A.土佐通宝 当二百 初期銭と思われます。
 
 
右図でご覧頂きました様に、トロトロになった土佐通宝 当二百です。

天保銭でも、こんなにトロトロになったのは、少ないと思います。

だいぶ通用して人の手を経ている証拠です。

思わず、ご苦労様!、って言ってしまいました。

書体を見ますと、”土佐”の字は、後の土佐通宝と同じ書体ですが、”通”の字の最終画が異常に跳ね上がっています。

でも、文字の全体バランスは取れている様に見えます。(余程の能書家だったのでは−−−。)

藩より選ばれた書体筆者がまだ初めの頃、嬉しくて調子付いて筆者のクセもあり、跳ねた物と思われます。(裏側の字もいい気になって書いているいるみたいです。)

 
クリックすると裏側が表示されます。
 
発行され通用が始まった後に、”土佐の平通”などと評判が発つた為に、”通”の字を直して、今の土佐通宝に切り替えたのではないでしょうか。

そして跳ねたこの初期の土佐通宝の仲間は回収され、鋳潰されたのではないでしょうか。

それでも、筆者の癖は抜けず、図録に載っている”土佐通宝”も、まだ平通です--。(一般の人は気がつかなかった、のかも知れません。)

この上図の跳ねた土佐通宝は回収を免れた珍品であると思っています。(図録にも載っていません。)

あったのは、大阪です。

当時から、物流の拠点で全国から、船が大阪に沢山来ていたのではないでしょうか。

その船に乗って、天保銭に混じって、天保型の珍品地方貨幣が大阪に集まったのではないでしょうか。

多分、当時から”土佐通宝”は、天保銭より、遥かに数が少ないので、珍しかったのではないでしょうか。

大阪で、土佐通宝がまとまって数枚出る事があるそうで、私の想像ですが、当時から、豪商が土佐通宝を集めていたのでは?などと、思いをめぐらせています。

”土佐通宝”以外の”天保銭型珍品地方貨”も大阪orその他の物流の拠点で、まだ眠っている可能性が考えられます。

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