小説 多田先生反省記

16.クラス担任

 城南学院大学に赴任して二回目の入学式を迎えたが、退屈するばかりなので式には出なかった。年度が変わった今年は幾つかの委員会に配属され、それらの会議にも出席しなくてはならず些か煩わしい。大学にもクラス担任の制度があって、その担任も任されることになった。私が担当しているのは教養課程のドイツ語だけなので専門課程を与る教員のようにゼミなどは開講していない。従って専門課程の学生とは縁がないということになる。全く見知った顔のいないクラスの担任を仰せつかったら、どう対応したらよいものかと思いあぐねていたが、幸いなことにこの一年間教えてきた法学部の「や組」の担任となることが分かって幾らか安心した。昨年度の法学部のドイツ語クラスは三クラスの中からドイツ語を第二外国語として履修した学生達の集まりだった。その中に「や組」があったのだ。ただし、大野はすでに三月のうちに退学届けを出しており、クラス名簿にその名前は載っていない。名簿とともにそれぞれの学生の一年次の成績などが記載された書類も届けられた。総勢50人程の学生の中には最初の授業で名前を巡ってトンチンカンな遣り取りをした大籠もいた。ドイツ語は『不可』となっていて、『特別クラス』と呼ばれる、単位を落としてしまったために再び一から出直さなくてはならないクラスでの受講を余儀なくされている。私の不手際による犠牲者の一人だ。奥稲荷まで読み進めて目が留まった。一年次の成績不良につき、担任教員から指導をすべしとの但し書きが添えられている。私は教務課を通じて奥稲荷を呼び出した。

 「法学部二年や組、奥稲荷雅彦、出頭いたしました」ドアを開けて入るなり、直立不動の構えをとった奥稲荷はそう名乗って来室を告げた。

 「どうぞ、掛けて」向い合せのソファーに座るように勧めた。

 「はい、有難うございます。座らせていただきます」

ソファーに腰を下ろしたものの、奥稲荷は背もたれに寄り掛かることもせずに、背筋をピンと伸ばして両膝を合わせてお行儀よく手をそこに重ねている。

 「体育の授業だったの?」

高等学校の制服らしい詰襟の学生服を着込んでいるが、下には白いトレーニングパンツを履いている。

 「いや、そうではありません」

 体操の時間に着用するいわゆるトレパン姿だったので私は自ずと体育の授業との関連でそう聞いたのだったが、いとも簡単に否定されてしまった。どことはなし片づかない思いがしたが、それ以上このことで議論をする必要もない。

 「二年生になるとクラス担任は変わることになっているらしくてさ、今年は朝倉先生に代わって僕が『や組』の担任になったんだ」

 「はい、ワタクシたちは三月の段階で既にキョウカンがクラス担任になることは知っておりまして、昨年度、ドイツ語を教わりましたワタクシどもは大変喜んだ次第でございます」

 奥稲荷が遣った「キョウカン」という言葉が「教官」であることは直ぐに判ったが、聞き慣れないこともあって、私はこの「キョウカン」という呼び名に奇妙な戸惑いを感じた。赴任して早々、中川に城南学院大学には『官舎』はないのかと尋ねたところ、「ここは私立大学なのだからそもそも『官舎』ではなく、『教員用住宅』ないし『宿舎』と云うべきだ」と諭されたことがある。城南学院には官舎は勿論のこと教員用宿舎はない。私ら教員の身分も『教官』ではなく『先生』でなくてはならないのだ。だが、奥稲荷のその言葉を私は糺(ただ)すことはしなかった。別に共感したからという訳ではない。

 「ところで、君のアクセントは関西風ではあるけど、ちょっと違うね。四国?」

 「教官、言語学者だけあって流石に鋭いですね。ワタクシは香川県の出身であります」

 「やっぱり、そうか。名前の方もそちらに由来があるの?」

 「はい、そうでございます。ワタクシの生まれた近くに稲荷山という小さな山がございまして、どうやらその山にある神社との繋がりがあるようです」

 「なるほど。出身が四国となるとご両親はあちらに?」

 「いえ、ワタクシが小学生の頃に父の転勤で博多に参りまして、以来、家族全員、博多で暮らしております」

 「ああ、そう。ところで、今日、君に来てもらったのは他でもないんだ。一年の時の君の成績なんだけど…」

 「はあ、申し訳ございません。教官のドイツ語を初めとしまして、幾つかの科目が不可となっておりました。誠にワタクシの不徳の致すところでございます」

 「僕のドイツ語はね…。難しかったのか、だいぶ可と不可の学生が多くて、僕としても学生からはカフカの多田なんて、からかわれているんじゃないかと思ってるんだ…」

 「は?カフカでございますか?」奥稲荷には作家のカフカと成績の『可と不可』をつなぎ合わせたこの洒落は通じなかったようだ。「いや、教官!ワタクシは英語の方は中学校、高等学校の頃は多少自信がございましたが、ドイツ語を勉強しまして、実にきめ細やかな難しい言語であるということを実感いたしました。とりわけ、格変化などはややこしくて大変戸惑いました。ドイツ語は英語と比べてみますと、初めから殆ど垂直にそそり立つ断崖絶壁を攀じ登らなくてはいけない言語であるという印象であります。この登攀が何とも苦しいものでありまして、ワタクシは登頂に失敗した次第です」

 「ま、今年もう一回挑戦して、今度は頂上を極めなくちゃね。それは兎も角、ドイツ語だけじゃなくて、これだけ沢山の科目を落としていると、今年度は相当、学業に熱を入れて貰わないと、留年ということになっちゃうよ」

 「はい、それは重々承知いたしております」

 「去年は何か勉強に差し障ることでもあったの?」

 「いえ、そんなこともございませんが…。いづれにしても今年は心機一転いたしまして、学業に専念する所存でございます」

 「是非ともそうしてくれよ。ところで、君のご家族は?」

 「妹が一人おります」

 「そうか。僕も妹がいてね。同じような家族構成だね。ましてや長男となると両親の思い入れも中々手強いよね。お互い大変だな。今後、何か気に掛かることがあったら何時でも研究室においで。そのための担任だから」

 「はい、かしこまりました。誠に有難うございます」奥稲荷は立ち上がり「それでは奥稲荷雅彦、これをもちまして失礼いたします」と云って研究室を出て行った。

身の熟(こな)しから言葉遣いまで同じ世代の若者たちとは大きくかけ離れている。奥稲荷はこれ以降もいつだってきちんとアイロンのかかった白いトレパンを着用して、私の前では常に『教官』という呼称を使っていたのだが、これは私への彼なりの公式の呼び方で、クラス仲間との間では『多田やん』と呼び習わしていたのだった。

 数日後、大籠も研究室に遣って来た。私が呼び出した訳ではない。

 「多田先生、僕、ドイツ語の単位ば落としよりますもん」

 「そうだったね。でも、他にも沢山いるから余り気にしなくともいいよ」

 「いや、大丈夫ですタイ。ぜんぜん気にはしとらんとです。僕、や組です」

 「うん、クラスの名簿が届いてるんで、一応全員の名前やら何やら確認しておいた。去年、僕のドイツ語を履修した学生も10何人かはいるね」

 「そうなんです。ですけん、ドイツ語ば勉強した僕らは多田先生が担任になったぁって大喜びしたとですもん」

 「こんなにおっかなくて、鬼みたいな厳しい僕でも?」

 「単位の取られんかったんは僕らのせいで、なんも先生には責任のなかとです」

 脇の下にじわりと冷や汗が垂れた。

 「今日、先生んところさ来たんはですね、相談のあるとです」

「相談?何か困ったことでも起きたの?」

「いや、そげん相談ではなかです。僕んクラスは去年も何回かコンパしよりましたけど、新学期も始まりましたけん、近いうちにまたコンパばしようと考えとります」

 「コンパか。いい響きだね。去年は大野だとか神崎とは始終お酒を飲み回ってたんだけどさ、コンパとは縁がなくてね」

 「先生もお酒の方はだいぶ好きなごつあるようですもんね」

 「分かるか?」

 「そりゃぁ、もう!だって先生、授業中によぉ、お酒の話ばしよったじゃなかですか。僕も大好きですけん。先生の都合はどうなっとるか、思いよってですね、その相談にきよったとです」

 「酒の席ならいつだってスタンバイ、オーケーだよ。今夜にでも一杯やりながら決めようか?」

 「ヨカですね。そしたら何人か仲間ば連れてきますよって」

 話はまとまった。頃合いを見計らって大籠は二人のお伴を連れてきた。

 「二人ともドイツ語ば受けよりましたけん、紹介はせんでもヨカですね」

 諏訪と大橋だった。

 「先生、顔は覚えとらっしゃっても、名前まではよぉと判らんでしょう。僕、諏訪です。大牟田から通いよります」

 「僕は大橋ですたい。僕んがたは南区です。市内に住んどります」

 二人は共にドイツ語は無事に合格していた。ただし、成績は二人ともすれすれの『可』だった。ドイツ語の成績のことは敢えて触れずにおいた。

 「そうか、諏訪君は大牟田となると遠くて通学は大変だろう。遅くなった時はどうしてるの?」

 「大籠やら他の友達のところに泊めてもらいよります」

 「そうなのか?大籠君、君はアパート住まい?」

 「そげんです。僕んがたはですね、大牟田よりもっと近い久留米ん近くの八女ちゅう所に実家のありますばってん、通うのはせからしゅうしてですね…」

 「まずは呑みに行こう」

 私たちは近くの小料理屋に出掛けた。

 「二年になったらクラス担任の変更のあるって聞いとったばってん、多田先生が僕たちの担任になってくれようとは全然思いよらんかったですもん。大籠がですね、今年の担任は多田先生じゃ、云うてからにですね…」

 「そげんですもん。最初に諏訪にそう云うたとです」

 「何日か前にさ、奥稲荷君が来たんだよ。教務関連のことで連絡事項があってね、呼び出しをかけていたんだ」

 「おっといでしたかいね、奥稲荷とおぉたとです。そしたら、これから多田先生んとこさ行かないけんからに僕に一緒に行っちゃれ、云うたですもん」大橋が口を挟んだ。奥稲荷は独りでは来にくかったようだ。

 「えらい緊張してたのか、その辺りの事は判んないんだけどさ、ドアのところで直立不動で『奥稲荷雅彦、出頭いたしました』って云ったんだ。ま、それはいいんだけどさ。僕のことキョウカンって云うんだな。ちょっと驚いたよ」

 「あいつはですね、自衛隊に憧れよりますもん。何やら防衛大学ば受けたばってん、受からんかったんで、一浪してから城南さきよったですもん」奥稲荷と大橋は一年生の時から昵懇(じっこん)にしていたようだ。「妹が一人おるとです」

 「そうだってね、僕も聞いている」

 「僕、あいつん家に泊まりに行ったことのあるとですもん。そん時ですね…」急に大橋は吹き出してビールを零しそうになった。「いや、すんません。その晩がたの事ですばってん、外で遊ぼう云うてですね、木刀ば持ってきよったとです。それだけやなかったとですもん。着替えてくるちゅうてですね、袴ば履きよって出てきたとです。チャンバラ遊びか思ぉとったらですね、奥稲荷は真剣になって木刀ば振り回しよったとです。掛け声も大きゅうしてですね。チャンバラなんて生易しかもんではなかたったとです。ほんなこつ恐ろしゅうしてですね…。そしたら妹ん出てきよって『君たち、いい歳して何してるんですか!近所迷惑ですから静かにして下さい』って怒りよりましたもん」

 「そうか、奥稲荷君はそんな一面があるのか。それにしても何で僕の事をキョウカン、キョウカンって呼ぶのか判んなかったけど、防衛大学校との絡みか?」

 「そげんやってな!あいつは海上自衛隊の親衛隊みないなクラブに入りよるっちゃろ?」諏訪が大橋に確認した。奥稲荷は海上自衛隊への思い入れが強く、未だに自衛官への憧憬から抜け切れないようだ。

 「先生、肝心なこと話さないけんですばい。クラスコンパですばってん、先生はいつでもヨカ云うとりましたけど、六月にやろう思いよります」

 「そうだ、大籠君の云う通りだな。それで場所は?」

 「城南高校の裏の百道の浜に海の家のあるとです。いつもそこでやっとります」

 「海の家?料理やなんかはどうするんだ?」

 「自分たちで作りよります。安うあげられますよってに。なんせ、場所代だけ払いよったらヨカですもん」

 「成る程ね。だったら、僕の家でやろうか?」

 「先生は下宿ばしとらしゃぁとでしょ。神崎から聞きよりますよ。下宿ではでけんですよ」

 「今は下宿だけどさ、もうすぐ団地に引っ越すんだ。部屋も3つあるから大丈夫だろう」

 「先生、団地さ入らっしゃぁとですか?」諏訪が聞いた。

 「うん、いつまでも下宿生活という訳にもいかないんでね、自立しようと思ってさ」

 「大籠、そしたら先生の家にしよう。これまで毎回ピオネ荘じゃったけん、先生の家やったら目先が変わってよかろうもん」

 「先生、ほんなこつ先生の家でヨカですか?」大籠が確かめた。

 「いいよ、場所位いつだって提供するよ」

 六月になったら新しい住まいでクラスコンパを開くことが本決まりとなった。

 「ところで、先生!今度、僕ん家さ遊びにこらっしゃれんですか?田舎ですけん、なぁんもなかばってん、阿蘇の方もご案内しますけん」

 そんな訳で引っ越しも済まして一層気楽になった週末に大籠の家に遊びに行くことになった。このところ出費も嵩んでいたが、土産にはマスクメロンを奮発した。

 「多田先生の来んしゃったよぉ」玄関を入るなり大籠は大きな声を出した。

 「あらあら、よう来んしゃったですな、こげんむさくるしかとこさ」大籠のお婆さんが出迎えてくれた。

 「先生、僕んがたの玄関はこげん土間になっとりますもん。高校の頃にですな、友達の遊びにきて、『うわ、玄関に土のありよう』って驚きよったとです」

 「昔、母親の実家も玄関はこんな土間だったなあ」私は遠い子供の頃への追憶に浸った。

続いて母親が挨拶に出てきた。

 「多田先生、息子ん正のお世話になっております。ま、どうぞお上がんなさって」

 「今日はお世話になります。よろしくお願いします」

「これ、先生からのお土産たい」大籠が母親にメロンを渡した。

「こげん、気ぃ使ってもろうてからに…。えらいすんまっせん」

「いや、珍しくもなんともないかと思いますが、お口汚しにどうぞ召し上がってください」

 居間にはすでに大籠のお婆さんがちょこなんと坐っている。

 「ばあちゃん、多田先生はな、東京からきんしゃった先生たい」大籠が説明をしている。

 「そげんですな。東京から来んしゃったとですな?それはそれはまたエライ遠か所からようこげんとこまで…。お疲れになったでしょうもん。風呂ば入っらっしゃぁて…。ゆっくり汗ば流してもろたらよかろう」母親に云っている。

 「ばあちゃん、多田先生はな、今は博多におらっしゃぁとよ」母親が説明している。「先生、母はもうだいぶ歳のとっとぉけんですね、よぉっと分らんですもん」

 「ええ、出身が東京というだけで、今は博多に住んでいます」

 「そげんですな、今日は飛行機で来んしゃったとですな?」

 「ばあちゃん、もうヨカって。母ちゃん、多田先生んごつバイクで阿蘇山の方ば案内してきよるけんね」

「それはよかね。気ぃつけて行ってきんしゃい」

「父ちゃんのまだ帰ってきとらんと?」

 「今日は会社、休みじゃったけん、今は畑に出とる。夕方には帰ってくるばい」

 私は大籠の運転する大きなバイクに乗せられて阿蘇の外輪山へと向かった。うねうねと続く舗装された山道をひた走り、最初に案内してもらった所は中岳だった。

 「阿蘇山にはものすごぉ数の噴火口のあるばってん、今も活動しよるんはこの中岳だけですたい」

「中だけだけ」というこの言い回しが面白く聞こえた

 「噴火しやしねえか?おっかねえな」

 「大丈夫ですたい」

 私は恐る恐る噴火口を覗いた。雨水が溜まっているらしく、地獄と呼ばれている池は薄緑色となっている。続いて私たちは草千里へと突っ走った。広々とした草原が続いている。乗馬クラブがあって、その草原で引き馬による乗馬の体験もできるとのことだった。馬には乗らないことにした。バイクの後で座席にしがみついているツーリングだけで十分である。温泉もあるようだが、そろそろ腹が空いてきた私たちは同じ道を辿って大籠の実家へと戻った。

「帰ってきたとよ!」又もや大籠が家の中に声をかけた。「母ちゃん、もうひだるかけん、はよ、晩飯にしちょってぇな。ばあちゃんは今日はそうつかんかったと?」大籠はいつもの博多弁ではなく、久留米弁を使っている。「腹がすいたから晩飯を早くしてくれ。ばあちゃんは今日は徘徊しなかったのか」と聞いたのだった。

 父親も畑から帰ってきて、風呂を浴びたところのようだった。

 「多田先生、息子がえらいお世話になっとります。ま、今日はようこそ来てくれなはったとですな」父親は私にもわかる言葉遣いをしてくれている。

 「大籠君に誘われるままに図々しくお邪魔してしまいました。ここ一年ほど下宿していたんですけど、つい先日、団地に引っ越しまして、独り暮らしを始めたばっかりなんです」

 「そうですか?これまで下宿しとんしゃったとですか?でも、独り暮らしとなると何かと大変でっしゃろな」

 「いえ、下宿の時もそうだったんですけど、夜になるとお酒を飲みにほっつき歩いていますんで、どうって事ないです」

 週末ということで実家に帰ってきた大籠の兄も加わって、みんなで賑やかに母親の丹精込めたご馳走に箸を伸ばしては酒を酌み交わした。大籠の兄は九州大学の法学部を卒業して今は博多の銀行に勤めている。一頻り呑んだ後で大籠と私は近くにある小料理屋に河岸を変えた。

 「こん人がこん間、話とった多田先生ばい、おいの去年のドイツ語の先生たい」

 「まあ、そげんですな。私は瑠璃子云います」

「随分会わないうちにえっらい若くなったね!」

大籠も瑠璃子もあっけにとられて私を見つめた。

「浅岡さんでしょ。浅岡ルリ子さん、あの映画女優の…」

「先生、そげん冗談ば云いよってからに…」大籠はやっと気がついたようだ。瑠璃子もケタケタと笑っている。

「あれ、間違えちゃったのかな?こんなに綺麗な人だから。それにしても随分と若返ったなって吃驚しちゃった」

「るりちゃん、多田先生ちゃ、いつもこう、とぼけた事ばっかり云いよると」

「そげんですな。それにしてもおかしかぁ。私はもう先生、なんば云いよんしゃろか思ぉとってですね…。分からんかったですもん。正君、もう随分呑んできたと?」

 「そうやね、そんなには呑みよらんばってん、どげんかな?忘れてしもた」

 「大籠君、さっき僕の事、去年のドイツ語の先生って紹介してくれたけどさ、僕は今年も君のドイツ語の先生だぜ」

 「あら、正君、今年もドイツ語ば勉強しよると?」

 「そうなんよ。おいはドイツ語ば好いちょうけん、今年も多田先生に教わっとぉとばい」

 ドイツ語の試験に不合格となった学生を相手にする今年の特別クラスの担当は私である。このクラスの受講生はドイツ語の試験に不合格となった全ての学生の寄せ集めのため、そうした再履修生はかなりの数に上る。頭数が多いので昨年度のようなこじんまりとした教室ではなく、大きな講義室があてがわれている。そこに大籠も奥稲荷もいるのだ。私は大籠のドイツ語の成績については触れずにおいた。うっかり蒸し返したら古傷が痛み出しそうだった。

 「それにな、多田先生は今年のおい達のクラス担任たい」

「そげんね。正君、お酒やろ」

「そうやね。ビールはもうヨカけん、酒にしよう。いろいろ食うてきたけん、何か軽いもんにしようかいね。そうだ!先生、辛子蓮根って食うたことあるとですか?」

 「辛子明太子なら知ってるけど、それって何?」

 「熊本の名物やけど、このあたりでもよう食いよぉとですもん。蓮根の穴ん中にですね、辛子の詰めて…、るりちゃん、ヨカ、辛子蓮根ば持ってきちゃらんね」

 私は幾度か食べたことのある辛子明太子のような赤い唐辛子につけた蓮根を想像していたのだが、全く別物だった。同じカラシではあってもこちらは洋辛子を蓮根に詰めて、それを油で揚げたものだった。初めて食したが中々乙な味である。

 「先生、わたしは正くんとは高校の同級生ですもん。こん人ですね、高校の頃から合唱ばしよっとですよ。呑むと、よぉ歌っとらんですか?」

 「いや、大籠君の歌はまだ聞いたことはないね。そうか、君は歌が得意なのか」

 「僕はですね、混声合唱クラブに入りよったとですたい。あん頃はな、合唱部の顧問の先生とも親しゅうしてもろうてたばってん…」

 「そやったね、あんた、あん先生とは随分と仲のよかったけど、卒業してからかいね?あんまり付きおぉておらんごたるね」

 「そうなんよ、おいが浪人しとる時にあん先生はいらんこつ云いよったけんね…」それ以上は語ろうとしない。ぐっと酒を飲んだ。

 「そうやったみやいやね。あげん、仲ようしよったのにね。でも多田先生は違ぉごたるね」

 「そげんやろ、おいとはそう歳も違わんしさ、ドイツ語のクラスの連中も多田先生は先生ちゅうよりも、兄貴か先輩のごたる気がするって云いよるばい。ま、ヨカけん、あんた先生に酒ば注いじゃらんね」

 「そうでした。先生どうぞ」

 「僕はさっきから呑んでいるから、君に注ぎましょう。そしたらその杯を僕に下さい。それで僕に返杯してもらおうかな」

私は瑠璃子の杯に酒を注いだ。大きなぐい飲みだった。瑠璃子は一口で飲み干してその杯を寄越して酒を注いでくれた。杯には留美の口紅がついたままだった。私はわざとそこに当たりをつけて飲み干した。

 「ん?この口紅は資生堂ではないね」

 いくらか緊張していたらしい瑠璃子はこの一言ですっかり打ち解けた。私達は夜が更けるまで呑み続け、大籠の家で山海の珍味を鱈腹ご馳走になったというのに、これまた初めて口にした鯨の尾の身や馬肉の刺身が殊のほか私の好みとする味にて瑠璃子のお店で用意していたそれらの刺身が底をつくまで食べ続けた。夜の帳がすっかり下りて、満天の夜空に瞬く星を仰いで大籠の轟くような歌声を聴きながら家路を辿った。土間の横の梯子段を攀じ登って、嘗ての大籠の部屋に転がり込んだ私はそのまま泥のように眠りこんだ。

「先生、よう眠れたとですか?」二階に昇ってきた大籠が聞いた。

「ん?何時だ?」私は目をしょぼつかせながら時計を見た。「もう昼になるのか?随分と寝ていたことになるな」

「ひもじかでっしょうもん。飯にしますけん。顔ば洗ぉてきてください」

身支度を整えようと布団の横に脱ぎ捨ててあったズボンを持ち上げた。よれよれになっていたズボンから財布が滑り落ちた。中を覗いてみると空だった。昨晩、瑠璃子の店で散々呑み食いしてお金を使い果たしてしまったようだ。

「大籠君、近所に銀行ないかな?」私は大籠に聞いた。

 「銀行ですか?こげん田舎ですけん、銀行なんとなかですばい。どげんしたとですな?」

「ちと、昨日は気張りすぎたようで、おけらになっちゃた」

「おけら?二日酔いですな?」

「いや、すっからかんってこと。電車賃がないんだ」私は小声で云った。

「そりゃ、心配せんでヨカです。僕、持っとりますよって」

 羽目を外し過ぎたうえに、手持ちのお金もすっかり使い果たして、学生の大籠に帰りの電車賃を借りる羽目になってしまった。惨憺たる心持で朝飯か昼飯かの境目の判らない食事を済ませて、私は大籠と一緒にすごすごと帰途についた。バスの窓越しに「八女茶」の看板が見える。「酒なんかやめちゃえ!」という声がかぶさってくるような気がした。バスを乗り継いだ駅は久留米だった。今度は「もう、二度と来るめぇ」とそんな開き直ったような呟きが頭の中を駆け巡った。


トップページに戻る