日本の歴史認識南京事件 > 6.7.2 大量強姦のウワサを流したのは?

6.7.2 大量強姦のウワサを流したのは?

(再掲)図表6.24 強姦・掠奪などは中国兵のしわざ!?

強姦・掠奪などは中国兵のしわざ!?

東中野氏は、「再現 南京事件」の第11章<入城式前日から3日間頻発した「強姦事件」>(P274-P304)において、12月16日~18日にかけて大量に報告された強姦事件は、中国軍将兵によるデマだった、として多数の根拠を示す。氏の論旨は散漫でわかりにくいが、要約すると次のようなものである。①16日夜に1000人が強姦された、とフィッチらは日記に書くが、②ミニー・ヴォートリンの日記や国際委員会の公式資料などにそれに呼応する記述はない。③日本軍は統制が厳しく、大量の強姦をすることはありえない。④中国軍にはそのような情報を流す動機がある。

以下の(1)~(4)は上記①~④に対応している。

(1) 16日夜の1000人強姦

東中野氏は、フィッチとラーベの日記に記された「1000人の強姦」を議論の起点としてとりあげる。以下は、原文から引用しているが、東中野氏も同じものを引用している。(引用範囲はもう少し広い)

<フィッチの日記> { 12月17日 略奪・殺人・強姦はおとろえる様子もなく続きます。ざっと計算してみても、昨夜から今日の昼にかけて1000人の婦人が強姦されました。ある気の毒な婦人は37回も強姦されたのです。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P34<戦争とは何か>)

<ラーベの日記> { 12月17日 … アメリカ人の誰かがこんなふうに言った。「安全区は日本兵用の売春宿になった」 当たらずといえども遠からずだ。昨晩は千人も暴行されたという。金陵女子文理学院だけでも百人以上の少女が被害にあった。いまや耳にするのは強姦につぐ強姦。… }(「南京の真実」,P138-P139)

(2) ミニー・ヴォートリンの日記

東中野氏はミニー・ヴォートリンの12月16,17日の日記の一部を引用して、{ ヴォートリン女史の16日,17日の記述には金陵女子大【=金陵女子文理学院】から女性が連行されたという記述もなければ、金陵女子大における強姦の記述もなかった。従ってラーベ委員長の「金陵女子大だけでも百人以上の少女が被害にあった」という記述は間違いであったことになる。}(「再現南京戦」,P282) と断言する。
氏は、ヴォートリンの日記のいくつかの例をあげているが、次の記述だけでも多数の被害者がいたことは明確なのに、"誰かから聞いた話"として片づけてしまった。

{ 12月17日 … 疲れ果て怯えた目をした女性が続々と校門から入ってきた。彼女たちの話では、昨夜は恐ろしい一夜だったようで、日本兵が何度となく家に押し入ってきたそうだ … }(「ミニー・ヴォートリンの日記」,P61)

東中野氏は「百人以上」と書かれていない、などささいな問題を指摘してデマだと断定するが、それが独断にすぎないことは、16~19日のヴォートリンの日記をしっかり読めばわかるはず。註釈註672-1に被害者となった女性たちの様子、キャンパスに侵入してきた兵士の事例、日本大使館の対応などを記載した部分を引用したのでご覧いただきたい。

(3) 国際委員会の公式資料

東中野氏は次のように主張する。

{ フィッチ師が記した1000という数字は、国際委員会のメンバーに(16日の夜から17日の昼にかけて)訴えられた事例を、フィッチ師がざっと集計したうえで引き出した数字であった。しかし、16,17日に報告された強姦事件の事例はあわせて14件、被害者数は両日ともに10数人しかいない。フィッチ師のいう「1000人強姦」の記述はあきらかに間違っている。}(「再現 南京事件」,P295-P297<要約>)

氏は国際委員会の日本大使館への抗議でも1000人強姦にはふれていない、と述べる。

{ 12月17日に日本大使館に抗議した第9号文書で、「強姦」という言葉を使っているのは1ケ所だけだった。強姦が蔓延しているのであれば、この第9号文書に「ざっと計算してみても昨夜から今日の昼にかけて1000人の婦人が強姦された」と書かれていて当然なのに、書かれていない。}(同上,P298<要約>)

確かに9号文書では強姦に関する記述は少ないが、翌18日の第10号文書(主題は便衣兵捜索に関する要望)では、女性のパニックについてかなりのスペースを使っている。

{ … 昨晩、我が委員会のベイツ博士は家にいれば襲われるのを理由に昨日逃げ込んできた千人の女性達を保護するために、南京大学寮に泊まり込みに行きました。…
午後8時にフィッチ氏とスマイス博士がミルズ牧師を金陵女子【文理】学院の校門近くの部屋で泊まらせるために同大学に連れて行きましたとき(このことは14日以来我々のうちの誰かが、一人或は数人で3千人の婦人や子供達を保護するためにずっと行ってきたことであり、昨日はパニックのために4千人にまで増えていました)、【このあとヴォートリンの17日の日記にある日本兵による"捜索"が記述され、捜索方法などについてクレームが述べられている】。 
女性達の間でパニックが起こって、彼女らは今や保護を求めて千人単位で我々アメリカの施設に集まってきて、男性達はいよいよ孤立しつつあります。(例えば古くからの小桃園語学校では16日までは600人の人々がいましたが、12月15日の夜に余りに多くの女性がそこで強姦されたので、200人の男性を残して400人の女性と子供が金陵女子学院に移りました)。これらの公共施設の諸建物は元々3万5千人を収容する能力がありましたが、女性達の間にパニックが起こったので収容人数は5万人まで増えました。… }(「安全地帯の記録」,P162-P163<要約>)

また、ベイツは日本大使館への手紙で日本兵による多数の強姦について善処を要求している註672-2

このように、南京大学(=金陵大学)や小桃園語学校などでも強姦事件が多発したこと、金陵女子文理学院には17日におよそ1000人が新たに避難してきたこと、その他の難民収容所や一般家屋でも多数の強姦が発生していること、などを考慮し、多数の女性が強姦にあったという意味も含めて「1000人が強姦された」とフィッチは言ったのであろう。

(4) 日本兵犯人説を否定

東中野氏は以下を根拠に日本兵が大量の強姦を犯すことは考えられないと述べる。

①夜の外出は危険で外出禁止令も出ていた。(「再現 南京戦」,P285-)

②朝夕"点呼"があった。(同上,P287-)

③安全地帯への関係者以外立ち入りは厳禁されていた。(同上,P288-)

④陥落後、日本軍は転進の準備で多忙を極めていた。(同上,P289-)

⑤処罰はことのほか厳しかった。(同上,P292-)

⑥上海派遣軍の塚本浩次法務官は扱った事件は10件前後、と証言している。(同上,P301-)

これらは間違いではなかろう。多くの日本兵は善良な人間だったと思うが、残念ながらそうでない日本兵が少なからずいたことは次のような証言や記録から裏づけられる。

ⅰ) 夜になると抜け出す兵がいる、という日本軍兵士の証言がある。(註463-2<ページ外>)

ⅱ) 安全区の掃蕩を行った歩7連隊は、安全区の中に分宿している。(註672-3)

ⅲ) 第10軍の憲兵隊長だった上砂勝七氏は、「皇軍が聞いてあきれる状態だった」と述べている。(註672-4)

ⅳ) 第10軍の憲兵日誌によれば「現行犯で取り押さえる程度」だけで62件、118人が軍法会議にまわされた、とある。上海派遣軍の資料は発見されていない。( 6.6.1項(9) )

ⅴ) 転進を前にしてヒマだった兵士達もいた。(註672-5)

ⅵ) 「南京へいけば、女はいくらでもいる」とハッパをかけられていた。( 6.4.3項(4) )

ⅶ) 復員後、「戦闘中に覚えたのは強姦と強盗位のものだ」と発言する兵士もいた。 ( 小論報 「資料 帰還軍人の言辞」 )

(5) 中国軍の動機

東中野氏は中国軍将校が強姦のデマを流したのは、「日本軍の南京占領を引き延ばすことと、査察(掃蕩)を中止させること」だという。

{ … 12月16日、金沢7連隊は外国権益の建物にも査察の手を伸ばした。欧米人にとっては自分たちの権益に日本軍が入ってきた不快さや、中国将校を匿っていることへの恐怖が頂点に達したが、抗議のしようがなかった。一方、中国軍将校にとっては、日本軍の南京占領をできるだけ困難にし、引き延ばそうと狙っていたが、摘発の手が伸びてくる恐怖にかられていた。欧米人と中国軍将校の思いはこのとき、日本軍嫌悪という1点で一致した。…
国際委員会は強姦などの不祥事の多発を理由に「20万市民の苦難と困惑」を指摘し、日本軍の査察の中止を要求した。… 中国軍将兵にとっても、欧米人が金沢7連隊を追い払ってくれるがゆえに好都合であった。
中国兵も欧米人も12月17日が入城式であることを知らなかった。… 掃蕩が16日で終ったことも知らなかった。知らなかったゆえに、まだ掃蕩は続くと思って、強姦の話を流し続けたのである。しかし、実際はただの噂に過ぎなかった。} (「再現 南京戦」,P302-P304<要約>)

強姦の風聞で市民が混乱したくらいで日本軍が掃蕩を中止するとは考えられないし、日本軍の占領が長引けば潜伏している中国兵が摘発されるリスクは高くなる。いずれにしても、中国軍将校の動機に合理性はまったく認められない。

(6) まとめ

一晩で1000件かどうかはさておき、16~18日に日本軍兵士による大量の強姦があったことは、日本軍側の状況証拠をみても明らかである。もし、ほとんどがデマによるものであったとしたら、日本大使館は国際委員会に抗議したはずだし、慰安所を作る必要もないし、憲兵体制を強化することもなかったであろうし、"参謀総長戒告"もなかったであろう。

東中野氏は、「12月16日から18日に頻発した強姦は中国軍将校によるデマが主因だ」とするが、19日以降の強姦については何も述べていない。1月上旬から2月上旬にかけて頻発した強姦は、安全区内ではなく近郊で多発しているが、この頃には日本軍の掃蕩も終了して中国軍将校の動機も薄れただけなく、地理範囲が広がることによりデマを流すのも簡単ではなくなったであろう。こうした時期を考慮せずに、上海派遣軍塚本法務官の言葉だけを丸呑みして{【南京事件全体の】強姦事件は10件前後 }(「再現 南京戦」,P301) と断言してしまうのは「中国軍将校デマ説」の限界を示すものといえよう。


6.7.2項の註釈

註672-1 ヴォートリンの日記(12月16日~19日抜粋  「ミニー・ヴォートリンの日記」,P57-P69

12月16日 … 昨夜、語学学校から少女30人が連れ出された。そしてきょうは、昨夜自宅から連れ去られた少女たちの悲痛きわまりない話を何件も聞いた。そのなかの一人はわずか12歳の少女だった。…
今夜トラックが1台通過した。それには8人ないし10人の少女が乗っていて、通過するさい彼女たちは「助けて」「助けて」と叫んでいた。

12月17日 … 疲れ果て怯えた目をした女性が続々と校門から入ってきた。彼女たちの話では、昨夜は恐ろしい一夜だったようで、日本兵が何度となく家に押し入ってきたそうだ。(下は12歳の少女から上は60歳の女性までもが強姦された。夫たちは寝室から追い出され、銃剣で刺されそうになった妊婦もいる。日本の良識ある人びとに、ここ何日も続いた恐怖の事実を知ってもらえたらよいのだが。)それぞれの個人の悲しい話――とりわけ、顔を黒く塗り、髪を切り落とした少女たちの話――を書き留める時間のある人がいてくれたらよいのだが。 …
ここ数日は食事中に、「ヴォートリン先生、日本兵が3人いま理科棟にいます――」などと使用人が言ってこない日はない。 …
夕食をとり終ったあとで中央棟の少年がやってきて、キャンパスに兵士が大勢いて、寄宿舎の方へ向かっていることを知らせてくれた。 … あとになってわたしたちは、それが彼らの策略であったことに気づいた。責任ある立場の人間を正門のところに拘束したうえで、審問を装って兵士3,4人が中国兵狩りをしている間に、ほかの兵士が建物に侵入して女性を物色していたのだ。日本兵が12人の女性を選んで、通用門から連れ出したことをあとで知った。

12月18日 … 恐怖をあらわにした顔つきの女性、少女、こどもたちが早朝から続々とやってくる。…
「アメリカの学校です。セイヨーガクインです」と叫びながらキャンパス内をあちこち走り回って毎日が明け暮れていく感じだ。たいていの場合、立ち退くように説得すればそれですむのだが、中にはふてぶてしい兵士がいて、ものすごい目つきでときとして銃剣を突きつけてわたしを睨みつける。…
日本大使館へ出向くことにした。… わたしたちの困難な体験のこと、また金曜日【12月17日】の夜の事件のことも報告し、そのあと、兵士たちを追い払うために持ち帰る書面と、校門に貼る公告文を書いてほしいと要請した。両方とも受け取ることができて、ことばでは言い表せないほど感謝しながら戻ってきた。

12月19日 … けさも怯えた目付きをした女性や少女が校門から続々と入ってきた。昨夜も恐怖の一夜だったのだ。 …
日本兵を追い出してもまた別の一団がいるといった具合で、キャンパスの端から端まで行ったり来たりして午前中が過ぎてしまった。 … 教職員宿舎2階の538号室に行ってみると、その入り口に一人の兵士がたち、そして、室内ではもう一人の兵士が不運な少女をすでに強姦している最中だった。日本大使館に書いてもらった一筆を見せたことと、わたしが駆けつけたことで、二人は慌てて逃げ出した。…
このあと、呼び出されて北西の寄宿舎に行ってみると、そこの一室で日本兵二人がクッキーを食べていた。彼らも慌てて出ていった。

註672-2 ベイツから日本大使館への手紙 「南京事件資料集Ⅰ」,P137-P140

12月17日 日本大使館諸賢 恐怖と暴力の支配は、貴館からはっきりと見えるところで、貴館の近隣で、今なお引き続いています。
(1) 昨晩、兵士は多数の避難民でいっぱいの本学図書館に繰り返し侵入し、銃剣を突きつけて金銭、時計そして婦女子を要求した。…
(2) 昨晩、市内のこの地区の他の多くの場所と同様に、兵士は図書館で婦女数名を強姦した。

12月18日 日本大使館諸賢 兵士による強姦、暴行と強奪のため悲惨さと恐怖が至るところで続いています。すでに7000人以上の貧民(その多くは婦女子)が本学の建物に避難しており、よその条件はここよりも劣悪なので、なお続々と押しかけています。だが、私はここの比較的良好な場所での過去24時間の記録を貴下に提供しなければなりません。
(1) 乾河沿いの大学付属中学。怯えた子供が一人、銃剣で殺され、もう一人は重傷を負い、危篤である。婦女8人が強姦された。悲惨な難民に食料や介護を与えていた私たちの教職員数人が、なんの理由もなく兵士に殴打された。兵士は日夜何度も塀を乗り越えて来た。多くの人々がもう3日間も眠れず、恐怖心はヒステリックなほどだ。…
(2) 金銀街 … 婦人二人が強姦された
(3) 胡家菜園11号 … 婦人二人が強姦された
(4) 本学教員の住む漢口路2号の教職員宿舎。婦人二人が強姦された
(5) … 漢口路23号の教職員宿舎。婦人一人が強姦された
(6) 小桃園 ここは何度もひどい目に遭ったため、婦人全員が逃げ出した …
昨晩、数名の貴館員は、これらの建物のいくつかの門に憲兵を置くと言明しました。… しかし、一人の衛兵も見当たりません。いずれにせよ、兵士はどこでも塀を乗り越えているのですから、全般的秩序が回復しないかぎり、少数の衛兵では役に立たないでしょう。

註672-3 安全区内に分宿 歩7連隊水谷荘一等兵の日記 「南京戦史資料集」,P502

{ 12月15日 … 今日も夕方になって漸く宿舎が決定、難民区の中に、各中隊分散して宿舎に入った。}

註672-4 第10軍憲兵隊長の回想 上砂勝七:「憲兵31年」,P177

{ 戦域が拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍があきれる状態であったので、憲兵は一地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、敵に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の3項を大きく書いて掲示した。}

註672-5 南京見物に出かけた兵士 山田支隊 堀越文男 陣中日記 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」,P79

{ 12月16日 … 一日なすこともなし、×××伍長以下ニケ有線班南京見物に行く。}