ルス・デル・アンデ

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第一部
2006年 5月12日〜15日


 

5月12日(金)


マイアミからのAA便は、夜明け前のエル・アルト空港に着陸する。「火山の噴火」という誤報によって、マイアミからの出発が遅れたため、ラ・パスの朝は、もうすでに明るかった。高山病を警戒し、ゆっくり、ゆっくりと歩みを進める。

 

女性に話しかけられた。「あなたはギタリストですね?名前は・・・」「タカですよ。」「そうそう、ときどきテレビで見るわよ。がんばってね。」昔の映像が、今でも流れているのだろうか?

トランクをピックアップして、税関を通る。「コンサートかい?」トランクを開けながら税務官が聞く。彼も僕のことを覚えていた。「市立劇場で、8年ぶりさ。」「招待してくれる?」「もちろん!」笑いながら通関する。  

ここに着くと必ず気になっていたラ・パス特有の臭いが、それほど強く感じられない。自分が変わったのだろうか?それともラ・パスが変わったのだろうか?

 

白い朝の光の中に、マルセロの姿があった。固い握手、強い抱擁。「ようこそ君の祖国へ!」「やっと帰って来れたよ!」真っ青に晴れた空に、ワイナ・ポトシーが銀色に輝く。さすがに寒い。  

車に乗り込むと、コカ茶をポットから注いでくれた。「ここではシートベルト禁止だぜ。」笑いながら車を走らせる。セーハを抜けて高速道路へ。8年ぶりのラ・パスである。確実に家が増えている。新しい教会の塔が、やたら目に付く。所々で写真を撮りながら、マルセロ宅へと向かう。  

懐かしいパティー、少しも変わっていない。びっくりするくらい大きくなったシュシュー。初めて会うマテオ。決して大きくない家の一部屋を、僕のために空けてくれていた。「家に来てくれてありがとう。」とパティー。本当に感謝である。

トーニョがやって来た。一年の半分以上をフランスで過ごす彼も、毎年高山病の洗礼を受けるクチである。「アタマはどうだい?」笑いながら抱擁する。    

朝9時からのニュース番組に出演するため、三人でCADENA Aへ出掛ける。大学近くの建物の中、スタジオは4階、日本流で言えば5階である。高山病には非常にきつい「試練」である。  

朝のニュース番組は視聴率が高い。コンサートの告知である。ラ・パスに着いた実感もなく、ましてやテレビに出ているという緊張感など微塵もない。しかし、酸素が頭に回らないため、スペイン語が出にくいのである。とりあえず友好的に終了。帰りにふたりはサルテーニャを食べる。「お前はまだ我慢した方がいい。」と、ニヤニヤしながら・・・。  

昼食に、パティーが用意してくれた鶏肉のスープを食べて、ベッドに横になる。夜にはCANAL 11での生番組で生演奏があるとの事。少し高山病の症状が出てきたようだ。それでも、少し眠れた。

 

 7時頃テレビ局でメンバーと再会。ウィルソン、ルーチョとは日本で会ってから5年ぶり。そして今回から参加するロベルトは、数年前にコンドルカンキと来日している。ダウンジャケットを着たままの抱擁は、ひとつの大きな固まりのようになる。おまけに「パタパタ」と強く背中を叩くのだ。飛び交う笑顔と笑いに、守衛の警官が目を丸くしている。細い階段を下りて、スタジオへと向かった。  

番組開始前に演奏分だけ撮っておくという。リハーサルでギターを弾くが、酸欠は指にも影響する。頭痛もかなりひどくなっている。しかし、8年ぶりに一緒に演奏出来る喜びが、メンバー全員に充ち満ちている。みんな、心から楽しそうに、嬉しそうに演奏している。「CHOLITA PACEN~A」「LAMENTO DEL MINERO」を収録した。

 

演奏を撮り終えると、夜9時に番組が始まる。自分たちの出番まで、僕はセットのソファーで横になった。ニュースの他、コメディアンのトークショー、視聴者との電話インタビュー、長い番組である。結局すべてが終わったのは、日付が変わるころだった。

 

夕食を兼ねて、歓迎会をしてくれるという。みんなでCAFE CIUDADに行く。メニューの中からLOMO MONTADOを選ぶ。美味しそうな肉が運ばれてくる。思い出話に笑いが絶えない。マルセロの車で家にたどり着いた頃には、もう午前2時をまわっていた。8年ぶりのラ・パスでの、長い一日が終わった。

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5月13日(土)


 

夜明け前に目が覚める。時差ぼけである。頭痛がひどく、吐き気もする。これは高山病の症状だ。ベッドの上に身を起こし、コンサートのための資料に目を通す。夜明けとともに賑やかになる、クラクションの音が懐かしい。
 

朝食に、コカ茶とビスケット、少しのチーズを食べた後も、気分が良くないのでソファーで休みながら、ときどきギターの練習をする。昼食は、今日も美味しい鶏肉のスープを作ってくれた。少し元気が出る。  

RADIO PANAMERICANOの生放送へと向かう。スタジオでメンバーと合流した。PATORICIAがパーソナリティーを務める、2時間近い音楽&トーク番組である。CDをかけながら、いろいろな話をする。視聴者からの電話もON AIRに繋がっている。ラ・パスはもちろん、スークレから、コチャバンバから、ポトシーから電話が入る。思わず来年のポトシー公演を約束してしまった。
 

ラジオ局からCANAL 7へと向かう。こちらも生放送。約束の時間から、かなり遅刻した。旧友RAMILO PLATAの番組である。VTRを流してのトークのみ。先客ENRIQUETA ULLOAと、これも10年ぶりの抱擁。やはりコンサートがあるのだそうだ。

 

 ルーチョのスタジオにて、最初のリハーサル。新しいアンデス・ドラムセットが組んである。広くはないが、良い空間である。
 

プログラムを決めて、練習を始める。8年ぶりのアンサンブルである。コンサートまで3回のリハで、形にしなくてはならない。初日はアウトラインを確認するのみとした。みんな音楽が好きなのである。演奏することが好きなのである。かなり遅い時間まで、リハーサルは続いた。

 

帰宅後ビスケットと紅茶を飲んでベッドに入る。頭痛はまだひどいが、ラ・パスについて二日目だとは、とうてい思えない。

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5月14日(日)


 

夜明け前に目が覚めるが、体の調子は少し良くなっている。朝食に待望のMARRAQUETAを食べる。PILの有塩バターを塗ったMARRAQUETAは、どのパンよりも美味しい。ヨーグルトをかけたフルーツ・サラダも、美味しく食べる。マルセロ宅の斜向かいに位置する「赤十字」での就任式があり、ブラスバンドの演奏が聞こえる。

昼食にパティーの得意料理「鶏の岩塩焼き」を食べた。オーブンの天板に岩塩を敷きつめ、その上に丸ままの鶏をおいて焼く。熱によって鶏の脂が出て、塩の上に流れ出す。どういうわけか鶏に塩味が移って、本当に美味しいのである。
 

トーニョを誘って、マルセロと共に、RAMILO PLATAのラジオ番組に行く。SAN ANDRES大学の斜向かい、古いビルの、これまた5階である。

彼は古株DJのひとり、実に様々な音楽番組を渡り歩いてきた男だ。自分の声が、ラジオに乗っているということを忘れさせるようなインタビュー、しかし油断をすると、こたえられないような・・・こたえてはまずいような質問が、ズバッと来る。明後日のコンサートの司会を、快く引き受けてくれた。 

 夕方からはルス・デル・アンデの練習。プログラム通りにさらってみる。トーニョが自作のタキラリで、バンドネオンを弾きたいとのこと。やってみると面白い。ロベルトもフルートに持ち替え、風変わりなアレンジとなった。

ラジオのスタジオに楽譜を全部忘れて、RAMILOに届けてもらった。
 

夜はパティーの実家、カスチジョン家のティーパーティーに招かれた。以前から事あるごとに食事に、お茶に招いていただいている。パティーのお母さんヨランダ夫人は、元教師である。いつもいろいろな話に花が咲く。今回は、ラテンアメリカの現代文学の話を聞かせてもらった。

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5月15日(月)


 

朝食はヨーグルトとフルーツサラダ。体の調子はかなり良くなっている。ラ・パスについて初めてシャワーを浴びる。高山病の症状がひどい間は、シャワーは要注意。おまけに寒い季節は、よほど気をつけないと風邪をひく。  

懐かしいロレンセッティのシャワーである。電気を通して、水道の蛇口をひねると、電熱器がお湯を作り始めるシステムだ。お湯の温度は、水の量で調節する。上手くシャワーを浴びるためには、ちょっとしたコツがいるのである。

 

マルセロと共に CANAL 4へ。CANARIOS DEL CHACOのOMARがやっている、料理番組への出演だ。駐車場に車を止めて、テレビ局まで少し歩く。坂道はまだかなりきつい。

スタジオに入る前に、近くで印刷所を経営するCARMELO CORZONに会いに行く。自身もかつて音楽をやっていたCARMELOは、文化に対しての理解が非常に厚く、多くの音楽家、文化人たちの活動に協力している。相変わらず、やわらかい、優しいひとである。

 CANAL4へと戻る。あいにくOMARは旅行中。かわりにチョリータ・キャラクターのパーソナリティである。

今日の料理は「ASADO EN OLLA」。ちょっとした煮込み料理である。スタジオ内は、タマネギを炒める臭いで充満している。ビクーニャのキャラクターが、とても面白い。

我々の昼食は、パティーの作ったコチャバンバの名物料理SILPANCHO。目玉焼きがのっている。やはりとても美味であった。

 

 午後からは、ルス・デル・アンデの練習。明日がコンサート本番だが、メンバーには特別な緊張感はない。あくまでも楽しく、愉快にリハーサルは進む。プログラム通りに曲をさらうが、さすがに今日は舞台上の配置やPAの話なども詰めてゆく。

 

帰宅後は自分のパートの気になるところをさらう。夕食は、MARRAQUETAと紅茶で早めにベットに入った。

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