番猫ブチ

 それは十数年前の秋が深まった夕方のことであった。
一匹の白黒斑の猫が遠慮勝ちな小さな声で勝手口で呼ぶのに気づき、見て見ると、まだ幼さが残っている可愛い子ではないか。
 住宅街を目指した捨て猫らしい。生来、家内も私も猫好きで前にはオスメスで飼って居た事がありその猫と死別してから時間が経って居たが、再び別れの時を考えると、もう飼うのはよそうとの家内の意見はもつともと思ったが可愛い目で見つめられると、どうしても抱いて見たい衝動に駆れて取り上げて見ると、灰色がかった白斑で後ろ左足第一関節下から切断(交通事故?)傷口が完全に塞がって居ないのに気がついた。
 可愛い声の泣き声は体力が弱って居たせいかと思い、近所の犬猫病院に抱いて行き傷口の治療を依頼した所、カルテ作成に名前を聞かれ、斑をそのまま“ブチ”と命名した。



 ブチは生後二年位のメスで比較的小柄で、目の綺麗で性格がよく躾に良く従い、直ぐに我が家のアイドルになった。
 暫くしてから、家内がブチの妊娠に気づいた。勿論、我が家に来てからの事では無く、捨て猫の時期以前に妊娠したらしいが、今更手術する事は可愛いそうなので、臨月まで待ち病院で出産させ、同時に避妊手術をさせ我が家の正式メンバーに収まった。
 ブチは寂しがり家で、どちらかが家に居ると膝の横に添う様な習慣(捨てられた寂しさか)の日常である。私達が外出するため家を出ると、路地角まで足元について来る。お家に[お帰り]と声かけるとスゴスゴと戻って行く。人間の会話を良く理解する頭の良い子の様であった。
 
 私達の居ない時間帯は、玄関前の階段にじっと座って、私達の帰りを待つのが習慣の様子を近所の方が見て「お宅の猫は番猫なのね」と言う事から、近所のアイドルの地位も得た様だ。(写真参照)
 性格は良いが、人見知りが激しく私達二人以外には抱かれる様な甘えが無く、従って近所に散歩に行く様な事は無く、猫会議(余所の猫との会議)もっぱら我が家の狭い庭が定席であった。
 癒し系のブチも年齢には勝てず、一昨年春推定十四歳の命を病院で二週間の入院治療の末、この世を去った。最後の時は、人口呼吸処置や心臓ショック治療など出来る処置をして上げたのが、せめてもの慰めであった。
 遺体は川崎市麻生区にある、犬猫霊院の延命寺で火葬の上、墓地に埋葬塔婆供養など一通りの葬儀を済ませたが、暫くは悲しみと思い出で、過ごした。
 周期夏季法要は、東京芝の大本山増上寺で昨年夏合同で行われ数百人の一人(一匹)として参加した。

 今は良い思い出を残してくれたブチに感謝して日を送って居る。 
(英祐)