃でこめかみを撃ち抜いた男がシートの上で頭を垂れているのが見えた。  それをしばらく見つめていた安芸が言う。  「……違う、こいつは『ホット』のユニットじゃない」  「え?」  安芸は排気音と排熱の伝わる「ホット」のエンジンフードを引き上げた。そこにあったのは、見慣れたコールド・モーターのユニット配置と、そしてもう一つ、見慣れない機器が。  排気音と排熱が発しているのはそこからだった。  「こいつか……ホットのダミーというわけだ」  「じゃ、この人も……」  「『ホット』本人じゃないな」  「……そういう話か」  木津は天井を仰いだ。その顔が再度久我へ向けられる。  「で、俺をどうする?」  久我は木津へと視線を上げた。だが口は開かない。  「損害はなかったとは言え、無茶をしたからな」  そう言いながら、木津は右手を首の前できゅっと引いて見せる。  「これも覚悟はしてる」  沈黙したままだった久我が口を開く。だがその言葉は、木津の思惑からは全く外れたものだった。  「S−ZCは、変形のプロセスに一部改修を施す決定をしました。発生する衝撃には問題があるようですから」  何も言えずにいる木津に、久我はいきなり問いかけた。  「木津さん、あなたはあの事件の後、入院加療していらっしゃいましたね?」  「……ああ」  「加療部位はどこでしたか? 頭ではありませんでしたか?」  木津は思わず後頭部に手をやり、そして自分をいつになく注視している久我の目を見返す。  「そうだ、俺がのびてる間に検査をしたとか聞いた。その結果はあんたがつかんでる。そうじゃないか?」  バインダーを抱く久我の腕にわずかに力が込められたように見える。  木津は体ごと久我に向けると、もう一度問い詰める。  「結果は出てるんだろ?」  久我はわずかの間無反応でいたが、やがてゆっくりとうなずくと、言った。  「はい。先程私の手元に届きました」  間。  「それで?」  「S−ZCの改修は行いますが、それだけではあなたが今回のような事故を起こさなくなるという保証はありません」  「俺の体も改修が必要だというわけか?」  「そうです。あなたの頭部には、当時の事件で受けた傷で、完治していないと思われるものがあります。それが今回、一種後遺症のような影響をもたらしたのです」  木津は表情を固くしながら  「変形のショックでか?」  「はい。その兆候はシミュレーション以前の初期測定でわずかながら認められていました。ただ、私は実際の変形シミュレーションでどの程度の影響が出るかを見極めるつもりでいました。しかし、今回実戦で支障を来す重大な影響が出得るということが図らずも明らかになりました」  「行動中に気絶しちまっちゃあな……」  あの野郎……追い詰めてやろうという機会をつかんだ矢先に、こんな傷なんかを残しておくとは……  木津は歯を噛みしめた。  久我は黙ってその様子を見ている。ともすればまた神経質そうに動き出そうとする指を抑えながら。  木津が立ち上がる。  思わず見上げる久我の目に、その肩は不思議に高く見えた。  「……で、俺をどうする? 改修か、それとも廃棄か?」  「どうしたね真寿美ちゃん、しょぼくれた顔して」  そう声を掛けられて、  「しょぼくれてなんかいませんよ」と答える峰岡の顔は、その言葉とは裏腹にしょぼくれていた。  阿久津は、峰岡の持ってきた封筒を開けながら  「でも、前回の出動も首尾は上々だったんだろう?」  峰岡は答える代わりに、阿久津の取り出した資料をのぞくまねをした。  「何ですか?」  阿久津はざっと目を通す。  「……改修の指示だ。朱雀の変形プロセスを一部いじれと来た」  朱雀と聞いて、峰岡は少し体を固くした。  それには気付かず、阿久津は指示書にずっと目を通しながら話し始めた。  「あれかい、この改修は例の木津っちゅう人の関係か?」  「そうだと思います。まだお会いになってないんですか?」  「会ってないがね……何かやらかしてくれたんかね?」  「前回の出動の時、Rフォームから一気にMフォームに変形して、えっと……」  阿久津は資料から目を上げ、眼鏡の上から峰岡の顔に視線を投げた。  「気絶でもしたかね?」  答えない峰岡の表情を見て、阿久津は慰めるように微笑みながら言う。  「まあ、慣れない者がそれをやったら、普通は気絶ぐらいするさ。ごくわずかな時間とは言え、五Gから七Gはかかるんだから」  「……そう、そうですよね」と、峰岡に例のはじけた声が戻る。  「それに、阿久津主管が改修してくだされば大丈夫ですよね。初心者だって使いこなせますよね」  阿久津は声をあげて笑う。  「そうそう、それでなきゃ困るからね」  「よかった」  峰岡は満面の笑みをたたえて一礼する。  「それじゃ戻ります!」  「ご苦労さん」  ドアが閉まると、阿久津は再び指示書に目を戻した。  改修の納期は一週間後とされていた。  ライトボックスの蛍光管の青白い光が、暗い室内に医師と久我の相貌を浮き上がらせている。  四つの目は、ライトボックスのクリップに留められた数枚のモノクロフィルムに向けられている。  「……ご覧になれますか?」と医師。  「はい」  「ここが」医師はフィルムの上をペンの先で示し、「前回の手術痕です。周辺の組織の状況から、肩から首、後頭部にかけて、背後から多数の小片を浴び、その摘出術を実施したものと判断できます」  久我が無言でうなずく。  「摘出術は的確に行われたと言ってよいでしょう。ただ一つの小片を除いて、全てが除去されています」  「ただ一つ、ですか?」久我が問う。  「そうです」と、医師は別のフィルムの上にペンの先を移す。「これがその残りの一つですが、極めて微妙な部位に入っています。前回はそれ故に敢えて除去を見合わせたのでしょう」  「除去が困難ということですか?」  「そうです。ただ、摘出そのものが困難だというわけではなく、むしろ除去術の際の悪影響に配慮したのだと思われます。実はこの小片の周囲にはわずかに隙間があるのです。木津氏はVCDVの変形のショックを受けて失神されたとのことですが、受けたショックでこの小片が動いて周辺組織を刺激したためでしょう」  「では、完治は?」  医師はこの問いに初めて言葉を切った。  「……切開は行ってみます。ただし、もし摘出が可能だった場合、ご希望の一週間という期間での復帰は、必ずしも保証は致しかねます」  ライトボックスに向かって少し屈みこむようにしていた久我が姿勢を戻した。  「分かりました。それで、手術にはすぐかかれますか?」  「木津氏の状況によっては、明日の朝からでも可能です」  久我はうなずいて立ち上がった。  だがその表情は、常に比してやや険しかった。  医師は手を伸ばしてライトボックスのスイッチを切った。  明かりの消えた真っ暗な病室で、木津はベッドに横たわっていた。その目を開いたままで。  「……再手術か」  「峰さん峰さん」  通りかかった峰岡を安芸が呼び止めた。  「何? どうしたの?」  「木津さん情報」  峰岡の顔はぱっとほころんだが、しかし安芸の表情はさほどさえなかった。  「木津さん、元気になったの?」  「手術を受けるらしい」  「えっ?!」  蒼ざめる峰岡に、安芸は黙ってうなずいて見せる。  「……どうして? だって、だって怪我とか全然なかったのに」  「僕もしっかり聞いたわけじゃないんだけど、何でも昔の怪我の後遺症があるらしいんだ。で、このままじゃ朱雀には乗れないとかいう話らしい」  「そんな……そんな! だって!」  「落ち着けって。その手術がうまく行けば、何の問題もないんだから」  「……そう、そうよね」と、峰岡はうっすらと涙さえ浮かびかけた目をこすりながら言う。「あー、そうしてこんなに取り乱しちゃうんだろ」  その様子を見る安芸には、もう一つの自分の聞いた話を切り出すことはもう出来なかった。つまり、その手術が困難なものであるということを。  「阿久津主管いらっしゃいますか? 久我です」  インタホンに出た相手がしばらくお待ちくださいと応えると、続いて阿久津を呼ぶ声と足音とが伝わって来、そして阿久津の少ししわがれたような声が取って代わった。  久我はほとんど前置きもなしで切り出す。  「昨日の改修指示書の件ですが、いかがでしょう? 可能ですか?」  「大分お急ぎのようですな」と阿久津ははぐらかす。「乗員の準備の方が時間がかかるんではないですか?」  久我は言葉を詰まらせる。インタホンの向こうで阿久津の口が笑みにゆがむ音さえ久我には聞こえていそうだった。  だが次に聞こえた阿久津の声は、技術屋のそれになっていた。  「検討はさせてもらったです。大まかな線ではご期待に沿えそうですな。技術的な細かな話はしませんが。ただ、試算段階でRとWとの変形でコンマ二秒、さらにMとの変形でコンマ二五秒、Wを飛ばして一気に行くとコンマ五秒のロスが弾き出されてます。実機じゃも少し出るでしょうな」  「コンマ五秒強……」  「もう少し削ることは出来るでしょうが、しかしGの軽減とは裏腹ですぞ」  あとは木津の回復を待つか、さもなければ木津の腕でカバーするかしかない、というわけだった。  「どうしますかね? 進めてもよろしいのか?」  「計算上は、それ以上の結果は出そうにありませんか?」  今度は阿久津の方が少し考えていた。  「そうですなぁ……もう検討の余地はない、とも断言できませんな」  「であるなら、その計算をお願いします」  「分かりました。で、いつまでに?」  「今日の夕刻、再度連絡します」  そしてこの時刻、木津の体は手術台の上にあった。  久我はデスクの明かりを点けた。  窓の外はもう宵闇であった。  だが手術室からの報せはまだない。  今日何杯目かのコーヒーを空けた時、インタホンから別段待ってはいなかった声が聞こえた。  「峰岡です。あとはよろしいですか?」  「ああ、明日は休暇だったわね。あとはいいです。ご苦労様」  「はい、それじゃ失……」  インタホンの奥から聞こえた電話の呼出音に、廊下で峰岡は思わず言葉を切った。  部屋の中では久我が電話に応対している。  「久我です……はい……分かりました、すぐに行きます」  そして本当にすぐにドアが開き、久我が飛び出してきた。  もしかして……「木津さんですか?」  久我が振り向いた。だが答えはない。そのまま歩き出す久我の後を峰岡も追った。  「失敗?」  まだ額の汗も乾ききっていない医師は、無言でうなずいた。  顔色を変えてほとんど涙ぐまんばかりの峰岡を横に、久我はさらなる説明を待った。  「摘出は不可能でした。逆に摘出してしまえば、一部の伝達系に支障を来す、という状況だったのです。つまり、あれがあるからこそ日常生活レベルでは問題がないとも言えるのです」  「日常生活、ですか」と久我。  「もちろん今回望まれているのはそれに留まらないと存じています。今回極めて微量ですが、小片周囲の隙間に充填剤を入れました。とりあえずこれでショックを受けた際に小片が動くケースは減るはずです」  「皆無にはならないのですか?」  医師は首を横に振った。  「充填剤が逆に組織を圧迫するようなことになっては問題ですから、ぎりぎりの少量しか使用できません。ただ今までと比べれば、相当良い方へ変化が出るはずです」  「分かりました。再度シミュレートを実施する必要がありますね」  そう言う久我の表情が、峰岡の目にはほとんど安堵の色を浮かべているようにさえ映っていた。  ああそうだ、これは木津さんにとってはきっとプラスになることなんだ。S−ZCだって改修されているんだし。これでこれから一緒に行動できるんだ。  そして峰岡自身もまた安堵のため息を漏らした。  「で」と久我が言葉を継ぐ。「このことは、木津さん自身には?」  「まだです。意識は戻っていますけれど。お話になられますか?」  「はい、早速」  ドアを開くと、ベッドの上に上体を起こして雑誌を読んでいた木津は、すぐに振り向いた。  「ずいぶんとお早いお越しだな。悪い報せか?」と言う木津は、しかし悪い報せを待っていたにしては平然としている。  返す久我もまた平然と口を切る。  「良いと取るか悪いと取るかはあなた次第かも知れません。少なくとも私にとって悪いとは言いきれませんでした」  「てぇと?」  「残念ながら後遺症の完治は望めません。その原因が除去不可能なためです」  木津は表情を変えないで聞いている。  「ただし、症状の軽減処置は行いました。発生の頻度は抑えられたはずです」  「でもいつ出るかは分からない、というわけか。まるで爆弾抱えてるようなもんだな」  手元の雑誌を閉じ、横のテーブルに放り出すと、木津は尋ねる。口元は穏やかに、だが眼は険しく。  「で、俺はこれからも『ホット』を追えるのか?」  久我は、まるで用意していたかのようにうなずき、そして「はい」と答えた。  「それで十分だ」と言うと、木津は向き直り、さらに独り言のように言った。  「あいつをこの手で仕留められりゃあな」  「木津さん!」  それまで久我の陰になっていた峰岡の小さな体が飛び出し、木津の横につんのめりそうになりながら駆け寄った。  「木津さん! よかったですね……本当によかったですね」  「……おいおい、何泣いてんだよ」  しゃくりあげる峰岡の小さな頭に、木津の大きな手が載り、その短い髪の毛を柔らかくくしゃっとかきあげた。  Chase 05 − 再開された追跡  特殊車両研究所、LOVE。  テストコースのセンターフィールドに、曇天の朝の空から差す弱い光を真紅の車体の上にぼかして、改修作業の施されて間もないS−ZCが静かに停まっている。  コクピットには、再手術の傷が癒えて間もない木津仁が、通常の出動時のスーツの代わりに、全身にセンサーの付いたスーツを着て座っている。  計器盤を見つめながら木津が思い出しているのは、開発主管だとかいういけ好かないおやじの面だった。  今朝、ここに出てくる前に久我ディレクターが現れた、それに着いて来たのがそいつだった。  「おはようございます。いよいよ実車でのシミュレートですね」  「ああ、やっとな」  「今日はお引き合わせしておくべき人間を連れて参りました。私たちのM開発部でVCDV開発主管を任せている、阿久津嶺一です」  紹介されて一歩前へ出てきた阿久津は、木津に右手を差し出したが、目付きは疑惑の色を帯びていた。  握手を解くと、阿久津はその目付きの意図を早速自ら解説してみせた。  「お主が変形の時にGで気絶したと言うんで、ディレクター殿が自ら朱雀……っと、S−ZCの改修を指示なされてな。ぎりぎりまで切り詰めてはみたんだが、それでもコンマ三五秒のロスは避けられんかった」  「戦闘中では致命的な遅れか?」  「戦闘という表現は厳密に言うと少し違いますけれど」と口を挟む久我。「決して見過ごすことの出来る時間ではありません」  「ぎりぎりまで縮めた変形プロセスを今度はわざわざ引き伸ばしたんだ。木津さんとやら、あとはお主の腕でカバーしてもらう他はない。ましてや今度気絶でもしようもんなら……」  再び久我が口を挟んだ。  「いいえ、手術後の再検査では問題の出るような値は示されていませんでした」  「それならいいですがな。ディレクター殿のご推薦だ、腕の方は問題ないとは思ってますがな」  「スタンバイよろしいか?」  トレーナーの声に現実に引き戻された木津は、計器盤に眼を走らせる。全ての計器は次の木津の操作を静かに待っている。  「ようそろ」  「はい、それでは計測開始します。ゼロ速度で一ステップずつ変形してください」  つまらん、と思いながらも木津はレバーをすばやく動かす。  体には軽く引っ張られるような力を、耳にモーターやアクチュエータの動くかすれたような高音を感じる間もなく、木津は計器盤の表示に、車体がWフォームの状態にあることを認めた。  ややあって、トレーナーの声。  「……はい、計測OKです。次どうぞ」  木津の手が再び動く。  同じような音と、さっきよりは強い力が木津を襲い、そして立ち上がった朱雀は乗員の無事を示すように右手を振ってみせていた。  「ふむ……まあこの程度ではなあ」と阿久津。「何とも言えん」  トレーナーは全く調子を変えずに。  「……はいOKです。それでは逆をお願いします」  木津はコクピットでシートベルトに固定された肩をすくめた。  再びWフォームへ、そしてRフォームへ。  何の問題も起きなかった。  「……OKです」とトレーナー。「数値的には、平均して当初予測値の七〇パーセントのショックに留まっています」  それを聞いた久我が阿久津に頭を下げた。  「お骨折りに感謝します」  「いや、これからです」  木津の声がモニターから聞こえてくる。  「続行には問題ない値か?」  「数値的には問題ありませんが、体は大丈夫ですか?」  「こっちも全く問題なし」と言う声は少し浮かれ気味でさえある。「気分が悪いとすれば、こんな停まったままでちんたらやってるせいだろうぜ」  「了解しました」淡々とトレーナーは応じる。「それではこのまま続行します。次はコースで、定速走行からの変形です。五〇、一〇〇、二〇〇、三〇〇の四段階、三周走行毎に一段の変形で願います……」  木津はゆっくりとS−ZCをコースへと移動させる。そして全ての車輪がコースに乗ったと同時に、ペダルをくっと踏み込む。  指示された最初の速度に至るまで、ものの二秒とかからない。しかしこの速度だと、コースが何と長く思えることか。  退屈を催すほどの時間をかけて、木津は三周目の最後のコーナーを回る。そしてレバーに左手が。  まるで停止中と変わらない様子で変形がこなされていく。  変形し、コースを回り、また変形を戻す。  最初の設定速度での計測が終了すると、スタート位置に戻った木津がいち早くトレーナーに結果を尋ねてくる。  「ショックは予測値の六八・二パーセント。ドライバーの身体への影響は何ら見られません」  それを聞いた木津はつぶやく。  「まだまだ」  が、それと同時に、全く同じ言葉が阿久津の声で聞こえてきた。  木津は舌打ちすると、  「次行くか?」  同じプロセス。ただし速度は倍。  テストを見つめる阿久津の目が、さっきまでより少し鋭くなった。  見つめる久我と阿久津の前で、淡々と進行を促すトレーナーの声をバックに、平然とS−ZCは朱雀に、朱雀はS−ZCに姿を変えていく。  「……はい、OKです。ショックは前回比マイナス二・五ポイント、身体への影響も皆無。次行けますか?」  「行くさ」  さらに速度は倍。  久我の眉根がわずかに寄る。  阿久津はその視線の鋭さをさらに増している。  二組の視線の前で繰り返される変形のプロセス。それは速度の倍増を何ら感じさせるものではなかった。それどころか、変形の動作が徐々に滑らかさを増してくるようにさえ見える。  視線はそのままに、阿久津が口を切る。  「彼が変形をこなすのは、今回が実質初めてでしたな?」  「そうです」と同じく眼は動かさず久我。  「……使えますな」  阿久津の言葉と当時に、その目の前でWフォームからRフォームへ戻って、S−ZCが停まった。  「どうだ?」  「少々お待ちください……はい出ました。安定してますね。前回とショックについては同じ値です」  「変形の時間は?」  「……はい、順に……」  「数字を聞いても分からないぜ。青龍と比べてどうだ?」  「ほぼ一割増しだ」と言う阿久津の声が、木津のヘルメットの中に入り込んだ。「朱雀は図体が一回り大きい分、わずかな操作の遅れやずれが響くようになってしまっとる。その上に、今は変形速度を抑えてもある」  「一呼吸は遅れるのか……」  「だがな」と阿久津。「一割増しというのは、今落としてある速度の、計算上の数字とどんぴしゃりだ。実機でやれば、さっきの話も含めて普通はさらに遅れるはずだ。そこをお主はまるまるカバーしてしもうた。見直したぞ。さっきは失礼したな」  久我が阿久津の口元を見つめている。冷静な、それでいて自信に満ちた目で。  「そりゃどうも」木津が応える。「だが、まだ最後の一セットが残ってるし、それに中間抜きもやってないぜ」  「ふむ」  「次が本ちゃんだ。スタンバイいいか?」と、今度は木津からトレーナーに。  「いつでもどうぞ」  「おっしゃあ!」  木津のつま先が、S−ZCを指示速度まで一気に加速させる。  かかるGに、コクピットの木津の口元は思わず緩む。こうでなけりゃ。  一周、二周と、猛烈な速度で周回するS−ZCが、三周目の最終コーナーを立ちあがって来る。  計測機器を見つめるトレーナーを別にして、久我も、阿久津も、高速で接近する赤い車体を注視している。  コクピットでは、木津の左手が変形レバーへと移される。  「……やる気ですかな」と阿久津。  「え?」  久我が振り向きかけたその時、赤い影がコースの上に躍り上がった。  「Mフォームに?」  「やっぱりやりおった」  だが阿久津の予想はその先にまでは至っていなかった。  コースを囲む右手のフェンスを越える高さまでジャンプした朱雀は、上体をねじって左腕の衝撃波銃をフェンスの外へ二発放ち、膝を軽く折って着地すると、一呼吸おいて再びジャンプ、今度はフェンスを跳び越えて外へ出て行った。  「使いこなしてますな」  納得したような阿久津の言葉に耳も貸さず、久我は立ち上がってインタホンに手を伸ばした。  「M開発部の久我です。テストコースの外に異常が……」  「これだぜ、その異常ってのは」  またもフェンスを跳び越えてコースへ戻って来た朱雀の右手に、小さな円盤のようなものの残骸があった。  「どうやって飛んで来たんだかね」  「ホヴァ・クラフトか」一目見て阿久津は言い当てる。「底から空気を吐き出して動くんだ。だが、多少の高度でも安定性を保つのは難儀な代物だ。相当いい造りと見た」  「おまけに」朱雀が残骸をひねくり回す。「カメラまで仕込んであるぜ。こいつぁ覗き用だな」  残骸に向けられていた朱雀の顔が、試験管制室の窓ガラスの向こうにいる久我にくいっと向いた。  「こいつも、『ホット』の手か?」  会議室、と言うよりはブリーフィング・ルームと呼んだ方が適当かも知れない部屋。  執務室に続くドアが開くと、長円形のテーブルを囲む六対の眼が一斉にそちらへ向けられる。  入って来た久我はその視線を一渡り眺め返すと、  「お揃いですね?」  と言いながら腰を下ろした。  「では始めます。最初にチーム編成の変更についてお話しておきます。本日付で、正式に木津仁さんがMISSESのメンバーとなりました」  「ミセス?」と木津は隣に座っている峰岡に尋ねる。  「M開発部で、実際にVCDVで出動するグループのことです」  「また何かの略?」  「確か、MISSION EXECUTION SECTION だったと思います」  「はぁ、なるほど……また妙な」  聞こえているのか聞こえていないのか、その小声でのやりとりに構わずに久我は先を続けた。  「ただし木津さんはLOVEの職員ではありませんので、客員テストドライバーという扱いになります」  そう言うと、久我は木津にちらりと視線を投げた。  「結構だ」と木津。  久我は軽くうなずく。  「木津さんの使用車種はS−ZCです。運用時呼称は『キッズ1』」  木津は肩をすくめる。結局そうなったか。  「1ということは」峰岡の向こうに座った安芸が口を切る。「今後近いうちに増補の計画はあるんですね?」  木津の向かいにいる阿久津が、おどけた口調で答える。  「今二号機の製作中なんだがね、何分にも家内制手工業の世界なもんでな」  例によって峰岡が吹き出す。  その正面で、全身包帯とギプスだらけのまま車椅子に座っている男もつい笑ってしまい、それが骨折にでも響いたかすぐに顔をしかめる。以前の出動でS−RYごと武装暴走車に吹き飛ばされた小松という男だろう。  これはにこりともせず久我が引き取って、  「ロールアウトが正式に決まり次第、再度編成を行います。それまではキッズ1は単機での出動もしくはマース・チームのサポートの任に就いていただきます」  「完全に統一行動としない理由は?」と再び安芸。なかなか細かい男だ。  答えたのも再び阿久津。  「S−ZCの性格だよ。実際の運用を念頭に置いたS−RYに比べて、あいつは実験的な色が強い。性能が、いわばところどころ突き出してて丸く収まっとらん。そういうじゃじゃ馬は、とんがったところを要所要所で使ってやるのがいいんだよ」  「それじゃ木津さんはじゃじゃ馬ならしですね」  くすくす笑いながら峰岡が口を挟む。  「マース・チームですが」  相も変わらずお構いなしに久我は本題を進めていく。  「小松さんの負傷でマース2が現在欠員になっています。車両は改修が完了していますので、当局への導入の第一歩も兼ねて、当局から一名出向していただきました。結城鋭祐さんです」  木津の対角線上にいた、見たことのない若い男が立ち上がって頭を下げた。  「結城です。あちらでは高速機動隊に所属していました。よろしくお願いします」  「結城さんにはトレーニングが完了し次第任務に加わっていただきます。あと一週間程度で完了と聞いていますが」  結城は無言でうなずく。  「それにしちゃ」木津が口を開く。「俺とはシミュレートでかち合わなかったな」  「スケジュールがずらしてありましたから」と簡単に久我は答え、「以上でチーム編成の件は終わります。何か質問はありますか?」  「一つよろしいですか?」と末席から声があがる。結城だった。  「S−RYの運用可能なものは四機あると聞いていますが、なぜ全員がS−RYを使用しないのですか?」  こいつ、俺一人が朱雀に乗ってるのが気に食わないらしいな。木津は結城の表情を見てそう思った。  「先程木津さんは客員テストドライバーとお話ししました。実際に出動任務にも従事していただきますが、それを介してS−ZCの各種性能面のデータを取得するつもりです。その意味でS−ZCを運用します」  「分かりました」  「あとはよろしいですか? では次に移ります。先日テストコース付近に盗撮目的と見られる機体が飛来しました。その折にコースにいたS−ZCの変形プロセスを撮影、送信したものと思われます」  「俺の墜としたやつか?」と木津。  「はい。木津さんがこれを破壊、残骸を回収して調査したところ、今回も『ホット』の痕跡が残されていました」  「やっぱりか!」木津が声を張り上げる。  「『ホット』とは?」結城が問う。  「当局の手配ファイル上では、甲種八八〇八番一〇九三一号と記されています」何を見るでもないままにすらすらと久我。  「甲種手配対象者ですか……どういう人物なんですか?」  「それは俺も知りたかった」木津の声が高くなった。「知ってるのは『ホット』ってぇ通り名と、その由来程度だからな。奴が他にどんなことをしてるかぐらいは知っておきたいもんだ」  峰岡が木津に向いて  「他に?」  「では先に申し上げておきましょう」久我が話し始める。「昨日当局から私たちに宛てて正式に指示がありました。私たちの主任務は武装暴走車群の鎮圧と、その指揮をとる甲種八八〇八番一〇九三一号の捕縛です」  「捕縛ね」木津がつぶやく。  「すると」と、これは安芸。「当局は武装暴走車の全てが『ホット』の配下にあると判断したんですか?」  「そのようです。特に実体弾を使用する重砲の供給など、通常のルートでは考えられませんから」  「銃火器の取り扱い違反があるのですね。その他にはどのような触法行為を?」  結城が当局出身らしく尋ねる。  「『ホット』本人が直接関与していると思われるものは、騒擾及び企業団体を目標とした破壊活動が中心です。ただし脅迫等を行ってきたことはなく、何の目的でそうしたことを行っているのかは不明です」  木津は腕を組み、  「奴個人のプロフィールは分かってないのか? それから、ホット・ユニットを積んでるってのが分かってるのに車種が全然話に出てこないってのも腑に落ちないな」  ここで初めて久我の答えがすぐに返らなかった。  「残念ながら、そのような情報はほとんど得られていないというのが事実です。ただ私たちがこれまで『ホット』の関与を判断してきた要素はいくつか集まっています。まずホット・ユニット搭載車両の使用。これは音や排気、排熱の残存から判断します。それから関連する車両機器類には必ず独特のマーキングが入っています」  久我が手元のスイッチを入れると、テーブルの中央に立体映像でそのマーキングが映し出された。  緋色と黄と黒で塗り分けた菱形。  「いつ見ても趣味悪いですよね」峰岡が言う。「センスないなぁ」  「俺が墜として見たときには、こんなの無かったと思うんだが」  「車両の場合、大概はエンジン部にこれが付いています。大きさは三センチ×二センチ前後」  「外からは見えないわけだ」  「パワーユニットに記してあるのは、ユニットを自製しているからなのでしょうか?」奥から結城の声。  「ユニットだけじゃなく、車体や火器も自前のようです」安芸が口を切る。  「ずいぶんと豪勢なことだな。それでいてアジトの類も見付かんないのか?」  木津のこの言葉の最後に、ポーンというインタホンからの呼び出し音が三回続けて重なった。  聞き付けると同時に、マース・チームの座った椅子ががたがたと音をたてる。  立ち上がった二人に目をやると、久我はインタホンのディスプレイを見る。  「何だ?」  木津の問いに答えるかのように、久我がディスプレイに表示された文言を冷静に読み上げる。  「武装暴走車八、輸送車二、ルートE181を北上中。武装暴走車中一に熱源を認む」  次に音を上げて倒れたのは木津の椅子だった。  「おいでなすったか」  「またダミーかも知れませんよ」安芸が制するが、木津は  「自分の目で確めるさ」  と言うと、久我へと振り向いた。  「マース1、マース3、並びにキッズ1出動。目標はこのLOVEです」  「何で分かる?」  「E181は、ここへの最短コースです」と峰岡。  「なるほど」  「指揮はマース1に任せます。キッズ1は付随する輸送車に当たってください」  久我の指示が飛ぶ。  「了解だよ」と木津。「行くベぇ、お二人さん!」  会議室から出た久我は、例の通りデスクのディスプレイ・スクリーンを開くと、黒いタイト・スカートの裾を捌いて、その前に腰を下ろした。  後ろからは結城と、そして阿久津の視線。  「開発主管としては、やはりS−ZCの本当の初陣は見せていただきませんとな」と言いながら阿久津はそこに立った。  うなずいた久我は結城へと振り返ると、静かに、だが聞く者には重く感じられる口調で言った。  「これからお目にかけるのが私たちの任務です。そしてあなたにも求められているものです。よくご覧になっておいてください」  メイン・キー・カードをスロットへ挿し込み、スタータ・ボタンを押す。  ヘルメットのバイザに、計器盤からの光が映り込む。  スピーカからは峰岡のはじけた声。  「マース1、スタンバイOK!」  応じて安芸のよく通る声が、そして木津のややかすれた声が、同じく準備の完了を告げる。  「目標の現在位置をお願いします」  「コース保持、速度二〇〇で接近中です。同速でコンタクトまで四分」  「了解、行きます!」  次の瞬間、青、青、赤の三つの車体が加速度の中に溶け込む。  「いきなりこの速度なんですか」と、画面に見入りながら、結城がうなるようにつぶやく。「加速の性能は、当局で使っている車両とは比較になりませんね」  その横で阿久津がにやりとする。  「しかし」続ける結城。「あれだけの訓練で使いきれるものなんですか? それに当局に本格的に導入するとなると、シミュレータの設置だけでも大変だと思うのですが」  「使いきれるかどうかはご覧になってください」振り向くこともなく久我が言う。「この三名はいずれもあなたと同程度の訓練しか受けていません」  「それにしても、十台を相手にこちらは三台きりですか?」  「三対二十一の実績もあります」平然とした久我の口調に、結城は腕を組んだ。  「インサイト!」  峰岡の声がヘルメットの中で跳ね回る。  「良く見えるな」つぶやく木津の目にも、間もなく相手の群が入って来た。  群れ、いや、今はっきり見て取れるのは、暴走車とは釣り合わないニ両の大柄な輸送車だけだった。しかし峰岡はさらに言う。  「体制は……先頭三のトライアングル、次に輸送車二、脇と間に残りです」  その言葉が終わらないうちに、向こうから白やオレンジ色の閃光が。  左、右、左に散開するマース1、マース3、キッズ1の間に弾痕が散る。  「ご挨拶終了……か?」と木津。  「長いエモノを持って来てますね」と、これは安芸。「この距離まで届くとは」  さらに峰岡の声が飛ぶ。  「マース3、遊撃で援護射撃。頭はあたしがおさえます。キッズ1は輸送車を鹵獲」  「ほいよ」  木津の答えに誘われたかのように、再び砲撃が始まる。  「散開!」  号令一下、安芸のマース3はWフォームに変形し、速度をそのままに衝撃波銃の照準を輸送車の脇を走る暴走車の一台に付ける。  すれ違いざま後ろから狙い撃たれたその暴走車は、大きくはじけて前に飛び出す。  青龍に変形したマース1がジャンプしてそれを跳び越え、先頭の三台に向けて、いつものように上から衝撃波銃を乱射する。  三台は散開して回避。その後に列を乱すことなく並行して走る、コンテナを積んだ輸送車と、その間にもう一台。  木津は安芸と逆のサイドへ回り込む。  正面に飛び出したキッズ1に、暴走車は一連射を浴びせる。が、一瞬早く変形した朱雀はその頭上を跳び越え、青龍同様に左腕に仕込んだ、だが青龍のそれよりも威力を増した銃をニ連射。ひとたまりもなく擱坐する二台を背に、朱雀はキッズ1に戻って着地、スピン・ターンで、なおも走り続ける輸送車の後ろに付ける。  「確かにすごい……」  結城は思わずつぶやいた。  だがそれを聞いたのか聞いていないのか、久我は「K−1」即ちキッズ1のカメラの画面を見つめながら、独り言のように言った。  「あのコンテナが気になりますね」  「奴はどこだ?!」  コクピットで木津が叫ぶ。  武装暴走車一に熱源を認む、そう久我は言ったはずだ。だが自分の潰した二台、安芸が狙撃した三台、そして峰岡の擱坐させた二台、そのいずれもがコールド・モーターを積んだ車だった。  残る一台は相変わらず輸送車の谷間で走っているが、そこからはホットの熱も、音も伝わっては来ない。  「畜生……またダミーかよ」  舌打ちしながら、木津は脇のレバーへと手を伸ばす。  追尾していたキッズ1は朱雀へと変形し、速度に乗って右側を走るコンテナの上に飛び乗ると、腹這いになって残りの一台に一発撃ち込む。が、その一撃は路面に小径のしかし深い穴を開けただけだった。残党は木津の攻撃を察していたかのように急に後進を、次いでスピン・ターンをかけ、全速と思しき速度で一目散に逃げて行く。  「何だありゃ?」  と後ろを振り向く朱雀の機体が、いきなりコンテナの上で跳ね上がる。  「誰だ! いきなりこいつの足を止めたのは? お茶くみかぁ?」  「峰岡ですぅ!」  それをよそに、安芸はそうでないことを見て取った。  二台の輸送車が同時に急停車したのだ。  だが、それきり動きはない。  峰岡も乗機を青龍に変形させ、警戒の態勢を採る。  安芸の青龍が、拳銃でも構えるかのように左腕を上げながら、もう一台の輸送車の運転台に近付き、中を覗く。  「ドライバーがいない?」  その声と同時に、木津は自分が乗っているコンテナの中に、かすかに、重い金属音を聞いた。それが摺動音へと変わった時、本能的に木津はコンテナから飛び降りた。  その直後、コンテナの天井をぶち抜いて、火柱が上がった。      炎の色は、画面を見つめる久我の頬を染め、阿久津と結城を瞬かせた。  「何だ……?」  「爆発じゃない、これは砲撃だ」と、跳び退りながら安芸。  峰岡が火柱の上がったコンテナめがけて連射する。鈍い音をたててわずかに亀裂の入った外壁から、何かが動く気配が感じられる。  天井の破孔から漏れ出す摺動音とモーター音は、音量を徐々に高めてくる。  だしぬけに、両方のコンテナが、ゲートを全開した。  「こいつは!」  Chase 06 − 握られた手  まるで破裂でもしたかのような音響と勢いとを伴って、コンテナのゲートが上下に、裂けるが如くに開いた。  「こいつは!」  重い擦動音がコンテナの中で反響する。それと共に飛び出してきたカーキ・グリーンの無骨な機体。それはWフォームのVCDVに似て見えたが、しかし装甲車然とした台車の上に起き上がった上体の分厚さは、憎々しげにさえ見える。その上、生えるように突き出している、両肩の長大な砲身。さらに両腕の先にも、手の代わりに砲口。両肩の間にのめり込んだ頭のようなてっぺんの盛り上がりを取り巻いて、鈍く光る電光。  その一つがかっと輝くと、そいつは走りながら手近な峰岡の青龍に最初の一撃を浴びせる。  横様に跳ね飛んで避ける青龍。  「ワーカー?」  左腕を上げた警戒の姿勢を崩さずに安芸。  「何だそれ?」  「重作業車両です。重工場のラインや輸送現場なんかで使ってる」  説明も言い終えないうちに、今度はもう一両が安芸の足元に一連射。  青龍は後ろに跳び退りながら、応じて衝撃波銃を放つ。  「ああ、この前どこだかを襲いに行ったって奴か」  「それを改造したんでしょう……でもワーカーより速い!」  その言葉通り、そいつは安芸の銃撃を体をかわして避けた。  「それに、前回はあんなに重武装じゃなかったです」  そう言いながら、安芸はさらにコンテナの上に跳び上がり、銃の収束率を上げて、近い方の一両を撃つ。  太い金属の振動音が響く。だがそれだけだった。ワーカーもどきの走る砲台は、何のダメージを受けた様子もない。それどころか、逆に両腕の砲を安芸に向けぶっ放す。  横っ飛びに隣のコンテナの上に飛び移った青龍を、砲弾の炸裂する爆風が襲う。  そこを狙おうとしたもう一両に、今度は木津の一発が命中する。  「やったか?」  いや、その一発は狙いを朱雀に変えさせただけだった。両腕と両肩の四門が朱雀に向かって火を吹いた。  後ろに飛び退いた朱雀は、だが爆風をまともに喰らって吹き飛ばされる。  「木津さん!」  「こっ……の野郎!」  うつぶせに倒れた朱雀を起こすより先に、木津は衝撃波銃の収束率と出力とを最大に上げた。  トリガーを引く。  連射。  鈍い金属の振動音が続けて響く。  「これでどうだ!」  その言葉に続いたのは、木津の舌打ちと峰岡の嘆声だった。  二人の目に映る敵は、何事もなかったかのように、再び両肩の砲の照準を朱雀に向けようとしていた。  「……びくともしないとは」  結城が乾いた唇を舐めながら、誰に言うでもなくつぶやく。  「すごい装甲ですね。衝撃波銃なんかじゃまるで歯が立たない。衝撃を受け流すような構造なんでしょうか? それとも銃の威力の方が不足なんですか?」  しかしそれに耳を貸す様子もなく、そして何の表情も表わさないままに、久我はスクリーンを凝視する。  久我の背中に落とした視線を再び映像へ向け直すと、結城はさらに続ける。  「銃と言えば、火力も普通じゃない。これはなかなか厳しいですね」  久我の椅子が少し軋った。  阿久津が腕を組む。  スクリーンの中に、また火柱が上がる。  立ち上がった火柱の間を縫って、キッズ1が高速で走り抜ける。  その跡を追って縫うように銃弾が撥ね、路面に転がる。  「木津さん!」  木津を援護する峰岡の青龍の銃撃。  「本体を狙うな! 足元だ!」  声を飛ばしながら、安芸も自ら撃ち続ける。  「分かってるけど!」  コクピットの中でほとんど暴れまわらんばかりの峰岡。  青龍が激しく動き、敵の照準を撹乱する。  「埒があかねぇぞ、これじゃ」と木津。  と、その前方には空のコンテナが。  後方モニターに視線を走らせる。敵の片方が峰岡の牽制をかわしながら追って来る。  いけるか?  「コンテナの間に追い込め!」  木津の指示が飛ぶ。  「挟み撃ちだ!」  そう言うと、木津自らが二つのコンテナの狭い谷間にキッズ1を躍らせる。  再びモニター。敵は照準を合わせようとしてか、砲撃を止めたまま、誘い通り真っ直ぐにキッズ1を追って来る。  その後ろに、青龍から戻した峰岡のWフォームが食いつく。  その峰岡を追おうとするもう一両の武装ワーカーの足元に、安芸の青龍が一発二発と衝撃波を叩き込む。  「進ちゃん、そこでしっかり足留めしといてくれよ!」  そう言いながら、木津はハンドルとペダルを、そして変形レバーを一気に動かす。  スピン・ターンの回転の中から、竜巻が上がるように朱雀が立ち上がり、間髪を入れずにその真紅のボディが鉛色の空に跳ぶ。  「足だお茶くみ! 撃て!」  「はいっ!」  朱雀と青龍から同時に放たれた衝撃波は、敵の頭と台車を前後から捉えた。  強靭な装甲はそれをまともに受けた。表面を鈍い共鳴が伝う。その響きは木津の、峰岡の耳にも届いた。そして敵が地面に仰向けに倒れる重い音も。  前後から叩き込んだぶっ違いの衝撃波は、重たげな敵のバランスをそれでも崩すことに成功したのだった。  「やったぁ!」思わず叫ぶ峰岡。  着地した朱雀が左腕を射撃体制に構えながら屈み込む。  「まだはしゃぐなよ」と木津。「コケただけだぜ」  だが敵は動かない。肩の砲身もほとんど垂直に天を向いたままだ。  両腕も、倒れた時の反動でか、わずかに上を向いたまま横に伸びている。  確かに足は留めている。  が、それが精一杯だ。  安芸の青龍は、既に外装にいくつかの弾痕を留めている。  一方相手は、少なくとも装甲には何の損傷も負ってはいないようだ。  向こうのドライバーも、乗機同様平然と亘り合っているのだろうか。鼻の下にたまる汗を無意識に舐めながら安芸は思う。  青龍が動く。  相手の眼、あの電光は遅れることなくそれを捉えて動く。だが撃ってはこない。  向こうは実体弾だ、搭載量に限りがある。それを気にしているのだろうか。これまでにどの程度ばらまいてくれたか。  そして、こちらのバッテリーと、どちらが先に底を尽くか……  「仁さん、まだですか……」  コクピットで安芸がそうつぶやいた時、背後で猛烈な爆発音が轟いた。  敵を前にしていることも忘れて、思わず安芸は振り返る。  すかさず敵から銃弾が放たれ、一発が青龍の右肩を貫く。  そのショックの中で、安芸は見た。二つのコンテナが爆炎を上げるのを。  K−1とM−1の画面が乱れ、映像が途絶えた。  結城と阿久津が思わず声をあげる。  久我は動かない。かすかに反応を示したその細い指先以外は。  「大丈夫なんですか?」  問いかける結城を阿久津が横目でにらむ。VCDVの装甲の性能を知り抜いている自分に聞くな、と言わんばかりに。  答えの代わりに久我がマイクに向かって、落ち着いた声で呼びかける。  「キッズ1、マース1、聞こえていたら応答しなさい」  答えはない。  久我はもう一度繰り返す。  やはり応答なし。  結城が口を開きかける。が、阿久津のきつい視線を感じて、何も言わずにそのまま口を閉じ、画面に目を戻した。  M−3からの映像はまだ生きている。それは炎上するコンテナを背にして立ちはだかる敵の姿を伝えてきている。  「マース3、安芸、聞こえますか?」  「はい」と、かすれ気味の声が返る。  「キッズ1およびマース1の状況を掌握しなさい、急いで」  「は、はい」  「しかし」と、結城の声が割り込む。「簡単には近付けてくれそうにありませんね、あいつは」  「あんたな……!」  声をあげる阿久津を、腰掛けたまま振り返った久我が制した。  「結城さん、出動したいお気持ちは分かります。しかし、シミュレートが終了していないうちは、命を下すことは出来ません」  阿久津がうなずいたのは、久我が何を念頭において言ったのかが分かったからだろう。  黙り込む結城に、久我は続けた。  「それに、まだ……」  「おっ」  という阿久津の声に、それは途切れた。  振り向き直した久我は、M−3のスクリーンを見た。そして、言った。  「安芸は活路を見出したようですね」  「……助かった、まだ変形機能まではやられていなかったか」  全速で後進するマース3のコクピットで、相手からは目を離さず安芸はつぶやく。  敵の砲身が徐ろにこちらに向けられるのが見える。  来るか?  ハンドルを切る安芸。  マース3が激しく蛇行する。  だが砲火は見えない。  と、武装ワーカーはくるりと踵を返すと、コンテナの方へ向かって速度を上げた。  「行くか!」  安芸は前進に切り替え、ペダルを床まで踏み込んだ。瞬く間に計器類が大きな反応を示す。グリーンの灯火がオレンジに。  全速だ。  武装ワーカーと逆の側からコンテナへ向かい、叫ぶ。  「仁さん! 峰さん!」  答えはない。  敵を牽制しながら、安芸はコンテナの状態を伺う。  立ち上がった火柱は今やコンテナ全体に回り、いや、それどころか二つのコンテナが大きな一つの火の玉となって轟々と燃え上がっている。  敵の姿はその炎の向こう側に入って、見えない。  そして朱雀と青龍の姿も。  コンテナの手前でマース3は急制動しつつ青龍へ変形する。その足先が路面との摩擦で火花を散らす。  と、炎の巻き上げる気流が青龍の機体をあおる。  「くっ……」  安芸は左腕を射撃態勢にしてジャンプ。しかしコンテナの谷間までは見渡せない。が、代わりに向こうからの砲撃もなかった。  次は狙ってくる。迂闊には跳べまい。  さあ、どうする……? 火の中に飛び込むか? だが機体は保つのか?  「Rフォームで、短時間ならいけるか」  つぶやいた安芸の手が変形レバーに掛けられた。耳の奥にかすかなノイズが入る。  えっ?  「仁さん? 峰さん?」  返事がない代わりに、そのノイズは次第に鮮明になり始めた。  安芸の手が動く。  走り出したマース3が輸送車の運転台に鼻先を向ける。  そしてペダルが踏まれた。  安芸がもう一両のワーカーをくい止めている間、コンテナの谷間で、転倒させた武装ワーカーを挟んで、朱雀と青龍はなお警戒姿勢をとっていた。  ワーカーは動かなかった。  「……のびたかな?」  屈んだまま、朱雀が少しずつワーカーとの距離を詰めた。  一方の青龍は左腕をワーカーに向けたままで、その横たわった頭部から少し遠ざかった位置にいた。  ワーカーの眼はもう光ってはいなかった。  それに気付いて、峰岡は木津に教えた。  「もう見えてないんでしょうか?」  「かも知れんがな。モーターも止まってるらしいし」と言う木津の朱雀は、ワーカーのすぐそばまで近付いていた。  「もしもーし、起きてますかー?」  聞いた峰岡が吹き出した。  「ちょっ……と、こんな時にやめてくださいよ木津さん」  調子に乗って、木津は相手の機体をノックしようと朱雀の右手を伸ばした。  その時、木津が舌打ちをすると叫んだ。  「生きてやがる!」  突然ワーカーの機体の中で、モーターの音が始まった。左端の眼が光った。  息を呑んだ峰岡。  「お茶くみ! 飛び退け!」  だが木津の声よりも、両方のコンテナに向いていたワーカーの両手の砲口が火を吹く方が早かった。  その直後だった、両脇のコンテナから轟音と爆炎が上がったのは。  コンテナの天井から火柱が上がった。だがそれだけではなかった。その両の側壁、ワーカーの砲弾が撃ち抜いた穴からも爆風が、次いで炎が吹き出した。  左右から強烈な風圧を喰らって、直立していた青龍がよろけた。  屈んでいた朱雀は爆風に耐えながら、なおも撃ち続ける武装ワーカーの片腕に衝撃波銃を向け、放った。  重たげな、そして砲撃のために半ば焼けたように変色したその腕は、砲弾を吐き続けながらコンテナの後方へと押しやられた。弾は次々とコンテナの壁面をぶち抜き、破孔からは次々と炎が現れた。  「こいつら、一緒に爆弾まで積んで来てやがったのか!」  その間に体勢を立て直した峰岡の青龍が、両脚を開き気味にして踏ん張ると、ワーカーのもう一方の腕を上から狙い撃った。  衝撃波を受けて砲口は下に向き、砲弾でしばらく地面を掘り返してから沈黙した。  「回避しましょう!」  と言う峰岡の声が、新たな爆発音でかき消された。青龍がいきなりバランスを崩し、横様に路面に倒れ込んだ。  「どうした?」  「脚が、急に曲がって」  「立てるか?」  と問いながら青龍に近付こうとする朱雀の足下で、武装ワーカーがなおも肩の砲身を動かそうと、モーターの回転を上げた。  「邪魔だこの野郎!」  横を回り込んで来た朱雀の足が、ワーカーの頭を踏み潰した。  散乱するワーカーの眼の破片を気にも留めず、木津は青龍の左脚を見た。  何かがぶつかったような跡を留めて、膝が横に折れ曲がっていた。  青龍は立ち上がろうとしたが、膝の自由が利かなかった。辛うじて仰向けになるのがやっとだった。  火がコンテナの両端へ回り、谷間の出口を塞ぎつつあった。それを見ながら木津。  「変形は出来るか?」  「やってみます……」  しかし青龍は動かなかった。  「駄目です、変わりません!」  そう言う峰岡の声は、半ば泣き声のようにさえ聞こえた。  「ジョイントが動かないんで、セフティ・ロックがかかったか」  つぶやくと木津はマイクに向かって声を張り上げた。  「阿久っつぁん! ロックの解除は出来ないのか?」  聞こえるのはノイズだけだった。今や上を覆うまでになった炎のために、通信障害が起きているのだった。  「くっそ……」  「どうしよう……」  蚊の泣くような峰岡の声を、木津は聞き逃さなかった。  「らしくねーぞ、お茶くみ。この手があるだろうが」  木津の手がレバーに伸び、朱雀がキッズ1に変形した。  「うつぶせに乗っかれ」  「はい!」  答える峰岡の見開かれた眼は、一転して輝きを帯びた。  「ぶっ倒れて潰してくれるなよ」  「はい」  青龍は機体に衝撃を与えないように緩やかに寝返りを打つと、両手と動く右脚とで、ゆっくりとキッズ1の上に覆い被さった。  「いいか? しっかりつかまってろよ」  その言葉と同時に、背後の炎の壁を貫いて砲弾が現れ、青龍の背中をかすめて行く。  「進ちゃん、突破されたか?」  「安芸君が?」  「お前は自分の心配してろ! 行くぞ!」  そしてペダルが踏まれた。  加速度の中で安芸は見た。炎を突き破って、青龍を載せたキッズ1が、自分の真っ正面に飛び出してくるのを。  後進全速、転舵、そしてブレーキ。そして呑んだ息と一緒に声をあげる。  「無事ですか?!」  同じく急転舵したキッズ1の上から、青龍の脚が振り落とされる。  「無事じゃな〜いっ!」  峰岡の声はまたいつもの弾けた調子を取り戻している。  「脚をやられてる。変形が利かないんだ」と木津。「敵は? 抜けられたか?」  「すみません」  「来ましたっ!」  峰岡の叫びに、木津が、安芸が振り向く。  なおも盛んに爆発と炎上を繰り返すコンテナを挟んで間合いを取り、カーキ・グリーンの醜い塊が姿を見せた。  「お茶くみは伏せてろ。進ちゃん、奴の後ろへ回り込め。俺は正面から行く。俺が跳んだら奴の頭にぶち込め。いいな?」  「了解」  そこへワーカーが肩の砲を撃ってきた。狙いは甘くはなかった。三人を挟んで前後に着弾。舗装をめくり上げ、横たわった青龍の背と二台の上とに破片を降らせる。  「いきなり夾叉か」  「急げ進ちゃん!」  マース3が急発進する。次いでキッズ1がワーカーの前に飛び出し、朱雀に変形。左腕の照準を真っ直ぐ敵へと定める。  敵は動かない。発砲もしない。ただ眼が前と後ろで交互に鈍く光る。  マース3が完全に敵の背後に回り込み、Wフォームで待機する。  「こいつ……」  木津の舌が唇を舐める。  「構わん! 突っ込め!」  朱雀が走る。Wフォームのマース3が走る。敵は動かない。距離が詰まる。  朱雀が跳んだ。木津の指がトリガーを引く。  その時だった、敵の四門の砲全てが、舞い上がった朱雀にではなく、その後方で横たわった青龍に向けて火を吹いたのは。  「しまった!」  「峰さん!」  砲弾は、だが青龍を捉える前に空中で一気に炸裂した。  爆煙を通して、左腕をこちらに向けた青龍の姿が見える。峰岡が咄嗟に衝撃波銃を放ったのだった。  ワーカーの頭上を飛び越して、朱雀は着地するや否や振り返る。  ワーカーは衝撃波を浴びたが、倒れない。自分の砲撃をかわされたのを見て取ってか、青龍へ向けて全速で突っ込む。  木津が、安芸が追う。  ワーカーの後ろの眼が光る。左腕が後方に振られ、火を吹く。  安芸は横に車体を振り、木津はRフォームに戻して回避。  向こうからは峰岡が衝撃波銃を撃ち続ける。受けるワーカーの装甲が立てる鈍い音。それがいきなり止む。  蒼ざめる峰岡。そのヘルメットのバイザーには、バッテリーの容量を警告する赤い明滅が映り込んでいた。  ワーカーが迫る。峰岡を踏み潰さんばかりに猛然と。そして、焼鉄色に縁取られた暗黒の四つの砲口全てが青龍に向けられた。  峰岡は思わず眼を閉じた。  次に峰岡の体を襲ったのは、砲弾の爆発とは違う、機体が横に振られる感覚だった。そして木津の声。  「……っの野郎おぉぉ!」  朱雀が伸ばされていた青龍の左手をつかみ、その機体を横に引きずってワーカーの進路から外した。そして代わりに自らワーカーに向き合った。  その赤い痩躯が舞い上がる。  ワーカーは狙いを変えた。  だが砲が火を吹く前に、朱雀の足がワーカーの頭にのめり込んだ。そのまま走り続けるワーカーを蹴って、再び朱雀は宙に舞う。  「進ちゃん撃て!」  言いながら木津自らもトリガーを引く。  前後からの衝撃波が、ワーカーを再び捉えた。自らの速度と相俟って、ワーカーは前のめりに倒れる。安芸の放った後ろからの衝撃波になぎ倒された肩の砲身が、倒れ込む機体の重さを受けて地面に突き刺さる。  ワーカーの動きは完全に止まった。  「やった!」  安芸の声も聞こえなかったか、朱雀は倒れたままの青龍に駆け寄る。  「お茶くみ! 大丈夫か?」  答えも待たず、キッズ1に戻すとヘルメットをかなぐり捨てて飛び降りた木津は、緊急用のハッチを開き、中のフックを力任せに引っ張る。  コクピットのハッチが開いた。  中で峰岡は計器板に突っ伏したまま、肩で大きく息をしていた。  「お茶くみ!」  木津の大声に、峰岡がはっとしたように頭を上げる。その眼が木津を見た。  「怪我はないか?」  無言でうなずく峰岡。乾いたその唇が、絞り出すようなかすれた声を漏らした。  「……怖かった……」  何かを探るように伸ばされた手を、木津は両手で握った。  「もう大丈夫だ。終わったよ」  そう言うと、峰岡のヘルメットのバイザーを上げてやる。  と、そこから安芸の問いが聞こえた。  「仁さん? 峰さんは?」  木津は峰岡のマイク越しに返事をした。  「安心しろ。無事だぜ」  「了解、報告します」  結城はスクリーンから目を離すと、天井を仰いで大きく息を吐いた。  「……すごい」  久我はその様子にわずかに目をやっただけで、すぐに状況の保持と撤収の指示を下した。  阿久津はそれを聞くと、そそくさと部屋を出ていった。きっとテストドライバー仁ちゃんから山ほども改修の要求が出て来るに違いない。しかし、全員が無事とは重畳だ。  翌朝、久我の執務室。  MISSESの出動後には必ずその結果の資料が提出されることにはなっているのだが、その資料が、今日はいつもの倍になんなんとする量もあった。  いつも通りの状況検証資料、VCDVの走行記録に加え、阿久津の予想通り、木津がVCDVの改修要求を突き付けてきたのだった。  そのページを繰りながら、久我は昨日の木津の言葉を思い出していた。  開口一番、木津が言った。  「こいつぁ、立派に戦闘だぜ」  口を開きかけた久我には何も言わせず、興奮気味の口調でさらに木津は続けた。  「見てたろうけど、真寿美なんか危ないところだった。連中が何を考えてここまでやってくるんだか知らんけどな、こりゃ戦闘以外の何もんでもないだろ。朱雀も青龍も、バラ弾撒いて喜んでるぱーぷーの相手ならお釣りが来るけど、今回みたいなのが続いたら保証できないぜ。奴が本腰を入れてきたら、こんなもんじゃ済まないんだろうがな」  向こうを脚のふらつく峰岡が両脇を支えられながら運ばれていった。  その後ろ姿を見送ると、木津は久我に向き直り、続けた。  「このままで『ホット』と亘り合うのは、はっきり言わせてもらえば無理だ。阿久っつぁんにもそう言っといてくれ」  久我はいつも通りの調子で応える。  「では、実戦を経験したテストドライバーの目から見た、改修を要する点をレポートしてください。阿久津主管にはこちらから提示します」  「レポート書きもテストドライバーの仕事ってわけか?」  「その通りです」  木津は肩をすくめた。  「ま、いいだろ。あんたのその冷静さには時々腹が立つけど」  ノックの音。  「はい?」と峰岡。  「仁ちゃんだよぉ〜ん」  峰岡は顔がほころばせ、ドアを開けに行く。  「おいおい、もう起きてていいんか?」と入ってくるなり木津が問う。  「はい、もう大丈夫です」  「そりゃよかった。元気印がいないとなんだか周りが静かでさ。そうそう、青龍の改修の話は、久我のおばさんに分厚いレポート出しといたよ」  「またおばさんなんて……」  そう言う峰岡が、胸の前で手をもう片方の手で包み込むようにしているのに木津は気付いた。  「どうした? 痛めてたか?」  「え?」  「その手さ」  「いえ、何でもないんです」  「そうか。てっきりあの時俺が握り潰したかと思ったよ」  「そんなことないですってぇ。ほらぁ」  峰岡が差し出した手を、木津は握り、大げさに振ってみた。  「ほんとだ。大丈夫だな」  と放そうとした手に、峰岡の指が絡んだ。  ふと顔を上げた木津は、首を垂れた峰岡の項が見えた。そしてその声が。  「本当に、本当に、ありがとうございます……仁さん」  Chase 07 − 荒らされた部屋  インタホンを通して、今ではすっかりおなじみになった声が聞こえる。  「阿久っつぁんいるかい?」  阿久津が直々にドアを開けに行った。  「仁ちゃん、来たか」  「呼ばれちゃ来ないわけにもいくまいに」  「そりゃそうだ」  相槌を打ちながら、阿久津は木津に作業台の脇の椅子を勧める。  「コーヒー?」  「ああ、薄いのをたっぷり」  腰掛けた木津の前に、阿久津は資料の束を投げてよこす。  前回の出動、木津に言わせれば「戦闘」から一週間近くが過ぎようとしていた。  「どの程度汲んでもらえたかね?」と木津が問う。  自分の分のコーヒーをすすってから、阿久津は鼻の頭を掻いた。  「お主の書いてきたほとんどのところは容れさせてもらったつもりだよ。正直な話、開発主管としては汗顔の至りなんだが、青龍にせよ朱雀にせよ、『戦闘』に使うことは全く念頭には上せなんだ。まぁ、元の触れ込みが刑事捜査支援車両だってこともあるんだが」  運ばれてきた特大のカップを木津は口に運ぶ。喉が大きくごくりと鳴る。  「でも実際には『戦闘』だってこなさなきゃならないってことが分かったからな、『ホット』を相手にする以上は」  そこで言葉を切ってコーヒーをもう一口。  「で、どの程度かかるって?」  「もう一週間。ただし突貫工事」  「ひゃ……留守中はどうすんだ?」  「お主の足なら、最初ここに来た時に乗ってたボロ車が修理出来とるが?」  木津はふざけ半分に阿久津に白い目を向けて見せる。それを受けた阿久津はにやりとしてから、  「青龍の予備機が二台ある。それで穴埋めをしてもらって、改修は順繰りにやっていくしかなかろう」  「朱雀の穴は? そう言えばもう一台作ってんだろ?」  「お主の運転の実績と今回の改修を容れたら、進捗が半分くらい後退したよ」  木津は肩をすくめる。  「仕方なかろう。部分部分の改修だけじゃ済まんのだよ。つぎはぎで改修なんかしてた日にゃ、いつか必ずバランスを崩す。そういうもんだ」  「……聞いたことがあるな、そんな話」  そこで阿久津がにやりと笑った。  「しかしな、久我ディレクターは、S−ZCを最優先で改修しろ、と言ってきたよ」  「人をこき使う気だな、あのおばさん」  笑いながらカップの底に残ったコーヒーを一気に空けると、阿久津はおかわりを注ぎに立った。  「当局から来た、例の結城ちゅう御仁も、トレーニングは済んだらしいな」  「へぇ。腕はどうなんだ?」  「そこまでは聞いとらんが、さして悪い話も入っては来んなぁ。個人的にゃあちと虫が好かんがな」  「そりゃあ俺ん時だってそうだっただろ?」と、にやにや笑いながら木津。「んでもって、後でころっと態度が変わるんだ」  「それを言うなや」  困った顔になる阿久津を見て、木津は声を上げて笑い、そしてさっきの資料を取り上げると尋ねる。  「で、わざわざ呼びつけたのは? こいつの話だけじゃあるまい?」  阿久津の顔も仕事の表情を取り戻す。  「全然関係ないという話でもないがな」  「てぇと?」  「この改修に絡むデータ採りをしたいと思っとるんだ。で、テストドライバーのお主に操縦を頼みたいというわけでな」  「何だ、そういうことかい。お安いご用じゃないか」  「その間、S−ZCは優先的にいじらせてもらうよ」  「了解。んで、どのぐらいかかる?」  「三日程度の予定だが」  「三日ね」  地下駐車場。  修理の成った、だがまた直ぐに工場へ戻される予定のマース2・S−RYのコクピットに、くしゃみこそしてはいないものの、噂に上った結城の姿があった。  ごく薄いマニュアルを片手に、計器板の隅から隅までをそれと照らし合わせるかのように矯めつ眇めつ見つめ、スイッチの一つ一つを指で確認している。  「こうして見ると、確かに造り込みは細かいな……あまり過ぎるのも危険ではあるが」  その手が変形レバーの上へと動く。グリップが握られる。が、そこで止まった。  「さすがにここで変形させるわけにはいかないか」  で、レバーの遊びを軽く揺すぶるだけにして、さらに結城は計器板のチェックを続けた。スイッチ、メーター、警告灯。  長いことそんな動作を続けてから、最後に結城の指は計器板右下の小さなボタンを押した。その横のスロットから小さな、ほとんどスティックと言ってもいいカードが飛び出した。つや消しの銀色の地に青のストライプが三本入っている。S−RYのキー・カードだった。  結城はそれを抜き取ると、ドアを開いて車外に降り立った。  照明の光は、ボディの深い青の上に白い筋を何本も描いている。  結城はその上を人差し指でゆっくりとなぞった。素材の温度が伝わってくる。  同じようにゆっくりと、今度は立ったりしゃがんだりしながら車体を眺め始めた。  「なるほど……可動部分は完全にカバーされるということか。この状態でならいいが、Mフォームではやはり可動部分が弱点だな。重点的に改修されるはずだ」  そこに  「あれ?」  と声が掛かる。  「結城さんじゃないですか?」  顔を上げる結城に向かって近付いてくる、事務服姿の男がいた。  「あ、安芸さん、でしたか?」  「そうです。ご精が出ますね」  「やはり任される車両についてはしっかり見ておきませんと」  安芸は静かに微笑むと、尋ねた。  「シミュレーションが終わられたそうですね。感触はどうでしたか?」  結城は微笑だにせず応える。  「操作は自信を持って出来そうです。しかし、前回のような強力な兵力を相手にするとなると、不安でないとは言えませんね。みなさんのようにうまく立ち回れるか」  「うまくやろうと思っているわけじゃありません」と、表情は変えないままに安芸が言う。「必死なだけです。でも、あれだけ苦戦したのは、この前の出動が初めてでしたよ」  結城が怪訝そうな顔をする。  それを見て、安芸は傍らのS−RYに視線を落とした。  「あれだけの重火器を積んできた相手は初めてだったんです。これまで対応してきた武装暴走車なんか、あれに比べればかわいいもんでしたよ」  「そうなんですか……ほっとしましたよ。毎回あんな乱戦なのかと思って」  それから結城は、久我ディレクターに前回の映像を見せられる前に、これをあなたに求めていると言われたことを付け加えた。  安芸は再び笑うと言う。  「それは運が悪かったですね。木津さんも最初同じことを言われたそうですが、その時はやはり武装暴走車の対応でしたからね。ああ、でもその時小松さんが重傷だったか」  「このマース2のドライバーだった?」  「そうです。有炸薬実体弾の直撃を受けたんです」  思わず結城は頭を掻いた。まいったな、と言わんばかりの表情で。  「あちらでは」と逆に安芸が尋ねる。「高速機動隊にいらしたんでしたね?」  「なので、訓練はしていても、実際に銃器を使う機会はなかったんです」  「そうですか。でもトレーニングでの成績は優秀だったと聞いていますよ」  結城の視線がS−RYへと流れた。  「お邪魔したようですね、すみません」と安芸。  「いいえ……安芸さんは何をしに見えたんですか?」  「研究所の本職の方で、こちらに置いてある預かりの車両に用があったものですから」  木津は今度はディレクターの執務室で、ウルトラ・エスプレッソのカップと久我を前に座っていた。  阿久津からの依頼の話は予め耳に入っていたのか、木津からそれを聞いた久我は、まずは黙ってうなずくと、よろしくお願いしますと言った。  「それはそうと」と、木津が改めて口を切る。「ものは相談なんけどさ」  久我は黙ったまま次の言葉を待っている。  「阿久っつぁんの件が済んだら、一、二日帰って部屋を片付けて来たいなんて思ってるんだけど、お許し頂けますでしょうかね?」  「そうですね、もう二ヶ月もここに詰めたままになりますし」と、カレンダーも見ずに久我。よく覚えている。  「大丈夫そうかね?」  「出動の体制ですか? S−ZCは改修作業に入っていますし、とりあえずは安芸、結城の両名で対応できるでしょう」  「二人でか。しかも一人は新参で」  「状況によっては峰岡をサポートに付けることも当然あり得ます」  「大丈夫なんかいな?」と、木津はその峰岡が運んできたエスプレッソのカップを手に取る。「怪我はなかったにしてもさ」  「もしもの場合はあなたにも連絡を入れますので」平然と久我が言う。「ただ、木津さん、あなたはS−RYはお使いになったことがありませんね」  「確かにないけど、乗るのにいちいち調整が必要なもんかね?」  「調整とは厳密に言うと少し違いますが、キー・カードへの書き込みがあります。メイン・キー・カードの場合、同一車種であっても互換性はありませんから」  「そりゃそうだ、互換性なんかあった日にゃキーにならん」と木津の茶々。「でも、書き込んであるのはシートとかハンドルとかの位置だけじゃないのか?」  「学習データの呼び出しもさせています」  「物覚えのいい車なわけだ」  「なので、あなたにS−RYをお使いいただくためには多少の準備作業が発生します。それよりはむしろ」  「朱雀の改修を最優先にした方が効率がいいってわけか」  久我の眉間にかすかに縦皺が寄る。が、何ごともなかったかのように「S−ZCの改修をですね」  どういうわけでこの女は通称で呼ぶのを嫌うんだろう。そこまでお堅くなくてもいいと思うんだが。しかしそう思っただけで、木津は言葉にはしなかった。  「それでもあと一週間はかかるって阿久っつぁんは言ってたな」そう言うとウルトラ・エスプレッソをむせることなく飲み干し、木津は続ける。「その間、『ホット』にはおとなしくお休みいただけてりゃいいけどな」  「そうですね」  平然と久我は答え、自分のカップを口に運んだ。  木津はまた肩をすくめ、訊いた。  「それじゃ、週末にいっぺん帰らせてもらうわ。いいか?」  「承知しました。峰岡にはその旨は予めお伝えおきください」  腰を浮かせた木津はにやりとする。  「真寿美がさびしがるってか?」  久我は例によって例の如く表情の一つも変えないままで、  「事務上の必要がありますので」  立ち上がった木津はそのまま天井を見上げて、あーあと声混じりのため息を吐いた。  木津から話を聞いた峰岡は、上司とは全く違った調子で、  「それじゃ、お帰りは週明けですね。それまでの間にこちらで何かしておくことはないですか?」  木津は分かり切った答えを出すのに、腕を組んで、少し考える素振りを見せる。  「別にないかなぁ」  「そうですか……」  少し気抜けしたような峰岡の表情を見て、  「んじゃ、俺のパンツでも洗っとく?」  半ば微笑んだまま口をへの字に曲げて峰岡が、  「今は遠慮しておきます」  その顔をじっと見つめる木津。それがぷっと吹き出した。  「本気にするなって」  「だって木津さんの場合、本気で言わないとも限らないから」  「……『木津さん』?」  あ、という感じで峰岡は目を丸くし、口に手をやる。  「……仁さん」  「はい正解」  再び微笑んだ峰岡の頬がふと固まる。  「仁さん」  「ん?」  「帰っても、パンツ洗ってくれる人、いないんですか?」  「まじめな顔でそーゆーこと訊くかね?」  赤くなる峰岡を見ながら木津は答える。  「自分で洗ってますよ、こーやってごしごしって」  腰を入れて洗濯の仕草をして見せるその姿に、今度は峰岡が吹き出した。  笑いがなかなか収まりそうもないのを見て、木津はもう一度ちょっかいを出そうとしたが、小突く真似をするだけにして言った。  「それじゃ、留守中はよろしく頼むわ。お客さんも何もないといいな」  踵を返す木津を、まだ半分笑いながら峰岡は呼び止める。  「これを阿久津主管から預かってます」  峰岡のスカートのポケットから取り出されたのは、ここに来る時乗ってきたあのポンコツのキー・カードだった。  「修理は終わってるそうです」と言いながらキーを差し出す峰岡の頬が少し赤くなっていた。きっとそのポンコツをつぶしたことを思い出したらしい。「本当に、あの時はすみませんでした」  「あ?……ああ、すっかり忘れてたよ。阿久っつぁんとこで修理したんだっけ。どこまで手を入れてくれたかな」  出された木津の手にキー・カードが渡される。それには峰岡の体温が残っていた。  ふと木津の視線が手のひらに落とされる。が、その顔はすぐに上がり、  「ありがとう。それじゃ、あとよろしく」  久し振りに腰をおろす愛車のシートは、何となく尻の落ち着きが悪かった。それだけS−ZCのシートになじんでしまっている自分を木津は感じた。  キー・カードをスロットに挿し込み、スタータのボタンを押す。と、全く予期していなかったスムーズさでモーターが回り始める。  「ありゃ……ユニット載せ変えたんか。サービスいいねぇ、阿久っつぁん」  一通り計器盤に眼を通すと、木津は少しだけ爪先を動かす。やはり今までとは違い、反応は機敏だ。  「けど、こいつは朱雀じゃないからな、お忘れなきように、仁ちゃん」  独り言の通り、思い切りペダルを踏み込んでも加速はS−ZCには遥かに及ばないが、それでも滑らかにかつてのポンコツは地下駐車場を後にした。  またS−RYを見に来た結城が、それを目にした。  「あれは……木津仁?」  車は工場地区を抜け、緩衝地帯を中継にする二本の長い橋を渡ると、都市区域に入っていった。  週末の夕刻、久し振りに乗り入れる繁華街は結構な賑わい振りを見せていた。四、五人で連れ立った学生風、聞こえはしないがきっと大声で駄弁りながらショーウィンドウを眺めて歩く奥様のペア、ろくに前も見ずに手をつないで歩く若い男女。  こんな風に歩いている誰にしても、「ホット」のような物騒な存在など知る由もないのだろう。木津は燃え尽きかけた煙草をもみ消すと、スロットル・ペダルを踏み込んだ。  「知らない方が幸せさね、何の係わり合いもなけりゃ」  交差点を曲がる。なおも賑わいは続いている。ショー・ルーム、ファスト・フード・スタンド、喫茶店……  木津はわずかに目をくれただけだった。  「とりあえず俺にゃもう関係ないしな」  メインの通りから分岐する路地を折れ、いくつかの角を曲がりながら、しばらく車を進める。見えてきた。潰れもせずに、ボロアパートは立っていた。  脇の駐車場に車を滑り込ませる。降り立ってみると、周囲の車は二ヶ月前と全く変わった様子がない。半分が空室のこんなアパートでは、住人の出入りも別にないらしい。  玄関を通ると、これも相変わらず管理人の姿がない。木津は急に現実に引き戻されたような気がした。二ヶ月経っても何も変わっていないこんな情景の中に戻ってみると、武装暴走車やら武装ワーカーやらも、青龍や朱雀も、そしてあの死に物狂いの攻防でさえ実感が薄れてくる。  それほどまでにいつもと変わりなくエレベータのドアは開き、廊下は続き、部屋のドアは木津を迎えた。  鍵を開け、ドアノブに手を掛けると、木津は妙な違和感を感じた。ノブに触れた手を顔の前に上げる。指先は汚れていない。レースで転戦していた頃にも経験はある。二ヶ月近くも放って置けば、埃がたまらない方がおかしい。  誰か入ったか?  ふたたびノブに手を掛けると、木津はゆっくりとドアを引く。  人の気配はない。  部屋に身を滑らせ、ドアに鍵をかけると、靴も脱がずに中を見回す。相も変わらぬ乱雑さだが、何かが違う。部屋の主以外には分かるまいが、かき回したような跡がある。それも、物盗りのやり方には見えない。  中に入る。床の上はさほどでもない。せいぜい放り出されている物と床との間に何か落ちていないかを確かめた、という程度だ。実際に置いてはいないが、普通なら金目のものがありそうだという場所をいくつか見てみる。生憎とろくな物は入れていないが、それでもざっと中身だけは改めたらしい。だがなくなっているものはない。  テーブルの上は?  置いてある紙の類は、メモだろうが何だろうが端から中身を読んだらしい。と、その時木津の顔色が変わった。その視線の先には、分解された写真立てが散らばっている。  木津はばらばらの部品をひとつひとつ、半ば躍起になって拾い上げる。一番下、写真立ての本体の下に、裏返しになって中身の写真が見つかった。  そっと拾い上げて裏返す。傷付けられてはいない。もう一度裏側。写真の日付ともう一言が、木津のではない別の筆跡で書き込まれている。  舌打ちが部屋の中にうつろに響く。  「……ここまでやるもんかね、何を探してたんだか知らないが」  と言うと、今の自分の言葉に木津は考え込んだ。  一体何を目当てに部屋に入り込んだ? 物盗みではあるまいというのは、最初の印象から変わっていない。書類、というほど大げさではないが、その類を全て読んだということは、所謂スパイって奴か?  じゃあ、何で俺がスパイに狙われなきゃならない?  ふと木津の口元に歪んだような笑いが浮かんだ。何で俺が、か……あの時と同じような台詞を言ってるな。  しかし、何故スパイが? 思い当たるのはただ一つ、俺がLOVEに足を踏み入れ、そこで仕事をし始めたということだけだ。  ということは……奴か?  木津は手にしたままの写真に視線を落とす。それを胸ポケットにしまい込むと、テーブルの上の紙を端からかき集めて丸め、ライターで火を点けて、流しに投げ入れた。それから床の上に散らばったものを端から拾い上げ、部屋の奥に押し込み始めた。ごみ、古雑誌、がらくたの類……  「こうと分かってりゃ、お茶くみでも引っ張って来るんだったな」  ふと見ると、流しの中で上がっていた炎が鎮まっている。灰の上からこれでもかと言わんばかりに水をかけ、さらに何一つ残らないように流した。  その時、突然ドアチャイムが部屋の中に鳴り響いた。  はっとしたように木津の頭が持ち上がる。  誰だ?  木津がドアの方へと踏み出そうとすると、もう一度チャイム、そして男の声。  「あれ? 仁ちゃん、帰ってたんじゃなかったのか?」  肩に入っていた力をがくっと抜き、木津はドアを開けに行った。そしてそこに立っていた男に声をかけた。  「目敏いねカンちゃん」  「たまたま帰り際に通りかかったら、車があったからさ。長いお留守だったね、半年ぐらい?」  「馬鹿言え、二ヶ月だよ」  「そんなもんかねぇ」  「そんなもんだよ。また明後日から行くけどさ」  「今度も長いんかい?」  少し考えると、木津は言った。  「行きっぱなしかも知れないな」  相手は驚いたのとおどけたのが半ばずつ入り混じった表情を見せてから、にやりと笑い、仕草を交えて言った。  「じゃ、行くかい、呑みに」  目が覚めると同時に、二日酔いの頭痛が木津を襲った。布団から頭も出さないまま手探りで枕元にあるはずの目覚まし時計を探そうとして、そこでやっと自分が腕時計をはめたままなのを思い出した。見ると十七時を過ぎていた。  痛む頭を無理に持ち上げると、流しまで重い体を引きずって行き、蛇口から直接水を飲み、さらに頭にも水をかぶった。  昨日燃やした灰の残りがまだ流しの中にわずかにへばりついている。  ゆうに五分もそうしていてから、やっと木津は頭を上げ、滴を両手で払い除けた。そして濡れたままの髪をぐしゃぐしゃと掻くと、ベッドに腰を下ろし、部屋の中を見回した。  昨日自分で引っかき回してからは変化がない。もっとも引っかき回したところで何が出てくるわけでもないが。MISSES絡みの代物を一式置いてきたのは正解だったか。  「お帰りなさい」  弾けた声を上げながら、車を降りた木津を峰岡が出迎えた。  「お部屋、片付きました?」  大げさに首を横に振る木津。  「ずぇんずぇん」  その様にまたくすくすと笑いながら、「お片付けそっちのけで、お酒でも呑んでたんじゃないんですか?」  「そういうわけじゃあるんだけど、長いこと放って置いたから、やっぱり一日そこらじゃ無理だったわ」  「それじゃ、お部屋から毎日通勤にしちゃうっていうの、どうですか?」  「それも気乗りしないな」そう言いながら、木津はあの家捜しされた部屋のことを思い出していた。  それを知る由もない峰岡が  「どうしてです?」  「実は……出るんだわ、これが」  幽霊の真似をしてみせる木津。  峰岡はそれを無視して、「そうだ、忘れない内にお返ししておきますね」と、三日前と同じように、スカートのポケットからS−ZCのキー・カードを取り出した。そしてキーホルダーにぶら下がった、半ば溶けかかったようなパンダのマスコットを指先でつついて揺らしてから木津に手渡す。「意外とかわいいのを付けてたんですね」  受け取りながら「まぁね」と木津。「てことは、もう改修から上がってきたのか? あと一週間はかかるとか言ってたのに」  「はい、阿久津主管も他のみんなも休日返上で大はり切りでしたから」  「そりゃ久我のおばさんも喜んだろうな」  「おばさんって、久我ディレクターはまだ三十六歳ですよ、独身だけど」と言ってから、慌てて峰岡は口を手で覆う。「あちゃー!」  「立派におばさんだよ」笑いながら木津。「俺より十も上じゃあな。で、おばさん三十六歳独身の今日のスケジュールは?」  「部屋にいらっしゃるはずですけど」  「そんじゃ、帰着のご挨拶でもして来ますかな」と歩きかける木津に、峰岡が言った。  「仁さんって、やることはおじさんぽいのに、意外と若かったんですね」  「おば、もとい、ディレクター殿、木津仁ただいま帰還いたしました」  軽い調子で部屋に入ってきた木津の挨拶に会釈を返すと、いつもは事務的を絵に描いたような久我が、珍しく世間話めいた問いを発した。  「お疲れさま。お部屋にはお変わりはありませんでしたか?」  木津の調子はこの一言で一変した。  「大ありだったよ」ソファにどっかりと身を投げ出し、言った。「留守中に誰かが潜り込んでたよ。家捜しされたらしい。奴だか子分だか知らんがね」  久我の片方の眉が上がった。デスクから離れ、木津の前に座ると、詳しい話を求めた。  木津はあった通りを話してから、付け加えて言った。「……前にいっぺん朱雀で帰った時、チェックでも入れられてたかね」  「そのようですね。あちらも私たちの存在に積極的に意識を向けるようになったというわけです」  その口調が何やら確信めいた響きを帯びているのを木津は感じ取った。久我自身の言葉がそれを裏打ちした。  「これであちらも、私たちに行動の的を絞ってくるでしょう」  今度は木津の眉が上がる番だった。  「朱雀に乗って行けと言われた時にも、後から少しひっかかっちゃいたが……分かってて仕掛けたのか?」  「情報収集のために住居侵入を敢行するという」とわずかに言葉を切ると、「予想以上の効果が出ています」  「予想外、の間違いだろ?」  「あちらに漏れそうな情報は、あなたの手元には全くなかったと思っていますが、そうではありませんか?」  肩をすくめた木津を見ると、久我はソファに腰をかけ直し、話し始めた。  「こちらに『ホット』の矛先を集中させれば、それだけこちらとしても当局からの指示を達成するのに早道になるわけです。もちろんあなたの意図の達成にもです」  何かいいように誘導されているような気がしないでもないな。まあいいか。  「つまり」木津が言う。「俺たち、いや、俺は噛ませ犬ってわけか?」  「黙って噛まれるに任せているおつもりもないのでしょう?」  久我の返事に、木津は再び肩をすくめた。  Chase 08 − 中断された休息  特殊車両研究所LOVE内、久我の執務室。久しぶりに持ち場から腰を上げた阿久津の姿がそこにあった。  阿久津は久我のデスクの前にどっかりと座り込んで、口中剤を口に放り込んでがりがり噛むと、持ってきた資料を久我に付きつけんばかりに差し出した。  「S−ZCとS−RY五両、全て改修は完了です。改修点は予め資料でお知らせしておいた内容の通り、あれ以降の変更はありませんです」  デスクの上に置かれた資料を手に取ると、久我は一番上に乗ったS−ZCの改修作業報告書を読み、それから続く五部のS−RYの報告書をひと通りながめると、何も言わずにその全ての表紙にサインをして抜き取り、揃えてから阿久津に戻した。  「結構です。お骨折りに感謝します」  そんな型通りの労いなど無用といった雰囲気さえ感じさせるような調子で阿久津が無言でうなずくと、その頭が上がるのを待って、久我が問いかけた。  「後から頂いた変更は、テストで収集したデータに基づいてのものですね?」  「テスト?……ああ、木津君に手伝ってもらったやつですかな。無論です。盛り込ませてもらいましたとも」  そう言うと、阿久津は腕を組み椅子にふんぞり返った。  「追加テストや改修要目の量の割には完了は早かったですね」  ふんぞり返った上体を今度は前のめりにさせながら、阿久津は言う。  「邪魔が入りませんでしたからな」  その言葉の通り、あれからこの日に至るまで、当局からMISSESの出動が要請されるような事件は一度もなかった。  「何をしてござるのだか」  そう阿久津が続けると、久我が受けて  「当局の方でも『ホット』はじめその配下の動静は把握していないようです。従って、MISSESも当面は交代制の出動待機とするつもりです」  興味なさそうに口中剤を追加する阿久津。それを見てと言うわけではあるまいが、久我は話を変えた。  「S−ZC二号機については、先週の提出仕様にさらに変更が加えられると聞きましたが?」  阿久津の目元が少し細まる。  「そりゃあ、木津君のクレームやらテスト結果やらがたんまりありますからな。いろいろと取り込ませてみたくもなりますわい。変更分の仕様書がお入り用ですかな?」  答える久我は一切表情を変えずに。  「確定した物が用意できるのならば、提出をお願いします。ロールアウトの予定とそれまでのスケジュールも、それぞれ目処が付くようでしたら」  黙って肯く阿久津に、久我はさらに問いを続けた。  「それからG−MBの方は、これまでのスケジュール通りロールアウトするということでよろしいですね?」  「よろしいです。変更はござんせん」  LOVEの中にあてがわれた私室で、椅子にもたれて、木津はぼんやりと煙草を燻らせていた。いや、別にしたくてこんな風にぼんやりしているわけではない。  最近はM開発部以外からもテスト走行の仕事が来たりするようにはなった。しかし、それとてそう度々あることでもないし、あったとてVCDVとは違って極めて退屈な代物ばかりだった。そしてそれ以上に退屈なことに、朱雀を駆っての出撃がまるでご無沙汰になっていた。  一体俺は何をしてるんだろう、そう木津は思う。奴を追うのが目的でここに来たはずなのに、このところその機会は奴からは恵んでもらえない。逆にこちらから討って出るというのは久我の念頭には全くないらしい。と言うより、LOVEが当局から認められているのはいわば現行犯的な行為への対応だけで、いわゆる捜査レベルには口を出すな、と言うことなのか。それにしちゃその捜査とやらが進んでいる風は全然ないが。  半分が灰になり、今にもこぼれ落ちそうになっている煙草を灰皿でもみ消すと、そのまま机に頬杖を突いた。その肘の傍には、キーホルダーの溶けかけたようなパンダのマスコットが、つかれたようにあおむけに転がっている。そして朱雀のメイン・キー・カード。  ヤニ臭い木津の指がそれをひとまとめにつついて転がす。パンダがうつぶせに、またあおむけに。  きりもないその仕草を止めたのは、インタホンからの呼び出し音と弾けた声だった。  「仁さん、峰岡です」  「開いてるよ」  入ってきた事務服姿の峰岡は、いつもとは違って手ぶらだった。  「仕事じゃないね」とひと目見て木津。  「あれ? どうして分かるんですか?」  それには答えず、笑ったまま木津が逆に尋ね返す。  「仕事でないとすると、何の用だい?」  「お邪魔でしたか?」  「んにゃ、暇で閑でヒマでひまで困ってしまってわんわん鳴いてたんだが」  その答えを聞いた峰岡の顔が少しほころんだが、それは木津の言いっぷりのせいばかりではないようだった。  「週末もですか?」  「週末なんかなおのこと暇でしょうがないさ。パンツ洗うぐらいしかすることがなくってさ」と、また仕草混じりで答える。  「そうなんですか」と言う峰岡の表情は、ますます嬉し気になる。ようやくそれに気付いた木津がいぶかしげな顔で、  「何を企んでる?」  「知りたいですか?」  「ああ……もしかして」  峰岡の上体が心持ち乗り出す。  「こっちから『ホット』狩りへ出向こうって話じゃあるまいな」  峰岡の乗り出した上体が元に戻る。そして半ばため息混じりに、  「仁さん、いつも『ホット』のことばっかりですね」  「そりゃそうだよ、そのためにここにいるんだからさ。でも最近は奴も面を出そうとしないし、それで暇を持て余してるってわけさ……でもどうやらお嬢さんの御来駕の目的はそうじゃなさそうだな」  「ええ、残念ですが違います。実は」と言葉を切ると、ひときわ大きな声で「デートのお誘いです」  聞いた木津が固まった。  言った峰岡の方もその頬が心持ち赤く染まっている。  しばしの間。  先に口を切る木津の言葉はおうむ返し。  「デート?」  峰岡は何も言わず木津の顔を見つめる。  木津はもう一度、  「デート、ですかい?」  「あ、いえ、デートとかってそんな大袈裟なことじゃなくて、ですね、もし暇で暇でどうしようもなかったら、暇潰しにお買い物にでもつきあっていただきたいな、なんてちょっと思ってみたりしただけなんです」  身振り手振りをも交えた峰岡のこの狼狽ぶりに声を上げて笑い出さんばかりの木津が、問いかける。  「買い物って、何を買いに行くんだい?」  「えっ?」と、言われてそれを初めて考えている様子の峰岡。しばらくして、「えーとですね、そう、一応服とかこまごましたものを買おうかな、なんて思ってますけど」  木津は新しい煙草の封を切って、一本取り出すと、火を点ける前に一言、  「でもさ、俺は服に関しちゃあーだこーだ言うだけのセンスってのは、まるっきり持ちあわせてないぜ」  一転えっという顔つきになった峰岡。  木津は火を点けた煙草をぱっと吹かすと、追い討ちをかけるように言った。  「運転手と荷物持ち程度だったら何とかなるけどな」  その夜。  自室の鏡に映る峰岡の顔は嬉しさにとろけきっていた。  無理やり普通の顔を作ってみるが、こみ上げてきてどうにも止まらない笑いに十秒と持たない。我慢しようとそこで飛び跳ねてみるが、その様子はどう見てもはしゃいでいるようにしか見えない。  そこで、しなければならないわけでもない我慢をするのは早々に放棄して、溶けかけた自分の顔をもう一度鏡で見た。  週末のお楽しみへの期待があふれかえった自分の表情を見ているだけで、もうたまらなくなった。  とどめに一人で万歳三唱する峰岡だった。  「では出掛けます」  デスク脇のコートハンガーからグレーのジャケットを取って袖を通すと、久我は峰岡に告げた。  「お気をつけて。連絡先はいつも通りですね。お戻りは?」  「今日は戻らない予定です。定例の他に、もう一件調整がありますから」  「分かりました」と峰岡。「それに今日は週末ですしね」  週末だろうがそうでなかろうがあまり関係なさそうな久我はその言葉には意を留めず、  「待機担当の二人には外出の旨は伝えてありますね?」  「はい、安芸君に言ってあります。結城さんが見えなかったんですけど、また車庫ですね、きっと。暇さえあればVCDVの研究してますから」そして一つ付け加えた。「木津さんみたいにぼーっとしてないですよ」  「木津さんは最近は出動もないから、さぞ退屈していることでしょうね」  「そう言ってました」と峰岡は笑う。「木津さんには生憎だけど、今日もまた何もないですよね」  そう言う峰岡の声が、いつにも増して元気がいいのに、さすがに久我でもおやと思ったらしい。だがそれには触れず、簡単に  「油断は禁物」  と言うと、お願いしますと付け加えて執務室を出て行った。  そのすらりとして高い背中が閉じるドアに隠されると、峰岡はまた緩み始める頬を両手で押さえた。そして何とか気を紛らわそうとするように、デスクの上のコーヒーカップを片付け始めた。その傍らに置かれた時計は、終業まではまだ四時間余り残っていることを示している。  峰岡の予想通り、結城の姿はまた地下駐車場にあった。  改修のあがってきたS−RYが並ぶ。結城は自分に任されたマース2に乗り込み、コクピットの中で計器板や操作系を確かめてまた降り立ち、数日前と同じように、矯めつ眇めつ改修の加えられた車体の細部を確かめていた。まるで全ての構造を暗記しようとしている風でさえあった。  「ああ、やっぱりこちらでしたか」  急に聞こえたその声に結城が驚いたように顔を上げると、いつかのように事務服姿の安芸が近付いて来ていた。  結城は心持ち気色ばんで、  「何かありましたか?」  応える安芸は特に慌てた様子もなく、  「いいえ、一つお伝えしようと思って来ただけなんです。久我ディレクターなんですが……」  「当局に出張?」  木津は峰岡の言った言葉をおうむ返しに聞き返した。  「あれ?」と峰岡は首を傾げる。「仁さんは知らなかったんでしたっけ」  「ああ、聞いてないけど」  「毎月一回うちとあちらの間で定例会議みたいなのをやってるんですよ」  言ってから峰岡はやぶへびだったことに気付いて顔をしかめた。  「そうか、奴の捜査の進み具合なんかが話に出るんだな」と、案の定の木津の台詞。  「何もないみたいですけどね」早口にそう言って、峰岡はその話題を切り上げた。「ところで、今日終わったらですけど……」  木津は最後まで言わせず、  「はいはい、分かってますって。それじゃ、どこで待ってればいい?」  「外の駐車場に行きます」  「外の?」  峰岡は笑って付け加えた。  「まさかS−ZCとかS−RYでってわけにはいかないでしょ?」  「それもそうだ」木津も笑う。「デートにゃちと色気不足だぁね。もっとも俺のポンコツ改・パワード・バイ・阿久津にしたって、それ程色気のある代物ってわけじゃないが」  パワード・バイ云々を聞いてまた笑い出す峰岡を前に、一本煙草をくわえ、火を点ける前に尋ねた。  「で、どの辺に行くかは決めたんかい?」  「ばっちりです!」  「気合い十分、てとこだな」  「えへへへ」  そこに軽い音色のチャイムが鳴る。  木津は反射的に腕時計を見る。が、それと同時に本業をすっかり忘れていた峰岡の大声が木津の鼓膜にきんと響いた。  「いっけない! お茶淹れなきゃ!」  峰岡の目はもう三十分も前から時計を見る方が多くなっていたが、この五分というものはほとんど時計の秒針とにらめっこだった。  五、四、三、二、一……  終業チャイムの最初の音が鳴る。同時に峰岡が椅子を蹴らんばかりに立ち上がった。  「峰岡帰ります! お先に失礼します!」  周囲の呆然とする目をよそに、峰岡は猛然と部屋を飛び出していった。  同室の一人がつぶやいた。  「MISSESの召集、じゃないよね?」  もう一人が言う。  「それよりも速いよ、今の方が」  「おんや?」  足早に帰宅の途に着くLOVEの他の従業員たちに紛れて、のんびりと屋外の駐車場に出てきた木津は、かつてポンコツだった愛車の助手席側に見慣れない後ろ姿が立っているのに気付いた。  秋らしく淡い黄色のワンピースに重ねられたベージュのボレロ。少し高めのヒールを履いた細い足首がこちらへ返った。  木津は首を傾げ、もう一度「おんや?」とつぶやいた。  見慣れたいつもの事務服や出動時のドライビング・スーツの時からは想像出来ない程にめかし込んだ峰岡がそこにいた。  だが見違えるほどめかし込んだ姿とは裏腹に、弾けた声はそのままだった。  「仁さん、遅いですよぉ」  「悪い悪い、支度に手間取ってさ」  そう言う木津はいつもと変わらず、シャツにジャケットという支度に手間取りようのなさそうなラフな格好だった。  「しかし、どこのお嬢さんかと思ったよ。いつもと全然雰囲気が違うから」  この木津の言葉に、とろけそうな顔になりながら峰岡が  「ほんとですか?」  「見た目だけは」  「仁さんの意地悪ぅ」と言いながらも、その口調は別段腹を立てている風でもなかった。  そんな二人を見ながら車に乗り込み帰宅する人の流れは最初のピークを過ぎて、徐々にまばらになってきた。  「さて」と、逆にそれを見た木津は自分の車のドアを開けた。  「では参りましょうか、お嬢様」  車は他の帰り車に紛れて緩衝地帯を抜け、運河を渡る橋にさしかかる。その上からは都市区域の夕明かりが見渡せた。  「ここを通るたびに、きれいだなって思うんですよ」と峰岡。「そう思いません?」  指一本でハンドルを操る木津は、煙草をくわえた歯の間から半ば適当に相槌を打つ。  「俺はどうも無粋でね、そういうのより計器盤のランプの方に目が行くんだよ」  「それもさびしいですよ」  溜息混じりに言う峰岡の目は、窓の外の灯から木津の横顔へと移されていた。  やがて橋を渡りきった木津の車は、標識の矢印に忠実に道を辿り、少し前に自分にはもう関係ないと木津が思ったばかりの繁華街のとっ付きで、渋滞に捕まった。  「どの辺で停めればいい?」  「えーと、一番近いところでいいですよ。どうせだから少し歩きませんか?」  「散歩?」  「いやですか?」  「たまにはいいかもな」  峰岡がまたにっこりと笑った。  ナヴィゲーションの画面は、数百メートル先の駐車場に空きがあることを示している。  ショーウィンドウに頭一つ分は背丈の違う二つの影が映り、行き過ぎる。  峰岡はショーウィンドウの中よりも、むしろそこに映るその影、並んで歩く自分と木津の姿を見ていた。  店から店へとウィンドウの展示は変わっても、映る自分は変わらず木津と歩いている。店毎にそう思いながら、峰岡は頭が少しぼぉっとしてくるような気がした。  一方の木津は、右に左に行き交う雑踏を眺め回している。よくもまぁこれだけ人がわいて出たもんだ。平和なことだ。そんな平和がとっくの昔にどこかに吹っ飛んでしまった奴だっていないわけじゃないのに。  「痛むんですか? 手術の跡」  「ん?」  峰岡の声に我に返ると、木津は無意識に後頭部に手をやっている自分に気付いた。  「ああ、そういうわけじゃないよ。ただ少し寒いんでさ」  「寒い?」  「ほれ、手術の跡にハゲがあるから」  「やっだぁ!」  人目も憚らず爆笑しながら峰岡は、次の店のウィンドウに目をくれると、その前で立ち止まって中に見入った。  「寒いんだったら、この辺でちょっと入って行きませんか?」  ショーウィンドウを見る木津。その中には若い女が喜んで着そうな服をまとった、半ばハンガーではないかと思うような抽象的なマネキンが立っている。  木津は頭をぼりぼりと掻きながら、自動ドアをくぐる峰岡の後に従った。  しばらくして出てきた木津の手には、袋が一つぶら提げられていた。  すまなそうな言葉を口に出す峰岡に、木津は荷物持ちは約束通りだと言う。  「それに口も金も出さなかったしさ」  「いくら何でもお金まで出してもらったら困っちゃいますよ」と声高に峰岡。その声が少し小さくなり、「口だったら出してもらえると嬉しいかも知れませんけど」  「あー、そりゃ役不足だな。似合う似合わないの区別もつかないからさ」  突然峰岡は真顔になる。  「似合うって言ってもらえればそれだけでも嬉しいんですよ、女って」  「ふうん、そんなもんかね」と天を仰ぎながら木津。「誰にしても」  「えっ?」  「それじゃ、茶でも啜りに行くか? 夕飯はどうする?」  「え、え、え、え?」信じられない、といった顔の峰岡。「夕ご飯まで一緒にしてもらっちゃっていいんですか?」  「いいともさ」と、峰岡の反応に逆に驚いた木津。「なんつー顔してるんだ?」  「だって、だって……」  「いいから茶にしようぜ」  峰岡は一層弾んだ声で、はいと応えた。  「だったら、いいところがありますよ。仁さん、甘いものはだめでしたっけ?」  「んにゃ、喰えるもんなら何でも喰う」  「じゃ、行きましょう」と言う峰岡の小さな手が、しなやかに木津の腕に巻き付いてきた。人々の流れに見え隠れしながら再びショーウィンドウに映っては行き過ぎる二つの影。  角を一つ入りしばらく行くと、そこは雑踏からは見放された路地で、表通りの喧噪は遙か後方に取り残されていた。  「ここなんですけど」  峰岡が足を止めたのは彼女と同年代の女はとても近寄りそうにない、年月を経てきた感じの落ち着いた佇まいの喫茶店だった。  木津は口を開けてその門構えを見ている。  「どうですか?」と峰岡。  「似合わ……っと、こういうところが好みなんだ。意外だなぁ」  「静かで落ち着けて、いいんですよ、このお店。ケーキもおいしいし」  「元気印にこういうところに連れて来られるなんて、ちょっと想像出来なかったよ。こんな店があるとも思わなかったし」  「仁さん、読みが甘い」ぴっと人差指を立てて得意気に峰岡。「入りましょう?」  あまり広くない店の中には、他には老夫婦らしき男女と書き物に耽る若い女との二組の客がいるだけで、BGMもない。  数世紀遡った欧風のテーブル。峰岡にはミルクティーとミルファィユ、木津の前には通常濃度のエスプレッソが運ばれて来る。  皿とカップを置くと、峰岡とは馴染みらしい初老のマスターは、木津の存在を見て、おやと言い、峰岡がえへへと笑うと二つ三つうなずいて引き下がった。  「これがおいしいんですよ」と、峰岡はミルファィユの皿を前に、金色のフォークでその一番上の層を少し持ち上げてみせる。  「ほら、見えます? こんなふうにパイとクリームが七重になってるんです」  「ななえ……?」  峰岡がふと顔を上げた。視線が木津の視線とぶつかる。と、木津はいきなり節を付けて  「七重八重〜、十重二十重〜」  峰岡は吹き出しながら「そんなに大きかったら食べきれないですって」  木津は何も答えずにエスプレッソを啜ったが、おどけて見せながらその頬に浮かんだ微笑が少し固かったのは、エスプレッソの味のためではなさそうだった。  だが峰岡はそれには気付かず七重止まりのミルファィユと格闘を始めている。  木津はその様子を黙って眺めている。  皿の上を三分の一ばかりやっつけた峰岡が、ミルクティーを一口飲むと、口を切った。  「しゃべらないですね」  「俺?」  峰岡はうなずく。  「いつもこんなもんだろ」  「そうかなぁ……昔からそうでしたっけ?」  「多分ね」  金のケーキフォークがパイの一枚の上で動き、皮をぱらぱらと崩す。  「仁さん、聞いてもいいですか?」  「何?」  だがエスプレッソの澱をデミタス・カップの底で弄ぶ木津を前に、峰岡はすぐには問いを口に出さない。  「何だい?」と促されて、意を決したように峰岡の口が開く。  「仁さん、どうして『ホット』を追いかけてるんですか?」  答えは思いがけなくもすぐに返った。  「貸した金を返してくれないからさ」  峰岡の頬がぷっとふくれる。  「冗談ばっかりぃ」  「冗談じゃないさ」と木津は煙草の煙と一緒に答えを吐き出す。「奴には医療費の貸しやら何やらがたんまりあるんだ」  あっと言う顔をする峰岡。  「あの傷のことですか?」  木津は答えない。  「そうなんですね」うなずくでもなくそう言いながら、峰岡の手のフォークはパイ皮に挟まれたクリームをつついていた。「で、もし探し出せたら、仕返しするんですか?」  「仕返しっつーかね」木津の頬が少し緩んだ。「ガキの喧嘩じゃあるまいし……」  「そうですね、仕返しっていうのはちょっと変ですね。それじゃ、自分で捕まえて当局に引き渡すって……」  峰岡が言い終わらない内に、木津の低い声が。それを聞いて、峰岡は一瞬無意識に身震いした。  「引き渡すだけで済むとは思えんがな」  それから一転明るい声と表情で、  「ぼちぼち腹が減ったな。コーヒーで刺激されたかな」  いきなり話が変わったのに峰岡は付いて来られなかったらしい。どぎまぎした様子で手を動かし、皿の上に半分ほど残って立っていたミルファィユをフォークの先で引っかけて倒してしまった。  「あん!」  「何だ、皿の外にでも飛び出すもんかと思ったぜ。そうしたら拾って喰ったのに」  峰岡はそう言う木津の顔を見る。冗談のような真顔。そして案の定吹き出した。  「そんなにお腹空いてたんですか? だったらケーキ頼めばよかったのに」  木津はにやにやしながら、  「うまいところを思い出すにゃ、腹が減ってた方がよかんべ。ましてご馳走する立場となっちゃさ」  それを聞いた峰岡は再び信じられないといった顔をする。  「ご馳走って、え、え、え?」  「おいしい食べ物や飲み物を出して、もてなすこと。また、その食べ物や飲み物。以上国語辞典の定義より」  「そうじゃなくってですね」  と言いかけた峰岡の顔から笑いが消えた。  木津もまた同じように冗談抜きの真顔に。  だが次の表情は対照的だった。受令器が発するMISSESからの重苦しい呼び出し音に、峰岡はがっかりして泣き出しそうな顔になり、一方木津は獲物を前にした餓狼のようににやりとした。  「どうしてこんな時に来るのよぉ!」  「おいでなすったか!」  素早く立ち上がる木津に続いて、峰岡も重い腰を上げた。  「悪いけど、ご馳走はまた今度にさせてくれや」と、何か勘違いしているような木津。そしてついでに峰岡の皿からミルファィユの残りを摘み上げて口に放り込んだ。  「状況は?」  勘定を済ませて店を出てきた木津が、先に外で連絡を取っていた峰岡に尋ねる。  「ディレクターが当局から指示してきてます。安芸君と結城さんがもう出てるみたいなんですけど、苦戦してるらしいです」  「敵の数は?」  「それがはっきりしないんです。四両なのか八両なのか」  「何で倍も違っちゃうんだ? 久我のおばちゃんは乱視持ちか?」  「聞いたことないですけど、そんな歳じゃないと思いますよ」  「誰も老眼とは言ってねーぞ。それはそうと、奴はいるのか?」  「さあ、それは……」  「行きゃあ分かるか」  木津は握り拳にした右手を左手に打ち付ける。静かな路地にその音が響く。  「行くべぇ」  黙ってうなずく峰岡に、木津はもう一言。  「大丈夫だな?」  「はいっ」  木津の勢いに励まされてか、応える峰岡の声からは、ついさっきまでの残念そうな調子は消え、頬は緊張感に引き締まっていた。  「よし!」  そして木津と峰岡は、何も知らない平和な雑踏の中に駆け出して行く。  Chase 09 − 掴まれた端緒  静まり返った駐車場にヘッドライトの二条の青白い光が射し込み、それに導かれるように、ぽつりぽつりと駐められた車の間を縫って、ダークグレイの車体が猛烈な速度で飛び込んできた。  ライトが消えるよりも早く助手席のドアが開く。そこから飛び出してくる峰岡の小柄な体。続いてすぐにエンジンが止まり、運転席から木津が降り立つと、先に走り出していた峰岡を追った。  淡いピンクのマニュキュアに彩られた峰岡の細い指が踊るように非常ドアの暗証番号を叩き、錠の解除される硬質の金属音を聞くと即座に木津の手が厚く重いドアを押し開ける。その先には青白い常夜灯の灯る薄暗い通路。狭い壁の間を二つの背中が走り去り、早足の足音の響きが後に残される。  枝分かれする通路へ曲がって行こうとした木津を峰岡が呼び止める。  「仁さん、着替えは?」  「そんな暇ないっ……ていう訳にもいかないか、その格好じゃ」峰岡のデート用装備を見て木津は言う。「いい、俺は先に出てる。追っかけて来い」  「はい」  再び走り出す峰岡の後姿も見ず、木津は駐車場へ急いだ。  突き当たり、右に折れ、手動のドアを突き飛ばすように押し開き、薄暗く足許のはっきりしない階段を二段飛ばしに駆け下り、さらに続く廊下を走る。  突き当たりのドアは開けられていた。  木津が飛び込むとすぐさま声が掛かる。  「仁ちゃん、来たか」  「阿久っつぁん? 何でいるんだ?」  「残業してたら駆り出されたんだ。それはどうでもいいから、急げや」と、阿久津は手ずからS−ZCのドアを開いた。  木津の靴が床を蹴る。鈍い靴音に続いて、木津の体をシートが受け止める重い音。そこに、急かしておいた張本人の阿久津の声が、峰岡と同じ問いを投げかけて来る。  「スーツとメットはどうした?」  「そんな暇ねぇだろ?」  「確かに暇はないがな、何も着けないで出ていった時、お主の体への影響が心配なんだよ。ま、いいならいいがな。それはそうと、真寿美クンはどうした?」  「ストリップの真っ最中」  阿久津の口許に卑猥な皺が寄る。  「想像させるでない」  にやけている阿久津を放っておいて、木津は上着の内ポケットからパンダのキーホルダーをつまんでメイン・キー・カードを引きずり出し、スロットに親指で押し込むと、シートや操作系のセットも待たずに同じ親指でスタータのボタンを押した。  一呼吸と待たせることなくS−ZCの機能は覚醒する。計器盤が点灯。メーター指針の反応。モーターの最初の回転。  ボックスから取り出した黒いグローブをはめる木津に、外からドアを閉じながら阿久津が言った。  「先に出た二人の位置はナヴィにトレースさせておいたでな」  「おうさ」とナヴィゲーションの画面を見ながら木津が答える。が、ドアを閉じようとした手が途中で止まった。そして阿久津がもう一言付け加える。  「お主、夜は初めてだったな」  「ああ」  「気を付けろや」  そして木津の答えを待たず、ドアは閉じられた。ドアを車体に引き込んで固定するモーターの僅かなうなりが木津の耳に届く。  木津は横を見ると、もう脇の方に待避していた阿久津にちょいと合図を送る。  次の瞬間、S−ZCはテールランプの残像だけを夜の闇に残して走り去っていた。  ヘッドライトから放たれる二条の白い光が路面を照らし出す様は、まるで銀色に磨かれたレールが敷かれているようであった。その上をほとんど音もなく深紅のS−ZCが走り抜ける。  木津はナヴィゲーションの画面に目を走らせる。安芸と結城の出ていった先とやらは、これまでに「ホット」の一味が騒ぎを起こしたのとは違い、工場地区の中でもLOVEのある区域からはずいぶんと離れている。そこにあるのはほとんどが放棄された工場跡だ。今回はLOVEが目標ではないのか?  まあいい、何が目当てなんだか、ふん捕まえて締め上げりゃ吐くか。その中にご本尊様がおいでましませば手っ取り早いがな。  木津は既に床まで踏み込んでいるスロットル・ペダルにさらに力を加えた。  ナヴィゲーションの画面に表示されている目標地点到着までの残り秒数は、一定の、しかし猛烈な勢いで減っていく。そしてそれが三桁を割り込んだ時、木津の目に、工場跡の高い外壁の暗い谷間に乱れ飛ぶ電光と砲火とが飛び込んできた。  あれか。  向こうもS−ZCのヘッドライトを見逃さなかったらしい。そう思う間もなく、黄白色に跡を引く曳光弾がばらばらとこちらに向かって飛んできた。  反射的に木津の右足はスロットル・ペダルを離れてブレーキ・ペダルに移り、急制動、急転舵。そして次の瞬間には朱雀が左腕を射撃態勢にし、両肩のライトを光らせて立ち上がっていた。  「朱雀?」気付いた安芸が叫ぶ。「仁さんですか?」  「待たせたな、お二人さん。道が混んでてな。塩梅はどうだ?」  「敵は分離します! 気を付けて!」と喘ぐように叫ばれたのは初陣の結城の声。  「分離?」  朱雀が上体をひねって周囲を見渡す。投げられたライトの光。すかさず一連射が襲う。  横様に跳ね飛んでかわし、射撃の姿勢を採ろうとしたところに、また一連射。再び横っ跳びに回避する朱雀をさらに銃弾が追う。  「とっ、とっ、とっ!」  三度目には垂直にジャンプし、自分だけ遊撃体制をとっているつもりなのか、少し距離を置いて陣取っている一台に狙いを付け、衝撃波銃を二発ぶち込む。  朱雀の視線と同期して動く両肩のライトが浴びせる光の底で、衝撃波をまともに受けた相手の車両は鈍い音を立てて歪んだ。  「おし!」  「木津さん、それはさっきやった奴です」  着地すると同時に聞こえた結城の声に、木津は標的を確認する。武装暴走車並みの重武装をしたそれは、確かに今し方擱坐したばかりという雰囲気ではなかった。  「この暗さじゃ分からないな」木津は舌打ちする。「阿久っつぁんが気を付けろとか言ってたのはこういうことか」  が、そう思う間もなく朱雀にまたも銃弾が襲いかかる。今度は逆に横飛びで回避。  そこに安芸の声が。  「仁さん! ライト消してください!」  反射的に木津の手がスイッチに伸びた。明るさに慣れた木津の目に、前の闇は一層深くなる。また安芸の声。  「仁さん伏せて!」  これもまた反射的に操作系を動かす木津。  朱雀の痩躯が地に伏せる。その上を今度は重砲弾が抜けて行き、爆発音を伴って背後の壁に穴を穿つ。破片が朱雀の背中でばらばらと音を立てた。  そのままの姿勢で木津は尋ねる。  「向こうはいくつだ?」  「残り五つだと思います」  少しうわずり気味の声で早口に答えたのは結城だった。  「全部でいくついた?」  攻撃を避けるための一呼吸をおいて、結城が答えを返した。  「八です」  「奴は?」  「奴? あうっ!」  叫び声に続いて、何かがぶつかる鈍い音が闇の中から聞こえる。  左手で何かが光った。木津は銃口をそちらへ向ける。トリガーに掛かった指が、だがすんでの所で止められる。銃口の先では、何かに後ろから羽交い締めにされている青龍が、ライトに照らされている。  朱雀の左腕が右に向けられた。木津は今度はトリガーを引く。発せられた衝撃波は結城の青龍を照らし出していたライトを粉々に吹き飛ばした。  再び闇に沈む周囲。朱雀は弾かれるように起き直り、結城の青龍の正面に駆け寄ると、その肩越しにのぞく相手の頭部を狙って衝撃波銃を放った。  まともに衝撃波を受け、相手は腕を緩めて後方に吹っ飛んでいき、その上半身が地面との間に火花を散らして転がった。  上半身?  「こいつ……!」  結城の言っていた分離の意味が、また久我が相手の数を正確に掴めなかった理由がその時木津にもはっきりと分かった。  確かにぱっと見には武装ワーカーだ。だが前と違うのは両肩と裾の張り出したその上体のフォルムだけではない。その裾と肩とに仕掛けがあるのだろうが、上体が台車から分離して、それぞれが別個に攻撃行動をとれるようにしてあるのだ。そのために台車の方もこれまでと違って重武装にしてあるわけだ。  「しばらくだんまりを決め込んでたと思ったら、今度はまた随分と凝った真似をしてきたじゃないか」  そうつぶやきながら見たさっきのワーカーの上体が、恨み骨髄に徹したと言わんばかりの結城の六連射で、ライトに照らされ地面の上を弾みながらひしゃげていく。  「結城さん、ライトは!」  また安芸の声がする。が、今度は少し遅かった。銃弾の何発かが青龍を捉え、右肩のライトが割られて消えた。  結城の舌打ちに安芸の声がかぶさる。  「そっちが撃てば……」  そして衝撃波が車体を捉える鈍い音が。  「こっちには砲火が見えるんだ」  「どこから撃ってんだ進ちゃん?」  答えるように台車の一両が回頭し、砲口を上に向けて撃ち始める。と同時に向こう側の壁を蹴って、安芸の青龍が飛び降りてきた。そして着地すると膝を着き、また一連射を相手に浴びせる。  相手は回避すべく後退する。その先には朱雀の足。虚を突かれた木津は、思わず朱雀の脚を上げ、そのまま台車の上に膝を突き、砲身を掴むと、走り続ける台車に乗る。  「んにゃろっ!」  そう叫ぶなり、左腕の銃口を台車の車輪に近付けて一発見舞う。  車輪を吹き飛ばされ、傾いて路面との間に火花を散らしながら滑っていく台車から朱雀は飛び降り、さらに一撃。衝撃波にあおられた台車は横転擱坐する。  「残り四セットか?」  闇の中を朱雀が見渡す。  うっすらと見えるのは二体の青龍の影。武装ワーカーの姿も、音も消えた。  「どうしたんだ?」と木津。「消えた?」  「どうやら逃げたみたいですね」結城が応じる。「追いますか?」  「逃走方向を見ていらしたんですね?」  安芸の問いに、結城は口ごもるように否定の答えを返した。  「それじゃ追えねぇだろ」  木津の言葉が終わらないうちに、朱雀と青龍の姿が光に照らし出された。三本の左腕が一斉に光源に向けられる。  「撃たないでぇ〜! あたしです!」  「峰さんか……」最初に腕を下ろしたのは安芸の青龍だった。「遅かったじゃないか」  「ごめん、着替えるのにちょっと手間取っちゃって。終わったの?」  「分かりません」結城が答える。「逃げたらしいんですが」  その声に重なるかすかなノイズを、木津は聞き逃さなかった。  「真寿美! ライト消せ!」  「えっ?」  「早く!」  言いながら木津は朱雀をWフォーム、木津の曰く「ハーフ」に変形させ、接近するS−RYに背を向けた。  それを見た安芸は直ぐに反応し、くるりと振り返ると膝を突いた射撃姿勢を採った。それと同時にS−RYのライトが消された。  風を切る音。そして接触音。結城の青龍が振り向きざまに、飛びかかってきた上半身に肘鉄を喰らわしたのだ。  「来たか!」  結城の青龍に接触した上半身は、バランスを崩したか傾いて地面に接触する。すかさず安芸が正確な狙いでその頭部を撃ち、のけぞるように上半身は地面に倒れる。  「な、何なんですかこれ?」  S−RYを変形させることも忘れたままの峰岡に、木津の声が飛ぶ。  「とりあえず体勢とれやな」  「はい」  答えると同時に峰岡の左手が動く。S−RYがハーフに変形。  「上だけか?」と低く結城がつぶやく。  「来ました! 下もです」安芸が言う。そして二両のハーフに視線を走らせると、「仁さん峰さん、下は任せます」  「だから何なんですかぁ、この上と下が別々なのって?」  「『ホット』に訊いてくれ」  そう言うと木津は照準器を食い入るように見つめる。その中に、上下分離して一斉に突っ込んでくる相手。  下が撃ってきた。  二体と二両がすかさず散開。  壁を背に結城は飛んでくる上半身に狙いを付けようとする。が、予想より一つ多い四体の上半身がそれを攪乱するように舞う。  一方の台車は重砲を撃ちながら突っ込んで来る。木津と峰岡が後進をかけてかわす。  木津のハーフが左腕の照準を先頭の台車に着ける。トリガーを引く木津の指。左手首の下に据えられた砲口から放たれた衝撃波は、台車の正面をまともに捉え、弾かれる。  「面の皮の厚い野郎だ。前のワーカーとどっこいの装甲車だな、こいつぁ。だが」  木津の左手の動作に、ハーフは後進から一転全速前進、さらに朱雀へ変形し地を蹴る。闇に舞い上がった赤い痩躯。その左腕が装甲車の上面に向けられる。コクピットで素早く動く木津の指。そして衝撃波。  「これでどうだ! どわっ!」  改修され性能を上げられた衝撃波銃の最大出力を食らって台車が跳ね上がるようにひしゃげるのを見届ける間もなく、正面から銃弾を浴びせかけて来る上半身を朱雀は避けようとしてのけぞり、危うく仕留めたばかりの台車の上に仰向けに落ちかかりそうになる。  「仁さん!」  ハーフのまますれ違いざまに台車の足回りを撃って擱坐させた峰岡が声を上げる。その目の前を、安芸が狙撃した上半身の片腕が飛んでいく。  朱雀は潰れた台車に後ろ手に手を突いて辛うじて上体を支えると、起き直って宙を舞う上半身に衝撃波銃を向ける。仕留めた台車は、電装系に障害を来したらしく、サーチライトの如く空に虚しく電光の帯を描いている。  それをよぎり迫ってくる上半身に、ジャンプした結城の青龍が狙いを着ける。だが上半身の方が反応は早かった。青龍と同様腕に仕込んだ、だが実体弾を発射する銃が先に火を吹いた。朱雀と同じく、のけぞって避ける青龍。しかし木津と違って、結城は回避だけでは済ませなかった。のけぞったまま宙返りをうつと、青龍はその足で、行き過ぎようとする上半身の背中から肩口にかけて蹴りを食らわせたのだ。  蹴られた上半身は前のめりにバランスを崩した。飛行の速度が落ちる。その隙を見落とさなかった結城は着地すると振り向きざまに衝撃波銃を撃った。収束率の上げられた衝撃波が上半身の肩を捉え、撃たれた上半身は墜ちながらもなお銃弾を巻き散らす。だがその抵抗も安芸の青龍に銃身を潰されて止んだ。  木津は口笛を吹いた。  「オーバーヘッドキックとはかっこいいじゃないか、結城さん」  「まだ来ます!」安芸の声が飛ぶ。  同時に短く砲声が響き、煌々と光っていた台車のライトが割られて消えた。  再び、闇。  次の瞬間、背後から炸裂音と爆風が。あおられた峰岡が声を上げる。  「どこだ!」  振り返る木津の目に、炎をバックにした峰岡のハーフの影がくっきりと見える。  「峰さんまずい!」安芸が叫ぶ。「そこを離れて!」  峰岡はスロットル・ペダルを踏み込む。それとほぼ同時に衝撃がコクピットを襲った。  上半身が二つ、峰岡のハーフに左右から飛びかかったのだ。そして、片腕を失った上半身がハーフの右腕をつかみ、左腕はもう一体が両腕でがっしりと抱えていた。  反射的にブレーキ・ペダルを踏む峰岡。  右の片腕の奴がハーフの背中の方に回り込み、ハーフの右腕をねじあげる。峰岡の耳に軋みの音がわずかながら聞こえた。計器盤に警告灯の黄色い光が明滅する。戻そうとするハーフ.だが上半身は動かない。  左に組み付いた奴が片方の腕でハーフの左腕を抱え込んだまま、もう片方の腕に仕込まれた銃の先を車輪に向けた。  「やばい!」  木津が衝撃波銃を左の奴に向ける。銃の仕込まれた奴の右腕は、峰岡のハーフの腕の陰になって見えない。トリガーに掛かりかけた指が一瞬躊躇する。が、次の瞬間奴の頭が衝撃波を受けて潰れた。  「進ちゃんか!」  撃たれたショックで上半身は抱きこんだハーフの腕を軸にぐるぐると回る。峰岡が左腕を後ろに振り、背後に回り込もうとしていたもう一つの上半身にそれをぶつけに行く。右の上半身が回避すべく前に出た。  その時、炎に照らされて紫色に鈍く光る機体が空に躍り上がった。  結城だった。  その左足が正確に右の上半身の頭を蹴り飛ばした。その勢いで腕をつかんでいた手がほどけ、上半身は炎の方へ飛んでいく。青龍が出力と収束率を最大に上げて衝撃波をそこにぶち込む。上半身は胸の中央を衝撃波に射抜かれ、そのまま炎の中に転がっていった。  着地して膝を突き、射撃体勢を取る結城の青龍を、上半身が搭載していた実体弾の炸薬が誘爆を起こす爆風が襲った。その横で峰岡のハーフが左腕の上半身を振り落とし、青龍に変形した。  「残りは?」  自分も朱雀に変形させながら木津が問う。上半身も装甲台車も共に姿を消していた。  「今度こそ逃げたんでしょうか?」  立ち上がりながら結城が言う。  「まだ分かりませんね」と安芸。周囲に転がる残骸を数えながら、「あと二セット、ですか」  その時、峰岡があっと声を上げた。  「来たか?!」  勢い込む木津が見ると、峰岡の青龍の指さす先は火勢の収まりかけた爆炎の下方、地面の所だった。そこに煙を上げながら転がっているものは、明らかに人間の姿をしていた。  峰岡が青龍の腰から灰白色のカプセルを取り出し、炎に投げつけた。途端にカプセルは弾け、消火剤が周囲に舞った。  峰岡と結城に警戒態勢を指示する安芸の声を聞きながら、仰向けになった体の脇で、朱雀がS−ZCに戻る。木津が降りてその体の横に屈み込む。  「おい! 生きてるか?」  まだかすかに煙の上がるスーツの前を開いてやる。浅い呼吸につれて動く胸から皮膚の焦げる臭いがわずかに立ちのぼり、木津は顔をしかめながらさらにヘルメットをはずしてやった。  閉じられていた目が薄く開いた。と、その目は自分を見下ろす影に気付くと一転大きく見開かれた。  「気が付いたか?」  唇が動いた。そして潰された喉から絞り出されるような、ほとんど聞き取れないような声がそこから漏れ出した。  「き……さま……木津……」  今度は木津の目が見開かれる番だった。両手で倒れた男の肩をつかんで揺する。  「貴様ら、いや、『ホット』は俺と分かってて狙ったのか?! 何故?!」  答えはない。代わりに安芸の声が無線から開け放ったドアを通って聞こえてきた。  「仁さん! 残りが来ます!」  「くそっ」  立ち上がり、もう一度視線を男に投げると、木津はコクピットに飛び込んだ。ドアノブと変形レバーに同時に手をやる。  立ち上がった朱雀は、単機で飛んでくる上半身を視界に捉えた。  「単機?」  が、そいつは木津たちに向かっては来ず、高度だけをひたすらに上げていく。  三体の青龍は壁を背にした。  男を足元に、朱雀は動かない。  青龍の六つのライトが上空に長い光条を投げる。その果てにかすかに見える輪郭が、一転空気を切る異様な響きを伴って、急速に大きくなってくる。  上半身が垂直降下を始めたのだ。  青龍の三門の衝撃波銃が次々に放たれる。数発の直撃を受けても、しかし上半身は進路を変えることなく真逆様に突っ込んで来る。  その先には朱雀が。  仰向く朱雀の顔。目許に一瞬光が走る。左腕が真上に伸びる。  上半身の腕はこちらを向いていない。撃たないつもりか。いや、何かを抱えている。  左の指がスイッチに走る。右の指がトリガーを二度引いた。  衝撃波が上半身の全体にまとわり付く。共鳴する薄い装甲。組まれた両腕がわずかに緩む。そこに突っ込んでいく最大に絞り込まれた第二波の衝撃波。  衝撃波は上半身の頭の頂に突き刺さる。一瞬上半身は空中で止まったかに見えた。上半身は青龍の銃撃を受け、横に飛ばされて壁を越え廃工場の敷地内に墜落して行く。だが抱えられていた暗灰色の塊が両腕の間からずり落ち、そのまま真っ直ぐに落下する。  「爆発物だ! 回避!」  安芸の声に三体の青龍が揃って跳躍し、聳える壁の上を蹴って後退する。  木津は朱雀の足元に横たわる男、自分の名を口走った男にもう一度視線を投げる。  「仁さん早く!」  木津は低くうなった。  朱雀のボディがふっと小さく屈む。と、その姿はS−ZCの低いフォルムに変形し、後進。台車の残骸をすり抜けると、スピン・ターン。全速で離脱する。  数秒後、後方モニターに熔けるような赤黒い炎が広がり、上半身の、台車の残骸と、そしてまだ生きていたあの男の体をも呑み込んでいった。  最初に駐車場に滑り込んで来たS−RYのコクピットで、安芸がおやと声を上げた。  「ディレクター、お帰りだったんですか」  木津もウィンドウ越しに外へ視線を走らせる。駐車場の一番奥に穿たれた窓越しに、久我の姿が見えた。  「夜更かしはお肌に毒よ」  木津の軽口には返事をせず、久我は帰還する四台をじっと見つめている。  木津は口を尖らせた。  「ちょっとぐらい反応してくれたっていいのにさ、真寿美程とは言わんけど」  レシーバーからは峰岡のけたたましい笑い声が聞こえてくる。  三台のS−RYが、続いてS−ZCが駐車場の定位置に入って来、エンジンが次々に回転を止める。  ドアが開き四人のドライバーが降り立つ。外されるヘルメット、現れる汗の流れる顔。中に一つだけヘルメットのない顔が。それを見た久我の目がわずかに見開かれる。が、それには何も触れず、久我はまず全員に労いの言葉をかけたが、いつもながらあまり実感のこもった声には聞こえなかった。  整備士たちがVCDVに駆け寄り、走行記録ユニットを外しにかかる。一方久我は二〇分後に全員自分の執務室に集合するようにと命じて、足早にその場を後にする。  午前一時三十五分、久我執務室に続く会議室。久我と阿久津、そして着替える必要の無かった木津がもう席に着いている所に、後の三人が連れ立って入ってきた。  「遅くなりました」と結城。それを受けて久我が開始を宣する。  「今回、私が直接指揮を取れない状況ではありましたが、何らの問題なく対応を完了できたことは喜ばしく思います」と、これもまたあまり実感のこもった表情をせずに久我。「それから今回結城さんが初めての出動でしたが、無事任務を完了された旨、当局に報告致します。このことは可変刑事捜索車両の当局導入にとって強い推進力となるでしょう」  結城が照れたような微笑を浮かべる。その横で、久我にしては珍しくつまらないことを喋るな、と木津は思う。「そういう話ばっかり続くようなら、ぼちぼち寝かせてもらいたいんだがね。お肌が荒れちゃうからさ」  表情のない一瞥を木津に投げると、久我は「それでは本題のディブリーフィングに入ります」と言った。  走行記録の情報、各員の戦果が報告された後、話が相手の機体へと及んだが、ここからは阿久津の独壇場だった。  「あの上半身だけってのは、例のホヴァ・クラフトの応用だろう。肩と裾のところに揚力装置と姿勢制御装置が入っとるんだろうな。だが、実体弾と発射装置を積んどるんじゃさぞかし重たかったろうて」  「撹乱用って訳かい」と木津。  「まあ役に立ってもそんなとこだろう。もっとも残骸がまともに回収できない状況だっちゅうんじゃ確かめようもないがな」  話を引き取ったのは木津だった。  「まさか残骸を焼却するとはな」口を切りながら、木津はあの地面をなめ回す真っ赤な舌のような炎を思い出していた。「今度の機体はそうまでしなきゃいけないような代物だったんかね?」  「むしろ」久我が言う。「機体と言うよりは乗員の処理だったかも知れません」  「つーことは、『ホット』はあの中にはいなかったってことだな。大将を焼き払うとは思えないしな」  「そう言えば、木津さんが接触できた乗員がいましたね?」と結城が口を挟む。  「別に忘れてた訳じゃないんだ。それどころか気持ち悪くてさ」  「焼け焦げていたんですか?」  結城の言葉に峰岡が思わず手で口許を覆う。  「それもあったが、それだけじゃない」  先を促すような久我の視線をちらりと見返すと、木津は続ける。「俺が朱雀に乗ってるのを知ってたような口振りだったんだ。知ってて俺を狙ってきたような」  「『ホット』の目標が仁さん個人だと?」  「そんな気がしてこないでもないぜ」  「甲種手配対象者がですか?」怪訝そうな結城の声。「そのクラスの犯罪者が、個人レベルを動機に動くものでしょうか?」  そこに聞こえたのは久我の言葉だった。  「何が動機なのかは、まだつかめていません。個人的なものなのか、そうでないのか」  「個人的なものかも知れないっていう可能性も否定しないんですね?」峰岡が言う。  峰岡に顔を向けると、久我は言った。  「予断は出来ません」  「それでも気分悪いよな」腕を組み椅子に反り返って「名指しされるってのは」  「木津さんはS−ZCでの出動も一再ならずありますね」と久我。「それに一度はS−ZCで自宅に戻られてもいます。その折りにマークされていても不思議はないでしょう」  「それにレースに出てた時にも有名だったんでしょ?」峰岡が尋ねる。  「んにゃ、じぇんじぇん」首を横に振る木津。「レースじゃ地味なもんだったぜ」  と、木津の目元に少し影が落ちた。  まさか……?  Chase 10 − 集められた腕  「よーし、上がってくれや」  阿久津の声を聞くと、テストドライバーはスロットル・ペダルを踏む足の力を徐ろに緩めていった。  テストコースを離れ、テスト車両は開発現場専用の出入口の奥へとへ消えていく。  艤装に偽装を施した車体は、低速で作業ピットの上に進むと、マーキングされた位置にぴたりと止まった。  作業員が数人走り寄って作業に取り掛かる中で、ドアが開き、ハリネズミのように計測センサーのケーブルが付いたスーツを着たドライバーが降り立った。その両手がヘルメットを持ち上げると、汗一つかいていない木津の顔が現れた。  「仁ちゃんお疲れさん」  ディスプレイ画面越しに阿久津が労いの言葉を掛ける。まだテストコースの管制室から戻って来られていないらしい。  「おうさ」とそれでも木津は返事をする。「いい結果が取れたかい?」  「おかげさんでな、上々だよ」と言う口調は、言葉が決してお世辞に留まってはいないことを示していた。「そいつの乗り心地はどんなもんだったかね?」  「そうさね」脱いだヘルメットを右手の上でぽんぽんと弾ませながら「青龍よりは気持ちパワーが出てる感じだったな。もっとも朱雀にゃまるでかなわないがね。と、挙動は青龍よりマイルドだったな。初心者向けのセッティングなのかね。トータルバランス重視に振ったろ」  「さすがだな、その通りだよ」  「んでもさ」ヘルメットの弾みが止まる。木津はもう一度テスト車両に目をくれると、「偽装にしても、こんなにケツを膨らませることはなかったんじゃないか? キャンプに行くわけでもあるまいし」  息が漏れてくるような阿久津の笑い声がスピーカーから聞こえる。  「尻の大きいのは嫌いかね?」  「どっちかっつーと細身の方が好みだね」  また阿久津の笑い声。  「ま、よかろう。いずれにせよこいつはお主の車にゃなるまいからな」  脇から差し出されたミネラル・ウォーターのボトルを受け取って半分近くを一気に呷ると、息を吐きながら  「てぇと?」  「もう言ってしまってもいいんだろうな。ロールアウトも間近だし。こいつはな、当局にも納めるんだ」  「ほぉ、いよいよ当局でも導入かい」  「まぁ一部はうちで使うらしいんだがな」  「それが俺じゃないわけね。ま、ああいうマイルド系よりは、俺は朱雀みたいにがんがん来る方が好みだけどさ。で、一体誰が乗るんだ?」  画面の中で肩をすくめながら、阿久津は答えた。  「そいつぁ久我ディレクターの領分だ」  その久我ディレクターの執務室。  ソファに座ってデスクの久我の電話が終わるのを待っているのは安芸だった。  漏れ聞こえてくる久我の応答は相も変わらず表情のないものだったが、それでもある種の朗報が伝えられているらしいことは安芸にも感じ取れていた。  受話器が置かれた。  「申し訳ありませんでした」  と言いながら久我はソファに腰を下ろすと、デスクの上から取り上げてきた資料のバインダを安芸に手渡し、見るように促した。  表紙をめくった安芸の手が最初の一ページで止まる。そこに久我が話し始める。  「ご覧の通り、G−MBの最終仕様が決まりました。ロールアウトは一週間後です。配備数はこちらと当局とで合計八両、全て同時に配備実施します」  安芸はうなずくと、「その八両の内訳をお聞かせ願えますか?」  「シリアル一から四までをこちらで、五から八までを当局で運用する予定です」  「四両ずつですか……」  安芸は再びうなずく。その様子を見て、久我は説明を続けた。  「当局は特設チームを設置して、この四両を運用します。私たちでも同じく、G−MBは専従チームでの運用とします。そこであなたにチーム・リーダーを任せることにしました。ロールアウト時には当局から関係者を招いてデモ走行を行いますが、その際のドライバーも務めていただきます」  資料に向けられていた安芸の顔がはっと上がった。呼ばれて資料を渡されたことから、大体の見当は付いてはいたが、久我の口から直接、あの独特な口調で言われると、それは妙な重みを持って聞こえるのだった。  「了解しました」  安芸は落ち着いた口調で答える。  久我がゆっくりとうなずく。  「それで残りの三両は、今VCDVの運用に携わっているメンバーに全てあてがわれるのですね?」  久我の答えは否定のそれだった。  「まず結城さんには新チームに加わっていただきます。それから小松さんが復帰しますので彼もメンバーとなります」  小松の名を聞いて、その存在を忘れていた安芸は思わず苦笑いした。  「残り一両については、当局からもう一名の派遣を受け入れることになりました。資料の中に今回の人選と各人のプロフィールを入れてあります。もっとも結城、小松の両名については改めて言うまでもないでしょう」  その言葉を聞きながら、安芸の指は資料のページを繰っていた。そして新しいチームの編成に関する部分に行き着いた。  先頭の自分の名に続いて、小松潔、結城鋭祐、そして新たな名、由良滋の名があった。  安芸はさらにページを繰り、新メンバーとなるらしい由良滋という男のプロフィールを開いた。  「……当局では高速機動隊ですか。ああ、結城さんとは別の分隊なんですね。トレーニングは……これからですか?」  「そうです。なので、実際四両で運用を開始するのは一ヶ月後ということになります」  「そして我々の機種転換訓練もその間ということになるわけですね?」  「その通りです。もっとも訓練が必要となるほどS−RYとの間に違いはないと開発の方からは言ってきています」  一旦資料を閉じた安芸は、椅子に腰を落ち着け直すと、再び口を切った。  「このチームに峰岡さんと木津さんが入らなかったのは何故ですか?」  「今回編成のチームは専従という位置付けです。峰岡さんは現状通常業務から離れることが出来ません」  久我の言葉がそこで途切れた。が、安芸がおやと思う間もなく、続けて  「また木津さんはテスト・ドライバーの業務があります」  違うな、と安芸は思った。仁さんをわざわざ量産クラスの機体に縛り付けることはないという判断だろう。自分だってディレクターの立場だったら、朱雀というじゃじゃ馬を乗りこなしてもらう方を選ぶに違いない。なぜそうと言わないのだろう?  が、もちろん久我がそれ以上を言うはずはなく、安芸は静かに了解した旨を告げた。  夜半近く、ふらりと休憩室へと出向いた木津は、ドアの前でふと足を止めた。  中からウクレレの音が聞こえてくる。  ドアを開けると、椅子に腰掛けた後ろ姿がウクレレをかき鳴らす手を止め、ゆっくりと振り返った。  「あ、仁さん」  弾き手は安芸だった。  「こんな時間まで残業かい?」  「ええ、で、ちょっと気分転換に」  木津は安芸の向かいに座ると、煙草に火を点けて、煙の間から言う。  「ウクレレなんか弾けたんだな」  「手慰み程度ですけど」と答えると、安芸は弦の一本を人差し指でぴんと撥ねて見せた。他には誰もおらず、灯りだけが妙に明るい休憩室の中に、どことなく寂しげな音が響く。  「何だかえらく忙しそうじゃないか。今度の新しいやつ絡みの仕事?」  「もう知ってらしたんですか」  「阿久っつぁんからのコネでね。それに、テストも何回もさせられたし」  「それもそうですね」  言いながら安芸は低いテーブルの上にウクレレを置いて、軽く伸びをした。  「でも」木津が言う。「阿久っつぁんはうちで誰が乗るんだかは知らないらしいんだ」  おや、という風に眉を上げる安芸。  「本当は仲が悪いんじゃないかね、阿久っつぁんとおばさんは。コミュニケーションが取れてないって感じがするぜ」  「仲が悪いという訳じゃないと思いますけど、確かに阿久津主管は久我ディレクターにあんまりいい顔をして見せたことはないですね。きっと主管の職人気質がディレクターの事務処理的なところと相容れないんでしょう」  「なるへそ」と応じながら木津は灰皿に煙草の灰を落とす。「そう言う進ちゃんは分析的性格だよな。冷静沈着で。指揮官タイプなんじゃないかい?」  「そういうことなんでしょうかね」  安芸の言葉を聞いて、木津は怪訝そうな顔をしてみせる。  「そういうことってどういうこと?」  安芸がまたおやという顔をする。  「どういうって、私が新チームのリーダーを任されたってことですよ」  今度は木津がおやという顔。  「あ、そうだったんだ」  「知ってたわけじゃなかったんですか。残業の理由がとか言われるから、てっきりそうだと思いましたよ」  煙草をくわえた木津がウクレレを取り上げて、ちゃん、ちゃんと落ちを付ける。  「これだけは弾ける」  そう言うと木津はウクレレを置き煙草をもみ消して、飲料の自動販売機へと立った。  安芸は笑うと、ウクレレを再び取り上げて、陽気でいてのんびりとした曲を奏で始めた。  トマト・ジュースを手に木津は戻って来ると、安芸に新型の実物を見たかと訊ねた。安芸はウクレレを弾く手を止めず、久我から資料だけを見せられたと答え、さらに新チームのメンバーについても触れた。  「ほぉ」トマト・ジュースをごくりと飲み下して木津が言う。「てぇと、お茶くみは今まで通り青龍に乗るわけだ」  「彼女はほとんどディレクターの秘書ですからね、こっち専任というわけにもいかないんでしょう。だから必要に応じて支援に出る形になるんでしょうね」  「都合のいいやっちゃ、あのおばはんも」そしてジュースをもう一口飲むと、「ところで、何て言ったっけ、新型のコード」  「G−MBです」  「今度は頭がSで始まってないんだな」  「Sは試作機のコードですから。今度のは当局にも配備するので、生産型のコードをふったんですよ」  「G−MBか……」木津が顎をしゃくる。「んじゃ、通称は『ガンバ』ってとこか?」  ウクレレの音が止まる。代わりに笑い声。  「青龍朱雀と来てガンバはないでしょう」 「真面目にとらないよーに」と木津も笑う。 「ま、順当に『玄武』ってとこだろうな」  「ですね」  トマト・ジュースの残りをくいっと飲み干すと、また煙草に火を点けて木津が尋ねる。  「そう言えばさ、久我のおばさんは通称を使わないじゃない。何でか知ってる?」  「ああ」言われて初めて安芸は気が付いたようだった。「そう言えば。正式じゃないからかも知れませんね」  「それだけのことかいな」  木津は肩をすくめた。  「仁さん、そろそろ行きませんか?」  部屋に顔を出したのは、デート用の装備ではなくいつもの事務服姿の峰岡だった。  汎用可変刑事捜索車両、LOVE開発コードG−MBのロールアウトの日である。  「おうさ」  返事をすると、木津はそれまでごろごろしていたベッドの上に起き直り、一つ大きく伸びをした。  ドアの外では峰岡が待っていた。  「進ちゃんに会ったかい?」  「はい。何かいつも通りで拍子抜けでしたよ。全然緊張してない感じで」  「ドンパチの相手に比べりゃ、当局のお偉いさんなんか屁でもなかっぺ」  「それはまあそうですけど……」  「けど?」  「その表現何とかなりませんか?」  木津は何も言わず、ただにやりとしただけで、そのお偉方の待つはずのテストコースへと歩を進めた。  いつもは阿久津とその部下たちの陣取る管制室に、今日は追加の椅子が何脚か置いてある。管制スタッフの姿がまだない代わりに、窓を向いたその内の一つには既に結城が腰を下ろしていた。  「相変わらずご熱心ですね、結城さん」  峰岡が声を掛けると、結城は立ち上がっておはようございますと頭を下げた。  「やっぱり任される車両の初走行ですから、しっかり見ておきたいと思いまして」  「今日は向こうでの上司も出席されるんですか?」と木津が問う。  「そう聞いています」  「いいとこ見せ損ねた、てとこですかね」  この木津の言葉に結城は曖昧な笑みを浮かべて応える。  「でも安芸さんの方がVCDVの扱いには慣れていらっしゃる訳ですし、こちらのメンバーの方がやるのが筋だとも思います」  「結城さんは当局に戻られるんじゃないんですよね?」と、これは峰岡。  「はい、こちらでの任務を継続します」  「当局からもう一人来られるんですよね。結城さんのお知り合いの方ですか?」  「いえ……」  それ以上の説明は、久我を先頭に管制室に入ってきた一群に遮られた。  久我の後ろに続くのは負傷のやっと癒えた小松、それからネクタイとダーク・スーツに身を固めた中年男三人と、半歩さがってもう一人、これはまだ若い、安芸や結城と同じ位の歳の男だ。  結城は椅子から腰を上げ、峰岡と共にその群れに頭を下げる。木津も一応それに倣う。  男たちが黙ったまま礼を返す。それを見て久我が男たちに向き直り、  「こちらの四名が現在当研究所で試験運用にあたっているドライバーです。あともう一名おりますが、これは今からお目にかけるデモ走行のドライバーを務めます」  そしてスーツ姿の四人に腰掛けるよう勧め、埋まった席の後ろの列に木津たちが陣取った。  「もう少々お待ちください。ただいま開発担当者が参ります」  久我のこの台詞に、木津は思わずにやりとする。さすが阿久っつぁんだ、当局のお偉いでも平気で待たせやがる。  その間に結城が、座った中の二番目の男に近付いて再度頭を下げ、何やら話し始めた。それがどうやら結城の当局での上長らしい。  隣りの二人がそれとは別に話を始めたが、歳上の方が若い男を由良君由良君と呼んでいることから、若い方が新たに派遣されてきた由良滋であることは間違いなかった。  五分ほどして、「お揃いでしたか。お待たせして申し訳ありませんな」と言いながら、悪びれる風もなく阿久津が姿を現した。  「お披露目には万全を期したいと思いましてな。最後の調整に少々手間取りましたが、これで最高の試運転をお目にかけられます」  いけ好かないおやじだ、という顔をするお偉いに、久我が開発主管を紹介する。  「今回の走行の管制は彼が行います」  それからやっとMISSESのメンバーに対して来賓の紹介がされた。曰く、順に当局のVCDV運用新チーム管理者、結城の所属している高速機動隊の部隊長、同じく高速機動隊の別の部隊の部隊長、そしてその配下でMISSESに新規加入する由良滋。  「では」と、遅れて来ていながら紹介の終わるのが待ちきれなかったかのように阿久津が言う。「始めてよろしいですかな?」  当局の面々は特に何の反応も返さない。代わりに久我がお願いしますと返し、MISSESのメンバーには着席を促した。  阿久津が管制官席に着く。その顔つきが一変したのに気付くのは木津だけだった。  「準備よろしいか?」との阿久津の言葉に、安芸の声が肯定の返事。  「よろし、微速でゼロ位置に付け、一旦停止後フル加速で全速、ゼロ位置通過後三周し半速までフル減速、Wフォームに変形し作業及び射撃一周、次いでMフォームに変形、射撃及び作業の実施」  「了解」  何てこたぁない、と木津は思う。進ちゃんなら何の苦もなくこなすプログラムだ。それにこいつら、俺たちの今までの出動を見たことがないのか? ワーカーの作業とは話が違うってこと分かってんのかね。  「来ました来ました」  峰岡の声に我に返って、木津も窓の外に視線を移す。  「あれがG−MBか……」  指示通り微速で姿を現したのは、ガンメタルの車体色、ツーボックス・ワゴンタイプのボディだった。  峰岡が意外そうな声を漏らした。  「あら〜、何だかスマートじゃないですね」  峰岡のS−RYも、木津のS−ZCもクーペ風のボディを持っている。それに比べて、このG−MBは鈍重そうにさえ見える。  当局のお偉いにはこれという反応がない。ただ由良一人がこれから自分も乗るはずの機体を少しでもよく見ようとしてか、わずかに上半身を乗り出しただけだった。  ゆるゆるとG−MBは進み、ゼロ位置と呼ばれたスタートに着いた。  スピーカーから安芸の声。  「ゼロ位置にてスタンバイ完了」  聞いた阿久津が振り返り、  「ではよろしいですかな?」  異を唱える者のないことを見てとると、阿久津は再度マイクに向かい、スタートの指示を出した。  窓の外を見つめる当局の面々の沈黙は、直ぐに嘆声に変わった。見かけによらない加速と制動、挙動の敏捷性、Wフォームへの流れるような変形と、繰り出された腕の動作の正確さ、射撃の精度。どれひとつをとって見ても、当局勢をうならせないものはなかった。  その様子を見て木津は皮肉っぽい微笑を浮かべていた。ドライバーが良すぎるぜ、こりゃあ。それにG−MBは一見重そうに見えるとは言え、実際にはS−RYよりはパワーが出ている。かてて加えて、射撃の腕は隊内でピカ一の進ちゃんだ。誇大広告だよ。  「いよいよMフォームですね」  峰岡は少し乗り出し気味になる。ハーフが最後のコーナーを回り、ゼロ位置に向かう。そのラインを踏み越した次の瞬間、Mフォーム「玄武」が立ち上がる。青龍や朱雀に比べてがっしりとした体格、バックパックを背負ったようなそのフォルム。  「なるほどね、荷室はああなるわけだ」  と、玄武の右腕が一瞬「バックパック」へ伸ばされる。  木津も思わず声を上げた。  次の瞬間、玄武はハンドガンを構え、射撃の姿勢をとっていた。そして同じように素早い動作でハンドガンをバックパックに戻す。  「G−MBの特徴として」久我の声がそこへ割り込む。「ご覧のように固定装備以外の機器を携行し、人間型、私たちはMフォームと呼んでいますが」  「おばさんだけだって、そう呼んでるのは」と木津が隣りの峰岡だけに聞こえるように小声で茶々を入れ、峰岡を笑わせる。  「その形態の時に自由に活用できるようにしたことがあります」  また安芸が見事な射撃の腕前と操作を披露し、最後に管制室の前に玄武を立たせた。  当局のお偉いたちは腕を組み驚嘆のうなり声を上げ、由良はその頬を紅潮させていた。  「これを我々が使うことになるのですな」と分かり切ったことを当局新チームのトップになる男が言う。  「その通りです」久我が答える。  結城の上長が長い息を吐いた。  「うちの結城にもこれだけのものが使いこなせる、というわけですか?」  久我がさっきと全く同じ返事をする。  「なら君にも出来るな、由良君」ともう一人が言い、由良がわずかにうなずく。  「なるほど」と最初のお偉いが再度口を開く。「スピードと正確さについては十分見せてもらいました。ただもう一点、パワーの面でデモンストレーションが不足してはおりませんか?」  阿久津が管制官席から振り返る。  「ほう、ではその点如何様にご覧に入れればよろしいですかな?」  「我々には力仕事的な内容に対処できる機体が必要です。それを拝見したい。例えば、この捜査支援車両同士の模擬戦で」  阿久津はふんと鼻を鳴らすと、久我に向かって意向を質す。  久我は平然と答えた。  「この場でお目に掛ける必要は無いと思われます。何故なら、実際に私たちの方が先に出動することになるでしょうが、その実績をお伝えすることで御要望には応えられると思われるからです」  件のお偉いは腕を組み、口を開きかける。と、それを遮るように久我の電話が鳴る。  失礼、と一言残し、久我は管制室の隅へ。それを塩に、当局組はまた内輪で話を始める。  が、それも戻ってきた久我に再び遮られた。  「早速G−MBの実地性能をお目に掛ける機会に恵まれたようです」  この言葉に木津が、次いで峰岡が立ち上がる。が、久我は管制台の阿久津の横に立つと、マイクを取った。  「出動要請です。ワーカー四両、G区倉庫街にて器物破壊行為を行っているとのこと。安芸、結城の両名はG−MBで出動」  「了解、結城さんのスタンバイ待ちます」  結城が駐車場に走ると、久我は当局の四人に執務室へ同道するように言った。  「で、こっちは?」と木津が問う。  「これで解散とします」  何だ、内輪にゃ玄武の初陣は見せてくれないのか。肩をすくめる木津をよそに、久我は峰岡に茶の準備を命じた。  その夕方。  就業時間の終わった後で、ウクレレの音に誘われて、木津はまた休憩室にぶらりと入ってきた。  「いよぉ、お疲れさん」  声を掛けると、安芸が振り返る前にその前に腰を下ろして続けた。  「どうだった?」  安芸はぱっと弦を払って演奏を中断する。  「簡単に片付きました。十六、七の子供がワーカーを盗んで暴れてみたというだけの話でしたから」  「ふぅん」  つまり、今回は「ホット」とは何の関わりもなかったわけだ。  「で、新型の乗り心地はどう?」  「青龍よりパワーと操作性は少しアップしてましたから、あれなら当局に入れても、慣れるのは早いかも知れません」  「あれは使ったんかい? リュックサックの中身にあれこれ詰まってるやつってのは」  「ああ」安芸は笑いながら「デモで見せた拳銃ですか? あれは張りぼてですよ。衝撃波銃の腕への装備は踏襲してるわけですから、わざわざ別の火器なんか持たなくても」  木津は半ば呆気にとられたような顔で言う。  「んじゃ、何だってあんなもんを」  「その方が当局向けにはアピールしやすいだろうという判断ですかね」  「誰の?」  「多分ディレクターのでしょう。それに出動の生中継もあったようですし、当局の方々もなかなかに満足されていたらしいですよ」  「商売人やねぇ」  そう言いながら木津は煙草に火を点けた。  それを見ながら、今度は安芸が訊ねた。  「仁さんは、久我ディレクターに対しては手厳しい言葉が多いですね」  「ん……そうかな。意識してやってるつもりはないんだけどね」  「女性としてはタイプではない?」  煙草をくわえた木津の口の端が少し持ち上がる。開かない唇の間から言う。  「進ちゃんがそういう話をするとは、予想もつかなかったよ」  安芸は安芸で、そう切り返されても別段慌てた様子もなく応える。  「仁さんはこういう話が嫌いじゃないと思ったんですが」  木津はにやにやしながら、  「そりゃ嫌いじゃないけどさ、久我のおばさんを女として意識しなきゃならんほどじゃないぜ」  「痛烈ですね。確かにディレクターとしての手腕は男勝りですけど」  「だべ? 何、もしかして進ちゃんはああいうのがお好み?」  「決してそういうわけではないです」という冷静な安芸の応えに、つい木津は吹き出す。  「力説しなくたっていいよ」  安芸も歯を見せる。  と、そこに例の弾けた声が割り込む。  「何話してるんですかぁ?」  帰り支度を済ませ、ピンク色のふかふかとボリュームのあるセーターに埋まりかけたような峰岡が小走りに近付いてきた。  「仕事終わったの?」と安芸が訊ねる。  「うん、引き渡しの手続きも済んでお客さんも帰られたし、由良さんが来られるのは来週からだから、準備も慌てなくっていいし」  「お客さんの反応はどうだった?」  木津が訊ねる。  「生中継にはさすがに感動してたみたいですよ。相手があれなら手際よく見せられますし。不満そうにしてた人いましたよね、あの人ももう文句なしって感じでした」  「不満?」と首を傾げる安芸に、木津が管制室での経緯を話して聞かせる。  「それはそうと」木津の横に座ると、峰岡が話を戻す。「男同士で何のお話してたんですか?」  「高尚且つ深遠な永遠の謎について」と木津が真顔を作って言う。「な?」  安芸は笑うだけで何も言わない。  峰岡は二人の顔を交互に見比べて言う。  「またそんな冗談ばっかり」  「冗談じゃないさ。久我ディレクターが女であるか否か、じゃない、男の好む女のタイプは何故こうも多様性に富んでいるか、てのは永遠の謎じゃないかね?」  「え、えーと……うーん」  真剣に考え込み峰岡を見て、男二人は顔を見合わせて吹き出した。  それも目には入らないかのように八の字を寄せていた峰岡が、急に右の拳を左の掌にぽんと打ち付けた。  「うん、そうだ」  そしてくるりと向き直ると、  「安芸君、今夜は当番?」  「いや、昼間のデモをやったから免除だって。今夜は結城さんと小松さんが当たる」  「残業は?」  「どうしようか考えてた。考える余地のある程度のものだけど」  「そっかぁ。で、仁さんは聞くまでもなく暇ですよね。それじゃ、これから三人でお酒でも飲みながらその重大で難問の哲学について語り合いましょう。ね?」  木津と安芸はまた顔を見合わせる。  「どうだい? 行くか?」  口振りはあくまで質問だが、表情はもうその気十分の木津に、安芸もまんざらではない様子で答える。  「いいですね」  「おっしゃ、決定だ」  木津は立ち上がり、安芸もそれに続いた。  小さく万歳をして峰岡が言う。  「それじゃお店は任せて下さいね」