「紀行」目次 翠簾洞ホームページ入口


京都には庭園は沢山ありますが、公園と云えば円山公園にとどめを刺すでしょう。東大路の東側にあり四条通のスタート地点ですから京都市街地の東端で、東山の山ふところに抱かれたおおらかな公園です。祇園や二年坂、産寧坂、清水寺に近いし、桜の見頃には京都一の観光地です。しかし今回は彼岸前、花はまだ蕾でいつ開くのか待たれます。それだけに人出もそこそこで、ただ中国語を話す団体客の闊歩が目立つばかりでした。


円山公園  2015年3月17日


 娘夫婦も二人の孫娘もそれぞれに出掛けてしまって、昼食は大抵老夫婦だけで残り物を食べて終わることが多いのですが、今日は何故か急に娘に勧められ、天気も好いのでその気になり、爺婆だけで円山公園の「いもぼう」で昼食を取ることになりました。老夫婦だけでわざわざ出掛けて外食するのは京都に来て以来初めてです。

いもぼうは十数年前に入ったことがありましたが、海老芋と棒鱈の炊き合わせなので「芋棒」と云うのだそうです。


 娘が運転する車に乗って十時半過ぎに家を出ました。賀茂川堤の桜は蕾が稍ふくらんできたのか、遠目にも枝先が少し明るくなりました。川端通りでは柳の枝垂れた枝に青い新芽が出揃って、いかにも春を招いているように風に揺れています。ここの桜も漸く蕾が丸くなってきた程度です。

川端の青める柳風光る


 車は八坂神社横の坂を登って円山公園に入り、二人は「いもぼう」の前で下ろして貰いました。店の佇まいは昔と全く変わりがありません。正午にはまだ少し前でしたが、かなり広い店内に客は二組だけでした。私たちは二人とも「月御膳」を注文しました。相客が居るのに店内はまことに静か、奥で仲居さんの話し声がするだけです。

庭に目を移すと実が落ちて芯だけが赤く見える万両がすぐ前にあります。垣根越しの道にはタクシーや自家用車が止まっていたり入れ替わったりして、人力車も通って行きます。

木々の間から円山公園の桜が見えますが、遠いので枝先が多少赤味を帯びているかなと希望的に見るばかりです。


 やがて運ばれてきた「月御膳」は、いもぼうの大鉢に熱い吸物、祇園豆腐、小鉢、ご飯と香の物です。まず赤い椀の蓋を取って一口頂くと飲み頃の熱さで、京都風の出汁もとても良い味です。どうやって焼くのかひさご形に焼いた卵焼きも一切れ入っています。椎茸と湯葉に三つ葉も見えていました。今日の海老芋は握り拳くらいもある大きな芋が一つと棒鱈が数切れ入っています。海老芋は海老のようにもう少し長いと思って居ましたが、大きなまん丸で箸で割ると中まで出し汁が滲みているのか、丁度サツマイモの金時のような色ですし、里芋のようなねっとり感がなくて、その味や舌触りまで金時のようでした。そういうことで、実は少々がっかりしました。祇園豆腐は焼いた豆腐田楽で、小鉢はひじきの煮付け、香の物は刻んだしば漬けでした。

お帳場には七十年配で、いかにも京都人らしくてとても品がよいお婆さんが奥から出て来て座って居ました。


 いもぼうを出て、店の左側を少し登るとまた「いもぼう」という店があり、矢張り「本店」となっています。店構えはこちらの方が大きくて知恩院への道の角まで廻っています。立て看板の料理の名前も同じですが、値段は二百円ほど高くなっていました。私たちが入った店よりも場所がよいので、客もちらほら入っているようでした。


 すぐ前に「知恩院」とあるので入って見ると大きな御堂がありますが、家内はあまり歩きたくないので近付かずに、円山公園に戻りました。この辺はもう中国人と覚しき大勢の人が大声で、話すと云うよりも喚きながら右往左往しています。それも姑娘たちが近所の「レンタル着物」を利用しているので、われわれが見ると色褪せた紅や紺の単色ばかり、あたかも安いゆかたのようだし、帯もみんな同じようです。恐らく毎日そのまま洗濯機で洗っているのだと想像しました。

うららかや公園に響く中国語


 円山公園にはちょっとした池があり、大きな石が三つ池の中に置かれています。その石の一つに青鷺が立っていました。青灰色ですからよく見掛ける青銅製の噴水かと思って見ていたら、頸を伸ばしたので、あれ、生きていると驚きました。石は岸からは二、三メートル離れているので池の端を歩く観光客の騒音をよそに、春の陽を浴びていかにものんびりとした風情です。数組のアベックに混じって私たちも池の端の石製ベンチに腰掛けてしばらく青鷺を見ていました。

青鷺も塑像のごとき春日かな


 池の中に立て看板がありスッポンが居るから池に手を入れないで下さいと書いてあります。目をこらすとスッポンは見えませんが、岸辺にはメダカが沢山居ますし、池の奥には真鯉らしい黒影が泳いでいます。


 石の上で青鷺が大きな翼を拡げ、ゆっくりと羽ばたくと私が見て居るすぐ前の岸にある石畳の先端に止まって、じーっと池の中を見ています。時に頸を伸ばしたり折るように畳んだりしては、またじーっと池の中を窺っています。突如、翼を広げた瞬間、池の中に頭を突っ込みました。水から出した嘴には見事に掌サイズの大きな鮒を咥えています。見ている人達の間から一瞬おーっという歓声が上がり、ぱらぱらと拍手さえ聞こえました。鮒を咥えたまま、翼を拡げゆっくりと舞い上がり、悠々と向かい側の岸の築山に降りました。その辺は植栽に囲まれて人は近付けないし、芝草が生えているなだらかな坂になっています。青鷺は一旦鮒を放して草の上に置きましたが、獲物が滑って木の根元に落ちて行きました。青鷺は追おうともせず見ていましたが、やおら長い足を一歩、二歩動かして鮒を咥え直し、今度は私の左手の人気がない岸に飛び移りました。すると一人の男が長いレンズを付けたカメラを構えながら、木陰から出て来ました。それを見た青鷺はすぐ飛び上がり、先ほどの築山に戻って鮒を草の上に置きました。鮒は急所を突かれているのか動きません。それまで青鷺は鮒を横に咥えていましたが、今度は頭から縦にして、文字通り鵜呑みにしました。青鷺の細い首より鮒の方が大きいのですが、別に頸が膨らんだようにも見えません。青鷺はゆっくりと歩いて坂を降り岸辺に来て長い嘴で器用に水を飲みました。ちょっと間を置いてまた飲み、ちょっと歩いてまた飲み、三回か四回水を飲んでいました。

私は、咽喉につかえたものを水で飲み下すのは人間と同じだなと思いながら、珍しいショウに居合わせた仕合わせに満足して見ていました。

鮒捕って青鷺渡る春の池


 池の向こうにはもう木々の緑が目立ってきたなだらかな山が三つ四つ連なって、申し分がない借景となっています。布団着て寝たる姿や東山(服部嵐雪)。この山があるから円山公園と名付けたのかと思いました。

池に渡した橋のたもとにはすっかり新芽が出揃った枝垂れ柳が一本あり、その長短ある枝が僅かに揺れていて、その下では着流しの若い男が尺八を吹いています。その男が創作したのか、抑揚の少ない静かな、そして幽かなメロディでした。


 今日のこんな景色は桜が咲くのを待つ京都の穏やかな春の日を余すところなく表していると思います。

花待つや池面に揺れる若やなぎ


 円山公園を出て少し進むと、高台寺への参道に出ます。寄ってみたかったのですが目の前の階段が長く続いているので敬遠しました。

家内と二人で左右、上下を見廻しながら、低い方に向かって歩いて行くと、先日漆工を見に来た石塀小路に出ました。家内に石塀小路を説明しながら、家の下をくぐる狭い路地を抜けて広い東大路に出ました。

先ほど連絡しておいた娘が、買い物を終えて高台寺への参道入口で車を停めて待っていてくれたので、家内共ども無事に拾って貰って難なく家まで帰り着きました。

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<2015.3.26.>