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YJOCVA機関紙21号

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機関誌v21です。


山梨青年海外協力隊協会通信
                    VOL.21 2006 7月 
編集・発行 山梨青年海外協力隊協会  〒402-0054 山梨県都留市田原
      (青年海外協力隊ОB会)        会長 齊藤 ひとみ
ホームページ http://www.fsinet.or.jp/~yjocva/

『JICAボランティア家族連絡会』
3月5日(日曜日)国際交流センターにて、JICAボランティア家族連絡会を行いました。
開発途上国で活動されている、青年海外協力隊隊員の保護者の方々との連絡会です。
JICA側より、JICA職員、育てる会、OB会、就職カウンセラーの計8名が参加し、各機関の役割、協力隊への支援方法等を説明しました。
パラグアイ、ドミニカ共和国、ネパール、マラウイ、ジンバブエの計5カ国で活動している隊員のご家族が、参加されました。『ジンバブエの急激なインフレ』について、『ネパールの政治情勢』について、『パラグアイの生活環境』について、直接現地から情報を聞くたびに心を痛め、遠い国から応援しているようでした。
少しでも、ご家族の方々の心配を和らげるため、協力隊又は海外生活経験者であるJICA側より、実体験を踏まえ質問の回答、説明をさせていただきました。
また、隊員活動後の進路や健康管理について、ご家族より積極的に質問されました。
私は、現在JICA窓口として山梨県で活動しております。協力隊活動を終えての生活が、5月で2年目になります。今になってやっと、色々な方々の暖かい支援を実感し、感謝する毎日です。
現在、活動されているJICAボランティア隊員の皆様、健康第一、帰国後山梨県でのご活躍をお祈りしています。                  (JICA推進員 雨宮)

午後は帰国隊員による帰国報告会が行われました。
講演  青年海外協力隊
   氏家 求  さん パプア・ニューギニア 理数科教師
      安藤 勝洋 さん ベトナム  建築
    シニア海外ボランティア
      中島 俊  さん チュニジア  パルプ木材製品
      飯久保 誠 さん ウズベキスタン  養蚕
   
『平成17年度定期総会開催』
4月2日(日)午後2時から、平成17年度の定期総会を開催しました。詳細は前回送付した報告書のとおりです。

『JICAボランティア募集説明会&報告』
4月1日より始まりましたJICAボランティア募集期間が5月10日をもちまして終了しました。
青年海外協力隊の説明会では、2回の開催を合計して30名の参加、シニア海外ボランティアの説明会では、1回の開催で16名の参加がありました。
1次選考は、6月4日(日曜日)に行われ、13名が受験しました。

『研修生歓迎さくらんぼ狩り』
6月17日(土)、今年も研修生歓迎さくらんぼ狩りを中込農園で行いました。
今回も食べ放題ということで、少し食べ過ぎた人もいたようです。
H18年度・海外研修生・留学生・国際交流センター入居者一覧です。

氏名 性別 研修先 国籍 目的
1 代 振陽 (ダイシンヨウ) 男 県庁国際課 中国 派遺職員
2 ブレトン 大 (ダイチャン) 男 県産業短期大学 メキシコ PC技術
3 ブライアン フーバ 男 県立大学 アメリカ 日本映画
4 王 博 (ひろし) 男 山梨学院大学 中国 情報システム
5 夏 添(カテン) 男 山梨大学 中国 情報工学
6 元 京子(ウォン) 女 県庁国際課 韓国 派遺職員
7 金 相恩 (キム) 女 県立大学 韓国 日本語類技語
8 近藤輝美 (テルミ) 女 山梨温泉病院 ブラジル リハビリテーション
9 カロリ-ナダンタス (カロリーナ) 女 宝石美術専門学校 ブラジル 研磨・市場
10 眉 丹 (たんちゃん) 女 県立中央病院 中国 歯科技工
11 羅 勤 (きんちゃん) 女 山梨病院 中国 臨床看護
12 干 秀 女 山梨病院 中国 看護
13 王松芳 女 宝石美術専門学校 中国 鑑定士

『平成18年度JOCA第1回評議員会に出席』
 5月27・28日、代々木にあるオリンピック記念青少年総合センターで開催され、第1回評議員会及び総会に出席しました。議事はスムーズに進行しました。今回は役員改選の年に当たり、関東ブロック推薦の理事として、高須前茨城県会長が選出されました。関東ブロックから推薦した初の理事で、今後の活躍を期待したいと思います。   (野崎)

『フェスタ ジュニナに参加して』
中沢雄次(7-2 エクアドル 体育)
 6月18日(日)に南アルプス市において、ブラジルの収穫を祝う祭り「フェスタ ジュニナ」が行われました。ちょうど、サッカーのワールドカップも行われていたので、ブラジルのユニフォームを着ている人も多く(私も着ていましたが)、一段とお祭りを盛り上げていました。さらに、たくさんの留学生、研修生、大学生の参加もあり、まさに国際色豊かなお祭りになりました。
JICAとしてのブースも用意され、パネルを展示し、紅茶の販売をしました。ただ、JICAブース以外はブラジルの料理や飲み物、ゲームで、残念ながら、そちらの方に人が集まっていた気がします。私も串刺しの肉や、お菓子を食べましたが、どれも美味しかったです。体育館では、サンバ、カポエラ、子ども達の踊りがあり、ラテンのノリで参加者も一緒に踊っていました。
このお祭りに参加して感じたのは、思っていたより山梨に在日ブラジル人が多いという事でした。今回900人の参加者があったようです。日曜日ということで参加者も多かったとは思いますが、それでも来られない人もかなりの数がいると思います。ふと、彼らはどんな待遇で日本の暮らしをしているのか、考えてしまいました。仕事の面で、彼らが表舞台に出てくることは殆どありません。しかも、正社員でなく、ほとんどが人材派遣やアルバイトで仕事内容も、きっと日本人が嫌がる仕事や、夜勤といったところだと思います。外国人労働者が日本の経済にとって、必要不可欠とされています。だからこそもっと、彼らの待遇を考えていかなければと思います。また、外国籍の子どもの教育問題、地元住民との関係、これからもっと問題視されていくことでしょう。
 そこで、我々青年海外協力隊関係者としてできる事を考えていかなければいけないと思います。簡単な通訳、地域のルールの説明、接点を持つ場を作る等、各自が無理のない範囲で協力する、これは協力隊に参加した人の役割だと思います。自分にできる身近な国際協力でもあり、小さな事でも一人一人が行えば大きな力になり、犯罪防止にも繋がっていくはずです。
最後に今回の準備・片付けをしていただいた松本さん、雨宮さんを始め、協力隊関係者の皆様お疲れ様でした。今回参加できなかった人は是非、次回はラテンの雰囲気を味わいに来て下さい。

『隊員活動報告』
安藤勝洋(15-2 ベトナム 建築)
2003年12月2日〜2005年12月1日まで、ベトナム中部・ホイアンという町で活動してきました。ホイアンは、ユネスコ世界文化遺産にも登録されている歴史的な港町で、17世紀には日本人町が栄えていたことでも知られています。現在でもなお、人々が歴史的な建物に住み続けており、町全体が国の文化財となり保存が進められています。
私は建築の隊員として派遣され、「文化財修復の技術向上を図ること」を期待されていました。しかし、赴任していろいろ調べていく中で、「この町には、もっと町を豊かで賑やかにしていく、町づくりの活動が必要」であると感じるようになりました。
そこで、@文化財修復(修復計画立案と現場管理等)を中心に、A町並み・町づくり教育、B建物の調査・居住者への住環境意識調査、C遺跡周辺の環境汚染に対する環境教育、D日越文化交流祭りの運営手伝い、などを行いました。

文化財修復では、5件の住宅の修復業務を担当し、修復現場技術の向上に努めました。町並み・町づくり保存教育では、数回にわたり地域の小中高校への地域教育プログラムとして、町探検クイズラリー、町の未来図作成等を実施し、徐々に定着を図ることができました。建物の調査では、建物の改造の程度や、居住者の住み方意向を把握し、修復計画へ活かせるように努めました。環境教育では、地域の青年を対象に、ゴミのポイ捨て禁止ポスター作り・遺跡周辺の河川清掃等を行ました。日越文化交流祭りでは、ベトナム協力隊員や、日越の学生、日本の市町村(17世紀より交易があった町)等の協力を得て、伝統文化紹介(お茶、着物、折り紙、料理)、スポーツ交流(サッカー、綱引き)、盆踊り大会などを行いました。
上記の様々な活動を、現地の様々な機関のパートナーと共に実施してきました。特に新しいプログラムをゼロからつくりあげるプロセスは、すごく躍動的でした。
2年間を振り返ると、共に悩み考え、意識を共有する「若き仲間=パートナー」がたくさんできたことが、なによりの成果だと感じています。

パプア・ニューギニア
氏原 求(15-1 パプア・ニューギニア 理数科教師)
この二年半の間に私ができたことは、ほんのごく僅かなことであった。毎日の授業を行い、時間が空いたら、生徒達の教室に行き気軽な会話を楽しむ、休みの日には生徒や村人と川でゆったり水浴びをしてバナナとヤムイモを焼いて食べる、今思うとそんなのどかな毎日の生活が思い出される。しかしながら赴任時は現地のこともほとんど分からずに、村人に手を引かれながら、入り組んだジャングルの山道を覚えるところから活動が始まった。雨が降れば粘土質の山道はぬかるみ、裸足になって必死に踏ん張りながら、真っ暗になった山道を歩き続けた。任地は道路事情が悪く、雨期になると飛行場周辺からの食料供給がストップしたが、そんな状況でも、学校の生徒職員総出でドロドロになった山道を片道3時間以上かけて歩いて、10キロの米袋や缶詰を担いで運んだ。どんな状況でも、横を見ればパプア・ニューギニアの人々がいて、こちらが苦しくて音をあげそうになっていても、彼らは笑顔を絶やさず、こちらに対する気遣いを忘れず、どんな時もたくましく歩いていた。そんな苦しいときも楽しいときも、学校の生徒達・同僚そして村人達と、本当に近い位置で共有できたことは、外国人のほとんど住んでいないヌクにあって、お互いに大変良い経験になったのではないか、と感じている。
日常の会話では日本のことが多く話題に上がった。彼らは日本という国に対して大変興味があり、一方で様々な偏った知識をもっていた。

工場ばかりで森林のまったくない日本。公害がひどく、ガスマスク無では生活できない日本。野菜のまったく育たない日本。それは、未だに多くの日本人が、パプア・ニューギニアに対して、未開で野蛮で多くの裸族のいる国と考えているのと似たものであるが、そんな話しから始まって政治、恋愛はては将来の夢まで、生徒や村人達と時に真剣にそして冗談も混ぜつつ、心ゆくまで話した。
理数科の授業では穏やかに、和やかに、生徒達に自主性を持たせる授業を心がけた。始めは出席率の悪かった生徒も、こちらがきちんと名前を呼んで声をかけるとすごい笑顔になり、途端に出席態度がよくなった。赴任当初、遅刻者も多かったが、クラスにリーダーができ全体がまとまるにつれて、その数もだんだんと減って行った。授業中にこっそりブアイ(ビートルナッツ)を噛んでいる生徒がいたら、そっと近づいて両頬を指でぐっと押すようにした。すると口の中からポコッとブアイが出てきて、クラス中が大爆笑、もうその生徒は授業中にブアイを噛まなくなった。また生徒だけに限らず同僚との会話においても、笑顔で和やかにユーモアを取り入れて接することの重要性を改めて感じた。
二年半の活動を通じて、配属先の同僚や近隣の小学校教師とも良い関係作りができたと感じている。未だにワントークシステム(部族社会)の根強いパプア・ニューギニアにあっても、彼らは私を中立的な立場として受け入れてくれ、気兼ねなく話し掛けてくれた。理数科に関する質問も気軽に相談してもらえ、また農業や社会科学を担当する教師達とは連絡を取り合い、理科と重複する部分を分担し合ったりした。
全体を通して、私が彼らに与えた効果について測ることは難しいが、現地の人々に合わせながらも、しばしば私のとった日本人的なものの考え方や行動は、きっと彼らの普段の生活に対して良い刺激、効果を与えたと確信している。

河澄さつき(11-2 グァテマラ 理数科教師)
はじめまして。グァテマラ共和国に1999年12月より2001年12月まで理数科教師隊員として,その後2002年3月から2006年3月まで,小学校教諭シニア隊員として派遣されておりました,河澄さつきと申します。
グァテマラ共和国はメキシコの南の中央アメリカに位置し,人口は日本の1/10,国土は日本の1/3に当たる国です。
同国において,協力隊員としての2年間は,グァテマラ国教育省ソロラ県教育委員会に配属となり,同県小学校教職員に対する理科の簡単な実験,および算数科についての指導法に関する研修会の実施,中学校教員に対する数学科の内容に関する研修会の実施,また同県に配置する国立教員養成校における算数科指導法の授業の実施などの活動を行いました。
シニア隊員としての4年間は,同国教育本省教育開発局に派遣され,4県に派遣された協力隊員の皆さんとともに,初等教育算数科の教科書を作成し,4県における研究指定校においての研修会の立案・実施,授業モニタリング,児童学力試験の実施,それらの結果の教科書改訂への反映等の活動を行いました。現在同教科書を国定教科書とすべく,教育大臣,他国・他援助機関との調整が行われています。

同国においては貧富の差が激しく,裕福な人々は国外に別荘を持ち,首都には大型スーパーやショッピングモールが立ち並び,地方では土壁やとうもろこしの茎で囲われた家に10人を超える家族が暮らしているような状況です。当然政治をつかさどる人々は富裕層の人々であり,彼らは自らと自らの親族が如何にして裕福であり続けるかを最優先させます。また,富裕層の多くはヨーロッパからの移民系の血を多く引き継いだ人々であり,貧困層の多くは先住民の人々であります。それら民族間の冷たい目に見えない境界線は,先進国と途上国の間のそれにも似て,世界の縮図のような国だと感じさせられました。
そんな中,我々にできることは,できるだけ多くの子どもたちにより高い論理的思考力を培う機会を与えることだと考えます。それを武器に,だましあいのない,できるだけ平等な社会が気づき挙げられたらという願いで活動を続けてきました。
今後は,これら問題の根源,またそれに対応するための教育のあり方を考えていくことが出来たらと思っています。(写真は隊員時代の教員研修時の様子です。)

『青年海外協力隊隊員表敬訪問』
3月23日(木)15:00〜15:30、県庁において青年海外協力隊 平成17年度3次隊 3名が山本栄彦知事を表敬訪問しました。
表敬しましたのは、ルワンダの市役所に勤め「職種:村落開発普及員」として活動される細川さん、モンゴルで婦人子供服製造の指導にあたる「職種:婦人子供服」林さん、ケニアで国立公園巡回車両の整備を担当する「職種:自動車整備」霜村さんの3名です。

山本知事は、「健康に留意して活躍してほしい。」と激励くださり。3人を代表して林さんが「開発途上国と日本を結ぶ架け橋となりたい」と豊富を述べました。
その後、懇談会ではそれぞれの国の環境や活動内容等を紹介し、終始和やかな雰囲気の中で県内から国際協力に携わる青年達と話をしました。
育てる会、OB会、国際課の方々、4月よりJICA八王子からJICA広尾に山梨県担当が変更する関係で、JICA八王子 佐々木所長、JICA広尾 草野 所長、山梨県担当 安藤 市民参加協力調整員 3名が出席しました。
3名は、3月末に任地へと出発しました。2年間のご活躍を期待しています。
左より林さん・細川さん・霜村さんです。           (JICA推進員 雨宮)

青年海外協力隊   平成17年度3次隊 
細川 綾 ( 甲州市 ルワンダ 村落開発普及員 )配属先 キガリ市役所開発局
林  悦子( 大月市 モンゴル 婦人子供服 )工業美術学校 デザインから縫製までの技術指導
霜村 友也 ( 芦川村 ケニア 自動車整備 )霜村君は、2回目で、前回14年度
1次隊 ネパール
配属先は 14年前甲斐日産の浅川元隊員が派遣されていた西ツァボ国立公園で、野生動
物の王国の中で2年間働きます。


『表敬訪問&壮行会』
6月20日(火)県庁応接室にて18年度1次隊の県知事表敬訪問が行なわれました。
今回の派遣では、シニア1名、協力隊員4名、合わせて5名に加えネパール、ボリビアからの帰国隊員が表敬訪問に同席いたしました。
同日夜7時より甲府SHOW人にて壮行会が開催され、東京から育てる会本部の足立新会長、赤池議員も出席されました。                       左より小笠原さん・佐藤さん・中村さん・渡辺さん・金山さんです。    (高石)


青年海外協力隊   平成18年度1次隊
金山珠実 ( 韮崎市 ホンジュラス 青少年活動 )
配属先 エントラーダ県コパン市にあるイギリスのNGOインターナショナルで青少年
の非行防止活動に取り組む。

中村千乃 ( 韮崎市 タンザニア 看護婦 )
配属先 ネワラ県立病院にて看護指導

佐藤千草 ( 甲州市 モンゴル 幼稚園教諭 )
配属先 南ゴビ県ダランザドガト統合幼稚園、県内5箇所ある幼稚園(幼児総数600名)
を巡回指導

渡辺 萌 ( 身延町 ニカラグア 小学校教諭 )
配属先 イザベラリサノ自治小学校(児童数555名)

日系社会シニアボランティア
小笠原 公衛 ( 甲府市 ブラジル 史料館学芸員 )
配属先 ブラジル日本移民史料館、移民史料館の資料整理、保管、メンテナンスの改
善についての助言、指導地方に散在する日系の移民史料館の巡回指導。

『お帰りなさい』
青年海外協力隊
松岡 瑠理子 ( 甲斐市 15-3 ボリビア 村落開発普及員 )
鈴木 史浩  ( 笛吹市 15-3 ネパール 家畜飼育 )
日系社会シニアボランティア
米田 七郎  ( 甲斐市 パラグアイ 果樹栽培 )
『今後の予定』
月 日 事 項 場 所
7月22・23日(土日) 国際協力体験キャンプ 県立八ヶ岳少年自然の家
8月7日(月) 国際理解・開発講座 総合教育センター
8月18日(金)9:20-16:00 国際NGOセミナー 山梨県国際交流センター
9月  日(日)午前 帰国隊員研修会 県立国際交流センター大会議室
9月  日(日)午後 国際理解教育研究会 県立国際交流センター大会議室
10月上旬 海外研修員交歓会 ボーリング大会
11月11・12日(土日) 県民の日 小瀬スポーツ公園

『編集後記』
前回の機関誌の発行番号が17号になっていましたが20号の間違いでした。大変失礼しました。
機関誌がやっと発行できました。原稿を寄せて下さった皆さんありがとうございました。
次回の発行は順調にいくように、常に催し物の情報の整理を心掛けていきたいと思います。                                  (石原)

 2月に実施した国際理解教育研究会で、パーム油の話を聞き、どこかで聞いた話だなあと思いながら、すぐには思い出せなかった(歳をとったと言うなかれ)。その後、自宅の本を整理していて、『SEED』という漫画が出てきて、はたと思い出した。ネットでは、『SEED』
を下記のように説明している。
環境マンガに新しい地平を切り開いた記念碑的作品。MASTERキートンの原作者であるラデック鯨井がライフワークとして選んだ環境問題。その様々な要素が網羅されている。
本庄敬の画は、以前クロスロードに掲載されていたので、記憶している人もいるだろう。荒れ地にまくために、いつも種入りの粘土団子(SEED)を持ち歩く農業コンサルタントが主人公のエコ漫画である。作品では、NGOやJICAと思しき団体も登場する。開発とは何かと考えさせる全10巻の漫画である。作者である菅伸吉(本名)は、すでに亡くなっているが、彼の作品には重厚なエコ漫画が少なくない。関心がある方は、ご一読されたい。(n)