盲導犬?
名前をジョイと云う。犬を飼うならセッターだと言い続けたカミさんの夢はこのジョイのお蔭で半分だけ叶えられた。知り合いの獣医さんの計らいにより、セッターと甲斐犬の雑種をご近所の方から貰い受けたのである。ジョイの名付け親はそちらの娘さんだった。生後さして日にちも経てはいないというのに、母犬を振り返ることもなく跳ねるようにして我が家にやってきたジョイを私はいつまでも猫かわいがりした。泊りがけで出かけた折、宿に入れることが出来ず夜は車の中で過ごさせたところ、翌朝になって握ったハンドルはギザギザになっていた。夜ともなれば私の枕許に敷いてある専用の布団に安心しきって眠っていた所為もあってか、その晩ばかりは寂しくてハンドルに噛り付いていたようだ。
ジョイが中年となった頃カミさんは友達からアメリカンショートヘアーの赤ちゃん猫をいただいた。マロと命名した。息子たちからすると、ジョイは私の犬であり、マロはカミさんの猫だった。カミさんは折に触れてマロを抱いて、マロの妹が住まう近くの友人宅を訪れていた。マロが一歳を過ぎたある日の夕暮時、バス通りを散歩してゆく道すがらジョイはふと立ち留まって筋向いのバス停に向かって吠えたのだが、私には何のことか皆目判らなかった。その翌朝までマロは帰ってこなかった。前の晩から心当たりを探し回っていたカミさんは変わり果てたマロを抱きかかえて辺りも憚らず、わーわー泣きながら帰ってきた。ジョイも塞ぎ込んで二日ほど食事をとらなかった。
マロの忘れ形見のファニーが我が家に賑わいを取り戻して幾年か過ぎた春の朝、散歩の途中でジョイが草むらを嗅ぎまわった。白とマーブルチョコの柄模様の二匹の子猫が寄り添いながらミャー、ミャーと鳴いていた。長男が名付け親となったこのミルヒとショコラにとってジョイは命の恩人だ。二匹は肌寒い時にはジョイのお腹を枕にして眠っていた。
老犬となってからのジョイは2階の寝室まで上がることが出来ず、やむなく階下の居間で独り寝をするようになった。居間の破れ網戸から抜け出して徘徊した揚句に保護されたこともあった。
晩年はオムツ暮らしとなり、寝たきりの日々を送らざるを得なくなって久しいある晩のこと、カミさんの膝に抱かれたまま微かにワンと一声鳴いて私たちに永遠の別れを告げた。私の涙は果てることを知らなかった。ジョイ19歳の初夏のことである。
その後、何年かの間、私は残された猫たち相手に日々を過ごしてきたものの、机の片隅を陣取る猫と欠伸(あくび)の移し合いをしている裡(うち)に、又しても犬が欲しくなった。盲導犬協会にお役目の終わった犬を所望した。夫婦の写真を同封し、家の間取りを描き、理由書を認めて申込書を送った末に漸く登録を果たすことができた。程なくして引退盲導犬はその数が限られているので、盲導犬になり損ねた犬でもよろしいか?との打診があった。もとより異存のある筈もない。だが、それも殆どが盲導犬候補の犬を10か月間だけ預かるパピーウォーカーと呼ばれるボランティアさんに引き取られてゆくようで、春永をいくつ迎えてよいものやら先の見通しが立たない。業を煮やした私は飼い主のいなくなった犬たちを世話している団体のあることを聞きおよび、カミさんを説得して引き取りに出かけた。道の端のほうに冬の名残の雪があった。
入口にいる中型のワン公がじゃれついてくる。名前はマルコだという。我が家にはいつしか更に増えた猫の中に同じ名前の雄猫がいるので諦めてもらう。犬舎に足を踏み入れると檻のなかに一匹ずつ入れられている。怯えた様子をするのやら、うるさく吠えたてる犬もいる。インターネットで目星をつけていた小型犬はすでに新しい里親のもとで幸せに暮らしていた。歩を進めると扉の方にすり寄ってくる犬がいた。大型のゴールデンレトリバーだ。最近ではリードと呼ばれる紐をつけて外に連れ出すと私にまつわりついて離れない。相性が合うようだ。お世話をしているボランティアの方に誘われて外を少し歩いて用足しを済ませて戻ったのだが、犬舎に入ろうとする気配は見せない。車の後部座席のドアを開けたらすぐに乗り込んだ。ゴールデンレトリバーだが、名前はラブである。どうやら私と同じくらいの年配のご夫婦の愛犬だったのだが、飼い主が脳溢血で倒れ、しばらくして奥さんも病に倒れて救急車にて運ばれてしまい、揚句は残されたラブの世話をしていた中年になろうとする息子さんも不治の病を負うこととなり、ラブはこの施設に預けられたのだった。未だに救急車のサイレンを聞くと哀しげな声を出す。
一通りの手続きを済ませて家に帰りつき、玄関をやり過ごしてテラスの窓越しにカミさんとのご対面となった。猫たちが大騒ぎをしている。ジョイおじさんの代わりが来たと喜んでいるものと勇んで玄関ドアを開けるなり、痴呆となった老猫のファニーが行方知れずとなってからというもの、ボス猫として君臨しているショコラが物凄い形相でラビーの顔めがけて体当たりしてきた。普段は余所(よそ)の猫に追い掛け回されて、時には取っ組み合いをしながらも、いつだって下敷きになっているマルコはラブの背中に飛び乗って、尻に噛みついた。私は這這(ほうほう)の体で猫たちを引き離した。ラブは震えて私の後ろに隠れている。猫たちに新しい家族だと説得するも、いつまでも背中を丸めてフーフーと唸っていた。この猫たちからラブが家族として受け入れられるのに数日を要した。ラブと云う名はどうにもカミさんの意にそぐわない。全く別の名前に変えたりしたら当犬が混乱するかもしれないのでラビーに改めた。玄関で猛烈な洗礼をあびたラビーは片時も私の側を離れることはない。私が入浴している間も、トイレで用を足しているときも入口で静かに待っている。朝は2階のトイレを使うのが慣わしなのだが、2階までラビーに足を運ばせるのは気がひけた私は朝も一階のトイレを利用するようになり、いささか不便をきたした。2階にあるトイレはウォシュレットなのだ。
猫たちとの暮らしに平穏が訪れた頃からラビーはすっかり安心しきって、雌だというのに居間の食卓の横で腹を天井に向けて大きな鼾をかいて寝入るようになった。密かに書斎に移ろうとすれば、すぐさま気配を察して、のこのこと後を追ってきて今度は机の傍らで大きな体を横たえて矢張り鼾をかいている。夜はベットに上って私の足元で寝ていたのだが、私と枕を一緒にするようになって久しい。窮屈なのでセミダブルのベットを買いたいと云ったらカミさんに叱られた。
ラビーはすこぶる散歩が嫌いである。私の糖尿病対策という名目で外に連れ出すのだが、20軒足らずの家が立ち並ぶ町内を一回りしたら、さっさと我が家の門をくぐろうとする。そうなるとお菓子などで釣らなくてはならない。煎餅を鼻先にちらつかせて紐をたぐってゆく。秋口になってからは近くの池のほとりを散策するようになった。そこまでは車で行くのでラビーは有頂天である。池を一周するのにほぼ30分を要するから散歩としては最適である。秋も深まった頃合いになって困った事態が生じた。寒さが厳しくなるにつれ、クワー、クワーという啼き声が辺りの空に響き渡る。白鳥がやってきたのだ。ラビーが白鳥を襲う気遣いはない。禁止されてはいるのだが、パンくずを白鳥に遣ろうとする人が後を絶たない。その場に居合わせたラビーはそのおこぼれを貰おうと腰を落ち着けてしまうのだ。白鳥のいる間は池のほとりの散策は断念せざるを得なくなる。
車の後部座席はラビー専用となってしまってからといもの、カミさんと3人でのドライブには支障をきたすことはないものの、他に同乗者がある時には座席の掃除に大変な労力と時間を費やさなくてはならなかった。長ければ8時間ほどのドライブのこともある。さすがに後部座席では居心地はよろしくなかろうと推し量り、7年ほど乗り続けたセダンをワゴンタイプの自動車に買い換えた。これで車の中でのラビーの生活は幅が広がって快適そうである。ガソリンの消費量も少なくなり、ガソリンもハイオクからレギュラーとなって家計の負担は軽くなった。
ラビーが家族の一員となって二冬が過ぎ去った。貰い受けたとき年齢は8歳だろうということだったので、今では10歳となっている勘定である。誕生日はお雛様の日とした。当時から一方の目はいささか白みを帯びていたが、このところ白濁が一層すすんできた。焦点も定まっていないようだ。知り合いから「人間と同じものを食べさせてはいけない」とお叱りを受け、おやつに与えるお菓子の類は控えるよう心掛けている。朝はドックフードだが、夕食はキャベツなどの刻み野菜と安く買い求めた肉を煮込んで、朝に供えた仏さんのご飯をふやかして食べさせている。昼食時が問題である。私たちは昼は居間と台所を境にしているカウンターで食するのだが、ラビーも勿論その横にちょこなんと侍(はべ)るのが日常である。その口からはどうしても涎がたれる。私のおかずを少しお裾分けしたところで足りようはずはない。リンゴなら食べても差し支えはなさそうだ。秋になれば近くのリンゴの樹にはとりどりのリンゴがたわわに実っている。そこでラビー用のリンゴを買い込むことになった。春まで食べ続けるには3箱必要である。幸いなことに屑リンゴたる家庭用のリンゴもある。これで十分だ。秋から春までの半年余りはラビーの昼食はリンゴとなり、私も落ち着いて昼ごはんが食べられるようになった。目の白濁はこの年明けの頃から著しい。大雪のこの冬は我が町内もそれぞれの塀の横にこんもりとした雪山がいくつも出来るようになって、視力の衰えたラビーが散歩するのにも支障をきたす。そこかしこの雪の山に頭をぶつけながら歩いていた。雪が消えた今では路上駐車の車がその行く手を塞ぐことが多い。歩道のガードレールなども危ない。リードなしで歩いているとゴツゴツとぶつかって痛々しい。最近ではリードをしっかりと繋いで、辺りに気を配りながらレヒツ、リンクス、オーケー、ゲラーデ、ゲー、グートゥとドイツ語を駆使して「右左」、「まっすぐ」、「行け」などの指示を出して歩くようにしている。こちらが盲導犬になってしまったような気がしないでもない。