霊波信者氏 横浜市の日蓮正宗寺院妙寿寺を訪問




横浜市鶴見区 鶴林山妙寿寺

霊波之光信徒との法論を行ないました。
霊波之光信仰歴10年という霊波信者氏は真の信仰には神通力が必要であり、日蓮大聖人においても神通力を使っていたと教祖である御守護神様こと戸籍上の本名長谷義雄は主張していたと述べました。
文証を求めたところ、昭和36年11月に長谷義雄が信仰の本質なる講話でそういう話をしていたことがあったとのことであります。
2933.救い主が日蓮大聖人とその師、釈尊を語っていたことについて  
名前:霊波信者    日付:10月11日(木) 6時22分

昭和36年10月素直な心で神の御前に神は決して一方通行ではない
「キリスト教でいいます神も仏教の如来も私のいいます大神も同じ
 大霊宇宙神を指すのであります」
同年11月 信仰の本質について
「イエスキリスト、釈尊、弘法大師、日蓮こうした人々も神通力をもって
 人々を救っています、神通力があると申しますことは神仏の御心であり
 生まれながらにして神仏の使者として生を受けていたということである
 神仏に使えるべきかいなかは、神の御心がどうであったかということ」
昭和37年1月 信仰の本質について
「釈迦如来という仏名は決して釈迦がつけたのではなく後世にいたって
 つけられたものであり釈尊、自らわれは如来なりと自分で自分を如来と
 号して拝んだわけではありません、如来もイエスの神も今はなく教え
 のみが残されています、大霊すなわち如来イエスの説かれた神すべて
 一神一体となってここに来ておられます、神の前に心からひざまずいた
 時こそ奇跡ではないのです」

 
しかしこれはあくまでも長谷個人が言っているだけのことで、
日蓮大聖人においては日蓮大聖人御書233頁「唱法華題目抄」において
「魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をただすべし。利根と通力とにはよるべからず。」 と仰せられ、末法において通力などを売り物にするのは人々を誑かす魔の所業と教示されております。
日蓮大聖人は御書という形で御自身のお言葉を後世に残しておられます。
それでは日蓮大聖人はどのように神通力なるものを使って人々を救済していたのかということを問うたところ次のような返答がありました。
2958.日蓮大聖人の法力を調べました  
名前:霊波信者    日付:10月15日(月) 20時12分

とりあえず私が調べた、日蓮大聖人の法力の数々をご紹介します
弘長元年
伊豆の伊東に流罪とされたとき、その土地の地頭である伊東八郎左衛門
の病を治した。
文永元年、実家に帰ったとき危篤状態だった母を蘇生させる
同年、荒海に題目を書くと文字が浮かびあがり静かな海になる「波題目」
文永8年、鎌倉幕府に捕えられ斬首されそうになったとき、突然
首斬り役人の刀に光が下り、ありえない形に刀が折れ処刑が中止された
文永11年、蒙古軍が博多に侵攻するが日蓮大聖人が博多に設けた
祈祷所で祈るとその夜、突然嵐が起こり蒙古の軍船は海のもくずと消えた
延文3年、京都が大干ばつになるが天皇の命によって日蓮大聖人の教え
を受け継ぐ、大覚妙実が法華経による雨ごいの祈祷を行うと、たちまち
雨が降った。
法力(神通力)は厳密に言えば救世主がもっているのではなく、神が
もっているのです、元来救世主は人間の罪を背負っているので苦しみを
受けます、神いわく「苦しみを知らずして苦にあえぐものを救えず」
救世主の歩む道すべては神の手中にあるのです

これに対し当方は波題目の件と九州に日蓮大聖人は行った事は記録にないのでウソと断定し、
大覚妙実は日蓮大聖人と時代が違うということで間違いであると指摘いたしました。
その他の記述は事実は述べているものの、それはあくまで正しい信仰である法華経の行者である
日蓮大聖人を守る諸天善神の働き、法界をも揺り動かす日蓮大聖人の御本仏としての境涯である。
日蓮大聖人は人類の罪を背おって修行したなどという文証はない、
衆生を「神通力」なるものをもって救済したという証左はどこにもないと反論いたしました。
そして長谷が説く神はどこから生じたのか、修験者として仏教の修行をしていたのに
なぜ仏教から見て外道に属する神より啓示を受けたのか脈絡がないのではないのかと疑問を呈しました。
 
当方はあくまでも「神通力」にこだわるこの霊波信者氏に身近な人物について質問いたしました。
当人の話によると「たかぼんはうそつき」なる人物が2ちゃんねるで当方と対論を望んでいるのだそうです。
しかし、当方はハンドルネームからして精神的にまともな人物とはとうてい思えないので、
対論を拒否いたしました。
この人物を霊波之光の神通力でどのように救済されているのか霊波信者氏の回答を求めたのであります。
それに対する霊波信者氏の答えは次のようなものでした。
2975.お悔やみ申し上げます  
名前:霊波信者    日付:10月24日(水) 23時6分
精神の修養は信仰をしなくてもできるものです、信仰をなさっているひと
は神仏の力に浴したいと思っている人です、なので信仰には
開顕(神通力)と折伏の両方がなければなりません、たとえ真理から
の折伏や御本尊でも開顕がなくなってしまえば死んだも同然です
折伏だけでは、人間の力でどうする事もできない苦しみを取り除く事
はできません、せいぜいできる事といえば方便によって苦しみを
なだめすかし、あきらめさせることぐらいです、そんなえげつない信仰
は人々に嫌われます、人間の力はちっぽけなんです、だからどうしよう
もなくなったときに思わず「神様!」となるのです。
たかぽん様は慈悲の教えを学んでいるにもかかわらず「痴犬」などと
いう言葉をお使いになります、これはたかぽん様のみならず日蓮正宗
のイメージをも下げる行為です、お使いになるのはおやめください
神様は人間に自由をお与えになりました、たかぽんはうそつき氏が
どう生きようと彼の自由です、救われるためには自分自身の心で
救われようとしなければなりません、彼が神の前に全ての罪を捨てて
真心から新たな出発を誓うとき、彼は神の霊波によって蘇生されます
 
太字の部分は霊波之光をいかに信仰しても救われていかないということを霊波信者氏が示した証左であります。
熱心な霊波之光信者である「たかぼんはうそつき」氏を霊波や神通力では救済できないと霊波信者氏は述べられました。
霊波之光は熱心な霊波之光信者「たかぼんはうそつき」氏にとっては無力な宗教です。
なぜなら彼は霊波之光が説いているところの教えなるものを分かっていながら実践できないということです。
「天地一切の者と和解せよ」でしょうか。
できもしないことを教義として弄びますと精神不安定の元となり訳の分からない言説をすることとなります。
また、本来宗教で取り上げるべき問題はそういう「たかぼんはうそつき」氏に見られるような悪いことを悪いと分かっていながらなぜ悪いことをしてしまうのか?こういう人間でもいかに救済していくかということであります。
そのためには教義というものをきちんと「たかぼんはうそつき氏」に指導し、納得させて教えを実践させることが必要なのでありますが、
霊波之光には指導教師が存在いたしません。
どう生きようと「たかぼんはうそつき」氏の自由です、
これでは「たかぼんはうそつき」氏は神通力によって救われていく道理がありません。
従って霊波之光に神通力なるものがあろうとなかろうと「たかぼんはうそつき」氏には全く関係ないことなのであります。
これは他の信者でも同じ事なのであります。
1人1人が勝手に教えなるものをデッチ上げて好き勝手やっている霊波之光教団では人は救われていく道理がありません。
矛盾の極みであります。
2976.霊波信者さん、ご自分の言葉で霊波之光をインチキであると証明いたしました。  
名前:たかぼん    日付:10月25日(木) 6時58分

御返事ありがとうございます。
しかし、貴殿は自分の言葉で霊波之光をインチキ教団であると証明してしまいました。
外道である霊波之光が結局は仏教用語を用いざるを得なかったということです。開顕、折伏、方便全て仏教用語であります。
それは霊波之光が葬儀や法事を仏教で行なわざるを得ない、つまり過去や未来を説けない限界のある宗教であるということです。
なぜかといいますと貴殿の場合、他の仏教教団より霊波之光に流れたという経歴があるのではありませんか?
そして正しい信仰では「たかぼんはうそつき」氏であっても救済されるのです。
たかぼんはうそつき氏は邪宗霊波之光や先祖代々、そして前世での邪宗の影響を受け、大変苦しんでおられます。
そして貴殿は掲示板上にてこの人間を煽りたて与同しております。
貴殿も同罪であり、よくも善人ぶったことが言えるなと当方あきれております。
神を信じる宗教はそういう二重人格じみた人間になってしまうのです。
順縁、逆縁という言葉がございます。
正法にすぐに従える人間は順縁、なかなか従えない人間は逆縁と申します。
「たかぼんはうそつき」なる人間は明らかに逆縁の人間であります。
しかし当方が日蓮正宗の信仰をしていることを知っております。
下種はされております。
それが縁になり、本来地獄に堕ちるところを現世または来世で、救済されて行くのです。
霊波之光はありもしない霊魂説や先祖からの因縁(これも仏教用語ですよ)説を持ち出して人々を誑かしております。

仏教では
1 個々の行為に因果の理を説いておりまして、原因となった物事の果報は他人が身代わりになって受けることはできません。
できるのであれば事故や病で子供が親の手の中で死んでいくなどということはないはずです。
2 死後の生命は法界にあって前世からの因果を感じながら、縁にあってまた生じると説いております。因果を無視している霊魂の存在を否定しております。霊波之光は稚拙な教えであるということです。
そういうように見て行きますと「たかぼんはうそつき」なる痴犬でも救済されて行くのです。
また霊波之光は「たかぼんはうそつき」氏にとっては無力な宗教です。
なぜなら彼は霊波之光が説いているところの教えなるものを分かっていながら実践できないということです。
確か「天地一切の者と和解せよ」でしょうか。
できもしないことを教義として弄びますと精神不安定の元となり訳の分からない言説をすることとなります。
また、本来宗教で取り上げるべき問題はそういう「たかぼんはうそつき」氏に見られるような悪いことを悪いと分かっていながらなぜ悪いことをしてしまうのか?こういう人間でもいかに救済していくかということであります。
霊波之光に神通力なるものがあろうとなかろうと「たかぼんはうそつき」氏には全く関係ないことなのであります。
彼は救済されて行かないのです。
貴殿の言説全て破綻しております。


2977.Re: 霊波信者さん、ご自分の言葉で霊波之光をインチキであると証明いたしました。
名前:たかぼん    日付:10月25日(木) 7時8分

熱心な霊波之光信者である「たかぼんはうそつき」氏を霊波や神通力では救済できないと貴殿は述べられましたのでこれでは霊波之光は正しい宗教とは言えません。
貴殿の信じる宗教霊波之光の敗北です。

2979.神は考えるのではなく、感じるのです  
名前:霊波信者    日付:10月26日(金) 23時40分

たかぽん様が仏法を学んでいらっしゃるので、それに合わせて仏教用語
を使わせていただきました、全て御書にある言葉です、ちなみに
神通力も仏教用語です、一般の仏教学者が普通に使っている言葉です。
葬式は残された者への慰めで一般常識として行うもので、形式は何でも
いいです。現在が救われれば過去も未来も救われると説かれています
現在が苦しければ、未来に苦しみを置いていくことになります
現在が救われなくても、生まれ変わったら救われるなどというのは
現在を救う力がないための方便です。釈尊の教えは何百年も何千年も
前の人間に対する神の御心です、科学が進歩し精神性が高まった現代人
には、もはや必要とされなくなっています、現代人には現代人への教え
が必要です、倫理や道徳などは子供でも分かっている時代です
難しい言葉で理屈が長々とつづられている分厚い書物は、必要なくなった
のです、奇跡が起こるか起こらないか、神通力があるかないかで
神が実在するのかしないのかを、見極めようとする時代です
時代は移り変わっているのです。私が霊波之光に出会ったのは小学三年生
のときです、他宗教に属したことはありません、私は小さい頃に入信し
神に触れてきたので、神の御心をそのまま受け入れることができますが
たかぽんはうそつき氏は、自分というものができあがった年齢になって
から入信したのだと思います、年を取ってもやわらかい心のままで
生きていけるような純粋な人は、この世の中にはほとんどいません
彼はこれから御心に添えるように、頑張ると思いますので温かく見守って
ください。日蓮大聖人は他宗を批判されましたが、それはあくまでも
礼節と謙虚さをもって、日本と人々を愛してのことです、暴言をいう
のは大聖人に反する行為です。折伏はたかぽん様が思ってらっしゃる
ような勝敗をつけるものではありません、真に負けてはならないのは
自分自身の弱さに対してであって、相手にではありません、愛のない
言葉は折伏ではなく、自我です。
たかぽん様がおっしゃる救済とはなんなのでしょうか?

2980.法論終了しております。 返信  引用 
名前:たかぼん    日付:10月27日(土) 6時11分

神通力なるものがあろうとなかろうと
霊波之光信者であっても全く関係ないのであります。
さて、貴殿はまた霊波之光では人は救済されないことを自分の言葉で証明しております。
すなわち
>たかぽんはうそつき氏は、自分というものができあがった年齢になって
から入信したのだと思います、年を取ってもやわらかい心のままで
生きていけるような純粋な人は、この世の中にはほとんどいません
とありますが、
それでは生まれながらもしくは貴殿のように幼少時に霊波之光に入信された方でなければ救われないのですか?ということになりますよ。
そして現実に「たかぼんはうそつき」氏を変えて行く力は霊波之光にはありません。
神通力があろうとなかろうと貴殿がいくら空論を述べようと霊波之光は無力な存在です。
原因は霊波之光が現在しか説いていないからたかぼんはうそつき氏は救われないのです。
彼は昨日今日入信したわけではないでしょう。
誰しも人生は過去→現在→未来とつながっているのです。
先祖があって両親があって自分があるわけですから。
当然先祖の供養も必要です。
葬儀は不要、法事は不要、倫理道徳と宗教との違い全て破折済みです。


2981.Re: 法論終了しております。
名前:たかぼん    日付:10月27日(土) 7時9分

>折伏はたかぽん様が思ってらっしゃる
ような勝敗をつけるものではありません、真に負けてはならないのは
自分自身の弱さに対してであって、相手にではありません、愛のない
言葉は折伏ではなく、自我です。
たかぽん様がおっしゃる救済とはなんなのでしょうか?

折伏というのは相手の間違った宗教観を破折し、正しい教えに屈伏させることを指しております。
貴殿の考え方は折伏と逆の「摂受(しょうじゅ)」という考え方であり、相手の考えを受け入れて徐々に自分の信仰に引き入れていくやり方です。
日蓮大聖人は折伏でなければならないと教示されております。
なぜなら今は末法の世であり、霊波之光をはじめとする間違った教えが混在しており、害毒を撒き散らしておりますので、間違いは間違い、おかしいものはおかしい、正しい信心につかなければならないとはっきり指摘していかなければなりません。
当然相手は貴殿やたかぼんはうそつき氏をはじめ腹をたてます、そのように大聖人も教えられております。
さあ、なぜ折伏をするのか、当方は折伏は相手への救済と考えていますが
日蓮大聖人は折伏をして難に遭えば不幸の原因が消え、幸せになれるのであると仰せです。
冬のような状態に一時置かれても必ず春となっていくと仰せられております。
功徳となって行くのであります。
そして過去、現在、未来と救われていくのであります。
日蓮正宗においては現在は日蓮大聖人から数えて68代目の日如上人が本師であり当方の所属寺院の御住職様が小師となっており、
その指導に従って信心を行なっております。
正しい本尊を拝み、日如上人や御住職様に指導されたように信心することによって幸せになって行くのです。

さて、霊波之光に話を戻しますが、
本尊自体が長谷義雄という通力を用いることができた1人間である、その本尊は昭和59年3月19日午前5時10分に心筋梗塞で68歳で急死されております。
自分すら救えない「神」が他人を延々と救える道理は全くありません。
また1人1人が自分の都合に合わせてばらばらに教えなるものを解釈し、ばらばらな言い方をしている、教えなるものを指導する教師もいない霊波之光は低級信仰であります。
いくら貴殿が空論を並べ立てても、本尊たる長谷義雄が自分すら救えなかったという事実、たかぼんはうそつき氏の態度を見ていますと
当方のみならず閲覧者の人も納得させるのは難しいのではないかと当方は考えますよ。
当方の考えやふるまいが間違いと仰られるのでしたらどうぞ最寄の日蓮正宗寺院を訪ね、こういう信徒がいて迷惑しているので指導してほしいと御住職様に聞いてみてはいかがかと当方は思います。
そして貴殿の言うところの神通力がそれほど信仰する上で重要なことなのか聞いてみてはいかがでしょうか?
日蓮正宗では貴殿が訪問しても無理に入信させられることはありません。
当方の言うことが正しいか間違っているか日蓮正宗寺院の所在地をリンクしておきますから是非行ってお確かめになってからまた当掲示板にお越し下さい。
当方貴殿のような求道心ある人間が神通力にこだわりすぎるあまり、真の信仰が見えなくなっていることは非常に残念に思います。
たかぼん拝

日蓮正宗寺院一覧表

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/Temple/picture.htm

2982.一旦霊波信者さんとの対論を打ち切ります。  
名前:たかぼん    日付:10月27日(土) 7時21分

2979の発言を見ますと同じ言説の繰り返しになっております。
そこで当方から霊波信者さんに宿題を出しました。
すなわち最寄の日蓮正宗寺院どこでもかまいません訪問して
神通力が意味のあるものなのかどうか検証してみることです。
霊波之光の場合は葬儀は仏教の寺院で行なわれることが大半ですので、
寺院に行くこと自体は抵抗はないでしょう。
その答えをお待ちしております。
行った日蓮正宗寺院については寺院名を掲示板に書き込んで構いません。
例えば札幌市でしたら日正寺とか仏見寺とか聞仏寺とか直唱寺、そして大慈院があります。
霊波信者さんには大変お疲れ様でした。

2984.寺に行ってまいります、たかぽん様は文証をお願いいたします  
名前:霊波信者    日付:10月29日(月) 0時28分

年を取ってからじゃ救われないなんて、言ってませんよ
時間がかかると言ってるんです
ホント決めつけるのが、お好きなたかぽん様ですね

寺院に行って御住職様とお話してきますね
ご報告までには2週間ほどかかるかもしれません
たかぽん様も、何かお聞きしたい事があればついでにどうぞ

御守護神様は心筋梗塞でお亡くなりになられたんですね
初めて知りました、たかぽん様のお言葉をお借りして「文証を出せ」
と言わさせていただきます、たかぽん様は霊波之光教会に参拝なされた
ことがあるみたいですので、お調べになってくださいませ
御書や御教え本には書かれておりません、機関紙か月刊誌ですね
それではお互い頑張りましょう!


2985.Re: 寺に行ってまいります、たかぽん様は文証をお願いいたします
名前:たかぼん    日付:10月29日(月) 6時28分

文証を出しておきます。日蓮正宗寺院にはおそらく常備しております。
暁鐘編集室折伏必携646-648頁に霊波之光についての記述がありますのでお確かめ下さい。
自分の目で見られたほうが納得するでしょう。1700円でお買い求めになることも可能です。
さて、
1 アポを取ってから行かれたほうが宜しいかと思います。御法務で外出されていてお会いになれない可能性があります。
2 1日御経日、第1日曜日は9時〜10時まで広布唱題会、第2日曜日は御報恩御講(寺院によりますが)で御住職様はおそらくおられるかと思います。
3 下記リンク先にもあるように正信会という日蓮正宗を僭称している団体がございます。下記の一覧表にある日蓮正宗寺院をお訪ね下さい。
4 発表する時は寺院名を挙げて下さい。
以上宜しくお願いいたします。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/Temple/picture.htm


2986.Re: 寺に行ってまいります、たかぽん様は文証をお願いいたします
名前:たかぼん    日付:10月29日(月) 6時55分

念のため昭和59年3月下旬に発行された長谷氏の葬儀について取り扱った機関紙特別号には長谷義雄の死因は載っておりません。
既に確認済みです。
平成になって発行された月刊誌で改めて取り上げることは考えられません。
従って霊波之光教団に行く必要はありません。
「折伏必携」は日蓮正宗大石寺の中にある「理境坊」住職の小川只道御尊師の監修でございます。
編者は理境坊に所属している「妙観講」の講頭の大草一男氏でございます。
暁鐘編集室は大草氏が中心になって運営している出版社でございます。
妙観講ホームページをリンクしておきますのでご参考にどうぞ。

http://myokan-ko.net/

2987.霊波信者氏の言説を破折させていただきます。  
名前:たかぼん    日付:11月2日(金) 6時17分

年を取ってからじゃ救われないなんて、言ってませんよ
時間がかかると言ってるんです

霊波之光の信仰を「たかぼんはうそつき」氏は何年もの間一生懸命されていたのではないかと当方考えますが、人を平気で罵る心貧しい人間になってしまっております。
正しい信仰を実践していたのであれば、悪い性を断ち切り、煩悩を浄化して六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)が清浄となっていくのです。
過去の悪業や弱い自分と闘いながら精進しているならば将来必ず目標に到達し、真実の幸福境涯を築き、尊敬を集めることができるようになります。
正しい信仰を持ちながら平気で悪事をなすならば、その人は仏法に瑕をつける罪によって仏罰を受けるでしょう。
それもまた、その人を善導するための仏の慈悲の現れであり、いかなる人も必ず正しい人生を歩むこととなります。
霊波之光においては「たかぼんはうそつき」氏を善導できておりません。
「どう生きようとたかぼんはうそつき氏の自由です」
この言葉は霊波之光が全く無力で無慈悲で無意味で残酷な信仰である証左です。
何年信仰しようとも何歳であろうとたかぼんはうそつき氏は救済されて行きません。
齢をとっているから時間がかかるなどということは間違っております。
先日も申し上げましたように齢を取っている人は経験や知恵、知識の面が若年者より勝っている部分が多々あるはずです。
きちんと信仰を実践するようになれば結果は若年者よりも早いはずです。
道理で判断しても霊波信者氏の言説は間違っております。


2988.Re: 霊波信者氏の言説を破折させていただきます。
名前:たかぼん    日付:11月2日(金) 7時43分

何回も同じ事を言いますが、
きちんとたかぼんはうそつき氏を善導する指導教師が霊波之光にはいないのです。
従いましてたかぼんはうそつき氏の信仰は書道で言うとただ文字を書きなぐっているだけの状態なのであります。
これでは信仰が深まり立派な人間になって行く道理がありません。


2992.ただいま連絡待ちです  
名前:霊波信者    日付:11月10日(土) 7時13分

電話帳で番号を調べて、御住職にアポをとりました、私が霊波之光の
信者であることを知ったうえで、お話してくださるとのことでした
時間がとれるめどがついたら、おって連絡するとのことでした。

善導できてないとおっしゃいますが、創価学会と正信会の問題について
お考えになれば、そのようなことは言えないはずです、どんなに善導
しようと努力しても、聞き届けてもらえないことがあるんです
でもそれで当然なんです、人間には自由が与えられているのですから
たとえ組織に属していようとも、自分の人生なのですから、自分の生き方
は自分で決めるべきなのです、なぜ自由を尊重する信仰は残酷なのですか?
大聖人の御書に「おのづからよこしまに降る雨はあらじ、風こそ夜の窓
をうつらめ」とありました、誰もが世間という冷たい風に耐えながら
生きているんです、心に闇を宿さずにいられる方が不思議です
真理を犯していれば憎んだり恨んだりするようなことが、たくさんあるの
です、時間がたてばたつほど心が汚れていくのです、ですから
若ければ若いほど、素直な心をもっているのです
たしかに老年の方が若年よりも知識は豊富だとは思いますが
大聖人の御書に「すりはむどくは三箇年に十四字を暗にせざりしかども
仏に成りぬ、提婆は六万蔵を暗にして無間におちぬ」とあります
信仰は知恵や知識でするものではなく、心でするものなのです
心が宝であると霊波之光の救い主もおっしゃっています


2993.Re: ただいま連絡待ちです
名前:たかぼん    日付:11月11日(日) 15時10分

(霊波之光信者氏)
善導できてないとおっしゃいますが、創価学会と正信会の問題について
お考えになれば、そのようなことは言えないはずです、どんなに善導
しようと努力しても、聞き届けてもらえないことがあるんです
でもそれで当然なんです、人間には自由が与えられているのですから
たとえ組織に属していようとも、自分の人生なのですから、自分の生き方
は自分で決めるべきなのです、なぜ自由を尊重する信仰は残酷なのですか?

破折
創価学会、正信会それに顕正会は「破門」されました。
日蓮大聖人の教えをねじまげて解釈したり、自分勝手な信仰の在り方を立てたがゆえに善導いたしましたが改まらないため破門となったのです。
教義や信仰の異なる者と袂を分かつのは一見不祥事に見えますが実は正しい仏法を守っていく上で必要不可欠な措置であります。たかぼんはうそつき氏はそういう善導のようなものを霊波之光の教祖なり教会員と呼ばれる聖職者の方からされたのでしょうか?
されていないと言い切らせていただきます。
彼はいわば霊波之光の組織内で「飼い殺し」されているのも同然であります。
そのようなものは自由にさせているのではなく放任しているのであり、本人にとって大変気の毒なことであります。
ですから残酷であると言っても全く言い過ぎではありません。


2994.Re: ただいま連絡待ちです
名前:たかぼん    日付:11月11日(日) 15時27分

その2
信仰は知恵や知識でするものではなく、心でするものなのです
心が宝であると霊波之光の救い主もおっしゃっています

破折
それはその通りなのですが、自分自身の心がそれほど確立された頼れる自分の心であるかどうか、
いかなる人生の苦難をも打開してゆく力があるかどうかという点を考えて行く必要があります。
仏法とはその根本の自分自身を確立していかなる人生の荒波をも乗り越えていける真に頼れる自分にしていくために説かれているものなのです。
仏法においては全ての生命の奥底に「仏」という福徳に満ち溢れた最高の生命が内在していると説きあかし、これを開発する方途を教えております。
私達が仏法の信行により、その内在する仏界を開き顕して生きるならば、いかなる人生の問題をも真正面から打開し、乗り越えていける、絶対的幸福の人生を送ることができるのであります。
真実の仏法とは、自己の内に秘めている仏界を開発して、どんな難関でも力強く打開しうる頼れる自分を確立する道であります。
霊波之光においてはそれはたかぼんはうそつき氏の「自由勝手」であると霊波信者さんは言いましたが、それは霊波之光が人生の前途にたちはだかる種々の難関、障害に対してそれを打開する方途がないと言っているのと同じであります。
従いまして霊波之光は自由だといいながら、何人をも救えない低級信仰であるということであります。

2995.霊波信者さんへ  
名前:たかぼん    日付:11月11日(日) 15時34分

御住職様と対談が決まったとのこと拝見いたしました。
2994をもって一旦対談を終わりとさせていただきます。
御僧侶が貴殿と話すと仰られた以上、信徒の当方がそれを差し置いてお話をするのは僭越であるからであります。
御住職様との話が終わってからまた書き込みして下さい。
なおお話を書き込む場合には寺院名を必ず明記して下さい。
それと日蓮大聖人御書を引用する場合は必ず何という御書からの引用なのか、何ページなのか明記して下さい。
膨大な量があるので当方も全て把握しているわけではありません。

3011.霊波信者さんへ  
名前:たかぼん    日付:11月25日(日) 23時8分

日蓮正宗寺院の御僧侶との対談はお済になりましたでしょうか?
是非その結果をお話いただければと思います。
事実関係の確認のためにその寺院の名称は公開をお願いいたします。
以上宜しくお願いいたします。


3012.Re: 霊波信者さんへ
名前:たかぼん    日付:11月25日(日) 23時13分

なお霊波信者さんの個人情報については当方興味はございません。
霊波之光信者とお会いしたかどうかしか確認はいたしません。
確認できれば御僧侶の方からお話がない場合はそれ以上の詮索はしない方針です。
なお当然ですが正信会寺院の場合は対談不成立です。
貴殿はカキコからして日蓮正宗と正信会の違いは了解済みと解釈しております。

3014.御住職様からの連絡がまだです  
名前:霊波信者    日付:11月30日(金) 23時59分

あと一週間たってもご連絡がなかった場合は、もしかしたらお忘れに
なってしまっているかもしれませんので、確認の電話をさせて
いただこうと思っております
お話させていただくのは神奈川の妙寿寺の御住職様です
日蓮正宗の寺院であると御住職様からも聞いております。

釧路の方の記事、読ませていただきました
たしかに班長や組長はこの方に何を教えていたのかなあと思いました
御神体の更新さえしてくれればいい、という怠慢があったのかも
しれませんね、大役を任されてる人は因縁がたくさん出てしまう人
だから行動できるようにと神が命をくださっているのに、仕方ない
ですね、たかぽん様もきちんと指導してくれる信者さんに出会って
いれば霊波之光を恨むことはなかったのでしょうね。


3015.Re: 御住職様からの連絡がまだです
名前:たかぼん    日付:12月1日(土) 5時53分

妙寿寺は日蓮正宗の寺院です。
本日1日は御経日、2日広布唱題会で御住職様はいらっしゃるはずです。

3016.霊波信者さんへ  
名前:たかぼん    日付:12月2日(日) 23時12分

本日午前11時頃妙寿寺さんに電話をして、貴殿に対して誠実に対応するようお願いいたしました。
電話に出た方は住職はお出かけで在勤の僧侶か事務員の男性と思われる人物でありました。
住職は忙しいので御講の後で電話して欲しいなどと言っていたので早く対応すべきではないのかと厳しくお話いたしました。
きちんとした対応がない場合はお詫びするとともに近隣の寺院を紹介いたします。
以上宜しくお願いいたします。

3024.ご連絡いただけません 返信  引用 
名前:霊波信者    日付:12月9日(日) 23時26分

妙寿寺さんは、めんどくさがっておられるようですので
他の寺院にしたいと思いますが、私が連絡した場合また無視されて
しまうかもしれませんので恐れながら、たかぽん様に御住職様とお話
できる段取りをお願いできませんでしょうか?
もしお願いできるようでしたら、日程は土曜日か日曜日でお願いします
私は車を所有しておりませんので、駅から近ければありがたいです
お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします。

私は只今、御住職様との対話に備えて法華経を読んでおります
仏教は古代インドが発祥地ですので、主流だったバラモン教の影響で
いろいろと、おとぎ話チックな部分がありますが、自在な方便力と
神通力をもって愚かな衆生を少しでも真理に近づけようとする
如来に光の息吹を感じました。
私が仏教で共感するのは、何物にもとらわれず、執着しない
「空」や「無」の心理です。全ては有るように見えても、実体は無い
なぜなら全ては無(神仏)からの無限の力によって、生かされている
だけだから。常に神仏に心を定めている空を悟り、なおも無上のさとり
を得たいと菩薩道を歩む者こそ、真の守護を得られる信仰者だと思いました

3029.妙寿寺御住職様と連絡がつきました。  
名前:たかぼん    日付:12月10日(月) 13時10分

本日12時2分から10分ほどお話いたしました。
ここのところ法務が忙しく電話ができず申し訳なかったとのことでした。
御住職からの伝言としてもう1度電話をいただきたいとのことです。
電話番号を控えていたのだが探しても見つからない可能性がある。
霊波信者さんに対して大変申し訳ないとのお言葉でした。
当方としてはやはり妙寿寺さんが霊波信者さんの御宅に近いのであればそこがいいのではないかと思います。
電話は045-501-7113番です。

以上最終のご案内といたします。
たかぼん拝

3031.御住職様とお話しました 返信  引用 
名前:霊波信者    日付:12月12日(水) 1時5分

30日の日曜日の午後1時から面談できることになりました
せっかくですから、ここをご覧になっている皆様も、もし興味があれば
私といっしょに御住職様のお話を拝聴しましょう!
Yahoo地図によりますと妙寿寺は京急線の鶴見市場駅の近くにあります。

電話で少しだけ無始無終や神通力について質問しました
御住職様は私の主張をお認めになられたように思うのですが
のらりくらりと難しい言葉でかわされてしまった感じもありますので
次回、目を見てお話するときはハッキリとしたお答えをいただける
ように、お祈りしていこうと思います。
たかぽん様とも、目を見てお話できたらいいなと思っております


3032.Re: 御住職様とお話しました
名前:たかぼん    日付:12月12日(水) 7時27分

当方は北海道に居住しているため、また年末で忙しく横浜まで当日行く事はできません。
以上宜しくお願いいたします。


3033.最後に
名前:たかぼん    日付:12月12日(水) 7時51分

貴殿とお会いする場所は総本山大石寺でございます。
では結果を1月6日までにお話されれば幸いです。
たかぼん拝

そして御住職様とお会いした後の感想です。

3085.妙寿寺に行ってまいりました  
名前:霊波信者    日付:12月30日(日) 23時10分

断片的にしかメモをとらなかったので、忘れないうちに御報告いたします
まず如来について私はこのように主張しました
如来寿量品にて釈尊は「私が成仏したのは久遠の過去のことだったのです」
とあります、永遠の過去ということはまだこの世が誕生する前にすでに
仏だったということですから、修業をして仏になったというのは方便
ではないか、如来は宇宙神と同じく因果の法則が当てはまらないのでは
ないかと言いました、御住職様はこの世は始まりがある世界ではないと
科学を否定されました、この世は永遠の昔から存在しており始まりは
ないのだそうです、次に法華経についてこのように主張しました
方便品に「私は方便を捨てて無上道を説く」とありますが、法師品には
「この経は方便の門を開いて真実を指し示すものである」とあります
よって方便品にあることは、今までの方便は捨てるがこれからは無上道
を開く方便を用いるということではないか、法華経も方便ではないか
他の経典とほとんど変わらない、おとぎ話がたくさんあって現代人には
無理がないかと言いました、御住職様は法華経は真実であるとだけ言われ
ました、次に神通力についてです、御住職様は正しい信仰には神通力と
教義の両方がなければならないと、お認めになりました、大聖人の
「魔にたぼらかされて通を現ずるか、但し法門をもて邪正をただすべし
利根と通力とにはよるべからず」にある通力とは超能力や霊能力のこと
で決して神通力のことではないとおっしゃいました、通力と
神通力(救済する力)をいっしょにされては困るとのことです
「門底をよりよく知るには、門上をよりよく知るべし」と説かれ
まずは法華経をきちんと理解しなければならないとおっしゃいました
次に大聖人があまり重視されなかった安楽行品には「好んで人や他の経典
の欠点を語ってはならない、他の教えを説く人に対して傲慢であっては
ならない、他の人の良さ悪さ長所や欠点を口にしてはならない、名を
あげて非難や称賛してはならない、また嫌悪の心を持ってはならない
仏道を学ぶ他の人を軽蔑したり、あなどりの心をもって長所や短所を論じ
てはならない、いたずらに議論して論の優劣を競ってはならない」と
あります、御住職様は大聖人の時代とは違うのだから、今の世の中
相手をかんぷなきまでに屈伏させるなどということはできない、一億総
評論家であり一人一人が大切、法論や折伏をするときは相手に尊敬の念を
いだき、あたかも仏様に接するように行わなければならない、一人よがり
ではダメだとおっしゃいました、他宗教を撲滅などと自分がそれほどの
器なのか自分に問わなければならない、他人のことより自分自身を折伏
してくださいとのことでした。撲滅対策本部本陣の体験談集を拝見させて
いただきました、班長や説教者とケンカをされていたということで
やはりいろいろあったのですね、せっかく霊波之光に縁付こうとなさって
いたのに申し訳なく思っております、たかぽん様の御心が鎮まりますよう
お祈りいたします。

3087.霊波信者さんへ  
名前:たかぼん    日付:12月31日(月) 6時23分

大変お疲れ様でした。
寺院まで訪問された貴殿に敬意を表します。

さて話し合われた内容については妙寿寺さんに確認いたします。
御住職様もお忙しい方なので確認に時間がかかるかもしれません。
当方が横浜まで行くことになるかもしれません。
双方の主張を聞かないと断定はできません。
1-2ヶ月かかるかもしれませんのでお待ち下さい。
なぜなら貴殿の話がきちんとまとまっていなくてよく分からないということと、貴殿の考え方が多く混じっており、御住職様が仰ったことを曲解しているところが多いと感じられるからです。
例えば御住職様は本当に「科学を否定している」と発言したのでしょうか?
それは感想として書かれることで仰った事実として書くべきではありません。
正式にお話をしたのですからまずあった事実をそのまま発表して、それから己の感想、そして当方への意見を書くのが基本ですよ。

感想を申し上げます。
@>班長や説教者とケンカをされていたということで
やはりいろいろあったのですね、せっかく霊波之光に縁付こうとなさって
いたのに申し訳なく思っております、たかぽん様の御心が鎮まりますよう
お祈りいたします。

とありますが、申し訳ございませんが、当方霊波之光の信者だったことはございません。
脱会に手を貸しただけでございます。

Aまた貴殿は法華経について勉強されておられるようですが、それと霊波之光と関連性が何かあるのかどうかと当方は感じますね。
長谷義雄は修験者として禅宗等の修行をしていたわけで、法華経など経典について貴殿のように勉強したということが感じられないのですよ。
経典について勉強されたのであればそういうことが御書なる著書に生かされないはずがないのですよ。
霊波之光の映画で長谷義雄が経典について勉強しているシーンがあるのかどうかよく確めてみることですよ。
それを貴殿は何でも霊波之光や長谷義雄に結び付けようと考えているわけで無理がないかと考えます。

B申し訳ありませんが貴殿はいたずらに議論をふっかけるような話し方をしたのでないかと感じます。
ですから妙寿寺さんの方でも適当にあしらっておけという感じになってしまったのではないかと感じます。
そうでなければ貴殿の表現に己の考え方は混じりません。
話し合われた事実がまず書き込まれ、そしてそれに対して貴殿の感想、そして当方への意見となるはずです。

最後にこれからの流れです。
まず妙寿寺さんと連絡して御礼申し上げ、貴殿の3085のカキコを妙寿寺さんにお送りしてそういう話をしたのか御住職様に確認いたします。
御住職様もお忙しい方なのでしばらく時間はかかるかもしれませんがコミュにて発表いたします。

ありがとうございました。
平成19年12月31日たかぼん拝


3088.Re: 霊波信者さんへ
名前:霊波信者    日付:12月31日(月) 11時42分

ありのままご報告させていただいたつもりです
たかぽん様には受け入れがたい内容であることは分かっております
御住職様は真摯に対応してくださり、大変御優しい方でした。

脱会に手を貸したとは、どういうことなのでしょうか?


3089.Re: 霊波信者さんへ
名前:たかぼん    日付:12月31日(月) 13時29分

申し訳ありませんが、貴殿の3085のカキコではどのような話が行われたのかがよく分かりません。
理由は3087に書いてある通りです。
どういう話をしてそれに対してこのように答えたのかということについて相手方からも聞かないと当方判断できません。
従いまして内容について妙寿寺さんにもきちんとお伺いしないと当方としても判断できないということであります。
ですからきちんと調査した上で当方としての所感を述べさせていただくということです。

>脱会に手を貸したとは、どういうことなのでしょうか?

とありますが貴殿と当方との話し合いは既に終了しております。
貴殿の取り上げている人の話は霊波之光からの脱会者のお話であり、
貴殿とは全く関係ない人のことですのでお答えできません。
この人は何度か霊波之光信者からストーカー行為を受けておりますので霊波之光信者というだけでこの人は毛嫌いしております。従いましてこれ以上の詮索はご遠慮下さい。

以上です。
妙寿寺さんからの事実確認が済むまでは貴殿とは対論できません。
数ヶ月かかるかもしれませんがしばらくお待ち下さい。


3090.Re: 霊波信者さんへ
名前:たかぼん    日付:12月31日(月) 13時36分

妙寿寺御住職様と連絡がつき3085の貴殿のカキコをお送りすることといたしました。
当方の自宅にはファックスはありませんので郵送をいたします。
取り急ぎ報告させていただきます。

妙寿寺御住職 佐藤正英御尊師

拝啓、日々ますます御清栄のこととお慶び申し上げます。

さて先日1230日には御法務お忙しい中を霊波信者こと○○○○(実名)氏と対論していただきましてありがとうございました。

123013時より16時まで所属寺院において○○○○氏のため唱題させていただきました。

本人より感想が別紙の通り書き込まれてきましたが、まとまっておらずよく分からないということと、御住職様の仰ったことに対して自分の考えを交えて曲解した書き方をしているのが気になったところです。

従いまして御住職様からも○○○○氏とどのような話が行われたのかよくお話をお伺いしてからまた○○○○氏とお話したいというのが私の考えであります。

当方は○○○○氏に対しては法華経や仏教全般についてよく勉強されていることについては敬意を表して接してきたところでございます。

ただ昭和になって登場した霊波之光とその教祖長谷義雄氏と法華経を無理に結びつけているところが間違いではないかと考えております。

肝心なところが彼は説明できないのです。

また長谷義雄は「神通力」を称しているけれども本当に「神通力」なのでしょうか?

1度救われたなどと称している多くの人が長い目で見ますと結局不幸になっているという現実を見ますと単なる通力によって人々を誑かしているに過ぎないと私は考えております。

やはり破折し断絶させていかなければならない邪宗教であると私は考えます。

○○○○氏は正法を求めればきっと幸せになる早さが違うのではないかという感想を持っております。

このたびの妙寿寺訪問が縁となって○○○○氏が正法につかれることを心よりお祈りしております。

敬具

平成191231

日蓮正宗 ○○寺信徒 たかぼん

3111.霊波信者さんへ  
名前:たかぼん    日付:1月9日(水) 12時28分
妙寿寺御住職様からはまたいらしてくださいとのお言葉でありました。
で、御住職様からお話をお聞きした結果の当方の結論は
貴殿の話を御住職様が聞いてくれたということと、貴殿の話を御住職様が認めたということとは話は別ということです。
ですので12月30日の貴殿の結果の発表は貴殿と御住職様双方の言い分が大きく異なりますので貴殿の言説を真実と認定する事はできません。
以上宜しくお願いいたします。

3112.Re: 霊波信者さんへ
名前:たかぼん    日付:1月9日(水) 12時40分
妙寿寺御住職様としては好青年であったし、次回もまた会いたいと思ったので話を聞くことに徹したとのことです。
それだけ貴殿を買っていたということです。
当方の貴殿への所感は、日蓮大聖人や日蓮正宗に関連することはよく勉強されているけれども、それと仏教から見て「外道」に当たる霊波之光の御守護神様こと長谷義雄氏とどう結びつくのか、無理はないのかということを感じております。
当方も他の仏法に無智な霊波信者と比べますと、貴殿は宗教についてよく勉強されている点で立派なのではないか、是非当方も一度お会いしたいものだと御住職様にお話させていただきました。

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