森ミステリィの感想文1

(S&Mシリーズ)

一部ネタバレ感想となっていますのでご注意下さい!

Vシリーズ)(その他

「すべてがFになる」

 今は夏、彼女はそれを思い出す。無表情なコンクリートで囲まれた部屋には季節の気配が届かなかった。

 こんな冒頭で始まるように事件の現場となる真賀田研究所は、人里離れた孤島で、建物自体には、窓がないのです。どうして窓がないのか?ところでこの作品のテーマの一つとして「自由とは?」と言うものが上げられると思いますが、自由とは、「思い通りになること」、「障害や束縛、強制がない状態」と一般的には、なっています。これらを発展させたところに他人との接触と絶つ、外界からの影響を遮断するという思想が存在するのでしょう。だから自由の障害となる窓は、いらないのです。そう言う意味では、真賀田研究所は、自由の象徴ともとれます。そしてもう一つのテーマに「現実とは?」があります。真賀田博士は、「あとからおくれて認識される幻想」と言ってますし、犀川助教授は、「現実とは何か?と考えたときにだけ思考に現れる幻想」と言っています。つまり二人とも現実は、幻想の一形態であると認識しているわけです。しかし多くの人々にとって現実と幻想の間には決定的に違うところがある。それが「現実とは、役に立つ立たないに関わらず我々に干渉してくるもの」「現実は、他人の干渉を受ける、他人と共有している意味で、自己から独立したものとして自覚されること」であるわけです。現実というものをこの様に定義した場合、真賀田研究所の所員達は、果たして現実の世界に住んでいたのでしょうか?それとも幻想の世界に住んでいたのでしょうか?答えは、「どちらも正しい」だと思います。

 さてサブキャラクターの中で注目しておきたい人物は、やはりなんと言っても真賀田四季博士でしょう。この作品では、ずば抜けた天才として存在しています。15年間も外の世界から離れて彼女は、なにを思ったのでしょう?そしてなぜ娘を、新藤所長を殺したのでしょうか?疑問は必然的にこれらに向かいます。まず注目しておきたいのは、彼女は決して自由意志で閉じこもっていないことです。これは、真賀田博士本人も言っています。犀川助教授も、「博士は、何者かによって閉じこめられているのでは?」と思っているような会話があります。そして最後の章で真賀田博士は、一連の殺人劇は、「自由へのイニシエーション」であると言っていることから自由になりたかったであろうことが伺われます。3人もの命にかえられる自由、真賀田博士にとって自由とは、どんなものなのでしょう。そして最後犀川助教授と別れる時に登場してくる3人の男達かれらは、なにものなのでしょうか。いろいろ数多くの謎につつまれた女性ですね。そこが真賀田博士の博士たる所以なのでしょう。

 最後に犀川助教授と萌絵ですが、犀川助教授は、このキャンプで初めて萌絵に対しては自分の防御があまいと気づきます。つまり心を開いているとも言えるわけです。また萌絵は、というと真賀田博士という天才に刺激されてか過去両親を一度に失ったショックから立ち直ろうとするきっかけをつかみます。犀川助教授に事故のあった日怪我を負わせたことを謝っているのがその証拠ともいえるでしょう。この時点では、これくらいしか推測できませんが四季博士には、全てを見通していたのでしょうね(笑)

 


「冷たい密室と博士たち」

 今回の注目したいミステリィは、なんといっても国枝助手の結婚でしょう(笑)犀川先生は、もちろんのこと別の研究室である喜多先生まであの驚きようです。これだけが、唯一このお話の中で解決されていないのでは、ないでしょうか?国枝助手の旦那さんって彼女のどこに惹かれたのでしょうか?国枝助手は、何故結婚を考えたのか?ふたりっきりの時は、どんなことを話しているのでしょう?

 一方、ラストの方では、萌絵ちゃんが喜多先生にとお見合いの写真を持ってきていましたね。これにも犀川先生は、驚いていましたが(笑)

 そして、今回の殺人事件には、木熊教授と市ノ瀬助手の強い親子の絆というものが伝わってきたように思えます。特に木熊教授の愛情は、凄い強かったのでは、ないでしょうか。娘を安全にするために、自殺する・・・。なんか細胞のアポトーシスを連想してしまいます。

 と、こんな感じで色々思うところがあったのですが、なんか「結婚」とか「親子」とかそういうものがこの小説のバックグラウンドにあったのではないかと思っています。この小説は、森先生が娘さんの為に書かれたというお話もありますし、ますます、そういった「結婚」「家族」「親子」といったものを連想させられてしまいます。

 


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