日本の歴史認識南京事件 > 6.4.3 ニセ写真ばかり!?

6.4.3 ニセ写真ばかり!?

(再掲)図表6.12 証言や証拠は改ざん、偽造ばかり!?

証言や証拠は改ざん、偽造ばかり!?

(1) 否定派の主張

東中野修道氏は著書「南京事件 証拠写真を検証する」において、次のように主張する。

関連写真を延べ3万点以上見たなかから、南京大虐殺の証拠として使われている写真を143枚取り出し、それらの写真が南京大虐殺の証拠として適切なのかどうか、検証した。(同書,P17<要約>)

証拠写真の源流となっている70枚の写真は次のような写真だった。(同書,P128<要約>)

・いつ、どこで、誰が撮影したものか不明の写真がほとんど。

・撮影者の明確な写真であっても、演出と思われる写真や改竄された写真であった。

・場所が南京であることが明確な写真はほとんどなく、南京を占領した冬にそぐわない写真が多い。

・30万人虐殺というのに、大量虐殺を示す写真は1枚もなく、虐殺を恐れる市民の表情を伝える写真は1枚もなかった。

※東中野氏は143枚の写真を3つに区分して検証している。最初の区分は1938年夏に発刊された2つの書籍に掲載された写真70枚(重複を除くと64枚)、2つ目は戦後に発行された書籍に掲載されたもの51枚、3つ目はそれら以外で撮影者がはっきりしているもの28枚、である。(図表6.16参照)

次の3点を結論としている。

① 南京での大量虐殺や強姦などを裏付ける"証拠写真"は1枚もなかった。

② 今日、流布する南京大虐殺の"証拠写真"なるものは、ティンパリー編「外人目撃中の日軍暴行」と国民政府軍事委員会政治部編「日寇暴行実録」の2冊を源流としていた。この2冊に抗戦用写真として掲載された写真は、収集・盗作・ないしは撮影工作されたプロパガンダ写真であった。

※中国語で「外人目睹中之日軍暴行」 “What War Means”(戦争とは何か)の中国語訳

③ この2冊をもとに中国共産党の新たな情報戦が1970年代から始まった。共産党の時代になっても写真の修正などは「日常茶飯事」になった。(同書,P236-P238<要約>)

(2) 史実派の反論

笠原十九司氏は「南京大虐殺否定論13のウソ」で次のように述べる。笠原氏は著書「南京事件」で写真を誤用し、否定派などから激しい攻撃を受けたことがある。

{ 私が「南京事件」の章扉に掲載した写真は、「日寇暴行実録」に収録されていた写真で、オリジナルは朝日新聞のカメラマンが撮影したものだった。キャプション(説明文)は「我が兵士に護られて部落へ帰る女子供の群」だった。… 私はこの写真に「日本兵に拉致される中国人女性たち」というキャプションを付して掲載した。その時点で国民政府が抗日プロパガンダに悪用したものであることを見抜けなかったことを反省し、反省文を雑誌に掲載し、誤用した写真は差し替えた。}(「13のウソ」,P221-P222)

日本の従軍カメラマンたちが、殺害場面を目撃しても撮影しなかった最大の理由は、当時「新聞掲載事項許否判定要領」に基づく厳しい陸軍の検閲制度があったからである。「我軍に不利なる記事写真」は掲載不可であり、「我軍に有利なるヤラセ写真」は掲載できた。安全区国際委員のマッカラムはヤラセ写真の撮影場面をこう日記に書いている。「1938年1月9日――難民キャンプの入口に新聞記者が数名やってきて、ケーキ、りんごを配り、わずかな硬貨を難民に手渡して、この場面を映画撮影していた。こうしている間にも、かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入して10名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は1枚も撮らなかった」(同上,P225-P227 要約)

次のような写真は撮影者と場所などが特定でき、証拠写真としての信頼性が高い。

・村瀬守保氏; 兵站自動車第17中隊の兵士で非公式の写真班を務めていた氏は、戦火の直後をまわって、比較的自由に撮影でき、軍部の検閲も受けなかった。南京での集団虐殺現場の生々しい写真もある。戦後、「村瀬守保写真集」を出版している。

・シカゴ・デイリー・ニューズのスティール記者; カメラをもって撮影したが、日本軍に気づかれないよう背後あるいは遠くからそっと撮った写真がほとんどである。

・国際委員会のマギー牧師とフォースター牧師; 彼らは日本軍の目を避けながら虐殺死体群、病院に運ばれてきた被害者など多くの写真を撮影していた。他にも国際委員たちが撮影した写真があり、イェール大学神学図書館に所蔵されている。(同上,P230-P233 要約)

ニセ写真とは、被写体が現実とはまったく違い、"ヤラセ"、"合成"、"創作"などの詐欺的手段を使って撮影された写真である。南京大虐殺写真には、南京虐殺現場の写真でないものも多い。それらの多くは、南京事件の現場写真と特定できないだけで、首切り、刺殺などの残虐行為そのものは事実である場合が多い。こうした残虐写真には、日本兵が撮影し南京の写真屋に現像・焼き増しをたのんだものが中国人にわたり、南京軍事法廷で証拠として提出されたものもある。中国戦場における武勇談の一つとして、中国人捕虜を日本刀で斬首するところを記念撮影させていた者もいた。(同上、P234-P236 要約)

否定派の"ニセ写真"攻撃のトリックは、あたかも"ニセ写真"をもとにして南京事件像が形成されているかのごとく錯覚させて、南京大虐殺も"ニセ"であると思わせるところにある。しかし、南京大虐殺論争で否定派が敗退したのは膨大な文献資料、証言資料が発掘、収集された結果であり、南京大虐殺の歴史事実は写真資料がなくても証明できるのである。(同上、P237)

(3) 検証結果の分析

検証対象の写真

東中野氏が検証対象とした143枚の写真の出所と、その被写体がどのようなものであったのかを示したのが図表6.16である。

図表6.16 "検証"対象の写真

検証対象の写真

(注1) 出所

(注2) 被写体

(注3) 重複分 例えばフィッチ提供の写真は、「日寇暴行実録」など他の刊行物にも掲載されているので、そのダブリ分をマイナスしている。

検証結果(指摘)と評価(反論)

図表6.17は、東中野氏が検証した結果の指摘事項とそれに対する評価(反論)を被写体の種類別に示したものである。 評価(反論)は、「南京事件143枚の写真」というサイトを運営する“pipopipo”氏が、東中野氏が検証した143枚の写真についての評価をまとめており、それを拝借させていただいた。詳細は こちら を参照 。

なお、本レポートでは、写真の著作権に関する確認ができていないので、写真は掲載していない。写真は上記サイトに掲載されているので、そちらを参照願いたい。

検証結果(東中野氏の指摘)で最も多いのは、"説明誤り"で全体の40%ほどあり、次いで"演出"と"流用"が20%弱である。被写体別に見ると、犯行現場の写真は"演出"や"流用"が、多いが、死傷者や情景の写真では"説明誤り"が多くなっている。

犯行現場の写真には被害者とともに、軍服を着た日本兵が写っている場合が多く、"説明誤り"では証拠能力不足を証明しきれないので、"演出"や"流用"を指摘しているのかもしれない。検証結果が記載されていないものや写真の問題を直接指摘していない"その他"は全体の10%ほどしかなく、残り90%は何らかの誤りのある“ニセ写真”である、という結論のようだ。

評価(pipopipo氏の反論)を見ると、検証結果を"妥当"、もしくは"一部合意"するという写真は全体の15%しかなく、46%はほぼ誤り又は誤り、となっている。

被写体別に見ると、事件の直接的な証拠になりうる犯行現場と死傷者では、"ほぼ誤り"又は"誤り"としている写真は約60%にもなるが、情景の写真では20%しかない。情景の写真はいろいろな解釈ができることが多いが、犯行現場や死体の写真には被害者や加害者が写っているなど、リアリティのある写真が多いせいかもしれない。

いずれにしろ、全143枚の検証結果のうち46%、66枚(ほぼ誤り24、誤り42)の検証結果が誤っていることを指摘している。

図表6.17 被写体別検証結果と評価結果

検証結果と評価結果

(注1) 検証結果(東中野氏の指摘)

(注2) 1枚の写真で2つ以上の"検証結果"がある場合は、代表的な指摘事項に集約している。

(注3) 評価(pipopipo氏の反論)

(4) 日本兵が写した写真

斬首など犯行現場の写真は、日本軍兵士以外が撮影することが不可能なものが多い。東中野氏は、そのような写真を交戦中の敵国の宣伝本のために提供することはありえない註643-1、と言う。それはそのとおりだが、以下の証言を見ればこうした写真が出回るのは不思議でないことがわかる。

呉旋さんの証言 … 洞富雄、他編:「南京大虐殺の現場へ」,P217-P221<要約>

呉旋さんは、1923年生まれで南京事件当時安全区にいた。1941年春、1冊の写真帳を拾った。写真は全部で16枚あった。表紙には"血"という文字と"恥"という文字があった。この写真帳は以前にも見たことがあり、持ち主は呉旋さんの知り合いの羅瑾という人だった。羅瑾さんは写真館の店員だったときがあり、時期は忘れたが、日本兵が写真の焼き付けを依頼に来た。羅さんは依頼された写真を1セット余分に焼いて自分で保管したが、そのまま保管しつづけると危険がおよぶ可能性があると思い、捨てたのだという。呉さんは、その後もこの写真を保管しつづけ、終戦後、南京で行われた戦犯裁判の証拠資料として国民党に渡した。

これが、東中野氏が検証した“16枚の写真帳”の由来である。東中野氏はこの16枚のうちの一部が、呉さんが国民党に提供する前、1938年発行の「外人目撃中の日軍暴行」に掲載されている(のでこの証言はあやしい)、と述べているが、ネガは日本兵が保有しているので、他の場所で焼き増ししたものが出回った可能性を否定できない。

佐々木郵便長の証言 … 佐々木元勝:「野戦郵便旗(上)」,P176-P178<要約>

上海にはエロ写真の問屋があって、秘密に頒布されている。また正金銀行の裏庭では支那人が掠奪品や禁制品を密売しており、エロ写真も安く売っていた。エロ写真は褐色のハトロン紙に包まれて12枚セットで支那人、半島人、ロシヤ人、黒人、ヨーロッパ人、日本人など様々な人種が出てくる。エロ写真のほかに戦闘の残虐写真がある。無残な死体のさまざまな写真である。支那女が泣きながら立って下半身裸になっているものもある。これらの写真は日本軍か支那軍かだれが撮影したものかわからない。

憲兵が毎日来て手紙の検閲をしている。このごろ一番多く出るのはエロ写真である。普通の手紙と違い中味が堅いからすぐわかる。検閲する憲兵の引出しはエロ写真でいっぱいになる。

村瀬守保氏の証言

村瀬守保氏は上記の笠原氏の解説にもあるように第13師団の輜重隊の兵士として従軍し、中隊の非公式の写真班として、約3千枚の写真を撮っており、最も信頼性の高い写真だと言われている。写真とは直接関係ないが、従軍兵士の生々しい証言として紹介する。

【上海から南京への途上で】私たちはくずれかけている民家を探して班ごとに分宿です。… 奥の部屋に踏み込むと、薄暗い懐中電灯に照らされて、下半身裸の婦人が、下腹部を切り裂かれて死んでいます。少し奥には5~6歳の子供がうつぶせに死んでいました。プーンと血生臭いにおいがたちこめています。…
第一線部隊の兵隊は厳しい命令を受けて目が血走っていました。… 小休止で一緒に休んだ時の話を聞くと「南京一番乗りは師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、酒もある。速く行ったものは、やりほうだい、なんでもやれるぞ」と上官からハッパをかけられているのです。}(村瀬守保:「私の従軍(新版)中国戦線」,P44)

(5) 検証結果の評価事例

(注)写真の番号は、東中野氏の本でふられた番号で、pipopipo氏のサイトでも同じ番号を使っている。 評価結果はpipopipo氏の評価を参考に筆者が加筆させていただいた。

(a) 事例1; 評価結果="妥当"の事例(写真96: 生首群)

生首が10個以上並んだ写真。1984年8月4日に宮崎県の元兵士の家で発見されたアルバムの中にあった写真として朝日新聞が紹介したが、「馬賊の首」の写真であったことが判明している。写真は"みやげもの"として現地で購入したものらしい。この兵士は「宇和田弥一」といい、水西門の捕虜殺害を日記に記している。(4.2.2項参照)

(b) 事例2; 検証結果="妥当"の事例(写真123:生き埋め)

兵士がスコップを持って人を埋めようとしている写真。マギーの写真として、アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」註643-2に収録されているが、pipopipo氏によれば、「『バトル・オブ・チャイナ』という映画の映像と思われる」となっている。

(c) 事例3; 検証結果="一部合意"の事例(写真125:挹江門の光景)

スティール記者の撮影したもの。「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」では"挹江門の光景"としているが、門の上に"仁"の字があることからこの門は中華門である。また、門の前にある死体は戦死体だったので、スティール記者はこれを新聞に載せなかった。これが東中野氏の検証結果である。中華門の写真であることは間違いないが、新聞に載せなかったのは、当時、写真を電送することができなかったからにすぎない。なお、この写真は「南京事件資料集Ⅰ」にも掲載されており、スティール氏本人は中華門の写真と言っている。

(d) 事例4; 検証結果="ほぼ誤り"の事例(写真29~34:強姦・輪姦された女性の写真)

いずれも陰部を露出させた女性の写真。東中野氏は「当時出回っていたエロ写真に強姦のキャプションをつけたもの」と切り捨てている。しかし、pipopipo氏は「ここに写っている女性の表情にはせっぱつまったものがあり、無理やり撮影されているように見える。日本軍関係者の証言に強姦に関するものはたくさん残っており、これら写真が強姦の際に撮った写真でないとは言い切れない」という。

(e) 事例5; 検証結果="誤り"の事例(写真98重慶爆撃による死者)

コンクリートの階段に横たわる女性や子供を含む多数の死体を写した写真。空襲が終って群衆が避難していた壕を出ようとしたとき、再び警報が鳴り、壕の扉が閉じられたためにパニック状態に陥った人々が窒息や圧死したもので、日本軍による直接の被害ではなく、不幸な事故によるもの。これが東中野氏の検証結果である。しかし、爆死であるか圧死であるかにかかわらず、多くの市民が軍事施設ではない都市に対する戦略爆撃の犠牲になったことに変わりはない。

(f) 事例6; 検証結果="誤り"の事例(写真101:斬首の瞬間)

首が胴体から離れたその瞬間を撮った写真。刀を斬り込む際には右足が前に出るのに左足が前に出ている、斬られた身体が垂直のままで姿勢が崩れていないのは青竜刀の衝撃による斬首の状態に良く似ている。これが検証結果である。青竜刀といえば、日本では刃幅の広い刀を思い浮かべる人が多いかもしれないが、中国では日本の薙刀のような形をしたものを青竜刀と呼ぶ。いずれにしても、この写真に写っているのは、明らかに日本刀である。

(g) 事例7; 検証結果="誤り"の事例(写真103~105;腹を割かれた女性の遺体など)

東中野氏は、腹を割かれたり、性器に異物を突き刺すといったやり方は中国で最近まで見られた光景である、と述べていくつかの事例を文献から引用し、中国の古来からの慣習を日本軍に投影したもの、と結論づける。これは「中国人は野蛮だが日本兵はちがう」と言っているのと同じだが、アスキュー・デイヴィッド氏が、北村稔氏著書の書評で述べている註643-3ように、慣習、民族性などを根拠とする主張は学術の世界では人種偏見、人種差別に相当するものとみなされる。自分たちが同じことを外国人から言われたらどう思うか、考えて欲しい。

(h) 事例8; 検証結果="誤り"の事例(写真138,139;揚子江の死体)

揚子江にあった大量の死体の写真。東中野氏の検証結果は、揚子江上で溺死した中国兵、又は上流での戦闘で戦死した遺体が流れ着いたもの、となっている。しかし、写真138には後ろ手に縛られた遺体が数体あるし、写真139は黒焦げ死体である。溺死体や戦死体であるはずがない。

(i) 事例9; 東中野氏が検証しなかった写真(写真78;日本軍の宣言書)

これは「16枚の写真帳」のうちの1枚で、南京市云々と書かれた国民政府の貼り紙の上に「十二月十三日午前十時、小池部隊、林隊占領 … 」と大書されたものを写した写真だが、東中野氏は検証していない。この写真は、ネガを提供した日本兵のなかに南京城攻略の日に南京にいた兵士がいた、ということを証明するものである。

(6) まとめ

南京事件関連の写真には、撮影者や撮影場所、時期などが不明なものが多いのは事実である。また、中国の宣伝本や“The Rape of Nanking”のように誇大な説明文や無関係な写真を流用するなど、歴史書としては不適切な本があることも間違いない。一方で、マギー・フィルムや村瀬守保氏の写真など、素性がはっきりしていて信頼できる写真もある。また、日本兵が撮影したとみられる写真には、南京事件とは特定できないものの、日中戦争において日本軍が中国各地でおこなった残虐行為を示唆するものもある。

写真だけで南京事件の存在を確定することはもちろんできないが、こうした信頼できる写真が裏付けの一部を担うことはできるだろう。

(7) 東中野氏の検証について

南京事件の写真の検証は、東中野氏が「南京事件 証拠写真を検証する」を出版する前から行われており、ニセだという指摘とそれへの反論があったが、東中野氏はそれらの議論をふまえて、この著書を出版したようだ。3万枚もの写真を見て、そのなかの143枚の写真を検証するのに3年かかったという。その努力には敬意を表したい。また、明確な根拠のある実証的な検証や影の測定から季節を割り出すといった科学的な方法を採用しているものもある。

一方で、誤った前提をもとにした推定、結論ありきの論理展開、あるいは民族偏見に基づく検証、さらにはサンプリング検証に必須の標本(=143枚の写真)の選定方法を明確にしていない、など学術的とは言いがたい手法を使っているケースも少なくない。それは、一部の日本の読者には通用するかもしれないが、世界に通用する手法ではない。氏は、このような手法で導出した結論をベースに「ウソを取り払おうとする努力を妨げようとする人こそ、日中関係の真の構築を妨げている」(同書,P238) と述べているが、説得力に乏しい。


6.4.3項の註釈

註643-1 日本兵が撮影した犯行現場の写真

{ 日本軍が外国人、ましてや敵国側の撮影者に【犯行現場の】撮影許可を出すことなど決してない。となると考えられるのは、撮影を許可された日本人や日本兵が「外人目撃中の日軍暴行」のために写真をこっそり提供したということである。しかし、・・・ 交戦中の敵国の宣伝本のために門外不出の写真を提供することなど不可能である。… こう考えてくると、これら一連の写真は、中国側が中国軍のじっさいの様子を撮るか、または演出された場面を撮ったと考えたほうが合点がいく。}(「南京事件 証拠写真を検証する],P141)

註643-2 ザ・レイプ・オブ・ナンキン "The Rape of Nanking">

著者のアイリス・チャンは1968年生まれの中国系アメリカ人でジャーナリスト、作家。自身で調査した結果をもとに1997年、首記の著書を出版、日本語版は2007年に「ザ・レイプ・オブ・南京」というタイトルで出版されている。アメリカで発刊された直後はニューヨーク・タイムズなどで絶賛され大好評だったが、その後、歴史学者などが精査したところ、史実の誤認がたくさんある、などの批判を受けている。使っている写真も偽物や説明文を都合のよいように変更している個所が多い、といわれている。

註643-3 アスキュー・デイヴィッドの論文

「書評 南京アトローシティ研究の国際化-Kitamura Minoru, The Politics of Nanjing: An Impartial Investigation の検証」,2008年10月,P563

{ 一般論として、「日本人はスパイ活動や対外外交には向いていない」といった一般化は、英語の世界では、学術書としてはまず許されまい。中国人論は一層露骨である。北村にいわせると、中国人とは「文化的誇張主義」を特長とする民族だそうだ。このような表現は、人種偏見、人種差別といわれても仕方がない。}