No.080

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(9)

大震災から二ヶ月が過ぎた。首都圏にいるかぎり、日常はかつての日常のように動いている。震災・原発事故関連のニュースも、見たくなければ避けられる程度になってきた。震災直後から、直接被災しなかった地域では、社会が『早く戻ろう、早く戻ろう』としてきたようである。

しかし、震災や原発事故で負った痛手は、あまりにも大きい。傷はまだ癒えていないのだ。手当てや療養がまだまだ必要である。それどころか原発事故にいたっては、治療の方法すらまだ分かっていない・・・。

日常に戻りたい社会も、今回の震災の事実は知っている。みんな心のどこかに、その引っ掛かりを持っているはずだ。どうしてそれに蓋をしようとするのか?どうして事実に目を向けて、自分の心の中の引っ掛かりに、耳を澄まそうとしないのか?

深刻な日々を送る必要もないし、悲痛な思いで日常を過ごす必要もない。楽しくしあわせな毎日を送るのが一番である。しかし、現実から目を逸らせるべきではない。目を逸らせたところで、現実は消滅しないのだ。

いま現在、難儀をしている人たちがたくさんいる事実、そしてそれを知っている自分を意識しながら、毎日の生活を送りたい。そうすれば、今日一日の行動に、多少なりとも変化が生じるだろう。

11/05/11

No.081

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(8)

5月8日付朝日新聞第一面に『連休終盤にボランティアが激減した』という記事があった。当然であろう。無償・手弁当を基本とするボランティアは、本業の休暇に活動する以外方法はない。休みが開けたら、仕事に戻らざるをえない一般人は『被災地に手助けに行きたくても行けない』のだ。
 ボランティア派遣の関係者は『夏休みまでは戻ってこないだろう』と推測している。気持ちがあれば行動できるしくみを、早急に考えなければならない。

企業が、支援活動の意志がある社員を募り、シフトを組んで派遣するのも、ひとつの方法ではないだろうか?たとえば大企業であれば、さまざまなスキルを持った人たちがいるだろうし、その職能と現地のニーズとを調整すれば、合理的に、有効的に、そして継続的に支援活動ができると思う。
 募集は、社員の自由意志に委ねるわけだし、しっかりとシフトを組めば、会社への影響も押さえられるのではないだろうか?

復職できないでいる被災地の専門職の人たちを、関連会社、取引会社、ライバル会社などの協力企業が一時的に雇用して、有給で被災地での活動に従事できるようにすることもできそうだ。その資金は、協力企業の役員など、ある一定額以上の報酬受給者から集めればよいだろう。

支援活動を有給にするのも、また一つの方法だと思う。活動者に日当を払い、食事も提供する。食事は炊き出しでもよいが、その場合には炊き出しの協力者にも日当を払う。宿舎は、被災地近辺の町に定め、活動場所までの移動は、その町の旅行社や交通会社に委託すれば現地企業の収入にもなる。
 そのための資金は、国が大きな部分を担うべきである。前に述べた(No.075)、議員や首長(この場合は国会議員と国務大臣)の給与や年金、また彼らの『善意(私財の供出)』、さらには宮内庁の予算などから出せばよい。
 また企業からスポンサーを募るのも、ひとつの手である。協力企業については、どこがどのように協力しているか、メディアがしっかりと伝えるべきである。

国会議員のセンセイ方が、資金を出すか出さないかは、それぞれの自由意志で構わないだろうが、その行動は公にして、わたしたち国民が、次の選挙の参考にすべきである。

とにかく誰かが勇気を持って旗を振り始めなければ、なにも動き出さない。一般市民はもう旗を振っているのだから、政財界の人たちの英断を、強く要望する

11/05/11

No.080

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(7)

被災地では、たくさんの人々の生活が壊された。衣食住と、それを整えるための仕事、心を支え合うはずの肉親、友人、知人・・・考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。
 私たちはどうしたらよいのか?どうすることがよいのか?

生活を壊された人たちへの支援とは、私たちの生活を差し出すこと、私たちの生活の一部を提供することではあるまいか?

義援金も、ボランティアも、チャリティーも、生活の一部の提供である。出来ることからやればいい。 大切なのは意識である。義援金が施しになったらダメなのだ。ボランティアが暇つぶしになってはダメなのだ。チャリティーがブームになってはダメなのだ。

私たちの生活を、どこまで提供できるかは、さまざまな困難を強いられている人たちの辛抱に、どれだけ付き合えるか?どれだけ辛抱の共有ができるかだ。

それは、自らの生活の見直しを伴う。 この国に生活するすべての人が、生きるということを改めて考えることで、復興は実現する。

11/05/08

No.079

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(6)

人が生きてゆくためには、何が必要なのか?水や食べ物、空気なども当然だが、それ以外に、実に多くの事柄が、私たちを生かしめている。

たとえば心の動き・・・喜び、希望、悲しみ、困難、楽しみ、怒り・・・それらは、他(人以外も含めて)との交流によって生まれてくる。他の存在が、他との交流が、いかに大切なことか。

本能的な作用・・・欲も大切な要因である。食欲、睡眠欲、性欲、向上欲・・・生命の維持や、種の存続のための本能が、私たちの命を繋いできた。

人はさまざまな心の動きと本能を基盤に、それぞれの生活を営んできた。

人の生の営みを生活という。生(い)きる、活(い)きる。人の命があるところに生活がある。命の数だけ生活がある。 生活は、人の命によって生じるが、人は生活によって生かされ、活かされてもいるのだ。

生活には、生きるための機能がびっしりとつまっている。そしてそれらは、目に見えない縦横無尽の広がりと、過去から未来に連続した時の繋がりを持つ。

大地震、大津波、原発事故で、どれだけの生活が破壊されたのか・・・。生きていれば生活は続いてゆくが、被災地の生活は、広がりと繋がりの、大きな部分が壊されたのは間違いない。生活を元に戻す・・・復興とは、散々になった生活を、ひとつひとつ拾い集め、切々になった生活を、丹念に繋ぎ合わせることなのだ。 それは、緻密で繊細で、根気のいる大仕事である。

生きてゆくために必要なこの大変な作業を、是非ともしなくてはならない。いかに大変であっても、必ずしなくてはならない。

11/05/08

No.078

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(5)

5月2日付の朝日新聞東京版第一面に『復興へ 生存権こそ』とあった。憲法記念日前日の記事である。第25条の条文も記載されていたので、あらためてここに明記する。

第25条 
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

『生存権〜生命第一』当たり前である。この当たり前のことが、当たり前に実践されていないことが、まずは社会問題の根源である。戦争、虐殺、虐待、差別・・・歴史を遡っても、地球上のあらゆる地域を探してみても、長期間にわたって『生命第一』が保たれた社会は見当たらない。
 人間社会に『生命第一』の実践は不可能なのか?決して不可能ではない。いや、可能か不可能かではなく、何としても実践しなくてはならないのである。すべての決めごとは、『生命第一』を大前提に制定されねばならない。

人間は(『あらゆる生命体』に置き換えることができるが、また別の議論を含むのでこうしておく)、誰もがしあわせに暮らしたいと願っている。しあわせの在り方は、人それぞれであろうが、しあわせに暮らすことの最低条件の第一が、生命の維持である。人として生まれたかぎり、世界中のすべての人に、まずは生命の維持が保たれなければならない。

天災、病気、事故・・・どれほど人為を尽くしても、救えない命はたくさんある。しかし、人の行為によって助けられる命は、もっとたくさんあるのだ。

今現在世界各地に、さまざまな原因から、生命の危機にさらされている人たちがたくさんいる。まずは彼らの命を救うことを大前提に、世界は動くべきである。世界が動くとは、世界を構成する私たちが動くということである。

大震災・原発事故に見舞われた日本列島にも、生命の危機に直面している人たちがたくさんいる。まず彼らの命を助ける方法を、国を挙げて考え、即刻実践すべきである。政官民財皇すべて例外なし。

人ひとりの命を救えない国に、社会に、復興も、繁栄も、平和も、しあわせもありえない。

11/05/07

No.077

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(4)

11日の震災後、一週間分のレッスンをすべてキャンセルして、倉敷から蒲郡の実家に移動、しばらく滞在することにした。余震、計画停電、交通機関のマヒなど、いろいろな事を考えはしたが、第一には「非常事態」だからに他ならない。

被災地で、生死に関わるほど「燃料が足らない」「食料が足らない」「医薬品が足らない」というときである。緊急性の低い活動は、できるだけ辛抱すべきであろう。レッスンの日程は変更すればよいし、コンサートやライブは、企画をし直せばよい。自粛ではなく自制である。

「こんな時こそ音楽が必要だ」と、私も思う。「スポーツが勇気を与える」ことも理解できる。しかし、人の命より優先する文化活動など、絶対に存在しない。文化活動は、生きるため、人を生かすためでなくてはならないのだ。

近いうち、被災地に出向こうと思う。できることは何でもさせてもらうつもりだ。その中の一つとして「生きるための音楽」をやらせてもらえれば、音楽家として本望である。

11/04/19

No.076

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(3)

「人が生きる」とは、どういうことだろう?それはまず、「呼吸をすること」「水を飲むこと」「食べること」である。これらのどれが欠けても、人間は生きてゆくことができない。安全な空気や水を摂取して、栄養のある作物を食べる・・・。

福島第一原発の事故は、それらすべてを壊してしまった。

放射性物質の拡散は、空気を汚染し、水を汚染し、土を汚染し、挙げ句の果てに、海に汚染水を放出せざるをえなくなった。原発事故は、事態改善のメドすら立っていない。考えれば考えるほど、恐ろしい現実である。

この事故の所為で、大勢の人たちが住む土地を追われた。生活基盤が失われ、それこそ、夢も、未来も、想い出も、希望も奪われたのである。文化も歴史も、ぶち切られたのである。

土壌汚染のため、健全な作物を作る土地も奪われた。海水汚染のため、安全な海産物を得られる漁場も奪われた。地下水汚染のために、飲料水すら奪われようとしている。原発事故は、人から「生きる」ということを奪いつつあるのだ。

電気の明るさは、文明社会の証だとも言う。文明社会の証をより明るくするために、人間は生きることを放棄できるのだろうか?

これだけ重大な事故を目の当たりにしながら、それでもなお、原発を止めようとしない指導者・有識者や、原子力施設の存続を容認する方々にご提案がある。福島第一原発の事故が終息するまで、田んぼや畑に由来するものや、海や河川から得られる食べ物を、一切口にしないで生活してみていただきたい。・・・百歩譲って、あなた方が容認する原発によって、生きる場所を奪われ苦しんでいる人たち・・・農民や漁民の働きに依らない物だけで、暮らしてみていただきたい。

電力による「豊かさ」と、「安全な」食べ物では、どちらが優先されるべきですか?

11/04/16

No.075

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(2)

震災直後の映像を見て、「大変なことが起こった」と身体が震えたのと同時に、「これを乗り越えるためには、かなりの時間と、相当な忍耐がいる」と直感した。町の再建、生活の復興、そこに至るまでの人々の生活と、それに必要なお金・・・。

「最悪の場合、東日本は壊滅する」という、首相周辺から聞こえてきた発言も、決して大げさではないと思う。しかし、責任ある立場にいる政治家ならば、決して口にしてはいけない言葉である。「命懸けで壊滅を防ぐ」のが、彼らの仕事だからだ。

少なくとも日本の首長や議員たちは、国民のため、県民のため、市民のために一生懸命に働くことを約束して、現職についているはずである。その役職ゆえに数々の特権を持ち、場合によっては強権的な決定権をも持つ。今まさに、それらの権限による正しい判断・決断を、大至急必要としている人たちがたくさんいるのだ。「権力者」の一声で、救われる人たちがたくさんいるのだ。

特権を保持している首長・議員の面々は、常識的な生活費を確保した上で、受給される給与、年金をはじめ、保有する個人資産などを、即刻震災救済基金として差し出すべきだ。選挙の前に、あれほど頭を下げて、声を枯らして、土下座までして「お願い」していた「国のために働く」とは、「みなさんのお役に立つ」とは、こういう事ではないのか?

今回の震災・原発事故の対応をみて、日本の政治家たちの、「人が生きる」ということに対しての認識のなさに、唖然、呆然とした。 「人が生きる」ということを、きちんと考え、行動できる人が主導してこそ、ようやく事態は改善に向かえる・・・人間として、至極まともな舵取りが、日本を滅ぼさないための、必要絶対条件である。

11/04/16

No.074

「東日本大震災・福島原発事故によせて」(1)

大震災、原発事故…地に足がついていないような一ヶ月が過ぎた。今だに信じられない。

震災当日、兵庫県上郡に酒蔵の下見に来ていた。「津波注意報」の電光掲示板に首をかしげながら、備前付近の海岸線を走っていると、地震を知らせる義母の上擦った声が、携帯電話から聞こえてきた。

・・

テレビ画面の映像で、こんなに恐ろしい中継を見たのは初めてだ。なんと凄まじい破壊力、なんという痛ましい状況…なかなか繋がらない電話を片手に、友人・知人の安否を確認しながら、ほんとうに大変なことが起きてしまったという実感が、じわじわと押し寄せてきた。

親戚の法事に出るために、13日まで倉敷に滞在した。倉敷では、何ら変わらぬ日常が動いている。スーパーでも、デパートでも、駅前でも、人々は普段どおりの生活をしている。しかしいつもと違うのは、ここにいるすべての人が、大震災のことを知っているということだ。

法事のあとの会食でいただいた料理、帰路のサービスエリアで口にした食事、味覚で「おいしい」と感じながらも、体が「おいしさ」を受け止めない。そしてお腹がふくれると、無性に切なく悲しくなるのである。

・・

一ヶ月が経った今も、被災地の苦難は続いている。今日も余震は続き、東北・関東地方は大きな余震に揺さぶられた。福島原発の事故は、事態収拾のメドすら立っていない。この苦難はいつまで続くのだろう…。

あまりにも大きな震災被害と、あまりにも痛ましい原発被害に、日本中が覚悟せねばならない。なにに覚悟をするかは、一人ひとりが考えるべきだ。覚悟を決めて、一日、一ヶ月、一年を歩んでゆくほかないのである。

梅の花も、桜の花も、桃の花も、今年はとても美しく咲いた。秦野では、強い風が叫んでいる。

11/04/11

No.073

「2011年のはじまりに」

寒中お見舞い申し上げます。

実家の居間で新年を迎えた。父母、妻ともども、息災に年越しが出来るのは、本当にしあわせなことだ。注連縄飾りと門松を手作りし、心ばかりの小掃除、形ばかりの縁起物とおせち料理をそろえて、屠蘇とお雑煮をいただく。これだけの『儀式』を通過しても、『年明け』は、年々あっけなさを増すばかりである。風潮?現象?それとも、私の個人的な感覚なのだろうか?

ラパスに住んでいたころ、自分の車に乗り始めたばかりのカブールが言っていた。
「お前ね、車があったら、なかった時よりたくさん仕事ができるように思うだろ?だって、バス通りまで歩く時間、バスを待つ時間、ノロノロ走るバスに揺られる時間、バスを降りてから歩く時間が、ぜんぶ短縮できるんだぜ。ところがどっこい、そうは行かないんだな。自分の車を持ったって、できる仕事の量が増えないばかりか、かえって忙しくなるばかりだ!」

『文明化された』私たちの生活において、時(とき)の経過は、『時間』という目盛りによって表される。秒・分・間・日・月・年…私たちの日々の行動は、時間の目盛りによって制御されている。太陽や月の運行、つまり地球の公転や自転、天体の大きさ、もっといえば、宇宙、自然界の摂理の法則によって導きだされた目盛りゆえに、『時間』の普遍性は高いはずである。

しかし私たちは、普遍的である時間の目盛りが、大きくもなり、小さくもなることを、よく知っている。

楽しみを待つ時間は長く、楽しみを過ごす時間は短い。避けたい事柄が近づく時間経過は早く、苦痛に耐える時間経過は遅い。旅の往路は復路より遠く、徒歩や自転車で動ける行動範囲内では、費やした時間がはるかに少なくとも、車や電車で移動したときの方が、ずっと遠くに感じないだろうか?

『年齢とともに、時の経つ速度は増すものだ』と、よく言われる。一日の長さは、年齢(日割り)分の一だというのも、なるほどと思う。

秦野・名古木(ながぬき)の棚田での半日、朝9時前から農作業は始まる。基本的に、農作業は人力である。畦を補修するにしろ、竹を切り出すにしろ、種籾を播くにしろ、その日の労働の軽重にかかわらず、時間の経過がとてもゆっくりなのだ。
お午(ひる)が待ち遠しい?・・・それもあるかもしれない。しかしそれだけでない、ゆったりとした時の流れが、山間のどん詰まりにある農地には、漂っている。

すべてを人力に頼っていた時代での時の流れは、はたしてどうだったのだろう?

世界中に残る歴史的建造物の、スケールの大きいこと!緻密で精巧であること!はたして今の時代に、これだけのものが造れるか? 『権力の象徴』や『信心』といった条件・理由だけで、これだけの仕事は成しえただろうか? その昔、人力でこれらの仕事が成し遂げられるほどに、時はゆっく りと流れていたのではなかろうか?交通手段や情報処理の速度が著しく速まった現代では、時の流れも速くなってしまったのではないだろうか?

コンピューターが家庭に持ち込まれて以来、情報伝達の手段は、その種類も、機能も、性質も、ものすごい勢いで変化している。それらの変化により、私たちの生活も大きく変わってきた。生活が変われば、ものの見方、感じ方、考え方も変化する。 その変化の速度が、ヒトの順応許容速度を超えてしまってはいまいか?

人間を取り巻く速度が、いくら上昇しようとも、日月の運行速度は変わらない。人間の体を流れる、血液の速度も変わらない。

時の流れとともに存在する、いや、時の流れとともにしか存在できない『音楽』。現代における『音楽』の役割のひとつは、時の流れを緩やかに戻すところにあるのではないか?

年を越しながら考えたことでした。
明日から約一ヶ月ボリビアです。

本年もよろしくお願いいたします。

11/01/20

No.072

映画「未来の食卓」

10/01/11藤沢・湘南台文化センター

 丹沢ドン会の工藤さんのお誘いで、映画「未来の食卓」を観た。南フランス・バルジャック村で、給食をオーガニックにするという試みの一年を録ったドキュメンタリーである。
 全編を通じて頻繁に登場する子どもたちの給食風景、スープ、パスタ、肉料理、サラダ、焼き菓子…本当に美味しそう!お腹がどんどん空いてきた。終演は12:30、会場の外に「特設オーガニック・レストラン」でもあれば、大繁盛間違いなしだったのに・・・。

 一見豊かな田園地帯に存在する数々の健康問題…疾病率の驚異的な拡大(数年で男性の癌の発症率が98%も増加していることなど)や、子どもたちの健康障害(先天的な白血病や小児癌など)は深刻である。
 …広大な農地に散布される農薬、セスナ機で空から散布すれば、薬剤は住宅にも降り注ぐ。農薬を調合する農民、防毒マスクをかけて作業しても、毎回必ず鼻血が出たり、排尿障害に苦しめられる。
 女性は特に農薬に注意が必要だという。母体が農薬に冒されれば、生まれた子供に先天的な異常が現れる。大気中に農薬が散布されれば…食べ物に有害な化学物質が含まれていれば…防ぎたくとも防ぎようがない。

 人間のわがままと嗜好による農作物の需要…季節を問わず味や形のよい作物が欲しい…もっと安くもっと安く…もっとよく売れるように…もっと儲けがたくさん出るように…などという要求に、その供給を無理矢理に合わせてきた開発と実践で、農家、近隣住民、消費者、関係者みんなが、何らかの健康被害を被ることになってしまった。それは世代を越えて、未来にも波及する問題なのである。
 環境学者は、「地球上にはもうどこにも安全な場所はない」という。

 農業現場のみならず、例えば身近なところにも農薬汚染は進んでいる。たとえばゴルフ場。多量の除草剤による河川や土壌の汚染はいうに及ばず、化学物質によってきれいに整備されている芝生の上で心地よく汗などかけば、どれだけの有害物質を体内に取り込むことになるのか?…上空から眺めた日本列島は、ゴルフ場のグリーンによって、円形脱毛症状態である。

 バルジャック村は、村人の安全と人間の未来を選択した。既成のシステムを変えるためには、大きな決断と忍耐が必要だ。手間ひまもかかる。しかしそれが「食べる」という人間にとって幸であるはずの行為をともなうがゆえに、「命を未来につなげなければならない」という切迫した危機感ゆえに、「苦労」も「楽しみ」や「喜び」に転化できるのだ。それが人間の本能である。

・・

 「食べる」ということ…。フランスの「食文化」に対する意識は、単純に今の日本の「食事情」とくらべて、とても大きな違いがあると感じた。生きてゆく中で「食事」という行為の占める比重の割合が高いのだ。

 「食べる」ことは、人間が生きてゆく中で最も基本的な行動のひとつである。すべての生命体は、何らかの方法で栄養分を摂取する。「食べる喜び」というのは、そのまま生命維持の喜びでもあるはずだ。
 「味覚」は本能的感覚…「鹹(塩)・甘・酸・苦」というが、体が必要な成分を欲したり、また腐敗物や毒を避けたりするための知覚である。そこにさらに「辛み」「うまみ」「えぐみ」などが加わって、人間特有の「料理」が形作られてきた。味覚とは「生きるための本能」なのだ。
 「料理…食事」には、嗅覚、視覚も重要な役割を担っている。さらにいえば「雰囲気」。どこで、だれと、どのように、どんな道具(食器)を使って食べるのか?「人間の食事」を考えた時、これらのことは無視できない要素である。

 日本の教育現場での食事…学校給食はどうなのか?先日ある中学校で演奏した折に、給食をいただいた。その学校のある自治体では、給食センターによらず、すべての学校が独自の給食を配膳しているとのこと。私たちの時代に比べなくとも、大変美味しい食事であった。
 しかし…プラスチック製の平皿に、ご飯と副食、さらにはサラダまでがてんこ盛りにのせられたレイアウトは、お世辞にも「美しい」「美味しそう」とはいえない。
 ほとんどの学校では、給食を教室で食べる。私たちの時は、教師も一緒に食べていたが、食事のマナーが悪くても、注意されるようなことはまずなかった。だいいち食事の時間が短すぎる。配膳と食事と掃除と休憩が60分という時間の中で「よく噛んで食べなさい」などというのは、まったくもって無謀である。

 しばらく前のこと、新宿駅ビルの中で食事をした。おにぎりと、いくつかのお惣菜をカウンターで注文する和食ファストフードで、いつもお客さんでいっぱいである。おにぎりもお惣菜も、決してまずくはない。いや、美味しい部類なのかもしれない。しかしすべての料理の味に、不思議な違和感を感じたのである。
 その原因をよーく考えてみると、私の感じた違和感の原因が、「インスタント食品的美味しさ」「スナック菓子的美味しさ」にあることに思い当たった。「食事」の味と「スナック菓子」の味とを、無意識に分けていた私の味覚には、なんとなく釈然としないものがあったのだろう。

 フランスは「美食の国」ともいわれるほど、「食」に対してのこだわりが強い伝統を持つ。また日本に「フランス料理」として紹介されているものの多くは、かつての宮廷料理から発展したものであるから、食材にこだわり、華奢で優美で美しく…と思われがちだが、一般市民や農民の食生活は、フランスでもきわめて素朴で力強かった。

「食育」という言葉をよく耳にする。「食による教育」という意味だろうが、人間は「食によって育つ」のだ。

 「食事作法」とか、「美味しいものを吟味して」などが趣旨ではない。日本とフランスの優劣を言うのでもない。文化に優劣は存在しえないのだ。
 ただ、食べるという行為を、これ以上蔑ろにすべきではないと思う。「生きること」の基本である「食べること」の基本に立ち返って、今一度足元に目を向けるべきではなかろうか?そうすれば…例えばマスコミ等の煽り立てる「グルメ」などという不遜な嗜好意識が、いかに恥ずべきものであるかがはっきりするはずである。

 「未来の食卓」を、全国の小中学校に配給したらどうだろう。真剣に「食育」を考えるのであれば、それをきっかけに、「食」について話し合う機会が増えるのもよいのではないか?日本の学校給食の現場でも、改善できることはたくさんあると思う。

 映画の中で子どもたちが歌う「環境問題と闘う歌」には、旋律が挑発的でもあり違和感を感じた。「戦い」によって得られる結果には、決して恒久的な平和をもたらす力はない。

未来の食卓公式web.

10/01/15

No.073

「2010年のはじまりに」

 年号が変わって、もう十日以上が経つ。つい先日年が明けたと思ったのに…と、毎年の繰り返しである。毎日が充実していようがいまいが、やることが多くても少なくても、長い目でみれば、やはり時の経つ時間は短く感じる。
 中でも年末年始は特別だ。師走とはよく言ったもの。クリスマスや正月の準備のために、年賀状に追い立てられるために、師が走るのはよく分かる。しかし年が明けても、先生は走ったままだ。

 いったいいつまで走るのか、ちょっと考えながら追ってみた。すると…日本にあるもうひとつの年末年始が迫ってきた。年度末と年度始めというやつだ。
 個人的事情からいえば、もういつか関係のなくなったこの年度という区切りにも、なんとなしにソワソワしていると、もうすぐ六月になってしまう。すでに一年の半分である。

 正月も年度始めも、その歴史や意味合いは異なれど、所詮人間が定めた節目である。この日本でも130年前までは旧暦(天保暦)であったし、アンデス地方アイマラ暦の新年は冬至(日本では夏至にあたる)だ。
 ただ変わらぬのは、月日の巡り、季節の移り変わりである。太陽暦の一年は、365日でひとまわりする。どこから始めても、一年後には元にもどってくるのだ。
 人の定めた始まりでなく、自分自身の始まりを考えてみたとき、自分の生まれた日に行き着いた。誕生はまぎれもなく個人の始まりである。生まれた本人が定めたわけでなく、両親が決めたわけでもない。自然がいのちを送り出した日なのだ。

 今年の正月には、妻と二人で自作したしめ縄と門松を飾り、お屠蘇とお雑煮をいただいた。あえておせち料理は準備せず、年賀状を書きながら、静かに三が日を過ごした。

 住井すゑさんが「橋のない川」の中で、秀和に言わせた言葉は、百年経った今の世でも強い説得力を持っている。・・・

「新年おめでとう。」僕たちはこれを口にする時、さも日常とは異なる或る種のめでたさー希望や幸福が何者かによって無条件に約束されるような幻想におち入るから希代である。これは僕たち人間の意識は、設定された形式にいともたやすく影響され、左右され、決定づけられる危険性を有つということだ。それだけ僕たちは新年に際しても、その設定された「めでたさ」の中に、がんとして横たわる日常を絶対見失わぬよう気をつけなければならぬ。 一年三百六十五日。その中に、なぜに「特別」な日が存在しようか。思え。この日もある人は貧に泣き、或る人は差別に喘ぐ。ゆめ、幻想(鬼)のとりことはなる勿れ。

(住井すゑ「橋のない川」秀和の手紙より)

本年もどうかよろしくお願いいたします。

10/01/15

No.072

「片岡球子展」日本橋・高島屋 09/05/26

今回陳列された作品の中では、99歳の時に描いた「裸婦」が一番好きである。

片岡球子は、103歳まで絵を描き続けた。絵に専念できるようになった五十代半ばからの作品は、どれもこれも力強く素晴らしい。 それから数えても約五十年、モチーフと対峙して、にらめっこを続けて来たその先に、この静かな「裸婦」が横たわっているのだ。 「富士山」も「面構え」も、九十歳を越えてからの作品が特に素晴らしい。こういうのを「生涯現役」というのであろう。

肉体的には衰えているはずなのに、より素晴らしい作品が生まれるのはなぜだろうか?

「人間は死の瞬間まで進化する。老化とは進化の形であり、それは身体機能低下をともなう進化である。」 このように考えるほかに説明のつかないほど、芸術分野における「最晩年」の作品には素晴らしいものが多い。

これは、なにも芸術に限られた事ではあるまい。すべての人は、すべての生きものは、死の瞬間まで進化を続けるのだ。生きている間は、生きている世界でなすべき役割があるはずだ。 すべての生命はこの世に必要とされている。「余生」・・・余りの人生などあるはずがない。

それにしても女性のバイタリティには脱帽する。片岡球子、秋野不矩、三岸節子・・・みんな六十を過ぎてから、質量ともに、すごい仕事をしているのだから。

09/06/13

No.071

ティオの住む山


ティオの住む山には
たくさんの宝が眠っている
大地と大気の生命の証
時の結晶

ティオの住む山には
たくさんの命が眠っている
欲望と偏見がしでかした
不正の真実を忘れさせぬために

ティオの住む山には
たくさんの人たちが働いている
自分の生命とひきかえに
生きる糧を得るために

彼らは命の重さを知っている
身体で命を支える毎日がゆえに

彼らは命の尊さを知っている
はかなき命の持ち主ゆえに

ティオは黙って彼らを見守っている
闇の溢れる坑道の
闇の光の照らす中で

そしてティオは知っている
それが坑夫の捧げうる
精一杯の灯明であることを

-コンサート「ティオの住む山」によせて-

09/05/28

No.070

ツバメ

雨上がりの夕暮れ時、秦野駅で若いツバメと会いました。

駅の構内に、巣をかける場所を探しているようでした。
「駅に巣をかけても、たぶん撤去されてしまうから、他の場所を探しなさい」
と、教えてやりました。
若いツバメは、こちらを向いて、じっと耳を傾けていました。

顔の茶色い、黒くちばしのツバメでした。

09/04/25


No.069

「農業」ということ

 昨年から、農作業に参加する機会が増えた。「趣味ですか?」「ボランティアですか?」時々こうして尋ねられる。自発的にやっている野良仕事のこと、当然といえば当然の問いではあるが、どうもこの聞かれ方はしっくりこない。

 そもそも音楽家が、どうして農業なのか?「自然派」「自然回帰」「農業志向」異ならずとも的を射ずである。ましては「農流行り」などという薄弱なものでは断じてない。

 「生きもの」としての人間は、生命を維持するために、食べなければならない。その最も当たり前な条件を満たすために、採集・狩猟そして農耕が始まった。これらの仕事は、人間が生活を営むために、絶対にしなければならないものである。「生きるために食べる」ということと、そのための「食べ物を調達する」ということは、生命の循環そのものなのだ。

 今の時代、私たちは、お金で食料を買う事ができる。お金と引き替えに、農家の作った野菜や、漁師の引き揚げた魚を得るのである。それは、本来自分でしなければならないはずの食料調達を「肩代わりしてもらっている」ということである。

 私たちは、食料を手に入れるためのお金を、さまざまな仕事で手に入れる。「食料を得る」ことに関していえば、それぞれの仕事は、農作業や漁労に代わるものであるはずだ。
 はたして私たちは、農業・漁業の現場に働く人たちの労働に見合うだけの仕事を、為し得ているだろうか?まずはそれを考えたい。

 職種職業によって、その報酬はさまざまである。今の日本では、農業・漁業の収入がとても低い。それだけでは、一家の生活さえままならない程だと知れば、この国の「発展」の仕方に、疑問を抱かないわけにはゆかない。
 一方、農業・漁業で、「発展」に見合うような利益を得ようとすれば、農業・漁業の工業化、産業化をせざるを得なくなる。それが北米的大規模農業に繋がり、遺伝子組み替えやクローン開発にも進行する。それらの方法は、自然の摂理を無視した、破壊的行為に他ならない。

 前述したとおり、「生きもの」としての人間は、生きるために食べなければならないのだ。しかし人間の歴史を顧みると、多くの時代で、農業をはじめとする第一次産業従事者たちは、その仕事の重要性にもかかわらず、きわめて不当に扱われてきたことがわかる。彼らは、時の支配者から、労働も作物も、生命さえも搾取されてきたのである。

 自然の摂理の中で、健全に食物を調達する、その役割を担う人労働で、ごく普通の生活を営めないようであれば、それは社会の仕組みに問題があるとしか考えられない。人間を含めた、健全な自然の循環を妨げる・・・もしくは破壊する要因がどこかにあるはずだ。

 是非とも多くの人たちに、農作業を体験していただきたい。食物を手に入れるということが、どういう仕事によるものか、そして、その仕事が、どれほどの評価に値するものなのか、是非考えていただきたい。
 その上で、今の世の中の仕組みや、それを支える価値観を考え、そしてそれらを見直して行くことが、この閉塞した社会を良くするために、最も必要なことではなかろうか?

それほど、のんびりとしてばかりはいられない。

09/03/05


No.068

「ペルーにいる友人からの便りに対する返信」

・・・友人からの便りには「ペルーの経済的な発展により、町が大きく変わってきている」とあり、その結果「北米的繁栄を夢見る人々が、ますます金奉的になっている」と憂慮している。
その結果「町中には以前より強盗も増え」、「妻の出身村に電気が通い始めた」という朗報を伝えつつも、「文化的には危機的状況だ」と結んでいる。・・・

携帯メールからですが、見れるかな?強盗・交通事故には十分気を付けてね。

文化的危機・・・人間が利便性、快適性、快楽性を求め続けるかぎり、その流れを止めることはできないでしょう。それによって文化の新陳代謝が起こり、「新しい文化」が生まれるわけですが、この「新しい文化」は、快適性を求めた副産物(・・・原動力?)なので、極めて脆弱です。脆弱ということは「生命力に乏しい」ということです。
 「生命力に乏しい」文化によって形成された人間生活は、ひ弱で脆く、わずかな(外的及び内的)要因によって行き詰まり、また破綻します。(「快適性」を「利便性」「快楽性」に置き換えても、そのまま意味が通ります。)

文化は、人間生活によって生み出された副産物のように考えられがちですが、実は人間の本能に組み込まれた「種の存続・繁栄」のための機能が、環境に適合しながら、形として表出したものだと、僕は考えます。
文化が滅亡するということは、人間も滅びるということです。

人間として生まれた限り、それではいかんと、思うのです。音楽家として覚悟したかぎり、それではいかんと思うのです。

人間は「本来の能力」・・・「本能」を見つめ直し、本能の誘う「発展とは何か?」に気付かねばなりません。
 それが、本能の為せる「音楽」本来の役割、その実現が「音楽家」本来の仕事ではないでしょうか?

多くの人たちは、「そんな大きなこと・・・!」と言います。非力な個人に出来るわけがない・・・と。
 だから「無名性」が重要なのです。誰かが変えるのではなく、無名の大衆が自ら変わるのです。変わるというよりも「気付く」のです。気付けば、あとは本能が何とかしてくれるでしょう。人間の「自己治癒力」に委ねれば良い。
 しかし、自己治癒力では何ともならないところまで来てしまったら、本当に困った事になります。

みんなによろしく。

09/02/23

    

No.067

「2009年ご挨拶」

年が明けて早三週間が経つ。

大晦日は、実家の玄関・階段回りの拭き掃除に費やした。三和土(たたき)に水を張り、たわしで汚れを落とす。フローリングの床と階段は、スポンジでこすった後、絞った雑巾で拭き取り、さらに乾拭きをする。壁の絵を掛け替えていたら、日付が変わりそうになっていた。
 きれいに磨いた床は愛しくなるものだ。壁に掛かった絵も、床を引き立てるためにあるように思えてくる。誰もいない玄関に、しばらく明かりを灯したままにしておいた。

年明けの正月二日、妻の伯父に、お飾りの作り方を教えてもらった。お飾り用の藁(わら)は、稲穂が出る前に刈り取ったもの。捧げものの意味もあるのだろう。藁を挟んだ両の手を擦り合わせると、みるみる縄が出来てゆく。真似てみるが、なかなか思うように行かないものだ。それでも数をこなせば、少しずつでも、綯(な)う縄が整ってくる。
 伯父に手伝ってもらいながら、お飾りとワラ草履を作った。ほんの数十年前の日本にも、自分の履き物は自分の手で作る時代があったのだ。

先だっての土曜日、里山整備の作業に参加した。かつて何が植えてあったのか、急な斜面が段々に整備されており、甕(かめ)もいくつか残っている。放置された農地は笹や竹に覆われて、人の出入りを拒絶するのだそうだ。3年程前に伐られた大量の竹を抱え、斜面の下まで運ぶ作業に没頭した。黒く腐敗した竹の下からは、笹や棘(いばら)が生え、竹に絡み付いている。
 昼過ぎまで作業しても、まだまだ竹は残っている。人間の手足のみで出来得る作業の遅さに、改めて驚いたのである。

今の世の中では、作業をお金で買うことが出来る。さまざまな作業は、それを分担する人たちに任せ、それを手に入れるためのお金を稼ぐことに、人生のほとんどを費やすのだ。それで都市は大きくなってきた。都市ではそれで、何の不自由もないのだ。しかし、知らなくても不自由しないさまざまな事を、本当に知らないままにしておいて良いのだろうか?

人間が人間たる所以は「知恵」である。他の生きものと比べ、すべての能力で劣っている人間の、唯一優れた能力が「知恵」である。飢えをしのぎ、寒さを防ぎ、外敵から身を守るために、人間は「知恵」を駆使してきた。

その「知恵」の結晶が表出するさまざまな行動を、人間はなるべく楽にこなそうと「知恵」を働かしてきた。そのために生み出された数えきれないほどの道具が、今度は「知恵」を滅ぼそうとしている。「智慧」の歯止めもかからないようだ。

2008年は「思考」の一年であった。出会いと経験との狭間で、多くの事を考えた。2009年は考えた事を行動に移す「実行」の年である。学びながら教わりながら、自分の体で行動を起こすときである。

ご覧の通り、仕事が遅いのは相変わらずでありますが、本年もどうかよろしくお願いいたします。

09/01/22