1940

 4月9日ボリビア、ラ・パス市に生まれる。
 10歳の頃より、音楽をはじめとする芸術全般に興味を抱き、独学にて、楽器の練習を始める。

 その頃より、自らが生活する、ボリビア都市部の伝統、習慣、状況に大きな関心を持つ。

 

1957

 フーリオ・ゴドーイ、ウーゴ・バリエントスと共に、「トリオ・ロス・フンコス」を結成。
 ボリビア芸術家協会に加盟。

 

1961

 ボリビア文化教育省所属のボリビア・バレエ団にテスト生として入団。

 後にチェラ・ウルキーディ、マヌエル・アコスタ、ラウロ・ロドリゲス等と共に、主要メンバーとして、音楽と踊りを担当する。

 

1962

 ココ・デ・ロス・レジェス演出、エマ・シンタニ監督の舞台「スペインのファンタジー」に、ダンサー、ギタリストとして出演。

 

1963

 カルメン・ブラヴォ主催「スペイン舞踊祭」に、ソリストとして参加。
 初めてアルパを製作。コンフント「アルト・パラナ」、デュオ「113」を結成。

 

1964

 ボリビア民族舞踊団のメンバーとして「第一回学生フォルクローレ祭(トゥクマン/アルゼンチン)」に参加。

 

1965

 ボリビア民族舞踊団のメンバーとして「第一回ラテンアメリカ・フォルクローレ祭(サルタ/アルゼンチン)」

 「第一回国際舞踊祭(リマ/ペルー)」に参加。

 チャランゴの独奏、ケーナ、ギターの演奏も担当する。エクアドールへのツアーにも参加、「スークレ劇場(キト)」で演奏する。
 ボリビア・ポリフォニック合唱団のメンバーとして、「第二回アメリカ合唱祭(ビーニャ・デル・マル/チリ)」および、

 「第二回Tアメリカ、チリへ歌うU音楽祭(サンティアゴ/チリ)」に参加。
 「第五回ボリビア競技会(エクアドール)」に招待。
 ミッキー・ヒメーネスの人気テレビ番組「土曜日の大劇場」と専属アーティスト契約を結び、

 ソリストとして、自らのコンフントを率いて出演。絶大な人気を博す。
 ペパ・ヴェレス、ルイス・トランソス監督の音楽劇「アイレス・ボリビアーノス」に、チャランゴ奏者として招かれ、出演する。

 

1966

 ヤーヨ・ホフレ、フーリオ・ゴドーイ、ジルベルト・ファブレとともに、「ロス・ハイラス」を結成。

 同時に、トリオ「ドミンゲス・ファブレ・カブール」を結成。

 

1967

 子供によるコンフント「ロス・ハイリータス」をプロデュース。

 (後に人気コンフント「ロス・チャスカス」へと移行。)
 「ロス・ハイラス」とともに、チリのテレビ番組「チリ、歌いそして笑う」へ出演。

 

1968

 子供によるコンフント「ロス・ハイリータス二世」をプロデュース。

 (後に人気トリオ「ホセ・ホセロ・マルセロ」へと移行。)
 「ロス・ハイラス」とともに、ラテンアメリカ各国へツアー。

 

1969 〜1971

 「ロス・ハイラス」「ドミンゲス・ファブレ・カブール」、

 ヨーロッパに拠点を置き、世界各国へ演奏旅行。

 ソ連、中央モンゴルにまで到達。

 

1971

 ロス・ハイラスを脱退。ボリビアへ帰国する。
 自らのコンフントを結成、マリオ・グティエレス、ルイス・バルデス、ルーチョ・カブールらと演奏活動を開始する。
 ラジオ・コスモス主催「第一回フォルクローレ・チャリティー・マラソン(コチャバンバ)」を指揮。39時間連続の演奏記録を作る。

 

1972

 「第21回、花と果物のフェスティバル(アンバト/エクアドール)」に、ボリビア代表団35名を率いて参加。パナマへ演奏旅行。

 

1973

 アルゼンチン、ブエノス・アイレスのテレビ、ラジオ各局に出演。

 

1974

 歌手ルイス・リコとともに、ライブハウス「ペーニャ・ナイラ」の文化、音楽活動を再開させる。
 メキシコのテレビ番組「エンクエントロ」より招待。

 アタウアルパ・ユパンキ(アルゼンチン)、ニコメデス・サンタクルス(ペルー)、

 オクタヴィオ・マルランダ(コロンビア)、レネ・ヴィジャヌエヴァ(メキシコ)らと出演する。
 ワシントンDC.へ演奏旅行。
 二人のサンポーニャ奏者ラミロ・カルデロン、ジョニーベルナールと ともに、中南米各国へ演奏旅行。

 

1975

 「ポルターレス文化センター(コチャバンバ)」主催で、チャランゴ教室を開設。
 メキシコ芸術大学の招きで、メキシコ・ツアー。メキシコのフォルクロリスタたちと共演。
 「グルーポ・ナイラ」とともに、カナダ・ツアー。

 

1978

 「第27回、花と果物のフェスティバル(アンバト/エクアドール)」に、

 ボリビア代表団を率いて参加。

 ボリビア民族舞踊「カポラーレス」の創始者、エストラーダ兄弟を帯同。
 フランス、スイス、ドイツ各国にてコンサート。
 エクアドール、ペルー、コロンビア各国にてコンサート。

 

1979

 ニロ・ソルーコ、ルイス・リコとともに、トリオ「ボリビア、アメリカの心」を結成。

 ボリビア各地にてコンサート。

 

1980

 初の日本公演。(全国労音)
 1981 チリの人気番組「チリが君を招く」に出演。
 二度目の日本公演。

 

1982

 音楽祭「ラテンアメリカの風景(レンヌ/フランス)」に招聘。

 アタウアルパ・ユパンキ(アルゼンチン)、オスカル・カッセレス(ウルグアイ)、

 ラウル・ガルシーア・サラテ(ペルー)、ドゥオ・アッサド(ブラジル)らと出演。
 「南米ポピュラー音楽祭(フィレンツェ/イタリア)」に出演。
 音楽祭「オリソンテ82(ベルリン/ドイツ)」にて、カチョ・ティラード(アルゼンチン)、

 ラウル・ガルシア・サラテ(ペルー)、エグベルト・ジスモンチ(ブラジル)らと出演。

 

1983

 三度目の日本公演。
 「Seranaden音楽祭(チューリッヒ/スイス)」「国際ギター音楽祭(ドイツ)」に招聘。

 

1984

 「第七回移民フェスティバル(ベルギー)」に招待。
 ドイツ、フランクフルトのALTER OPERにてコンサート。
 ルクセンブルグにて公演。ヨーロッパ各国でコンサート。

 

1985

 「第一回詩人の出会い(サンティアゴ/チリ)」へ参加。
 「ベルリン国際ギターフェスティバル(ALTER OPER)」に、
パコ・デ・ルシア、

 ステファン・ジェレミアス、マヌエル・バルエコらとともに出演。
 「イベロ・アメリカ音楽祭(TFRIEDE LAUR/ベルリン/ドイツ)」に出演。
 USA.アラスカ州にてコンサート。

 

1986

 「第16回政治の歌フェスティバル」に、ボリビア代表として出演。
 「ハンブルグ国際ギター音楽祭(ドイツ)」に招聘。

 アンドレス・セゴビア(スペイン)、ペペ・ロメロ(スペイン)、

 ラウル・ガルシア・サラテ(ペルー)らと出演。

 ヨーロッパ各国でコンサート。

 

1988

 北米ツアー。アラスカからマイアミまで、各地でコンサート。
 マトグロッソ(ブラジル)にて公演。

 

1989

 ポリネシア諸島タヒチにてコンサート。

 

1990

 ストックホルム(スエーデン)をはじめ、

 スカンジナビア諸国およびスイスをツアー。
 四度目の日本ツアー。
 「ポピュラー歌謡音楽祭(アンバト/エクアドール)にて招待演奏。

 

1991

 オランダ、スイス、ドイツ各地にて公演。
 エクアドール各地にてコンサート。
 フジテレビ「なるほど、ザ・ワールド」に出演。

 

1992

 映画「橋のない川」(東陽一監督)の音楽を担当。

 放映記念日本ツアー。

 ブラジル公演。



1994

 「第七回キューバ国際ギターフェスティバル」(ハバナ)にて招待演奏。
 「第一回ラテンアメリカ・フォルクローレ音楽祭」(ラ・パス)にて、特別審査員。

 

1995

 チリ各地にてコンサート。

 

1997

 「ボリビア発明家協会」に加盟。「新しい楽器によるコンサート」を企画。

 

1998

 「パタゴニア・フェスティバル」(プントアレーナス/チリ)にて招待演奏。
 ドイツ、オランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルグにてツアー。
 「メルコ・スール音楽祭」(メンドーサ/アルゼンチン)に招待。

 メルセデス・ソーサ(アルゼンチン)、インティ・イリマニ(チリ)、

 トッキーニョ(ブラジル)と出演。
 クイアバ(ブラジル)にてコンサート。

 

2000

 ヨーロッパ各地にてコンサート。

 

2002

 ヨーロッパ各地にてコンサート。
 ロア、カラマ(チリ)にてコンサート。

 

2003

 芸術週間「Bolivia en el Coraz溶」(フアレス、アカプルコ/メキシコ)にてコンサート、

 およびチャランゴのマスタークラス。
 「第四回アメリカ・ギターフェスティバル」(サンティアゴ/チリ)に招待。

 

2004

 東郷聖美展覧会(東京)に招待。
 北米各地にてコンサート。

 

 

 

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