・バックナンバー

no.049

「音楽」を考える・・・「文化とは何か?」(2)

 最近、和服姿の女性をよく見かけるようになりました。いかなる場合であれ、女性の着物姿に好感を抱くのは、やはり日本男児としての所以でしょう。

 日本人は明治維新まで、当たり前に和服を常用していました。世界中に、さまざまな衣装がある中で、日本で「着物」が衣装として発展してきたのには、その風土、生活様式をはじめとする、さまざまな要因があったからです。また和服を基に生まれたり、和服を条件として発展した文化も数多くある・・・どころか、日本の伝統文化の中に、和服と無関係なものはまず見当たりません。

 特別な機会のみならず、日常的に和服を身につけることは、素晴らしいと思います。着物を着るということは、日本の文化を纏う事でもあるのです。しかしそうなると、着物という文化に付随する、さまざまな事柄も一緒に身につけざるを得ません。着付けから立ち振舞い、最低限いくつかの作法を実践しないことには、和服を着こなすことは難しい。その作法を学ぶことを、喜ばしいと感ずるか、疎ましいと感ずるか、必要だと感ずるか、必要ないと感ずるか、そこが大きな境目です。

 「着物」という文化に身を包むためには、その形のみならず、それを産み出し育んだ文化・・・文化を担った人々の生き方を知る・・・せめて興味を抱く必要があるのではないでしょうか?

 夏場の花火大会で目にする若者たちの浴衣姿は、その多くが「着物」の形をしたカジュアルウェアに過ぎません。その流行を見て、「若い世代による伝統文化の見直しが進んでいる」と宣うのは、あまりにも薄考すぎるのではないでしょうか?

2009.03.24

no.048

「音楽」を考える・・・「文化とは何か?」(1)

一般的に、音楽や美術、文学といった芸術(arte)は、「文化」という大きな括りで論じられます。今回は、この「文化」について考えてみましょう。

 「文化」は、遠い昔から、人間が人間として生きてきた証の痕跡ですから、私たちの日常は、「文化に囲まれている」と言っても過言ではないでしょう。私たちの生活は、先人たちの育んできた文化によって、有意義に、ポジティブに支えられているのです。

 三省堂「大辞林」の「文化」の項の最初には、『社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体』とあります。 さらに、岩波の「国語辞典」同項目の二番目には、『人類の理想を実現して行く、精神の活動。技術を通して自然を人間の生活目的に役立てて行く過程で形作られた、生活様式およびそれに関する表現』と続きます。
 要するに「文化」とは、人間が人間として、より良く生きていくために、人間によって生み出された、さまざまな事物であるわけです。

 ここで大切なのは「より良く」というところです。岩波の辞書は「人類の理想の実現」という表現をしています。 もうひとつは「人間として」というところです。文化を考えるためには「人間らしさ」を考えなくてはなりません。「人間らしさ」が「より良くなる」とはどういうことか、よくよく吟味しなくてはならないのです。

 昨今、いろいろな分野でのニューフェイスが「文化」としての「認知」に名乗りを上げています。海外で人気の高いアニメやゲーム、挙げ句の果てには「アキバ系」「オタク文化」などという言葉まで、解説なしで通用するようになってしまいました。
 アニメーション作品や、ゲームに象徴されるような電子テクノロジー、さまざまな風俗の多様化が、「文化」として「人間らしさの向上」に寄与していることは否定しません。しかし、それらの多くが「人間らしさ」を蝕んでいる事実も見逃すことができないのです。
 さらにそれは上記のジャンルに限らず、「文化」として認知されている「芸術」の中からも、実に多くの「背信的作品」が、世の中に撒き散らされていることに気づかねばなりません。それらは「人間らしさの向上」を阻害するだけでなく、「人間性の喪失」すら誘発すると考えられます。

 私たちひとりひとりは、男女老若を問わず、仕事、活動の差異に関わらず、それぞれが文化の担い手です。日々の生活が、文化を形成し、「人間らしさの向上」の働きとなるのです。

 次回は、いくつかの「文化」を個別に例として拾い上げ、さらに考察を展開して行こうと思います。

2008.11.17