メル友記録
これはやがて還暦を迎えようとする老人(ただひろし)とうら若い娘(永斗真理)さんとの日常の他愛ないやり取りの中で交わされた生と死を巡るメル友記録である。
真理 03.08.18.(はじめまして)
永斗真理です。早速メールしてみました。先日はご馳走ありがとうございました。カレーもとても美味しかったです!おそらく母から私の病態について聞いてらっしゃるかとは思います。本を薦めて下さったのもメル友宣言も、そのようないきさつからの心遣いなのでは?と解釈しているのと同時に感謝の気持で一杯です。正直、退院前の主治医の話しを聞いた時は一瞬「死」の一文字が頭を掠めました。それは母も同じだったと思います。でもあの時は衝撃が大きく他人事のように思えて、実感するまでに数日かかりました。結論からすると「ガン告知の予告」となったわけですが、将来的には正確な事は解らないらしく、底知れぬ不安感に一時はかわれたものの、今では落ち着いています。…という訳で今後もしかしたら母には、母だからこそ言えないような悩み事が出てくるかもしれません。また、母も私には言えない事を今現在も抱えている事でしょう。その時はそっと手を貸してもらえれば嬉しく思います。多田さんになら私も母も本音でぶつかれると思います。先ずは例の本を読み上げて思想を広めてみたいと思います!長くなりましたが、改めて今後とも宜しくお願いします。
☆MARI☆
ひろし 03.08.19
今朝は早々と5時頃に目が覚め、とろとろとしながら6時を少し廻ったあたりで本格的に床を抜け出しました。食事を済ませてジョイと散歩に出ていつもの通り、かつて「墓山」といわれていた黒中の裏手を歩いて表通りに出て、さて家路につこうとしたところ、やっこさん何を思ったか今朝に限ってもっと歩きたいというそぶりをみせるので、ジョイの気の赴くまま久方振りに緑が丘小学校の裏手を抜けて黒石野の住宅地を巡ってきました。黒石野の高台からはどんよりとした雲に覆われた町中が見え、久々に懐かしい風景を目の当たりにしたような思いにとらわれました。一年前の今頃、熱い夏の陽差しを受けながら、私はどう生きていこうか、というよりもやがてくる私の「死」をどう受けとめていこうか、そしてそれを家族にいかにして伝えていったらよいものか、とあれこれ思いをめぐらせながら散歩していた所でした。実は、その年の7月に医大の口腔外科にて舌に異常が認められ、取り除かねば近い将来、癌になる可能性が高いという診断が下され、ならば手術を受けようということになったのですが、すぐにその気持ちは変わりました。延命措置で幾ばくか生きてゆくのはどうにも私の美学にそぐわない、そんな心持ちがあったからです。8月になって担当医には手紙で手術はお断りしたいと伝えたところ、担当医は何とか私の気持ちを翻意させようと、セカンドオピニオンとしての別の医局の教授の診断を勧めてくださったのですが、その時の私の決意には固いものがありました。私のこの心の動きは以前から持病の糖尿病でお世話になっている主治医にも知れるところとなり、こちらの先生からは一月の間に何通ものお手紙を頂戴しました。長くなりそうですね。マリちゃんのメールボックスに入りきらないかもしれません。この辺りの経緯は別の機会に譲ることにしましょう。私は子供の頃からいつも、もうかれこれ40年以上も、「死」を思い描きながら生きてきました。でも今は違います。「生きていこう!どこまでも生きていく!」今の私は「この時を生きている」ことが悦びです。感謝の気持ちで一杯です。マリちゃん、一緒に生きていきましょう。またメールします。私のピッチのメールアドレスでも受信できるはずです。気が向いたときにまたメールください。hirotada@dj.pdxne.jp 私はコンピューターからしかメールできませんが・・・。なにしろジジイなものですから。寿和が間もなく盛岡に着きます。迎えに行く道すがら研究室に立ち寄りました。年寄りのメールはかくも長くなるものです。悪しからず!
真理 03.08.19
すみません。携帯に500文字しか入らないので、途中でメール切れちゃいました(v_v) 「黒石野の高」で終わっていました。
真理 03.08.19 (寿和君によろしく)
わざわざ長いお返事ありがとうございます。手術の事母から聞いていました。やはり色々な葛藤があったみたいですね。母に「多田の父ちゃんと話してみれば?きっと合うよ」と言われていました。その辺は是非また次の機会にゆっくり聞きたいと思います。医者の宣告を受けた者同士、通じるものがあるかと思います。ありきたりでも希望を持つ事がやはり大切なのですね。今は、病気のお陰で、この年にして生死を考える機会に恵まれluckyだと思えます。何気ない事が何かと意味のある物になりました。お互い日々の積み重ねを楽しみましょうね☆MARI☆
ひろし 03.08.20(明日は晴れ)
聞けばマリちゃんはここ一両日はお母さんにもメールを出せない程忙しかったようですね。お母さんに妬まれないかと心配ですが、今夜はメル友になれたと自慢します。一夜明けて今朝も厚い雲が垂れこめていました。明日あたりからは晴れそうです。土曜日は大曲で花火の見物。10時頃から鈍行列車に揺られてゆくのですが、現地に着く頃にはすっかり酩酊していて、気づけば満天の星空が頭の上にきらめいているなんて事にならないように程々に飲みながらしっかり花火見物のほうに酔いしれるように心がけるつもりです。
真理 03.08.21 (ご報告)
術後一回目の検診に行ってきました。echoなどの審査からは問題なしとの事。先生はとても信頼できる方で、半ば冗談を言いながら部屋をあとにしました。逸見正孝さんを始め、向井あきさん、その他色々な方の闘病記録を読みましたが、今の所みなさん、始めに誤診があったり医者に不審を感じてたりで診察が送れたりしていました。その点私はツイてると思います。週刊朝日でも女子医大は高い評価を得ていました。昨日まではずっと降り続いていた雨も止み、今日は久々に夏日和です。先生を信じ、自分も信じて歩いていこうと思いました。
ひろし 03.08.22
まずは一安心。再発の可能生はあるとするなら、再発しないということだってあるということですよね。形あるものいつかは毀れるし、命は永遠ではないけれど、生を受けたことに感謝し、限りあるこの命をどれほど謳歌できるかが一番大切なのかなあ、なんて思ったりしています。きのうあたりから岩手山がくっきりと姿をあらわしています。去年の秋頃「よし、生きていくぞ!」と心を固めた時、うっすらと雪がかかっている岩手山をみてしばしその麗々しい美しさに見ほれていました。心が落ち着くしなやかさがあります。
ひろし 03.08.22(今夜のメニュー)
盛岡も漸く夏が来ました。それで今夜は冷製スパとなりました。キーンと冷やした細めのパスタにトマトをベースに色とりどりの夏野菜といったあっさり味にチキンブイヨンとミュンヘンはダルマイヤーのちょっぴり脂身のあるハムを加えてこくを出した特製ソースを絡めていただきます。美味しそうでしょう。明日も花火を肴に宴会?そして明けて日曜日はワケースターズ主催のバーベキュー。週二回の合気道の稽古と一回のボクシングの練習ではとてもこのエネルギーを消化しきれそうにありません。ころころに太りそう!
ひろし 03.08.24(花火大会)
9時45分に駅に集合し、団体列車に乗り込むや、同行の藤原君は早速缶ビールとおつまみを調達。ごとごとと動き出す頃に天候の回復を祈って乾杯。車窓に見える稲穂の出来具合などを語り合いながらまたまたプシュという二缶目を開ける音がする。北上をすぎたあたりで昼食のお弁当とともに缶ビールが配られる。食後は藤原君は旅行グッツと称する袋からブラジル、韓国の焼酎などの入った180ccの小瓶を取り出す。お目にかかったことのないラベルの小瓶が目を引く。渋柿云々という能書きが見える。40数度の焼酎だ。
国産のウイスキーもある。一通り窓際に並べ立てる。どれもこれも口に合わない。渋柿云々の焼酎は文字通り柿の渋を抜く為の代物だった。口直しに群馬産の大吟醸を一口嘗める。鈍行に揺られての宴会も大曲にてお開き。30分ほどふらふらと歩いて会場へ。また車中と同じ酒瓶とビールの缶が並べられ一献が始まる。5時頃に夕食のお弁当が配られ、お腹もくちくなって横になって暫くしたら雨音に混じって辺りがドン、ドーンと騒がしくなる。傘とビニールで覆っていた体を起こして見上げれば、とりどりの煙が夕空にたなびいていた。
暗くなっていよいよ大曲花火大会の開催だ。時折激しく吹き荒れる雨をはじきとばすかのように勢いよく轟く雄叫びをあげながら花火が打ち上がる。大きな大輪が空一杯に拡がる。夜空にしなやかに舞う花火もあると思えば、さながら地球めがけてふる大流星群のごどき花火もある。ロック、ラテン、ニューミュージックあるいはクラシックの調べに合わせて色とりどりの火花が天空に舞い踊る。降りしきる雨も忘れて空を見あげることしばしば。肌までぐしょぐしょに濡れながらも時を忘れて花火に酔いしれる。10時半頃だったろうか。対岸のそこかしこからフィナーレを飾る花火が一斉に打ち上げられて圧巻の花火体会が終了。真っ暗な向こう岸から今度は花火師さんらがペンライトを右に左にかざしている。去りがたい一時だ。大いなる雨にたたられた大曲の花火大会だったが、来年もまた皆さんと来ようと思った。そしてこの感動を来年は更にもう一人の人も一緒に分かち合いたくなった。マリちゃん、来年ご一緒しませんか。
ひろし 03.08.26(ゆく夏)
バーベキュウ大会では若い人たちがてんでに昔懐かしい花火をかざして、さながら小さな小さな花火の舞いとなりました。寿和のリクエストにより昨晩は多田寿司が開店と相成り、ご飯が透けてみえる程のイカ、ほっき貝などはほのかに甘く、サンマはワサビよし、おろしショウガもまた美味にして、大トロ、中トロそして岩牡蠣の握りは絶妙な味わい。そして今日、冷麺とまたまた焼き肉を食べて寿和は東京へと戻っていきました。私はこれからボクシングの練習でたっぷり汗を流してざる蕎麦を食べて寝ます。お休みなさい!
真理 03.08.29
美味しいご馳走と、さわやかな汗を流したりで随分と快適な暮らしぶりですね!盛岡はもう秋の匂いが漂っていますか?昨日はバンドのメンバーとスタジオにて練習してきました!気の合う仲間なんで、とても楽しかった!仕事の鬱憤も吹きとびました。やっぱり趣味を持つことはいーですね!明日が終われば今週仕事は終わり!あっとゆーまの一週間でした。私は来年転職する予定で、今は惰性で通勤しています。早く来年にならないかと、今から待ち遠しいです。
私もなんやかやとゆっくりコンピューターの前に座る時間がとれずにおりまた。マリちゃん、お元気ですか?いつでも何か困ったことがあったら遠慮なく声を掛けてください。スーパーマンのごとくいつだって、どこだろうと駆けつけます。
真理 03.09.11 (暑い、暑い)
なんと東京は昨日から30度を越える真夏日。そんな中、朝から女子医大での検診に行って来ました!採血の結果を聞きにきたんだけど異常無しとのこと。取りあえず一安心。実際、前に比べたらそれほどナーバスにはなってなくて、普通に毎日を送っています!年末前に退職したら、いったん実家にでも帰ろーかとも思ってるんで、その時はまた多田家にオジャマいたします〜!(^O^)/ MARI
ひろし 03.09.12(秋風)
盛岡は時に秋風がそよぎます。今回も検診の結果は異常なしとのこと。おおらかな気分になっているマリちゃんの笑顔が浮かびます。私も昨日人間ドックで検査。糖尿の方は昨年より数値が下がり良好でした。来週、口腔外科にて経過を診てもらいます。悪くなっていたら治療するだけのこと。転職については分別に富んだ肝っ玉母さんから含蓄のあるアドバイスがあったようですね。結構、結構!
ひろし 03.09.22(忘却の秋)
18日の口腔外科の診療を失念し、今日行ったのですが、2週間後に再検査となりました。一昨日、福島で合気道の演武大会で演武をし、翌日は本部道場の道主の講習会に参加して車中ほろ酔い機嫌で盛岡に帰り、引き続き2次会は我が家となり、家族らの希望により網張の温泉に浸かってきました。午前中に口腔外科、午後は別の科で歯の検査。4時半からの会議に合わせて大学にきたらその会議は来週の月曜日でした。今日は3時から会議だったのですが、そちらの方を忘れていました。10月からは新学期です。忘れずにおこう!
ひろし 03.09.25(初夏の旅)
6月に帝国ホテルで食事をした翌日、私たちは伊豆に出かけたのでした。夏のような陽差しを背に喘ぐようにして坂を昇った高台に目指すペンションがあったのですが、部屋はさながらビジネスホテル並。窓越しに海を眺めながら一呼吸おいてご自慢の海を見下ろす露天風呂へと向かいました。隣の女性用の風呂場からわーわー、きゃーきゃーという小岩さんらしき叫び声が聞こえます。眼下の海へと目をやりながら風呂に浸かったら見えるのは青い空、手元を見ればそこかしこに虫が浮かんでいました。もう虫の息。
活きのいい魚と旨い肉のフランス料理との謳い文句はペンションの言い分でした。パンのお代わりを頼んだら、もうないからご飯にしてくれろとのこと。連泊の予定をキャンセルし、翌朝タクシーにて山越え、修善寺へとおもむきました。運転手さんにお勧めの宿を尋ねたところ、修善寺の奥の山間の天城湯ヶ島にある宿を紹介されました。広々とした部屋が3つ、応接セットが並ぶ窓際のこじんまりとした部屋が一つ、そしてさらに冷蔵庫が用意されている控えの間とあり、下から川のせせらぎが聞こえるのどかな宿でした。
ゆっくり風呂に入り、ビールで喉を潤し、竹のお銚子のお酒をこれまた竹のお猪口でいただき、山海の珍味に舌鼓をうち、ほろ酔い機嫌ですっかり夜の帳のおりた川沿いを散策すれば宵闇の中、源氏蛍が乱舞してそれはそれは美しくも懐かしいひと時でした。その宿からしばらく登っていったところにあの「伊豆の踊り子」で有名な浄蓮の瀧がありました。今日になって6月のあの旅行を話題にしているのはこの「浄蓮の瀧」に一言触れたかったからなのです。なぜかというに今日これから出かける先はなんと・・・
ぢぢいになると前置きが長くなっていけません。今日泊まる所は青森は白神山地の麓の「縄文の宿」というなんとも風情のありそうなお宿です。前置きの初夏の旅とは何の繋がりもないですね。ここにいたって気がついた。失礼しました!今夜はヤマメ、岩魚そして鮎などなどのご馳走。明日の晩は秋田に足を伸ばして、入りゆく夕日を眺められる風呂に浸かったら、夕餉の膳ではアワビの踊り食いにかぶりつく予定です。これすべて君の母君のご招待なのです。申し訳ないなと思いつつマリちゃんの分まで思い切り楽しんで来ます。
ひろし 03,09.25(メル友の愉しみ)
沖縄に遊びに行くと言ったきり連絡のなかった寿和に電話をしたら、寿和のたまうに、ピッチのメールを見てないの?知らなんだ。メールの開け方知らないの?何かの拍子でメール着信を知らせる機能をオフにしていたようです。あけたら3通着信。寿和のはすっ飛ばしてマリちゃんのメールを読みました。実はここ2週間ほど研究室に来てはコンピューターのメールを覗いては「なんだ、つまんないの!」という心持ちでいました。わかるかな?それでは行ってきまーす。
ひろし 09.10.06(元気?)
今日、口腔外科で診察を受けました。教授先生どこかに行っちゃって、見つからず明日改めて診てもらうことになりました。いづれにしても外来で処置する程度のようです。「秋風のなびく彼方に岩手富士、雪をいただき麗しきかな」一年近く前のこと、生きていこう!と堅く心に決め、岩手山を眺めていたらこんな文句が口をついて出てきました。この岩手山に見守られて私は生きながらえることでしょう。改名も考えているのです。タダノチョーメイと。
真理 03.10.06
素敵な詠子ですね!体調も良さそうで何よりです!さっき母からメールが来て、誕生日プレゼントを喜んでくれた様子!多田家訪問用に『とらや』のお菓子を贈ったんで、皆さんで召し上がってくださいな。
日頃の感謝の意をかねて。
ひろし 03.10.15(経過報告)
昨日の朝、一昨日の雨が上がって岩手山の頂き近くまで雲が昇り、六合目あたりの雪がちらりと見えました。昨日は午前中、授業と雑用をして午後、医大に行きました。手術、とはいっても外来の簡単なものでした。看護婦さん達忙しそうで、アシスタントに学生が呼ばれた時にはいささか不安にかられました。春の手術の時とはうって変わって今回はまずカップラーメンと同じ三分間、まずは舌にガーゼをあてての表面麻酔。リクライニングの椅子が傾けられて天井が見えたところで、看護婦さんが私の目にガーゼをかぶせます。
別に看護婦さんを追いかけてきょろきょろしていた為ではありません。次いで顔一面に白い布が掛けられました。口にマウスピースの様な物が押し込められて口はだらしなく開いたまま。舌が引っ張り出されていよいよ注射による麻酔です。先生、耳元で「キュイーン、キュイーン」と呟いている。注射のおまじないかななんて考えていたら、小声でアシスタントの学生に「ぼんやりしていちゃダメだよ。苦いんだから吸飲しなささい」と叱っていました。「煙が出たら吸飲ね」と先生。学生は「ハイ!」そのうち焦げ臭い匂いが漂いました。
「ほら煙がでてるでしょ。キュイーン!」「あ、ハイ」電気メスによる手術のようでした。「よし、縫おう」畳屋の職人の感じでした。5針縫ってお仕舞い。白い布きれも瞼のガーゼもはずれて世の中の様子が見えて来ました。小さな瓶に詰められた切開した私の舌の一部も見せてもらいました。23日の抜糸の際に病理検査の結果が分かります。まずはあまりおしゃべりすることなく、安静にとのことで、君のお母さんを駅まで迎えにいったものの車中では「うん」とか「すー」とか言うだけでした。
お粥を食べて痛み止めと化膿止めの薬を飲んだのですが、痛いのが果たして舌なのか、顎なのか、それとも後頭部なのか判然としなくて落ち着きませんでした。こりゃ眠るにかぎるとばかり9時頃には床に入ったのですが、明け方近くまでうずくような痛みにひたすら耐えていました。そしていつしか朝を迎え、ぼんやりとした痛みはあるものの春の術後の一週間と比べれば遙かにましです。今週はエキストラの講義が二つもあるのでちと忙しいです。明日の講義のハンドアウトはできたので明日はこれで適当に誤魔化します。
真理 03.10.17(遅くなりまして)
手術お疲れ様でした!何はともあれ、良い結果であろうことを祈ってます!普段、美味しいものを食べ、あちこち癒し系の遊びにも励んでるみたいなんで、絶対大丈夫ですよ!気がついたら腫瘍の専門医並の知識が身についてしまってて驚きモンです。何か解らない点があったら聞いて下さーい!そして、客観的に見て、私のも再発は無さそうです。ストレス源の職場ともあと一回行けば終わり!暫くは動かずのんびり暮らします。多田家にも顔を出すんで!楽しみにしてます!
ひろし 03.10.25(UFO?)
今朝9時頃、散歩で立ち寄った黒石野の高台の公園から黒中の方角を見やっていたとき、北上川の向こう岸の木立すれすれに北上していくオレンジ色の物体が目に入りました。ハンググライダーかな、それにしても木に引っかかりそうで危ないな、なんて気をもみながら眺めていると、やがてそれは空高く昇りはじめたのです。そのときになって、ありゃハンググライダーじゃないぞ、もしかしてUFO?岩手山の麓の焼き走りの方にどんどん飛んでいって、やがて小さな点になっていつしか見えなくなりました。3〜4分位のことでした。
家に帰って泰子ママに報告したのですが、ふーん!妹は信じてくれました。午前中ドイツ語の読書会に参加している方々はそれなりに反応してくれましたが、一応聞き置いてくれたのかもしれません。昨晩、ほだの会の皆さんと呑んだワインとビールのなせる目の錯覚だったのでしょうか?昨日、盛岡で開かれた看護学会のシンポジウムに泰子ママがシンポジストとして招かれ、無事発表できたのと、一昨日出た私の病理検査の結果が問題なし、そして足を骨折していた妹の全快などなどを祝って皆さんと共にシャンペンを開けたのでした。
思うに私はこれまでいつも幸運に恵まれてきました。どうしようもない不運など私を襲うことなど絶対にない、いつしかそんな風にさえ考えていました。いつも「死」を見つめていたのですが、それが悲壮な思いをしなかったのは茫漠とした明るい夢を心に描いていたからかも知れません。マリちゃん、いつ盛岡に帰ってきますか?とびきり美味しい前沢牛の握り寿司が待っていますよ。
真理 03.10.26
確かにUFOなら、かなりLuckyですよね! 近頃の私はなんだか時間を持て余してばかりで“こんなはずじゃ無かったー”とゆー感じ。来月は那須の温泉に誘われていて、かなり楽しみです!仕事してたら絶対、行けないんで!そのまま実家に帰りたい所だけど、中々予定が合わない感じ。でも、なんとか前向きに検討したいです。もーすこーし待ってて下さいね!
ひろし 03.10.28(待ってまーす)
いやはや、お母さんも喜んでいることでしょう。お母さんの方にも当然メールは届いていますよね。昨日、一緒に網張にほど近いアイノサワに行きまして、芋の子汁とバーベキューを堪能し、後片付けを君のお母さんらにお願いして、私は数人のメンバーと共に鞍掛山に登ってきました。帰りの車中で泰子ママが言ったところでは今夜のメニューは握りですので、君のお母さんも来るはずです。今夜の話題は那須のお宿とマリちゃんの帰省となることでしょう。あれやこれや楽しみです。
真理 03.10.27 (帰りまーす)
こんにちはー。やっぱり那須から直接、実家に帰ります!…とゆーわけで前沢牛ヨロシクです!
多分盛岡は冬なんだろーなー。10日の月曜までいる予定です!遅れたけど、検査異常無しで良かったですね!BBQやら楽しんでいるようで、ヤハリ精神的に安定していれば、おのずと体も生き生きしてくるもんですよねーp(^^)q
ひろし 03.10.31(UFO?)
泰子ママ曰く、「あのとき寝惚けていてよく聞いていなかったんだけど、どんなのだったの?」「オレンジいろっぽいやつでね、北上川の向こう岸の林の枝すれすれに飛んでいって、枝にぶつかりそうで、あぶないなあと思っていたら、どんどん岩手山の7合目くらいまで上昇していって、最後は微かな点みたいになって、いつの間にか見えなくなっちゃんだ。最初はハンググライダーかなって思っていたんだけど。あんなに上昇していくなんて絶対UFOだよな。」「それってハンググライダーでしょ!言ってたじゃない、あのハンググライダーのインストラクターの人。ハンググライダーは何時間だって空中散歩できて、途中でオシッコしたくなったら空中散布するし、岩手山の上まで飛べるって・・・」だってさ!
真理 06.11.03 (待っててね)
今新幹線です。もーすぐ着くので楽しみ!初め、話しを聞いたときは、多田夫妻がいるかと思ってたんですが、ちょっと残念な感じだけど、純粋に温泉旅行は楽しみ一杯!久々の自然で癒されてみたーい!あさってもとっても楽しみですよ! STUDIO(バンドの練習)さえなければ、もっと長居できるんだけど。今月のLiveはスカパーTVの収録があるから気合いいれないと!退院してから全然声が出なくって…。単なる練習不足なんだけど!とにかく充実した帰省になることは間違いなしp(^^)q
☆ MARI☆
ひろし 03.11.6(待ってま−す)
東京は雨模様のようですね。盛岡も今し方まで雨がちらついていまし。泰子ママたちは昨日那須に出かけていきました。私は仕事の都合で一緒に行けず無念な思いもしましたが、皆さんがしばしのんびりとした時間がもてることは私にも嬉しいことです。ましてや帰り車にはマリちゃんが一緒なのですから、明日が来るのが一層楽しみです。前沢牛の一番いいところは既に予約してありますので寿司はもちろん、明日の夕食も楽しみにしていてください。腕を振るいます。メニュー?来てのお楽しみ!
真理 03.11.11 (東京にて)
今回の帰省は那須の温泉にはじまり、多田家では贅沢な晩餐をみんなで味わい、とてもお腹いっぱいな充実した日々でした!パスタも日頃野菜不足だった私にとっては贅沢な一品です!美味しくいただきました。前沢牛も握りでは初体験で、やわらかさに驚きました!専属板さんに感謝!なんだか、至れり尽くせりで本当に有難うございました!おじちゃんのお茶目なモノマネも拝見できたし、楽しかったです!名残惜しく新幹線に乗ってきました。充分休んだので、そろそろ再就職の計画でも立てようかな、という気になってきました。おじちゃんも、その調子で仕事に食事に趣味に精をだしててください。次は年末に帰ります!間違えて岩脇の家のドアをあけないようにしなくちゃ!
ひろし 03.11.11(また会う日まで)
お疲れさまでした。慌ただしい帰省でしたが、マリちゃんなりに充実感があったようで何よりでした。最後の晩は焼酎をあおるようにして呑んだせいか、はたまたお銚子ならぬお調子に乗りすぎたのか、またまたすっかり酩酊してしまったようです。目が覚めたらパジャマを着ていつものベットの上でした。ちゃんと寝たのか、それとも寝かされたのか判然としませんが、聞くのが怖いのでほったらかしています。今月末には久慈高校で講演があります。今日は朝からコンピュータに向かって原稿作成に専念しました。
途中、くわー、くわーという音がするので外を見たら白鳥が6羽群を成して飛んで行くのが見えました。研究室はもう暖房が入っていて暖かいのですが、外は木枯らしが吹きはじめそうな気配です。暫くすれば朝な夕なに白鳥の姿を目にすることでしょう。白鳥がとんでゆく時のあの姿には見飽きることのない優雅さが感じられます。冬の楽しみの一つです。今夜は一度家に帰って、再度出かけます。ボクシングの夕べなのです。たっぷり汗を流して、風呂に浸かれば待っているのは・・・。たまんねぇ!
真理 03.11.16
体内時計が狂っていて、真夜中(早朝?)ですがバッチリ目が冴えてしまっています。盛岡はそろそろNewsでも白鳥が映されていますかー?こちらも徐々に冬の足音がしてきました。年末は毎年実家にて姉夫婦も一緒に紅白歌合戦を見ながら年越し蕎麦を食べるのが恒例となっているのですが、今年は温泉にでも行こうかと思っています。母も料理に追われ、いつも疲れているみたいなので、その方がみんな気兼ねなくユッタリできるよと姉と提案してみました。
話しは変わりますが、ここ何日か頭の中をある悩み事が横切ります。悩み事というと可愛らしい感じですが、この事は解決策がほぼ無い、に等しいので、悩んでも埓があかないのです。だから日頃はまるで気にしないようにしています。ひとたび向き合ってしまえば深い所までいかなければならなくなり、非常に疲れます。内容をお伝えするには一体どれほどメールを打ち続けなければならないか検討もつかない様子。きっと親指の指紋が消えてしまうでしょうから、今回は遠慮させてもらいます。私が聞きたかったのは、こんな具合に、出口のない迷路みたいな悩みを抱えた時はどーしたらよいのですか?という事です。また、おじサマだったらどう対処しますか?
今までずっと逃げてきた課題なのです。いつかは悩まないといけない事なのですが、うまくいきません。同じ所を行ったり着たり…。一日中頭を抱えている、という程のものではないのですが、やはり気持ちがスッキリしません。明日は休講でしょうから、気長にお返事待っています。なんでも良いです。酔っ払ったお話しでも!
ひろし 03.11.17
連絡が遅れてごめんね。たった今、大学に来ました。これから授業が二つ。そして会議なのであとでメールします。待っていて下さい。
素直になりなさい。強がることないよ。心配をかけるのが娘の役割のうちの一つです。これからもう一つ授業をしてきて、そして引き続き会議があります。返事は遅くなると思いますが、気長に待っていてください。そしてもしよければ君の携帯の番号を知らせてもらえないだろうか?今夜はお母さんがお食事にくることになっていますが、お母さんにはこの事は触れずにおきます。もし電話でお話できるようでしたら、そうしましょう。場合によっては木曜日でしたら都合がつきますので、東京まで出かけても構いません。
真理 03.11.17
なんだか心配をかけてしまっているみたいですが、強がりでもなく本当に大したことないんですよ。気兼ねなくお仕事に打ち込んできて下さい!今朝は早起きをして散歩してみました。やっぱり朝の空気は清々しい!今はカフェでパスタを頂いたのですが、リストランテ多田にはかないませーん!
ひろし 03.11.17(迷える老羊)
私はとりわけ若い時分には出口のない事柄に悩み、あちらこちらとさ迷っていたような気がします。悩むことが自己の存在の証しのような心持ちでいたこともありました。友人諸氏に訳の分からぬ抽象的な議論を吹きかけては悩み抜いていることを誇示しようとしていた気取り屋でした。時には恋愛、来し方行く末などをまじめに考えて指導教授を心底ハラハラとさせる悪戯坊主のこともありました。ただ、すべてに共通していたことは悩みを一人で抱えなかったことです。じじいになった今もっても尚も迷える老羊です。今も頭がじんじんとするくらい迷い、考えることもなきにしもあらず、といった処でしょうか。最近はあっさりどなたか信頼出来る人に素直にすべてを吐露することが多いかな?君のお母さんだったり、泰子ママだったり。その前に考え抜きます。若い時分は悩みそのものを箇条書きなんかして、自分ながらに整理したりしました。ともすると自分のポーズが見えてきて悩むことをあっさり捨ててしまったりしたこともありました。もちろん、今のマリちゃんの悩みを青春のポーズだ、というのでは決してありません。
私は若い時分からあびるほどお酒を呑んできました。嬉しいにつけ飲み、悲しいにつけ飲み、何もなければそれを愉しみに飲むといった具合です。飲んで、泣いて、酔いつぶれてそして目を覚ましたら、もうしたたかに立ち直っていることも度々ありました。兎に角、私は猪年ですのでまっすぐ突き進む質です。問題を直視し、問題から決して逃げる事はしませんでした。それだけに出口がみつかりにくかったのかもしれません。そんな時考えもしなかった処に出口を暗示してくれる人がいました。どこかに絶対います。
マリちゃん、君が悩んで居る間、私は12時近くまでビールや玉子酒そして酎ハイを呑みながら君のお母さんらと麻雀に興じていました。君が私にメールを送っていた頃、私は深い眠りの中。6時を少し廻った辺りでベットから身を起こしたら雲間から雪が麓の方まで下りてきた岩手山が目には入ってきました。昨晩のカロリーを考えて朝食はカットして、ジョイと1時間ちょい散歩してきて朝風呂につかり、お昼にちょっぴり肉とたっぷりのキャベツの入った博多ラーメンを食べて大学に来ました。そして授業をこなし、2時間ほどかかった会議は折しも体がピクリと前のめりになるのを誰にも悟られぬ極意で乗り切り、君へのメールを送り続けていたら、着信のお知らせ。余計な他のメールをすっ飛ばし、携帯番号を確認したところで、これにてしばし中断。腹減った!オラ、い(家)さけ(帰)って真っ赤なチゲ鍋を食うだ。あとから電話します。バイバイ!
真理 03.11.17
老羊さん、ありがとうございます!なんとゆーか、今日はとってもよいリズムで行動でき、さっぱり悩みの事は考えずにいました。落ちる時はどっぷりハマるのですが、基本的には楽天的な私なので、おじサマのほうが変に振り回されないかとヒヤヒヤもんです。携帯は090-2156-****です。
ありがたーいお言葉、本当に有難うございます!!一言一言しっかり胸に刻みましたよ。
本当にいつでもいいですから!今日はとことん飲んで下さい!本当にしんどくなったら、ピッチにメールしますので!
真理 03.11.18 (お礼)
昨晩は本当に忙しい中お付き合い有難うございました。おじ様には不思議な力があるみたいで、電話を終えてからとゆうもののスーっと気持ちが軽くなりました。話せてよかった、と心底思いました。わりきんなきゃ、とは思っていたものの、後押しされたことにより更にその思いは確実な物になりました。もう意識しなくても割り切れる感じです。晴々とした感じです。さすがはSuperman!どれだけ私にとって有り難い時間になったことか、おじ様には解らなくても私には解ります。本当に感謝しています!
ひろし 03.11.18(よかった)
最近は朝の冷え込みが一段と増し、ジョイの散歩を終えて家に帰り着いて風呂に浸かるとほっとしみます。今朝は朝一番の授業があったので革ジャンを着こみ、皮の手袋をはめてキーコ、キーコと自転車で大学に向かい、息を切らせながら授業。そして会議を済ませて幾分暖かくなった冬の陽差しを背に受けながら一端帰り、昨晩の残りのチゲ鍋をふーふーいいながら食べて又出校してきました。あれやこれや雑用を済ませ、これから又エキストラの講義に出かけてきます。今日のテーマは文学作品をいかに言語学で切り刻んでいけるかということですが、これがどれくらい尤もらしく解き明かせるかが鍵になります。夜はボクシング!行って来ま〜す。
真理 03.11.25 (那須にて)
ふぁー。露天風呂から見る月は見事でしたよ!その後、アタラクシヤとゆう、サウナと床暖の中間的な部屋にて軽くまどろみ、また湯につかり今は四人で部屋でTVをみてます!『白い巨塔』をみてから寝る予定です!さてさて明日のメニューですが、何も知らない泰子ママさん、あっさり種をばらしてくれました!といーわけでスープパスタ楽しみにしています!おやすみなさーい
ひろし 03.11.25(連日例の如し)
21日金曜日から連日パーティーのいう名の飲み会、食事会の積み重ね。22日は嘗て同僚だったドイツ人が盛岡に来て、来日25周年記念のパーティーを主催し、2次会にてお開きでしたが、家では麻雀が開かれており、途中から参加。ビールを重ねてパイを並べて深夜になって床につきました。明けて22日は医大の卒業生の結婚披露宴に泰子ママ共々出席し、心づくしのご馳走を堪能。そして10時頃から、またまた12時頃まで麻雀。あくる日曜日は仙台でのリバーダンス見物のアッシー君を勤めました。
連日の飲み会のため、運転に終始!高松のコンビニにて藤原君にビールをあてがいました。横の席から聞こえてきたのはプシュっと缶ビールの栓を開ける音。生唾を飲みながらひたすら高速道路を仙台に向けてまっしぐら。32年前にお見合いをいたした懐かしい仙台ホテルの中華レストランにて昔の話しに花を咲かせながらあれやこれやのご馳走に箸をのばしました。奥様方リバーダンスを見物している間に、私と藤原君は私の生地を訪れ、山の上の温泉に浸かってきて、再度仙台にて奥様方と合流。
そして昨日は新幹線にて親戚の子供の結婚式に出席。シャンペン、ビールに紅白のワイン。帰りの新幹線を待つ間にもう一杯生ビール。帰ればまたもや麻雀でしたが、私が帰り着いて早々にお開きとなりました。今日はこれから会議そしてエキストラの講義が続きます。明日は久慈高校で出張講義。夜は結婚31周年記念にて三陸沿岸のどこかの宿舎を藤原君の義弟が手配してくれています。料理長が「何を出したらよかんべ?」と言っているそうなので、これ又楽しみではありますが、もう一つの持病の血糖値がいささか気に掛かり出しました。しばらく断食でもしようかな?
真理 03.11.27 (立直一発ドラドラ)
その後も忙しいなか、せっせとお酒をあおってますか?私もLiveを終え、バンドのメンバー宅で飲んだりしてました。今日は昔のバイト仲間宅におじゃまします。あー私も麻雀がしたーい!年末は必ずお相手して下さい!それまでに母があまり強くならないようにお願いしますよっ。
ひろし 03.12.03(再就職おめでとう)
今日も一日お仕事ご苦労様でした。新たな勤務先が溌剌と働ける職場であることを心から祈っています。私はこれから夜の部の仕事に出かけます。火曜日から木曜日までは帰宅が9時過ぎ。それから一杯呑んで、蕎麦などすすって寝るという日々なのです。なんだか疲労が蓄積されてきたような感じですが、ここはもう一踏ん張り!あと暫くすれば冬休みに入ります。それにしても岩手山は初夏に向かう頃の様相を呈しています。タイヤも交換したのですが、いつになったら町は白一色になることやら。お休みなさい。
真理 03 .12.06(ただいまー)
携帯がうっかり払い忘れで止まってましたー。盛岡寒そうですね!就職先は何の不満もなく、楽しくこなしていますよ。衛生士とは違った面白さもあり、当分は続く事でしょう。今日はLiveだったのですがスカパーのTV収録があり早めに集合したのはいいものの、本番まではなんと5時間待ち!メンバーとの会話もそこそこに携帯のゲームでひたすら麻雀を打つ私でした。ベースの長谷川君は麻雀歴のあるヒトで、色々アドバイスをくれました。そして二人でギターの奥田君(麻雀歴無し)をメンツにいれようと口説きたおしてました。「覚えると楽しいよー。やりなよー。長谷川君家に牌あるから飲みながら三人でできるよー。教えるよー。」
奥田君も訳のわからぬままその気にさせられ、まずは基本ルールを強引に伝授。そして食材の買い出しでコンビニへ行くと牌がカードになった『カード麻雀』たるミニゲームを発見!迷わず購入!他のバンドの奇妙な視線をよそに「ポン」「立直」を連発する御一行でした。年末は『雀荘ただ』へ行かなくては!ある意味中毒ぎみ。とは言っても知らない人とは対戦してないのでご安心を。あー早くみんなと打ちたい!
ひろし 03.12.11(さわやかな朝)
明け方近く目を覚ましたら窓辺から夜の闇を通して明かりが差し込んでいました。空にまん丸のお月様が浮かんでいるのが見えました。やがて日が出た頃合いにまたもや目を覚ませてジョイと散歩に出たらそのお月様は岩手山の天空にかかっていて、朝日がさしてうっすらと赤みを帯びていた岩手山の頂は見る見るうちに全体が赤く輝きだしたのです。明け方近くに一度目がさめて、そして朝ぼらけのひんやりとした散歩道を歩けたのが、どことはなしに嬉しく思えた朝でした。
真理 03.12.12 (爽やかな朝)
散歩道の景色が目にかんできました。私も仕事をしてから朝に強くなり漸く規則正しい生活を送っております。早起きは三文の得とはよく言ったもんです。東京も冬気候。でもまだまだ盛岡にはかないません。年末の帰省が恐ろしい!
ひろし 03.12.22(物騒な世の中)
君の実家ではこの年の瀬もおしせまった今なんとも物騒な事が生じたものの、タマお姉さまはいち早く気持ちを切り替え、折々阿部幸信師匠の手ほどきを受けながら麻雀に励んでいます。いつかは私と二人して練習したこともありました。マリちゃん、仕事に差し支えぬ程度でしっかり練習せねば、遅れをとることにもなりかねませんよ。
ひろし 03.12.22(冬休み突入)
昨日、合気道の稽古に続いて、我が家で忘年会。稽古の前に準備をしておいたサラダを出して乾杯のビールを飲み、そそくさと下の台所に行ってクリーム仕立てのペンネをつくってからはどっかりと腰をおろして、ビールを飲み、ギリシャのスピリッツを嘗め、紹興酒から果てはどぶろくなどなど、我ながらよく飲みました。日もとっぷりと暮れた頃に中締めとなって、若いのから年よりまで皆さんカラオケに出かけました。私は居残りでした。酔っぱらってしまっていて出かける気力がなかったのです。授業も終わり冬休み突入!
ひろし 03.12.22(コンピュータ)
藤原君が重い腰を上げてやっとコンピューターの買い入れの手配をしてくれました。ただ今何かを調整中とかで持ってくるのは木曜日になります。NTTにADSLとやらの工事依頼をしたところ混んでいるので1月半ばになりそうな気配で、それも仕方ないなと承諾したら、他社のADSLとの規約があるので、それを解約しなくてはならない事が判明。BBフォンとやらと契約したのですが、それは回線がうまくつながらないので、契約解除の連絡をしているのですが、未だに未処理にて未だに大学でしかメールの送受信ができません。
真理 03.12.22 (今年もお疲れ様!)
いーなー冬休み!私は29日まで仕事です。おそらく帰省は30日が固いところ。麻雀は携帯でしかやってないので、まだ相手の捨て牌からへの狙いが読めません。自分の役作りで精一杯。それにしても空き巣にはビックリー!新宿より治安わるいなんて!多田家もお気を付け遊ばせませね。お酒も、泥棒さんに出くわしても夢か現実かの判別が付く程度に!
ひろし 03.12.24(帰省)
堅気の皆さんは29日までお仕事なんですよね。私は今日の会議が実質的な仕事納めとなりました。昨日からは私的な仕事たる大掃除に追われています。それにしても寄る年波には勝てず、窓を一つ拭いてはへんなりとしています。ほとほと若い君たちが羨ましい限りです。マリちゃんの帰省がいつになるのかメールにて聞くよう仰せつかったようなのですが、なにせヘベのレケの時の話で記憶にありませんでした。タマお姉さまに伺ったところ、「ワガンネ」とのご返事でした。30日に握り寿司ということで予定しておきます。
ひろし 03.12.25(お正月)
新しいパソコンが届きました。でも、NTTとの契約が出来ていないのでメールはしばしお預けです。この冬休みは新しいパソコンとプリンターでのお遊びに忙しくなりそうな気配です。30日は握り寿司を予定していましたが、魚は29日までだそうで握りは次回の帰省ということになります。今回は牌の握りということにしましょう。キリン状態でマリちゃんの帰る日を待っています。風邪をひかぬよう気をつけてね。
ひろし 04.01.09(始動)
昨年は来し方行く末を見つめることのできた年であったように思います。新玉の年を迎えマリちゃんの溌剌とした笑顔には大きな勇気をもらいました。私もコンピュータ相手に4日から仕事に打ち込んでいます。お互い「今」というこの時を来し方行く末と繋げながら明るく楽しく過ごしていきましょう。
真理 04.01.10 (チョンボ)
今週末は三連休だったのですね!しらなかったー。成人式なんて随分前だし…
明日は無理して予定を入れたものの、金曜の夜とかに頑張れば実家に帰れたのにー。今晩は母がお邪魔しているとの事ですが、私の分も楽しんでもらう事にします。追伸・アロマかなり気に入りました!ほのかな香りの如く、ゆったり過ごせるよう精進します。なんちゃって。
ひろし 04.01.16(有難う)
この上なく嬉しいご報告をありがとう!冬らしさに包まれた盛岡の町が一層煌いているような気がします。今宵のビールはまた一段と美味さを増しそうです。祐介が2年がかりで取り組んできた矢巾町の小学校が昨日漸く落成式に漕ぎついたので、今夜はその祐介の労をねぎらって阿部ご夫妻もお招きして鋤焼きです。タマお姉さまは御髪を整えて8時ころのお出ましです。
真理 04.02.15(ご報告)
この頃寒ーい日々続きですね!お具合はいかがですか?ポン酒であったまってますか?私は今日、婦人科の検診に行ってきました。異常無しの結果に胸をなでおろしています。新年早々、花巻温泉で獅子踊りのような見世物を拝見し、獅子(母曰く、〇〇の神)に噛まれたからか、泰子ママからいただいたアロマがきいたのか、みんなの願いも勿論、いろんな所から幸運を頂戴しているような気がしてなりません。温かいことです。気持ちだけは春の木漏れ日のようです。
ひろし 04.01.18(小休止)
今日は朝から入試センター試験の現場監督のようなもので、頃合を見計らって交代で休憩してはいるのですが、ホトホト疲れました。今は最後の「公民」の試験の途中の一休みです。日中はまばゆい陽差しが研究室に差し込んでいましたが、夕暮れ時となってどことはなし淋しげな光景が窓の向こうに広がっています。今夜はモツ鍋を食して半荘となるようです。
ひろし 04.01.18(終わった!)
入試センター試験なるもの日本全国一斉に催される試験ゆえ、試験の合間に雑談、余談はもとより、放談などもっての外。どこかで作られたマニュアルに倣って同じ時間帯に誰もが同じことをのたまうのです。私の受け持ちの会場は受験生が多いとこともあり、1時間目は4人の監督体制、それ以降は3人になりましたが、それぞれの時間帯に分刻みの休憩時間を設定しました。休憩時間を設定するのも良し悪しで、今日は会場を通算12回往復しなくてはなりませんで、それが却って疲れる要因になったかも。でも試験場にへばりついているのは、そりゃもう退屈の一言に尽きます。パソコンを持ち込んで麻雀に興ずるわけにもいきませんし、鼻毛を抜いて机に並べることもままならず、ただ忍の一字あるのみという過酷な一日なのです。学部長が言っていました。センター試験を乗り切ればもうすでに一年間を無事に果たしたも同じです、と。昨晩はタマお姉さまのビーフシチューをご馳走になった上、祐介から借りたジャー式のお弁当にも暖かなシチューがありました。そろそろ学内の受験生もまばらになったことでしょう。モツ鍋とビールが待つあったか我が家に帰ることにします。明日からまた授業が再開です。早く春休みになんないかな〜!
真理 04.01.18
監督お疲れ様でした!ながーい一日だったのでは?私は昔のバイト先の友達♀とパスタランチ→ケーキ屋、と食べ歩きをしていました。先日オモチャ屋で『〜TVにつなぐだけですぐできる〜麻雀』という物を目にし、即購入しました!コントローラーは小振りで携帯もできそうです!私も帰ったら半荘です!徹マンにならないように気をつけますp(^^)q
真理 04.01.30. (荷造りはできましたか)
明日から温泉だと聞きました。一緒にいけないかわりに母に伝言をたのみました。どうか楽しい旅行になるように!
母のこと頼みます!
ひろし 04.01.30
新しいコンピューターで我が家からマリちゃんにメールを差し上げようと試行錯誤したのですが、いづれも誤作動なのか受け付けてもらえませんでした。さらに考えぬいたすえに大学のコンピューターに送って、さらに転送することにしました。これから送信するものはその涙の結晶です。漸く我が家でインターネットとメールが可能になり、ウイルスバスターとやらを買ってきてインストールし、ここに目出度くいつもの通りのメールが送れるようになりました。初めに設定してもらったメールの機能は大学のとは異なっており、年寄りの私にはチンプンカンプンにて電話で大学と同じ機能のメールの設定の仕方を教わってここまで漕ぎつけました。セキュリティに関するオンラインユーザー登録をせよ、メールのユーザー登録をせよ、と画面に出てくるのですが、登録の方法がわからぬのでしばし無視。インターネット、メールはともになんと無線式なのですが、モデムとかいう代物は1階にしか取り付けられれず、通称3階の屋根裏の仕事部屋まで電波が通じず、パソコンを抱えて、はしご段をギコギコと降りたり上がったりしています。でも一日に一回はメールの受信をするようにしますのでこれからはいつでもマリちゃんのメールを読むことができる筈です。大学のメールを我が家で読めるように設定してもらったのです。モデムとパソコンを持っていけば、明後日から滞在する大沢温泉でもメールの送受信が可能・・・だと思います。
それにしても携帯電話といい、かようなパソコンなぞついぞ思いもよらぬ世の中の移り変わりで、置いてけぼりになりそうなところをたよたよと追いかける自分をみるにつけ、空恐ろしささえ感じるのは歳のせいでしょうか。今夜はこれから合気道の稽古です。爽やかな汗を流せば、きりりと冷えたビールがからからの喉を潤してくれることでしょう。大沢温泉では雪を眺めながら優雅な麻雀三昧の湯治となりそうです。ビール、ウイスキーは仕入れを済ませたし、面子も揃っているので明日からは麻雀三昧の湯治となるばかりですが、今夜も軽く前哨戦と相成り、祐介に1万4千を振り込んで私はスッカラカンのオケラで終了する終わり方にて、はっぱり、おもっしょくもねえ前夜祭でした。この祐介君、火曜日から11連休とかで東京さ行くそうです。兄貴の分も含めてお小遣いもあげる羽目になり、散々な一日でした。お休みなさい!
真理 04.01.31
昨日はとんだ前日でしたね!おもしろく拝見しました!筆まめ?なおじ様からメールがこないので恐らく操作がうまくいかないのかなーなんて思ってはいました。この何日か私もちょっとハードでしたし、なかなか送信できずにいました。とにかく、愉快な仲間と楽しいことを何かしらしているようで、安心です。笑うとナチュラルキラーという免疫細胞が増えるので、医学的にも健康にいいらしいですよ!いつまでもいつまでも笑ってて下さい!
真理 04.02.02 (HAPPY
BERTHDAY)
改めまして、お誕生日おめでとう!!この年が幸せな一年になりますように…。旅行のお土産話は母からだいたい聞きましたよ。プレゼントとっても喜んでくれたみたいで私もとっても嬉しいです!お返しのお手紙クビをながくしてお待ちしてまーす!風邪などひかぬよう、お元気でいてください。
ひろし 04.02.04(プレゼント多謝)
私の57回目の誕生日にあたり心のこもった素敵なプレゼントそして手絵を下さり感激そして感動しました。仲間うちで仮通夜と称する第1日目にプレゼントの贈呈と手紙の朗読がありました。生きてきたことが嬉しくそしてこれからの人生への大きな足がかりになりました。仮通夜では軽く半荘をこなした後、目をこすりながら一転して授業の資料造りに専念していました。夜も更けてみなさん床に就いてから、タマお姉さまと何時間も君のお父さんのことそして君や、順ちゃんのことなどあれやこれやお話しました。私としてもきちんと対応したく、敢えて立ち入ったことまでタマお姉さまに伺ったりして私の思うところなども話をさせてもらいました。お母さんとしては今幾多の心の揺れ動きに負けずに自分を支えるのに精一杯です。マリちゃん、私が必要な時には遠慮なしですぞ!
真理 04.02.04
やはり筒抜けでしたか!それなら話は早いです。色々あったけど、今は父の身を案じるのが精一杯です。正直、母の動揺にまで気がまわりません。(私がまいた種ですが)1番しっかりしてほしい人なのに…。おじ様に甘えるなら、どうか母のお守りをお願いします。大それた事でなくていいです。(疲れてる時愚痴を聞いたり今迄通り食事をしたり)母がダメなら私が実家に帰って看病するつもりです。今すぐにでも変わりたい気持ちです。なぜなら考え悩みながら看病している(する)様子だからです。私からすれば全く理解不能!やや切れ気味。すいませんこの話しを他人(ここでは私、順ちゃん、父、母以外)に理解してもらえるには10年くらいかかるんじゃないかと思います。底無しにドロドロして複雑に絡み合ってますので。お気持ちはかなり嬉しいのですが、あまり無理をなさらないで下さい。私はおじ様まで暗い顔にさせたくありません。私の大好きな、いつものニコニコ顔でいて下されば、もうそれだけで安心できます。心労でバッタリ、なんて事が万が一にもあっては、私はこの先立ち直る自信がありません。今さら遠慮なんかはしませんが、おじ様が元気でいる、それだけが何よりも嬉しいのです。
ひろし 4.02.09
2月2日は本葬と呼ばれた誕生祝となり、いつもの面々が集まってくださり、例によって割烹「ただ」の開店となり、島香魚店からもお祝いのウニが届けられ、マリちゃんから戴いたお箸でお料理を堪能し、楽しいひと時を過ごして床に就きました。当分の間このお箸は特別料理のときだけ使わしてもらいます。そして数日して改めてお祝いに三陸のなまこ、カニなどが届き、またまたご馳走にあずかりました。有難いことです。昨晩は合気道仲間の遅い「新年会」が催され、久々に町に出てお酒を飲んできました。今日は日独協会の雑用をこなし、頼まれた写真を試行錯誤しながらプリントアウトし、今しがた一風呂浴びたところです。手紙を書きたいところですが、日曜日は材木町のお店が閉まっているので和紙が手に入らぬ、と勝手な理屈をつけてそれは延期にしました。風呂につかっていて何とか家からメールをマリちゃんに送れないものかと思案していたところ、私のピッチを経由して送ることを思いつきました。先ほどから下は雀荘になっています。タマお姉さまも少しは生き抜きも必要なはずです。日ごろの仕事と雑務に加え、夫の病院への行き来やら彼の用事もすべてこなさなくてはならないのですからね。マリちゃん、遠く離れていて何かと心配でしょうが、今は何よりも落ち着きましょう。さして頼りにはならぬけれど、この私が君はもとよりお母さんもお父さんも見守ります。オラも東京さ行くべかなとも思ったりしたども大丈夫だね。さて、私も雀卓を囲むことするかな。我が家のコンピューターは携帯等へはつながらぬようにてまたまた研究室にきて改めて送ることになりました。お粗末!
真理 04.02.17
お手紙拝見しました!わーいわーい(^O^)
内容を知る前に、わざわざ墨をすって書かれたことにびっくりしました。あんなにも長い文章を書き上げるにあたり、どれだけの集中力を要したことか…。またまたおじ様の新たな才能に気付く事が出来ました。そしてこれまでの人生観をほんの少しですが、私も理解できました。以前、泰子ママさんからお聞きしたのですが、ご自分の周りの人達や出来事や、様々な物に心から感謝しながら生活していらっしゃるようで、それこそが最大の幸せだとわたしは切に思います。というのも最近私もその事を心から、本当に心の奥底から痛感しているのです。一月の再診で異常なしとの報告を受けた日、冬晴れの青空が頭上を覆っていました。そして自然と青空に感謝していました。それからというもの、周りの人達や自分を取り囲む全てのことに感謝することが出来るようになったのです。今の私には憎しみも妬みもひがみもありません。そのことが、これほどまでに清々しく眩しい程に嬉しい事なのか、と日を追うごとに痛感しています。そして最近はその心が相手にも必ず伝わるのだと確信しています。私の再診の日の日記にこうあります。『(概要)私は放漫というか傲慢、世の常を知らない人だ。辛ければ辞める。楽しくないならしない。誰かに迷惑をかけるのもやむを得ない。だからきっと「周りを見なさい。周りの人達に感謝しなさい」という天の声が病という形になって現れたのでは?と今なら思える。そしてその事は痛い程感じたし、これからも変わらない。1つ「有難う」を伝えると1つ「嬉しい」になる。誰の言葉でもなく今の私の心情。気付けてよかった。だから今頃神様も笑ってるよ』病気に意味があるのだとしたら、私達はその意味を静粛に受け止める事ができたんだと思います。これからもその恩恵を忘れず明るく楽しく生きていきましょう!長くなってしまいましたが、今後ますます達筆名人として段をあげたいのであれば、永斗真理の『理』を練習されますよう申しあげます! かしこ。
ひろし 04.02.11(春)
私がいつの頃から携帯電話を持ち始めたのか記憶が定かでないほど昔の話のようです。もっとも昨日何を食べたのか思い出すのに苦労するくらいボケ始めてきているので、それほど大昔のことではないように思えるのですが、いずれにしても祐介のお古を貰ったのがきっかけとなり、それも壊れて新たに買い求めたこのピッチも年代物となったものの、電話としての用は果たしているし、況や使用料の口座引き落としが叶わぬ時なぞは契約会社の督促のメールはでかでかと表示されるのです。それなのにその他のメールについては着信の知らせすら怠るようになってしまい、真理ちゃんの5件のメールは機械の中におとなしく収まったままでした。朝な夕なにいそいそと屋根裏からコンピューターを二階に運んできてはメールを確認してうなだれる日々でしたが、ピッチへの充電を終えるや早速コンピューターに転送し、老眼に優しい大きな文字で久方ぶりにマリちゃんの便りに見入りました。13日の金曜日は学生とのコンパを終えて千鳥足で帰宅したところ、メンバーが入れ替わった雀卓のご開帳でした。マリちゃんが来るとか来たとかとの言葉を背に受けて、おぼつかぬ足取りで梯子を上り下りしてコンピューターのスイッチを入れ、またまたうなだれて冷蔵庫からビールを取り出し、うとうとしながら仕上げの一杯を飲み干して床に就いたのでした。火曜日は会議が長引き、ボクシングの練習ができぬまま帰り着いたら、またもや新たなメンバーでのご開帳にて、居酒屋よろしく、残りの鮑をつまみにビール片手にタマお姉さまとしばしお話をしてマリちゃんへの電話と相成った次第でした。今朝はまた冷え込んだようにて岩手山がくっきりと望めました。寒い日もあるものの春は確実に歩を進めているようです。つい先だって裾野まで広がっていた雪はもう消え始めていて、まるで裾の辺りをバリカンで刈り上げてきたやんちゃ坊主の頭のように下の方は幾分青々と映って見えました。目を上げれば頂の雪も消え、こちらはさながら天井禿げの親父の頭のようにて、妙な春の訪れを感じとめています。やっと本題の春にきたところで今日のメールはお仕舞いです。
真理 04.02.18 (手強しPC)
先日は泰子ママさんと、小岩さんまで父のお見舞いにいらしてくれたようで、有難うございます。更に母のお世話まで本当に多田さんご夫妻が近所にいてくれて私としては大変安心しております。なんでも話せたり、一緒に遊んだりできる仲間がいることは素晴らしいことですね。一応、今度の週末家に帰る予定ですがお礼をかねて多田さん家にも寄れたら、と思っています。未定ですので、あまり特別な準備などはなさらないで下さいね
真理 04.02.19
こちらも空気はすっかり春の臭いがします。父の入院前、実家に帰った際に私はおそらく生まれて初めて岩手山をマジマジと見ました。これが例のおじ様がよく言う岩手山か、と。その日はとってもいい天気で昼ごろ用事がてら表へでたのですが、綺麗な三角形がくっきりと浮かび上がっていました。張り詰めていた何かがパリンと弾けて、気がつけばわけもなく涙していました。あの時は不安でイッパイでした。今はどういうわけか平静もいいところで、だいぶ落ち着いています。よく食べ、よく眠れますし。おじ様と電話できたおかげでしょうか。本当に家族同様に心配なさって、色々考えてくれて感謝しております。ありがとうございます。泰子ママさんにも私は元気だとお伝え下さい。
ひろし 04.02.24(待ってます)
折々降る雨が岩手山の雪をも流し去り、筋状に山肌が見え隠れしています。研究室にも穏やかな日差しが降りそそいでいます。君のお父さんは今ごろ病室で何を思っているのでしょうか。マリちゃんにとっても辛い告知だったことでしょう。お母さんの表情にも重くのしかかる影が窺えます。余計なこととは思いつつも私も思うところを言わせてもらったら皆さん同じ考えのようでした。明日、盛岡に来るようですね。一緒に食事をしましょう。待っています。
真理 04.02.27
姉がくることになったので食事はなくなったと母から聞きました。お気遣い有難うございます。はっきり言ってもう平静なんかじゃないです。どうしたらよいのかわからず、日々を送るのが精一杯です。仕事も割り切って臨んでいても気付けば涙が溢れてきます。覚悟なんかしたくないというのが本音ですが、そうともいかず、時間は無情にも過ぎていきます。自分の時よりも辛いです。してあげられる事があればいいのですが、側にいていいのかわかりませんし、ただただ無力さが辛いです。どこにどう願っても変わらぬ現状が哀しいです。
真理 04.02.28(ご報告)
重ねがさねご心配をおかけしていますが、今日のところは父も同席し医師の説明を受け、家族側としては抗がん剤治療はしないと意見が一致しました。父は判断力が鈍っていました。私が思うに、受け入れたくないという感情と実際には言うことを聞かない自分の体の現状の狭間で揺れ動いているからだと思います。返事は火曜までに病院側にしなければならないので家族側の意向を伝えたいと思っています。その後の転院にかんして、父の精神状態も考慮しながら私は全ての事を本人に打ち明けるべきだと考えています。医師は今日、治療しても延命にしかならない、という事は申してませんでした。転移はあると言っても私達が知りうる程に多いとは父はまだ知りません。いきなり全てを言うのも酷だろう、という考えなのでしょう。母も父には希望を持たせてあげたいようです。私は色々考えた末、父には全てを知り、受け止め、第二の人生観を持って、安らかに旅立ってほしいと思います。可哀相だから、と私達が考えて言葉は悪いけど、父を騙してありもしない希望を持たせる事が一番残酷なように思えます。父の人生なのだから、最後の幕が降りるまで父が主役だと思います。言っても地獄、言わなくても地獄、でも例えば交通事故などで亡くなった場合、本人や遺族には未練が残ります。なぜなら死期を知らないからです。病の時は脳や心臓の一部の病気を除き、自分の限りある命をだいたい予測できます。人間誰もが死はn避けたいと思っていますが、変わらないものは変わらないし『ある』ものは『ある』のです。母は父には事実を知って受け止める度量がないと思っていますが、私達だって段階を踏んだもの、受け止める事ができました。きっと遅い早いはあれども、誰もが出来ると事だと思います。脇役の家族が良かれと思ってすることが余計なお世話であり、父にとって人生の集大成をすべき大切な時間までも奪うような事になってはいけないと思います。「もっと生きたかった」と最後に思うのと、「今まで有難う」と思うのでは大きな違いがあると思います。仮に知らせない場合でも自分の衰弱していく様をみて、不安な時間が増え、結果、望みが叶わないとなれば「生」に執着したことにより、言いたいことも言えず、独り未練を残した旅立ちになってしまうかもしれません。まだこの件に関しては母には理解してもらってはいません。母は自分がその立場だったら知りたくないと言って余計なお世話であり、父にとって人生の集大成をすべき大切な時間までも奪うような事になってはいけないと思います。「もっと生きたかった」と最後に思うのと、「今まで有難う」と思うのでは大きな違いがあると思います。仮に知らせない場合でも自分の衰弱していく様をみて、不安な時間が増え、結果、望みが叶わないとなれば「生」に執着したことにより、言いたいことも言えず、独り未練を残した旅立ちになってしまうかもしれません。まだこの件に関しては母には理解してもらっていません。母は自分がその立場だったら知りたくないと言って変わると思います。諦めたくないという思いが結果、悔いになるのだと思います。父はきっとこの2、3日が山であらゆる雑念、恐怖、不安にさいなまれているでしょう。結局、病状を詳しく知らないというのも悩み続ける要因だと思います。明日また病院に行って少しばかり話してきます。転院に決まったものの、まだ家族の思いは微妙なズレがあるようです。私も母も頑固者ゆえ、時間がかかるかもしれません。後日、改めて母から今日の事は話があると思います。「老い」と「死」は誰もが通る道です。そのうえで母や父と話ができたら、と願っている次第です。 読み返しもせず、出来上がった文章を送り続けたため、内容がうまく伝わったか気掛かりですが、なんとかこの乱文を解読されることを期待しながら床につきたいと思います。
ひろし 04.03.01(ご馳走様でした)
先日はマイ泉のサンドイッチご馳走様でした。ほんとにほんとにおいしかったです。長いメールをいただきました。メールで返事を差し上げようと思いましたが、じっくり読んでもらいたいので先ほど手紙に私の思うところを託して投函しました。今、会議を抜けだし、これから学生と網張温泉に出かけてきます。
真理 04.03.03
今日手紙が届き、今読み終えた所です。おじ様の想い、熱意がひしひしと伝わってきました。昨日母と電話して父は恐らく冬を越せないだろうという事を聞き、私はもう時に身を委ねるつもりです。告知やらホスピスやらいちいち話し合ってもめている暇もないのです。側にいる母に全てを一任するつもりです。そして、お手紙を読んで、更に今のまま、これ以上口を挟むのはやめようと思いました。父は貧乏症で何でも執着する人間ですし、昔の人なので男の意地というか建前が強い人です。最後まで強がって克復するんだと思うのもまた父の生き様なのでしょう。ただ、余計な期待だけは持たせないで欲しいと母には念を押し、理解してもらいました。私が1番辛いのは、側にいれないという事です。大切な人が辛い時、何もしてあげられない事がこんなにも辛い事だとは知りませんでした。代わってあげたいぐらいです。色々あったけど、私は父が大好きです。父の全てが大好きです。今まで疎遠ぎみになっていた分、これからはメールボーイ&ガールに頼り、手紙を書こうと思います。何とぞ、拡大コピーで宜しくお願いします。そして、お気遣い本当に有難うございます。だいーーぶ、救われました。
ひろし 04.03.05(メッセンジャーより)
数日前から盛岡は冬に逆戻り、昨日はふわふわの雪が辺り一面を覆いました。でもやはり春の雪ですね。名残り雪が散らばっているような風景に様変わりです。そうはいっても外の気温は氷点下2度です。キーンと冷え込んだ夜空にまーるいお月様が浮かんでいます。新幹線の座席が進行方向左側でしたらその窓辺からも眺められることでしょう。せめて汽車の中でゆっくりと身も心も休めてくださいね。そしてお父さんへのメールの時には題名をメッセージとすることにしましょう。私への言葉は不要です。
真理 04.03.05(メッセンジャーさまさま)
父宛ての手紙です。宜しくお願いします
お父さんへ。
多田さんの計らいで、メールにて手紙を書くことにしました。疲れない程度に目を通してね。長い一日で退屈かもしれないけど、少しは暇つぶしになるかな。ところでもうすぐ転院だよね。どんな病室なんだろうね。窓際だといーね!真理は毎日元気に働いて生活してます!週末のお見舞いは真理にとっても楽しみだから、行かせてね。真理には気遣わなくていいからね。て言っても難しいかなー。欲しい物とかあったら言ってね。また明日病院に行きますよ!そして来週も手紙書くよ!じゃあね
真理 04.03.05 (月夜の中)
何から何まで、お気使い有難うございます。今新幹線に乗りました。左側の通路側です。隣の人がカーテンをしめないよう気を送るつもりです。おじ様も気候が不安定ですので体調には気をつけて下さいね。明日ぐらいに挨拶に伺えたら、と思っています。
真理 04.03.07 (こまちにて)
昨晩は美味しいご馳走と素敵なおもてなし有難うございました。本当に多田家のみなさまに永斗家はお世話になりっぱなしですねー。母も力になってくれる方々が側にいて、どれだけ救われたことか。今の私はお蔭様で、現状を受け止め、週末のお見舞いとメールの手紙に精を込めて、父に少しでも歩みよりたいと思っています。素晴らしいアイディア並びにお助けありがとうございます。また明日からメッセンジャーへの依頼があるかと思いますが、寄れる範囲で構いませんから届けてみて下さい。皆様にも、おかげで元気になれました、とお伝え下さい
真理 04.03.08(メッセージ)
お父さんへ
今日はお兄ちゃんと順ちゃんが昼頃来たと思うけど、ビックリ報告だったでしょう?真理も昨日聞いてびっくりしてたよ!
でも、まぁ、めでたいことよねー。そこで質問!真理はまだまだ先になるかも知れないけど、将来結婚!となったらどんな人がいーかなあ?なんか忠告とかある?今週の課題だよ!考えててね!
ひろし 04.03.09(体調は?)
遠路ご苦労様でした。疲れたことでしょう。昨日、夕闇が迫ってきた頃に病院に行ってきました。病室を移られ、今度は東の窓際のベットになっていました。マリちゃんのメールは何よりも嬉しそうで、今回はすぐに何度も読んでいました。私の事は気にせず、毎日送ってあげてください。真理ちゃんも疲れていることでしょうが、この週末もお見舞いにこれるようでしたら望ましいことと思います。
真理 04.03.10 (メッセージ)
お父さんへ
具合はどう?痛いとかあんまり真理には言わないけど、近くのお医者さんや母さんにはちゃんと言うんだよー!大事なことだからね。今日はあったかいよ。きっと盛岡も少しづつ春が近づいてきてるね。夜は満月が綺麗だよ。眠れない時、見られたら見てね。すぐそばにはお母ちゃんやお母ちゃんの友達や、工藤さん、佐々木さん、宮森の親戚たちがいるし、遠くにだって真理や順、勝巳兄さんやお父さんの兄弟もいるし、お父さんは独りじゃないよ!今は不安や恐怖と戦ってるかもしれないけど、それだけは覚えていてね!真理はいつだってお父さんに必要とされたら駆け付けるからね!じゃあね(^-^)/
04.3.10 真理より
真理 04.03.15
昨日は親身になってくださって有難うございました。短い訪問でしたが、一言一言が確かに胸に染みました。父の口からまだ終わりが近いような事を聞いてないので、恐らく本人は覚悟は出来ていないと思います。ほとんど「うー」「あー」としか言ってなかったのに私が「体はどう?」と聞いた時「今はいくらかいい」と言っていました。本当なのか私への気遣いなのかはわかりませんが見た所かなり怠そうでした。思い出話しでもしようかと思っていましたが、話すのも疲れるみたいであまり話はできませんでした。手紙も何を書いていいのかよくわかりません。私がどうしても父に言いたいことは思春期のころ、さんざん痛い思いをさせてしまった事を謝りたいのと、今まで育ててくれて有難う、ということ、そしてひどいことを昔いっぱい言っていたけどそれは決して本心ではなく(例えば『あんたなんか父親じゃない』などなど)真理はお父さんが大好きだよ、ということです。なんとか自分なりに文章にし、送りますが、今日は見舞いがたくさん来ていると思うので届けるのは明日以降でも充分です。人と会うのも疲れるみたいなので。『読んであげるから』と言われ、これ以上ないほどの感謝の気持ちでいっぱいになりました。喉の奥が熱くなり、すぐに御礼は言えませんでした。なんと言えば伝わるかもわからず、ただただ有難うと言うくらいでしか現せませんが、おじ様の熱意が、存在が、今の私の中でただ一点の光です。近づく哀しみの淵もその光が優しくて歩きたくはないけど、照らしてくれるものがあるから私は上手く歩けていけるのだと思います。ついでというか、母も最近血圧が上がってきているようで気掛かりです。病院で気を遣い、仕事や役所で気を遣い、疲労困憊だと思います。今度何かあっさりとしたご飯の時は母に声をかけてあげて下さい。疲れた時はラーメンや雑炊のような汁ものが食べたくなるようです。ざっくばらんなお付き合いをさせてもらっているので母も何かあれば遠慮なく多田家に行くとは思いますが、どこかに寄るという気力もないレベルまでいっているかも知れません。頭が回らないのだと思います。あっちもこっちも、と大変でしょうが母のことも宜しくお願いします。
真理 04.03.16 (メッセージ)
大大大好きなお父さんへ
昨日は順ちゃんが髪洗ったんだって?さっぱりしたでしょう。よかったねー。この前お見舞いに行った時、前に送った手紙の返事を聞きたかったけど、眠たそうだったので遠慮しました。質問したの覚えてる?結婚するならどんな人がいー?て聞いたの。真理はお父さんみたいな人がいーと思ってます!言い訳をしないし、不器用かもしれないけど、口には出さないけど母さんや真理たちの事気にかけてくれて、この前なんて熱っぽいのに雪掻きや家の事心配してて、そんな優しい人がいいな。真理には、真理だけじゃなくみんなにはちゃんと伝わってるよ。分かってるよ。今真理の部屋にあるお父さんのてづくりのテレビ台も大事に使わせてもらってます!かなりサイズもピッタリだし取ってもあるから使いやすいんだ!お父さんは気の利く人だねー。あったかくて、自分なりのこだわりもあって、今更ながら凄いなーて思うこと多いよ。だからそんな人が旦那さんだったらいーなと思います!真理はお父さんの事が大好きです!今まで散々迷惑かけてしまってごめんね。ひどい事言ったり、叩いたりしてごめんね。もうしないからね。次の週末も見舞いに行くから待っててね。お話できたらしようね。だからそれまで無理だけはしないで。お医者さんや看護婦さんの言うこと聞いていてね!真理はお父さんの子供でよかったと思ってるよ。まだ未熟だけど、これからもっと立派な人になれるよう頑張るね。人に迷惑かけないようにーてお父さんよく言ってたもんね!じゃまた土曜日ね!
04.3.16真理より
真理 04.03.16(大感謝)
今日は温かいメール並びにメッセンジャー有難うございました。父には朗読が伝わったか気掛かりですが、なんとか理解してもらったと信じたい所です。おじ様のメールは仕事中にも関わらず、思わず涙がデスクに落ちました。誰も気付いてないとは思いますが。昼に父宛にメッセージを打ちながらまたまた涙し、みんなにはコンタクトのせいにするのが精一杯な日でした。知られるのは時間の問題ですが今は一人で受け止めたく思います。周りの人達と気さくな話しでもしていないと笑い方を忘れそうです。だから今は心配をかけることは出来ないのです
なんだかんだ私もやっぱり最後の一線は引けていないみたいで、現実を感じると恐くなります。心のどこかでは、週末お見舞いに実家へ帰る、そんな日々がずっと続くような気がしていました。医師の話しではあと数日らしいのですが、衝撃と同時に、今日の手紙が私が伝えたいすべてでしたので代弁してもらえた事を深く深く感謝しております。父の活力になって、週末まで元気でいてくれたら嬉しいです。
本当に有難うございました。
真理 04.03.18(メッセージ)
お父さんへ。
どう?体調は。ダルイよねーやっぱ。ほとんどベッドの上でお父さんは何を思ってますか?何を考えてますか?少しでもお父さんが穏やかな気持ちになっていると真理は嬉しいです。でも弱音なんかもあればもっと聞かせてほしいな。一応真理も病気と戦った身だし、お父さんの気持ちはわかってあげられると思う。今日は東京は雨で寒いです。いきなり冬に逆戻り。なんとなくすっきりしないよねー。あいかわらず盛岡は春が遅いからじれったいね。ま、何とかじっくり待つよ。じゃーまたね!お水飲んでね!04.3.18真理より
真理 04.03.19(メッセージ)
お父さんへ
昨日はお母さんが泊まったみたいだね!痰がからんで大変だと聞きましたよ。その後はどう?明日は真理が泊まるからね!お父さんに早く会いたいよ。ずっとそばにいたいよ。お父さんが今1番したいことはなーに?そして1番辛いことはなーに?真理は少しでも手を貸したいと心のそこから思ってます!じゃ、また明日ね。ゆっくり休んでてね。
04.3.19 真理より
真理 04.03.19 (おじ様へ)
ぶっちゃけ父の容態はどうですか?
真理 04.03.22 (メッセージ)
お父さんへ。
真理は東京に戻ってきたよー、うーこちらも寒いよ。今日は順ちゃんが見舞いにいくって。昨日は夢なのか、体がダルイからか、よくうなされててちょっと心配です。でも真理を見たとき、お父さんはとっても優しい目をしてたんだ。真理はこの上なく嬉しかったよ!真理のこと何かと心配かもしれないけど、もう大人だし、しっかりやれるからね。気の強さも大分おさまったよ。仕事も上手くいってるし。次はあさってくらいにまた顔だすからね!ゆっくりしててね!じゃーね!
04.3.22 真理より
永斗牧人氏 弔辞
牧人さん、貴方は最期まで不器用な人でしたね。貴方が言うところのおタマさんと娘さんたちは貴方をどこまでも気遣って、ぎりぎりの告知をしようかするまいか、侃々諤々とへとへとになるまで話し合っていたとき、貴方は「先生がいろんな薬を使ってくれているからなんぼかいぐなってきた」と言っていましたね。おタマさんと私は貴方が最期まで苦しむことなく、安らかな時を送ることを願って娘さんたちには過酷な治療と遠いところでのホスピスは断念してもらうよう説得しました。とりわけ真理ちゃんはお父さんのために何ができるものかとそれはそれは思い悩み、傍にいてあげられないことを悔やみ続けていました。そして考えついたのがメールで毎日励ましの文を送ることでした。初めてそのメールをプリントアウトして貴方のもとに届けたとき、すぐに読めばいいものを私ともしばし話しをしたかったのか、こっそり開いてはちらちらと眺めながら私と話をしていましたね。牧人さん、真理ちゃんのメールを届けるたびに貴方が表情の片隅に微笑を浮かべていたのを私は見逃しませんでしたよ。嬉しかったんですよね。父親なんて損だよな、と思いながらも、娘がこれほどまでに父親を気遣ってくれていることが嬉しくてたまらなかったんですよね。病の床について「おらいのおタマさん」への感謝の気持ちが湧いたようでしたね。勝巳君、順ちゃんの愛情がひしひしと伝わってきたし、真理ちゃんにはお父さん大好きだよ、と言葉ではっきりと言ってもらえても、とうとう口に出せなかった言葉がありましたね。貴方が口にしたかった言葉、それは「母さん、子供たち、本当にありがとう」という一言だったんですよね。牧人さん、折々真理ちゃんのメッセージを届け、最後は代読してきた私には貴方の言いたいことは伝わりましたよ。私の心残りは真理ちゃんの最後のメッセージを読んであげられなかったことです。今ここで、真理ちゃんの最後のメッセージを読みます。しっかり聞いて、いつものようにかすかな微笑を浮かべてください。
お父さんへ。
真理は東京に戻ってきたよー、うーこちらも寒いよ。今日は順ちゃんが見舞いにいくって。昨日は夢なのか、体がダルイからか、よくうなされててちょっと心配です。でも真理を見たとき、お父さんはとっても優しい目をしてたんだ。真理はこの上なく嬉しかったよ!真理のこと何かと心配かもしれないけど、もう大人だし、しっかりやれるからね。気の強さも大分おさまったよ。仕事も上手くいってるし。次はあさってくらいにまた顔だすからね!ゆっくりしててね!じゃーね!2004年3月22日 真理より
牧人さん、一緒に温泉にでも浸かって酒を酌み交わしながらのんびり父親の生き様を語り合いたかった。でも、牧人さん、病の床にあってもかすかに偲ばせた幸せそうなゆったりとした表情はいつまでも忘れません。これから貴方の心の内は私が勝己君と順ちゃん、真理ちゃんにおいおい語りついで行きます。安らかにお休みください。牧人さん、結びに古今和歌集から一句詠んでお別れの言葉とさせていただきます。
音羽山木高く(こだかく)鳴きて郭公(ほととぎす)君が別れをしむべらなり。
平成16年3月26日
わが友、永斗牧人さんの御霊に捧ぐ
多田ひろし
真理 04.03.30
色々お世話になりました。明日東京に帰ることになりました。挨拶をかねて、今晩母と伺いたいと思っています。おじ様はボクシングですか?あまり時間とれなくてすみません。今度帰ってきたら、ゆっくり語りましょう。
ひろし 04.04.08 (春うらら)
お元気ですか。大学のコンピュータが今大流行のウイルスに感染してしまい、受信は可能でしたが、ウイルス駆除ができなかったので久しく送信が出来ませんでした。今日その道のプロにウイルス駆除をしてもらって送信も可能になりました。我が家のコンピュータは先月末に来た寿和に新たなメール設定をしてもらったところ、これまた送信が出来なくなってしまいました。こちらの方もプロが再設定しなおし、大学でテストした時は事なきを得たのですが、我が家からはまたもや送信不能の事態の相成りました。私自身スケジュールが立て込んでいるところでしたが、電話で指示を仰ぎながら新しいドレスを設定してみました。もしかしたら読んだことのあるメールが届いていたりしたら、それは冬の間、我が家の機械の中でまどろんでいたメールが春の陽気に誘われてふらふらとでかけたものでしょう。とまれ、この新しいアドレスで君のもとに最新のメールが届くことを祈りつつ・・・
ひろし 04.04.12(返信)
学生の面談時刻(月曜日4時半から6時まで)も終わりに近くなったので帰ろうかな、と思った矢先に真理ちゃんからのメールが届きました。本当に久しぶりですね。いつぞやのメールが届いていることと思いますが、我が家からのメール送信を可能にしたはずですが、その返事もこないので、そちらの方も気がかりでした。タマお姉さまからは「なんだか忙しいみたいだ」と聞いていましたので、そうなんだろうと思いつつも落ち着かぬ毎日でした。お座敷ならぬお声がかかって気分転換には何よりです。
タマお姉さまは毎日、雑務に追われて大忙しのご様子です。風邪気味だということで、昨晩は玉子酒と葛根湯と呑んで休んだのでしたが、今朝の声を聞いた限りでは回復にいたっていないようでした。肉体的、精神的疲れが吹き出てきたのでしょう。君も良くも悪くも心の張りが失せかかる頃合に体調が崩れがちですから十分に気をつけてください。私の方は息子たちから「ありゃ呑みすぎだ」と陰口をたたかれる程度です。
朝になって目がさめた時には、今夜はお休みにしようかと思いながら一日を迎えるのですが、日も暮れはじめる頃合になれば、喉のあたりがコロコロとしてきます。今夜は真理ちゃんから久々にメールが届いたので、軽く一杯やることにしようかな?今夜のメニューは何でしょう。真理ちゃんを肴に一献となりそうです。
真理 04.04.12
お久しぶりの無礼お許し下さいっい。帰ってきてからというもの、多方面から引っ切りなしにお声がかかりっぱなしでした。たまに思い返しては涙ぐむ程度で、さほど日常生活には困らない様子です。まだ深く向き合っていないのが本当の所ですが。きっと考えだしたらキリがない位思い詰めてしまうのが目に見えてるので、あえて避けているのでしょうか。私の中では母ほど、生活風景が変わることもなく、まだ実感している量が少ないのだと思います。以前と変わらぬ日々です。嬉しいような、哀しいような不思議な気持ちです。まだ父がいるような気さえします。49日まで仏壇のまえで過ごしたかったけど、そうともいかず、いよいよ仏さんになってしまうのか、と思うと胸が詰まります。でもその前後にはコブタツアーもあるし、私の誕生日もあるし、哀しい事ばかりじゃないので、前を向いて歩きたいと思います。たくさんお世話になりましたが、これからも温かく見守っていただけたら、嬉しく思います。おじ様もお体には充分気をつけて下さいね。またメールします。
ひろし 04.04.16(花よりビール)
先日、大学の同僚の石川先生から、「多田さん、最近大切な人をなくしたんですね」と慰められました。はて何のことかと思いきや、「お別れの言葉を送ったんですね」「あれ、先生のお知り合いの方でしたか?」「娘があちらのお嬢さんと親しくしていましてね」さて、順ちゃんのお友達か、それとも真理ちゃんの方かと考えていました。タマお姉さまに伺ったところ真理ちゃんのお友達だそうですね。いやはや盛岡は狭いところだと痛感しました。今日は狭い盛岡を抜け出して角館に行ってきて、桜祭りにむけた町の準備を横目に見ながら試飲したお酒が火付け役となり、お休み処でビールを飲み、道すがら立ち寄った雫石の道の駅で風呂に浸かって、湯上りに缶ビールをたいらげ、皆さんとともにした夕食の代わりに再度生ビールを飲んで帰ってきたところです。お休みなさい!
真理 04.04.17
そうそう、石川純子から聞いていました!世の中、てゆーか盛岡狭いですよねー。角館は桜まだでしたか。こっちは葉桜ですよー。もうだいぶ散ってますが。ほのぼのとした日々を送ってまーす。リバウンドなのか顔つきも、すっかりふくよかになってしまいました。私も花よりケーキのようです
真理 04.04.29(いかがお過ごしですか)
連休またまた帰りますよー。もう、麻雀したくって!切符ぎりぎりで買ったので、土曜日の夜に盛岡着です。久々に?皆さんと会えるのを楽しみにしています!ひとつお願いがあるのですが、今までのおじ様とのメールのやりとりをプリントしてもらってもいーでしょーか?私の携帯はすでにメモリーがうまってしまいました。急ぎではないし、紙も藁半紙で結構です。面倒なことを言ってすみません。m(._.)m
ひろし 04.04.30
昨日は久々にご開帳となり、メールを開かずにいました。タマお姉さまは山形におでかけで、今夕ご帰還の予定です。真理ちゃんは明日帰ってくるんですね。楽しみです。食べたいものはありますか。真理ちゃんのメールのコピーの件、了解しました。私の送信記録は編集しておいたのですが、真理ちゃんのメールはすべてプリントアウトしているだけなので、こちらの方もいすれ編集しておきたいと考えていたところです。これから会議があるので、会議終了後、編集して連続したメール記録にしておくことにします。明日の帰省にあたっては随分古びた言い方ですが、道中のご無事を祈っています、と言いたい気持ちでいっぱいです。
ひろし 04.04.30(お迎え)
私とほぼ時を同じくしてタマお姉さまがご帰宅になりました。聞けば真理ちゃんは6時22分に盛岡着の由。成る程、落ち着いてメールを読んで見たら夜に盛岡着とありました。真理ちゃんが明日帰ってくるーんだ、と皆さんにお話していたのですが、てっきり夜の切符しか取れなかったものと思い込んでいたのです。タマお姉さまは5時から結婚式とのこと。なじょするべ?と言われたとき私の顔は思いっきり緩んでいたようです。6時25分頃に私が駅で待っていますのでくれぐれもさっさとタクシーに乗り込むことなどないようにして下さい。そして今これまた改めてメールで確認しました。これからメールの「やり取り」を編集します。じゃーね!
真理 04.05.01
まあまあ。わざわざお迎えありがとうございます。駅で少し用事を済ませたいことがあるので、7時に待ち合わせでいーでしょうか?母曰く、そのまま多田家に直行で、夕ごはんがでるとか。まるで我が家ですねー。ここは素直に甘えてみようと思います。では夜頃、会えることを楽しみにしています!
真理 04.05.05
この連休はまたも居座り、ご馳走や夜遅くまで遊び相手になっていただき皆さんに感謝しています!おじ様から頂いたメールの束を改めて読み返し、温かな気持ちで車中を過ごしました。予想を越える量で、つい最近始めた事なのに、長い歴史さえ感じます。波乱な時期だったからなおさらなのでしょう。自分の事ですが、興味深く読み返しました。昨夜は、職に困ったら暴露本やらを書いて生計をたてよーかなーなどと冗談を母と言ってました。母も大分元気になったようで一安心です。また土曜日に帰ってきますね!ではまたその日まで!!
ひろし 04.05.07
明日はまたまた盛岡さ、けえる日でがんすな。ほにほにご苦労なこんでがんす。私は明日の一番列車で東京さ出かけて、マリちゃんを追っかけてトンボ帰りです。マリちゃの明日のご予定はなじょになったるすか?誕生祝いを明日にしたらよかんべか、あさってにすべえか、と話あっています。メニューはお任せでよがんすか?
ひろし 04.05.14(やったね日本)
感動的なバレーの試合でした。真理ちゃんも一人して涙していることだろうとタマお姉さまと話していたところです。私は昨晩は合気道の稽古で爽やかな汗を流して、胡瓜の糠漬けをかじりながら3日振りにお酒を飲み、ざる蕎麦をすすって良い気持ちで眠りにつきました。メールを送ろうと思ったのですが、酔筆になるので一夜明けてからにしようと今宵になりました。明晩はまたまたタマお姉さまに私たち一同ご馳走になることになっておりまして、今夜はアルコールは控えようと心に決めて仕事に励み、いざ下に下りて行けば、迎えてくれたのは二日ぶりのタマお姉さまの笑顔と茹でたての蛍イカに似た「ヒイカ」とかいう名のイカでした。「今夜はビールはいらないよ」という私の言葉を背に買い物に出かけた泰子ママはなんとビールを買ってきていました。このイカがすこぶる美味なのです。「こりゃ一杯飲まにゃいかん」と、いうことになりまして、「太平山」を冷で一杯!この旨さは君にはわからないでしょうね。空っぽの腹にキューっと山形は山田錦の甘いお酒が広がるのです。幸せいっぱいでした。そして秋田のカワハギのお刺身と蛸の頭のお刺身が出てきたからたまりせん。ママが買ってきてくれたビールをぐびぐびと飲んだところに、続いてこれまた活きのいいぷりぷりのアサリの味噌汁が出てきました。冷えたお腹に暖かな味噌汁を注ぎ込んで、胃の中は一層活気づきました。バレーの試合が勢いをつけて最後ゴマ焼酎と相成りまして、目出度く締めくくることができました。結果、この通りの酔筆となったわけです。メールゆえ筆の動きではなく流れにその端々のお粗末垣間見せることになりました。また来週は子豚ツアーで真理ちゃんに会えますね。週末ごとに楽しみがあります。おやすみなさい。
ひろし 04.05.20
先週の土曜日はタマお姉さまに私たち一同ご馳走にあすかり、週が明けていよいよ子豚ツアーの幕開けかと台風の接近に気を揉みながらも心弾ませていたところに突然に中止の報告が入り、がっかりしました。幸信さんの方も何かしらの思惑があったのでしょうが、ずっと暖めていた企画ですので子豚と戯れる時間だけでもつくってもらえなかったものかと、釈然としない気持ちで一杯です。今朝は朝一番の授業に勇んできたのですが、たった一人の受講生が未だに何の連絡もよこさぬまま時が移ろいでいます。なんか変だよね!
真理 04.05.20
豚ちゃん残念でしたね。私は今女子医大の外来にいます。今日は久しぶりの検診です。朝一で仕事をある程度片付け、9時の診察に間に合うように来たものの、未だ診察室に至ってません。電子カルテの故障で大勢の患者を手作業でさばいているためのようです。予約していた意味も虚しい感じです。でも先生が直に患者さんを呼びにきたりして、ちょっとした温もりがありますが。既に1時間ほど待ち時間が過ぎてしまいました。仕事の事が気掛かりですが、体は一つだし、しかたないですねー。
ひろし 04.05.21(結果は良好?)
検査の結果はどうでしたか?予定通りであれば明日は元気溌剌の真理ちゃんと一緒にトンちゃんとのご対面の筈でしたがホンマ残念やったわ。幸信さん曰く、今度マリちゃんの都合のいいときに牛乳豆腐はさておいて子豚ツアーそのものを企画するとのことですので赦すとしようか。今夜は阿部陽子さんが近々中国のどえらい山に登るというので、その壮行会が割烹「ただ」で開かれます。そう、今夜は握り寿司なのです。お昼に食べたインスタントラーメンはすっかりこなれているので今宵の寿司は極上の味になりそうです。ビールも旨いだろうな!でも…。ビールはおろかアルコールを飲むわけにはいかないのです。
ひろし 04.05.21(禁酒)
幸信さんが肝臓の何とかいう数値が高いのでこの際1ヶ月にわたって禁酒すると言い出したのです。「それはよろしい、死ぬまで美味しいお酒を飲む為ならば高々1ヶ月の禁酒などむしろ励みになるってもんさ。俺?稽古でいい汗かいたことだし、今夜も明日も飲むよ。友達だもん、幸信さんに気を遣って傍らで我慢しているなんて幸信さんの方が心を痛めるでしょう」てなわけで昨日の晩はビールをグビグビ、胡麻焼酎のロックをチビチビと舐めているうち良い気持ちになったところで泰子ママから「友達のよしみで一緒に禁酒したら?」と言われて、勢いで私も禁酒する羽目になってしまったのです。目が覚めてホトホト後悔しました。禁酒を2ヶ月にして一日おきに飲むのは駄目かな?というメールでした。その結果は美味しく料理をいただき、お茶を飲み終わったところです。真理ちゃんの方は予想通りの結果でホントに結構!結構!6月に会えるのを楽しみにしています。
真理 04.05.21(禁酒?)
おっと。『友達の誼みで』でメールきれちゃいましたー。禁酒するんですか?まさかねー!わたしの筋腫は順調でした。連絡しないままですみません。台風も去った事だし、明日は久しぶりにお家でマッタリしてみます!
真理 04.05.31(初夏?)
あれから禁酒への思いは変わらずですか?こちらは昨日今日と30゜を越す猛暑です。マウス臭い研究所にいることに疑問を抱かざるを得ません。白衣がうっとうしいくらいのお天気です。おじ様から戴いたコブタは、可愛いらしい仲間たちと共に玄関に立ってます。とってもお気に入りです。花を飾るまでには至りませんが、(枯らしてしまうので)心にゆとりのある毎日を送ってます。平凡さの中に、小さな輝きを失わないようにしていきたいものです。
ひろし 04.06.01(うららかな盛岡)
暦が新たな月めくりとなり、もうすぐ楽しい週末を迎えることとなって心が弾みます。今朝の週間天気予報によれば暫くは天気に恵まれそうにて一層楽しみです。土曜日は昼の食事が済んだら雀卓を囲もうかと密かに目論んでいたのですが、寿和に曳かれて学会に出かけることになりそうです。本末転倒の上京にならぬよう、せめてほんの数時間でも学会の会場に赴くのも当然の義務といったところでしょうか。とまれ、あれこれ思い描くと思わず笑みがこぼれてしまいそうです。盛岡を離れれば禁酒も解けそうですし・・・。
真理 04.06.01(ワーイ)
いよいよ今度の土曜日ですね!ものすごーく楽しみです!実は今日までお泊りの件をすっかり忘れていたのでした。学会終わり次第雀卓を囲みましょう!エミおばさまにも久しぶりに会えるので嬉しいです!是非是非必勝のコツを学びたいです〜!では東京でお会いいたしましょう!!
ひろし 04.06.07(ビストロ・シャテール)
昨晩、お母さんがビストロ・シャテールへの道順を苦心しながらメールしていたようですが、なんてことありません。私たちは東西線で門前中町に行きます。マリちゃんは大江戸線で来ますね。タマお姉さまが言うには双方の駅は場所が違うと言っていましたが、同じ筈です。門前中町の4番出口から徒歩で6分です。この4番出口で待ち合わせればいいのかなあ、と思っています。明日の晩にでも電話で打ち合わせをしましょう。天気にも恵まれそうで楽しみです。
ひろし 04.06.23(初夏の朝)
目を覚ますと夜来の雨も上がり、眩いばかりの朝日が差し込んでいた。壁一面の本棚 の中ほどにある置き時計は6時を指している。窓の向こうには岩手山が悠然と聳えている。爽やかな朝を迎えた。ベットからおりてゆく音につられてジョイも寝床から這い出してきた。ジョイの寝起きの決まった仕草なのだが、おもむろに後ろ足をピンと伸ばし、前足の方はいっぱいに突き出して小さな滑り台のような格好をしながら思いっきり背伸びをしてから、私にくっついてカタコトと音を立てながら階段を下りてきた。洗面所でぷるんぷるんと顔を洗って朝ごはんをすませば、ジョイが心待ちにしている朝の散歩の刻となる。先ほどくっきりと見えていた岩手山はあらかた雲に隠れてしまっていた。いつものように北上川に向かって坂道を幾分くだり、かつてこのあたりの小学生たちが「墓山」と呼んでいた牧草地だった一角に折れてゆく。すっかり整備されて住宅地になった今、牧草地の名残りはどこにもない。この地区の開拓農民の何軒かのお墓がこの住宅地の中ほどにしつらえられた公園の横手に残っているだけだ。
その公園でジョイを放してやる。よその犬たちの匂いがあるのだろうか、鼻の頭が砂まみれになるほどにあちらこちらで地面に鼻をこすりつけている。雲間に垣間見える 岩手山など眼中にはないようだ。一頻り公園の中を歩き回ってまた散歩の続きとなる。黒石野中学校に面した畑は半年以上も市の教育委員会の手による史跡調査がこつこつと施されていたが、今はブルドーザーが入り込んであちこち削ったり、埋めたりしている。黒中を背にして緑が丘小学校の方へと足を向けると、どこかの猫がわき目もふらずにトットコ、トットコこちらに向かって走ってくる。行く手に立ちはだかる私たちにはまったく無頓着な走りである。幾分身構えながらもゆったりと歩を進めていたジョイの鼻息に触れて、その猫ちゃんはもんどりうってはね跳んだ。「大丈夫か?」と声をかけたが、振り返りざまジョイを睨みつけてまた走り去った。呆れるほどそそっかしい猫である。それにしても何をあんなに急いでゆかなくてはならなかったのか。謎である。
やがて家路を辿るあたりから集団登校の子供たちとすれ違う。この小学生たち、低学年の子供ほどひたすら足元だけを見つめながら歩いている。突如、黒い大きな犬のジョイが目に入って「ああ、びびった!」と頓狂な声を上げる子供が多い。その足元の道端に草が茂っていて、昨晩の雨のしずくが小さな水玉となって残っていた。懐かしい子供の頃の記憶がよみがえり、思わずしゃがみこんで葉っぱをゆらしてみたら、いくつもの大小さまざまの丸い雫が地面に落ちていった。そこかしこの草むらに木漏れ日がさし、きらきらと透きとおった輝きが撒き散らされていた。マリちゃんにはどんな病にあっても、いつでも煌いていてもらいたい。そんな思いが掠めていった朝だった。
ひろし 04.06.29(花火大会)
梅天の空と夏の日差しが目まぐるしく入れ替わる日々です。その後、体調はいかがで
すか。この夏には去年初めて見た大曲の花火大会にマリちゃんも一緒に行けたらいいなあ、と思っています。日程は8月28日(土)と随分先の話ですが、予約の締め切りは明後日になっています。例によって朝早くゴトゴトと鈍行列車に揺られ、午後になって漸く会場にたどりつき、夕暮れから景気よくポンポンと打ち上がる花火を宵闇迫るまでたっぷり観賞して、明け方に盛岡に帰り着いて、花火の余韻に浸りながら深い眠りにつくという大変な行程でしたが、私たちは今年も性懲りなく行くことにしています。マリちゃんはどうでしょうか。と、このメールを実はさきほど別の合気道友人に送っていました。今しがた送った夏の朝のシリーズは6月23日にその友人宛に送っていたことに今になって気づいたのです。尿管結石になったので暫く練習は休みますとメールが来たので慌てて返信したのでした。タマお姉さまともマリちゃんが「尿管結石」を患ったので練習を休むとのメールがきたけど、練習は麻雀かなそれとも歌の方かな、と聞いたところ、水曜日の歌の練習でしょ、とのことで辻褄があっていました。「夏の朝」そしてこの「花火大会」の二つのメールが彼のもとに着信している筈です。いよいよもって私がボケたか、妙なことをしでかしているのかと思い悩んでいることでしょう。いやはやどげんしたらヨカロウ?
真理 04.06.30(お久しぶりでした)
おじ様にメールしたいなーなんて思っていたら先越されました。私は体調もよく、仕事も楽しくやっております。帰宅時には仲良くなった仲間と近場でお茶をしてから家に着くのが日課となっております。大曲の花火は去年より行きたいなー、と思っていた所なので早速母に連絡しました。27の夜に盛岡に向かいます。そして7月の三連休は麻雀がてら帰省しようかとも思っています!こちらは梅雨入りで蒸し暑い毎日ですが、空けた頃には綺麗な入道雲が見られるでしょう。花火を心待ちに日々頑張るようにします。充電が危ういので今日はこの辺で。
真理 04.07.12(お元気ですか)
暑い日々が続いておりますが、体調崩してはいませんか?私は何とかバテずにおります。つい最近までは雪がどーの、冬がこーの、もうすぐ春だ、などとゆう内容の便りをしていた様な気がするのは私だけでしょうか。季節が過ぎ去る速さにハッとしています。今週末は正式に帰る事になりました。所場代として、手土産は何がよいか、リクエストありましたら何なりと申しつけて下さいな。会える日を楽しみにしています。それでは!
ひろし 04.07.14.(元気?)
そちらは早くも梅雨が明けたようですね。こちらはどこかに雲隠れしていた梅雨空が舞い戻り、どんよりとした雲が空一面を覆っていて肌寒さを感じる日もあります。この週末は合気道の指導者講習会が開かれ、幸信さんともども参加せねばなりません。土曜日は引き続き懇親会が催されますので、皆さんが雀卓を囲んでいる頃は、ふたりしてペロンペロンになって帰還する筈です。日曜日は午前中だけ汗を流してきますので、午後はお付き合いできるものと思います。久々にまた会えることを楽しみにしています。マリちゃんの元気な顔が何よりのお土産です。
ひろし 04.07.14(お土産)
泰子ママによると、お土産は何もいらないと言われるのが一番困るそうでして、やっぱり亀戸天神の「船橋屋の葛餅」をリクエストすることにします。もちろん、買う時間的なゆとりがあればの話です。
真理 04.07.14(お土産)
わかりましたー!!
真理 04.07.22(また会う日まで)
こちらはやはり暑いですよー。3連休は案の定、雀卓を囲みBBQまででき、夏を楽しめました。あのお手製のタレは中国産の塩にも引けをとらぬ程の味でしたよ。とうとうおじ様から『ロン』出来なかったのが心残りですが、そちらはそちらで、何やら盛り上がっていたようですね。楽しげにお酒を浴びている姿を見られて何よりでした。お盆は自宅にこもるので、ゆっくりお会いできるのは花火大会の時でしょうか。
今日は例の検診がありました。もちろん異常無しでした。もう手術から1年がたつのですね。夏ばてしないよう、夏を乗り切って下さいね
ひろし 04.07.24(また会う日まで)
「昨日はマリちゃんの検診日だったけどどうだったのかな?」と泰子ママ。私は「もう再発の可能性はないよ」と確信をもって言っていたのでした。今朝になってメールを開いてジワーッと嬉しさがこみ上げてきました。昨晩は阿部陽子さんも一緒の「贅沢お茶漬け」の晩餐だったこともあり、マリちゃんの検診の話は話題に出ませんでした。タマお姉さまも安心していることでしょう。それにしてもマリちゃんが帰ってくるとタマお姉さまはもとより、誰もが心ウキウキとなるようです。日曜日の合気道の講習会には行きたくないとぐずる幸信さんを説得するのにホトホト苦労しました。そしてまた、台所で一緒に夕食を作っていた泰子ママも本当に楽しそうで傍から見ていても微笑ましく思えました。この夏は新盆だから麻雀はお預けなのでしょうか。それにしても引き篭もりはいだだけません。絶対に顔を出すべし!
真理 04.08.16(おばんですー)
今回はそちらに寄れなくてすみません。お線香ならびに美味しいおいなりさんありがとうございました。次回はいよいよ花火大会ですね!27の夜に帰ります。とっても楽しみにしています!その前に、もしかしたら子宮頚部のレーザー治療をしているかも。日帰りの処置なので心配することは何もないのですが。最悪切るハメになったとしても1週間程度の入院だそうです。…??とお思いでしょうが実は、この前の検診では『異常無し』でなく、頚部に悪い細胞がみつかってしまい、7/22に子宮体部の癌検診、並びに頚部の癌検診をし、8/11に頚部のみに悪性が認められたと判り、さらに頚部を精密検査し、今はその結果待ちの状態です。8/25には判るようです。筋腫のほうの再発は無いみたいです。進行もかなり初期のようで、お腹を切るような手術はしないらしいです。先生の話しだとレーザー治療になる可能性が強いみたいです。驚いたでしょうが、本当に何も心配することは無さそうです。私は早合点をし、子宮を摘出するのかと慌てていましたが、誤解だと解り心底ホッとしています。母をはじめ、みなさんとは離れているため、中途半端な報告では却ってやみくもな心配事を増やすだけの結果になると思い、今まで打ち明けるに至りませんでした。なんの自覚症状もなく、確かに私も動揺はしたものの、予想より遥かにいい結果で大変安心しています。お盆のさなか胸を張って帰ってこられてよかったです。母には昨日言いました。やはり親心なのでしょうか、動揺していたようでした。当の本人は嬉しさもあり、ニヤニヤしながら話していました。という訳で花火大会を依り処に、新たな悪い細胞くんたちとちょっとした戦いをしてきます!父に般若心経を読んだし、きっといい方へ行くと思います!話したいことが色々ありますよ(暗い内内容ではないです)また改めてメールいたします。お休みなさい
p(^^)q
ひろし 04.08.17
昨日、持病の薬も底をついたので、かかりつけのお医者様のもとに検査に出かけたところ生憎、お盆のために病院はお休みでした。病院の横のご自宅に伺い、仏壇にお参りをして2代目の主治医から薬だけもらって帰ってきました。先代のお医者様はこの5月にお亡くなりになられ、従って今の主治医は私にとっては2代目となります。先代の先生は一昨年の夏には私が新たに患った舌癌への危険をそれはそれは大層気遣ってくださり、大学病院に出かけては担当医とお会いになられ、幾度となくお手紙にて生き続ける意思を強固に持つよう励まして下さいました。8月の終わり、いよいよ気持ちを翻して手術を受けることに心を決めたその晩に電話をくだされ、私の翻意を伝えたところ心から喜んでくださったお医者様でした。午後は合気道仲間と共にこの年明け早々に他界した我が道場の道友の墓参りに出かけました。同行した藤原君が持参したのはお線香ではなく泡盛でして、暑い日差しを受けながら墓前にてヒリヒリとするような強いお酒を酌み交わしてお宅に伺い、お焼香をしてビール、焼酎を飲んで夕暮れの陽を浴びながらご帰還となりました。我が家では両阿部家も含めた3軒持ち寄りの餃子パーティーの準備が進んでいたところでして、その準備を横目に早速藤原君らと2次会の始まりです。焼き餃子、水餃子といくつか口に運んだあたりからもう限界になってきました。よたよたと二階に上がり、タマお姉さまが来た頃はもう白船夜船で12時頃に電話の鳴る音で目を覚まして、改めてベットにもぐって寝入りました。朝になって屋根にぶつかる雨音で目を覚まして、ジョイと散歩に出かけて雲間に見える岩手山を眺めながらマリちゃんはもう東京に帰ったのか、行ったのかなどと思いをめぐらせていました。久々にコンピューターを開いてみたらメールがたまっていたのであれあれと思いながら開いてみて愕然としました。何だこりゃ?と宿酔の目をこすりながら幾度も読み直し、長らく怠っていた記録をまとめて改めて昨晩のメールを泰子ママにも見せたところ、ママは既に昨晩タマお姉さまから話を聞いていたそうで、「大丈夫、心配ないんだから」と慰められました。頚部の進行は遅い反面、マリちゃんの精神力の成長は一段と早まっていますね。それにしても小さなマリちゃんがたった一人で病気と闘い、煩悶を心に秘めていたマリちゃんのこの夏の日々を思うとそれがいとおしくてなりません。どんなことでも私にぶつけてください。私はいつでも君のスーパーマンですからね。
真理 04.08.17
素敵な主治医だったのですね。開業医ですか?手紙や電話のやりとりだなんて、女子医では有り得ない話しです!でも私の先生もこちらの微妙な心の揺れに気付くのが早く、時に冗談を行ったり、敢えて何も言わなかったりと、気遣いが上手な方です。たった一言で妙な安心感を抱ける方です。患者が医者、病院を選ぶ時代とはいえ、ダメ医院やダメ医者もまだまだ健在のようです。親戚が子宮内膜症で婦人科を訪ねたところ、まさにTVや雑誌で言われているような『ドクハラ』に遭い、3軒マワッてもしっくりこなかったようです。実際、その親戚と電話で話しをして、私も怒りを覚えたほどです。そして私の主治医を紹介したところ、今までの医者への不信感も消えたようで前向きに治療に励んでくれています。私は今まで持病もないまま来たので『主治医』という方にお世話になった記憶がありませんが、今の先生はベストだと直感的に思えました。今読んでる本に『出会いはすべて必然です』と書いてありました。良い出会いだけでなく、悪いと思える縁も、全てが、です。自分にとって学びとなる相手と出会うようになっているようです。この事は最近つくづく痛感させられます。例えば、去年おじ様は病に対して後ろ向きだったために、励まし上手な医師と出会ったのかも知れません。盛岡といえども医師の数は相当だと思います。私は各専門分野に細かく別れている病院にて、婦人科のなかでも腫瘍専門医に診てもらいました。たまたま勤め先の歯医者が木曜休みだったので、木曜に初診を担当していた先生が今の先生でした。当時は貧血がひどいので筋腫が大きくなっているのでは?と軽く受診しただけです。後から聞いた話しで、今の先生は以前は国立がんセンターに勤めていたようです。そしてしばらくして担当のローテーシローテーションがかわり、今は金曜に初診を受け持っています。頚部の初期癌は、見過ごしてしまう医師も中にはいるようです。そして、前回肉腫寄りの筋腫だったから今も検診に行っていますが、普通の良性の筋腫であったのならどうでしょうか。今はもう検診には行ってないです。全てがおさまる所におさまるようになっていると思えてなりません。親や子供を含めた『出会い』や『別れ』、病などの『試練』はその人の魂の成長によって決まるらしいです。少し神仏的な表現ですが。私はそう思います。おじ様はご自分の病と闘って、どれだけの学びを得ましたか。うん十年の悩みが晴々としませんでしたか。そのお陰で回りの方々への情もより一層深まったでしょう。私の場合、何故婦人科かという事に関しては『母性を磨きなさい』という意味だと思います。2回とも致命的な病気でないだけにその意味あいは強いと思います。永斗家と多田家を中心とする岩脇町との交流も単なるご近所付き合いではないのかも知れませんね!お互いにいい影響を与えあっていると思います。単なる雀荘には、おさまらないみたいですo(^-^)o
真理 04.08.25(よいお知らせ)
今日は検診でしたが、希望通り、レーザーで焼いてもらえました。みなさんの思いが通じたのでしょうか。ホッと胸をなでおろしています。別に入院でもいいかーなんて思ってましたが、実際1日で治療が済んでスッキリしています。ご心配おかけしました。花火も存分に楽しみたいと思います!ではまた!
ひろし 04.08.25(ありがとう)
今日は25日。マリちゃんが帰ってくる日だったかな、とカレンダーを見やったところ水曜日。花火は28日である。ということは、まだ幾日か日が残っている。マリちゃんは金曜日は殊更忙しくて仕事を終えてから来るという風に聞いていたし、はてさて25日というこの日は何だったのかと思いを巡らせて、いつしか「いやはや本当に呆けてきたな」と実感したものの、泰子ママには何食わぬ顔をして朝からコンピューターを下に持ってきて、かじりついて折々メールを開いていました。
お盆を過ぎて秋風が立ち始め、日暮れの時刻もいつしか早くなってきて、空が薄暮に包まれかけてきたとき、メールが着信!表題を見ただけで目が霞んできました。去年は雨模様の中で見た花火を今度はマリちゃんも一緒に思う存分楽しめるのですね。昨年は呑み助の藤原君が同行したので、花火を見に行きながらも道中はもとより、会場でもひたすら飲み続けていましたが、今度はその轍を踏まずにひたすら花火の感動そのものに浸るつもりです。とはいうもののアルコールはその感動を倍加してくれるんだなあ!何もかも楽しみです。
真理 04.08.29(ありがとう)
今朝は寝起きで朦朧としていたのか、挨拶もしないままタクシーに跳び乗ってしまいました。改めて、素敵な旅のお誘い有難うございました。お手製の雀卓もたいへん有意義に使わせてもらいました!来年、会場の放送で注意されないとよいのですが(^^ゞ それにしても見事な花火で、想像を遥かに越える見応えでした。雨にもまけず何回も通う気持ちが解ります。私は携帯のカメラでいくつか花火を撮ったものの、小さな額にいれるのが嫌になり、家に戻ってすぐに消しました。そして、同じ空の下で皆さんと一緒に見られた事が何より嬉しかったです。皆さんの笑顔に囲まれて、楽しい時間を過ごし、美しいものを見られて本当に幸せな時でした。おじ様は初めは伊勢よく掛け声を出していましたが、途中から静観なさっていましたね。まさか夢の中じゃ…と思い、目をやるとゴロゴロと寝返りをうっていたようでした。ムクッと起き上がったり、また横になったりと花火さながら、ひろし鑑賞も面白かったです。(^O^)風邪ひいていませんか?来年もまた一緒に見に行きましょうね!!泰子ママさんにも宜しくお伝えください。すっかり元気になりましたよ、と。それでは9月にまたお会いしましょう。ロン!
ひろし 04.08.29(ロン!キュウ!)
もう家に着きましたか?今朝は7時半頃起き出して、よたつくジョイを表に連れ出し朝のおしっこをさせて朝食。ふらふらとした体に鞭打って合気道の稽古に出かけ、先週の火曜日に高校生相手のボクシングのスパーリングで痛めた肋骨をかばいながらバタン、ペコンと投げられ、爽やかな汗を流してお昼に終了。帰って昼食を終えるといつの間にやらジャン卓の準備が相整っていました。片付けねばならぬ仕事があったので祐介の出陣となって幸信さんと一本勝負。夕方になって泰子ママと交代したら形勢が逆転し、結局のところ祐介が600円巻き上げていました。
夕食には稲庭うどんとタマお姉さまのお土産の焼き鳥などをいただき、さてのんびりとテレビでも見ようかと思っていたのですが、泰子ママのご所望によりまして、再度のご開帳ならぬご開卓とでもいうのでしょうか。トントンと赤い点棒をどっさりと溜め込んだところで、振り込み続きでふてくされる泰子ママからロンの一声!見ればなんと四暗刻!3万2千を支払ってすっかり貧乏になってしまいました。勝負師を名乗ったタマお姉さまが締めくくりに上がってやっと終わって先刻お開きになったところです。お休みなさい。
真理 04.09.20(イー飜)
またまたご馳走並びに麻雀のお供、有難うございました。あのパスタは絶品でしたー!ソースも麺も私好みでびっくり!すいとん、おこわの質素なご飯も個人的には大好きですし、二日間おいしいお料理を皆さんと戴くことができて嬉しかったです!勢いづいて今朝方まで繰り広げられていたハンチャンでは母を差し置いてトップになりました!いえ〜いっ!いつ来ても皆様方が温かく迎えてくれて本当に嬉しく思います。私も何かお返ししたいのですが…思案中です。いつも帰りの電車は、多田家でのリフレッシュのお陰で、元気いっぱいになります。これ以上
ひろし 04.11.10(新顔)
10月21日朝、目を覚ますとそぼ降る雨の音にまじって我が家の横の土手のあたりからかすかにみゃーみゃーという聞き覚えのない声が聞こえてくる。既に起きていた泰子ママの不安げな眼差しを背中に受けながら、服に着替えるのももどかしく辺りを探し回る。土手ではない。外階段の下にその声はあった。一段と大きくなってきた寂しげなその声は外の壁とエアコンの間からはっきりと聞き取れた。見ればそれはそれは小さな赤ちゃん猫だった。エアコンの機械をずらして抱き上げるとその泣き声は一層大きくなった。新しい家族の誕生の瞬間だった。9月に車を買ってしまい、恐れ多くてタバコは他人様の物をかすめ、晩酌はビール一缶と焼酎のお湯割りを2杯ということで泰子ママに納得してもらった矢先の出来事である。私の食事を減らしても・・・といっても無理な気配だった。思い余って近くの公園に置いてこようかと言ったら叱られた。他の猫たちも物凄い勢いで怒っている。ジョイは新顔にパンチをくらってしょげかえってしまった。その晩からはひょんなことから盛岡にくるドイツ人御一向のうち合気道を嗜む一人が数日我が家に滞在する第一日目の日でもあった。とりあえずミルクを飲ませ、マルの缶詰から少し分け与えて、猫たちの遊び場兼休み場を二つ供えた支柱の上の方の段に寝床をしつらえようとダンボール箱を探したが、つい先だってのごみの回収に出したばかりでみつからない。いつか誰かが秋刀魚を入れて送ってよこした発泡スチロールの箱にバスタオルを敷いて、その中にお腹が満ち足りてほっとした様子のこの新顔を納めてひと段落。顔つきからして貰い手はみつかりそうにもない。それにしても片方の手に入ってしまうこの子猫をどこの誰が捨てていったものやら。散歩の度にどこかに子猫がいないかと心に描いてはそれを口にすればこれ以上生き物は飼えない、との言葉は泰子ママの口癖だった。新顔はちびの癖に負けん気は強く、他の猫たちに叩かれようが弾かれようが動じない逞しさがある。その晩は合気道の稽古の後、藤原君と幸信さんそしてくだんのドイツ人、そしてさらに留学中のドイツ人学生も加わり、「ちび」、「ネコ」などと呼ばれるだけの新顔を横目に例によって夜が更けるまで酒盛りとなった。翌晩は残りのドイツ人御一向様の他にホダの会の面々も集まり、賑やかな晩餐が繰り広げられた。幸信さんはサンマと呼び、タマお姉さまはメチャと話かける。寝床がサンマの発砲スチロールであったり、顔がメチャメチャだから。後日、タマお姉さまが秋のネコだから「もみじ」がいい、と言い出した。タマと名づけられるのを恐れたようだった。もみじ、もみちゃん、どこにいるの?こっちお出で!人気者である。されど新たなる飼い主はあらわれず、他の者たちとも慣れてきたようにて、なかでも幾分なりとも若さを誇るマルには格好の遊び相手となっている。ある朝のこと泰子ママの頭の上のソファーで目をさましたこのニューフェースの顔をつくづく眺めた私がついに言った。「シモちゃんにしよう!」晩夏の花火大会に同行した下斗米君は通称シモちゃんと呼ばれている。目の垂れ具合がなんともそっくりである。下斗米君ご当人には内緒で即決となった。ただし、正式名称はフランス風のシモーヌ、いやいやそれでは可愛すぎるゆえシモンにしよう。命名が終わった。明後日にはまた会えますね。楽しみです。
真理 04.12.10(おめでとうございます)
表彰すごいですね!教え方がよほどお上手なんですね!私も講義受けてみたい〜。なんでも1番になるのは難しいですよ。みんなにおじ様のお人柄を支持されたのでしょうね。心置きなく宴会なさって下さい。私も遠くで祝杯をあげます!!今後もお仕事、並びに麻雀、並びに、飲ん兵衛、並びにパスタ造り、頑張って下さいねっ!
ひろし 04.12.22
祝メールありがとう。大したことではないのですが、いつもと違う時間帯にも出校することもあり、ボーナスにも反映するようだったので、泰子ママに打ち明けたのでしたが、他に誇ることもない私であるがゆえに皆さんに公言してしまったようで思いがけずタマお姉さまの提言により、お祝いの会まで設けていただきました。改めて皆さんに祝っていただいて、実のところ最も欲しかったものですのでじわじわと嬉しさが込み上げてきました。気がつけば今日にて授業はお仕舞い。暫くのんびりとスパゲッティと麻雀に精を出すことにします。マリちゃんとまた会える日も近くなってきました。楽しみです。
真理 05.01.05
姉が来られなくなったお陰で今回は多田家にたいへんお世話になりました。2日、おじ様は夕方お会いした頃にはすっかりデキあがっており、上機嫌でした。いつも以上にニコニコしていて、見てるだけで楽しめました。トドメに?おじ様の滑ったり転んだりする物音(大)を確認したのち、ハンチャン×2回をいたしました。結果は阿部お師匠にでも伺って下さい。フッ。東京も今日は凄い冷え込みです。私は今年が転機だと自負しております。色んな意味で。前向きに楽しく過ごす一年にしたいです。お互い精進いたしましょう!
真理 05.02.03(お祝いの言葉)
お祝いメールも早いもので2回目ですね。携帯が止まっていまして、時差ができましたが、昨日も心のなかでは祝福しておりました。前年はいかがな年でしたか?ひとつ年をとり、ひとつシワが増えても、ワインのように味わいが出てくる方だと思っております。この年も経験を力に知識を蓄えに、丸さは愛嬌に?楽しく励んでいかれますよう、祈っております。私も、温かな我が家同然の多田家にいつでも胸を張って帰れるよう精進いたします。お体にだけはお気をつけて下さい。おじ様のご誕生を心から祝福いたします!!お誕生日おめでとうございます
ひろし 05.02.04.(ありがとう)
お祝いメール有難うございます。誕生日当日の2月2日はドイツ語講座がありましたので、なんとなく30日(日)にやろうかということになりまして、なぜか私が鱈の親子パスタを作り、泰子ママが玄米の稲荷寿司を用意して、それらを阿部さん夫妻とむっちゃんらも一緒に食べて麻雀をやってシャンシャンとなりました。2日には祐介と寿和から年代物のシャンパンがプレゼントされたのですが、それは今大切に冷やしております。昨日は花巻北高校に講演に行くことになっておりまして、タマお姉さまと京子さんらと共に花巻近くの温泉に立ち寄り、そこで昼食を摂って一風呂浴びて高校生を相手に漫談のごとき講演をしまして、皆さんをお迎えに温泉に立ち寄り帰ってきました。その折、例のシャンパンは何時飲もうかということになり、それならそれに合わせた料理はどうあるべきかと思いをめぐらせ、来る日曜日にメインディッシュをオイルフォンデューとしてシャンパンの栓を開けることになり、あれこれソースを思案しているところです。ジジイになるにつれて一層食い意地がはってきたようで、食文化?への飽くなき探求の日々です。でも、これが旨かったら今度マリちゃんが帰ってきたときには是非ともご馳走したいな、なんて思ってもいます。フォンデューが旨いな、という頃を見計らって帰る算段をしてください。
真理 05.02.05
オイルフォンデュー、粋な料理ですね。シャンパンもさぞかし美味しかった事でしょう。是非次回はご一緒させてもらいます!そして麻雀したい!!それはさておき、昨年に続き今回もささやかな贈り物をしちゃいます。内容はまだ秘密ですが。受け取って下さいね。発送する日が解り次第、またご連絡します!しばしお待ちを。
真理 05.02.10
遅れをとりましたが、バースデープレゼントを贈らせてもらいます!私も欲しいものばかり★それと、St.V.Dの頃合いとう訳で、おじ様と祐介君にチョコのおまけがあります!とは言うものの、皆さまでつまんで下さい。到着日は11(金曜)です。が、岩脇の住所をメモしたものを郵便局に忘れていき、永斗家に送る事にしました。この際、同居して下さい。なんちゃって。タマちゃん経由で受け取って下さいまし。楽しみにしていて下さいね!
ひろし 05.02.11(楽しみ)
昨晩は阿部彩香ちゃんのフィアンセのお披露目ということで、一同ご招待を受けました。2次会は我が家にて麻雀と相成ったのですが、泰子ママは体調を崩して早々にダウン。そして私は雀卓を眺めながら仕上げの卵酒とビールを飲んでこれまたダウン。今夜は学生が4人、そして卒業生が二人来ます。牡蠣のパスタとオイル・フォンデューのメニューです。明日は合気道の鏡開き、と連日アルコール漬けになりそうです。明日、タマお姉さまのもとに伺いプレゼントをいただきます。凄く楽しみです。有難う!
ひろし 05.03.13(ありがとう)
昨日、誕生祝の品戴きました。上書きにBallとあったので真理ちゃんからのプレゼントなのではては「幼子に戻りて鞠つきをせよ」とのメッセージなのかと思いつつ開けてびっくり玉手箱でした。ゴディヴァのチョコレートには祐介がいち早く手を伸ばしていました。昨日は合気道の鏡開きがあり、今朝の稽古では相方の幸信さんは「酒くせー」を連発していました。稽古の汗を風呂に浸かって流し、いよいよこれから空気を入れて、タマ乗りでもしてみようかと思っています。久方ぶりに旨いカツサンドも楽しめそうです。本当に有難う。
真理 05.02.13
喜んでいただけて何よりです。母曰く、泰子さんの方が飛び付きそうね、とのことでした。玉乗りの珍プレー好プレーばなし、待ってます!
真理 05.03.15(真理です)
いかがお過ごしですか?おじ様のメールに対応すべく、TAMA コーポレーション(株)に出資していただき、無事にパソコンを購入することができました。記念すべきメール第一号です!まだまだ未知の世界で、機能を使いこなせていませんが、これから徐々に勉強する予定です。退職後、変化のない一日で、早く働きたいものの、中々妥協できず就活中の学生さんに先を越されそうな勢いです。盛岡はまだまだ寒さが続いてるんでしょうね。盛岡の春に合わせて就職しようかなんて・・・。自分に甘いのは生まれつきなようです。もうすぐ父の命日ですが、時の速さに驚いてしまいます。もうダメだ、とピーピー泣いていてカラスがもう笑ってる、というところです。母も何とかひとり暮らしに慣れたようで、皆様のご配慮に感謝いたしております。私が東京で、のびのびとすごしていられるのも皆さんのおかげです。体調もなんら変わりなく、精神状態も穏やかです。もっと焦ったほうがいいぐらいです。実家に帰りたいところですが、面接のかねあいで予定がたてられず、新宿のかたすみにこもっております。おかげで料理の腕前はあがったかな。今日は桜海老をいれた、ソース焼きそばをつくりました。たいした料理ではありませんが。そして、たいしたオチもないメール内容となってしまいましたが、テスト、ということで。それではごきげんよう。
ひろし 05.03.16(おじ様です)
いよいよコンピューターを手に入れたのですね。初めての送信ということが同じメールが同時刻に2つ着信した様子から知れました。これからは長さを気にかけずに送信できそうで気が楽です。我が家ではインフルエンザで体調を崩しながらも祐介は先月末に八戸に出張することになり、その週末には送別会を兼ねてたまたまお出でになった小岩さんも含めていつもの如く皆さんと共に一献を傾け、夜も更けるまで飲んで翌日の日曜日は二日酔いのような状態で合気道の稽古にでたのですが、途中から背中が痛み出して後半は幸信さんらの稽古を見学しておりまして、昼は外食をして帰ってきたあたりからどうにも宿酔とは違うようにて熱を測ったところ39度ほどありまして、とうとう寝込んでしまいました。翌朝になっても熱がさがらぬので主治医に診てもらいまして、薬を飲みながら引き続きドイツからきた先生と面談を済ませて家に帰ってきました。翌晩はどうしても出なくてはならぬ会合がありまして、お酒も飲まずに少しばかり料理に箸を伸ばしてそそくさと帰ってきました。数日の間、朝は38度ほどでしたが日がくれてくるとまたまた39度ほどになっていましたが、水曜日は市民講座がありまして大学の授業なら大きな顔をして休むのですが、こちらのほうはサボるわけにはいかないので昼の間は昏々と寝ては夕方になってのそのそと起き出して行ってきました。祐介の置き土産を引き継いだ結果だったようです。木曜日には小岩さんが帰らなくてはならず、その直前に泰子ママが熱を出し始めたところで、今度は通称バッパと呼ばれている義母がなんとか、かんとかいうカタカナの院内感染に罹っていることが判明したので強制帰還させるとの連絡が入りましが、私たち二人してダウンしているということで、そこをなんとか月曜日まで延期してもらいまして、泰子ママもタマお姉さまに「脅迫」され、また小岩さんからも電話にて医者に行くよう説得され、しぶしぶ診察にいったところ矢張りインフルエンザとうことが判明しました。その前は腰を痛めており、生体マッサージで腰がよくなりかけたところで今度は背中を痛め、これまたタマお姉さまらの助言にて県立病院にて受診したところ、背中の「ぎっくり腰」というわけのわからぬ病だそうでしたが、そのうち風邪の方はいささか良好になってきたあたりの月曜日になって妹がきてくれました。本来、私は去る6日には昔の先生の退職祝いがありましたので東京に行く予定でしたが、私の体調も完全とはいえぬ状態であったこともあり、そちらのパーティーには寿和に出席してもらいました。一昨日あたりから泰子ママも快復傾向にありまして、早速ご開帳の運びとなり、二晩続けて連荘となってしまいました。私もその前は二晩ほど雀卓を囲み寝不足となっておりましので、その疲れからか連日9時頃になると瞼が閉じてしまいました。ジジイになった今は早寝しているのですから尚更のこと朝は早く目が覚めてもよいようなものの、この歳になっても春眠暁を覚えずでして、いつまでもとろとろと眠り込んでおります。
真理ちゃんには新しい仕事を探しているところだとは聞いておりましたのでその当りのことでも聞いてみたいと思っていたのですが、風邪の後遺症なのかいつまでも気分がはっきりせずぼんやりとしていました。久々のメールを真理ちゃんから頂戴し、文字数にとらわれずに返信できるということから長々と認めてしまいました。仕事はじっくりと自分にあったものが見つかるまで焦らず探すといいでしょうね。スポンサーにとってもある意味では「張り」になるものです。文字通りジジイになる私も扶養家族が増えておちおちしてはいられず、医者通いをしながらも今夜も市民講座に出かけます。
盛岡も春の足音が聞こえそうな気配です。折々雪は降るものの道端の雪は埃だらけとなっておりまして、あたり一面真っ白な雪で覆われていた頃が懐かしく思える様相です。お父さんが亡くなられてもう一年にもなんなんとしているのですね。つい先ごろのことのように思えます。こんど真理ちゃんと会えるのはいつのことでしょうか。麻雀を囲むたびに真理ちゃんのことが話しにでてきます。くれぐれも体には気をつけてお過ごし下さい。
ひろし 05.03.21(連絡)
タマお姉さまが連絡を待っています。電話をしてもメールをしても繋がらないと心配しています。早速アクセスしてあげて下さい。
真理 05.03.22(またしても異常なし)
今日は、三ヶ月ぶりの婦人科の定期検診でした。頸癌も筋腫も再発なし、卵巣・子宮ともに異常無しでした。主治医は花粉症の被害者で私より重症患者の様子でした。名医も花粉にはかなわないらしいです。かるく笑い話をし、4ヵ月後に診察予約をして病院を後にしました。遅ればせながら、お彼岸のときは、父の墓参りにお付き添いいただき、有難うございました。父もきっと喜んでいることでしょう。あしたの命日は、私も胸のなかで拝みたいと思います。父は、入院中も自分のことより、しばし私の体を案じていました。もうすっかり告知の衝撃からは立ち直っていますし、何も怖れてはいないのですが、健康に鈍感にならずに感謝しながら歩いていきたいものです。おじ様も、おじい様になるにあたり、ご自分のからだをいたわりながら楽しく暮らしてください。笑うことが長寿の秘訣、と誰かが言ってました。おじ様ならたやすいですね。
ひろし 05.03.23 (万事良好亦嬉しからずや)
麗らかな日差しが窓越しに差し込んできていて、庭の片隅に目をやると水仙が小さな茎を空に向かって伸びようとしている姿がいかにも可憐で思わず目が潤んできました。長かった冬が過ぎ去り白鳥の旅立ちの日もいよいよ近まってきたようです。真理ちゃんから生きる悦びを貰いながら、「今」を大切にしながらどこかに生きてきた証を残したいと思いつつなんとなく時を過ごしやるこ日々を省みながら、ひたすら歳を重ねるだけに日々を終わらせることのない生き様を考え始めています。小岩さんと入れ替わりに訪れてくれた妹が今日帰ります。でも今度は春がきて雪の下で眠っていた花が咲きだして心を和ましてくれることでしょう。
真理 05.03.23
おじ様の便りはいつ見ても心が和みます。私のコンクリート生活では忘れかけてしまう、自然との共存の様子が目に浮かびます。ここには岩手山も庭の花も積もる雪もないけれど、瞼の裏にはしっかりと刻まれています。いつしか手紙やメールを出す時に、頭の中にある用件しか書けなくなっている自分にハッとしました。以前に比べ確実に季節感、自然や天候を感じる感性が鈍くなっています。事務的に感じてしまいます。情緒あふれる便りを拝見するたび、眠っている感性に刺激を受けると同時に、懐かしく、暖かい気持ちになります。水仙の花を見て潤んだおじ様を思い、私の目も潤みました。「人は忘却の生き物」とはよく言ったものです。忘れる事によって、生まれる思い、行動もありますが、忘れてはいけない事もあります。そういう意味では、私たちはお互いに刺激的な関係を保ててよかったと思います。
ひろし 05.03.27(夢うつつ)
闇をつんざくような啼き声が屋根のすぐ上のあたりから聞こえてきた。いよいよ旅発ちの時が来たのだろうか、漆黒の空の中、一羽を先頭に右と左に扇形に拡がりをみせる白鳥の群れが声を掛け合いながら飛んでゆく、その姿が目に浮かぶ。庭を覆いつくしていたふわふわの雪もいつしかざら目砂糖のようになって、そしたらいつの間にか消えてしまった。ベットの上には春の日差しをたっぷり吸い込んだ布団が敷かれ、同じく天日干しでふわふわになったシーツ代わりの毛布がその布団をぐるりと包み込んでいて、その上に毛布と薄い掛け布団が一枚乗っている。寝床も春の装いである。春宵とはいえ朝の冷え込みを考えるとその寝床に夏用の寝巻きで潜り込むにはいささか不安が残る。この冬になって北の方では「どんぶく」と言われる綿の入った羽織で肩をすっぽり包んで寝入るようになった。このどんぶくなるものは10年ほど前に暮れからお正月にかけてオーストリーの片田舎に数人の仲間と合気道の合宿に出かけたときに一緒にくっついてきた学生が、夜に書き物でもするときに羽織ってください、と縫ってくれたものだったが、折々うたた寝なぞするとき心持に応じて肩やらお腹やら、そこいらに載せて気持ちよく鼾をかいている。歳を重ねた所為だろうかこの冬は肩をすっぽりと暖かく包んでくれるこの代物は一晩たりとも欠かせなくなってしまった。昼の日差しは和らいできたものの夜ともなれば矢張りあたりの空気はまだ冷たい。夏用の半そでパジャマに着替えてそのどんぶくを着込んでイラン相手のサッカーの試合を夜が更けるまで観ていて、興奮さめやらぬままその晩もどんぶくで肩を覆いつくして、春の香りが漂ってきそうなベットに入り込んだ。サッカーの試合は2対1で敗れたこともあって、ただただわめくだけの解説者にやるかたない憤懣を心の中で蹴飛ばしていつのまにか寝入ったのだったが、ほどなく寒くて目が覚める。さすがに上と下に毛布があっても夏掛けの布団一枚ではまだ無理があるのだろうと目を開けてみる。肩にかぶさっていたのはどんぶくだけで上の毛布は左にずれていて布団は足元にぶらさがっていた。今一度毛布と布団を揃えて3枚を重ねて改めて寝入ったのだが、矢張り冷や冷やとする。それでも鹿児島は「自現流」という滅多に手に入らない頂戴物の焼酎がほのかに利いていていつしかゴンゴンと眠り込んだのだが、そのうちほろ酔いも醒めてきたようだった。寒いのは寒いのだけれど、のこのこ起き出して布団を持ってくるのも面倒である。目を凝らすと時計は2時を廻っている。そのうち泰子ママが上がってくるだろう。そうしたら布団を一枚持ってきてもらうことにしよう。足をどんぶくの中に丸め込むようにして時を待つ。寒さをここらえるためにあれこれ想いを巡らしていたけれど、どんなことを頭に浮かべていたのかどうにも記憶は定かではない。寒いなという感触と泰子ママはまだかなという思いが残っているだけである。薄目をあけると階段の電灯でかすかに見える時計の針はもう3時を廻っていた。風邪をぶりかえしたりしないかしら。過ぐる日のインフルエンザはもう免疫ができているだろうから今一度被る風邪はありきたりの風邪かな。でもいやだな。それにしても足元が寒いな。目をあけたると明るかった筈の階段の電気はもう消えていた。またも毛布は左にねじれてベットの片隅を暖め、きちんと掛けた布団は真横を向いている。そこまで寝相が悪いのかな。はたまた狐の仕業か。下の畳に敷いてある布団に目をやると、いつの間に入ってきていたのか、すやすやと寝入っていた泰子ママがコンと咳をした。
真理 05.03.27(文学と私)
今回のお便りは、なにかの連載小説を読んでいるかような錯覚に陥りました。まるで昭和の有名作家の自伝の1ページのようです。小説ついでに、3年ほど前、母と軽井沢へ旅行に行ったときのことを思い出しました。室生犀星が主に執筆していたという、当時のままの別荘へと立ち寄りました。母は多方面に教養があるらしく、何も知らない私に、犀星をはじめ、昔の作家の説明をしてくれました。丁寧に手入れされた庭の苔を横目に石畳を歩き、犀星がおそらく座っていたであろう縁側へ座ると、質素でありながらも趣のある光景が飛び込んできました。白樺に囲まれた閑静なその別荘は、一層夏の香りを堪能できました。しばし二人で避暑地の風に酔いしれていました。すっかり勢い付いた母は、近くの島崎藤村の資料館にも立ち寄ると言い、私もキビ団子ほしさに犬のようにお供しました。おそらく中学か高校で彼の作品に触れていたはずなのに、資料館に着くなり私が言った一言は「なんだ〜島崎藤村、てこの人か。シマザキ・フジムラかと思っていたよ」と、なんともお粗末なものでした。母は声にならない声でクククと笑っておりました。文を読んだり、書くことは嫌いではないのですが、どうも教科書的な有名な小説には昔から馴染めなかった私でした。夏休みなどの課題図書の読書感想文では、せっかちな性格が災いして、目次とあとがきにしか目を通さず、感想もストーリーからは逸脱し、自分の人生観などを書いてはごまかしておりました。これが不思議と文学の達人?の国語の教師たちには意外性からなのか、受けが良かったものですから、真面目に読書した生徒からすればひんしゅくモノです。おかげでこの歳になっても、文学の教養は宮沢賢治以外は知らずじまいです。太宰治や川端康成よりも、おじ様の叙事詩?のほうが文学嫌いの私には、すんなり頭に入り込んできます。半生を振り返った回想録など執筆してみてはどうでしょうか?その時は、3冊ほど自腹で買い込む余裕はありますよ。
ひろし 05.04.02.(4月1日の出来事)
暦が変わった4月の朝は屋根にかぶさった雪がきらきらと輝いていた。メールを開いてみたら2通の着信がある。一つはmarie-antoinette(マリーアントワネット)とあって、これは私が卒業論文の指導をしている学生で、今一つの方はドイツ人の同僚が寄越したものだった。この人物は日頃あれこれ辞書を調べてみても皆目わからないドイツ語の言い回しについてメールで問い合わせると早速メールで返信をしてくれるのだが、自分の方からメールを寄越したのはただ一度、父親が死んだときだった。続けて2度も父親が死ぬことはないので、今度は母親かと余計な心配をしながら、学生のメールはさておいてそのドイツ人のメールを開けてみることにした。話したいことがある、との出だしだった。信じられないことがある、と言う。てっきり法人化2年目を迎えた岩手大学が外国人教師の労働強化を謳いだした労使契約への苦情かと思いを馳せて先を読む。彼女が妊娠した、とある。信じられないのはこちらの方である。ゆえに望まなかったことをしなくてはならぬ。つまり彼女と6月5日に京都の神社で結婚式を挙げ、続いて庭の美しい料亭で披露宴を行うので、ぜひ出席を乞いたい。正式の招待状は後から送る、とあった。ご当人は「ガーデンレストラン」とだ言っているのだが、京都まで人をよびつけるのだからガーデンレストランとは美庭を配した料亭であると私が勝手に解釈したにすぎない。それにつけても京料理には心が惹かれる。6月ともなれば筍は最早旬ではない。鱧(はも)は早すぎる。お膳のことばかりが頭を掠めてゆく。そこで気がついた。その前日の6月4日は阿部さんの娘の披露宴にご招待を受けている。おまけに乾杯の音頭をとらなくてはならない。京都のご馳走に目がくらんで先約を断るわけにもいかないだろう。京のご膳はうたかたの夢と打ち消して、「汝の突然の報せは我を驚愕せしも甚だ嬉しい。汝の結婚を心から祝福するもの也。我、是非とも出席いたしたきところなれど時同じくして祝辞を述べねばならぬ披露宴に既に招かれている。後日、日をあらため汝の妻への拝眉の栄にあづかることを楽しみにしている。彼女へのよきご挨拶を」と返事をした。盛岡での結婚式は前日の4日のことだが、いづれにしてもその翌日にのこのこと京都までご馳走を食いに行くのは面倒である。阿部さんの祝宴では乾杯の音頭であって祝辞を仰せつかっているわけではないが、手元に辞書がなくその「乾杯の音頭」はドイツ語ではどう言ったらよいのか判らなかったので「祝辞」に置き換えた。続いてマリー アントワネットのメールを開いてみた。「おはようございます!今日から新しい学期が始まりますね。今年は卒論や進路など、いろいろご相談したいです。よろしくお願いします。ところで先生のドイツ語教科教育法受けたいのですが、今日は授業はありますか?」なんてこった、春の足音を聞き始めてあれこれ準備の緒についたばかりであるというのに、もう授業が始まるのか?前期は週に7つも授業が控えている。あらかたの講義ノートは出来上がりつつあるところで、それにあれこれ手を加えたり授業の直前にオーバーヘッドプロジェクター用のプラスティック用紙にプリントアウトすればよいだけになっているのだが、このドイツ語教科教育法については全体構想が頭の中にあるだけで、1回くらいはお休みするにしても残る12回か13回分の内3回分余りしかできていない。いづれにしても4月早々に授業を始める気なぞもとからないので、授業は7日の入学式以降、従って第3週から始める旨返事を出した。私が大学院に入った頃はいづれの授業も5月まで延々と休講続きだった。最近はどうにも世知辛く思えてならない。おまけにこのマリーアントワネット嬢のかつてのメールといえば、たった一人の授業だというのに体調が悪いのでお休みしますとか、病院にて診察してからいくので遅刻します、というのが大半であって、まともに授業をした記憶がないのだが、昨年の夏にドイツに語学研修に出かけてきてからというもの、それまでとは人が変わったようにドイツ語に勤しみ、登録していなかった私の授業にせっせと通ってきては活発に質問をしたり答えたりしていた。今年は教科教育法を初めとして他のゼミにも出席しそうだし、卒論とも絡んで私の手を煩わしそうな気配である。ともあれ二つのメールに返事を出しておいてタマお姉さまらとともにさっさと鶯宿温泉へと車を走らせ、お握りと鳥のから揚げをつまみ味噌汁をすすり、お腹を満たしてのんびりとお風呂に浸かってハタと思った。あれ?今日は4月1日だった!
メールを書こうと真理ちゃんのアドレスを探していざキーボードへと指をのばしたところで居眠りをしてしまいしました。送信済みのパネルによれば文を綴らぬ内に送信してしまったようです。従って「Re:文学と私」は誤作動そのものですので悪しからず!今宵はミセス阿部は東八幡平にあるご友人の別荘にお出かけにて旦那殿が食事に来ます。タマお姉さまもご一緒ですが、雀荘にはなりません。私は禁酒、禁麻雀です。もう飽きた!ここは岩手だよ!秋田だったらどういう答えが帰ってきたでしょうかね。今夜は鶏の水炊きです。
真理 05.04.12(ありがとうございました)
携帯用のネットのアンテナ?みたいな物を忘れてきて、実家までパソコンを持ってきたものの、使えませんでした。久しぶりに携帯電話にてメール作成中です。連日連夜、ご馳走さまでした。ちらし寿司も美味しかったけど、やっぱりあのパスタは最高です!アッサリスッキリで、よくあるクリーム系のこってりパスタとは比べものにならないくらい美味しかったー!今度レシピ教えて下さい!!この数日で1ヵ月分くらい笑い転げたような気持ちです。楽しい時間をありがとうございました。雀卓を囲んでくださった皆様にも宜しくお伝えください。もう小耳にはさんでいるかと思いますが、昨日は『ノブ』という若いもんが、付添人になり姐さん役になりきり、多くの笑いを呼びました。『ノブ』がお勤めに出た後、ツキが回ってきて堂々姐さん1位でお開きとあいなりました。 今からコマチの座席で、親分さん(おじ様)からもらった麻雀ゲームを始めたいと思います。。。 次回は5月1日にまた実家に来ます。またお会いできる日を楽しみに日々頑張りますね(シャバで) では、お元気で。
真理 05.05.12(お世話になりした)
この度は、連日連夜と大変お世話になりました。お陰様でご馳走三昧、笑い三昧、と楽しい日々を過ごすことができました。おじ様も相変わらずお元気そうで何よりです。
短いような、長いような4泊5日でした。弘前のお花見は本当に素晴らしいので、是非とも近いうちに行ってみてください。来年も連休ごろが見ごろなら一緒に行きましょう。夜桜も感動できそうですよ。今日は久しぶりの授業ですね。 昨夜、お酒がまわった頃「ケバイ」をドイツ語で言おうとしても、なかなか単語がでてこなくて「リッヒ・・・イッヒ・・・なんだ?」とおっしゃっていたのを覚えていますか?教授先生!今朝はシラフでしょうから、講義は大丈夫ですよね??飲んでるときのおじ様は本当に幸せそうで、饒舌で面白くて、こちらまで楽しいですよ。東京へ戻ったら、私も祐介君に負けないように仕事も頑張ります。最近、TAMA財閥もヒーヒー言っているので^^;;
それでは、またお会いできる日を楽しみにしております!
ひろし 05.05.15(祝誕生日)
お誕生日おめでとう。これまでプレゼントを探しに行こうにも、日頃から出かけるには雪駄履きでそこいらをジョイと一緒に散策するのが関の山でして、町に行くにはエイヤッといったような心持にならなくてはおいそれと菜園まで足を運ぶことがままならず、やっと昨日になって泰子ママを誘って、「豚ちゃんやーい」と探しに出かけたのですが、残念ながら真理ちゃんに相応しい豚さんには会えず、全く裏腹のプレゼントとなりました。夕方になって日頃から宅急便をお願いしているお店にいったのですが、既に集荷してしまって、日曜日は店はお休みだから配達は火曜日になります、とのことでした。我が家に集荷に来てもらえば今日の誕生日に間に会うところでしたが、寄る年波の所為でしょうかそのあたりのことがとっさに頭に浮かばず、「ま、いいか」と頼んできてしまいました。てなわけでプレゼントは火曜日にお手元に届きます。
私はやがて還暦も近いジジイになりましたが、真理ちゃんはますます磨きがかかるお歳頃ですね。これからも折をみて私たち年寄りに輝かしい初々しさと爽やかな笑いを分けに来てください。楽しかったゴールデンウイークが締めくくられて真理ちゃんらの若やいだ華やかさが遠くにいってしまって、そこはかとない静けさが漂っています。咲くそめいよしのの桜の花びらを透かして遠くの青い空を眺めるそんなお花見が私は好きなのですが、その花も冬の空に浮かぶ風花のように舞い散り、今は足元を見れば紫や朱色のとりどりの花が咲き誇り、見上げれば桃色に輝く八重桜がどんよりとした空を華やかにして心を浮き立たせてくれています。
祐介は転職をする心に揺らぎはないものの、ここぞと決めた会社はどうにも危ういものであることを突き止め、今はひたすら新たな道を探るべく勉強に余念がありません。今勤めている会社の専務、部長からも引きとどめられたようですが、本人の意思は固く7月頃まで有給休暇を使いながら籍を残して辞するようです。専務から手放すには惜しい人材だ、と電話をいただきましたが、私もママも暖かく祐介の行く末を見守ってやろうと思っています。旧友の東さんの件では素晴らしいカウンセリングの成果があったようでご両親にも大いに喜んでもらえたようです。真理ちゃんも心配しているようですが、今しばらくはそっとしておいてあげる方が東さんへの思いやりになる、とは祐介の言でした。
今日は午前中、幸信さんともども合気道の稽古に行ってきました。我らの舎弟の幸信君はカミさんと娘夫婦に置いてけぼりを食い、昼に味噌汁ぶっかけご飯を食べて我が家にやってきました。私とタマお姉さまの昼食のおすそ分けのトーストをかじり、コーヒーを啜ってしごくご満悦で、久方振りに祐介を交えて雀卓を囲んでいます。従って今夜はまたまたシェフのお出ましとなるようです。今夜は簡単にぺペロンチーナとナポリタンにしようかと思っています。そしてもちろん赤ワインは欠かせません。先日、ワイン屋さんが集金にきたので40数本にもなる所蔵のワインリストを見せたところ、そのうち10数本はなるべく早く飲むべしとの有難いお達しがありました。酒屋でも開けそうな程のワインの瓶が床下にあるというのに、美味しかった2004年のワインがラベルの不良ゆえに値引きするとの話で又もや私が1ダース、ママが半ダース注文してしまい、それが何日か前に届き、リストを書き換えたうえで床下に納めました。今宵も饒舌になりそうです。
真理 05.05.18(有難うございました)
とってもかわいいタバコケースありがとうございます。ピンクも綺麗だし、mariのロゴもシャレがきいていてお気に入りです!!よく見つけましたね!調度手持ちのが汚れてきていたので、早速使わせて使わせもらっています!いつもありがとうございます。いい女めざして頑張ります^^
ひろし 05.05.19
いい女だと?ちょっと待ちんしゃい!今よか、よか(良い)おなご(女)になってどげんするとね?いかんですばい。そげなこつ俺が許さん!じぇったい虫のつくごたる!はよぅ、盛岡さ帰ってきんしゃい!おじしゃま、寂しぅうて、しょんなかとヨ!ほんなごつ(本当に)!酔筆!
真理 05.06.19
お久しぶりです。いかがお過ごしですか。だいたい母から状況は聞いてますが^^
阿部家の結婚式では号泣したようで・・・。そんなおじ様を見てみたかったな。まあ、私はまだまだ結婚へのリーチはかかっていないのでご安心を!祐介くんから、この前突然電話がきて、それだけでも「何かあったのかな」っと、驚きでしたが、簡単に言えば、会社自慢の内容でした^^ずいぶんと頑張ってるようだし、結果も出してるみたいだし、変わりましたね。祐介くん。酔っ払ってるのか?と聞きたくなるほどよく喋る。(仕事の話は)
岩より固いおじ様を口説けた彼には、もう怖いものはないでしょうね。(クスっ)私も、色々あっても歯科衛生士という無難な道で修行中!とてもいい歯科医院なので、今はパートですがゆくゆく社員も考えております。週休5日の日々が懐かしいです。
今じゃ普通に週休2日。でも、生活にはハリが出ていい事だらけですね。花火は是非行きますので、首をながーーーーーくしてお待ちください!
ひろし 05.06.21.
メール有難う。久しくメールを差し上げていませんでしたね。過日祐介が上京するにあたって何せ田舎者ゆえ東京の町をキョトキョトと歩き回っていたら、さらわれてアフガニスタンあたりに売り飛ばされてしまうのではないかと心配していたのですが、真理ちゃんに案内してもらえるということで一安心し、よろしくとメールを送りたいとは思いつつも、頭の中にはいろいろな想いがはびこっていてなかなかメールを送る心のゆとりがありませんでした。そんな訳で今回のメールはかなり長くなりそうです。幾つかにテーマを分散しますので読み上げるに飽きたら後日改めてその先を読んでください。
まず初めは祐介から紹介されたと思えるICレコーダーとドラゴンスピーチとかいう新しい機械とソフトのお話です。ICレコーダーについては祐介がお見せしたでしょうが、これはごく小さなレコーダーでして実に十数時間の録音が可能で、しかもそれをコンピューターで文字化が可能という大変なすぐれものでして、私も早速、身分柄から祐介のものよりも一段優れたものを買い求めたものの、今もって箱から出して電池を入れただけで説明書すら読む暇がありません。一方のソフトはICレコーダーの録音内容を文字に変換してワープロ文書などに取り組むのに必要な物なのですが、このソフトだけでなんとコンピューターのキーボードを使用せずにチューリッヒのテレビCMのごとく、ヘッドマイクを使って話すだけでワープロ文書、メモ、電子メールを作成することができるという実に便利な代物です。このドラゴンスピーチは無事にインストールすることもでき、簡単なトレーニングも済ませ、いざこれを使って真理ちゃんにメールを送るまでになったのですが、どうやら限られた時間内に言いたいことすべてを入力できるものかどうか大いに気がかりなので、フロッピーに保存した上でメールのテキストに変換してみようかと、そのあたりを試してみたのですが、どうにもこれが一向に進展しませんでした。テスト保存はしたものの復元させてみたら、さんさ踊りのごとく文字化けしてしまったり二度と復元できなかったりしまいして、思ったように簡単に事が運びそうにないので、それは諦めていつもの如くキーボードをポンポンと叩かざるを得なくなりました。散歩の途中で思いつくままにICレコーダーに録音してそれを編集しようかなどと思ったこともありましたが、それは夢のまた夢となりそうです。いとも簡単にこれらを使いこなしている祐介には内緒にします。いずれ暇をみてユーザーガイドを読むことにします。この歳になるとこのユーザーガイドが中々頭に入らないのです。携帯電話にしても相も変わらず電話以外の機能は全く使いこなせないのですが、こちらの方はそれ以外に使う予定もないと開き直っている有様でしてホトホト情けない限りで、今になってなぜか岩手にきてスキーを始めた頃のことが思い出されました。あれはもう20数年前のことでしたが、スキーは九州にいたころに鳥取の大山と長野のどこやらのスキー場で二度ほど経験しただけだったので本格的にスキーをしたのは盛岡にきてからのことでしたが、あの時ほど惨めだったことはありません。傍らでは年端もいかぬ小さな子供がボテボテと転んでいる私を尻目に巧みに滑っていったのです。あの時はあの餓鬼どもに向かって心の中で叫びました。「お前たち、スキーはうまくたって、ドイツ語はできねーだろう!」
閑話休題。次は私とは切っても切れないお酒の話。3月の終わり頃に寿和の就職を祈願してお酒を断ったのでしたが、それも一ヶ月をもって挫折して再び飲み始めたのはご存知の通りですね。その所為だったのか願掛けはものの見事に頓挫してしまい、寿和には申し訳ないことをしてしまいました。いつか矢張り酔っている時のことのようですが、泰子ママの言によれば、あと十年くらいは寿和の生活の面倒をみてやると言っていたそうです。それもまた致し方のなきこととこれまた諦めの心境です。でも、あのお酒への憧憬と闘いながらも日々、寿和が私の故郷ともいえる福岡の大学に赴任することを夢みることができた、ある意味では楽しい毎日でした。そして封印していたお酒を飲み始めるやタマお姉さまは大分の焼酎をご持参くだされました。これが実に美味だったのですが、それは1ヶ月におよぶ断酒による味わいのせいではなく、熟成されたかなり上物の焼酎だったためであることは言を俟ちません。タマお姉さまにあってはご本人は全くの下戸の癖に、いつの日にか私の断酒が解禁したときのお祝いに、とアネックス川徳の酒屋さんにて吟味して、温めてくださっていたお酒だったとのことでした。有難く頂戴し、幸信さんらにはほんの一口だけご馳走して差し上げました。いつしか日本酒のことが話題になり、随分以前に飲んだ新潟の八海山というお酒が美味しかった話をしたことがありました。そしたらどうでしょう?なんと、今度はそのお酒を持って来てくださいました。これは冷蔵庫にしまっておいたため幸信さんの目には触れることなく、ちびりちびりと私が独り占めしました。隠れて飲んだせいかひときわ美味しかったような気がします。いよいよ瓶の底に残っていた最後の一口を飲み終わって、はたと思いました。味は聞き及ぶだけのタマお姉さまが選り抜いてこのお酒を持ってきたその気遣いは何だったのだろうか。「八海山」というこの響きはその「山」を省けばハッカイ、もしかしてこれに「チョ」がついて孫悟空のお供をする私を連想したのではないだろうか?そして先日、入試説明会のために弘前と青森に一泊で出張する機会がありました。折角だから泰子ママと出かけることにし、タマお姉さまにも声をかけたところ、これ亦タマお姉さまが一度行ってみたい温泉が弘前の近くにあるということで私ら二人をご招待くださることになり、恐縮の限りながら甘んじてお受けすることとなり、犬猫の世話を阿部さんご夫婦にお願いして6月9日の朝に出かけて行きました。弘前の駅の近くで簡単に昼食を済ませてから私が仕事をしている間に二人は2両編成の電車にゴトゴトと揺られて一足先に南部津軽のその温泉に出かけていきました。私がその宿に着いたのは食事を始めることになっていた7時少し前のことでしたが、名物の樹齢数百年という檜のお風呂で一日の疲れを癒すことにしました。私はひとりで大きな檜のお風呂にざぶんと浸かって横に目をやると、「都忘れ」の小さな鉢がさりげなく置いてあって心が和みました。その向こうのガラス越しにはたっぷりの水面が広がっているのです。なんて大きな露天風呂なのかと肝をつぶしていたら、やがて泳いでいるのかそれとも歩いているのかわからぬものの、アヒルが二羽すいすいとこちらに向かってきて再度驚きました。慌ててガラス戸をあけて飛び出さなくてよかったと胸をなでおろしました。そしていよいよ晩餐の始まりです。見た目にもお上品な彩りの平目の山菜巻きと数々の前菜が取り揃えられたお皿が並んでいて、その傍らには氷を敷き詰めた木鉢の真ん中にちょこなんと載っている竹の器になみなみと食前酒が湛えられていました。これを小さな竹の柄杓でくみ上げて綺麗なガラスのお猪口でいただくのです。宿の名を冠した大吟醸「錦水」というこれまたなんとも甘露なお酒で絶品でした。食前酒は他の宿でも出てくるものですが、これがたっぷりと飲めるというのもなかなか在り難いことです。やがて吸い物、お造りと箸が進む頃合になれば食前酒の器も空になって、今度は「じょっぱり」というお酒をもってきてもらいました。これは他の料理の味を邪魔することのなく、それでいてきちんとした味わいのお酒でした。次々と運ばれてくる料理のなか牛若菜巻きという美味なる肉料理があって、このあたりで再度「錦水」を持ってきてもらいました。肴をいただいた後で口にするこのお酒の味はまた違っていて二度の味わいを楽しむことができました。そこでこの肉に乗っていた赤い小さな粒を口に含んでみると、どかこ懐かしいヨーロッパの香りが広がったのです。仲居さんに「いったいこれは何か」と尋ねたところ、判らないので板前さんに聞いてきてくれることになって、仲居さんには余計なお世話をかけてしまって申し訳ないことをしてしまったのですが、生の赤胡椒ということで納得しました。香の物と水菓子、甘味が出されて目出度くご納杯となりました。翌朝、階下のフロアーにてコーヒーを飲んでいると、タマお姉さまは週末には帰盛する予定の祐介と一献かたむけるようにと「錦水」を買い求めてくださいました。そして極めつけになるのですが、先日の日曜日の晩には例のごとく私のパスタをご馳走するべくお姉さまを待っていると、頂き物だからと言いながら川徳の紙袋のなかから白ワインを取り出しました。泰子ママがグラスを取り出し、口に含んで「美味しい!」と一言。パスタの仕込み中の私もカップを差し出し並々と注いでもらいました。二人ともてっきり私が飲むものと考えていたようですが、惜しげもなく用意した鍋にそのワインを注ぎ込み、じっくりと火を通してパスタのソースの素を仕込みました。でも、タマお姉さまご持参の紙袋から出てきたのはそれだけではありません。別の箱入りの品物を取り出して、「今日は父の日だから」と宣うのです。「年下の父親?ならば、真理と祐介から」ということで落ち着きました。中身は言わずと知れたお酒です。今度は焼きもの大振り徳利に入った九州は福岡の大麦の焼酎でした。昨晩、綺麗な紐をほどいて飾りのようにかぶさっていた和紙をはずして、コルクの栓を抜いて一杯ロックでいただきました。淡麗にして深みのある味でした。大変結構!
次は祐介の話です。八戸に出稼ぎのごとき出張からか帰って長いお休みの期間に入ってしばらくして突然転職したい旨相談されたのは真理ちゃんもご存知の通りです。その後、再就職にあたっては祐介自身も二転三転したわけですが、今の会社の実情視察に出かけるその日になってのっぴきならないニュースが仙台の義弟より私の許に届き、私は一日中そのことを考え続け、転職そのものは反対しないもののその会社への就職は断念させなくてはならないという結論にいたりました。その当日は生憎、時間がとれなかったので寿和のアドレスに祐介あてにメールにて私の心の内を届けることにしました。寿和は読んでもいいかと聞いてきたので寿和にも読んでもらい、同じ意見になったようでした。そしていよいよ6月3日に盛岡に帰ってきました。それまでの間どう祐介を翻意すべきか考えあぐねたのですが、なんとしても今回の話だけは承諾するわけにはいきません。いよいよ祐介の方から切り出してきました。東京で偶然社長に会うことができ、途中からではあるけれどその内容を先のICレコーダーに録音し、コンピューターに取り込んだので、まずもってそれを聞いて欲しいとのことでした。それを聞いたところ頑なに祐介の翻意しか頭になかった私はただこう言ったのでした。「行ってこい!頑張れ!応援する!」以来、祐介はタマお姉さまはもとよりほだの会の皆さんや他の人々に支えられ、これまでの人生の中で最も充実した日々を送っているようです。あれほど生き生きと輝いた祐介を見ているのは初めてです。果ては、「転職を心に決めてからの祐介を見つめてきた一人の友人がこれまでのアルバイトのごときホテルマンの仕事にピリオドをうち、改めて通信教育を受けて教師になる夢を抱くにいった」という話を聞いて寄る年波の私の涙腺はとうとう緩んでしまいました。
涙はこればかりではありません。極めつけは阿部綾香ちゃんの結婚式ですね。これまでも幾度となく卒業生の結婚式に招かれてきました。九州に赴任して数年経て、こともあろうに学生たちが組織した「多田一家」なるものにはむつけき男どもばかりでなく女子学生もおりましたので、そのつど娘を送り出す父親のような心持で披露宴に出たものでした。6月4日の披露宴でも久方振りにああした心境になるのかなあ、なんておぼろげながら出かけていったのですが、その先はお聞き及びの通りです。悲しいのではないし、別段寂しかったわけでもないのです。ただただ涙が流れてきて収まりがつかなかったのです。真理ちゃんの結婚式が今すぐであろうと、先のことであろうと私は真理ちゃんの結婚式には出られそうにもありません。コンピューター機器をこなせないのもユーザーガイドをすんなりと理解できないのも、はたまた人前憚らず涙をポロポロ流すのも齢60に喃喃とするこの歳の所為なのかもしれません。
前置き通りなが〜い話の「空から降ってきた長い褌」もあきれる程だらだらと続いてしまいました。この次は簡潔にして要を得たメールを心がけることにします。
真理 05.08.01
おじ様、お久しぶりですね。や〜〜〜っと、今、この前の長文のメールを読み終えました・・・。
こちらは、職場が2つになってからというものの、何かと忙しく?(真理的に)してました。
祐介くんとは、お会いして、おじ様の話や岩脇町の話や、甥っ子の話も聞いてはいました。
先日も母が来て、大掃除をしてくれましたし。
年寄りをこき使って、反省しつつ、今もなお快適な部屋を保っております。
お盆は13〜16まで帰省する予定です。姉と一緒のスケジュールで、おじ様とゆっくりお話できるかは微妙なところですが、月末には大曲の花火大会というビッグイベントが待ってますものね!!
去年みたいに、皆さんで見られることを本当に、本当に心の底から楽しみに毎日過ごしております。
メールの返信、は最後の文のところだけに留めておきますが、『真理ちゃんの結婚式』は、当分は未定ですので、ご安心を。
意地でも、おじ様には参加してもらいますので、思う存分、呑んで、呑まれて、また呑んで・・・泣いて、叫んでくだされ。
相変わらず、簡潔なお便りですが、ご勘弁を!!
次、お会いする時は、いつものようにお元気な姿を見せてくださいね。
ひろし 05.08.06
久方振りのメール嬉しく拝見しました。祐介の転職、孫の誕生が相次ぎ、私を取り巻く世界があれこれ目まぐるしく移り変わっています。孫が産まれ、本物のジジイになって、いよいよ老いて死にゆくばかりの末路がじわじわと心に迫ってきていたところに、寿和からも元気に長生きしてくれよと励まされました。来し方はもう見る必要はないのかもしれません。静心無く刻が過ぎ去るのは如何ともしがたいものではありますものの、行く末をしっかりと見つめながら生きていかなくてはならないのでしょう。この夏はせめて日が沈むまでの間は、しばし手薄になっていた論文に専念しようかとも思っています。盆が過ぎ去り、幾日かしたらドイツの合気道家が盛岡にやってきます。花火大会にも同道するということもあり、それまでにドイツ語の方も俄か勉強でいくらか磨きをかけておかなくてはなりますまい。行く末に想いをいたす暇もなさそうです。日が暮れれば冷た〜いビールなど飲んでひっくり返っている日々ですしね。「酔う」という人生の愉しみを知らぬ真理ちゃんはお気の毒としか言い様がなく、暑中お見舞い申し上げます。
ひろし 05.09.21
真理ちゃんの日常はタマお姉さまより日頃伺っています。私の方は相変わらず忙しいのか暇なのか訳の判らぬ日々を送っておりまして、父の7回忌を直後に控えた9月の7日の晩には市民講座の受講生の方から携帯に電話をいただき、発信者の名前を見るなり、てっきり「来週にはお目にかかれますね!楽しみにしています!」とのラブコールかと思いきや、「市民講座は今日からですよね」とのお言葉。単なる私の思い違いでして、結局ひたすらお詫びして講座の開始を次週に伸ばしてもらいました。そして数日後には孫との感動的な初対面でした。真理ちゃんには申し訳ないけれど、ジジイにしか判らぬ何にも代えがたい感動でした。まだ何のまとまりもつけておらぬ慌しい夏の終わりでしたが、纏まらぬままにすぐさま寿和の披露宴を迎えます。披露宴とはいっても渋谷での会食ですので、私はいつもの友人のお下がりの礼服で出席することになりました。親孝行な息子と娘が親父の貸衣装代金を考慮してくれた結果です。
年寄りどもの2次会は同じく渋谷の居酒屋店の片隅で開くことにしました。翌日出かける箱根の富士屋ホテルは来る27日にテレビ朝日の「旅の香り、時の遊び」で午後後7時から3時間シュぺシャルの中で放映されるそうです。私たちが泊まる宿は元華族の御用邸だった有形文化財の富士屋ホテルの別館の「菊華荘」でして、寿和一家ははみ出でしまうので本館に泊まらせることにし、別館の方は私たちが貸り切ることになります。お酒はべらぼうに高いとのことで密かに持ち込むつもりでいるところに「くれぐれも羽目を外さないように」と釘を刺されているのですが、どうなりますことやら。せめて酒の方は渋谷で大いに飲んで、大騒ぎして翌日は美味しい料理を堪能してみようと思っています。
来る27日には人間ドックがあるのでそれまで断酒すると言ったものの、今夜、軽くボクシングの練習をしてきたらこの公約も4日目にして崩れてしまいました。軽くビールを一缶空け、つい先だって妹の恵美がタマお姉さまらと旅行にいった際に買ってきてくれた爽やかな味の焼酎を飲もうと瓶をみたところ、阿部夫婦が私が断酒していることを幸いに殆ど呑んでしまっていました。残っていた僅かな一口を大事に飲み干し、いま一本のこれまた旨かった泡盛もほんの一口が残っているだけにて納まりがつきません。泰子ママが気の毒がってワインを持ってきてくれました。呑みたかったのは津軽の焼酎なのですが、もういいです。「津軽」から「フランス」に飛ぶことにしました。呑みながらメールを綴ってていたら「くしゃみ」がとまりません。お風呂から上がって上半身裸でいたら別室で麻雀に興じていた皆さんが現れ、驚いて帰っていきました。いつの間にやらお茶までご用意されました。泰子ママの目を盗んでさらにワインを注いだところでお仕舞いとします。お休なさい。
と、昨晩送信した積りが酔っていたせいかあて先が私宛でした。改めてというのも妙な話ですが、ともあれ送信します。
真理 05.09.25
午後後7時から3時間シュぺシャルの中で放映されるそうです。
おじ様のメール(Wednesday, September 21, 2005 10:32 PM)の本文より。
「スペシャル」が「シュペシャル」になっていて母と二人でつい先ほど大爆笑し終えたところです。
母は一昨日から新宿に泊まっておりまして、聞けば、「徹マン後に新幹線に乗り込み、珍しく車内でも居眠りしてきたぁ!」とのことでした。年の割りに、まだまだ体力・気力あふれる母に脱帽です。ユウリちゃんはさぞ可愛らしかったことでしょうね。新しい家族の成長を見守っていきたいですね。私も母から岩脇界隈の近況は逐一聞いております。話しを聞くたびに、皆様に会いたい、麻雀したい、という思いが強まるばかりです。
来週は堺シェフのお店でたらふく召し上がってくださいね。
多田家もいろいろと変化があるようですが、私も何かと浮いた話がありまして・・・。
母がこちらに来た用件のメインは、真理の彼氏の見定め?でして・・・。
小岩さんのお店はいわばカモフラージュ?的なものです。(なんちゃって)
3ヶ月ほど前に知り合った彼は、北海道出身・今年30歳の若い身空です。かなりの酒豪なので、岩脇にもいつか連れていきたいと考えております。
母との会談も円満に済み、母の評価も上場でした。母曰く「あとは真理がどこまで我儘をおさえられるか、だね」とのこと。
そして、現在、最後の?我儘として彼に麻雀をスパルタ教育しております。早く役を覚えてもらいたいものです。
詳しいことは、今日盛岡に母を迎えに行ったついでにでも聞いてみてください。
そして、今晩も深酒?なのでしょうか・・・。くれぐれもハメをはずさないように母に監視してもらうことにします。では。
ひろし 05.09.26
はからずも泰子ママと時を同じくして散髪に出かけたら、「ご夫婦お揃いで!」と声を掛けられた。久々の散髪である。いつものごとくチョキチョキと鋏が入ったと思ったら、やがて髪を洗い流す段となった。洗髪用にしつらえた部屋の隅まで差し込む秋の日差しが心地よい。うとうとと眠気がさす。「痒いところはありませんか?」「お臍のあたりがむずむずする」とはいえない。今一度、鏡の前に座らされて最後の仕上げだ。「ムースを塗りますがよろしいですか?」「なんじゃ、そりゃ?どうなるの?」「俺くらい男前になります」「今更どうにもなるまいて」「いやね、先生の髪、真ん中あたりが力がなくなってきてるんです」「要するにジジーになったということだろう」ともあれムースを塗ってもらったものの、何の変哲もないいつもの年寄りだったが、これで頭は出来上がった。服は寿和に併せてタキシードを借りる必要もなく、小岩さんのお下がりの礼服にはアイロンがかけられ、鴨居にぶら下がっている。下駄箱から黒靴を出したらカビがはえていた。磨いてよしとするわけにはいかないようである。バックスキンだし、飾りがついているから駄目なのだという。親父の靴を引っ張りだしたら踵のあたりが破れていた。どうせ見えないのだからこれでよかろうと言ったが、「真理ちゃんの結婚式もあることだから、靴だけでも新調するように」と進言された。そうだ、タマお姉さまの報告を聞くなり、「イガッタ、イガッタ!」と手放しではしゃいでいる幸信さんの禿げ頭を一発張り倒してしまいたかったおじ様といえども、いつまでも「北海道に大地震が起こって、100メートルもの大津波に襲われて、ひろ何とかいう男もろとも沈んでしまえ」と拗ねているわけにもいかないのだ。気分を変えて靴屋に赴いた。下駄屋には折々雪駄を買いに行くのだが、靴屋は数年に一度くらいしか縁がない。新しい黒い靴は「高級天然ソフト牛革」で、前後には人様に劣るものの、横幅では勝る私の足にぴったりの「ゆったり幅広」となっている。明後日の披露宴に続いて今度はいつ穿くことになるのだろうか。傍らの新しい靴をみるにつけ涙が零れ落ちそうになる。
ひろし 05.10.00
幸信さんは孫の運動会の参観に出かけたので独り小春日和の麗らかな秋の日差しに誘われて小岩さんのお下がりの自転車をキーコキーコと走らせて合気道の稽古に行ってきた。昼は泰子ママと二人でサラダとハムそしてライ麦パンの納豆ピサで昼飯とした。
「真理ちゃんは今度二人で来るのかな?」
「タマちゃんは何も言っていないからないわよ」
「でも、わざわざ来るんだから結婚の正式の申し込みじゃないのなか?」
「何か話があるんじゃないの?」
「子供はできるのかな?」
「その話はしていると思うけどね。お医者さんの話だと2年以内に子供を産むように言われたらしいけど、それなら相手を探してってお医者さんにタマちゃんが談判したんだって」
「でも結婚生活って子供が全てじゃないよな。二人して幸せを探していけばいいんだよな」
泰子ママは昨晩の麻雀の疲れがでたのかいつの間にか2階に上ってしまった。仕事をする気にもなれぬ私は書斎にあがることもせず、下の部屋でタマお姉さまのお下がりのリクライニングの椅子に身を沈めながら勝手に師事している作家の戦後日記に記されている日々の麦酒とお酒のくだりに読み耽っているうちに日が暮れて、ここ1週間の深酒で流石に昨晩は呑み飽きて、麻雀で稼いだ幸信さんの奢りのビールを一口飲むだけだった私も、今夜は釣られてお酒が飲みたくなってきた。一風呂浴びてお腹の調子を整えて阿部ご夫妻のご来訪を皮切りに缶ビールを口にしたことろでタマお姉さまのお出ましである。
「お先しています」との一同の言葉に続いてタマお姉さまが改まった顔で切り出した。
「ひろちゃんに話があるんだけど」
「話によっては暴れるぞ!」
「早まりそうなんだ」
涙が零れ落ちそうになった。昨晩も食事の折にタマお姉さまの携帯電話が鳴っていた。聞き耳を立てているわけではなかったが、話の流れから真理ちゃんからだと察しがついた。あのときは泣き顔をこらえて膨れていただけだった。どうにでもなれ!もうやけくそだ!
「ダブルになりそうなのよ」
「なぬー?・・・タマちゃんも一緒に結婚するのか?」
誰もがひっくり返りそうになった。
「まご!」
抑えていた涙がほとばしり出た。誰もが泣いてタマお姉さまに手をさしのべた。泰子ママと私の涙はその何千倍もの涙だった。
真理ちゃん、おめでとう!おめでとう!本当にでかした。よかった!よかった!
「麻由さんは実家の近くでお産するのは当たり前だったのだから・・・さて真理ちゃんの産院はどこにしようか、生まれるその日はどこで待つことにしようか」
「まだはえー!」
「はい、そうですか。」
涙と笑いの晩餐で、ビールに続いて矢張り昨晩、幸信さんが買ってきてくれた泡盛を全部飲んだけれど、今宵はそのお酒は嬉しさに飛ばされてちっとも酔えなかった。微かに残っていたウイスキー、シーバス・リーガルは幸信さんがお祝い麻雀のお供に持っていってしまったが、今夜は赦すことにしよう。こうしてキーボードをポンポンと叩いている今も涙で文字がよく見えない。
とっておきのワインでも引っ張り出して改めて独り乾杯しようかな?泰子ママも大目にみてくれることだろう。
真理 05.10.20(自然淘汰について)
遅ればせながら先日は私と洋昭さんの手厚い歓迎有難うございました。
もはや岩脇町内会は私にとって第二の家族であり、故郷でもあるので、みなさんにお祝いしていただけることが何よりも嬉しいことです。恵美さんまで飛んできてくれて本当にみなさんの真心には脱帽です。洋昭さんも「早くみんなに会わせたい」という私の言葉の意味が解った!と、大満足でした。
帰ってきてから、最初の水曜日。実はこの日の朝、起きてお手洗いへ行って見ると目で確認できるほどの出血があり、にわかに不安になりました。まだ胎盤も出来上がっていないので何が起きても不思議ではないと思い、女子医大へと行ってきました。婦人科ではさんざんお世話になっていたものの、産科は初のことでした。診察ではエコーをしてもらい、胎児の心拍を確認できたから流産の心配はほとんど無いと言われ安心して帰宅していたのでした。考えすぎて不安だったので、初めて心拍を見たときは感動してしまいました。
午後は知人のブライダルプランナーの方と一緒に明治神宮・明治記念館の下見並びに簡単な打ち合わせの予定でした。二人そろっていざ明治神宮へと足を運んでみましたが、さすが歴史のある神社のようで否が応にも身も心もキリっとしてしまいました。当日はこの辺りを歩くんだ、とかここで神前式を挙げるのかとか色々想像しながら神社の中を進んでいきました。写真でみても充分気に入っていたけど、実際に足を運んでみるとその思いは強まりました。プランナーのかたは洋昭さんの飲み友達のようですが、そこまで親しいわけでもないのに無償で至れり尽くせりの高待遇で、その方の善意にも感動しっぱなしの1日となりました。神社の下見、記念館の下見は予想より見るところが多く、予算の打ち合わせもしていたので、4時から始まってあっと言う間に7時を過ぎていました。
5時くらいから生理痛のような痛みがあり、次第に腰のほうにも響くような鋭い痛みが走るようになりました。絶えられないほどの激痛ではないので、お世話になったプランナーさんをディナーへ誘い、わずかながらのお礼をして帰ることにしました。直感で「この症状はまずいなぁ」と思ってはみたものの、ついさっき診察してもらっているのだし、という安心感もありました。洋昭さんにはお腹が痛いということは伝えていたので早めの帰宅となりました。帰宅後、やっぱり子宮から腰にかけての鋭い痛みは消えず、出血の量も多くなったので女子医大の救急外来へと電話しました。産科の当直医と話し、すぐに来てくださいとのことでしたので、泊まってもなんとかなるよう歯ブラシとコンタクトケースくらいは持参することにしました。わりと酔っ払っていた洋昭さんも、すぐさまスーツに着替え病院まで付き添ってくれました。いざ病棟の診察台へ乗ると、カーテン越しには3人ほどの医師(助産師?)が立ち会っていて無言で器具を入れたり洗ったりしています。たまにヒソヒソと会話もしているようでした。震えながら祈るような気持ちで診察が終わるのを待っていました。
ナースステイションでは洋昭さんも立会いの下、いつの間にか駆けつけてくれていた産科の担当医と三人で話しました。残念ながら今回は発育ならず、という結果になってしまいました。自然淘汰の結果だから誰が悪いわけでもなく、何が悪いわけでもなく、治療方法もないので未然に防ぐことはできないものなのです。このことは私自身、妊産婦の専門雑誌から知識を得ていました。病院へ向かうときから腹をくくっていたものの、現実を目の前に叩きつけられてショックは隠せませんでした。ただ、このときの洋昭さんの態度が私にとってなんとも逞しいものだったので、精神的な悲しみは半減しました。お医者様の話だと大量出血に備えて今晩は入院して様子を見させてもらいたい、とのことでした。近所だから帰ろうかとも思いましたが朝は朝ですることがあるみたいなのでおとなしく泊まっていくことにしました。
次の日の朝。
診察の結果によっては子宮内ソウハという手術もあり得るらしいのですが、エコーの結果その必要性は無しとのことで11時頃、病院を出ることになりました。こうして1泊2日の入院が終わりました。1週間後に外来で診てもらいます。
どんなことにも意味がある、と私は思っています。あの子がこの時期に私の体内に宿った意味は、私と洋昭さんの絆を深めてくれるためだったんだ、と思えて仕方ありません。まだ歴史も浅い私達ですが、決して順風満帆な二人ではなかったからです。それを思うとなんて親孝行なわが子だったんだろうと、涙が止まりません。もう私がしてあげられることは何もないけど、洋昭さんとこれからも仲良くすることが一番の供養だと信じています。
私のほうは何の別状もないのでご心配なさらずに。明日、母がみなさんにご報告にあがると思います。母も残念がっていることでしょう。
この先の長い道のりのために、少しだけ落ち込んだらまた仕切りなおして出直したいと思っています。
これからも二人を宜しくお願いします。
ひろし 05.10.22(尊き生きる力)
思い起こすに私は子供の時分から幼子が好きだった。近所に赤ちゃんがいれば借り出しては、白い兵児帯をその赤ちゃんの両脇に通して背負い、帯を胸の前でたすきがけに交差させて赤ちゃんのお尻を支えて腹の前で結んで、こうして赤子を背負いながら友達と遊んでいたものである。
やがて長ずるにませていたのか、女の子を意識する頃からは子供ながらいつも結婚を考えるようになっていた。青年期になってもその想いは変わらない。出会う女性はいつだって結婚の対象だった。そして職を得て、いよいよ大好きな赤ちゃんの誕生も待ち遠しい限りの、泰子との長らく憧れていた結婚生活の時を迎える。結婚して一年が過ぎ去ったあたりで泰子は妊娠した。幾度か流産しかかったのだが、産科医の手厚い処置もあってお腹はどんどん膨れていって、初産ということもあり、私は泰子とともに福岡から当時まだ東京で暮らしていた私の両親のもとに行き、しばしそこで体を休めて仙台へと足を運んだ。初めての我が子の誕生を今や遅しと待ち受けていた私だったが、長い夏休みも終わりに近づき明日には勤務地の福岡に戻ることになっていた。その朝、泰子は破水し、すぐさま東北大学の付属病院に入院となった。明くる朝、我が子と対面を果たした後で福岡に帰ることになりそうである。泰子の体は大丈夫だろうか?そんなことばかりが頭を掠めていた。朝を迎えても病院からは連絡がない。ぼんやりと電話を待ち受けていても栓無きこと。病院に行ってみることにした。病室に入る手前のナースステーションで婦長に呼び止められ、簡単な説明を聞かされて新生児室に足を踏み入れた。未熟児ということもあったが、手渡された我が子は痛ましい顔の女の赤ちゃんだった。泰子にはまだ未熟児なので保育器にいれておかなくてはならない、と言い聞かせてまだ見せていないとのことだった。病室に泰子を見舞って労をねぎらい、すぐさま病室を個室に変えてもらった。大部屋にはどのベットの横にも生まれたての赤ちゃんがいて、泰子にはあまりにも過酷な光景だ。私は福岡に帰る日程を変更した。泰子が娘と対面したのはその数日後のことだった。見舞いに訪れたそのとき泰子の泣き声が廊下まで響き渡ってきた。
さらに日を改めて担当の医師に面談した私に下された精密検査の結果は、心臓にも重大な欠陥があり、長くて数ヶ月の命ということだった。娘の名を志帆と命名し、私は重い心を引きずりながら東京の実家に立ち寄り、独り暮らしを気遣う母を伴って福岡へと旅立った。
九州では「多田一家」を構成する学生たちが悲しみの私を出迎えてくれた。高等学校の頃の師でもある同僚の先生はもとより、これまた中学生の時代に私にドイツ語を教えてくれた九州大学の先生はじめ日頃からお世話を下さる福岡大学の先生らも励ましに来てくれ、母が東京に帰ってからも気を紛らわすことができた。
南の地でも秋も深まりかけた頃、大学病院から市立病院へと転院し、すくすくと育ってきている志帆を預けて泰子が盛岡にやってきて、4,5日私の身の回りの世話をしてくれた。学会への出張を兼ねて私は泰子とともに仙台まで足を伸ばした。すっかり赤ちゃんらしくなってきた志帆を久方ぶりに腕に抱いて私は幸せだった。風邪をひくことが最も懸念されたが、病院だから安心である。私はどんなにお金がかかろうとも世界中の権威を探し出して志帆の命を救う覚悟を決めて福岡に戻った。日曜日のことだった。明くる月曜日には九州大学での授業が控えている。夜が明けて間もなく夢心地に電話の音がなり響いた。取り上げた受話器から聞こえてきたのは泣きじゃくる泰子の声だった。受話器を置いた私はあたりを憚ることもなく大きな声を出して泣いた。
私たちに喜びと悲しみをいちどきにもたらした志帆はすやすやと寝入っているような美しい面立ちだった。天に軌道のあるごとく人それぞれに運命というものがありまして...志帆は神様に連れ去られたのではない、生きる力がそれまでのことだったのだ、と私は自らに言いきかせた。それでも志帆がいなくなってからの私たちの心には二度と立ち直れないような、埋めようもない空しさと悲しみだけがはびこっていた。そんな私たちを悲しみのどん底から救い出してくれたのはお弟子さんたちを初め多くの方々の心遣いであり、なによりも時の流れだったように思われる。まさしく時は悲しみを和らげ、喜びをどこまでも膨らませてくれるのである。
真理ちゃんと洋昭君の間の新しい生命が空に輝く星の彼方に消え去ったたことに深い哀悼の意を捧げるとともに、この果てしもない悲しみから二人を遠ざけてくれる時間の流れの速さを祈るばかりである。
ひろし 05.10.22(一言)
洋昭君、真理チャン、一言申シ渡ス也。予定通リ披露宴ナス可シ。
ひろし 05.10.26
洋昭君、真理ちゃん!先日は長い一文に引き続き文字通り一言だけ申し上げましたが、あの「一言」へ込めた私の想いを手短かにお知らせします。
君たちはお互いの感性でこの人が生涯の伴侶だと心に決めたのでしたね。私としてもそれはとても嬉しい心の働きだとしみじみと感じ入りました。そして二人の新しい命が真理ちゃんに宿ったということもあって、それこそとんとん拍子に結婚の日取りへと事が進んでいったのでしたね。そのことに想いを馳せるだけでも二人には楽しい時だったことでしょう。私たちもまったく同じ気持ちでした。浮かれ気分ではなくその日のことを夢見ておりました。結婚式は厳かなものですし、けじめとしての二人の新たな生活の始まりとなるからです。先のメールの一つの理由がここにありました。その後、式の日取りが先延ばしになりそうだということを知るにいたったのでしたが、私としてはそれは受け入れ難く思えてなりません。これは決して真理ちゃんの父親代わりという私の意識が働いているからではありません。私たちの30数年の結婚生活は紆余曲折があったものの、その長い結婚生活を送ってきた先輩として感じるところなのです。新居を探すには必ずしもゆったりとした時間が必要というものでもありません。ある意味では「エイヤッ」という感覚で新居をもとめることもあって良いと思っています。「新婚」旅行にこだわる必要もありますまい。私たちは今になってそれぞれの楽しい旅を折々楽しんでいます。そしてなによりも結婚生活というものは、二人のそれぞれの在り方を、お互いに時には傷つけ合いながらも、それぞれをいたわりあい二人の理想とする夫婦の姿を築き上げることです。それにはとてつもない長い時間を要します。これこそ私たち夫婦の実感です。どこまで行ったところで完璧な人間像なぞあろうはずもありません。最初の二人の出会いの心をどこまでも大切にしてもらいたい。これが二つ目のわけでした。
そして次に述べることこそ私が二人に申し渡したいことの最も大きな理由です。今回の流産は真理ちゃんはもとより、洋昭君にとっても驚きと悲しみでしかなかったことでしょう。この悲しみを乗り切るには滔々と流れる時間が必要ではありますが、その長い時間を二人が共有することで悲しみは半分になります。どこまでも決して観念の中でそれぞれが受け止めるものではなく、二人してこの事実をしっかりと見つめあいながら生きていくことが大切です。流産にせよ、私たちの志帆のようにたった二月あまりの命であったにせよ、生命が宿ったこと、生まれたことへの感動と悦びそしてその「死」に対する嘆きと哀しみには当然ながら男と女にはそれぞれ違いがあります。それをお互いに共に癒すことこそ二人に求められていることだと私は思っています。真理ちゃんには今こそ洋昭君がいなくてはならないのです。そして洋昭君にも真理ちゃんが必要なのです。これが二人に申し渡した「一言」の最大の理由でした。幸いにも洋昭君の友人は式場をキャンセルしていなかったとのこと。私としては本当によかったと思っています。式場に行ってください。
推敲する時間のゆとりがないのでこのまま送信します。必要があれば週末の午後からは時間がとれますので、東京に行くこともできますが、取り急ぎメールにて私の心境を送ります。
ひろし 05.10.26
先のメールは読み返してみるといくつか入力ミスもあったようですし、必ずしも伝えたいことすべてを含んでいなかったけれども、洋昭君にも読んでもらえたかと思います。洋昭君の心模様に変化がないようでしたら、改めて君たち二人から直接胸のうちをお聞きしたく思っています。土曜日は午前中は仕事があるので、午後からでしたら時間がとれます。誠に勝手ながら単身上京したうえでお話を聞き、私からの提言をご披露したく思っていますので、そのあたりの二人のご都合も併せて連絡を下さい。
真理 05.10.27
温かいお便りありがとうございました。メールは洋昭さんにも読んでもらいました。おじ様をはじめ、みなさまの気持ちはいたいほどよく解ります。他でもなく、私自身も予定通り式を挙げたい、と願っているからです。
ただ、今の状況からして、最終的な判断は洋昭さんの一存に委ねるしかないようです。彼も前向きに考えてくれていますが、もう少し時間が欲しいと思っているようです。その理由は私が一番よくわかっているつもりです。
詳しい説明は避けさせてもらいますが、彼の中ではきっと責任ある判断ゆえ、迷うところがあるようです。ですので、もうしばらくは静観していただきたい、と伝えたところでじ〜っとしていられるようなおじ様ではないと察しましたので、おおざっぱに彼の心境を代筆いたします。
彼は、結婚へ対する自分の中での“譲れない価値観”があり、それは信頼であり、ほんの少しの妥協もできない、したくないと強く思っているようです。それは私も同感です。
今月初旬、彼の最も重きを置いている信頼感・安心感を私は崩してしまいました。(異性関係ではありませんよ)彼に対してどうしても言えないことがあり、自分の中ではけじめをつけ、そのことは「なかったこと」として処理していたのですが、ひょんなことから彼に知られてしまいました。私は都合よく、さっぱり忘れていたことだったので問い詰めてくる彼の尋問も意味がわからない状態でした。自分の口から言わない私を見て彼の中で私へ対する不信感は募っていったようです。この時から彼は結婚は延期しよう、と言っておりました。しかし、調度妊娠が発覚していた時分だったので、私は自分のことは棚に上げ、彼を説得してました。3〜4日、お互い譲らないような状況が続き、最終的に私は一人でもこの子を育ててやる!と、躍起になっておりました。行く先が定まらず、重苦しい毎日のなか、精神状態はかなり厳しかったことを今でも鮮明に覚えています。
これでダメなら1人で産む!という覚悟のうえで彼に最後の訴えをしました。女として、と言うよりは母としての叫びでした。鉄のように固い、ひょっとしたらおじ様よりもガンコ者の彼の考えがこの日を堺ににわかに変わりました。次の日、彼は「考え直してみる」と言い、翌日になると正式にプロポーズを受け、急だったのでオモチャの指輪をいただき、私は泣きながら承諾しました。もうだめかと本気でおもっていたので喜びはひとしおでした。彼の懐の広さを痛感した瞬間でした。私が隠していたことは、たいていの男は許してくれるような内容ではないからです。もう一度、真理を信じてみよう、と思い直してくれたのでした。もう嘘はつきません、と彼に約束をし、二人の絆は却って深まりました。その日から約1週間後。調度、実家へ帰る前日のことでした。嘘はつかない、と約束していたのに私はまたも彼に対して嘘をついてしまいました。彼の怒りは頂点を極め、私はただただ頭を下げることしか出来ませんでした。町内会の歓迎会に一人でいくのか・・・とがっくり肩をおろしておりました。翌朝、葛藤する気持ちもあったでしょうが、どうにか考え直してくれたみたいで「盛岡へ行こう」と、彼が言ってくれました。 許してくれたかどうかは解りませんが、おそらく「真理と一緒になりたい」という気持ちが勝ったのだろう、と思います。
そして、楽しいひと時を過ごし、二人の溝は埋まったかのように思えました。翌週は早速、式場・披露宴会場の下見へと出向きました。私の中でも来年は新しい生活が待っているんだ、6月頃には「お母さん」になっているんだ、などと同時に2つの夢を抱いてました。近い将来への期待に胸を弾ませたその当日「流産」をし、1つの夢は諦めざるをえなくなりました。入院中、彼はつきっきりで精神的なフォローをしてくれて本当に感謝しています。彼のおかげで悲しみは半減されました。退院後も「俺は真理が元気ならそれでいいんだよ」 「子供がいなくても楽しくやれるよ」と、お世辞でも嬉しいようなことを言ってくれました。(彼は大の子供好きです。)同じくこの日、結婚は延期しよう、とも言われました。この日は何も慌てて準備することはない、との理由でしたが私はまるで納得できませんでした。
退院当日の夜。またも不穏な空気になり、その夜些細なことから口論となり、感情的になっていた私は彼に別れの言葉を言い放ちました。口論の原因は覚えていませんがおそらく疑い深い彼に嫌気がさしたんだと思います。すっかり晩酌を終えていた彼は車に荷物を運ぶのが精一杯で(私が強制的に荷物は外に出しました)、朝帰るよ、と言ってその晩は別室で寝ました。彼は、癇癪をおこしている私へも常に冷静に応対していました。おそらく、朝方落ち着いたら話し合いたいとでも思っていたのでしょう。「こんなチッポケな男はいらない」と、思ってみたものの、流産直後、結婚も妊娠も当分出来ない状況に自ら追いやって、職場にも退職の意思は告げてあったので社会的な安定も失い、私はすっかり途方に暮れていました。
朝方、冷静に且つ穏やかに話してくる彼を見て、畜生のごとく凍り付いていた心が溶けだしました。私が勢いで捨ててしまったオモチャの婚約指輪を彼がゴミ捨て場まで探しに行った所、なんと管理人さんがご丁寧にも預かっていてくれたみたいで管理人室からその指輪だけ出てきました。二人ともこの不思議な現象を目の前に目に見えない引力を感じずにはいられませんでした。ほっとしたのもつかの間、その晩も激しい口論となり、今度は私が家出をしました。温厚な彼にしては珍しく大声を上げて怒鳴る場面もありました。深夜だったこともあって、20〜30分ほど家を出たあと、おとなしく帰宅し、連日の寝不足から二人とも話し合いも半ばにして寝息を立てていました。お互い反省点は認めて翌朝は仲良く栃木へと向かい、彼の主催するサッカーチームの一周年パーティーへと参加しました。私のために麻雀の面子もご用立てしててくれたみたいで3次会は麻雀とあいなりました。
私は一度堪忍袋の緒が切れるとどこまでも突っ走る傾向があり、自分でも大きな欠点だと思っています。3つしか年が変わらないのに大人な態度の洋昭さんには頭が上がりません。私は、口論時はとことん相手を攻め入れるような発言・暴言を吐いているにもかかわらず、洋昭さんは常に私のことを考えていてくれています。どんなに揉めても私を傷つけるようなことは言わず、ただただ側にいてくれていました。今月は何かと揉めることが多かった二人でしたが、私にとっては雨降って地固まる結果となりました。
思えば、洋昭さんの中では、実家に帰る前の私の「嘘」が尾を引いているんだと思います。もう嘘はつきません、と誓った日から数日後の裏切りでした。嘘の大小にかかわらず、彼のプロポーズ前の激しい葛藤を断ち切ってくれて「もう一度信じてみよう」という気持ちをいとも簡単に踏みにじってしまった結果には変わりありません。どうしてあんなことをしてしまったのだろうか、と悔やむ気持ちでいっぱいです。
ここ数日、彼を悩ませている自分の取り返しのつかないの行動と、見通しの立たない将来に対してかなりのストレスを抱いていました。実際、母にも当たったし、洋昭さんにも当り散らしました。昨日のブライダルフェアも気が進まなかったので「行こうか」という彼をよそにフテ寝してました。でも、彼は私の辛さがわかっていたのでしょう。当たられても穏やかに話を聞いていました。
一度は正式に挙式の予定が決まっていたので、皆さんが納得できない気持ちはよ〜〜〜〜〜く解ります。100%合う相手はいないし、夫婦になってからも理解できずに悩む面も多々あるとも思います。私自身も信頼うんぬんは、夫婦になってからでも溝はうめられるのでは?とも思っています。でも、洋昭さんはそうは思っていないようです。
彼は人の気持ちがよく解る人です。だから皆さんの考えが妥当なことくらいは理解しているはずです。できることなら私や皆さんの期待に応えたい、と思っていないわけがありません。理屈を踏まえたうえで、自分のゆるぎない信念と日々葛藤しているのだと思います。そんな中、最近イラ立っている私への気遣いも怠りません。
これまでの二人のいきさつを全て明かしたわけではないので、余計におじ様を混乱させてしまっただけの結果になってしまったかもしれませんね。この1ヶ月、妊娠・婚約・流産を含め、二人の間では様々なドラマがありました。悲しみの涙も歓喜の涙もたくさん流しました。そのことによって、二人の絆は確固たるものへと変わってゆきました。
色々あっても、私には彼しかいないし、彼もまた同じ気持ちでいます。万が一にも結婚がなくなるようなことにはならないので、今はただ彼の気持ちの整理がつくのを待つしかありません。彼も今は苦しんでいると思います。私は彼に「整理がつくまで待つよ」「みんなは詳しい理由がわからないから色々思うところがあるけれど、洋昭さん自身が決めてね」 と言ってあります。母も「ただ当ても無く伸ばすのではなく期限をつけて欲しい」と言っています。私も精神的にはそのほうが安心しますが、こんな理由ですのでこの日を堺にクリアになる、というような問題ではないと思います。納得のいかない点はまだ私の奥底にもありますが、自分で蒔いた種なので、仕方のない結果だと思います。こうしている今も、彼は必死で前向きに考えていてくれています。そのことは側にいる分、伝わってきます。
どうかもう少しだけ彼に時間を下さい。
おじ様のお気持ちは痛いほどわかりますし、嬉しい限りです。町内会の支えがあったからこそ、今の私がいるんだとも思います。そんな皆様へ失礼なことのようにも思えますが、今は事を大きくせず、彼を責めることも無く、二人が落ち着くまでは静観なさっていてほしい、と思っている次第です。
ひろし 05.10.28
道程500キロあろうとも、二人の陰を踏まぬところから静かに見守っていきます。私はいつだって君たちの傍らにいますよ。
真理 05.10.28
お気持ちありがとうございます。未熟者の二人ですが今はそっとしておいてもらえるのが何よりの応援だと思いました。落ち着いたらまたご連絡さしあげます。色々と心配かけて申し訳ありません。おじ様の私達を想う気持ちを無駄にしないように考えてゆくつもりです。
真理 05.12.01
突然の訪問にもかかわらず先日はお世話になりました。お借りした本もわずかながら読み進めております。
少し前のページではありますが、架山が旧友の息子の披露宴に呼ばれ祝辞を言い、その晩の宴の後、どこかの惑星での自分に語りかけるところを読み、私の思うことを書こうと思いす。
私も勿論「運命論者」ではないのですが、私なりに「運命」という言葉の意味を論じてみるとなると、恐らく鍵となるものは「己のなかにある善か悪か。又は好意か嫌悪か。平たく言い換えればプラスかマイナスか」という思いがつきまとうものではないかと思いました。
架山ほど立派に意味付けは出来ませんが、この世の出来事について何かしらの意味を見出そうとするとき、その出来事に対して良い印象を持っている、或いは良く思わなければならないと思ったとき、人は良い意味で「運命だ」と言います。「成るべくして成ったんだ」「会うべくして会ったんだ」と。しかし、その逆の場合も「運命」という言葉が使われます。「逃れられなかった」「仕方がないことだ」と言っては慰めます。良い意味での「運命だから」という使い方のほうが特にこの個人の思い込みの意味が強まるのでは、と思います。悪い意味合いのときは主に「避けられなかった何か」が対象になっていると思いますので。避けられないこと、とはどういうものなのでしょう。例えば私は日本人で、女性で、末っ子であるということ。今更白人になりたいと強く願い惜しみない努力をしても変えられないのは目に見えてます。同様に歌舞伎役者にもなれませんし弟妹も持てません。このようなことを「宿命」としておきます。狭義的に「宿命」以外の偶発的な出来事を「運命」とするのなら、これはまさに自力でどうにでもなるものだということになります。
人は誰でも生まれながらにして「運命」を作り上げることが出来ることになります。つまりは何においても自己の責任に還ることになります。架山は「縁」というものにおいて長い祝辞を言っていましたね。まさしく「縁」とは「運命」の範疇で良い縁にするも悪い縁にするも自分次第という、大雑把に言えば神か仏か故人の誰かが言っていそうな壮大な結論に至りました。自力での判断に委ねられているということは面白くもあり、又畏れ多いことでもあります。
話を少し前の「己のなかにある善か悪か。」に戻しましょう。
洋昭さんに対し私が好意を持っているのなら恐らく今現在の悩みは無いのだと思われます。「結婚する時は真理と」という彼の想いは真剣ですので、歯がゆいながらもじっと待っていられたでしょう。一筋縄にはいかなくても葛藤しながら愚痴をこぼしながらも耐えられていたと思われます。ただ、現在それが出来ておらず、彼の言動・行動にひっかかりを持っているという事は、恐らく気持ちの上で満杯まで上がっていた温度がひんやり冷たいものへと変化していったに他ならないのです。もし、また彼と良縁を育むようなことになれば「結婚前に色々と問題があっても乗り越えられたのだからきっと今後は安泰だよ」と、思うのでしょう。別々の道を選んだときも「彼のことは残念だったけど仕方ないね」と思い、面をあげて歩むでしょう。どちらが正しいというようなことは無く、私はどちらに転んでも後悔しないのだと思います。一度は本気で「もう彼とは終わりにしよう」と思ってみたものの、母の「かげながらも二人を応援していたい」という姿勢を感じ、やはり私にもまだ一考の余地があるのだと知りました。
もう一度、彼に惚れ直すことができたらいいのに。
これこそが私の本音です。
彼と別れることは私の中でも大きな決断です。
一度はそのような判断を出したものの、彼のほうは拒んでいるという状況になり、私にも迷いが生じました。この判断を母はどう受け止めるのか、おじ様やおば様はどう受け止めるのか、どうしても聞いておきたくなり電車に乗り込みました。「運命」の選択に、にわかに不安になったのです。どこかの遠い星にいる私が「別れたくない」と言っていたらどうしよう・・・と。
進むにしても退くにしても、私はおじ様と母の考えに倣おうと思います。
自分のことなのに他人任せでいいのか、真理の気持ちを考慮したいのに、と思われそうですが、私の中では諦めの気持ちが強いのでこの選択が妥当か否かを人生経験豊富なお二人に判断していただこうと考えております。ですので彼を見て話をして、思うことがあれば誰に気を使うこともなく正直におっしゃっていただいて結構です。
ここ数日、父親が生きていたらどう言ってきただろうか、と思ってみましたがあまり参考にはなりませんでした。「結婚するんだ〜」と言えば「じゃじゃじゃ、早ぇなぁ」と言うでしょうし、「延期になって冷めたから別れようかと思って」と言えば「じゃ〜、もうか?」と言っていたかもしれません。でも、父は本当に何があっても耐えることのできる人でした。それゆえ、口下手でお人好しで細かい感情が母や私には伝わらず意思の疎通がはかれていなかったように思います。忍耐強さは最後の闘病生活においても遺憾なく発揮されていたように思います。もしかしたら「オマエももう少し辛抱強くしたたかになってみろ」と言ってくれたのかもしれない、と思うと益々選択が容易なものではなくなってくるのです。
文章に脈略がなくなってきたところで終わりにしたいと思います。
金曜日は東京駅までお迎えに上がらせていただきます。
宜しくお願いします。
ひろし 05.12.01
真理ちゃん、
先日君が来た折に幾つか聞きたいことがありましたが、その機会に恵まれず、その後メールにて確かめようと気にかけながらも、日も暮れなずんでくれば私の愉しみの一つのお酒の時間となる「宿命」にて、何がなんでもお日様が空に出ている間に仕上げるべき仕事が山積していて、どうにも時間が割けませんでした。今日はあれこれ仕事の他に雑用もあり、ひと段落したら早や日はすっかり暮れてしまってやがてまた皆さんが集まる時間となってしまいました。明日は私の心の内をお話した上で、君たち、とりわけ洋昭君の心積りを伺ったうえで虚心坦懐に私の思うところをご披露することにしたく思っています。新幹線の中でタマお姉さまと相談するつもりですが、もっぱら私が4人の話の先導役をしたく思っています。先日もお話したとおり、タマお姉さまもそれぞれの話の流れで出るはずの私の「決断」に同意してくれるものと思われます。小さな心をこれ以上傷めることなくせめて今夜はゆったりと時間を過ごしてください。
真理 05.12.01.
判りました。今晩はゆっくり休もうと思います。
聞きたかったこととは何だったのでしょうか。
お答えするときは恐らくおじ様の先導の最中なのでしょう。
どちらに転んでも、今度是非ご一緒におじ様の「宿命」とやらをお供したいと思います。
真理 05.12.03
昨晩は大変お世話になりました。改めてお礼申し上げます。
27年という短い間での私の経験・知識を踏まえて一度は彼との別れを決断しましたが、やはり2倍近く年の瀬を重ねているおじ様並びに、彼のことを好青年だと思っていた母までも私と同じような考えをお持ちになったという事実を受け、なんのためらいもなく進むことができます。
母から聞いているかもしれませんが、話し合いの最中私は何度も席を立とうと思いました。「おじ様、結構です。さぁ、参りましょう」という台詞を喉の奥でかみ殺していた感情を今でも覚えております。しかし、母もまだ存分に思いを告げていないし、おじ様だってそうであろうし、ただただ自分を押し殺しておりました。結果、夕ご飯もおいしく戴けたし、おじ様の話も益々核心にせまるものになっていき、最後まで話を聞いてよかった、と胸をなでおろしました。本当に、先導役お疲れ様でした。彼はあの通りで、私がモノを言っても口先だけの返答をよくしていましたし、支離滅裂な主張もよくしておりました。
私の言い方がまずかったのかな、なんで簡単なことがわからないのだろう、と思ってましたが、どうやら違ったみたいです。
感性の欠如なのか、もともとの能力やIQに起因するのかはわかりませんが「1聞いて1も判らない人」もいるようです。
「言語の意味が相手に理解されないことというのは、そうとうなストレッサーだ」と痛感しました。
100歩ほど譲って彼をかばうように考えてもみました。
くだらないプライドにおいては天下一品ですので、周りに「変わりなさい」と言われてすぐには「ハイ」と言えないでいるのだろうか、と思ってみてもこの期に及んで格好つけること自体おかしなことだと思い、この考えはすぐさま取り消しました。
「真理と最終便で帰りたい」と言った後、晩酌も快く開いてくれておじ様の懐の広さには脱帽しました。
人に何かを悟らせるときはただ責めていてはダメなんだな、私もその辺は器がまだまだ小さいな〜と思いました。彼もそんなおじ様を見て、偉大な人だな、この人の話を聞いてみよう、もっと自分を振り返ってみよう、そう思ってくれたかもしれない、とひそかに期待していました。
私も思い癖があって、つい相手も自分と同じように感じてくれているのかもしれない、と思ってしまうんですよね。
彼とは良縁を育むことは出来ませんでした。
色々というには簡単すぎる気もしますが、色々ありました。だけど皆さんが心配なさっているほど落ち込んではいません。被害者意識もなければ、どれをとっても引きずるような痛手にもなってません。無理やりそう思うのではなく、内側からふつふつと湧いてくるのです。根拠はありませんが、今よりもっともっとも〜〜っと幸せになれるんだ!と思えます。答えがハッキリして肩の荷が下りました。すがすがしさもあります。ただ、慣れ親しんだ風景が1つ1つ消えゆくことに対して寂しさは感じております。が、おそらくすぐに慣れるでしょう。何よりも、心強いのは私には帰る場所がある、ということです。何があっても両手を広げて歓迎してくれる皆様がいる。これ以上の喜びを他に知りません。そしてこのことは何にも変えられない財産だと思います。病気のときも、父の入院のときも皆様の愛情は本当に感じました。また、今回改めて皆様の存在の有り難さをひしひしと感じております。今も皆様の顔を思い出しては嬉しさのあまり涙腺がふくらんでおります。
人から見れば年の割りに逆境だらけの我が人生かもしれませんが、私がこうも前を向いていられるのは私自信が気丈だからだというのではありません。皆様の支えなくしてはここまでこれませんでした。皆様のことを私は生涯誇りに想います。
どうか今晩は、泰子おば様にも感謝の印としてとびっきりのビール注いであげてください。今度お会いしたときは一緒に乾杯しましょう、とお伝えください。
では、近々またお会いしましょう。
ひろし 05.12.04
昨日は盛岡に帰り着いて昼食を済ませて、今度は母を施設から連れ帰り、真理ちゃんのメールを見て、合気道の忘年会に出かけてきました。一次会も終わりに近くなった頃に母が淋しがっているから帰ってくるように、との電話でよろよろしながら家に帰り着きました。母をなだめて食事をさせて、改めてビールを飲みながらタマお姉さまに真理ちゃんのメールを読んでもらって、お酒の勢いも手伝ったのか心につかえていた洋昭君への想いをさらけ出してしまいました。「今すぐに真理を連れて帰りたい」としたあの独り言は私の最後の一句の心積りでした。真理ちゃんが改めて惚れ直すことのできる洋昭君が出現することを託した一言のつもりだったのに期待はものの見事に泡のごとく消えうせてしまいましたが、帰る道すがらタマお姉さまも真理ちゃんと全く同じことを言っていました。これで肩の荷がおりた、と。真理ちゃんは絶対に今よりず〜っと幸せになれるよ。年が明ければ折々夕食を共にできるし、私の「宿命」に真理ちゃんもお付き合いしてもらえるのが今から楽しみです。わらべ歌の一節「は〜やくこい、こい、おしょう〜がつ」が口をついて出てきます。今宵は鼻歌まじりのお食事会になりそうです。
真理 06.01.23
前略、お便りご無沙汰になっておりました。
先日、電話でのご報告のように、やっと私たちは前に進むことが出来ました。まだ実感は薄いものですが、ここまでこられたのもおじ様の応援あってのことです。おじ様や母の意見を聞いて、心身疲れきっていた私も冷静に考えることができましたし、彼も改心したようです。揉めることがあっても、今後は大事には至らないと自信を持って伝えられます。
家族になるということ。
家庭を持つということ。
恋人であったときのまま、甘えてばかりもいられなくなるんだな、とぼんやりながらも覚悟を決めております。
北海道での顔合わせはとても楽しく終えることが出来ました。お母様もお父様も適度に気をつかっていただき、疲れることなく2日間を過ごせました。お姉さま夫婦とも会い、姪っ子はとてもかわいらしく、笑いの耐えない日々でした。お母様は私の予想通り、一度結婚式が延期になったのは二人とも納得したうえでの事、と認識されておりました。
彼も母親にはいちいち話していないようですし。たまたまその話に触れたとき、お母様と私と二人きりだったので、「延期は私の本意ではなかった」と告げました。決して彼を責め立てるような言い方はしなかったのですが、お母様は「知らなかった」「ごめんなさい」とおっしゃっていました。このあたりで、彼も話に交わり、彼の口から初めて概要が伝えられ、彼は母親の目の前で「真理には本当に、償っても償いきれないことを俺はしたんだ」と、頭をさげていました。
おじ様たちとの話し合い後、結婚へ積極的に動き出した彼を見て(反省している証にこうして態度で示しているんだろうか)と私も思って見ておりましたが、彼の口から「ゴメン」という一言を聞いて(あぁ。やっぱりそうだったんだ)と、解りましたし、嬉しかったです。この一言が聞けただけでも、はるばる北海道へ行った甲斐がありました。
彼は頑固ですが、納得さえすれば反省もしますし、コロっと考えをかえられる素直さを持ち合わせております。その辺はおじ様に似ているかも?私ももろもろの騒動の中、自分の弱さも知りましたし、彼を丸ごと受け入れることが出来ました。
まだまだ未熟者の二人ですが、これからも皆様に温かく見守っていただけるよう日々精進してまいりたく思っております。
式での祝辞は勿論、おじ様に!と私も母もヒロアキさんと出会う前から決め込んでおりましたので、必ず出席してください。そして最前列で号泣してください。私も号泣します。 敬具
ひろし 06.01.24 真理ちゃん、洋昭君
久方ぶりのメール嬉しく拝受しました。確か明日は盛岡入りでしたよね。でも明日、私は夜の仕事がありまして、私の日常からすれば遅い帰宅となるところで気を揉みましたが、金曜日の晩は洋昭君ともども来てくれることになっていたようにて、金曜日の合気道の稽古には幸信さんだけにお任せしようと考えていたら、今週の稽古は木曜日となっていました。私からすれば、今度は何という理由もなく内輪で会食をしたいものと考えていたのですが、幸信さんには当然ながら夕餉は共にするものと考えているようで、例によってご一緒することになりました。それは兎も角として、改めて洋昭君と真理ちゃんが一緒に我が家に来てくれることになったことは至福の慶びです。
私もタマお姉さまからその後の事の成り行きをうかがったときに、洋昭君はじっくり考える性質のようにて、それこそ私の「最後の一句」をよくよく忍耐をもって捉えてくれたなあ、という思いをしていました。東京での一夜の私の言葉に怒ってしまっていたら全てが終わっていたのでしょうに、真理ちゃんもその洋昭君を受け止めていたというのは、まさしく「お二人のえにし」そのものと言えるのかもしれません。この上はこの絆をどこまでも大切に育むように二人して努力していってください。
今、洋昭君と真理ちゃんのお二人に申し上げたいことは、「どんな時も相手を思いやり、相手の立場に立って考える」という姿勢をもっていただきたいということです。簡単な事のようですが、これはそう簡単なことではありません。人生の半分以上を泰子ママと共に過ごしてきて漸く私たちはお互いにそんな心を一つにする夫婦になれたような気がします。「相手を慮る」ことはえてして難しい心の動きで、人生における究極の課題かもしれません。でも夫婦の間でそれが見つけられたら、それはそれである意味での正に「一つの生命」の誕生と言ってもいいのではないかとも思っています。喧嘩するのも結構!むしろ気遣いから喧嘩もできないようでしたら二人の繋がりは儚いものとなりましょう。でも、喧嘩する前に「精神安定剤」ならぬ「唾」を一服飲むといいのかもしれません。それでも喧嘩になったら喧嘩をすることです。夫婦の間では喧嘩することも、それは二人の世界を大きく膨らませるためのものであるべきで、自分の主張を相手に納得してもらうためであってはなりません。何時如何なる時も二人のための、二人にとってより良き解決策を探るための喧嘩と心得るべし!です。これは私たち夫婦の長年の生活から言える実感そのものですので、お二人ともよく心に留めてください。
真理ちゃん、君には終の棲家は洋昭君のほかにありません。洋昭君、君にはこの真理ちゃんを永遠に大切にしなくてはなりません。それがお二人の使命です。それを大切にしてください。
披露宴では折角のお祝いですから絶対泣きません。泣きたくありません。でも、泣いてしまったらご容赦ください。真理ちゃんのメールを見て泣いている始末ですので・・・。
真理 06.01.25 有難うございます。
おじ様のお言葉がスーっと、心に入ってきました。
この教えは私の将来の羅針盤のような存在になると思いました。
大晦日の日、二人で話をしていたとき、寅さんもビックリするほど目を細めて喜んでくれていたおじ様の顔を思い出しました。
「いい年越しだぁ!洋昭のバカヤロー」と言って新年のカウントダウンを迎えたおじ様の満面の笑みを思い出しました。
金曜日は美味しいお酒と共に喜びの宴になりそうです。
また皆様と楽しい席でお会いできる日を心待ちにしております。
永斗真理 城崎洋昭
ひろし 06.02.25
盛岡にも漸く春の兆しが訪れ、うずたかく積っていた雪もとけ、そこかしこに懐かしい土が顔を出し、赤茶けた草のなかにも微かな萌え色がちらほらと見えてきました。2月14日はお二人の輝かしい記念日となりましたね。おめでとう。そして昨日は洋昭君の給料日とのことで、いつものメンバーにてあれやこれや真理ちゃんの気持ちを忖度しながら勝手に祝杯を重ねました。本物の春がやってきて様々な花が咲き誇る頃になればいよいよ結婚式ですね。日一日と馬齢を重ねるだけの歳になったというのに一日また一日と暦が進んでゆくことが喜ばしく思える、こんな感慨をもって移ろう時を楽しんでいられるのは久しくなかったことです。そろそろお祝いの言葉を考えなくてはなりませんが、お話をするにあたってこれだけは私たちの心にひっそりとしまっておいてほしいといったような事柄はありますか。真理ちゃんの意向を大切にしながら祝辞を組み立てたく思っています。
真理 06.03.15
埼玉では、春の気配を日ごと感じるような陽気になりましたが、いかがお過ごしですか?昨夜、漸く待ちに待ったネットが繋がるようになりました。アドレスが変わっておりますので、お便りの際にはご変更をお願いいたします。
早くも、入籍してからというもの、1ヶ月が過ぎました。家具もだいたいは揃い、新しい町にも生活にも慣れ、さいたま暮らしを満喫できている今日この頃です。
先日は恵美さんから素敵な素敵なお鍋と、美味しいおせんべいを頂き、夫婦ともども感動しておりました。さっそくお礼のお電話をいれたところ、恵美さんも喜んでくれている様子がうかがえて、さらに嬉しくなりました。残念ながら今回は日程があわず、お会いできないとのことでした。お手紙には「お祝い麻雀いいわねぇ!」とあったので、ご招待する気マンマンでしたが、またの機会にしたいと思います。我が家では、奮発して食卓兼雀卓を購入しました。(なんとも品のある雀卓でしたので、写真を添付いたします)もうすこしで片付く予定ですので、落ち着いたら是非いらしてください。その時は私がおもてなしいたします。
明日は泰子ママさんのお誕生日ですね。夫婦で心ばかりのお祝い品を贈らせてもらいました。大らかで、繊細で、ちょっぴり(?)食いしん坊の泰子ママさんは、おじ様同様、私の心の支えです。そして多田夫婦は、私たち夫婦の架け橋でもあります。日ごろは宴会(麻雀)が多いので、泰子ママさんに私から気持を伝えることが出来ていないことに気が付き、誕生日カードにあやかって(?)僅かではありますが、これまでのお礼を添えさせてもらいました。もっともっと伝えたいことはあるのですが、メインの『ハッピーバースデー』の内容を殺さないよう配慮したため、短い文となりました。初めての手紙で、よくよく考えたら何とお呼びしてよいものか悩んでしましました。母は泰子ママさんの友人ですから“泰子さん”と呼んでおりますが、私が“泰子さん”というのはいささか生意気な気もして、かと言って“おば様”では泰子ママさんが恐縮してしまうのではないか、と考えたあげく、おじ様がメールで使ってらっしゃる“泰子ママ”で落ち着くことになりました。ですので、便りには文頭から“泰子ママさん”で通してあります。何か聞かれたら、いきさつをお伝え願います。
寿和くんのお祝いも。。。と思っていた矢先に残念な知らせが母から届き、私までも憤りを感じていました。争闘心の強い寿和くんには、これをバネにもっともっと高いところに登りつめ、医大の関係者に「しまった!」と思わせてほしいものです。捨てる神は放っておいて、拾う神が早く現れてくれるよう祈ってます。
父の3回忌が4月3日にあるので、その前後にまた多田家へお邪魔いたします。主人は仕事の都合がつかず、恐らく欠席となるでしょうが、また間もなくすれば披露宴です。
名目通り、その日は夫婦そろっての初ご披露になりそうです。
またお会いできる日を楽しみにしております。取り急ぎ、近況報告まで。 城崎 真理
ひろし 06.03.21 (やったね日本!)
文字通り三寒四温の日々が続き、あんなに沢山あった雪はどこに行ってしまったのだろうという感慨で春を迎えようとしています。寿和には甚だ残念で気持ちが揺らぎましたが、日本野球が世界一の頂点に上りついたことは一つの励みとなるような気がします。いづれは何とかなるでしょう。春の訪れとともに厳かな式典と華やいだ宴の時が日一日と近づいていますね。その前にお父様の3回忌の折に盛岡で再会できますね。このところ私も麻雀に興じる日が復活しました。時間があったら4月にまたお手合わせをお願いすることになりましょうか。過ぎ去る日々が楽しみです。
真理 06.03.21
ニッポン万歳!王監督万歳!
おじ様麻雀復活万々歳!!!!是非とも、次回は御手合わせ願います!
徐々にこちらは式典の準備も具体化してきており、おじ様の祝辞の枠は10分弱となりましたがご準備のほどいかがですか。司会者の方には、おじ様と私の関係を含めた紹介をしていただくことにしました。座次表上は大学教授という肩書きですが、その通りの紹介ですと私が岩大卒のイメージをもたれてしまうので、心の恩師という肩書きも付け加えてもらう次第です。そして、お色直しでウェディングドレスに着替えたあとは、おじ様と腕を組んで再入場したく思っております。ご協力お願いします!(この時点では酔っ払っていても大丈夫ですからね)我々の先導役には、先日ハワイでデヴューを果たしたフラダンサーズの面々に手配済みです。母は恥ずかしがっておりましたが、泰子ママさんは二つ返事で「いいわよ〜」とおっしゃってくれました。場合によってはレイコさん、菊池さんにも参加してもらい、列をなしてフラフラしていただくかもしれません。
おじ様との入場を楽しく演出するための一案です。この話をきくと、幸信さんも「俺も何かしようか」とお思いかもしれませんが、その時は、列の前で花吹雪を散らす係りに任命したいと思っております・・・。祝辞でホット一息ついたのもつかの間、お酒もそこそこに花嫁入場ですので、おじ様は大変目立つと思われます。オイシイですね。
ジョークの範囲で新郎になかなかバトンタッチしない、というのも面白いかもしれません。(何回も迂回するとか)披露宴の進行の詳細は後日お会いした時にお話したいと思います。
さてさて、私も母への手紙をそろそろ書き進めたいのですが、頭の中で多少なりとも文章を思い浮かべるだけで涙腺がゆるんでしまう始末です。それは、お風呂場であったり、布団のなかであったり、「お母さんへ」と浮かんだだけでもダメです。こんな調子では本番ではどうなることやら。幸信さんに隣で箱ティッシュを持っててもらおうか悩んでおります。ここだけは厳かに、しっとりと「泣き」の場面で、あとは楽しい宴の会という進行になると思われます。お互い課題はありますが、おじ様が「真理ちゃんどんな手紙をかくのだろう?」と気がかりなように、私もおじ様の祝辞は楽しみでもあります。
それでは、ますますレベルアップした岩脇麻雀クラブの面々と楽しい日々を・・・。
ひろし 06.03.22
春遠からじの今日、待ち焦がれた式典と披露宴までいよいよあと一ヶ月を残すだけとなりましたね。今朝になって大学に出かける直前にメールを開いてみたところ、お色直しの入場にあたっては真理ちゃんのエスコートという大変誉れ高いお役目まで仰せつかり、その場面を思い浮かべただけで何もかもが霞んでしまいまして車の運転に大いに支障をきたし、会議に出席する前に顔を整えるのに大層苦労しました。泰子ママから「フラダンスをご披露することになりそう!」と聞いた時には2次会での余興かと思いきや、あにはからんや選りによって披露宴でのことだと知るにおよび、言下のもとに恥さらしだけはやめるよう申し渡しながら、「そんなことになるんならオラ結婚式でねえ!」という言葉をぐっと飲み込んで寝入ったのですが、今朝のメールによればお色直しの添え花のようなことですし、他ならぬ真理ちゃんのお望みとあれば致し方無きことか、と考え直しているところです。
息子の結婚式でも不覚の涙を流し、祐介にからかわれたこともあり、真理ちゃんの結婚式、披露宴とも涙をみせることは言わずもがな、言葉に詰まって寿和に祝辞の代読を頼むような事はあってはならぬと肝に銘じているのですが、どうなりますことやら。
タマお姉さまには明日お出かけのようですね。泰子ママはウエディングドレスでの真理ちゃんの入場でのフラダンスとはどんなものが相応しいのかとあれこれ気を揉んでいるようです。そのあたりのこともタマお姉さまと煮詰める必要がありますね。幸信さんも出番があるとなれば大いにはしゃぐことでしょう。途方もない演出を考えかねませんのでやんわりとしたブレーキも考えなくてはならぬようです。とまれ、楽しみな日々です。そちらは桜も綻び始めようとしていることでしょうが、この時期は思いがけぬ風邪などに見舞われることも多い頃合です。くれぐれも体調万全にてお過ごし下さい。
祝辞
洋昭君、真理ちゃんおめでとう。城崎家、永斗家ご両家の皆様本日は誠におめでとうございます。私、只今ご紹介にあずかりました多田でございます。新婦、真理ちゃんはすでに中学生の頃にベートーベンの第九をドイツ語で高らかに歌う、成績優秀なお嬢様でして、私が勤務しております岩手大学の付属高校ともいわれる進学校の盛岡第3高等学校に入学されまして、その頃は漠然とながらもやがては岩手大学に来て、私のお弟子さんになるのかと思い描いたりしておりましたが、その大学受験もいよいよ目前に迫った高校3年の秋口になって真理ちゃんは突如「歌姫になる」と言い残して家出同然に上京してしまいました。今は亡きお父様はじっと悲しみをこらえ、そしてお母様は流石に教育者らしく決して取り乱すことなく暖かく真理ちゃんの支えとなっておりまして、やがて真理ちゃんの親不孝の熱もさめた頃合を見計らって、せめて高等学校卒業の資格はとっておくようにと諭したのは真理ちゃんが20歳になったときのことでした。そのお母様の言葉をしっかりと受け止めた真理ちゃんは大学入試よりもはるかに難関とされております大検試験にものの見事に合格され、その後仕事を始めた歯科医師の薦めで、23歳の春に早稲田医学院歯科衛生士専門学校に入学し、歯科衛生士の国家試験も難なく突破し、これをもって真理ちゃんの親不孝も帳消しになろうかと胸をなでおろして程なく、あろうことか真理ちゃんは生死を分ける大病に見舞われてしまいました。日頃から泰然自若としておりますお母様も、私たち夫婦に「死刑の宣告を受けた気持ちだ」と、持っていきどころのない辛い胸のうちを吐露されまして、それこそ神仏にもすがる思いで共に奔走いたしました。そして手術、入院を経て危うい命を一条の希望の光で取り戻しました、私自身もほぼ時を同じくして死と隣り合わせの病を得たものの、生きてゆこうという決意のもとに手術をしたこともありまして、以来、私たちは生きる喜びを分かち合い、それをテーマとしたメールを交換するようになりました。途中、真理ちゃんのお父様が余命幾許かの病で入院した時にはお父様への気遣いと感謝のメッセージを私が入院しているお父様にお届けし、お父様は嬉しそうに真理ちゃんのメッセージを何度も読んでおられましたが、いよいよ病状が悪化したときには「お父さんずっと側にいてあげられなくてごめんね。またすぐに行くからまててね」という真理ちゃんのメッセージ私が耳元で伝え、うんうんとうなづきながら、その数日後にお父様は安らかに永遠の眠りにつきました。やがてお互いに交わしたメールはすでに一冊の本となるほどの分量となりました頃から、洋昭君が真理ちゃんのメールにちらほらと現れることとなりまして、その直前には叔父様、私は当分結婚なんてしないから安心していてねと言われていたこともありまして、嬉しいやら淋しいやら複雑な父親の心境でおりましたが、その後短い流れの中で悲しみも含めた紆余曲折を経ながらも、今日のこの慶事の運びとなりましたこと、数々の親不孝を重ねてきた真理ちゃんが今は亡きお父様とそして今日までひたすら真理ちゃんを支え続けてきたお母様への、人生最大の贈り物と嬉しく思っております。結びとして真理ちゃんと洋昭君に万葉集の中から一種捧げます。それは天皇の仰せで穂積皇子が滋賀の山寺に遣わされたときに、但馬皇女が作られた恋の歌でして「遅れ居て 恋つつあらずは 追いしかむ 道のくまめに標結えわしが背」という歌でして、今の言葉で言えば「あとに残って恋しがっているくらいなら追いかけていきましょう。道の曲がり目に印をつけておいてください、あなた」という意味です。洋昭君は仕事柄出張がちで、真理ちゃんが留守を預かる日々が多いようですが、どうぞ但馬皇女がこの歌に込めたように、いつでも洋昭君を慕い続けそして洋昭君にはいつまでも真理ちゃんの道しるべとなってくれますことを祈念しまして、祝辞とさせていただきます。
真理 06.05.20
ゆっくりお時間とれる時に一度お電話下さい。内密に是非お力をお借りしたいことがあります。
090215****
真理より
ひろし 06.05.20
関本 先生
昨日は早速お電話をいただき有難うございます。今週の木曜日あたりに相談者共々伺わせていただくことになろうかと思います。日程が定まりましたら改めて電話にてご都合をお尋ねしたく思っております。
当日、先生の貴重なお時間を節約するためにも予め相談させていただきたいことをお伝えいたしたく思っております。いささか長くなるかと思いますがお目を通していただければ幸いです。
相談者は城崎(旧姓、永斗)真理と申しまして、私ども家族の知人の28歳になる娘さんです。
彼女は盛岡第3高等学校を卒業直前に中退し、東京にて独り暮しをしておりましたが、20歳の時に母親の忠告に従い、大学入学資格試験(いわゆる大検)を受験し、合格しました。その後東京の歯科医院にてアルバイトを始め、歯科医師の勧めもあって23歳の春に早稲田医学院歯科衛生士専門学校に入学し、2年後に国家試験に合格しております。その後重篤な病に罹り、東京女子医大にて手術を受けたものの子供を産む可能性は微妙な体となりましたが、担当医の定期健診を受け続け現在は健康体を保っております。
昨年の夏に一人の男性と知り合い、意気投合しまして半同棲生活を続け、その秋に妊娠したことが判明し、医大の担当医にもその旨伝えたところ、大変よろこんでもらえました。妊娠をきっかけに二人は結婚を決意し、男性とともに真理の母親(父親は2年前に癌にて他界)ならびに私共のもとに結婚する旨報告に参りました。そして挙式は1月という段取りで話が進みましたが、真理の体調に変化が生じ、新しい生命はあえなく天の星となってしまいました。やがて男性の方から突如、結婚についての延期の申し出があったことがメールにて私に知らされました。私は二人に命の掛け替えのなさ、新しい生命を世に送り出せなかった女性としての真理の深い悲しみを訴え、この今こそ二人が手を携えて新しい人生を歩んでくれるよう切に望みました。その後真理の希望もあり、暫く静観していましたが、真理からの希望もあり、一月ほどして真理の母親ともども東京に行きまして二人の心の内を確かめましたところ、男性の方は偶然のことからコンピューターのブログで真理の私小説風の文章を目にして、真理への愛情が失せてしまったので結婚は諦める方向で考えたいとのことでした。私も真理の母親も改めて二人の絆を今こそ強めることを切望しましたが、望ましい進展もなく真理には結婚は諦めるよう諭し、盛岡に帰ってきました。その後長い時間をかけて男性は考え続け他結果、年末近くに思い直し、正月明けに真理を札幌の実家に向かえ、両親共々これまでのその男性の行き届きかない心を詫びてくれました。春になって両親が盛岡を訪れ、正式に結婚の申し込みし、二人は埼玉の大宮に新居をみつけ、大宮の市役所に婚姻届を提出いたしました。去る4月末に東京で挙式、披露宴を済ませ、二人はイタリアに新婚旅行に出かけ、帰国後の5月8日(火)からの夫の岩手への出張に真理も同行し、共に真理の実家に滞在いたしました。5月11日(金)に夫の出張が終わり、その日の夜に夫だけが大宮に帰り、真理は13日(日)に戻りました。5月20日(月)に真理から内緒で力を借りたいので時間をみつけて携帯に電話を寄越してもらいたいとのメールがあり、早速電話をしたところ次のような話でした。
「夫は翌週早速出張があったが、19日(金)の昼過ぎに体調が不調ということもあり、出張から自宅に帰り、洗濯物を出して昼寝をし始めた。洗濯物が入っていたかばんの中に今までみたことのないデジタルカメラのカードがあったので、それをコンピューターで見てみたところ、以前に見たことのある夫の昔の彼女の写真が20枚ほど写っていた。一部は以前に見たこともあるのだが、そのうちの一部は新たに撮られた写真であり、日付は5月12日となっており、その夫は写ってはいないが、彼の手が被写体の手前に写っているものがあり、その指には先日の結婚式で交わした指輪があった。写っていた女性の写真の中には裸体のものもあり、明らかに不倫であることが判明した。そこでそのカードとデジタルカメラを食卓に並べ、昼寝をしている夫を起こしてそれらの物を目の前にして事実を質したうえで、あなたは信用できない、と言い残して家を出てきた。直接実家に帰ることは憚れ、仙台にいる姉のもとに行くこととしたが、姉の帰宅時間に合わせると大宮で幾分時間を過ごさなくてはならないので、夫に電話をして改めて会い、いきさつを聞いてみると、当該の写真は操作を誤ったために間違った日付が入ってしまった、などの弁解にあけくれた」
真理は数日来体調が思わしくなく、生理が遅れていることも気掛かりで、夫を待つ間に薬局にて妊娠検査具を買い求め、検査を試みた結果その反応は陽性、つまり妊娠していることが判明していた。真理はこの妊娠の可能性について夫に次のように質問をたてた。
「もし、私が妊娠していたらどうするの?」これに対する夫の答えは「真理はどうせ離婚する気持ちで一杯なのだだから、妊娠していたら堕すべきだろうな。片親なんて子供がかわいそうだから」この一言が真理を一層かたくなな気持ちにさせた。
「この人は人間じゃない。去年のあの私の悲しみをちっとも分かってくれていない」
こうした話を聞いて、母親には私の方から話をすることとし、とりあえず盛岡に帰るよう申し伝え、20日(日)の午前中に私が真理の母親を訪れ、あらまし事情を説明しました。20日の昼頃に真理は盛岡に帰り、母親と話をしております。
21日(月)の朝に母親を再度訪ね、関本先生とコンタクトがとれ、近々お目にかかれるということを伝えました。母親としては真理が「離婚ありき、慰謝料、子供の養育費云々」でそのほかの可能性についての考えをいたそうとしていないことに不安があるようです。
私としては調停も可能性の一つだし、真理の夫の実家のご両親には真理が盛岡に帰ってきていることの報告をする必要があるでしょう、と申しましたところ母親も真理の真意を聞くためにもそしてその熱を冷ますための何らかの時間が必要だろうし、近いうちに機会を捉えて札幌に行って来たいと申しておりました。
今夜、改めて真理が母親と共に我が家に参りまして私たちはあれこれ話をしました。
真理は調停手続きの話云々で関本先生にお目にかかれるものと思い込んでおりましたので、「調停の件もさることながら、様々な人生を見ておいでになられた先生だから、そのあたりも含めて相談をさせてもらうことにしましょう」と言い伝えておきました。
夫には仙台の姉のもとに行ってくると言い残してきたようにて、その姉の方にメールで熱を冷ましてもらいたいとの伝言があったようです。そして真理にも直接電話をかけてきたとのことでして、きたる27日(土)にゆっくりと話合いの時間を持ちたいと言ってきたそうで、真理はこの土曜日に暫定的に大宮に戻ることになりました。
真理は証拠となるそのデジタルカメラのカードを置いてきてしまいましたし、夫の言によれば既にその写真は消去されたのことです。
今夜、私は次のような助言をしております。
1.土曜日の話合いにあたっては100パーセントの離婚を前提として望むべからず
2.事実関係をきちんとした整合性をもって質すべし
3.夫の改悛の度合いを冷静に判断すべし
4.妊娠の事実を伝え、そのことへの夫の反応を沈着に受け止めるべし
5.感情に流されず、一度盛岡に帰ってじっくりと考えるべし
あらまし、このようなことを申し伝えております。
長々とながらも不明のことも多々あろうかと存じます。調停に関すること並びに真理の今後の在り方などにつきましても先生のご意見、ご助言などもいただければ幸いに思っております。
もしも、調停そして裁判となりましたときには改めて先生にその領域での相談をさせていただきたく思っております。
ご多忙のところかかる相談にて貴重なお時間を拝借すること甚だ恐縮に存じておりますが、何卒ご助力をいただきたく、伏してお願い申し上げる次第でございます。
ひろし 06.05.21
昨晩、タマお姉さまにお越しいただき、泰子ママからあらまし伝えてもらいました。私の客人が思いのほか帰りが遅くなってしまったので、お姉さまとは話をする機会がありませんでした。これから伺って話をしてきます。昨晩は宵の夢枕で君と話をしておりまして、私の対応が沈着さに欠けていたような思いにさいなまされていましたが、朝の散歩であれこれ考えを巡らせ、これでいいのだと妙に納得しています。
ひろし 06.05.25 お節介な叔父様です
遅くに御免なさい。私が脳外科の医師なら真理ちゃんの脳味噌の一部を交換手術したい思いがします。私は明日は午後は時間があります。夜は皆さんお集まりでので、お話するのでしたら、午後なら大丈夫です。お節介まで!
ひろし 06.05.26
今夜はいる筈の真理ちゃんがいなかった所為でしょうか、そこはかとない淋しい夕餉のような心持がしました。真理がいれば華やいでいたろうに、でもその真理は...。やはり今、ここにいなくてもい「いつもの真理ちゃんが」いなくてはならないのです。これが洋昭君に伝わってもらえることを切に願ってやみません。ゆっくりお休み!真理!
ひろし 06.06.15
お刺身を食せず残念でしたね。ハタハタは別命を雷魚とう言うように記憶していますが、この刺身は珍味であるとともに歯ごたえもあり、あっさりとした中に濃くのある味わいの刺身でした。お気の毒さま!ところで、タマお姉様より洋昭君のお母様からのお手紙拝読させてもらいました。真理チャンは明日千葉にお出かけですね。出かける前に今一度あのお手紙を読んでみて下さい。そして又帰ったらもう一度読んでみることいいでしょう。またか、という思いは捨ててその都度自分の気持ちを捨てて読むことが肝要です。来週にはまた会える機会がもてます。この北海道のお母様のお手紙を廻って私の心の内をお話したいし、真理チャンの気持ちも聞きたく思っています。今のこの時勢には使われなくなった言い回しですが、明日の旅立ちにあたってはくれぐれも道中のご無事を祈っています。階段、エスかレターの上り下りには心配りをお忘れなく!真理チャンが元気に帰る日を待っています。
真理 06.08.14
先日、洋昭が突然の訪問した際、私は「前向きに考えるが期待しないでほしい」とひねくれた事を言いましたが、あの言葉は演技です。彼は、追い詰められた時でないと人の話が聞けないのであのような策をとりました。しかし心の中ではおじ様と同じ想いでした。前回、彼が遅刻したとき私は彼にキツイメールを送りました。その後彼から電話がありましたが「用件は何?」「あんたとやり直すつもりなどない」と、これまたキツイ対応をしました。その日から3日経ち、彼が訪問してきました。意を決して来てくれたのだと思います。私が友達を送り、1時間ほど遅れて居間に行くと正座姿の彼がいました。開口1番、「真理、これまでゴメン。(浮気)した事も、今まで来なかった事も悪かったと思っている。中々来づらくてこうなってしまったけど、今回逃したら本当に来れなくなると思ったから突然ではあったけど来たんだ。真理にもお母さんにも周りの方にも迷惑をかけたと思っている」と言いました。私は相槌をうちながら聞いていました。彼の話が終わると「本当に迷惑でした。要領悪いよね」とこれまた意地の悪い返事をしましたら「今日1日で真理の気持ちが変わるとは思っていないし、これからの自分をみてほしい」と彼は言いました。その後、時間があれば多田さんとも話したい、と彼が言うので、連絡をとり、夕飯も一緒に、となりました。どうやら本気で反省していた様でした。そして私が意地悪?をしたことでその気持ちは固まったと思います。鶏のような人なので私は皆さんのように直ぐに「良く来たね」とは言えませんでした。喜ぶのは皆さんに任せ、鬼になることにしました。私も『のろま』な彼を受け入れて一緒にやっていきたいと思いました。以前、気にしないのが楽チンだから彼には何も期待しないんだ、と豪語していましたが、受け入れることが1番楽チンなのかもしれないですね。向こうも激情型の私を受け入れてくれていますし…。この一連の騒動ですが、どうやら出口が見えてきたようです。それもこれもおじ様の教えがあったからです。心から感謝しています。いい気持ちで仏壇に向かえられてホっとしています。有難うございました!
私が遅刻した彼に送ったきっつ〜いメール。どうせ平日は予定どおりにいかないのなら先週末にでも来るべきだった 家庭の問題よりサッカーか? 本来なら誠意をみせるために毎週末でも通い、謝罪に徹するべきだと『私達』は思っている。筋を通すということはそういうことではないのか この先どうやってあなたは誠意を表現するのか? 呆れてものが言えない 夏休みも実家に帰り、週末は道楽にふけこみ私に「戻ってこい」というのは虫が良すぎる 今回の件で『口だけの人間だ』ということが分かった
そんな人の所に戻る気はない お元気で
ひろし 08.14
自分の心はもとより真理ちゃんという最大の障壁に意を決してやってきた洋昭君を君が受け容れ、「やり直そうと思っている」という言葉を聞いたときの感動は今もまざまざと蘇ります。こうしてメールを書いている自分の文字が霞んできます。真理ちゃんにも洋昭君にも言いたいことは山ほどありますが、黙って君たちを送り出したく思っています。
真理 06.09.11
盛岡では秋風も漂う季節になっていると思いますが如何お過ごしですか。
こちらは残暑も厳しくありますが夫婦ともども元気に仲良暮らしております。先月12日に洋昭が実家にきてからというもの、二人の溝は確実に埋まってきています。はたから見れば何事もなかったかのようです。「許せない」と躍起になっていた自分がどこかへ吹っ飛んでしまいました。この変わりように自分自身驚いています。先月末、北海道へ4日間滞在したときも家族水入らず楽しく過ごすことができました。あちらのお父さん、お母さんも騒動のことは口にしなくとも、大変喜んでいるようでした。お父さんは晩酌のたびに「真理ちゃん、うちのバカボンズをよろしくな」と何度も言う始末ですし、お母さんに「色々ご心配をおかけしましたが今後もよろしくお願いします」と伝えたところ、満面の笑みで応えてくれました。どちらの親も想うところは一緒だったようです。北海道滞在中、私は何度も「仲直りできて良かった」と心の底から思いました。ハラハラしながらもどう対応して8いのかわからずずっとそばで耐えてきた私の母や、なんとか道しるべを、と色々策を考えてくれていたおじ様やおば様もどれだけ安堵していることか。よかったよかった、しっかり仲良くやりなさいよ、という声が今にも聞こえてきそうです。さいたまでは相変わらず留守を預かることが多いのですが、今まで実家にいたせいか、一人で家にいると、どこか寂しさがあります。(前は思わなかったのですけど)教習所に行ったり、買い物にでかけたりしていますが、ふと寂しいな、と思う瞬間があります。たかが4〜5日の一人暮らしでこんなようでは、私が居なかった時の洋昭はいったいどんな心境だったのだろうと思います。サッカーやら用事を作っていたようですが、一人でご飯を作り、食べていたときは何を考えていたんだろうと思います。その頃の私はといえば「アイツは遊んでばかりで現実逃避して、どーせ何にも考えてなんかいない!」という思いに駆られていました。
物事の一片しか見ていなかったようです。さいたまの暮らしで、欠けていた謙虚な気持ちを思い出しました。おじ様には始めから終わりまで、常に「真理ちゃんにとってベストな選択を」という想いからたくさんの助言をいただいてきました。その言葉が、その意味が、今身をもって痛感しています。
本当に有難うございます。おじ様のように親身になってくれる人がいてくれて、自分は幸せ者だと思います。乗り越えられる試練なら、あったほうが絆が深まるのでいいのかもしれません。新婚当初の騒動で皆様にはかなりのご心配をおかけしましたが、これからは飛鳥クラスの大船に乗ったつもりで見守っていただけたらと思っています。もうすぐ新しい家族が増えます。残りわずかとなった二人きりの生活を大切に、幸せな気持ちで赤ちゃんを迎えたいと思います。子供のことを思うと、本当に仲直りできて良かったと思います。お盆のころ「嫌な思いさせたけど、お母さんおとうさんと仲良くするからね。みんなお前のこと楽しみに待っているよ。だから安心しておやすみ」と語りかけたのを思い出しました。今もまた、じわっと目頭が熱くなります。未来は明るいです。素敵な妻であり母になるべく頑張りたいと思います。色々と有難うございました。関本先生にも宜しくお伝えください。
追伸:ドイツ旅行(?)気をつけていってらっしゃい。おじ様の帰国したころ、検診で帰ります。恵美さんに会えるといいな
ひろし 06.09.13
虫の声がそこかしこから鳴り響き、秋風が心地よくそよいでいます。真理ちゃんが帰ってからというもの安心はしたものの、そこはかとない淋しさが意識のしきみを彷徨っています。先日、真理ちゃんが送ってくれたものの中から蟹味噌は幸信さんらとともにお酒の肴にいただき、今一つの方は品書きが見えないこともあったので、そちらの方は関本先生にご挨拶に伺った折に真理ちゃんからの志ということで持参しました。関本先生もそれはそれは喜んでいました。5月20日の「おじ様へ」と題するメールをもらってから長かった日々ではありましたが、まさしく「何事もなかった」でいいのですね。タマお姉さまも小岩さんらと出かけた網張温泉での一夜は久々にゆったりとした時間が持てたでしょうし、先日の豪華客船「飛鳥」による船旅も存分に楽しめたことでしょう。私もいよいよ今宵はこの地特有の「はばき履き」の宴となります。ドイツはまた夏の日差しが戻ってきたようにて2年半ぶりに訪れるその風情が楽しみです。今回はエルベ川を船で逆上り、チェコの国境近くまで出かけますし、30年近く前に短い船旅を楽しんだライン川を今回は6時間ほど下る予定です。これまで一度も眺めたことのなかったあのローレライの岩は船上からはどのような趣を見せるのだろうか、悲しげなあの旋律は船の中で聞こえてくるのだろうか。そして真理ちゃんには決してわからないだろうけど、燦燦たる日差しをあびながら出来立てのアップルワインに炭酸を入れてもらって飲むあの味はこの季節のフランクフルトでしか味わえないものなのです。ドイツの友人がアップルワインの店を既に予約してくれています。すべて旅行社に依頼したものではなく、私が組み立てた旅行ですし、ドレスデン以外は私も寿和も初めて訪ねる所ですので10数名も引き連れて、果たしてキチンとガイド役がはたせるものか不安はありますが、同行の皆さんとは気心の知った間柄ですのでなんとかなることでしょう。そして私も真理ちゃんと洋昭君への心配もなく出かけられるのが何よりです。折々、幸信さんともども真理ちゃんの自動車学校のことが気に掛かることもありますが、安定期に入っていることですし、すべては杞憂でしょう。先日、秋篠宮様の新宮様のご誕生のニュースが報じられたときには一筋の涙が頬を伝わりました。「虎太郎」ちゃんが生まれたら号泣しそうです。ドイツから帰ったら久々にまたあえますね。どうぞ私が留守にしている間もお腹の赤ちゃんともども健やかにお過ごし下さい。
ひろし 06.09.24
22日朝、ルフトハンザ機は穏やかに成田に降り立った。外の風はドイツと変わるところはない。総勢14人+赤ん坊の友梨を含めた総勢15人からなる「ドイツ‐船の旅と古都の散策」はこれをもって無事終了した。旅行社のパック旅行ではないのである意味では気ままな旅ではあったものの、恥ずかしながら我が西道場には自分の思いで動く者もあり、私はエルベ川下りを断念せざるをえなくなったり、古都ハンブルクを訪れることはできなかったりしたのだが、それはそれでよしとせざるを得なかったし、寿和はガイドとコンダクター役でへとへとに疲れたようだったが、参加者の皆さんはそれぞれ楽しんでくれたようだ。
今回の旅は朝食に際してシャンパンさえも飲み放題の旧東ドイツのドレスデンの高級ホテルから始まったのだが、西のフランクフルト近郊のマインツからのライン川下りの一部を紹介することにしよう。
船は朝の9時15分発である。階下と1階の部分はレストランになっている。私たち乗客は前方のデッキの椅子にてんでに座った。船はほどなくポワーンともボーとも汽笛を鳴らすことなく動きだした。ライン川下りについてのアナウンスが船内に流れた。崎三先生が「ドイツに4日いたので俺もわかるようになった」と言っていた。ドイツ語、英語、フランス語に続いて日本語の説明があったので皆さんの傍らにいる必要がない。セーターを着込んだが川面から上る風が頬を冷たくよぎっていく。デッキの右と左にソファーがあって灰皿が据えられている。私は幾分背伸びをしなくてはならないようなトイレで用を足し、ラインの岸辺を見ながら煙草をくゆらせて食堂に下りていった。寿和夫妻は友梨といっしょに一足さきにレストランでくつろでいた。メニューを片手に寿和が麻由さんと相談をしている。「どれにしようか?ボトルは高いな」「どうせ俺も飲むからボトルにしよう」ガラスのドアの向こうに小さな土産を置いてある店が見えたので、ひやかしに覗いて見ようかと後は任せてフラフラとでかけてみた。絵葉書と祐介にうってつけのブレスレット買い求めて席に帰ってきたら注文のボトルが届けられていた。氷がたっぷりと入っている銀色の器から白い布が被せらた豪奢なシャンペンのボトルが顔を覗かせたいる。「シャンペンを頼んだのか?」「うん、マインツのホテルではシャンペンがでてなかったから」飲み放題のホテルのシャンペンではないので、ちびりちびり飲んだが、船の上のせいかこれまた旨い。暫くしてデッキにいた面々も降りてきて、それぞれ席についてあれやこれやら飲み物など頼んでいた。幾つかの船着き場に止まって途中から日本人の団体が乗り込んできたあたりで、間もなくローレライの岩場の近くにさしかかるとの船内放送があった。ローレライの岩を右側に見ながら舟は進んだ。私は進行方向に背をむけてレストランの椅子にへばりついていたので、案内とは逆の左手の岸を見なくてはならない。川幅は最も狭くなっている。ハイネのローレライの歌が川中に流れる。私が記憶していた詩とは幾分違っていた。昔に教わった日本語の訳語と照らし合わせてみるとどうにも腑に落ちない。まとまらない気持ちのままに船は進んでいく。そして船はまた別の桟橋、サンクト・ゴアハウゼンに着いた。幾人かが降りていくと船はまたもや黙って動き出すと今度は船が後ろ向きになってしまって今まで送っていたはずの景色が前から迫ってくる。僅かのシャンパンの所為で船酔いでもしたかと思うと、またもや船は停まった。先のリューデスハイムから乗り込んだ日本人客がぞろぞろと出口に向かっていった。ここライン川も橋が少ないようだ。対岸の町にこれらの客を降ろすために川下りの船は渡しの役割もはたすようだ。その船着場を出たら私はまた進行方向に背を向けて又向きは後に流れる景色を存分に眺めることができて落ち着いたような気分になった。友梨はローレライの調べを聞きながらいつしか寝入っていた。
成田で幾つかのグループに分かれて私たちは東京駅でラーメンを食べて新幹線に乗った。一つ前の新幹線で又従姉弟のふたり連れが盛岡に向かっていた。恵美ははかならずも同じ新幹線であったが、それぞれ別々に我が家にたどり着いた。従姉弟とは30年分振りの邂逅だった。ドイツの話はさておき昔話に花が咲き、墓参りにいこうということになって翌日は早速高速道路を南下して田舎に出かけ昼食にズンダ餅を食べて、夜の帳もすっかりおりて盛岡に帰り着き、焼肉をほおばりながら温麺、冷麺などを食べてすっかり東北に浸って泰子ママらは恵美の運転で網張温泉へと出かけ、私は久々の一人きりの寂しさをビールと焼酎で満喫している。
真理 06.09.25
お帰りなさいませ。楽しい思い出ができたようで何よりです。疲れもすっかりとれたことでしょう。明日からいよいよ盛岡入りです。今晩まで多田家ではお客様がいらっしゃるようで、お伺いできるのは水曜日以降になりそうです。1ヶ月ほどお会いしていなかったこの期間がとても長く感じられます。お腹はだいぶ大きくなり、洋昭にも胎動が感じられるほどになりました。(7ヶ月目に入りました)教習所も順調で、仮免取得、最終段階に入っています。10月1日の日曜に、洋昭の友人の結婚式が京都で行われるため、金曜にはさいたまに帰ります。もっと長く滞在したいのですが、11月半ばになれば出産後までしばらく実家にいるつもりです。自然分娩では陣痛を待つらしいのですが、予定帝王切開ということなので、予定日よりも早くに出産すると思われます。年内に生まれると思います。とっても待ち遠しいです。早く会いたい気持でいっぱいです。そして皆様にも早くお披露目したいです。親バカを通り越して、バカ親になりそうです。
また皆様と食卓を囲める日を楽しみにしております。