日本の歴史認識南京事件 > 7.5 論争の社会・政治問題化(2000年代)

7.5 論争の社会・政治問題化(2000年代)

実証的、論理的な歴史学としての論争は、犠牲者数の問題を除いて2000年代に終焉を迎え、1990年代以前より続いた関連する裁判は2000年代に結審して、南京事件が存在することが認定された。にもかかわらず、否定派の活動は政治家を巻き込んだ政治的・感情的な"紛争"ともいうべきものに性格を変え、南京事件関連映画の上映阻止、国会議員による調査報告書の発表など、益々活発になっていった。その背景には、中国系アメリカ人などが主導した日本の戦争責任追及の運動への対抗があるのかもしれない。

図表7.7 社会的・政治的な紛争へ

社会的・政治的紛争へ

(1) 最後(?)の歴史学的論争

否定派と肯定派間の最後の論争らしい論争は、以下の2件であろう。このあとも否定派は手を変え品を変えて否定論をぶちあげるが、いずれも些細な事実を誇大に宣伝するだけで事件の存在を根本的に否定できるようなネタではなく、事情を知っている人ならば簡単に論破できるようなものばかりである。

北村稔:「南京事件の探求」,2001年,文春新書

この本で北村氏は、南京事件を世界に知らしめた「戦争とは何か(What War Means)」の著者H.J.ティンパリーが国民党中央宣伝部の顧問であったことを明らかにした。中国が主張する犠牲者数30万人の源流がティンパリーの本にある可能性はあるが、同書において南京事件について記された内容を否定するには至っていない。(詳細は6.3.3項参照)

吉田vs東中野の捕虜論争

1998年に刊行された「南京虐殺の徹底検証」において、東中野修道氏は「捕虜殺害は国際法に照らして合法であった」と主張する。これに対して吉田裕氏は詳細な根拠を明示しながらきわめて論理的に「裁判をせずに処刑したのは不法である」と反論した。中間派及び一部の否定派系研究者も同様の主張をしている。東中野氏は吉田氏の反論に対して2008年の「再現 南京戦」で再び、「交戦者の資格を有しない中国兵には裁判を受ける権利はなかった」と、吉田氏が示した論拠を無視して主張するが、もはや説得力は失われていた。(詳細は6.5.2項参照)

(2) 関連裁判の結審

南京事件に関連した次のような裁判が行われたが、そのほとんどが2000年代に結審している。いずれも南京事件の存在を認める判決が出ている。

家永教科書裁判(1984年~1997年8月 最高裁判決)

主たる争点だった教科書検定制度は合憲(原告敗訴)としながらも、南京事件については事実上その存在を認める判決となった。(7.4節(9)参照)

東史郎裁判(1993年提訴~2000年1月 最高裁判決)

南京戦に従軍した東史郎氏が、その著書で「中国人を郵便袋に入れて殺害した」とされた元上官が、東氏を名誉棄損で訴えた裁判である。南京事件の存在は否定できぬが、郵便袋による殺害は物理的に不可能、と元上官の訴えを認めて東氏に損賠賠償を命じた。

李秀英裁判(1999年提訴~2005年最高裁判決)

南京事件で日本兵に銃剣で切りつけられ重傷を負ったと証言した中国人の李秀英さんが、松村俊夫著「南京虐殺への大疑問」(展転社,1998年) で「本人は被害者ではない」、と書いたのに対して、著者と出版社を名誉棄損で訴えた裁判。判決では被告の本には合理性がないとして、損害賠償を命じた。

百人斬り裁判(2003年~2006年12月最高裁判決)

南京軍事法廷で銃殺刑になった向井少尉、野田少尉の遺族が、信憑性の乏しい話をあたかも歴史的事実とする報道や出版が続き、名誉を傷つけられた、として朝日新聞・毎日新聞などを訴えた。判決では「当時の記事内容が明白に虚偽であるとは認められない」として、原告の請求を棄却した。(3.3節(6)参照)

夏淑琴裁判(2000年~2009年2月最高裁判決)

南京事件で居宅に侵入してきた日本兵たちに家族を殺されたと証言した当時8歳の夏淑琴さんが、東中野修道著「南京虐殺の徹底検証」(1998年,展転社) などで本人は被害者ではない、と書いたのに対して、著者と出版社を名誉棄損で訴えた。判決では、「東中野の解釈は学問研究の成果には値しない」として、被告に損害賠償を命じた。(4.5.2項(3)参照)

(3) "新大虐殺派"の出現

笠原氏ら"史実派"は南京事件60周年の1997年頃から、それまで洞富雄氏が主張していた20万人以上、という犠牲者数を、「南京近郊県を含めて10数万から20万以上」に変更した。中国側はこれを不満に思い、笠原氏らとは一定の距離をおく一方で新たな親中国グループに近づいていく。秦氏は次のように述べる。

{ 中国が従来からの"大虐殺派"と距離をおくようになったのは、この派の研究者たちがかつては20万以上という表現で暗に30万を包容していたのが、実質的に20万以下へ切り下げたこと、彼らがアイリス・チャンや東史郎、松岡環ら最左派に批判的立場をとったことへの不信と反発かと思われる。…
20年間に南京訪問20数回という松岡環(まつおか たまき = 大阪の小学校女性教師)は、「南京大虐殺60カ年全国連絡会」代表など市民団体を糾合して活動した功績を評価され、2004年8月には南京大屠殺紀念館から表彰された。松岡は、2002年に南京戦に参加した日本軍兵士102人のヒアリング証言を集めた「南京戦 閉ざされた記憶を訪ねて」、2003年に被害者120人の証言を収録した「南京戦 切りさかれた受難者の魂」を日中両国で同時刊行したが、身内とされる小野賢二からも「これほど間違いやおかしな表現の多い本もめずらしい。人間のやることだから間違いはあるが、この本は度を越えている」と酷評された。…
最初から政治性を帯びていた南京事件はもはや学術論争の次元を脱し、「歴史認識」をめぐる日中対立のなかでときに法廷闘争を伴う政治的紛争の領域へ移行しつつあるのかもしれない。}(秦:「南京事件」,P303-305<要約>)

(4) 70周年国際連続シンポジウム

2007年3月から2008年3月にかけて、アメリカ、カナダ、イタリア、フランス、ドイツ、マレーシア、韓国、中国、日本、フィリピンの10ケ国で国際シンポジウムが開催され、東京では「南京事件70周年東京国際シンポジウム宣言」において、日本政府に下記3点を要望することを採択した註75-1

① 南京事件をふくむ戦争被害者に対し、閣議決定及び国会決議をおこなって公式に謝罪し、これに反するいかなる言動に対しても毅然たる態度で反駁し、被害者の尊厳を守ること

② 謝罪が真摯なものであることを表すため、戦争被害者に個人補償を行うこと

③ アジア・太平洋戦争の真実を国民とりわけ次の世代の子どもたちに誠実に伝えること

(5) 南京事件関連の映画

南京事件に関連する映画は中国やアメリカ、日本でも製作されたが、事件の存在を認める海外の映画は否定派や一部政治家の活動なども影響して、日本国内で上映されることはほとんどなかった。以下、主な映画は次のとおりである。なお、秦氏はこれらの映画の多くは中国系アメリカ人が企画していると述べている。((7)参照)

※映画タイトル後ろのカッコ内は、公開年、制作国である。

「南京1937」 (1995年、中国)

南京大虐殺をテーマにした劇映画で、女優早乙女愛が主人公の中国人医師の日本人妻を好演。中国では「日本人に甘すぎる」との批判があった。日本で劇場公開を始めたところ、右翼の妨害活動により途中で上映を打ち切らざるをえなかった註75-2

「南京」 (2006年,アメリカ)

{ 2006年にアメリカで制作されたドキュメンタリー映画「南京」は同年12月米サンダンス映画祭でドキュメンタリー編集賞を受賞して話題になったが、日本では上映されなかった。}(「南京事件論争史」,P278<要約>)

「南京の真実」 (2008年,日本)

"南京大虐殺"は虚構であることを証明するために作られた映画で、第1部「七人の死刑囚」は松井石根を主人公に東京裁判で死刑になった7人の死刑直前の最後の1日を描き、2008年1月に試写会が行われたが一般公開はされていない。(Wikipedia:「南京の真実」)

「ジョン・ラーベ――南京のシンドラー」 (2009年,独・仏・中国合作)

安全区国際委員会委員長として活躍したジョン・ラーベを描いており、2009年2月のベルリン映画祭で上映され、バイエルン映画賞の主演男優賞などを受賞した。香川照之が朝香宮役、柄本明が松井石根役で出演、日本では2014年から自主上映されている。(映画「ジョンラーベ~南京のシンドラー」公式ウェッブ・サイト)

「南京!南京!」 (2009年,中国)

{ 若手の陸川(りくせん)監督は「戦争とは何かを客観的に描きたかった … 」と語る映画で、中国国内のネットやメディアから「親日的」「日本を美化するな」「芸術観は一流、歴史観は三流」などという猛批判が寄せられたが、配給側の予想の倍以上の観客動員があったという。日本では2011年に陸川監督を招いて自主上映会を実施した。}(「南京事件論争史」,P279-P281<要約>)

(6) 教科書議連の南京問題調査

{ 「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(教科書議連、約90名)は、2007年2月、… 「南京問題小委員会」(委員長 戸井田とおる) を発足させ、アメリカを中心に世界で南京事件や「日本軍慰安婦」の事実を明らかにしようとする動きに対抗する活動を開始した。同年6月19日に憲政記念館に国内外の記者を集めて「南京問題小委員会の調査検証の総括」を発表した。… そのとき配布された資料が以後「政府見解」註75-3とされるようになる … その要旨はつぎのようなものである。

国際連盟が採択しなかったのは、6.2.2項で検証したように日本への制裁動議であるし、人道に対する罪はドイツのホロコーストをターゲットにしたもので、平和の罪は戦争を企画した者に対する罪なので松井大将は該当しないなど、この報告書はトリックを駆使した間違いだらけの報告書である。

なお、この配布資料は2008年に「南京の実相」として出版されている。

(7) 中国における南京事件研究

笠原氏は中国でも実証的な研究が進みつつある、という。

{ 1998年には南京師範大学に南京大虐殺研究センターが設立され、2006年には … 南京大学 … に侵華日軍南京大虐殺研究所が設置された。
こうした大学を中心にした南京事件研究機関の設置と若手研究者の育成が進み、南京、江蘇省を中心にして、南京事件を学術的に研究する条件が整いつつある。その成果の一つが、・・・ 張憲文南京大学教授を主編者として編集・翻訳出版した全28巻からなる「南京大屠殺史料集」である。中国国内だけでなく、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本、台湾へも研究者が出張して史料調査と収集をおこなって集大成した史料集である。… その後増刊されて全72巻となった …
2005年12月に史料集刊行を記念する学術討論会が南京で開催され、筆者も参加した。報告内容は学術的であり、日本の歴史学会のような雰囲気があった。報告内容も多岐にわたったが、「30万人虐殺」など誰も言及することもなく、報告の関心はなぜ日本軍が南京事件を引き起こしたか、必然的要因と偶然的要因を総合して分析することに集まった。}(「南京事件論争史」,P267-P269)

秦氏も中国での研究は学術的になりつつある、と述べている。

{ 2007年1月に東京財団の招きで中国から来日した二人の南京事件研究者(程兆奇、張連紅)が公開講演で、犠牲者数30万は「政治的数字」で「正確な人数は確定できない」と述べたことが新聞報道された。… 著者も会談する機会があり、両人が実証主義を強調していたのが印象的だった。…
また南京映画の多くが中国系アメリカ人によって企画されていること、2007年春の慰安婦問題をめぐる米下院の対日非難決議事件の背後にやはり中国系アメリカ人の反日組織が動いていたことなどから、南京事件をふくむ中国の反日政策は国外での運動に舞台を移し、国内では抑え込む構えにしたのではないかとの憶測もあるらしい。いずれにせよ、南京事件が歴史研究の領域に編入される日は遠くないと思われる。}(秦:「南京事件」,P324)


7.5節の註釈

註75-1 南京事件70周年国際連続シンポジウム

「南京事件論争史」,P283-P284 を要約

註75-2 映画「南京 1937」

{ 1995年中国で製作された南京大虐殺をテーマにした劇映画、… 女優早乙女愛が主人公の中国人医師の日本人妻を好演した。日本人を糾弾するのではなく、中国人と日本人の人間としての「和解」へのメッセージをこめた映画で、中国では「日本人に甘すぎる」、告発性が弱いと批判があった。…
日本で1998年から劇場公開を始めたところ、6月に右翼が上映中のスクリーンを切り裂く事件が発生、街宣車が執拗に妨害活動をしたために、中途で上映を打ち切らざるをえなくなったという。… 早乙女愛には右翼から脅迫があり、ボディガードを雇わざるをえなくなったという。さらに彼女はその後日本の映画界からは冷遇されたという話も聞く。
以後、一般映画館での上映は困難になり、全国で市民団体が中心になって、公共施設を会場にした上映会を実施したが、各地で右翼勢力が妨害活動をくり広げた。}(「南京事件論争史」,P237)

註75-3 教科書議連調査報告による「政府見解」

笠原氏は2015年度の教科書検定で、東京裁判における南京事件の判決文は適切でない、犠牲者数には諸説ある、といった検定意見がついたのは、教科書議連の報告書を「政府見解」として採用した結果である、と主張している。(「南京事件論争史」,P305-P308<要約>)

なお、政府が公式に発表している"見解"では、[非戦闘員の殺害や掠奪行為があった」(詳しくは、こちら )と事件の存在を認めている。