*

YJOCVA機関紙23号

文字サイズ: 最小 | | | | 最大

機関紙V23です。

山梨青年海外協力隊協会通信
                    VOL.22 2007 5月 
編集・発行 山梨青年海外協力隊協会  〒402-0054 山梨県都留市田原
      (青年海外協力隊ОB会)        会長 齊藤 ひとみ
ホームページ http://www.fsinet.or.jp/~yjocva/

『青年海外協力隊協会評議員ブロック会議(関東)に参加して』
              秋山尚子(H13-1 バングラデシュ 理数科教師)
 昨年11月25日、26日と伊豆大島にて行われたブロック会議に行かせて頂きました。日程は、以下の通りです。
11月25日(土)
10:00 受付開始
13:00 開会挨拶
 来賓紹介及びご挨拶  
 出席者自己紹介
      JOCA中間報告 質疑応答
JICA事業報告 (含 ボランティア事業の動向) 質疑応答
14:00 基調講演 金子ひろ子氏/大島町議員
      『伝統工芸 椿染め 〜地域活性化への取り組み〜』
      ― 休憩 ―
15:00 全体討議
      「都道府県OB会の役割(任国別・職種別との違い)」
懇親会
11月26日(日)
8:00  朝食
9:30  全体討議「JOCA理事、ブロック幹事の役割(OB会との関係等)」
11:30 閉会
〈感想〉
初心者秋山から見た関東ブロック会議とは…
 関東甲信越静のOV会が参加する会議です。年間の活動報告がされ、各都県における問題点や困っていることなどをシェアーしています。出てくる課題に対して、JICAや他のOV会から、経験を生かしたアドバイスや意見交換がされます。
今回は…
成功例だけでなく失敗例も挙げられていました(国際交流を目的にウォーキングを企画したが参加者か集まらなかった)。その失敗例について、参加者からそれぞれの専門を生かした意見が出ていました。
毎回話題に出ている、帰国隊員のOB会への参加率についても話題に上りました。今年度は、12年度対以降の最近の隊員が多かったので、なぜOB会に参加しようと思ったか体験談を聞きました。
 また、JOCAに対する要望や意見も多数上がり、参加している代表者たちが、日ごろから、協力隊への高い関心をもっているということも、ひしひしと伝わってきました。
 そのような、雰囲気の中で、関東全体でイベントをやってみよう、という提案もされていました。
会全体を通して、とにかく各都県代表の方が本当に熱心に参加されていたことが、印象深かったです。
最後に、ブロック会議に参加して、訓練所で一緒だった同期や同じ国に派遣された隊員に会うことができたのも、私にとっては大きな収穫でした。帰国して時間がたつにつれ、同じ時間を共有し、お互い無事に帰国し、こうしてまた出会えた縁が、有難かったです。
また、今回は東京OB会の提案で、伊豆大島で行われました。地域活性化という意味もあったようですが、海なし県民としては高速フェリーから興奮すること続きでした。会議終了後や船が出るまでの間、観光をしました。大島が流人の島であったという独特な歴史を持っていることや地理的にも面白い場所だということがわかりました。海に浮かぶ島の料理もおいしかったです。各県を回り、お国自慢かつ地域活性化という側面もあったのだと知りました。

『JICAボランティア家族連絡会・海外ボランティア活動報告会』
2月25日(日)国際交流センターにおいて、午前10時から海外ボランティア家族連絡会、午後1時30分から海外ボランティア活動報告会を開催しました。

海外ボランティア活動報告会報告者
  松岡瑠理子(ボリボア・村落開発普及員)
  鈴木史浩(ネパール・家畜飼育)
  河野美保子(マレーシア・作業療法士)
  シニアボランティア
  進藤美智子(ウズベキスタン・日本語教師)
  研修視察
  坂本なおみ(ヨルダン・小学教師)

海外ボランティア活動報告会には、ピーク時は約70名の参集がありました。また報告会終了後の青山ジェニさんのタイ料理も好評でした。

『ファシリテーター養成講座』
3月31日(日)国際交流センターにおいて、山梨県青年海外協力隊を育てる会主宰による第1回ファシリテーター養成講座を、桜井講師を招き開催しました。
第16回開発教育全国集会山梨大会に向けて(もし世界が100人だけの村だったら)と題してのセミナーでした。8月18日・19日の山梨大会に向けて、あと3回ほどセミナーを計画しております。高校生、大学生、一般、協力隊OV、群馬・愛知の育てる会関係者など多数が参加しました。

4月14・15日(土曜日午後1時から日曜日昼まで)甲府市川田町の山梨県青少年センターにおいて、第2回ファシリテーター養成講座を、第1回に引き続き桜井講師を招き開催しました。
内容:開発教育とは、分科会について、どんな分科会が出来るか皆で話し合おう、分科会ごとのアプローチの方法について。
高校生や大学生に多く参加していただき内容のある勉強会でした。
『JICAボランティア募集説明会』
4月21日(土)国際交流センターにおいて、午前10時30分から午後4時30分までJICAボランティア募集説明会を開催しました。
午前:シニア海外ボランティア募集説明会。約20名の参加者
パネラーはパラグアイからの帰国したシニアボランティア小澤さん。
午後:青年海外協力隊募集説明会。約30名の参加者
パネラーはジンバブエから帰国した秋山進さん、モンゴルから帰国した古川さん。

『平成19年度定期総会開催』
4月21日(土)JICAボランティア募集説明会終了後、午後4時30分から、平成19年度の定期総会を開催しました。役員10名・来賓JIVA・JOCA・育てる会3名参加。
詳細は別紙報告書のとおりです。
総会終了後は、開発教育全国集会山梨大会の現在までの状況進捗状況について高石から説明があり、20時15分に終了しました。


『隊員活動報告』
現在活動中の岸本あさみさん(幼児教育 シリア)から活動報告の原稿をいただきました。
皆さんお元気ですか?

シリアは今、1年で一番寒い時期を迎えています。先日は雪が降りました。
私のシリアでの活動も残すところあと半年となりました。
この1年半、現場での活動と平行して、2回の国外研修と日本への研修員派遣・・・。バタバタとあっという間に過ぎてしまいました。
去年の夏(6月4日〜8日)のエジプト中東乳幼児教育広域研修。(参加国:エジプト・ヨルダン・イエメン・シリア)今回はこれまで2回行われてきた研修の集大成としての研修会で、それぞれの国の乳幼児教育関係者、カウンターパートとともに参加するというものでした。カウンターパートの中には初めての海外!という人も多く飛行機が怖くて涙目になり、ホテルでは一人部屋に寂しがり、市場に行けば迷子になる・・・と研修以外も楽しく(?)過ごすことができました。
今回のプログラムのひとつに隊員とカウンターパートが日常保育のなかで取り組んでいる保育実技(手遊び、体操やお話など)を一緒に紹介するという時間がありました。私もカウンターパートと一緒に新聞紙でできるお話を紹介しました。カウンターパートは得意気に堂々と他国の参加者に実技を紹介。このチャンスは彼女自身のモチベーションの向上にも役立つものでした。

そのほかにも現場での諸問題に関する討論会や講演会、現場視察など、現場に焦点があてられた内容でした。一人ひとりの現場での活動は小さいものです。しかしこの小さな活動が集まることで、このようなおおきな研修につながることに大きな学びがあったように思います。

そして去年の秋にはヨルダン幼稚園視察へ。
カリームリダサイードというイギリスのNGOによる幼児教育講習会が、ダマスカス(長期)とラタキア(短期)で行われ、ヨルダン人講師であるバーリアさんの講義・実技にひきつけられた先生たち。とても熱心にメモをとったり質問したり、この講習会は先生たちの意識に大きな影響と変化を与えてくれました。その姿をみて講義の中でたびたび出てきたバーリア氏が園長を務めるヨルダンの園の視察を企画、実行に移すことができました。

9月16日から18日。2泊3日でバーリア氏の園(NGO園)と公立園の視察に出発!!
初日に訪れたバーリア氏の園は、日本の幼稚園以上かとおもうほど教室がきれいで玩具や教材がそろっていました。シリアのように机に座って教科書を使っての一斉授業ではなく、床に座って子どもの答えを聞きながらの授業で、子どもへのかかわり方も穏やかなものでした。遊びの空間もあり、授業のあとには自由遊びの時間も設けてあり子どもがのびのび遊ぶ姿も印象的でした。

ヨルダンNGOの園



シリアの園→


視察の後にはバーリアさんの講義。中東全体が保育者主導の学習中心型の形態である中、どのようにして子ども中心の保育をとりいれていったのか、保護者の理解の獲得について、また保育計画についてもきくことができました。
帰国後には、遊びを取り入れた保育への実践のため、保護者との話し合いの場をもったり、子ども主体の保育を行う第一歩である園環境の整備として、机をなくし絨毯を敷いたりと先生たちは積極的に動き出しました。

その意欲を支援するため隊員支援経費を使い、活動園(2園)に玩具、棚を購入させていただきました。遊びの部屋で自由に遊んでいる子どもたち・・・。お絵かき、ブロック、おままごとなど好きな遊びを選んで、子ども同士、かかわりながら遊びを展開し楽しんでいます。今まで見たことのない笑顔を見せてくれる子どもたちに癒されている毎日です。今後も今の状況で工夫できる視点や保育者の役割について伝えていきたいと思います。

このヨルダン研修はシリア人保育者に「気づき」を与えてくれ、シリア人保育者の持つ保育能力を引き出し、それが現場で小さな変化につながっています。この小さな変化がさらに子どもの視点に沿ったものになるように、シリアの幼児教育隊員は悩みながらも少しずつシリア人保育者とともに進んでいます。私もあと半年という残された期間ですが、がんばっていこうと思います。

余談すが・・・・
今は羊の出産最盛期!!
かわいい羊の赤ちゃんがたくさんいますよ。
2年間の活動を終えて


秋山進(H16-2 ジンバブエ コンピュータ技術)
今振り返ってみて自分のジンバブエでの活動は、何だったのかと思う。未だに明確な答えは見付からずにいるが、自信を持って言えるのが、多くのものを得たと同時に色々な失敗・挫折もあった、非常に濃くて喜怒哀楽に富んだ経験だったと思う。そしてそれらの経験を私に与えてくれた、ジンバブエとその人々に心から感謝している。「ジンバブエよ、本当にありがとう」と。正直それが私の今の心境だ。別にジンバブエを美化するつもりは全く無い。彼らに対して批判的・建設的な意見を述べよと言われれば、多分書き尽くすことができない程たくさんある。ただ、この2年間で自分が成長できた機会を直接提供してくれたのは、まぎれもなくジンバブエ及びジンバブエ人であり、彼らに感謝する気持ちで一杯だ。私の任国がジンバブエで良かったとしみじみと思う。

簡単ではあるが、私の活動内容を紹介したいと思う。
私の職種はコンピュータ技術で、首都郊外にある専門学校にあるITコースの生徒に対して講義を行うというのが要請内容であった。生徒の中には障害を持った生徒もいて、健常者と障害者の比率は6:4位であろうか。年齢は18〜35歳位までばらつきがあるが、一番多いのは20代前半。そもそもこの学校は障害者や退役軍人が技術を身に付ける為に設立された全寮制の学校であるが、学校経営としてはそれらの人々だけでは成り立たないことから健常者も併せて入学できるようになっていて、各クラスには身障者が数名含まれたユニークな構成となっている(日本ではちょっと考えられないと思うが)。
ジンバブエのほとんどの学校は3学期制度で、1〜3月が1学期、5〜7月が2学期、9〜11月が3学期という形になっている(私の学校も同じ)。朝は8時から始まって15:30に終了というのが一日の流れだ。1コマ2時間で一日3コマを消化する計算だ。
私の担当業務は大きく分けて、@担当講義の実施(4科目)、Aコンピュータ及び周辺機器の修理・メンテナンス、B講師の育成、CWEB技術に関する相談、の4つ。講義が無い時間や休日を利用してABCを実施するという感じだ。これ以外にも個人レッスンも掛け持ちで行っていたので、ターム中は結構忙しかったと感じている(会社員時代の忙しさとは比べものにならないが)。
生徒達に対する感想としては、生徒達は国家資格を取得すれば収入が高い職に就けるという思いが強く、結構真面目であったと思う。驚くことに彼らの間には日本でいういじめみたいなものはなく、皆仲がいい。お互い助け合うことや共有することが彼らの文化としてあって、彼らと一緒に授業をしていて楽しい時間を過ごせたと思う。休日時間のある時は生徒とサッカーしたりお酒を飲みに行ったりして、先生・生徒の関係を超えて仲良く過ごす事ができたと感じている。
私が活動の中で意識して行ったこととして、「アクティブに教える」というものがある。これは簡単に言うと生徒達自身が主体になる授業をするということだ。要は生徒に考えさせる授業をするということだ。他の講師がやっている暗記中心の講義でなく、生徒たち自らが考えてアウトプットするという講義を展開したと自負している。例えば、生徒にただ問題を与えるのではなく、その解説を生徒にプレゼンしてもらったり、クラスをグループに分けて各グループに課題を与えてグループ毎にプレゼンしてもらったりした。私自身時間内にシラバスを消化しなければならないプレッシャーがあり、準備も大変ではあったが、生徒達の理解力・思考力を深める為に苦労したと思う。(他の講師からは異質に見えたかもしれないが。)
以上思いつくままに書いてみたが、ジンバブエでの活動は、これからの私の人生に大きくプラスに働くものであることを感じている自分に今はとてもハッピーだ。今後の自分のキャリアアップを今模索している所であるが、いずれにせよ、また新たな目標に向かって果敢に挑戦していきたいと考えている。
最後に、ジンバブエに行く機会が将来もしあったとしたら、喜んでまた行きたいと思う。今度は私が受けた恩を返すべく人々に何かを与えることが出来ればと思う。


「ヨタラ町の人々を主役に!」
  松岡瑠理子(H15-3 ボリビア共和国 村落開発普及員)
私は、南米のボリビア共和国で青年海外協力隊として活動していました。村落開発普及員という職種で、人口9500人の小さな町の役場が配属先でした。ヨタラという名前のその町は、ユネスコの世界遺産に登録されている古都スクレから、15kmほど離れていて、富士山の5合目よりも高い標高2500mの場所に位置しています。

赴任初日は、町の人々に囲まれ、現地語であるケチュア語で話しかけられてしまい、戸惑ったのを覚えています。「ヨタラ町の人々を主役に!」を合言葉に、活動にしようと心がけ、子供たちと折り紙や音楽、踊りなどを通してふれあい、町の人とはお茶を飲みながら世間話をしたりして、ニーズを引き出しました。彼らから出た意見がうまく役場に伝わるように気をつけながら、住民と役場との連携を取ってプロジェクトを進めて行きました。子供たちの栄養不足を心配した保護者グループから案の出た保育園での野菜畑プロジェクト。トイレが設置されていないため、衛生面で問題のあったヨタラ町内の料金所での公衆トイレプロジェクト。子供たちが誇れる町にしたいという要望から立ち上げた、ヨタラ町緑いっぱいプロジェクトなどを行いました。
任期中、大統領が2回変わり、町長も3回変わり役場のメンバーもそれに伴い変わってしまったりして、動き始めたプロジェクトが止まってしまうこともしばしばありましたが、無事2006年4月に2年間の任期を終え、帰国しました。
ヨタラ町で過ごした2年間を振り返ると、周りの方々に支えられてきたことを強く感じます。外見が違い、言葉もわからずにいる私をあたたかく迎え入れてくれたヨタラのみんな、そして、ずっと一緒にいて励ましてくれたヨタラの家族にはとても感謝しています。


今年3月から、雨宮さんの後任で、山梨国際協力推進員として働いています。これからは、地元山梨の皆さんと異文化理解、国際協力の架け橋となれるよう、努力していきたいと思います。



活動?報告(異文化紹介)in Malaysia
河野美保子(H16-2 マレーシア 作業療法士)
こんにちは。帰国して4ヶ月が経ちました。帰国当初は任国と日本の色んな違いに改めて驚いたこともありましたが、今では毎日が「ウルルン滞在記」のようなあの2年間は夢だったんじゃないか?と思うほど日本の生活にどっぷり浸かっています。
私の派遣先はマレーシアの半島東海岸に位置するトレンガヌ州でした。マレーシアは他民族国家であり、マレー系・中華系・インド系が混在し、言葉もそれぞれ違います。任地のトレンガヌ州はマレー系が90%以上というイスラム色の強いところでした。
みなさんはラマダンという言葉を聞いたことがあるでしょうか?ラマダンつまり断食のことをマレー語でプアサと言います。プアサとは「満足する」という意味もあります。
イスラム教の方々(ムスリム)は年に一回およそ一ヶ月間断食(プアサ)をします。私の任地でも一大イベントのごとくイスラム暦にのっとってプアサがありました。
面白いことに、マレー系の歌手やアイドルがテレビやラジオのCMで「プアサ頑張ろうぜ!」と呼びかけたりもします。この一ヶ月が過ぎると「ハリラヤ」と呼ばれる言わば正月の時期になります。
プアサは日の出から日没まで一切の飲食が出来ません。その他にも男性は女性を色目で見てはいけないとか、鼻をほじってはいけないとか禁欲になります。
プアサをする意味は??マレー人の多くの方々は口を揃えて「普段沢山食べているからこの一ヶ月間は胃を休ませることで健康にとても良い。」「世界にはおなか一杯食べられない人々もいる中で、プアサをすることでそれらの人々の気持ちを身をもって体験し、食事が出来るありがたさを知る。」と言います。
なので、ムスリムの方々は日の出前(大体朝の4時半頃)に起き朝食を済ませてから夜明けと共に鳴る空砲とお祈り(朝5時50分頃)を合図に断食に入ります。そして、日没(夜7時前)に空砲とお祈りと共にプアサから開放され、この時間街に人通りはなく、人っ子一人いなくなります。プアサの時期には午後から街は屋台で賑わい、菓子や食べ物が沢山売り出され、夕食は普段より豪華となります。夜な夜な店は賑わい市場では年末のアメ横のようになります。
ムスリムの子供達は幼少の頃からプアサの訓練をします。絶飲食の時間を日に日に年々伸ばしていって最終的にはプアサをすることになります。
このプアサの時期・・・隊員の活動にとっても影響しました。
第一にこの時期には講習会やイベントを入れることは不可能となります。「疲れるから・・・」と意欲が低下したり、仕事中もなるべくエネルギーを温存するかのように眠そうにグッタリと椅子に座っているマレー人を目にしたり、注意力が低下し事故をよく目にした
      りしました。また、公務員の終業時間も普段より一時間早くあがりとなります。反対にこの時期に一生懸命働いている方々を目にした時には「おぉ〜」ととても感心してしまいました。
日中店も閉まっている所が多く、炎天下で脱水になりやすいため、活動中は水や食料を持って行き隠れて飲んだり、家に帰る夕方までは食べずに過ごすことも多かったように思
写真は夕方の買い物客で賑わう屋台     います。

これが、首都になるとムスリム率が減るため、周りで中華系やインド系の人々が食事をするのを見ながらムスリムの方々は空腹に耐えているという図になります。
季節をあまり感じることの少ないマレーシアですが、こういったプアサやハリラヤのイベントを通して人々の生活や気持ちのメリハリを感じたものです。

活動報告
古川幸二(H16-2 モンゴル国 保育士)
私が活動していたのは、モンゴルの首都ウランバートルより500km離れたボルガン県ボルガン村にある、ボルガン第2幼稚園。園児数は、130〜150人、0歳児〜2歳児の子ども達が通う保育園クラスが2つ、3歳児〜6歳児の子ども達が通う幼稚園クラスが4つの計6クラスからなるボルガン県のなかでは、1番大きな幼稚園でした。私の主な活動は、この幼稚園で2日ずつ各クラスに入り、モンゴルの先生達と一緒に保育をする、また県内の幼稚園を巡回したり、先生達を対象にしたセミナー、また田舎の幼稚園(私の住んでいた所もたいがい田舎でしたが、さらに田舎)にも行って保育をさせていただきました。
モンゴルの幼稚園というのは、遊ぶということをほとんどせずに、いすに座って何かを覚えたり、書いたり、作ったり、ひたすら暗記したりとあまり幼稚園らしくない感じで、先生達の子どもに対する声かけも厳しすぎるというのが私の印象でした。そこで私はまず先生達の様子を見ながらモンゴルのやり方も受け入れて、日本のやり方も受け入れてもらえるようにしてきました。手遊び(日本のものをモンゴル語訳して)運動遊び、集団遊び、体操、子どもが興味を持てるような教材作りなどをモンゴルの先生、子ども達と一緒にしてきました。私と一緒に子ども達と身体を動かして遊んでくれた先生、歌をメモして一生懸命覚えてくれた先生、コージがクラスにいるからと、どこかへ出かけてしまう先生、ただ座って見ているだけの先生。反応は色々でしたが、私がいた2年間で先生達はそれぞれ、何かを感じ、考える機会にはなったのではないかと、思っています。えらそうなことを書きましたが、私が2年間この幼稚園で活動出来たのは、モンゴルの先生方そしてモンゴルで出会ったすべての人のおかげだと思っています。言葉もよく出来ない外国人の私を暖かく迎えてくれ、私もモンゴルという国へ行き、たくさんの事を考え、学ぶことができました。そしてなにより、私がクラスに入ることを楽しみにしていてくれた、モンゴルの子ども達に感謝しています。ありがとう!!
活動報告とは大分ずれますが、私がモンゴルで体験した素敵?なエピソードーをいくつか紹介したいと思います。
@ 田舎へセミナーに行くとき朝10時集合で、出発したのが夜7時
A 家の水道の蛇口が壊れ、すごい勢いで水がでっぱなし!!急いで大家さんに電話したところ「すぐ行く」  そして来たのは2日後。。。待つのには慣れました、、、、、。
B 「豚肉買うか?」と言われ「買う!!」と、ついていくと庭でたくさんの豚がブヒブヒ。いやな予感は的中。「好きな豚 持ってけ!!」1頭は食いきれないでしょう、、、。
C 見ず知らずのよっぱらいから、馬の内臓をプレゼントしてもらう。
タクシーで移動中ラジオから相撲放送が、、、今日は最終日。運転手、他の客、万丈一致で車は数時間停車。本当みんな相撲大好きです!!






「帰国しました!!」
内藤 和歌子(H16-3 エチオピア 料理)
成田空港で親にアフリカの髪型に驚かれ、耳に1番聞き慣れた母の笑い声が、時差ぼけした私をエチオピアから一気に日本へと戻してくれました。帰路を急ぐ車窓から桃の花の様子が、あちこちで見られ、山梨は春真っ盛りでした。見るものに懐かしさと真新しさを同時に感じました。
私が活動していた所は、毎日歩いていると靴磨きの子どもたち、また路線バスの呼び込みをしている子どもたちが、目立ちます。もちろん、日本と同じように制服を着て学校に通う子達もいます。私は、エチオピアの首都「アディス・アベバ」で生活し、活動してきました。「調理師・観光専門学校」の調理科で講師をしておりました。

ボランティアというと皆さん「人のために何かやってきた」というイメージが強いのかもしれません。しかしそれは私の場合ほんの少しの事なのかもしません。協力隊として任国のために働きますが、実際にはそこで学ぶ事の方が多いように思います。例えば、食べ物や挨拶に対する考え方です。エチオピア人は必ず、「アブランブニブラ(一緒に食べようよ)」と誘ってきます。これは少しでも食べる幸福を人と分かち合おうというところから由来しているようです。貧困だけではない、面白い国を私は2年間たっぷりと体験する事ができました。

『いってらっしゃい』
平成18年度2次隊の新隊員県知事表敬訪問が12月19日(火)午後2時から県庁で行われました。山本県知事の代わりに北崎副知事から新隊員に激励の言葉とアドバイスを頂きました。壮行会は今回から甲府銀座通りのSHOW人が使えなくなり、同日夜7時から駅に近い育てる会の山田さんの中央会計事務所で開催しました。今回は赤池衆議院議員をはじめ、育てる会に入っていただいた米田さんや派遣中隊員のお父さんも出席しました。


写真は左から
天野 聡  ( 甲府市    ウガンダ  村落開発普及員 )
三井 久美子( 南アルプス市 ブルガリア 日本語教師 )
北崎 山梨県副知事
佐野 玉季 ( 富士河口湖町   ベトナム 保健師 )
横内 智則 ( 甲斐市     ベナン  村落開発普及員 )
近藤 卓也 ( 甲州市 ガーナ  理数科教師 )

平成18年度3次隊の新隊員県知事表敬訪問が3月20日(火)県庁で行われました。
壮行会は同日夜6時30分から育てる会の山田さんの中央会計事務所で開催しました。



写真は左から
深澤 弘晶 ( 南アルプス市 セントルシア 養殖 )
齋藤 あい ( 南アルプス市 ガーナ  村落開発 )
横内  山梨県知事
窪川 伸一 ( 笛吹市 ルワンダ  自動車整備 )  
折居 和夫 ( 増穂町 カンボジア  下水道 ) シニアボランティア   

『お帰りなさい』
河野美保子さん ( 笛吹市 16-2 マレーシア 作業療法士 )
秋山 進さん  ( 甲府市 16-2 ジンバブエ コンピューター技術 )
古川 幸二さん ( 甲府市 16-2 モンゴル)
内藤 和歌子さん( 南アルプス市 16-3 エチオピア 料理)
霜村 友也さん ( 笛吹市 17-3 ケニア 自動車整備 )
小澤 輝芳さん ( シニアボランティア パラグアイ 野球)
河本 俊二さん ( シニアボランティア パラグアイ 電気通信)
お疲れ様でした。


『推進員交代のご挨拶』
皆様こんにちは。
3月31日で、JICA国際協力推進員を離職いたします雨宮律子です。長い間お世話になった方、短い間だったけど大変お世話になった方、色々ですが、本当にありがとうございました。皆様と一緒に活動することができ、勉強になることがたくさんありました。
今後は、少しゆっくりとして新たな道を進んで行こうと思います。
4月1日から、山梨県のJICA窓口 国際協力推進員として松岡瑠理子さんが活動いたします。
では、皆様のご健康とご成功をお祈りしています。失礼します。

JICA 国際協力推進員 松岡 瑠理子(Matsuoka Ruriko)
〒400-0035 山梨県甲府市飯田二丁目2−3
(財)山梨県国際交流協会内
TEL 055-228-5419 FAX 055-228-5473
E-mail : jicadpd-desk-yamanashiken@jica.go.jp

『今後の予定』
月 日 事 項 場 所
6月中旬 海外研修員との交流会 中込農園
7月21・22日(土日) 国際協力体験キャンプ 県立八ヶ岳少年自然の家
8月3日(金) 国際理解協力セミナー 総合教育センター
8月16日(木) NGOセミナー 山梨県国際交流センター
8月18・19日(土日) 開発教育全国集会山梨大会 ニュー芙蓉(甲府市塩部)
10月上旬 海外研修員交歓会 ボーリング大会
11月中旬(土日) 県民の日 小瀬スポーツ公園

『編集後記』
機関誌の発行が遅れてしまいました。日ごろから行事の整理をして、次回はスムーズに行いたいと思います。                         (石原)
1月末のJOCAの評議員会の評議員会に出席したが、新春交換会の講師はリクルートから転職した義務教育における初の民間校長として、また<よのなか科>で著名になった杉並区立和田中学校長の藤原和博氏だった。この講演を楽しみにしていたOVも少なくなかったらしく、会場もほぼ満員であった。確かに話はうまく、内容も1時間では物足りない感じであった。
隊員活動でも重要だと感じたのは、やはり教育であった。国の将来は人材の育成に懸かっていると言っても過言ではなく、教育は国の根幹であると実感した。翻って、現在政府が推進する教育改革が改悪にならないことを願うばかりである。いつの間にか所謂「ゆとり教育」が悪役にされているが、果たしてどうなるのだろうか。
それにしても、私が持っている教員免許は、失効してしまうのだろうか。  (n)