日本の歴史認識南京事件 > 6.5.2 敗残兵の殺害は合法か?

6.5.2 敗残兵の殺害は合法か?

この項でいう"敗残兵"とは、陥落後、軍服を脱ぎ捨て市民の服に着替えて安全区などに逃げ込んだ敗残兵のことである。否定派などは、こうした敗残兵を便衣兵(市民の服を着た兵士 … ゲリラと同義)と称するが、軍服を捨てた兵士たちは、ほとんど抵抗を示していないので、単に"敗残兵"と呼ぶ。
対象とする主な事件は下表のとおりである。

図表6.20 主な敗残兵殺害事件

主な敗残兵殺害事件

注1) 本表は、図表4.18から、敗残兵の摘出による事件を抽出したもので、No.は図表4.18と同じ番号である。

注2) No.17は状況が不明だが、"便衣兵の殺害"ではなく、一般的な掃蕩戦の可能性がある。

注3) 板倉、南京戦史、秦の各氏の数字は最大値である。

(1) 否定派(田中正明氏)の主張 … 「南京事件の総括」,P153~P154の要約

田中氏は「虐殺否定15の論拠」ではなく、「断末魔の南京」という別の章で、"便衣兵は国際法違反"と主張する。

松井大将は東京裁判宣誓口供書の中で次のように述べている。「支那軍は、… 一部将兵は所謂"便衣隊"となり、軍服を脱ぎ、平衣を纏ふて残留し、我が将兵を狙撃し、我軍の背後を脅かすもの少なからず、附近の人民も亦あるいは電線を切断し、あるいは烽火を上ぐる等、直接間接に支那軍の戦闘に協力し、我軍に幾多の危難を与えたり」

いうまでもなく、このような便衣兵は陸戦法規の違反である。武器を捨て常民姿になったからといって、それで無罪放免かというと、戦争とはそんな甘いものではない。戦時国際法によれば、交戦資格の条件は次のとおりであるが、この条件からみても便衣兵は交戦資格を有するものではない。

① 部下のために責任を負う統率者(指揮官)があること。

② 遠方から認識することのできる固有の特殊標章(軍服など)を有すること。

③ 公然と兵器を携行していること。

④ 戦争の法規および慣例に従って行動していること。

わが国の国際法の権威である信夫淳平博士は次のように述べている。「非交戦者の行為としては、その資格なきになほかつ敵対行為を敢てするが如き、いづれも戦時重罪犯の下に、死刑、もしくは死刑に近き重刑に処せらるるのが戦時公法の認むる一般の慣例である」(信夫淳平:「上海戦と国際法」,P125)

(2) 否定派(東中野修道氏)の主張 … 「再現 南京戦」,P341~P347の要約

田中氏の主張は、否定派がよく使うものでわかりやすいが、東中野氏は後述の肯定派の反論、つまり「交戦資格を有しなかったとしても裁判なしで処刑するのは違法」、に対処するため次のような奇説を展開している。

南京の中国兵は、唐生智司令官が逃亡したこと、軍服を脱ぎ捨てていたこと、公然と武器を携帯していなかったことから、不法戦闘員であり捕虜にはなりえなかった。当時の外交官や国際委員会なども日本軍の処刑を不法と非難したことはなかったし、東京裁判でも日本軍の捕虜処刑を指摘した人はいなかった。

ところが、1980年代になると北村稔、秦郁彦、板倉由明、吉田裕などが「裁判なしの捕虜処刑は違法」と指摘するようになり(4.4.2項(1))、南京大虐殺があったという前提に立って、その根拠を裁判なしの捕虜殺害に求めるようになった。

立作太郎(たちさくたろう)は、「戦時重罪中、最も顕著なもの」として次の5つをあげている。

(甲) 軍人(交戦者)により行はるる交戦法規違反の行為

(乙) 軍人以外の者(非交戦者)により行わるる敵対行為

(丙) 変装せる軍人亦は軍人以外の者の入りて行ふ所の敵軍の作戦地帯内亦は其他の敵地における有害行為

(丁) 間諜

(戊) 戦時叛逆等

この5つを交戦者の資格4条件と比較してみると、(甲)は"法規慣例の遵守"(上記(1)の④)に相当するが、他の3つは戦時重罪にあげられていない。この3条件は、正規兵が戦争を行う上で破ってはならない鉄則であり、それを守らない戦闘員は「戦争犯罪」以上の大罪であった。つまり、助命や裁判にかんするいかなる権利をも有しなかったのである。

吉田教授によれば、南京の中国兵の違反行為は(戊)の戦時叛逆等に該当する、つまり中国兵は「戦争犯罪以上の大罪」を犯したのであり、裁判を受ける権利はなかった。

(3) 史実派の反論

上記(1)の田中氏の主張に対しては、「裁判の手続きを経ずに処刑してしまうのは国際法に違反」という反論が定着しており、東中野氏もそれを認めた上で新たな合法論をひねり出してきたと思われる。したがって、ここでは東中野氏の論述に対して吉田氏が「現代歴史学と南京事件」の第2章(P68-P81)で述べている反論を紹介する。反論の対象になったのは、雑誌「月曜評論(2000年3月号)」に投稿された論文なので多少論旨が異なる所もある上に、難解な法律論なので、筆者なりに要点を絞って要約させていただく。

交戦者の資格4条件の意義

この4条件((1)の①~④)は、民兵や義勇兵が交戦資格を与えられるための条件を示したもので、正規軍の交戦資格を直接規定した条項であるかのような書き方は読者を惑わすものである。

4条件に違反した場合

正規軍の場合でもこの4条件の遵守が求められるが、それに違反して行われる敵対行為は、国際法上の"戦時重罪"(戦争犯罪)を構成する。しかし、そうした国際法違反の行為が仮にあったとしても、その処罰には軍事裁判(軍律法廷)の手続きは必要不可欠である。

立作太郎が示した5件

立作太郎が"戦時重罪"としている行為のなかに、交戦者の資格3条件が含まれていない、と東中野氏は主張するが、立はここで主要な事例を示しているにすぎない。立は正規軍による交戦資格4条件違反が"戦時重罪"になることを当然の前提として、民兵や義勇兵がこの4条件に違反すれば"戦時重罪"になることを明記している。

捕虜としての資格を喪失した兵士の処刑

支那軍が降伏せず、抵抗を継続しているさなかに日本軍の行った「非捕虜――4条件に違反したため捕虜としての処遇を受ける資格を喪失した兵士――の処刑」が違法であることは国際法のどこにも明記されていない。明確に禁止されていない限り、それは合法だったと、東中野氏は主張するが、ハーグ陸戦条約の前文には「マルテンス条項」として知られるものがあり、条規に含まれていない場合は慣習、人道、良心などを考慮して運用すべし、と規定されている。明文をもって禁止されていない行為はすべて合法であるという考え方は否定されている。

東中野氏の自己矛盾(1) … 禁止が明示されていないものは合法、とすると…

4条件遵守は当然の前提とされているが、ハーグ陸戦規則のどこにも「4条件に違反する行為を行ってはならない」とは明記されていない。明記されていないことを合法とするのであれば、4条件を遵守しないことも合法となってしまう。

東中野氏の自己矛盾(2) … 便衣兵ではない、とすると…

東中野氏は便衣兵の存在を否定する。もしその存在を認めるならば、軍事裁判を省略した形での処刑の違法性が問われることになるし、安全区に潜伏した将兵は武器を所持していない以上、敵対行動を行う便衣兵とは異なるからである。そこで氏は足立純夫「現代戦争法規論」にある「敵が抵抗を継続している限り、国際法上、明文をもって禁止されている以外の一切の害的手段を行使して敵を破摧できる」を根拠に、禁止が明文化されていない4条件違反の処刑は合法だ、とした。しかし、便衣兵も存在せず、抵抗も終息していたということになれば、処刑合法説の根拠が失われることになるのである。

先例を無視した対応

1932年春の第一次上海事変では、「便衣隊」の激しい敵対行動に直面し、恐怖にかられた在留邦人は自警団を組織して「便衣狩り」を行い、そのため一般の中国人が誤認されて殺害されることになった。こうした事態に対して、海軍は「租界外に於て捕縛せるものは、之を憲兵隊に送致し、憲兵隊において調査処理す、租界内に於て捕縛せるものは、一旦之を憲兵隊に於て調査の上、工部局警察に引き渡す」こととされた。陸軍も海軍とほぼ同じ通達を出している。
このような先例が存在したにもかかわらず、南京の日本軍は「便衣隊容疑者」の憲兵隊送致という手続きすら講ぜず、彼らを直ちに殺害したのである。

(4) まとめ

田中氏の主張する「交戦資格を持たない便衣兵を処刑するのは合法」は誤りで、東中野氏をはじめ否定派系の学者も含めて「裁判せずに処刑するのは不法」と認めている。東中野氏の奇論は、吉田裕氏によって論破された。第一次上海事変ではしかるべき対策をとっていたことは、軍の幹部が便衣兵の即時処刑を問題行為とみていた証左であろう。

東中野氏は、外国の外交官や安全区国際委員会のメンバーが違法性を指摘しなかったことを合法の根拠のひとつとしているが、外交官だからといって国際法を隅々まで知り尽くしているわけではないし、ましてや国際委員会の宣教師やビジネスマンが熟知しているわけではあるまい。仮に知っていたとしても、裁判が行われたかどうか彼らが知るところではない。彼らは不法行為として訴求してはいないが、合法だとも言っていないのである。


付記 敗残兵の追撃戦

陥落直後、下関では揚子江を渡って対岸に逃れようとする中国兵は、急ごしらえの筏や板切れなどにつかまって渡ろうとしていた。これを陸上からあるいは軍艦の上から射撃して多数の中国軍兵士が犠牲になった。これに対して、否定派や中間派はこうした追撃戦は合法、とするが、史実派の吉田裕氏は次のように述べる。(「13のウソ」,P172~P175を要約

下関での追撃戦

長江上を脱出しようとする中国軍将兵・一般市民がのった小舟や急造の筏などに、海軍の砲艦が銃砲撃を加え、多数の中国軍民が犠牲になった。これは戦闘などと呼べるものではなく、戦意を失って必死に逃れようとする無抵抗の群衆に対する一方的な殺戮にほかならない、たとえ敗残兵であっても、少なくとも降伏を勧告し、捕虜として収容する努力をすべきだった。

ところが、否定論者の一人藤岡信勝氏は「敗走する敵を追撃して殲滅するのは正規の戦闘行動であり、これを見逃せば脱出した敵兵は再び戦列に復帰してくる可能性があるのだから殲滅は当然である」とした。

他の戦闘の事例

1945年4月、沖縄海域への水上特攻作戦に出撃した戦艦「大和」などは米軍機の攻撃を受けて、沈没した。このとき、米軍機は漂流する日本海軍兵士に対して、数時間にわたって執拗な機銃掃射を加えたという。

いっぽう、日本の海軍機がイギリスの戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」などを撃沈した1941年12月のマレー沖海戦の際には、日本機は英駆逐艦による生存者救助作業をまったく妨害しなかった。
また、1943年2月のビスマルク海海戦では漂流する多数の日本兵に対して連合軍機が数日にわたって機銃掃射を反復し、魚雷艇も海上を捜索して日本兵を射殺した。

名誉ある戦士はどっち?

藤岡氏の論法によれば、沖縄戦の米軍パイロットやビスマルク海海戦の連合軍は軍人としての本分に徹した称えるべき存在であり、マレー沖海戦の日本軍パイロットは戦場の現実を忘れた感傷主義者ということになるだろう。

しかし、ジョン・ダワーはビスマルク海海戦のこの事件を人種偏見に色どられた戦争犯罪として告発し、戦後のオーストラリアでは日本兵を機銃掃射した空軍パイロットを戦犯として処罰すべきだとの声があげられ、大きな論争に発展している。

欧米の良識ある人々が連合軍側の戦争犯罪の問題を正面から取り上げている時に、それを免責するような論理を提供し、助け舟を出す。ここに中国に対する感情的反発にこりかたまった人々の言説が陥っている自己矛盾の深刻さがある。米軍の戦争犯罪すら追及できないような戦争観こそ、まさに「自虐史観」そのものではないだろうか。

※ジョン・ダワーは、アメリカの歴史学者。専門は日本近代史。