音楽コラム 2.no.009 アンデスの匂いを奏でるためには…… 私がボリビアに初めて渡った時、私の中のフォルクローレは、そのほとんどが知識としての音楽であり、頭で覚えたテクニックだったのです。その上、ボリビアの歴史も、そこに暮らす人達の事も、さらには言葉もわからず・・・当時の私は、わかっているつもりだったのかもしれませんが……楽器の音を合わせるだけで、合奏をしようと頑張っていたのです。それではカブールやフェルナンドと、音が混ざりあうわけありません。 悲しいという気持ちは、本当に悲しみを感じなければわかりません。また、心の底から喜ぶ事が出来なければ、奏でる楽器からも、うれしそうな音は出て来ないのです。アンデス風の音を紡ぎ出せても、本当の匂いのあるアンデスの音は、やはりアンデスに身を置かなければ、絶対に出せないでしょう。アンデスをイメージするためには、アンデスに暮らす必要があるのです。 『フォルクローレの演奏家になりたい』という人達には、私自身の体験から、現地へ行って勉強する事を、強く勧めます。 2002.6.1 no.008 より良く感じるために、より良く知る。 音楽をより良く感じるために、その音楽をより良く知る……という事は、演奏家、作曲家にとって、とても大切な事だと思います。『感動に理屈はいらない』というのもよくわかります。しかし、そこで感動するのは自分であり、それだけでは感動の輪は、外に広がりを持てないのではないでしょうか? ただ自分が勝手に感動出来れば良いのであれば、それこそ理屈も何もいらないのでしょうが、音楽を演奏したり、その作品を創る者たちにとっては、そこで完結することはできないのです。 私たち演奏家は、自らの感動を行為として表し、そしてそれをより多くの人たちと共有したいと願うのです。だからこそ、より良く感じ、より良く知る必要があるのです。ある曲を演奏するために、その音楽にまつわる歴史を知り、風俗を知り、言葉を知り……、また、作品にまつわる思想、哲学、宗教などをも学べたら、さらに興味はましてゆくでしょう。フォルクローレを演奏するためには、やはりフォルクローレをより良く知らなければならないのです。 しかし、頭だけで知る事、考える事には限界があります。体験や経験を通して、音楽を知る……やはりこれが、最も重要だと考えます。 2002.4.28 no.007 イメージするという事(4) (個性/スタイル、作曲家と演奏家) 各演奏家や作曲家が、それぞれのイメージで音楽を創る……その違いが『個性--スタイル』として、演奏や作品に表れるのです。先述のように、イメージというのは、各人の経験が糧になり、それぞれの内面で形作られるものだと考えます。その媒体として、個人の性格だとか嗜好だとか、さらには、目標、目的、それに伴う方向性などなど、さまざまな要素がからみ合い、実際の音楽が創られ、奏でられるのです。 イメージには、正しいも間違いもありません。自分が受けた印象を大切に、それぞれのイメージを形作り、広げてゆく事が唯一の方法なのです。その結果、作曲家が意図したコンテンツと、その曲に対しての演奏家の理解が異なるものであっても、それはそれで仕方がない事だとも言えます。 ただ『演奏家が、作曲家と同じ次元でイメージを作り上げる事ができるのならば……』という前提がつくのです。演奏家が、演奏する作品に対して、あたかも自作の曲であるかのように、深く感じ、理解をしてイメージを作り上げる事ができるのならば、そこに生まれる音の世界は、作り手と演じ手との合作よって、さらにその魅力が大きくなるはずです。しかし、二者が明らかに大きな隔たりをもって相対していれば、偶然に面白いものが生まれる可能性も残しながら、両者の良さをも、相殺してしまう事でしょう。 2002.4.24 no.006 イメージするという事(3) (方法) 私は自分の中にイメージを作る時に、よく映像を使います。もちろん、実際に映像を見るわけではなく、頭の中で、ある映像を思い浮かべるのです。それは、具体的にストーリー性を持っているものであったり、もしくは、ただ立体的な動きの変化であったりしますが、それは次第に進化してゆき……それが何かのストーリーであれば話が前に進んでゆき……音のイメージもそれに伴い変わってゆくのです。私にとっては、この方法が一番、求める音のイメージに直結しやすいのです。 また時々、図形や、色のトーンで思い浮かべる事もあります。この曲のこの部分は、角が立っているのか丸くなっているのか、表なのか裏なのか……赤いのか青いのか、濃いのか淡いのか、透き通っているのかそうでないのか……そんなふうに、限りなくイメージは膨らみます。 ひとそれぞれ、イメージの方法は異なるでしょう。私も前述の方法だけでなく、いろいろな形でイメージを作ってゆきます。 ただここで重要なのは、限りなくイメージ出来るだけの経験を、自分の感性にさせているかどうか、という事です。空想世界でも、精神世界でも、また現実世界でもかまいません。その経験での記憶が、具象、抽象にかかわらず、必ず音に反映されるはずであると、私は確信しています。 2002.4.21 no.005 イメージするという事(2) (演奏家と楽器、そしてその製作家) 演奏家にとって、楽器から出て来るはずの音(もしくは出て来て欲しい音)が、きちんとイメージ出来ているかどうか……という事は、大変に重要です。理想の音を求めて、演奏家は努力(練習)をするのです。美しい音を望まなければ、どんな名器からも、美しい音は引き出せません。また、どんなに一生懸命に練習をしても、美しい音がイメージ出来ていなければ、決して美しい音に到達する事はないでしょう。そして、そのイメージを伝達する媒体が、道具としての『楽器』です。たとえば、多くのギタリストたちが、内外の名器を求め、弦を研究し、爪の削り方にまで神経を使うのは、自分のイメージ通りの音を出す、ひとつのプロセス(もしくは要素)なのです。 そうなると、楽器自身の持つ音が、演奏家のイメージに近いという必要性も出て来ます。製作家も楽器を作る時には、確固たる理想の音をイメージして製作します。音どころか、その楽器によって奏でられるべき音楽を想定して、材料の選定から始めるのだそうです。製作家も、音楽をイメージしながら楽器を組み立ててゆくわけです。 演奏家と製作家の音のイメージが重なりあえば、二人三脚で音楽づくりが可能となるのです。そして演奏家が、その楽器の持つ本来の個性を引き出す事ができれば、楽器は演奏家にとって、さらなる大きな力となりうるでしょう。 2002.4.9 no.004 イメージするという事(1) イメージするという事は、音楽を演奏する上で、非常に重要な要素のひとつです。自分で、どんな音が出したいのか、どんな感じの曲に仕上げたいのか、どんなストーリーに仕立てたいのか、イメージ出来ることはとてもたくさんあるでしょう。 頭の中で(人によっては"心の中で"と言うかもしれません)出て来てほしい音の姿を、出来るかぎりはっきりとイメージする…そして、そのイメージどおりの音を出すように弾いてみるのです。なかなか思うようにはいきませんが、イメージが出来ていれば、自分の中にお手本があるわけですから、とりあえず、試行錯誤の方向性ははっきりとするはずです。 どんな曲に、またどんなストーリーに仕立てようかイメージ出来れば、その曲の演奏は、完成したと言っても過言ではありません(そのイメージどおりに弾けるかどうかは、また別の問題です)。たとえば合奏する時には、それぞれの演奏家が、その楽曲に対して、ある程度統一したイメージを持っている事が必要です。曲のイメージについての意見を取り交わす事が、実際に楽器の音を出すほどに大切な事なのです。その上で、各演奏家の価値観といいますか、指向性のようなものが、それぞれのプレイに表れて、合奏という形態ができるのです。 イメージについて、簡単に触れてみましたが、この問題については、とてもたくさんの事が語れるような気がします。折を見て、さらに深く掘り下げてゆきたいと思います。 2002.3.23
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