日本の歴史認識南京事件 > 8.2.3 間接・根源的原因

8.2.3 間接・根源的原因

(再掲)図表8.2 識者が指摘する事件の原因

識者が指摘する原因

ここでは、直接原因の要因になった間接原因やさらにその背後にある根源的原因について述べる。

間接原因のタイトルのうしろにつけた略字は、その原因を提示している識者を表す(図表8.3)。また、ここで紹介しきれなかった識者も含めて出典元を図表8.6に示す。

(再掲)図表8.3 識者略称一覧

識者略称一覧

図表8.6 関連文献リスト(間接原因)

関連文献リスト(間接原因)

(1) 間接原因

(間1) 不明確な戦争目的  《 藤、吉 》

上海への派兵を決めた1937年8月15日、日本政府は「盧溝橋事件に関する政府声明」註823-1を発表し、戦争の目的らしきものとして「暴支膺懲と抗日運動の根絶」などを掲げた。

{ 「暴支膺懲」は国家的な合言葉となったが、対手が乱暴で言うことをきかないから懲らしめてやる、というだけでは、国民を奮起させるのに十分なスローガンとはいえなかった。国民にとって戦争目的が明確でなかったばかりでなく、軍隊の幹部でさえそれをはっきり理解できないのが実情であったといえよう。}(藤原:「南京の日本軍」,P117)

宣戦布告をせずに日中戦争を開始したのは米国の中立法の適用をうけて軍需資材の入手が困難になるためであったが、宣戦布告をするに十分な大義名分がなかったことも理由のひとつだと、吉田氏は述べる。

{ 11月7日付の海軍省の極秘文書に「大義名分に乏しく、国民をして疑心暗鬼を生ぜしむる虞」とあり、11月8日付の陸軍省極秘文書にも「内外人をして首肯せしむるに足るべき戦争目的の捕捉頗る困難」と指摘している(木戸幸一関係文書)(「天皇の軍隊と南京事件」,P30)

戦争目的が不明確であることは、兵士の志気に影響するだけでなく、どのような勝ち方をするかにも関係する。占領後の南京をどのように統治するか、中国民衆にどのように接するか、これらは何のために占領するかによって変わるはずである。松井大将が「支那人には親切にせよ」(「南京戦史資料集」,P219) と指示しても目的が不明確では説得力に欠ける。

(間2) 急激な進軍  《 松、参、秦、藤、吉 》

松井大将は、「支那事変日誌抜粋」で「急劇迅速なる追撃戦に当り、我軍の給養其他に於ける補給の不完全なりしこと」註822-1<ページ外>を指摘し、参謀総長も「軍紀・風紀に関する件」で“迅速なる作戦の推移”については軍中央にも責任の一端があることを認めている註822-6<ページ外>。 また、藤原彰氏が指摘するように、急激な進軍は兵士の心理だけでなく、戦闘計画を杜撰なものにする結果になった。

{ そもそも南京攻略戦そのものが、兵站や補給を無視し、敵国の首都の一番乗りを争った猪突猛進主義の作戦であった。糧食はすべて徴発によるというこの作戦が、掠奪暴行の原因になったのだが、作戦第一主義で兵站、補給を軽視するという軍や師団の戦闘指導そのものに問題があったのである。さらに大量の捕虜が発生したとき、捕虜の給養の面でゆきづまり、短絡的に捕虜の処分に走ったことも問題がある。}(藤原:「南京の日本軍」,P95)

(間3) 中支那方面軍の体制  《 秦、藤 》

11月7日、上海派遣軍と第10軍を統合する中支那方面軍が設置されたが、目的は上海防衛にあったから、軍本部の要員はほとんどいなかった。それがそのまま、南京攻略戦に突入したため、方面軍の統率力は弱かった。

{ 人員は参謀部の副官や当番兵、通訳など20人ばかりにすぎず、司令部機構につきものの兵器部、経理部、軍医部、法務部(軍法会議)などの各部はなく、直轄部隊もいなかった。
司令官の指揮権限も、 1.全般的作戦指導、2.兵站業務の統制、3.宣伝謀略ならびに一般諜報、 の範囲に制限されていた。手足を持たぬ指揮機構は肩身が狭く、指揮下部隊に押しが利きにくい。手持ちの予備兵力や補給物資を持たぬからである。まして指揮権の範囲を制限されているとあれば、なおさらだろう。}(秦:「南京事件」,P73-P74)

(2) 根源的な原因

事件の再発防止のためには、これまであげてきたような原因の因果関係を分析し、根本的な原因は何かを突き止める必要があるが、素人の筆者には手に余る作業なので、これが無ければ事件は起きなかった、という直接的かつ根源的な原因を考えてみたい。

事件の発端は命令無視の南京進撃

南京事件の起点になったのは、政府・軍中央の不拡大方針を無視して現地軍が南京への進撃を始めたことにある。南京に進撃しなければ、南京事件は起こらなかったし、日中戦争がドロ沼化して太平洋戦争に突き進むこともなかったかもしれない。(いずれ太平洋戦争に進んだ可能性は高いが …)
急な進撃は、物資の補給が後回しになって現地調達(徴発)に頼らざるを得なくなったり、捕虜収容体制や憲兵体制の確保がままならなくなったりして、南京事件の原因となった。また、南京攻略戦は中国における反日活動を根絶するためとはいえ、蒋介石政権を屈服させるという侵略的要素が極めて強い大義名分に乏しい作戦であるだけでなく、失敗すれば全面戦争に突入する可能性が高いことを知りながら、南京を落とせば蒋介石は屈服する、という希望的観測をもとに決断された。

進撃を決意した経緯

秦氏は進撃が決定された経緯を次のように述べている。

{ こうなれば、大本営がブレーキをかけても利くものではない。放置すればわれがちに南京城へ突入する気配を察した大本営では下村作戦部長が、「無理押しでもやるという決心」で、28日やっと多田駿参謀次長を口説き落とし、南京攻略に同意させた。
多田次長が最後まで南京攻略をためらったのには、それなりの理由があった。多田、河辺作戦課長、陸軍の柴山軍務課長らは、石原前作戦部長と同じく、不拡大派の人脈に属し、敵首都を占領する前に、和平交渉による政治的解決をはかるのが望ましい、と考えていた。その急先鋒は、大本営戦争指導班の堀場一雄少佐で、松井軍を南京城外に停止させ、近衛首相を南京に派遣して、進行中のトラウトマン和平工作をトップ交渉によって一挙に終戦へ導く「按兵不動の策」を説いていた。同僚の秩父宮中佐もこの構想を熱心に支持したが、「南京へ、南京へ」と沸き立つ部内の大勢をくつがえすことはできなかった。}(秦:「南京事件」,P76-P78)

不拡大派の考え方

不拡大派は対ソ戦略を第一として中国との戦争を極力回避すべきであり、中国との全面戦争になることを恐れていた。不拡大派の河辺虎四朗参謀と拡大派の武藤章参謀は、蒋介石は屈服するかどうかの議論をしている。(8.4節(2)) また、中国の最新情報に詳しい同盟通信上海支局長の松本重治氏は、「南京を占領したら全面戦争になる」と、松井大将に忠告している註823-2

進撃を決断した原因

蒋介石は11月20日に遷都を宣言して徹底抗戦の意思を表示している、トラウトマン和平工作が続いており12月2日に蒋介石は前向きな意思を示している(2.4節(9))、など蒋介石は和平交渉には応じるが屈服はしない、という方針を示しているにもかかわらず、秦氏が述べるように攻略を主張する拡大派の勢いに押されて進撃命令を出すことになったのは、当時の日本・日本軍が抱えていた体質的あるいは構造的な問題が影響したからであろう。それを筆者なりの言葉で言えば次のようになる。

世論の形成について

普通選挙が始まって間もない時代ではあったが、国民世論が政府や軍の方針に与えた影響はかなり大きかったと思われる。秦氏は次のように述べている。

{ エネルギーの循環がほとんどなく、一方的な政策伝達の対象とされた国民の大多数は、満州事変後における中国政策の推移にはほとんど無知であり、戦争の初期において指導層の内部に拡大派と不拡大派の対立があることも知らされなかった。かえって、国民に伝達されたのは、拡大主義や強硬論のみであり、それらは長年の間に蓄積された中国軽侮の民族心理によって増幅され、容易に暴支膺懲論の世論に転化した。}(秦郁彦:「日中戦争史」,P234)


8.2.3項の註釈

註823-1 盧溝橋事件に関する政府声明

{ 政府は8月15日に「盧溝橋事件に関する政府声明」を発表し、「帝国としては最早隠忍その限度に達し、支那軍の暴戻を膺懲し以て南京背不の反省を促す為今や断乎たる措置をとるのやむなきに至れり」としたが、戦争目的は「日満支三国間の融和提携の実を挙げんとする」ものであるとし、このとき早くも後に謳いあげる「東亜新秩序建設」理念の原型を示している。}(大杉一雄:「日中15年戦争史」,P287)

日満支融和提携の具体的ビジョンである「東亜新秩序」が示されるのは、この声明から1年以上あとの1938年11月である。

註823-2 松井石根/松本重治面談

1937年9月14日に松本重治氏は松井石根大将に呼ばれて面談している。

{ 閣下は、いや松井さんは、上海派遣軍司令官として、いつ、どういうふうに戈を収めるかという問題をお考えでしょうか。…  「君の質問に答える前に … 君から、どうしたらよいか、どうすべきであるか、これこれのことはやってはならぬ、というような点について、俺の参考のために、話してくれ給え。… 」… ではお叱りを覚悟して申し上げます。要点は2つあります。第一には、南京を占領してしまったら、日中戦争が全面戦争になります。中国側は長期戦を覚悟しています。日本側は、それをできるだけ避け、一撃で話合いをつけたいというのでしょう。… しかし、問屋はおろすまい。だから、南京まで行かないうちに停戦をでかすことが上策である。この策は、失礼ながら、松井さんでなければできないし、同時に松井さんならできると信じます。
第二は、いうまでもなく、第三国の権益をなるべく損なわないようにするのはもちろん、第三国の武力と摩擦を絶対に避けるべきである。重要なことは、だいたいこの2点に尽きると考えます。… 「 … 君の話については、第二点は、全然同感だ。これにも君の協力を期待する。第一点については、俺もひそかに考えていることがあるのだ。だが、戦争には相手があることだから、こちらだけの計画通りにはならんこともあるだろうし、また、軍をいったん動かすとなれば、勢いが加わって、止めることが容易でないということもあるだろう。しかし、松本君のいうとおり、上策としては、南京に行かずに戈を収めるにある。これについて俺は日夜心胆を砕いているところだ。…」(松本重治:「上海時代(下)」,P344-P345)