福祉研修会 いたわりの心、思いやりの心を育てる 中学校教育のなかの福祉をめぐる学習 すすき野中学校校長 長南東三氏(談) 表情のいい子たち すすき野中学校の在籍者は1年生から3年生まで、総勢349名、大過なく学校生活を送っております。わたしは一昨年の4月にこちらに赴任してまいりました。こちらの中学校の印象は、まず、表情のいい子が多いなあ、ということでした。だんだんわかってきたのですが、保護者や地域の方々が子どもたちのためにいろいろなことを実践してくださっているんですね。夏休みには体育館の夜間開放がありました。休暇中の8回、夜7時から8時半まで、子どもたちの「居場所づくり」とでもいいましょうか、ほかにはない取り組みを地域の方々でなさってくださっています。PTAのほうは、たとえば球技大会などの学校行事があるたび、トン汁ややきそばづくりで参加し、親と子のふれあいの機会をつくってくださったりと、さまざまな形で地域をあげてバックアップしてくださっていることが子どもたちのいい表情を生んでいるのだと知りました。ここで心より御礼申し上げます。 今回は、すすき野中学校で取り組んでいる福祉教育活動についてご報告させていただき、あわせて地域福祉についてみなさんから学んでいこうと考えております。 わたしは、福祉教育とは心の教育だと受け止めております。福祉とは、心の問題、共生の問題なのだと。つまり、だれもが等しくよりよい生活ができることを目ざしているわけで、そういうみんなの幸せを願っておこなわれる活動の全般、みんなが仲よく暮らしていける社会、だれもが安心して暮らせる社会へ向けて展開されている活動、それが福祉ではないかと。で、子どもたちにいつもいうのは、相手のことをよく理解することの大事さです。相手をよく理解する……、頭で考えるとごく単純なことですが、これがなかなかできないために、毎日のように悲惨な事件が起こっているように考えられます。「ジコチュー」ということばあります。他人のことはかえりみない自己中心主義者のことですね。わたしの教員生活35年を振り返るとき、残念ながらそういう子がふえてきているのを実感しています。なぜそういうことになったのか。生活環境の変化にともない、子ども同士が互いにふれあう機会、群れ遊ぶ場が消滅しつつあることが原因に挙げられるかと思います。人と人が力を合わせて何かをする、そこに福祉につながる助け合いが発生するわけで、多くの人とふれあい、群れ遊ぶ体験をできるだけ多くもつ必要があるが、それがきわめて少なくなっているのは事実ですね。 それなら、今の子どもたちはもう絶望的か、回復能力はないのか、といえば、そんなことはなく、サジを投げてしまうわけにはいきません。わたしたちおとなができることを考え出さなければなりません。子ども同士、また世代を超えてふれあう機会、群れ遊ぶ場をつくるといった環境整備ですね。そうした環境のなかで、いたわり体験、おもいやり体験を重ね、福祉の心を取り戻していってほしいと願っています。 福祉の学習、五つの柱 すすき野中学校では、おもに以下の五つの柱にそって福祉の学習を進めています。まずは福祉施設の訪問、それから“愛のハガキ運動”、募金活動、福祉講演会、そして“ひとにやさしくしよう週間”です。 〔福祉施設訪問〕 1年生、2年生の総合学習のなかの福祉コースで取り組んでいます。横浜シルバープラザさんのご協力を得ながら、高齢者の方々とともに生徒がひとときを過ごします。簡単なゲームを楽しんだり、昔なつかしい歌をうたったりと、ごく短時間のふれあいでしかありませんが、純粋なものをもつ子どもたちのなかに残るものは大きく、福祉の心の耕しになっていることを感じています。すぐには役に立たないでも、10年後、20年後にはそれが生きた体験として蘇ってくると信じています。生徒たちの感想は、一様に「喜んでもらえてうれしかった」というものです。こんな喜び体験も子どもには大切なのでしょう。学校に帰ってきて、さらに福祉の学習をし、車椅子のこと、盲導犬のことなど、施設の方の協力をいただきながら勉強しています。 〔愛のハガキ運動〕 全生徒が1〜2枚、計500枚のハガキを高齢者にあてて書く活動で、ここずうっと継続的におこなっています。対象者リストは民生委員の方々から提供いただいています。ハガキを受けた方はたいへん喜んでくださり、今年の場合でも、孫からもらったようで心がホカホカした、といった声を聞いております。それに、すばらしいのは、直筆の、心のこもったご返事のハガキをいただくことがあるんですね。子どもたちも感謝されようとして書いているわけではないのですが、心が伝わることの喜びは大きく、逆にたいへんな勇気をもらっていますね。そうしたご返事のハガキはすべてコピーして、みんなにも見られるように廊下のコーナーに展示します。ハガキの費用は生徒会費の一部をあてています。たかが1枚のハガキですが、こういうものにも人のまごころは乗せられるものなのだという体験をしています。 〔募金活動〕 募金をする心も福祉の心のひとつと受け止めています。昨年は新潟中越地震に際して、生徒会がまっ先に被災者への募金活動をおこないました。志あるものが自主的におこなうものですが、3日間ほどの日程をもうけて取り組みました。そのほか、緑の羽根募金、赤い羽根募金、ユニセフ募金などもあり、ひとが困っているときに自分でできる範囲で支援することもひとつの福祉の表現なのではないかと、子どもたちが率先してやっていることを見守っています。自分の持っているものの一部を分け合うことにも喜びはあるものです。 〔福祉講演会〕 昨年は10月下旬に外部講師を招いて話をしてもらいました。吉原学さんという、元中学校の先生でしたが、視力が衰え、ついには全盲になってしまい、教師の仕事ができなくなって退職なさいましたが、そのあとも精力的に講演活動や執筆活動をなさっておられる方です。そのときのお話ですが、ヘレンケラーのことばを引いて「障害があるのは不便だけれど、不幸ではない」といいます。そして締めくくっては「失ったものを追い求めるのではなく、残ったものを探そう」と、子どもたちに呼びかけます。体育館のステージでお話しなさるのですが、わきには盲導犬が同席しています。その盲導犬についても話してくださいましたが、体の不自由な人を見たら、まず「何かお困りですか」「お手伝いしましょうか」と、こういうことばをさりげなく発信できるようになってもらいたいと訴えられました。インパクトがありますね、こういうお話は。今年度もこうした福祉をめぐる講演会を企画したいと考えています。 〔ひとにやさしくしよう週間〕 これは上記四つの活動とはぜんぜん性格のちがうものです。学校側がお膳立てした活動ではなく、まったく生徒からの発想であり、生徒による計画であり実施です。もともとは、自分たちのまわりからイジメをなくそうと、生徒会の本部役員を中心に1週間のキャンペーンをはっておこなっているもの。すすき野中学校からイジメを排斥し、だれもが楽しい学校生活を送れるようにとのねらいで、全生徒からアンケートをとり、それを集約して細かく分析し、それをもって各学級の討議にかける、一人ひとりが自分の問題としてとことん話し合う、そんな活動になっています。本来なら1週間ということではなく、永遠の課題のようなものなのでしょうが、ひとにやさしくという気持ちを特に意識し強化する機会としてキャンペーンにしていますね。 こうした福祉の勉強、ひとにやさしくする活動は、思っていただけでは意味がなく、具体的な行為にすることが大事ですよね。それは繰り返しのなか、継続のなかで育っていくものと考えます。日ごろからひとに対してやさしくなれる気持ちを耕していくとともに、その機会をどう捉えて実践していくか、それも生徒たち一人ひとりの課題として学んでいるところです。 家庭、学校、地域が一体になって 課題はたくさんあります。きょうの「町の教育懇話会」で出たことですが、さまざまな地域行事、学校行事にわたって、今後にあっては計画の段階から小学生、中学生、高校生にできるだけ参加させ、それぞれの世代の意見や考えを述べ合う場を用意することをみなさんとともに考えていきたいと思っています。あてがいぶちの行事では、なかなか子どもたちは本気になりません。喜びをもってそれに参加するという意識は持てません。ある部分でいいですから子どもたちに任せ、大きな視野で背後から見守るというスタイルができたとき、地域活動は大きく前進するのではないでしょうか。現実的にはなかなか困難な面もありますが、家庭、学校、地域が一体になって調整しつつ、子どもたちの意欲を育てるのは、わたしたちおとなの共通の課題だろうと考えます。 同じようなことですが、心やすく子どもたちが集まれる場、群れ遊べる場を提供していきたいということ。一人が孤立しているところでは、いたわりの心、思いやりの心は生まれません。人と出会い、相手がしっかり見えたとき、はじめてそれがわかってきます。子どもたちの居場所づくり、それがすなわち福祉の心を育てる場づくりであって、おとなが考えねばならない課題と考えています。 (2005年2月5日/文責・菅野) |