森博嗣先生の「ミステリィにおける法則集」 を研究する

 これは、森先生のミステリィ制作部にある「ミステリィにおける法則集」を引用(イタリック部分)し僕なりの解釈をしたものです。(曲解しているという噂もある)

どの探偵も、たぶん、いじめられっ子だっただろう。
(大人になってもつまはじきだろう)

結論「探偵になりたければ、まずいじめられてみよう」

 

どんなトリックにも引っかからない熟練した読者も、探偵が美形、と書いてあると、本当に美形だ
と信じてしまう。(書いてなくても美形だと思う人もいる)

結論「人物の描写が最強のミスディレクションである。」

 

「あんな作家の作品、読むだけ時間の無駄」と言うために読む人がいる。
(これは、編集部の人の話です)

結論「どんな本を読んでも、無駄にはならない。」

 

一般に、国内ものより、翻訳ものが面白い。火星人が書いたミステリィはもっと面白いだろう。
(ちょっと、難しいかな?)

コメント「宇宙人が来たらまずミステリィを読ませよう。話し合いは、その後で。」
コメント「国内ものを絶賛する人物は、宇宙人の可能性がある」

どうして現実の世界に名探偵が存在しないのか、よく考えてみよう。

コメント「世の中名探偵だらけだから」

コメント「名探偵を必要とする事件がないから」

 

作中で、「ミステリィみたい」の台詞は登場するが、「現実みたい」はない。
(これは気をつけなくちゃ)

コメント「現実では、そのどちらもない」

ミステリィの世界には、左利きと右利きの2種類しかいないようだ。
(森はどちらでもないので、いつも悩む)

結論「森先生は、ミステリィの世界を超越している。」

 

優れた作品に出会うためには、つまらない作品を嫌というほど読まなくてはならない。
(禅の修行か)

結論「名作品に出会う確率は、駄作に出会った回数に比例する」
コメント「初めて読んだ本が名作であった人は、可哀想である」

 

煙草とコーヒーとミステリィがあれば、結婚しなくても良いかもしれない。
(もちろん、良い伴侶が4つ目に加われば、鬼に金棒、って妙な表現だなあ・・)

 

結論「森先生は、鬼に金棒である」
発展形「結婚したければいずれかを捨てろ」

 

「いつ書いているんですか?」の答は、「君が寝ているときだ」だ。
(あるいは、君が酒を飲んでいるときだ、でも可)

コメント「これを思いつかれたときも僕は、酔いつぶれて眠っていた」

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