VOL.2 2000 FEB
編集・発行 青年海外協力隊山梨OB会 〒400−1113 山梨県中巨摩郡敷島町亀沢3927
青年海外協力隊山梨OB会 会長 長田 英俊
TEL/FAX 055−277−3520
E−mail jocvyama@beige.ocn.ne.jp
アフリカンライブ開催!!
ニジェール音楽隊員カズこと辻一高さんとJICA研修生ジョン・ソファ・コリィさんによるアフリカンライブが、10月30日国際交流センターにおいて催されました。
ジョンさんは辻さんのカウンターパートで三ヶ月間の研修を受けに来日中でした。彼らは忙しいスケジュールの合間をぬって、ニジェールの音楽を紹介するため、各地でコンサートを開いておりました。今回山梨でのライブコンサートは、たまたまNHK甲府放送局の番組に出演するために二人が山梨に来る事になり、そこで交流センターでコンサートを開こうということになり、番組放送の翌夕方にセンターで開催しました。
コンサートに先だってニジェールと西アフリカのパネルを用意し、アフリカっぽい会場のディスプレイをし、もちろん協力隊のパンフレット・秋募集のポスターなどもしっかり置いて、協力隊のPRもしました。当日の午後からはアフリカ料理教室を催し、参加者とOBが一緒にサモサを作り、コンサート会場でケニヤビール(タスカプレミアム)とセットで売りました。
日が暮れて用意した座席がほとんど埋まる頃、彼らが弾くギターの響きと共にコンサートが始まりました。演奏が佳境に入り、ジョンさんが小脇に太鼓を抱え、先の曲がったばちでコンコン打ち鳴らし始めると、カズさんも股間に太鼓をはさみ、ポンポン叩き出しました。すると今までじっと見ていた県内在住のアフリカ人たちが、ステージに出てきてリズムに合わせて踊り始め、次いでアメリカ人、ヨーロッパ人も出てきました。これにつられて日本人も踊り始め、時が経つにつれ、会場の雰囲気も熱気をおび、結局、半分ぐらいの観客が踊りに参加しました。この中で汗びっしょりになって踊っていたのは、やっぱり帰国して間も無いOBでした。
山梨の人に西アフリカの音楽を聞いてもらう事が当初の目的でしたが、今回のライブはそれ以上の国際交流が出来たと思います。ジョンさんにとって山梨の国際交流センターは日本で最後のライブ会場であり、彼にとってきっ良い日本の思い出になった事でしょう。 今回ディスプレイのため貴重な写真や展示品を提供してくれたOB・OGの方々、サモサを作って
くれたボランティアの方々や会場の準備を手伝ってくれたすべての皆様に心より感謝を申し上げます。
(高石)
県民の日のイベントに参加
小瀬スポーツ公園で11月20・21日の2日間行われた県民の日のイベントは、私自身5年ぶりの参加となった。5年前も水餃子を中国出身の友達とその場で作って売ったが、そのときは思うように売れず苦労した。しかし、今年は場所も良かったのか、県民の日の定番になってきていたのか、中国の研修生の呼び込みが良かったのか、たまに振り向いて呼び込みをする私の声がかわいかったからなのか、1日目は作る方が間に合わないくらいの売れ行きで、行列ができてしまうほどだった。嬉しい悲鳴とはこのことかと、ニヤニヤしながらたまに金庫を覗いていた私(山梨OB会の会計)。
1日目の参加者は、中国の研修生3人(呉文東さん・郭正富さん・陳大兵さん)と留学生1人(肖紅さん)が手伝ってくれ、OB会からは5人(中安隆信・中込直・落合みどり・松島久・小澤)と、落合さんの4歳になるお坊ちゃまも協力してくれていたので全員で10人、とにぎやかに楽しく過ごせた。また、松本公夫OBがいつもの舎弟を連れて記録係として写真を撮ってくれていた。この日は、11時ごろから作り出し、2時には完売となった。
2日目は、研修生は1人もおらず、OB会から5人(中安隆信・中込直・松島久・町田晶美・小澤)と、OBの中安さんが奥様を助っ人に一緒に来てくれて全員で6人、という少人数での活動となった。しかし、ちょうど1日目よりお客さんも少ないのか、行列ができることはほとんどなく、作る→売るがいいテンポだった。ただ、2日目は日曜日ということもあり、具の量を1日目よりやや多めに用意していたので、売り切るまでに時間がかかり、完売になったのは3時半だった。
せっかくなので、ここに小瀬スポーツ公園での水餃子の工程を書き記す。
@ 前日に準備しておいた具(1日約10kg)を小出しし、
A 皮を1日5kg以上こね、(強力粉・薄力粉は3:1で、耳たぶの柔らかさ)
B 丸く皮を一枚一枚のばし、(中心はやや厚めで回りはできるだけ薄くするのかコツ)
C その皮に具を入れ包み、(美味しそうに包むこと!)
D その包まれた餃子を約6分ゆで、(差し水は2・3回、浮いてきたら食べられる)
E ゆで上がった水餃子を容器に5つ入れて(今年は4つにしよう!!)
F 箸とラー油などの調味料を添え300円で売る。(売り子は1日中売り子なのだ)
今年の県民の日も水餃子を作るようなら、これが参考になりますので、皆さん怖がらず参加してください。もちろん水餃子でない場合もありますが、みんなでワイワイ楽しくやりましょうよ!!
お問い合わせをお待ちしております。 (小澤)
関東ブロック会議開かれる 第23回関東ブロック会議が、群馬県水上町で平成11年11月20・21日の2日間行われ、本会から会長の長田と理事の野崎が出席しました。
この両日は、小瀬の公園では県民の日のイベントのため、中込OBや小澤OG等が模擬店で餃子を作って忙しくしているのかと思いつつ、秋晴れの中、野崎理事の車にて片道約4時間の道のりで行ってきました。
第23回青年海外協力隊OB会 関東ブロック会議
日 時:平成11年11月20日(土) 14:00〜18:00
21日(日) 9:00〜12:00
場 所:群馬県水上温泉 去来荘
出席者:1都10県OB会、青年海外協力隊事務局、JICA関東支部、青年海外協力協会、群馬県国際課、
水上町議会
議 題:1.OB会って何だろ
2.関東ブロック会議のあり方について
3.協力協会評議委員会とは
4.Eメ−ル利用上のマナ−について
以上が今回の議題でありましたが、今年2000年は協力隊発足35年ということで原点に戻ろうということが目的であったように思います。山梨県での一般県民がOB会に入会し活動しているとのことに、他県OB会は大変驚いた様子でした。昨年度は当山梨県で関東ブロック会議を行い、裏方の大変さを感じながら、今回は会議に出席しました。
余談ですが、水上町議会議長の中島氏の息子さんは、ジンバブエで理数科教師をなされ、現在青年海外協力協会(JOCA)に勤務しているとのことで、群馬県OBという立場で会場に見えていました。
今年は栃木県で開催される予定です。 (長田)
天皇・皇后両陛下広尾訓練センターご視察・帰国隊員とご懇談される
天皇陛下のご即位10年及び天皇皇后両陛下の御成婚40周年のお祝いを申し上げる会が、10月30日広尾訓練センターにて執り行われました。
会には、初代隊員(昭和40年派遣) や各県OB会代表、青年海外協力協会関係者、広尾訓練センターにて訓練中の候補生など関係者343名が出席しました。
両陛下に小山青年海外協力協会会長よりお祝いと協力隊員に対する格別なご配慮に対するお礼を申し上げ、その後帰国隊員との御懇談が行われました。御懇談の中で各OBより任地での協力活動や現在の活動を報告しました。
両陛下は、OB・OGの報告を事のほか熱心に聞かれ、予定時間を大幅に上回る時間広尾に滞在されました。
この懇談の折り、天皇陛下から以下のお言葉を頂きました。
お言葉
ただ今はお祝のお言葉を頂き深く感謝いたします。青年海外協力隊は発足以来34年がたちました。振り返りますと、34年前ラオスとカンボジアに派遣された数名ずつの隊員にお会いした事が懐かしく思われます。その彼等のささやかな門出から、今日、協力隊は59カ国に派遣され、帰国隊員は2万人になると聞きました。
このような今日を築き上げられた協力隊の陰には、歴代の事務局長はじめ関係者の尽力があったことと、ここに深く敬意を表したいと思います。
ただ残念なことに、この34年間の間に52名の隊員が帰らぬ人となりました。遺族の方々に対し、深く哀悼の意を表します。
協力隊員はさまざまな困難をのり越え、それぞれも任国の人々の幸せを願って尽力してこられました。そして任国の人々と深い心の絆で結ばれたことと思います。
わが国の人々にとりまして、皆さん方が得られたそれぞれの国への理解は極めて大切なことと思います。
皆さん方の帰国後の活動もまた私どもの期待するところであります。セネガルの乾燥した畑で働いていた人、柔道を教えた人々。今日はこのような体験を持った方々と、この機会にお会いすることを誠に嬉しく思います。
ここに協力隊の一層の発展と協力隊員、また帰国隊員の一層の活躍を願って、お礼の言葉とさせていただきます。 (JOCA通信 No.82より)
当山梨OB会からは、長田英俊会長の代理として中込 直が出席いたしました。会員の皆様もご存知の通り、両陛下は現在も出発隊員の御接見をされており、今回も短時間にもかかわらず熱心に帰国隊員の話を聞かれておりました。 (中込直)
研修生たちと交流ボーリング大会を開催
11月27日(土曜日)Dポットにあるボーリング場で研修生、留学生と隊員OBとの交流ボーリング大会が行われました。海外からの研修生・留学生は中国5名、アメリカ1名、ペルー1名、カナダ1名、ガーナ1名の計9名、隊員OBは9名の参加がありました。
ボーリングは初めてという研修生も多かったのですが、トップの成績の人は160点位得点した人もいました。私は100点に届きませんでした。ボーリングは誰でも気軽に楽しめ、盛り上がるので、交流会には適したスポーツのように感じました。最近はNHK教育でも月曜日夜9時35分から「レッツファミリーボウリング」という番組を放送していますね。
ボーリングの後は国際交流センターの近くの「養老の滝」で二次会を行いました。中国からの研修生は待ってましたとばかり得意の歌を披露し、二次会は中国歌謡ショーに変わりました。私にはカラオケの中に中国語の歌が沢山入っていていたのは新しい発見でした。最後は「ウイアー・ザ・ワールド」で締めくくられ、楽しい交際交流会が終了しました。
私は今回初めての参加でしたので様子がよく分からなかったのですが、次回の交流会の時は研修生ともっと知り合いになれればと思いました。 (石原)
平成11年度第2回評議会に参加
1月23日、朝9時から午後1時20分まで、一回の10分休憩を入れただけで昼食もとらず、5つの議案について話し合いがもたれました。話し合われた内容は下記の通りです。
今回の評議会には、山梨OB会会長代理として私小澤が初めて参加させていただいたわけですが、OB会がこういう組織の中で運営されていたんだと改めて知ることができ、とても勉強になりました。また、この前日に設けられた「新春交歓会」では、たくさんの方とざっくばらんにお話ができ嬉しかったです。ただ、中国のOB・OGや2−2の同期がいなかったことが残念でした。
1 平成11年度事業中間報告及び収支決算中間報告に関する件
2 平成12年度事業計画案に関する件
3 平成12年度収支予算案に関する件
4 役員・評議員の改選に関する件
5 その他
@「評議員会各ブロック会議」運営規約(案)の制定について
A賛助会員制定について
B共同事業費のプロポーザル方式導入について
CJOCVニュースの期間限定(ex 帰国後5年又は10年までなど)の配布について (小澤)
秋募集説明会終わる
OVのみなさんのご協力により、4回の秋募集説明会も無事終了することができました。今回から、募集期間が短縮されたことにより、毎週のように山梨で説明会が開催されることになりました。また、例年土曜日にも説明会が開催されておりましたが、日程の都合上、平日のみでした。そうした影響があったのか、春募集に比べ来場者数は減少しました。ただ、例年春募集の方が多いようであり、前年の秋募集と遜色のない来場者数でした。
春募集説明会も、別記日程で開催されますので、ご協力よろしくお願いします。 (野崎)
平成12年新年会開催
平成12年1月29・30日河口湖町大石のペンション「紙ふうせん」で行われました。
当日は晴天に恵まれ、富士山が河口湖畔より綺麗に眺められました。午後5時より受付を開始し、18時30分より新年会が開始されました。参加者は、地元会員はじめ県内各地より参加され、ありがたい事に東京より参加された方もいらっしゃいました。
長田会長の挨拶の後、自己紹介、今年度のOB会活動報告等が行われました。会場は、某国のドミトリーのような雰囲気の中で、会員各自のOB会への要望や意見が出され、隊員時代のように熱い議論が闘わされました。それに伴い、酒量の方も増え、午前零時に閉会になったときには、ワイン3升、ビール20本、紹興酒1本、日本酒1本、ウイスキー半本が空いていました。その後有志が、ラウンジに集まり午前2時頃まで親睦を深めていたようでした。翌日は、午前8時より朝食をとって散会いたしました。
今回の新年会の中で出された意見やかわされた議論は、当会の今後にとって極めて有意義なものでありました。これを参考にして、今後OB会活動がより充実したものになるように努力いたします。
最後にご多忙の中参加された会員の皆さん、我侭な協力隊員OBの注文に気軽に応えてくださったペンション「紙ふうせん」のオーナーにお礼を申し上げます。来年度もこの企画を実施したいと思いますので、会員の皆さん!昔に戻った気分でOB会への意見、協力隊や日本のODAへの意見、不満を語ってみませんか? (中込直)
レポート
日比谷国際フェスティバルに参加して
2−2 中国 小澤 由紀
山梨OB会とは直接関係ないのですが、こんなこともあって、こういうことをしてますというお知らせをいたします。
私自身が当日やっていることは、県民の日と同じなのですが(水餃子を作って売る)、中国隊員のOB・OGの「中国同士会」という会でブースを設け活動しました。このイベントに参加するのは初めてでしたが、山梨での県民の日の小瀬スポーツ公園のブースを、全ていろんな国や国際的ブースに変えたって感じで、一つひとつのテントが一つの国みたいで、いろんな国に行けてしまいます。一回りすると世界一周しちゃえます。おいしい各国の料理や、珍しい民芸品がすぐ手に入り、たくさんの国の言葉や人と出会えます。OB・OGが活躍しているブースも多く、久しぶりに逢う同期もいました。ちなみに参加人数は17万人で、OB会関係は22団体が参加していたそうです。
私も初めてで、ただただ餃子を作っていたので詳しいことは分かりませんが、一度ぶらりと行くか、どこかのブースに参加してみることをお勧めします。
このフェスティバルは、10月6日の国際協力の日にちなんで、毎年10月の第1の土日に東京の日比谷公園で開催されています。昨年は、中込直会員も中国同士会に参加しておりました。私も同期がNGOに勤務する関係で毎年手伝いに行ってますが、年々来客数が増加しており、このイベントも定着してきた感があります。(n)
隊員レポート
ラオスという国 ーラオス人の食文化からー
10−1 病害虫 新谷 勝広
「ラオス」と聞いて何か想像できる人はかなりの東南アジア通か、協力隊のラオスOB・OGくらいではないでしょうか。ラオスに関する日本語の書籍は数少なく、日本にいてラオスのことを知るのは容易ではありません。
ラオスに観光で行ったことのある人は例外なく「のんびりとしたいい国だった。人はいいし、ご飯もうまかった」という感想を持つようです。そこで今回は、一般の旅行や本からではなかなか知ることができないであろうラオスを、僕の主観と偏見に満ちた眼をとおして、ラオス人の食習慣を中心に簡単に紹介したと思います。
ラオスは1975年に独立した社会主義国です。周辺をタイ・カンボジア・ベトナム・中国・ミャンマーの5カ国に囲まれており、海がありません。面積は日本の本州と同じくらい、人口は約500万人です。現在、約60人の協力隊員が医療・農業分野を中心に活動しています。
独立以前はフランスの植民地の時代が長く、そのためか、ラオスでパンといえば、あの細長く周りがパリッとしたフランスパンのことです。このフランスパンにハムやキュウリをはさんだサンドイッチとコンデンスミルクたっぷりの甘いコーヒーでの朝食は、ビエンチャンなどの街かどでよく見られる朝の風景です。
ラオスには中国人やベトナム人も多く住んでおり、都市部では中華風の料理、ベトナム風の料理も食べられます。任地に赴任するまで僕も、「ラオスのご飯はうまいなあ」と思っていました。しかしこれは大きな間違いです。一般のラオス人は、上のような料理はあまり食べません。値段が高いとか、手に入りにくいからというのではなく、ラオス人の舌がうまいと思わないから食べないのです。では、何をうまいと思うのか。
まずおやつとして欠かせないのが、青臭く、渋く、苦い未熟果物です。
例えばバナナ。バナナは黄色く熟す前は、青く堅いのですが、ラオス人はこれが好きです。薄くきざんで食べます。味はとにかく「渋い」の一言に尽きます。渋をぬいてない渋柿を食べるのと同じです。マンゴーの青いやつ、タマリンドの青いやつ、その他名もない苦くて渋い森の木の実など。これらをパーデークとラオス語でいう、半分腐ったような魚の塩づけにつけて食べます。以前僕はラオス人に聞きました。なぜ熟した甘いやつを食わないんだと。そのラオス人はこう答えました「熟すまで我慢できないんだ」。
自然志向のラオス人は森の産物が大好きです。センザンコウ、大トカゲ、ヘビ、ムササビ、カエル、コオロギ、アリ、セミなど。この中でもセンザンコウや大トカゲなどの大型動物はなかなか手に入らない貴重品です。それに比べ、昆虫類はいつでも簡単に手にはいります。
コオロギはラオス人の日常食です。丸ごとフライパンで炒めると香ばしいいい匂いがしてきます。これをおやつ代わりに、ご飯のおかずにばくばく食べます。眼をとじて食べればエビとあまり変わりません。そう言い聞かせて食べましょう。セミも同じ昆虫なので味はコオロギに似ています。羽をとり、串刺しにして火であぶります。これはご飯のおかずというより子供のおやつでしょうか。個人的にはコオロギより好きです。中身がすこしとろっとしていてこれがいい味を出してます。
今でこそアリの料理を出されても、「ああ、またアリか。食いたくねえなあ」程度にしか感じませんが、初めてアリの料理を目の前にしたときは、興奮する自分を押さえきれませんでした。アリを人間が食べるという話は、むかしテレビで見たことがありました。どこかの山の中の少数民族がアリのスープを食べているのを見ました。どこか遠い国の話だと思っていました。
ラオスの最も一般的なアリの食べ方は次のとおりです。まず、どこからか得体の知れない川魚を捕ってきて、骨の部分を除き、みじん切りにします。これを大きなナベに入れ、そのナベに長い竹の竿を付け、森に走ります。樹上で葉を集めて巣を作っている葉きりアリの巣の下にくるようにナベをおき、葉きりアリの巣をがさがさとゆすります。驚いた葉きりアリは巣から出てきてナベの中に落ちたり、つたわって入って来たりします。適度にアリが入ったところでナベを持ち帰り、レモン、味の素などを加え、アリと魚をよく混ぜます。出来上がりです。もちろん火はとおしません。生です。ごはんや森の葉っぱなどと一緒にたべます。これ以外にスープにも入れたりします。アリは酸味を出す調味料のようなものです。以前僕はラオス人とこんな会話をしました。「日本人は生の魚を食べるんだってな、どうやって食べるんだ」「薄く切って醤油につけて食べるんだ」「うえっ、信じられないあ、アリを混ぜないで食えるなんて」。
ラオスはGNPなどの数字から見ると最貧国の一つですが、実際この国に生活してみると、数字からは見えてこない豊かさがあることに気づきます。この国は貧しいのか?と思ってしまうことがしばしばあります。ラオス人の生活の近くにある森と、コオロギやアリ、苦くて渋い木の実など、これらをごちそうと感じられるラオス人の感覚が、一年間に物価が三倍になろうともラオス人をのんびりさせ、僕らに豊かさを感じさせる一つの要因ではないかと思っています。
最近、国の開放政策にともない、旅行者が増加し、またタイなど近隣国の文化がラオスにどんどん入ってきています。援助の規模も拡大し、ダム開発などもすすんでいます。首都のビエンチャンなど大きな町は、急激に変化しています。時々、十年後この国はどうなっているだろうと考えることがあります。経済的・物質的に豊かになっているだろうか。そうなっても、コオロギをむしゃむしゃ食べ、何事にものんびりしているラオスであってほしいなあと思います。
投 稿
インドに行って来ました 一般会員 町田 晶美
インドに行ってまず驚かされたのは、野良牛、野良豚がいたこと。平然と道に3・4匹が群れていて、初めて見た時は、飼い牛がとうしてつながれていないんだろうと思った。インドでは牛は神様。牛は殺さないらしい。
ダブラは、牛の革の中心にマンガンを塗ったインドの太鼓。周りは木製・スチール製の2種類。食事中演奏してくれて、興味を持った私にも叩かせくれたが音にならなかった。それでも帰ろうとした時、日本語の「さよなら」を繰り返し演奏してくれてうれしかった。そしてこの時の食事もカレーだった。
朝はトイレのラッシュで、草むらの中に原色のサリーを着た女性が適当な間隔を取ってもようしていた。最初は「何をしているんだろう? 草でもとっているのかな?」と思ったけど、「これが噂の…」とすぐに気付いた。
デリー郊外の町並みは、あまり衛生的とは言えなくなる。水の濁った沼に入り、水浴びをする子供や牛。牛と人間の境界のない様な生活。家といっても中には何もなく、家の外や地面の上で眠っている人。ゴミだらけの街。日本に生まれた私からは生活環境の大きな違いを感じたが、インドに生まれていたら、その生活に何の不満も持たなかったかもしれない。それはそれで幸せ生活していたのかもしれない。そこで生活している人をみて、特に不幸だとも思わなかったし、排泄物などの衛生面を除いて、その生活を大きく変えた方がいいとも思わなかった。私はここで生活する自信はないけど、タージマハールよりも、こういう普通の生活の様子を見に来たかったんだと思った。
今後の活動予定
月 日 内 容 会 場 所 在 地
3月 12日 AM 留守家族懇談会 県国際交流センター 甲府市飯田
PM 帰国報告会 県国際交流センター 甲府市飯田
PM 国際ボランティアシンポジウム 県国際交流センター 甲府市飯田
4月 上旬 OB会総会 県国際交流センター 甲府市飯田
18日 春募集説明会 県国際交流センター 甲府市飯田
21日 春募集説明会 富士吉田市民会館 富士吉田市緑ヶ丘
29日 春募集説明会 県国際交流センター 甲府市飯田
5月 11日 春募集説明会 県国際交流センター 甲府市飯田
6月 中旬 春募集1次試験 県国際交流センター 甲府市飯田
中旬 県研修員歓迎会 県国際交流センター 甲府市飯田
7月 中学生エッセイコンテスト募集開始
8月 5・6日 国際理解小学生キャンプ 青少年自然の家 高根町清里
中旬 高校生国際協力体験ツアー
INFORMATION
行ってらっしゃい 11年度2次隊
河澄 さつき (昭和町 グアテマラ 理数科教師)
※ 壮行会は、11月30日に、協力隊を育てる会と共同で実施しました
お帰りなさい
長田 健次郎 (竜王町出身 9−2 トンガ 土木施工)
* 昨年末、現在派遣中で10年度3次隊以前に派遣された山梨県出身の隊員に、OB会より気持ちばかりの食料
品等を送付しました。
* 当OB会は、OBのための会として発足しましたが、現在は協力隊OVだけではなく、一般の方も参加できる
組織に脱皮中です。協力隊に関心がある方や国際協力に関心のある方がいらっしゃいましたら、ご紹介下さい。
訃 報
身延町出身で、平成11年2次隊でマラウイに理学療法士として派遣されていた綱脇紫寿さんが、1月28日朝、ブランタイヤで通勤途中に交通事故に遭い、お亡くなりになりました。仮通夜は1月31日、お別れ会が2月1日に、マラウイのBTドミトリーにおいて行われました。ここに謹んでご冥福をお祈りするとともに、ご家族に対し、哀悼の意を表します。
編集後記
記念すべき2000年最初の機関誌をお届けします。今回は、OB会がどのような活動をしているかを中心に掲載しました。今後も活動内容は随時掲載していきますが、会員の投稿があれば優先して掲載しますので、3号雑誌に終わらないよう、会員諸氏のご協力をお願いします。また、今回から現在派遣中の隊員の原稿も掲載しました。今後もできるだけ多くの方や国のことを紹介したいと考えておりますので、派遣中の隊員のご協力もお願いします。
現在事務局では、ホームページを製作する準備を進めております。ご期待下さい。
また、現在役員間ではEメールでやり取りを行っておりますが、今後、さらに会員間にパソコンが普及するようであれば、Eメールによるインフォメーションを検討したいと思っております。メールアドレス取得の折は、ぜひ事務局にご一報をお願いします。
機関誌の発行は、年3回を予定しております。次号の発行は6月ごろです。 (n)