日本の歴史認識南京事件 > 6.6.2 スマイス報告の信頼性

6.6.2 スマイス報告の信頼性

この項では、否定派のスマイス報告に対する批判などについて述べる。スマイス報告の内容については、4.7.4項を参照されたい。

(再掲)図表6.21 市民への暴行はわずか!?

市民への暴行はわずか!?

(1) 否定派(田中正明氏)の主張

田中氏は、第8の論拠(スミス博士の「戦争被害調査」)で次のように述べる。

スマイス報告は第一級史料

{ 南京事件でもっとも信憑性のある第一級史料は、ルイス・S・C・スミス博士の「南京地区における戦争被害調査」であると私は信じている。… その調査の実施方法を見ても実に細心、精密であり、合理的でかつ公平である。…
このスミス博士のもっとも信憑性ある学術的調査報告に対して、虐殺派はこれを取上げようとせず、洞富雄氏のごときは「悪用されては困る」とさえいっている。…
東京裁判で弁護側はスミス博士の証人喚問を要求するが、裁判所はその要求をしりぞけて宣誓口供書を証拠として受理した。… スミス博士がその気になれば、あの調査は日本軍占領下にあったことを理由に、いくらでも水増し修正できたはずである。… しかし博士はそうしなかった。}(「南京事件の総括」,P73-P77 要約)

※ "スミス"はスマイスのこと。

都市部の被害状況

上記のように田中氏は[スマイス報告」に絶大な信頼を置き、都市部の調査結果についても死者2400人、拉致者4200人を認めている。

{ スミスの調査報告を使うと南京市内の日本兵の暴行による死者は2,400人であり、拉致されたもの、つまり行方不明者は4,200人、合計しても6,600人である。}(同上,P76)

{ 拉致された4,200人は、日本軍に荷役あるいはその他の労役に徴発されたものもあるが、6月にいたるも消息はほとんどない。「日本軍によって殺された者の数をかなり増加させるにちがいない」と博士は言っている。}(同上,P75-P76)

農村部調査で"大屠殺"の報告なし

{ 中国の若い青年が二人1組となって、… 南京近郊の6県を手分けしてくまなく調査しており、農民たちから戦争被害の状況を尋ねまわっている。もし伝えられるごとき非戦闘員の"大屠殺"があったとするならば、その種の重大なる聞き込みは、スミス博士やベイツ教授その他の委員に報告されるはずである。報告があれば「南京地区における戦争被害」のあの詳細なる著書の中に記載されないはずはない。そうした記載がないということは、そのような事実は無かったということである。つまり、 … 日本軍による大量の集団虐殺などなかった、ということを意味しよう。}(同上,P77-P78)

(2) 北村稔氏の主張

国民党を意識して作成

{ 「スマイス報告」は、国民党国際宣伝処顧問であったティンパリーからの依頼を受けて作成されたものである。… 「スマイス報告」は現地調査の豊富な経験を持つ社会学者が作成したものである。しかしまた、日本軍の行為を批判してほしいという国民党の意を体して作成されたものでもあった。… スマイスには被害状況を過大に評価する動機は存在するが、過小に評価する動機は存在しなかったといわねばならない。}(「南京事件の総括」,P164-P167)

被害者には多数の便衣兵が含まれていた!(都市部調査)

{ 南京市内の人的被害の調査結果に対しては、統計学的見地からの詳細な分析がある。大阪学院大学経済学部の丹羽春喜教授が雑誌「自由」の平成13年4月号に発表した。丹羽教授は、被害者となった成年男子中の44.3%という異常に高い"独身・単身者"の比率に注目する。この現象は、多くの若者が便衣兵の疑いにより連行された結果である、と考えれば説明がつく。しかし、丹羽教授は … 1938年春の南京市男子総人口中の「独身・単身者」の比率を5.2%と推算する。その結果、… これらの被害者の中に本来の南京市民ではない多数の便衣兵が含まれていたからだという判断がくだされる。}(「南京事件の総括」,P169)

農村部の調査方法はトリック!

{ 都市部では50家族に1家族を抽出して調査が行われ、その結果を50倍して全体状況を割り出した。ところが郊外の調査では … 3つに一つの村を選びその村の10家族に1家族を選んで調査したのであるから、調査結果を30倍すれば調査した限られた地域の数字は集計される。ところが、… 【スマイスは】各県の限定地域の1家族あたり平均被害状況に、県内の全家族数を掛けている。… このような集計方法では被害に全く遭わなかった家族の数も掛けるべき家族数に参入されてしまい、被害状況は大幅に増大する。被害の数字を拡大する上手なトリックであると言わねばなるまい。}(「南京事件の総括」,P172-P173)

(3) 史実派の反論

笠原十九司氏は「南京難民区の百日」で次のように述べる。 … 同書,P383-P385を要約

農村部調査(Agricultural Survey)については、調査時点で離村したまま帰っていない者が13万余うち帰宅が予想できないものが42,800人もおり、日本軍の暴行事件による死者26,870人という数字はもっと増えるはずである。また調査は帰村している農家のみを対象にしており、家族全員が殺害された農家は対象になっていない。スマイス調査のデータはサンプリング調査による数字であること、南京市の6県全部の調査ではなく、農村より人口の多い各県城の被害を含めていないという限界をもつが、南京近郊農村の民間人がいかに多数殺害されたかが推測できる貴重な資料である。

都市部調査(City Survey)は、南京居住市民の救済を目的にした調査であるため、一家全員が犠牲になった家族、離散した家族、郊外から難民区に流入してきて犠牲になった人々などは、調査対象外になっている。調査は無事で家に戻って居住できた家族や安全区内に家族で居住していた市民だけを対象にし、深刻な被害を受けて自宅に戻れていない家族や家族が破壊された市民を除外しているため、殺害された市民の総数を知る調査資料としては、大きな限界がある。

(4) 田中氏の矛盾

都市部の被害状況

田中氏が「もっとも信憑性のある」とするスマイス報告の都市部調査結果と、第5の論拠で主張している次の2点とは矛盾する。

①{ 婦人・子供の殺害事件等は全然起きていない。}(「南京事件の総括」,P45) というが、スマイスの調査結果(図表6.22)によれば、兵士暴行による女性の死者は650人、14才以下の子供の死者は150人にもなる。

②{ 徴用、拉致等の厄に遭った若干の犠牲はあったものと思われる … }(「同上,P45) というが、スマイスの調査結果で拉致者は4200人、となっており、とても"若干"といえるような人数ではない。

図表6.22 性別年齢別の死傷・拉致被害者数(単位:人)

死傷者・拉致者の性別/年齢構成

(注1) 出典は、「大残虐事件資料集Ⅱ」,P254〔スマイス報告第5表〕原表はパーセンテージだけ記入されているが、上表では標本数×50の実数も追記した。

(注2) 死傷要因の「その他」は、軍事行動(戦闘)に巻き込まれたものと不明のもの

(注3) 図表4.22(スマイス報告 第4表)では、兵士暴行による死者2,400、軍事行動と不明の死者計1,000となっており、上表と50ずれているが、原因は不明。

農村部調査で"大屠殺"の報告なし

田中氏は、「日本軍による大量の集団殺戮などなかった」というが、スマイス報告の農村部調査( 図表4.24 )では、暴行による死者が26,870人もいるのである。数百・数千の単位での"集団殺戮"はなかったかもしれないが、"大量の殺戮"があったことは否定できない。

(5) 被害者には多数の便衣兵が含まれていた!?

丹羽教授の論考の要旨

(2)で北村氏が紹介した丹羽春喜教授の論考の要旨は、概略次のようなものである。

a) 男性の死者と拉致された者、合わせて6,600人の独身・単身者比率は44.3%である!

スマイス報告本文に { 4400人の妻、つまり妻全体の8.9%は、夫が殺されたか、負傷したか、あるいは拉致されたものである。これらの夫のうち3分の2、すなわち6.5%が殺されたか拉致されものである。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P222) と記されていることをもとにして計算している。

b) 1938年春の南京市男子総人口中の「独身・単身者」の比率は5.2%である!

スマイス報告第3表に家族形態別の世帯比率がある。丹羽氏はこのうち"男1人"と"男と親類"の世帯の世帯主を「独身・単身者」とみなしてその数(=世帯数)が南京市全体の男性人口に占める割合を5.2%と算出する。.

c) 単身者はすべて便衣兵である!

被害者の独身・単身者比率44.3%は、南京市男子総人口の独身・単身比率5.2%と比べて、異常に高い。これらの単身者は本来的に南京市民ではない多数の便衣兵だった、と考えれば説明がつく。

d) 純粋の市民の犠牲者は600~700人である!

単身でない男性の中にも便衣兵が多数いるし、中国人に殺された市民も少なくない。それらを控除すると、兵士による暴行2450人のうち、日本兵に殺された純粋の市民は600~700人しかない。拉致された者のうち、少なくとも2000人は収容されている。

論考の問題点

この論考は次のような誤りと憶測により構成されている。(詳細は、小論報:「スマイス報告には便衣兵が含まれる!?」 を参照)

① 上記b)で南京市の単身率を算出する際、世帯主の単身者のみをカウントし、単身の息子や世帯主の兄弟の単身者などを無視した。また、率を計算するときの母数に平常時30%もいる子どもを含めたため、単身率が低く算出された。定常時である1932年の成年男子に対する単身者の比率は37.9%で異常に低いわけではない。

② スマイス調査は家族を対象にした調査なので、単身世帯の世帯主が死んだり拉致された場合、申告する人がいないので、統計には表れてこない。丹羽氏はこれを逆手にとって、死亡/拉致された便衣兵を同居人や隣人が申告し、裏帳簿のようなものを作ったはず、と憶測しているが、そうだとすれば、スマイス報告はまったく信用できないものになり、丹羽氏の評価そのものが無意味になる。

③ 中国人による死者は25%と推測しているが、丹羽氏自身が{ 他に適当な資料が無いのであるから… }と言いつつ、建物を略奪した犯人の25%は中国人、というスマイス報告の数字を流用しているだけである。つまり、便衣兵にしろ中国人犯人説にしろ、客観的な根拠があるわけではなく、丹羽氏の個人的推測(憶測)をもとに算出された数字なのである。

(6) 農村部の調査方法はトリック!?

北村氏はスマイス報告書を読み込んでおらず、算数も苦手なのではないだろうか。都市部調査と農村部調査では方式がまったく違うことを知るべきである。

都市部調査の方法

都市部調査では、調査時点の家族数がわからないので、住居地図と照らしわせながら住民が住んでいる家を調べて戸数(家族数)を数えながら、50戸に1戸の割合で無作為に抽出した家を調査員が訪問し、被害状況を聞いて調査表に記入する。調査戸数は総戸数の50分の1になるので、調査結果の合計値に50を掛ければ全体の数字が算出できる。
スマイス報告第1表によれば、家族数は47,450、調査した家族は949家族である。

農村部調査の方法

農村部調査は地理的に非常に広く戸数も厖大な数になるので、都市部と同じように戸数を数えるのは現実的でない。そこで、6年前に調査したときの家族数(戸数)を使うことにした。農家は農地に依存して存在するから、家族数(戸数)が大きく変わることはない、と考えたのであろう。そして、標本をできるだけ無作為に集めるために、主要道路を8の字状に行き、3村落のうち1つを選び、その村落について10戸に1戸を調査対象とした。そして、調査結果から1戸(家族)毎の平均値を求め、それに6年前の調査で判明していた農家数を掛けてその県全体の数字を推定したのである。

スマイス報告第17表によれば、調査した家族数は905、調査対象地域の全家族数は18万6千である。

調査地域の戸数がわからないのに、単純に30を掛けても無意味であることがおわかりいただけただろうか。スマイスの方法によれば、県内の様々な地域が調査されるので、被害に遭った家族、遭わなかった家族の両方が無作為に抽出され、北村氏が心配するような偏りはない。もちろん、統計調査である以上、実態とぴったり一致するわけではないが、一定の精度は得られる。

ただし、避難先から帰還していない家族のように、調査対象外になる母集団があった場合は、その集団の状況により全体の数値が影響を受ける場合がある。

(7) 「標本調査」の精度 総務省HP(現在は国会図書館が管理) による

標本調査とは、「ある集団から一部の調査対象を選び出して調べ、その情報を基に元の集団全体の状態を推計するもの」である。標本の選び出し方には「有意抽出法」と「無作為抽出法」があるが、精度を確保するため、通常は「無作為抽出法」を使用する。「無作為抽出法」は標本をくじ引きのような方法で無作為に抽出するもので、具体的な方法はいくつかあるが、最初に調査地域を無作為に選び、さらにその地域の一部を無作為に選んで調査する方法を2段階抽出法と呼び、農村部調査ではまさにその方法で調査している。

「無作為抽出法」では、ある程度多数の標本を集めれば精度の高い結果が得られる。その精度は母集団の大きさに無関係で、標本の大きさにより真の値が95%の確率で存在する範囲が異なる。例えば、標本数が100ならば、調査結果の±10%、500ならば±4.5%、1000ならば±3.2%、3000ならば±1.8%、の範囲になる。

スマイス報告では、都市部調査の標本数は949なので調査結果の±3%強の範囲に真の値が存在する確率が95%となる。農村部調査は県ごとに標本調査を行ってから全体を合算していると思われるので県ごとの標本数に依存する。スマイス報告第17表によれば最も標本数が多い県が205、少ない県が132なので、±7~8%の範囲に存在する確率が95%となるであろう。

(8) スマイス報告の問題点

上記のように標本を無作為に抽出できれば、非常に高い精度の結果を得られるが、スマイス報告の場合、その無作為性を含めていくつかの問題がある。スマイス自身が指摘する問題点及び研究者の指摘する問題点のうちリーズナブルと思われる指摘を以下に掲げる。

(注)項目タイトルのうしろにある<×>はその問題を指摘している人を示す。
<S>; スマイス自身が報告書で指摘、<笠>;笠原十九司氏、<戦>;南京戦史、<他>;その他の研究者

都市部調査(City Survey)

①人口が少ない<S>
日本軍が調査した結果をもとに推定した人口25~27万に対してスマイスが調査した結果は22万余となっている。スマイスはこの原因を、調査員の手の届かぬ人々や移動途中の人々が調査から漏れた、としている註662-1。このような家族が参入されれば、人口だけでなく犠牲者数も増える可能性が高い。

②殺害者数、拉致者数が少ない<S>
幼児の殺害者数がゼロ、拉致者に女性がまったくいないのは不自然、と指摘し、その背景には日本軍の報復を恐れて申告していない場合がある、とスマイスは述べ、紅卍会の埋葬記録から殺害された市民は1万2千人と推定している註662-2

農村部調査(Agricultural Survey)

③家を離れたまま戻っていない人々が多数いる<S><笠>
調査結果によれば、家を離れたまま戻っていない人が13万人以上おり、このうち11万1千人は南京に近い江寧県の人たちである。調査員は村の指導者からも村人の情況を聞いており、それによれば当初住民の30%は家族ごと移動したまま戻っていない註662-3
戻っていない13万人や家族ごと移動した人たちすべてが殺害されたわけではないが、どの程度影響があるかは不明である。その人たちの死亡率が調査対象家族の死亡率と同等であれば、調査結果は変わらない。

④病死者が少ない<S><戦><他>
板倉氏は病死者が少ないことを指摘し、秦氏は殺害者数を補正している。(4.7.4項(6)) スマイスも「100日間で千人あたりの病死者数3.8人は極めて少ない、5歳以下の病死者は一人も報告されていない」 と少ないことを認めつつも、「この100日間は豊作で例になく温和な季節であり、疫病や変った病気はほとんどなかった、殺害者数にいちじるしく影響することはない」と述べている(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P239)

⑤農家だけが対象で県城などの都市在住者は調査対象外<笠>
スマイスが調査したのは農村(農家)であり、県城などの都市在住者は調査対象外になっている。また、近郊6県のうち1.5県は調査していない。1,5県が調査できなかった理由について、スマイスは次のように述べている。{ 六合県では調査員が県の北部を掌握している中国人当局に身元を疑われ、委員会が手紙を出すまでスパイとして留置された。同じ困難が … 高淳県でも起こった。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P244)
北村氏は、スマイス報告は「国民党の意を体して作られた」と言う(本項(2))が、であれば国民党にスマイスの調査を妨害する理由はないはずである。

双方共通

⑥一家全員が犠牲になった家族、離散した家族などは対象外<笠>
そのとおり。スマイス調査の目的は戦後復興のための被害調査であり、犠牲者数の推定を主目的としていないことが影響していると思われるが、市民の犠牲者数の推定は極めてむずかしいようだ。以下の余話を参照願いたい。

⑦中国軍に殺害された死者も含まれる<戦>
その可能性を否定できないが、どのくらいかは不明。

(9) まとめ

スマイス報告は、上記のような問題はあるにせよ市民の犠牲者数に関する唯一の信頼できる史料であることは、いずれの派も認めている。一方で、これを犠牲者数の算定に利用しているのは中間派だけである。史実派と否定派が、「信頼できる」といいながら、具体的な数字を出すに至っていないのは政治的、感情的な背景もあるのであろう。


♪余話 ... 沖縄戦の犠牲者数

1945年3月末から6月にかけて行われた日本軍と米軍など連合国軍との間で戦われた沖縄攻防戦の犠牲者数は次の通りである。(Wikipedia:「沖縄戦」)

・日本側死者総数  188,136人
-軍人、軍属    94,136人
-民間人      94,000人(うち、55,246人は戦闘参加者)

・連合軍側死者総数 20,280人

民間人の犠牲者数を直接調査することは不可能だったので、1945年と1946年の沖縄県の住民数の差から求めているが、1946年の人口には沖縄戦後に生まれた子供、本土へ疎開していた者、海外からの引き揚げ者や復員兵などが含まれるため、実際の戦没者はもっと多い、といわれている。沖縄平和紀念公園にある「平和の礎(いしじ)」に刻まれている日本人の戦没者名は軍人を含めて226,842人で、上記より4万人近く多い。

※2017年3月現在 沖縄県人については沖縄戦以外での死者も含む

民間人の「戦闘参加者」というのは、戦没者援護法との関係で日本軍に協力して死亡した準軍属と認定された人である。民間人で編成された「防衛隊」や有名な「ひめゆり学徒隊」も含まれる。このなかには、いわゆる“便衣兵”として戦闘に参加した者もいたであろう。アメリカ軍は毒ガスなど不法な手段を使って、兵士達を殺害し、陥落後は強姦や市民への暴行が多数発生したという。


6.6.2項の註釈

註662-1 市部人口が少ない

{ … われわれが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万ないし27万であって、このうちには調査員の手のとどかぬ人々もあり、また移動途中の人々もあった。…
5月31日には市政公署の5つの地区の役所で登録された住民(下関を含むが、あきらかに城外のその他の地区を含まない)は27万7000人であった。この数字はとくに婦女子について不完全であることが認められており、ふつうほぼ40万と修正されている。…}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P251<第1表の注記>)

註662-2 殺害者数、拉致者数

{ 死者のうち2400人は軍事行動とは別に〔日本軍〕兵士の暴行によって殺されたものである。占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が少ないと考えられる理由がある。実際に報告された数が少ないことは、暴行による幼児の死亡の例が少なからずあったことが知られているのに、それが一例も記録されていない …
以上に報告された死傷者に加えて、4200人が日本軍に拉致された。臨時の荷役あるいはその他の日本軍の労役のために徴発されたものについてはほとんどその事実を報告していない。6月にいたるまでこのように拉致されたものについては、消息のあったものはほとんどいない。 … 多くの婦人が短期または長期の給仕婦・洗濯婦・売春婦として連行された。しかし、彼女らのだれ一人としてリストされてはいない。…
市内および城壁周辺の地域における埋葬者数の入念な集計によれば、1万2000人の一般市民が暴行によって死亡した。これらのなかには、武器を持たないか武装解除された何万人もの中国兵は含まれていない。・・・}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P222-P223<スマイス報告 2.戦争行為による死傷>)

註662-3 13万人以上が自宅に戻っていない!

下表では、"離村したまま帰っていない者"は住民の11%であるが、「村の指導者への聞き取り調査によれば、その数は30%にもなる」とスマイスは言う。

{ 調査員は、農家調査の補足として、調査の道順における村のうち、二つおきの村で少なくとも3人の指導者に、農家調査に含まれるのと同じ点にかんし村人についての推定数を注意深く質問するようにと求められた。 … そこから出しうる最上の結論は、当初の住民のわずか70%しか3月現在で居住していないということである。家族のメンバーのうち11%が家を離れているという農民個別調査の記録とこれとを比べてみると、戦時下の移動が通常、家族ぐるみ行われたことを示唆している。この結果は市部調査でも確認されており、1931年の水害の際の記録とも事実上一致するという点で驚くべきものがある。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P246)

図表6.23 農村の未帰還者(スマイス報告第23表)

スマイス報告第23表

※ スマイス報告 第23表「移動および労働力の供給」(一部省略) (「大残虐事件資料集Ⅱ」,P268)