小説 多田先生反省記
18.多田一家旗揚げ
大型の冷蔵庫の中には大野の母親から貰った缶詰のバターの他にはグレープフルーツが幾つか冷えているだけだった。私は天神にある大型のスーパーマーケットでショッピングカートに山ほどの食料品を買い込んだ。荷物が抱えきれず店員に表まで運ぶのを手伝ってくれるよう頼んだが、あっさり断られた。仕方なくショッピングカートを押して表まで運んでタクシーでアパートに帰ってきた。ビールは酒屋に配達をしてもらった。閑散としていた冷蔵庫が久々に賑やかになって、これで東京に帰るまでの毎日の食事が賄えそうな雰囲気だが、一夜にしてまた私の部屋のようながらんとした場所塞ぎの箱になってしまいそうな気もする。翌日は大籠がクラス仲間を引き連れて遣って来る。
土曜日ということもあって私は昼近くまで惰眠を貪っていた。昼飯を済まして書斎として使っている玄関脇の部屋で本を読んでいると、階下から賑やかな声が聞こえてきた。ヤ組の学生たちだ。私は玄関に出て行った。玄関を開けて大籠は開口一番「あ、曜子ちゃんら入らんどき!先生、パンツいっちょでは、いかんですよ!」と言っている。女子学生がどうしたらよいものやらウロウロしている気配がわかる。既に布団は仕舞ってはあるが、数日分の新聞はあちこちに散らばったままだ。
「大丈夫たい。先生はちゃんとズボンば履いとんしゃあ。嘘や、嘘!」
ほっと胸をなでおろした女子学生が入ってきた。
「先生、お久しぶりです。一年生の時はドイツ語でお世話になりました」いつもしっかりとドイツ語を勉強していた笹岡曜子だった。コトバに訛りがない。アクセントも私と同じである。「こちらは高取幸子さんです」てきぱきと今一人の女子学生を私に紹介した。
「高取さん?君、ドイツ語は受けてなかったよね」
「はい、わたしは中国語ばとっとります。わたしもヤ組のコンパ幹事ですけん来ました」流暢な博多弁だ。
次々と入ってくるが、初対面の顔もある。
「僕は吹奏楽部でサックスば吹きよります。セックスじゃなかですよ。法螺はよぉ吹きよりますばってん。長丘言います」長丘も中国語を受けた組だった。お恍(とぼ)け振りは私に勝るとも劣らない。
次々と学生が乱入してきて間口の小さな玄関は瞬く間に履物で溢れた。諏訪と大橋が半分ほどの履物を手際よくベランダに運んでいった。次々と入ってきた学生が散らかった新聞などを片付け始めている。最後に奥稲荷が入場となった。目ざとく玄関の鴨居に飾っておいた木刀に目をやった。
「おお、教官はこのような物をお持ちですか。ちょっと拝見いたしましてよろしゅうございますか?」トレパンのポケットから取り出したハンカチを口に銜えて木刀に手を伸ばした。居間と横並びの部屋で姿勢を正して座り込んで、木刀の先を天井に向けて繁々と眺めているその姿は時代劇の一コマのように映った。これが立ち姿だったら赤城山での国定忠治の子分との別れの一場面だ。「赤樫とお見受けいたしました」そうとしか言いようのない代物だ。
大籠は持参してきた食糧やら食器を段ボールから引っ張り出し、それぞれに指示をしている。カレーを煮込むことになるようだ。私は冷蔵庫にある物も使うよう促した。笹岡と高取の二人は甲斐甲斐しくキッチンで玉ねぎを?いたり、ジャガイモを切っている。大勢の学生があちらこちらうろうろしていて、ガス炊飯器を蹴飛ばしやしないかと気に掛かった。やがて全てが整い二部屋に分かれて適当にビールを呑んだりカレーを食べ始めた。スプーンが足りなかった。
「先っぽの方、先生がかじったごとあるばってん、曜子ちゃんはこれでヨカろう」大籠は笹岡にグレープフルーツ用のスプーンを差し出した。
「先生、ご結婚なされるって聞いてますけど本当ですか?」
「そうばい、曜子ちゃん。こん間、おいはな、先生の奥さんとおぉたとよ。こん家で。いやぁ、先生、あん時はほんなこつビックリこきましたもん」
「ええっ!やっぱりそげんなっとぉと?でも、先生、結婚もしとんしゃれんうちから、もう奥さんの来とんしゃったとですか?」高取が驚いた様子で私を問い詰めた。
「そうたい。あんたら気ぃつかんじゃったろうばってん、あっちの書斎におらしゃぁとよ」真顔で諏訪が云った。
「先生、本当ですか?今もいらっしゃるんですか?」笹岡が怪訝な顔をしてそう聞いた。
「そんなことないよ。この間ね、ちょっと遊びにきただけ」
「そいで、いつ結婚さっしゃぁとですか?博多ん人ですか?教え子ですか?どこでお知り合いになられたとですか?」
「高取さん、そういっぺんに聞かれても困るよ。片っ端から忘れちゃうから」
「すんません。わたしっていつもこげんせっかちで」
私があれこれ惚気を交えてこれまでの経緯(いきさつ)を語って聞かせている間に大分出身の寺崎がキッチンに行った。
「先生、これ何ですな?」
「ジンだよ」
「酒ですか?」
「そうだよ。強いぜ。冷蔵庫にあるライムジュースで割ってロックにして呑むと旨いぞ」
「そげんですな。呑んでもヨカですか?」そう言って寺崎はジンライムを口にした。「うわ、きつかぁ。たまげたバイ」顔をしかめている。改めて口にした。「そげんしても旨かぁ、もっと呑んじゃろ」到頭キッチンの板の間に胡坐をかいて本格的にジンライムを呑み始めた。
「さっきお話しました通り、多田先生が結婚されるらしいっていうことは伺ってました。わたし、一年生の頃…」ここまで話して笹岡は声を詰まらせた。
「曜子ちゃん、どげんしたとや?あんた、多田先生に惚れとったと?」大籠が茶茶をいれた。
「そんなんじゃありません!」毅然とした物言いで私の微かな期待はすぐさましぼんでしまった。「姉がいて…。もしかして多田先生が姉と結婚してくだったらなあなんて考えたり、母とも話したりしていたんです」
「曜子ちゃん、姉ちゃんのおらしゃぁと?初めて聞いたバイ」大籠が真顔で言った。
「まだ独身なの」
「当たり前やろ。独身やなかったら先生と結婚なんかでけんじゃろうもん」諏訪が云った。
「先生、結婚式はいつになるとですか?」今日は買い出しやら荷物の運搬のために車できたので、酒は飲まずにそこいらの物を口に頬張っていた大橋が聞いた。
「11月の末だよ」
「東京でですな?」
「うん、出席者は友達中心だし、みんな東京にいるからね」
「僕、この春休みに東京に遊びに行ってきたとですもん。高校ん頃ですね、修学旅行で行ったことはあるばってん、一人で行きよったんは初めてですたい。えらい恐ろしかったとです」
「東京ゆうたら大都会じゃもんね」諏訪が口を挟んだ。「僕も修学旅行で東京に行った時は、デパートで友達とエレベーター見てからにですね、『ちょっと見てみんかい!さすが東京じゃね、階段の動きよるバイ』って云うたら、東京の人たち、こいつらどこから来よったかいね、なんて顔して僕の顔を見よったとです」
「お前、そげんこと真面目くさって云いよったと?そりゃ呆れられるわ。そうゆう僕もですね、大橋が東京に行く云うた時には『東京は恐ろしか所じゃけん、知らん人に付いて行きよってはいかんばい。アフガニスタンあたりに売り飛ばされてしまうけん、云うたですもん」
「そげんですたい。大籠は真面目くさってからに、そげんこつば云いよりましたけん、東京に着いた時にはどげんしよう、思いよりました」
「去年の夏休み前に、授業で東京シリーズって銘打ってさ、何回かに分けて雑談したことがあったろ」雑談のネタに行き詰って幾つかの名所らしき所を黒板に図解しながら紹介したことがあった。
「先生が教えてくれた新宿の安か鮨屋も探して行ったとです」
「そうか、よくわかったな」
駅ビルの中にあるから誰でもすぐにわかる。安いことで評判の鮨屋だった。
「あん店、先生の云う通りでした。ほんなこつネタを抑える指は二本ではのうして、一本で握りよりましたもん」大橋はすし職人の仕草を交えてその握り方を紹介している。ネタが小さいだけに、シャリも小さく握らざるを得ない鮨屋だった。
「先生はあの時『おっかない』っていう言い方をしてらっしゃいましたけど、それって東京のお言葉なんですね。こっちでは、今、大橋君が云ったように『恐ろしいか』とか『えずか』って云うんです」
「そうやね、笹岡さんは博多弁はようしゃべらんけど、笹岡さんとも違ぉして、先生のお話の仕方ってアナウンサーのごたぁですね」高取は根っからの博多っ子らしい。
「最近は少しだけ博多弁が喋れるような気がしているけど、アクセントの置き方なんかはやっぱり難しいね。博多弁なんてよう喋り切らん」
「やっぱ、ちょこっと違ぉとりますね」高取から不合格とされてしまった。
「先生、夏休みは東京に帰らしゃぁとですか?東京では博多の紙袋を下げとってはいかんですよ」大橋はまだ東京での話が言い足りなかったようだ。
「何で?」
「僕、大宰府天満宮の写真のでかでか写っとぉ袋の下げとったとですたい。そげんしたらですね、電車ん中で子供ば連れよるお母さんの、『ほら、見てご覧!あの人、九州から来た人よ』なんて云いよったとです。えらい、恥ずかしゅうしてですね」
「ほんなこつ、そげん云われたと?」高取が聞いた。
「そげん気がしよったと!」
「先生、夏休みはずっと東京ですか」大籠が聞いた。
「仙台と東京の両方だな」私は間近に迫った夏休みの日々を思い描いた。それにしても一日も早く康子に会いたい。そんな気持ちがぶり返してきた。康子が仙台に帰って間もなく、朝から急に体の節々が痛み出したことがあった。大学には出たものの、授業を途中でやめてタクシーを頼んで帰ってきた。夕食の準備だけを整えて床に就いて暫く眠っていたら、体中が汗だくになっていたので、起き出して寝巻を替えた序でに食事をした。食欲はなかったが栄養を付けなくては恢復しないと考えて無理やり食べた。高々風邪を引いたくらいで康子を呼び寄せるわけにはいかない。すぐさまとろとろと眠り込んだ。大野がひょっこりと現れて私が寝込んでいるのを見て驚いた。家庭教師を休みにして看病すると申し出てくれたが、良くなりそうだと言って無理に帰した。家庭教師のアルバイトが終わったあとで改めて来て、味噌汁を作ってくれた。私はまた具合が悪くなって寝入ってしまった。夜中に目を覚ますと、大野は私の枕元で仮眠をしていた。米を研いで直ぐに朝飯が食べられるように準備を整えておいてくれた。その翌日、大野は予備校で模擬試験を受けることになっている。弟の久貴が大野の命を受けて見舞いに来てくれた。幸いなことにすっかり恢復したものの康子と一緒に暮らす日を待ち焦がれる結果となった。
「先生が結婚ばさっしゃったら、今度はピオネ荘で結婚祝いのコンパしようかいね?」
「幹事長、それはヨカばい!そうしよう」突如、奥稲荷が大籠を幹事長と名指してそう言った。いくらか酔いも廻っているようだった。
「お前、いつも大籠のこと、幹事長って呼びよぉばってん、可笑しゅうなか?なして幹事長やねん?」諏訪が云った。
「そりゃ、一年の最初のコンパからやな、いつだって率先してこのヤ組を纏めてきてくれたんは大籠やないか。こん人のおらんかったらヤ組はこげん纏まらんかったよ。去年は7月7日と10月30日にピオネ荘でコンパしよったけど、こん時も何から何まで準備をしてくれたんは大籠だったやないか。その人物をただの幹事と呼ぶのは失礼やないかい。そやけん俺は大籠を幹事長、呼ぶんや」研究室に私を訪れる時とは随分と違った口振りだ。
「そうか、大籠はヤ組の纏め役か。確かにそうだろうな。俺もそう感じとる」私もだいぶアルコールが廻ってきている。
「先生、いつもヤ組云うとりますばってん、ヤ組ではのうしてヤクラスですたい」神崎が言った。
「そうか。確かにヤ組なんて云ってると火消の集まりみたいだし、今時だとどっかのヤクザと間違われるかもしれんな」
「ばってん、先生にはヤ組ちゅう方が似おぉとります」大橋が云った。
「そげんやね、多田先生は大学の先生いうよりもヤクザん親分の方が雰囲気として通りよぉね」諏訪も賛意を表した。
「そしたら、この集まりはヤ組やのうして、多田一家にしようかいね?」大籠が提案した。「先生は『貸元』やね」
「そうなりゃ、大籠はさしずめ『代貸』ってことになるな」私も浮かれてきた。「奥稲荷もそれでいいだろう」
「キョウカンがそう仰るなら、ワタクシとしましては異存を挟むわけには参りませんが…」
やがて夕闇に包まれるころになって酒に潰れた学生たちがだらしなく転がっている。隣の部屋で「ぶつっ」と妙な音がした。
「あれ?どげんしたやろ?」アルコールは殆ど呑めない長丘が目をこすりながら起き出した。「こげんところに穴の空いとぉバイ」キッチンと居間の間にあった襖だった。
「お前が肘でそん穴ば空けたとよ」横にいた神崎が云った。
「そげんや?ま、よかろ」長丘はあっけらかんとしている。
「大籠君、なんか、変な匂いしてない?」笹岡が匂いに気が付いた。今度はジンライムを飲み過ぎて酔い潰れた寺崎がガス炊飯器を蹴飛ばしたのかと思ったが、炊飯器は無事だった。笹岡は匂いの出どころを求めてキッチンに立った。「薬缶が焦げてるじゃない。誰よ薬缶をコンロにかけっぱなしにしてたの?」
「ああ、僕たい。忘れとった。もう水の入っとらんと?」犯人は諏訪だった。
「底が抜けてるわよ!」
「そこまでは判らんかった」
「先生、冗談を云っている場合じゃありません!まったく危ないんだから、男の人たちって」
翌日になって顔を出した大野がお湯を沸かそうとした。
「おやまあ、先生、薬缶に穴の空いとうじゃなかですか。どげんしたとですな?」
私は昨晩のコンパの模様を話して聞かせた。
「冷蔵庫の中も空っぽになったんとちゃいまっか?」
「そうなんだよ。この間、天神まで行ってたっぷり食糧なんか買って、タクシーで帰ってきたってぇのに、今日はお袋さんから貰ったバターと味噌くらいしか入っとらんとよ。またラーメンライスの日が続きそうだ」
短大のクラスでは折に触れて冷蔵庫を買った自慢をした挙句に、氷がいつでも自在に出来ることから氷の入った水をがぶ飲みして腹を下したことや、夜になれば布団を担いでうろうろとしている侘しい独り暮らしのことなどを物語っては女子学生の笑いをとっていた。その一つがインスタントラーメンをおかずに白飯を食べる夕飯の光景だった。
「先生、今夜もラーメン・ライスですか?」授業が終わると背後からそんな風にからかわれている。
「ああ、そうだよ。男ひとりでおるけん、碌なもんは食えんとよ、おいどんは」
「わたしがお嫁さんになってあげようか」嬉しいことを云ってくれる女子学生も偶にはいる。
「コーヒー飲みに行くか?」
「わたしも行きたい!」別の女子学生が口を尖らせている。
「いけねえ、忘れてた。松浦先生と待ち合わせしてるんだ。又、今度ね」悪乗りして、松浦がスクールバスの停留所で待っていることを既(すんで)の事で忘れてしまいそうになった事もあった。
「先生はこのところ博多のインスタントラーメンば食べとらっしゃぁとですか?」
「そうなんよ。いつかパピヨンで呑んだあと、ラーメン食うたろ。あれから博多の棒状ラーメンが好きになったんよ」
「江戸の先生には似合わんような気もしますけど」ラーメンばかりか私の口振りも気になるようだった。
「久々にパピヨンに行こうか?」
「お供します」
大野が断る筈はない。久方ぶりにパピヨンに出掛けた。パピヨンに続いて香蘭に立ち寄った。
「今日は奥さんは置いてきんしゃったと?」
「置いてきたりしたら絞め殺されるよ。もうとっくに仙台に帰ったと」
康子が博多にいた間に何回か香蘭にも呑みに来たのだった。
「今度はいつきんしゃるとね?」
「先生は夏休みに帰られて、結納ばしてきんしゃるとよ」大野が解説した。
「そうね!今度、結納ね。ヨカね、先生!嬉しかろ」
「悲しいわけがなかろうが。腹へったな、何か作っちゃらんね」
「先生、無理して博多弁使わんとき。気色悪かよ」
香蘭のママにも不興を買ってしまった。香蘭に続いて私たちは更に居酒屋にも立ち寄り、どの店もお金を払わずにきた。最近はどこの店でも私を信用してくれている。その後、何かと忙しくしていた私はそれらの店の借金を払う暇もなく、博多を後にしなくてはならなかった。それぞれの店の借財がどれ位かは大凡のところの見当をつけて大野に支払を頼んで私は東京へと旅立った。仙台にて結納を済ませ、母親の実家などにも足を伸ばして再び博多に戻って来たのは東京では鈴虫の声が聞こえる八月の末のことだった。留守の間は大野が折に触れて私の部屋に来て風を入れてくれているので心配はない。博多に帰る直前にサイズの修正を頼んでおいた結婚指輪が出来上がった。受け取る段になってどこを探しても預かり証が見つからなかった。店に行ってその旨話したところ、店員が私の顔を覚えていてくれて事なきを得た。金色に輝いている。実家に戻る電車の中で思わず知らず顔が綻ぶのは致し方ない。自分でも躁鬱病に罹ってしまったのではないかと思えることが多い。嬉しくて誰にでも康子の事を聞いてもらいたい心持がするかと思えば、戯れる相手の康子が横にいないと虚ろで物寂しい自分しか見えなくて、どうすることも出来なく心が沈んでしまうのだ。康子との電話での遣り取りは傍から聞いていれば実に他愛なくバカバカしいようだ。今日は何を食ったの、何処に行ったのだというような事しか話していない。それでも私は声を聞くだけで幸せそのものだった。しかしながら康子との遊び心だけに感(かま)けることなく、藤田らの誘いも極力断り続け、この夏も一本の論文を仕上げた。博多に帰り着くや私は駅から大野に電話を掛けた。神崎も大野の家にいた。雨振りだった。バスを降りて、とぼとぼと歩いている私の姿を見つけた神崎が傘をもって出迎えてくれた。冷蔵庫のコンセントはきちんと繋がれていて、庫内は冷えている。神崎にビールの買い出しを頼んだ。二本目を呑んだところで私と大野はほろ酔いになってしまい、酒呑みの風上にも置けないというような心持でさらにコップを傾けたのだが、遅遅として進まない。五本目で大野ともどもダウンしてしまった。神崎もよたよたと帰って行った。雨は上がっていた。一寝入りしてから、散歩がてら電話加入の申し込みのために電話局に赴いた。一年以内には設置されるとのことだった。可能性としては明日にも取り付けられるし、一か月先あるいは来年の今日になるかもしれない。これからも大野の家の電話を借りることになりそうだ。留守の間に大野のもとに幾度も宗像が電話を寄越して私の帰る日取りを尋ねてきたようだった。香蘭に立ち寄ってランチを食べたが、お世辞にも旨いとはいえない。これまで何度か食べてはその都度後悔してきたのである。香蘭でよいのは値段ばかりである。サムライロックかジンライム以外には手を伸ばさぬ方がよい。帰りがけに大野の家に立ち寄り、宗像に電話をした。
「宗像君?多田です」
「あ、多田先生ですな。お久しゅうございます。宗像ですたい」宗像らしい受け応えだ。
「今日、東京から帰ってきたんだ。何度も大野に電話を寄越したっていうけど、何かあったの?」
「そうですたい。どげんしたらよかろうか思ぉとります。バセドー氏病に罹ったとです」宗像の声は沈んでいた。手術をしなくてはならないようだった。何とか励まして私は電話を切った。大野はいそいそと民江さんの家に行ってしまった。
翌日は佐賀の嬉野温泉で大学の修養懇談会なるものが開催された。懇談は六時に終了したが、ミョション系の大学主催なので夕食は当然アルコール抜きである。お膳を覗けばどれもこれも酒の肴である。夕飯を終えたところで塔原らに誘われた。それでやっとお酒が飲めることになった。夜更けまで呑んだ私はふらつく足で同室の先生を踏みつぶさぬよう細心の注意を払って床に就いた。翌朝は七時半から礼拝があったが、私は微睡(まどろみ)を貪っていた。礼拝なんぞ聞くよりも康子の姿を瞼の裏に見ながら微睡むほうがずっとご利益があるはずだ。暫くしてグリルに行ったが誰もいない。部屋に戻るのも面倒なのでそのまま同僚が来るのを待ち受けていた。やがてぞろぞろと先生たちが入ってきた。手には聖書と讃美歌を持っている。誰も私のように目を腫らしているものはいないようにも思えたが、高来や塔原は目を赤くしていた。帰りのバスの中で同僚から冷やかされた。
「先生は純真が服を着て歩いているようだとばかり思っていたけど、早くもご結婚なされるそうですね」
「そうですたい。私も多田先生は研究室とお家の間の道しか知らんのかと思いよりましたばってん、いろんなところに出没しとるそうですな」
塔原からの伝聞のようだ。
「先生、夏休みの間に十分お母ちゃんのおっぱいを飲んできましたか?」これまた自称エロ文学が専門だと言う貝塚から冷やかされた。
「僕のお母ちゃんはまだおっぱい出なかったです」私はそう答えるのが精一杯だった。
九月に入ると大学は直ぐに前期の試験期間となる。試験問題を作っているところに中川が研究室に顔を出した。
「まだ、頑張る?そろそろ帰らないか?」
帰り道、中川から夕食に誘われたが、インスタントラーメンがあるので辞退した。
「ビールが冷えてますからお出でになりませんか?」
「冷蔵庫買ったのか?奥さんに買ってもらえばよかったのに」
私はついつい、六月に康子が来て、幾つかの家財道具を揃えてくれたことなども含めて洗いざらい吐露してしまった。心の中では「ウッシシ」とばかり顔を綻ばせていたが、既に帰り道は日も落ちて暗くなっていたので私のだらしのない形相は気取られずに済んだ。結局、団地の入り口の焼き鳥屋に引っ掛かって、ビールを呑むことになった。
「ところで、最近の大学の方は…」やら「先の学会でのあの研究発表については…」などと生真面目な話題に終始しようとしたのだったが、所詮は付け焼刃のことにてさして進展はしなかった。
「僕はこれから試験問題をつくらなきゃいけないから帰ることにしよう」
「僕も論文の仕上げをします」
いよいよ後期試験となった。康子の弟の結婚式に招かれたものの、試験期間中ということもあり出席は断念せざるを得なかった。大講義室を使わざるを得ない再履修の特別クラスは受講生の頭数が二百名にも上る。採点は大変だったが、多くの学生が余白にいろんな事を書いているので骨休めになる。大籠は訳文の中に「ここは寅さんの口調」などと書き込んでいる。「待たれども援軍来たらず嗚呼空し。ほんにドイツ語は腹膨るる学問也」などもあった。奥稲荷は「多田一家総裁のご結婚を祝す」と書いていた。試験が終わると暫くの間、秋休みとなった。試験中だろうと秋休みであろうと、学生たちは引っ切り無しに研究室はおろかアパートにも遣ってくる。奥稲荷も来るが、最近はいつも山口県出身の川添が一緒だ。川添はめっぽう酒が強い。いくら飲んでも酔った気色(けしき)を見せることはない。顔色一つ変えることなく、大人しくニコニコとしながら呑んでいる。諏訪も度々アパートに来る。コンパの直後には新しい薬缶をぶら下げてきた。大牟田までの距離に慄(おのの)いて泊まっていくことも多い。以前は食事をしたらその都度、食器を洗わなくては次に差支えたのだが、今では食器も増えて数日間放ったらかしても構わない。頻繁にアパートにも来る大野を初め諏訪らが適当に片付けている。それなりに好都合ではあるし、学生がいる間は気も紛れるのだが、その後の一人きりの時間帯が辛い。後期が始まり、暫くして岡山で開かれた学会に出かけた。時は移ろいでいった。博多にも秋風が立ち始めた頃になって康子が再び来ることになった。嫁入り道具が運ばれてくるのだ。当日は諏訪と大野が手伝ってくれることになっていた。私は康子とともに町に出掛けて食事をしてアパートに帰ってくると、玄関の新聞受けに紙切れがあった。「ぐらぐらこいた。腹かいた!すわ!」と書いてある。諏訪との約束の時間をすっかり忘れて私たちは昼飯を二人だけで食べていたのだった。コンテナを乗せたトラックが着いて運送屋が全ての家具を運び込んだところで諏訪が現れた。私は平謝りに誤った。大野も来た。段ボールを開けてすべての物を所定の所に納めた時には日もとっぷりと暮れていた。私の仕事机は場所塞ぎなので処分することとして、これまで食卓として使ってきた座卓を書斎に置いた。もとの机は諏訪が引き取ってくれることなった。夕食の支度をするには時間が遅い。私達は近所の焼き鳥屋に出掛けた。その晩、諏訪は居間に置かれた新しいソファーで夜を明かした。
結婚披露宴は11月も押し迫ってからの日取りだった。東京に発つ前の晩には大籠と奥稲荷が来た。その晩も焼き鳥屋に出掛けた。アパートにはまだ電話が取り付けられていないので私は焼き鳥屋から康子に電話を掛けた。途中で大籠が電話を奪った。
「僕、六月におぉた大籠です。僕らのクラスは名前ば替えてからに、先生ば貸元にして、多田一家いうことにしましたけん、どうぞ、よろしゅうにお願いしときます」
「ワタクシは奥稲荷と申します。教官、多田総裁には大変お世話になっております。どうぞ、お身知りおきのほどお願い申し上げます」
私達はいつまでも飲み続けた。足が縺(もつ)れて歩けない奥稲荷を大籠が居間のソファーまで担いできた。
「先生、こいつ帰れんこつありますけん、僕も泊まります」
「そうか。悪いな。布団持ってくる」
「いや、寒いことなかけん、こんままで大丈夫ですタイ」
朝になって目が覚めた。隣では奥稲荷が呻いている。大籠は一睡もできなかったようだ。ティッシュペーパーの箱が空っぽになって、横のごみ箱にその残骸が重なっていた。奥稲荷のトレパンと学生服は汚れている。
その晩の夜行で私は東京に旅立った。多田一家の主だった連中がホームに立ち並んでいた。奥稲荷は青い顔をしている。トレパン姿ではない。
「教官、ワタクシは今夜、きちんと白のズボンと学生服の正装をして、木刀を持参しまして教官をお見送りする所存でございましたが、まっことワタクシの不徳のいたすところでお恥ずかしい限りでございます」
大勢の構成員に見送られて私は車中に消えた。
結婚式にあたって康子と私は和装で身を拵えた。袴を履いて羽織りを着込んだ私は七五三詣での稚児の様相だった。披露宴が始まろうとする段になって友達の牧野に声を掛けた
「ちょっと一緒にトイレに行ってくれ」
「何でだよ?」
「小便したいんだけどさ、袴だろ。今更脱ぐわけにもいかないんで、片一方持っててくれよ」
この遣り取りを耳に挟んだ父親は呆れた顔をしていた。明らかに腹の中では「バカだな、本当にこいつはバカだな」と思っていたに違いない。嘗ての法務大臣を祖父に、植物学者を大叔父に持つ牧野はトイレで私の袴の一方を持ち上げていた。
披露宴の途中で司会の藤田はこんな祝電も披露した。
「武士道とは妻を愛することとみつけたり。奥稲荷雅彦」
「荒れ野よさらば、彷徨の旅人は今ともし火の許に帰りきぬ。大野久弥」
「多田貸元の結婚を祝い、以後、康子さんを姐さんと命名す。組の要としてけっぱれ。組員一同」
いよいよ多田一家の誕生となった。