その他の作家さん

「ドグラマグラ」 夢野久作(99/08/08)

 日本3大ミステリィの一つと言われるこの作品。まず初めに、気を惹かれたのは正木博士の「脳髄は、物事を考えるところにあらず」という命題でした。意識というモノは、どこにあるのか?心臓当たりに手をあてて、「ここだ」という人もいれば、頭を指さしてここだよ。と言う人もいる。でも、元々人間は、一つの受精卵から出発しているわけで、それが細胞分裂して今の体が出来ている以上。全ての細胞の核にDNAが等しく入っているように、意識の源も細胞一つ一つに入っていても良いのではないか?と考えさせられます。だから、正木博士の考えとは、ちょっと違うかも知れないけど、「脳だけで物事を考えるわけじゃない」というのが適当な言葉でしょうか。

 そして、正木博士はさらに、「胎児の夢」に始まる、心理遺伝という概念を語り始めます。ここを読むまでに、頭の中は、一度ミキサーに賭けられた状態になって、放心状態に近い感覚を味わったようなそうでなかったような。この論文も、受精卵の時点で意識の素というものがあり、それが両親から受け継がれているとするなら、十分考えられると思ってしまいますよね。肉体だけ遺伝するのじゃなくて、精神も遺伝する。「性格がおじいちゃんに」似ているとか、家族の間で話される言葉のなかにも、その片鱗が伺えますよね。

 心理学とか昔良く本を買って読みましたが、改めてそういうことを考えさせられた作品だと思います。

「羊をめぐる冒険」(上・下) 村上春樹 (99/08/27)

 「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」では、それほど強い印象が無く読み終わってしまっていたのですが、この作品は、なにかを感じましたね。前の2作が大きな伏線みたいな。読んでいて面白かったです。ミステリィが騙し絵のようなものだとするなら、これは、水彩画でしょうか、そんな雰囲気でした。何気ない優しい空気なんだけれど、後までずっと残るのです。

 素敵な耳を持つ女性がまだ頭の中に残っています。読んでいる最中もずっとドキドキしていましたね(笑)「耳が綺麗」ってところがもう完全にツボなんですよ。ある意味理想の女性像なのかも。彼女は、山を降りたあとどこにいったのか凄く気になります。

 それから星形の模様も持つ羊。こいつは、一体なにものなのでしょう?この物語の中でなにを象徴しているのかまだ、僕には分かりません。でも、この羊のせいで、何人かが命を落とし、人生をだめにされているのです。鼠もそれで死んだのです、最後の暗闇での「僕」と鼠の会話は、切なかったですね。鼠は自分の持つ弱さを大切に従っていたように感じます。僕には、それができないでいます。弱い部分を人に見られたく無い。それを知られたらそこにつけこまれそうな気がするからです。鼠を見習おうと思いました。弱さを好きになるってどういう感覚なのか分からないけど、たぶんそうすることで、自分をもっと好きになれるような気がします。

 「僕」が鼠の山小屋の中で待っている時で、鏡と向き合って考えるシーンがあります。そこで、「僕」は、どっちが鏡の像であるのか?ひょっとしたら自分の方が像なのでは?と思ってしまうのですが、その気持ちがなんとなく分かってしまうんですよね〜。この「僕」が考えていることって結構自分とリンクするところがあったりします。「僕」が遠泳大会に参加している最中に「社会が僕抜きでちゃんと働いているというのが奇妙」と感じたところなんてため息をついてしまいましたね。人間って小さな存在なんだと思い知らされてしまったというか。でも、決して無駄な存在ではないと思うのですよ。そんな小さな存在があつまって、部落ができ村になり街に発展するのだから。エピローグの「僕」が砂浜で2時間泣いてしまうところは、涙腺を刺激されてしまいました。すべてが終わってから、やってくる感情の洪水というか、何の前触れも無くやってくる感じが良く伝わって来たのですよ。この後「僕」は、どう生きていくのか気になっています。

 

「バトルロワイヤル」 高見広春 (99/09/03)

 方々で噂になっていたこの「バトルロワイヤル」、「ジョーカー」のように凄く分厚いのですが、2日で読み終わってしまいました。30ページくらい読んだところでもう虜でしたね。修学旅行にいくはずだった中学3年生42人が突然孤島につれていかれ、最後の一人になるまで問答無用の殺し合いをさせられてしまう。大まかなストーリとしては、こんな感じです。どうしてこの様なバカなことをしないといけないのか?大東亜共和国の機構が「すでにあるものを直そうとする意志が反映されない」からであると言っていますこれって、日本にも言えること何じゃないかなと思いました。悪い意味で保守的というか、じゃあどうすればそれが良くなるのか?と訊かれたら、「今の僕には良い考えが浮かばない」と応えるしかありません。でも、そういう問題に向き合うことは大事だと思います。考えるのをやめてしまっては、なにも変わらないです。

 そして、このようなとんでもないデスゲームに巻き込まれてしまった生徒達、なんとかみんなと説得して殺し合うことがないように出来ないかと考える子、疑心暗鬼に陥って「死ぬのはいやだ」と思い相手を攻撃してしまう子、ゲームの主旨を受け入れて積極的に殺しに向かう子、誰かの手にかかるくらいならと思い恋人と心中してしまう子・・・。42人みんな個性的で、どこかしら自分と似ている面があるんですよね。その中でも特に惹かれていたのは相馬光子でした。クラスでは、不良少女のレッテルが貼られていて、実際にいろいろ悪いことをしているのですが、滝口優一郎にキスする場面でぐぐっと好きになってしまったのです。そこに彼女の核が見えたというか、本当は、誰かに信用されたい、自分も誰かを信じてみたいと思っているのだと思います。でも、小学3年生の時の重い体験がそれを出来なくさせてしまった。自分一人では、重すぎる、誰かに支えて欲しいんだけど、弱みを見せるとそこにつけ込まれることも体験してしまっていて、自分以外をなかなか信じるということが出来なくなってしまっている。こういう子って誰かがしっかりと見守ってあげればきっといい子に育ってくれると思うんですよね。苦しみを十分に味わっているだけに相手の気持ちも察することができるんじゃないかと。心から守って上げたいと思いました。

 他にも個性的なキャラがいっぱいいて、ザ・サード・マンこと三村信史とか格好いいな〜と。冒険野郎マクガイヤーみたいなキャラって憧れてしまうんですよ。身の回りにある道具をつかって凄いことをやってのけてしまうというところが。その才能が信史くんには、あるのです。車のバッテリでパソコンを起動させて司令部のコンピュータをハッキングしようとしているところは、ワクワクして読んでいましたね。失敗したのは、すごく残念でしたが。川田くんもそういう意味でスゴイです。医者の息子ということもあって、色々なことを知っていて、ここぞと言うときの判断力が抜群なんですよ。自分もこうありたいなと思います。余裕のあるときは、ふざけたことをいってみんなを楽しませて、いざというときに臨機応変に!・・・・できたらいいよなぁ。

 それから、全体を通じて思ったことは、「人を好きになることってどういうことなのだろう?」ってことでした。口で言っていることは同じ「好き」なんだけど、みんなとる行動は違うのです。一言伝えたいだけで必死になって探し回ったり、一緒に心中しちゃったり、ただ案じるだけだったり・・・。この作品でこんなことを考える人ってあまりいないと思いますが、僕は、考えてしまったのです(笑)「誰かを好きでいる」というのと「誰かを好きでいる自分が好き」というのは、良く勘違いしやすいことだと思うのですが、そこを見失わないようにしたいですね。「身勝手」か「思いやりか」。まだ、色々考えるところがあって、一言では言えないですが、少なくとも「相手のことを思いやる気持ち」は、「好き」になると、思います。

 本の帯には、問題作とか、新人賞の選考にはずれたとか書いてあって、「あんまり良くない内容なのかな?」と思っていましたが、全然そんなことなくて、確かに「クラスメイト同士を殺し合いさせる」というのは、良いとは言えないですが、その中で生きる生徒達からは、色々と考えさせられるところが多いなと思いました。


戻る