広報資料室 |
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“すすき野家の一日”in 福祉大会 第4回青葉区社会福祉大会アトラクションの部に、ご当地『すすき野アマチュア滅茶苦茶劇団』が参加しました。出し物は定番となった“すすき野家の一日”です。 “すすき野家の一日”は恒例の福祉討論会の出し物として毎年シナリオを更新し、すでにPart1.2.3.となっていますが、今回は初めての場所で初めてご覧になる方々ばかりですので、一番最初のシナリオを多少変更して使いました。 「皆さん、経験者なの?」と劇をご覧になった方からよく聞かれます(多分に社交辞令だとは思いますが)。出演者は全員が演劇の初心者です。監督はいませんし、立ち稽古など殆ど出来ません。全員が集まることが困難なだけでなく、シナリオ・ライターの怠慢からシナリオがいつも直前まで出来ないのです。だからせいぜい読み合わせをして、相互に批評する程度、あとはぶっつけ本番となります。 もしもお褒めの言葉が本物だとしたら、それはお節介好きで好奇心旺盛で、何でも見てやろう、何でもやってやろう、“恥をかくのは大好き”というボランティア精神むき出しの人たちが毎回参加しているからなのです。さらになにより、シナリオ通りに劇を進めていくのが困難なほど、アドリブが飛び交います。いかに楽しんで演技をしているかの証拠ですが、それが見ている方々にも敏感に伝わるのでしょう。 すすき野家の一日は、どこにでもありそうなごく平凡な家庭の日常をとらえています。呆けの進行したおじいちゃん、その息子夫婦と孫、はては隣近所までを巻き込んで繰り広げられる日常の騒動の中に、人々の絆や家族愛という何かほのぼのとしたものが盛り込めたらいいな、そんな気持ちを劇に表しました。 |
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T.勝野氏より、制度成立の背景の説明。 新制度は行政の直接責任は無い、むしろ受益者とサービス提供者の契約方式である。その背景として、高齢化社会の急速な進展による現行医療保険制度の大幅な赤字がある。そこで、医療と介護を峻別することによって、 こうした間選に対応しようとするものである。尚、費用の10%は自己負担が原則である。また、平成11年且10月頃から要介護者の認定が実施され、それぞれ6つの等級に区分されることになる。その際の行政の基本的立場は、施設介護→く中間施設介護〉→在宅介護ということになると考えられる。そこで在宅介護体制の充実が当然必要になってくる。 1 西島氏より、介護現場からの問題点が指摘される。 介護保険における在宅サービス・メニュー自体は、現在実際に行われている在宅サービスがそのまま医療一介護へ移行することが考えられる。とすると、ホームヘルパーによるサービス等の在宅介護現場における人手不足が当然予想される。これがこの制度の一番の問題点ではないかと思われる。 このことは、介護ビジネスの暗躍、シルバービジネス産業の巨大化という形で現在すでに懸念されている。 看護〈病人対象〉と介護(健康人対象〉との区別がいまだにあいまいなままに、現行の医療保険から、老人医療、老人施設、訪問者護といった分野を新設の介護保険制度に移すというのが今回の目的と思われる。その意味では、医療保険制度の大幅な赤字対策とも考えられる。 以上のことからすると、今後、潜在的な介護需要が爆発的に顕在化するのではないかと思われる。予想される介護需要の内容の見本例のひとつと して、現在の“緑の郷”においては入所者の80%が痴呆症、20%がそれ以外というデータがある。これは数年前と比較するとまったく逆転したものである。 |
平成9年11月 青葉区主催による『在宅医療シンポジウム』にパネラーとして出席 提 言(在宅医療シンポジウム) SS 資料 すすき野サービスステーションは、すすき野地区社会福祉協議会を母体として設立されていますので、地域福祉全般がサービスの対となっています。会議・討論会の企画運営から家事・介護・運転・その他便利屋的な要素までが含まれます。本日は、在宅医療シンポジウムということで、あえて在宅医療に焦点を絞らせていただきますが、サービスステーション本来の主たる対象活動ではないということを、あらかじめお断りしておきます。 もちろん地域福祉には在宅医療も含まれます。また健康な方であってもいつ何時不測の事態に陥らないとも限りません。定期的に救命救急法の自主講座を開いていますし、介護ヘルパー要請講座にも何人か派遣しています。現在、登録ボランティア60名ほどの中で、ヘルパー・看護婦等の免許を持っている者は数名、それ以外は普通の主婦やサラリーマンの方々です。運転や家事なら造作なくこなすが、看護の部類は苦手という方がほとんどです。 ではこれまでに多少なりとも係わってきた在宅医療関連をお話しします。 まず地域で何らかの要請がありますと、最初にコーディネーターがそのご家庭に伺いますが、時として、要請者が現在何らかの傷害やあるいは過去に重度の病気をお待ちで、その要請をそのまま受理して良いかどうか判断に迷うようなことがあります。そのよう時は看護婦が同行して看護診断をしたうえで対処するようにしています。 次に、老人性痴呆の方や精神障書の方のお世話を時にお引き受けしますが、コミュニケーンョンの取れないほどの重度痴呆の場合や、感情の起伏の激しい場合等、精神科看護の訓練を積んだ者でなければ対処出来ないようなケースはやむを得ずお断りしています。 これらの点は、完全なる医療連携が実施された場合であっても、なお対象外として残るものだろうと判断しますし、また地域福祉を標傍する立場から、患者本人もさることながら、その世話をする家族への援助に主眼をおきたいとも考えていますので、私どもの活動は在宅医療の本筋からは少々外れています。 何年か前になりますが、実際に医療連携で在宅医療を実施したことがあります。自分では呼吸が出来ない難病の患者さんを、医療機関・保健所とチームを組んで1年半ほど亡くなるまでお世話をしました。ただこのときはテストケースであり医療機関の献身的な対応があったのですが、私どものメンバーにも看護婦数名と作業療法士がいましたので、ボランティアでありながら専門的な対応が可能でした。現在ならば即座にはお引き受けしかねる困難なケースです。 またメンバーの看護婦で、末期癌の母親を自宅で看取ったものがいます。末期癌は極度の激痛が伴いますから、痛み止めのモルヒネが欠かせませんが、その錠剤を飲ませることはとても難しいのです。その人は錠剤を一つ一つすりつぶし粉末にしたうえで、唯一飲み込むことのできる「イチゴ」にまぶして与えていました。呼吸困難のときあるいは「痰」が絡んだときなどは、家庭用の掃除機を改良して吸引器を作り処置をしていました。一般の人が初歩とはいえ、このような知識や技術を持つことはとても困難でしょう。 このような経験をもとに、在宅医療の主軸は、将来の予測や危険回避のできる「看護」でなければならないと私どもサービスステーションは考えています。 在宅医療は24時間継続です。医師や看護婦が訪問している以外のときは、地域と家族が看る訳ですが、地域のボランティアといえども24時間一つのご家庭にかかわるのは不可能です。となれば必然的に家族に負担が掛かりますが、もし家族に一人も看護経験者がいなかったならば、一体どうしたら良いのでしょうか? 重度のケース、特にターミナルケア(終末期医療)のような場合には想像を越えた深刻な家族問題が生じます。 一方、いかなる場合であれ「家に帰りたい」という患者さんの心の叫びは切実です。政策としての国の方針もまた理解するしかないでしょう。ですが、家族にバーンアウトさせないように(燃え尽きないように)、患者には精神的な安定を与えるようにという現行の在宅医療は、現実には非常に危なっかしい狭いバランスの上に成り立っています。まずそれを理解しなければなりません。 在宅医療は焦らずにゆっくりと、かつ着実に進めて行く必要があります。そしてだれもが日本語の読み書きが出来るように、将来において現在の准看護婦教育課程程度まではだれもが習得出来る基礎教育の土台が生まれたときに、初めて本来の在宅医療が始まると私どもは考えています。 |
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