福島にて・・・9月(3)

2011/09/18〜21

20日は朝から雨。10時から、保原町にある飯舘村の仮設住宅で、クリフ&ニョタとのコラボレーションがある。通勤ラッシュにも重なって、約束の時間より少し遅れて到着した。
 ここの仮設住宅は木造りである。これまでにも何ヶ所かで、木造の仮設を訪問したが、やはりプレハブのものより木の香りが心地よい。玄関先や縁側の軒を大きくするなど、プレハブ住宅での苦情、要望を改良した造りになっている。
しかしここは水はけが悪いらしい。折からの雨で、通路は川のようになっている。治水工事のための重機が入っていた。にもかかわらず、集会場には大勢の人たちが集まっていた。やはり多くはお年寄りである。

クリフ&ニョタが、テキパキと設営を始めた。私たちは、待っている『お客さん』のためのBGMを演奏。カット&マッサージが始まって、演奏家がその場を挟むような位置に移動して演奏を続けた。ニョタのマリちゃんは、クッキーを配りながら、待っている人たちの話し相手に忙しい。
 男女の区別なく、髪の毛をメイクしてもらうと、みんな表情が和やかになる。マッサージをしてもらうと、顔が穏やかになる。最後の一人がマッサージをおえて、みんなで輪になりダンスが始まった。
「音楽とカットと食べものでキャラバンしたい・・・」
4月に集まって皆で話し合ったことが、ここに実現した。夢がかなった、素晴らしい経験であった。

当日東京でスケジュールの入っているピカイア&菱本組を見送り、川俣町農村広場の仮設住宅でのヘアメイクをするクリフ&ニョタと別れ、山木屋小5年生の待つ、川俣南小学校へと向かった。
 7月の総合学習でやり残した『みんなで歌を作りたい』という課題のために、今回は二時間枠を用意して下さった。子どもたちと作曲する授業は、私も初めてだ。ワクワクドキドキしながら、上松さんと一緒に音楽室に入る。

7月に出来なかったスライドショーによるボリビアの紹介の後、上松さんと『牛乳列車』を演奏した。始めて見るアルパ、初めて聞くきらびやかな音色、子どもたちも先生方も、美香さんの演奏に、すぐに引き込まれてしまった。

少しの休憩をはさんで、いよいよ曲作りの授業である。子どもたちが、5年生の合言葉『わ』をテーマに、それぞれ詩を作ってきてくれた。実は7月に出しておいた『宿題』である。
「むつかしいことなんか考えず、好きな言葉を並べるだけでいいんだよ。」
7月の授業の最後に伝えたことを、みんなしっかり実践してきてくれたのだ。
 1人ずつ順番に読んでもらった。どの詩も素直で素晴らしい。それぞれに、ちょっとした工夫もされている。
「みんなが書いてくれた詩の中で、みんなが使っている言葉があるよね。それを書き出してみようか?」
「五年生!」
「なかまたち!」
「手をつなごう!」
「なかよく!」
次々と黒板に書き出されていく。
「たくさん出ましたね。この中の言葉を組み合わせて、みんなでひとつの詩を作ろう。」
「最初は?」
「・・・」
「手をつなごう!」
みんなが考え込む中、一人が発言する。
「みんななかよく!」
「わ!」
こうなれば次から次へとアイデアが出てくる。

『手をつなごう
みんななかよく わになって
友だち思いの 五年生
山木屋みんな わになろう』

次に曲作り。音楽室に掛かっている『音符表』を使って説明した。
「みなさんは音楽の時間に、これは四分音符、これを半分にすると、これ、八分音符ふたつです・・・っていうことをやりましたか?」
「はーい!」
「それでは美香さんに聞いてみましょう。美香さんは、アルパを弾く時に、音符の事を考えて弾きますか?」
「いいえ。」
「エー!?」
ニコニコして答える美香さんに、みんなびっくりである。
「じゃあ、どうやって曲を覚えるの?」
「まず音を憶えて、それからすぐにアルパで弾いてみます。」
「エー!」
「実は私もそうなんです。私も美香さんも、楽譜は苦手。でも楽器も弾けるし、曲も作れるでしょ?」
「楽譜があった方が便利な音楽もあるけど、楽譜なんてまるっきり用のない音楽もあるんだよ。」
「だから今日は音符は一切使いません。いいですか?」
「はい!」
なんとなく安堵した返事だ。

一般的な楽曲に必要な要素、『リズム』『メロディー』『ハーモニー』の役割を体験してもらって、みんなの作りたい曲のイメージを集約してゆく。
「どんな曲がいいかなぁ?」
「ゆっくりなのがいいなぁ」
「明るい感じがいい!」
「優しい曲!」
「じゃあ、いよいよ詩にメロディーをつけてみよう。」
「うーん・・・」
「『て・を・つ・な・ご』こんなのはどう?」
「うん、いい、いい」
「つぎは美香さんに考えてもらおうか。」
「み・ん・な・な・か・よ・く・わ・に・な・あ・って」
「次はみんなでね。」
「こんな感じの伴奏に合わせて、みんなで適当に鼻歌してごらん。」
いくつかのコード(和音)をつないで、子どもたちに歌ってもらった。
「はい、もう一度!」
「もう一回!」
「だんだん揃ってきたよ。」
「もう一度!」
「わー、なんかだんだん聞こえてきた!」
10回も繰り返すうちに、バラバラだった鼻歌が、ひとつのメロディーにまとまって来る。
「なんだかメロディーになってきたね。次はどうだろう?」
「フン・フン・フン・フー・フン・フン」
あちらこちらで、いろいろな鼻歌が聞こえてくる。それらに耳をすませながら、続きのコード進行を提示してみた。子どもたちは、それに合わせて鼻歌を続ける。
「さあ、また自由に歌ってごらん。」
何度か繰り返していると、またまたメロディーが編み出されて来る。
「今度は歌詞も入れて歌ってみよう。最初から行こうか?」
「イチ、ニー、サン、シー」
「てをつなごー・・・
やまきやみんなー わになろう」
「ほら!出来たでしょ!?」
「わー!」
歓声と拍手である。
「もう一回、歌ってみようか? サン・ハイ!」
みんなで作った歌を、何度も何度もくり返した。

時計を見ると、残り時間はもうわずか。川俣町内外で避難生活を送る子どもたちは、3時のスクールバスに乗らなければならないのだ。
「みなさん、歌を作るのって簡単でしょ?」
「はい!」
「一番が出来たので、みなさんで二番、三番を作って下さい。」
「題名も考えようね。」
「わ」
「わ!」
「『わ』うーん、いいねぇ『わ』」
「『みんなで歌を作りたい』という、みなさんの希望が実現できて、ホッとしています。」
「名曲を作ろうと思ったら、すごく難しい。でも、みなさんが『いいなぁ』って思って作った曲は、みなさんにとっては名曲です。誰かが『そんなのダメだ』って言っても、間違いなく名曲です。ですから、自信を持って、思いついたらどんどん曲を作ってみてください。」
「楽譜に残さなくても、録音しておけばいいし、もし忘れてしまったら、また違う曲を作ればいいでしょ?」
「今度私が来る時までに、みなさんの歌声で『わ』を聞かせてくださいね。」
「はい!」
みんなで写真を撮って、10月の『コスキン・パレード』に山木屋小のチームで参加する事を約束して、子どもたちを送り出した。

その夜、福島市内のバー『マジーノアール』でのライブを終えて、中華料理『上海』で打ち上げたのち、いつものメンバーで、小さな『福島会議』で世が更けた。

・・・

目を覚ますと、外はかなりの雨である。午前は9時30分から、川俣町の富田小学校での授業&コンサート。全校児童を対象として、二時間の枠を取って下さった。
 8月に上松美香さんと川俣町の合宿所で演奏した時、ケーナを持って参加してくれた子どもたちと、『二羽の小鳩』を合奏した。
「どこの学校ですか?」
「富田。」
「富田小学校?」
「そう。」
「富田小学校にはまだ行った事がないから、今度行くから待っててね。」
その子どもたちとの約束を、菅野新也さんがかなえて下さったのだ。

「今日は雨の中、ありがとうございます。」
楽器を搬入していると、さっそく校長先生が出迎えて下さった。富田小学校の校長、竹之内先生は、8月まで飯舘村の飯樋小学校で校長をしておられた。
「飯樋小学校には、ぜひ伺ってみたかったです。」
飯樋小学校は、飯舘村の教育理念をそのまま形にしたような、とてもユニークな木造校舎である事を、菅野村長から聞いていた。
「せっかくの素晴らしい施設が、いまは使われていない事を考えると、本当に残念です。」
「でも、7月に、飯舘の子どもたちのためにして下さった演奏は、本当にみんな喜んでいました。」

川俣町の学校は、どれも校舎が新しく、洒落た造りになっている。今回の会場、富田小のリクリエーションルームも、子どもたちが楽しく遊べそうなスペースだ。教頭先生のあいさつの後、まずはスライドショーで、ボリビアのことを紹介した。お祭りの写真を見せながら、実際の笛や太鼓を鳴らしたり、子どもたちにやってもらったり。
「これ、やってみたい人!」
と聞くと、
「はーい!はーい!」
と、たくさんの手が挙がる。川俣の子どもたちは、積極的である。15分の休憩の間、子どもたちは楽器の周りに集まった。
「これ、さわっていい?」
「いいよ。」
「わたしもー!」
「順番ねー!」
美香さんの周りにも、子どもたちが群がっている。
笛を吹く子、太鼓を叩く子、チャランゴを引っかく子、アルパに触る子。賑やかな休憩となった。
第二部はコンサート。4年生の子どもたちと、『二羽の小鳩』の合奏もした。『虹のたもとへ』も、『ラ・マリポーサ』の「ヘイ!ヘイ!」も、元気いっぱいだ。

演奏が終わり楽器を片付けていると、8月に会った子どもたちが来てくれた。
「私たちとの約束を守るために来てくれて、どうもありがとうございました。」
「みなさんが合宿所に来てくれたから、今回のコンサートが実現したんだね。こちらこそ、どうもありがとう!」
8月には、恥ずかしがって、ずいぶんつっけんどんだった子どもたちが、みんなすごくうれしそうである。
「また来るからね。・・・そうだ、みんなコスキン・パレードには出るの?」
「はい、出ます。」
「僕も出るから、じゃあその時また会えるね!」
「はい!」

「あのぅ・・・」
「はい?」
「ここにサインしてもらってもいいですか?」
二年生のおチビさんたちと担任の先生だ。
「もちろん!」
「わー!やったー!」
「楽しかった?」
「うん!」
「また来て下さい。」
「また来るよ!」
これでまた約束だ。私にも、楽しみな、楽しみな約束である。

校長室で、教頭先生とお話した。
「学校には『子どものための健全な教育活動を行なう』のと、『子どもの健康を守る』という目的があるのですが、今困っているのは、場合によってふたつの目的が、相反してしまうということです。」
「たとえば、運動場で、健全な発育のための体育の授業をすると、子どもに被爆をさせてしまうのではないか、という問題が起きて来るのですね。」
「いろいろな場面で、現場は本当に当惑しています。」
川俣町では夏休みの間に、すべての学校の運動場の土の入れ替えと、校舎の洗浄をしたとの事。
「この辺りは、地震や津波の影響はほとんどなかったものですから、それは不幸中の幸いだと思います。」
「私は須賀川なんですが、あちらの方は地震の被害が大きくて、山津波なんかで何人も亡くなりました。まだ行方のわからない人もいて・・・」
台風の影響か、雨足はどんどん強くなっている。

午後予定していた、川俣町内にある飯舘村の保育所&学童保育での演奏は、大雨洪水警報発令のため中止になった。
 菅野新也さんのお宅で、奥さまお手製のおにぎりとお惣菜をご馳走になり、台風が通り過ぎるまで『温』で休む事にした。私はラジオで気象情報に注意しながら、5時間ほどをウトウトと過ごした。さすがに台風が通過する時刻は、雨風ともに猛烈で、森全体が唸っているかのようだった。
美香さんと妻は熟睡。台風の通過にも気がつかなかったらしい。

風が静かになった夜半過ぎ、『温』を出発した。
「わー!きれい!」
台風一過の空には、三日月が昇り、いろいろな色の星がまたたいていた。息をのむような光景である。
 今回も福島でいただいたたくさんの幸せが、夜空となって微笑みかけてくれているような、言葉に尽くせぬ感動であった。



2011/12/03