日本の歴史認識南京事件 > 6.4.1 ラーベの日記は改竄された!?

6.4 証言や証拠の信憑性(2)

この節では南京事件の存在を示す記録や写真などが改竄や偽造されたものだ、という否定論について述べる。

図表6.12 証言や証拠は改ざん、偽造ばかり!?

証言や証拠は改ざん、偽造ばかり!?

6.4.1 ラーベの日記は改竄された!?

(1) 東中野氏の指摘

東中野修道氏は、「南京虐殺の徹底検証」(以下、「徹底検証」と略す)の付章「改めて『ラーベ日記』を読む」において、ラーベの日記(平野卿子訳:「南京の真実」)を批判している。「南京の真実」はラーベが現地で書いた日記を直接訳したものではなく、2~3段階の編集を経た結果を翻訳したもの(図表6.14参照)なので、この間に本人または編集者により改竄された恐れがあるのではないか、というのが東中野氏の指摘である。

付章は見出しのついた15コの段落で構成される註641-1が、4コは日記の批判ではなく、6コは「反日攪乱工作隊」(6.7.1項)に関するものである。ここでは残りの5コについてコメントする。

(2) 指摘その1; 「日本軍の行う合法的な処刑」という注釈がない!

東中野氏の主張(「徹底検証」,P383-P384を要約)

ラーベの日記(1月9日):{ 11時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目にするはめになった「小規模の」死刑について報告した。… 山西路にある池のなかに中国人(民間人)を追いこみ、… 男が水中に沈むまで発砲し続けた。}

これと同じ記述がティンパリーの「戦争とは何か」と徐淑希の「南京安全区档案」などにあり、ラーベの言う「死刑」は「日本軍の行う合法的な処刑」であると注記されているが、ラーベの日記にはそれがない。ラーベは合法的な処刑を非合法な虐殺と暗示したのである。

反論

以下は「南京安全区档案」の注記の文面である。(「戦争とは何か」も同様)

{ (注) 我々は日本軍による適法な処刑について抗議する権利はないが、これは確かに非能率で残酷な方法で行われている。また、このような処刑方法は、我々がこれまで日本大使館員達との個人的なやりとりで、何度も言ってきたような問題を引き起こすのである。つまり、安全地帯内の池で人を殺すのは、池の水を汚染し、そのため地帯内の住民への給水源が深刻に減少をきたすのである。… }(「安全地帯の記録」,P240)

これは、国際委員会が日本大使館に対して「池の水を汚さないで欲しい」と申し入れている文書であり、日記になくても不思議ではない。また、「適法な処刑」は「抗議する権利はない」をさす目的語で、この事件が適法だとは言っていない。

(3) 指摘その2; 私的日記と公的文書の落差!

東中野氏の主張(「徹底検証」,P385-P386を要約)

ラーベの日記(12月11日):{ 榴弾が落ちた。福昌飯店の前と後ろだ。12人の死者とおよそ12人の負傷者(略)さらにもう一発、榴弾(こんどは中学校)。死者13人。}

「流れ弾による破壊は実にわずかであった」。そう、明記するのは、ほかならぬラーベの署名する国際委員会9号文書である。市民が流れ弾で死んだのであればこのように言えなかったから、ラーベの言う死者とは兵士のことなのである。肝心要のことが省略されていた。

反論

9号文書には次のように記されており、日記とは異なる目的で流れ弾の被害を述べている。

{ そこ【安全区】では流れ弾の砲弾による被害は殆どなかったし、… 日常生活を平穏裡に続けさせる舞台は貴方達のためにしっかりとでき上がっていた。… この時本市に滞在していた西洋人27人全てと中国人住民は14日、貴国兵士達が到るところで行った強盗、強奪、殺人の横行に全く驚かされたのであった。}(「安全地帯の記録」,P157-P158)

9号文書が言いたいのは、「流れ弾による損害は少なく、日本軍の暴行さえなければ平穏な日常生活を継続することができた」ということであり、死傷者が市民かどうかは問題にしていない。この文章から“死者は兵士”と断定するのは論理の飛躍である。

(4) 指摘その3; 過度に脚色されたラーベの日記の矛盾!

東中野氏の主張(「徹底検証」,P386-P388を要約)

ラーベの日記(12月13日):{ 我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでしまう。上海路へと曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。…}

「たくさんの市民の死体が転がっていた」とあるが、支那軍正規兵は敗戦の際は軍服を脱ぎ捨て平服を纏っていた上、逃げようとする友軍兵士を督戦隊が背後から撃っていた。また、市民のほぼすべては安全区内にいたと言っているので、中山北路と上海路の交差する戦場に市民がいるはずはなかった。死体は撃たれて死んだ兵士の死体だった。

反論

メインストリート(中山北路)から右折して上海路に入ったところは難民がたくさんいる安全区の中である(図表6.13参照)。東中野氏は何か勘違いしているのではないか。

(5) 指摘その4; ラーベ自身の露骨な改竄!

東中野氏の主張(「徹底検証」,P386-P388を要約)

ラーベの日記(12月13日):{ … 上海路へと曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。ふと前方を見ると、ちょうど日本軍がむこうからやってくるところだった。なかにドイツ語を話す軍医がいて我々に日本人司令官は、2日後に来るといった。… }

ヒトラー宛上申書:{ 自転車に乗った日本軍の前哨によれば、総司令官は3日たたないと到着しないということでした。中国の民間人の死体がそこここにありました。いくつか調べてみたところ、至近距離から背中を撃たれているのがわかりました。たぶん逃げようとするところだったのでしょう。}

日記では、日本人司令官は2日後に来ると軍医が言っているのに、上申書では自転車に乗った前哨が3日後になる、と食い違っている。また、至近距離から背中を撃たれている、は日記には書かれていない。これはラーベ自身による露骨な改竄、即ち拡大宣伝であった。

反論

6.2.3項で紹介した“ゆう”氏は、ラーベに同行したスマイスの手紙などとも照合して12月13日の行動を調査している。詳細はこちらを参照
ここでは“ゆう”氏の調査を参考にして、日本軍に出会うまでのラーベらの動きを地図(図表6.13)にしるした。①~④は図表6.13の同じ番号に対応する。

①12月13日昼前後、日本軍が進出した、との情報を受けて、ラーベ、スマイスらは日本軍と接触を持とうと、メインストリート(中山北路)から上海路経由で出発した。

②「神学校」(おそらく、「金陵女子神学院」)付近で、20体程度の市民の死体があることを発見した。ラーベとは別行動をしていたフィッチがこの殺害を目撃しており、「日本軍部隊の出現に驚き、逃げようとする難民20人を殺した」(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P30 <戦争とは何か>)

③安全区の南の境である漢中路に達した時、「自転車に乗った日本兵」に出会った。その日本兵から、新街口(漢中路と中山路の交差点)に将校がいる、と言われた。

④新街口に近い漢中路の南側(安全区と反対側)に100名ほどの日本人部隊がいた。そこで将校(隊長)に対して「安全区」のことを説明した。

図表6.13 12月13日のラーベらの動き

12月13日のラーベらの動き

日記と上申書の違いは上記経緯を知れば容易に説明できる。総司令官の来るのが2日後と3日後に別れているのは前者が新街口で会った軍医から聞いたもので後者は「自転車に乗った日本兵」から聞いたもの、「至近距離から背中を撃たれて」はフィッチの情報であろう。

日記はプライベートな記録だが、上申書は南京の惨状を訴求するための文書だから、内容や表現に差が出るのは当然である。

(6) 指摘その5; 目撃してもいない作り話がヒットラーへの上申書に!

東中野氏の主張(「徹底検証」,P388-P389を要約)

次のようなことは日記には書いていないのにヒットラーの上申書には書いてある。これを一般に捏造と言うのではあるまいか、と得意げにいうが …。

① 元兵士の疑いをかけられ(略)何千人もの人が、機関銃あるいは手榴弾で殺されました。

② ガソリンをかけられ、生きながら火をつけられた。

③ 下は8歳から上は70歳を越える女性が暴行され(略)局部にビール瓶や竹が突刺されている女性の死体もありました。これらの犠牲者を私はこの目で見た。

④ 住民の半数がペストにかかって死んだのではないでしょうか。

反論

①~③は、日記にも同様のことが書かれている。④は住民が健康だったのは何よりだった、と言ってるだけのこと。

① 12月16日の日記に次のような記述がある。同様の兵士連行は12月13日、12月15日にも記されている。{ 武装解除した中国人兵士がまた数百人、安全区から連れ出されたという。… いたるところで処刑が行われている。}(「南京の真実」,P136-P137)

② 2月7日{ … 犠牲者は一様に針金で手をしばられていて、機関銃で撃たれていた。それから、ガソリンをかけられ火をつけられた。}(「南京の真実」,P269)

③ 2月3日{ 局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を越えた人でさえ、なんども暴行されているのだ。}(「南京の真実」,P254)

④ 東中野氏は何を考えているのかわからないが、住民はペストで死んでいない。{ 健康状態はともかくまずまずでした。この点に関しては、なによりまず、南京が比較的寒かったおかげです。そうでなければ、住民の半数がペストにかかって死んだのではないでしょうか。}(「南京の真実」,P345-P346<ヒットラーへの上申書>)

(7) ラーベの日記の問題点

日本で発刊されているラーベの日記は、平野卿子訳:「南京の真実」(講談社/講談社文庫)であるが、この本については誤訳など、多くの批判がある。以下、大阪府立大学の永田喜嗣氏の論文「ジョン・ラーベ『南京の真実』試論」(人間社会学研究集録7(2012年2月刊行)から、問題点などを要約する。

ラーベの日記の系譜

図表6.14は永田氏の論文をもとにしてラーベの日記の系譜を図解したものである。ラーベは持ち帰った日記や資料から「南京空爆」を編集し、それをもとにラーベ家に滞在した経験があり外交官で歴史家のエルヴィン・ヴィッケルトにより編集された版をもとにして出版されているものが多いが、中国語版「拉貝日記」だけがオリジナルの「南京空爆」を翻訳している。

 図表6.14 ラーベの日記の系譜

ラーベの日記の系譜

訳語の適切さの問題

・ドイツ語; Der Generalissimo hat dem Komitee 100000 Dollar zur Verfügung gestellt.

・英語; The generalissimo has placed 100,000 dollars at the committee’s disposal.

・中国語; 最高統帥向委員会提供了10万元経費

・日本語; 蒋介石は委員会に10万ドルの寄付を申し出た。

{ 原文の主語は「Der Generalissimo」で、「大元帥」,「大総帥」,「総統」などを意味する言葉だが、国民党の総統を意味しているものだと分かる。英語版、中国語版も原文に倣った表現に訳している。しかし、日本語版のように主語を「蒋介石」としてしまうと、蒋介石、個人の行為のようにも理解できてしまう。}(上記論文,P228-P229 要約)

原版→編集→翻訳による弊害

・ドイツ語; Um 10 Uhr früh erhalten wir den Besuch des Marineleutnants Sekiguchi. Wir geben ihm Kopien unserer Briefe an den Oberkomamndierenden der japanischen Armee

・英語; At 10 a..m. we are paid a visit by naval Lieutenant Sekiguchi. We give him copies of the letters we have sent to the commanders of japanese army.

・中国語; 上午10 点,日本海军少尉关口来访,他向我们转达了海军“势多”号炮舰舰长和舰队军官的问候。我们把致日本军最高司令官的信函副本交给了他。

・日本語; 朝の十時、関口鉱造少尉来訪。少尉に日本軍最高司令官にあてた手紙の写しを渡す。

{ 原文をそのまま訳したと思われる中国語版を日本語に訳すと、「朝の十時、関口海軍少尉の来訪を受ける。少尉は我々に砲艦"勢多"艦長および艦の士官からの挨拶状を渡した、我々は少尉に日本陸軍最高司令官へ送った手紙の写しを渡した」となり、日本語訳では、「挨拶状を渡した」という訪問理由がなくなっている。これはドイツ語版、英語版にもないので、ヴィッケルト版で落ちているのであろう。また、「関口海軍少尉」が「関口鉱造少尉」となっているが、関口氏が海軍士官であることがわからなくなり、原文にはない「鉱造」が追加されてしまっている。}(上記論文,P229-P230 要約)

永田氏のまとめ

{ ラーベ日記は超一級資料であることは間違いない。… しかし、本論で見てきたとおり、日本で出版された『南京の真実』はあまりにも貧弱で問題も多い。おそらく"論争攻防戦"の道具には成りえなかったばかりか、逆にその欠陥部分が無駄な論争の火種を撒いたりさえする。ジョン・ラーベの日記は本来、史料として残したものではなく、個人の日記であった。南京攻略前夜から陥落、日本軍の占領まで、その場で起こったことを目の当たりにしてきた一人の人間の赤裸々な記録である。…
「南京大屠殺史料集」等の中国側翻訳史料出版物の翻訳の的確さと慎重さは評価に値するものであることも確認できた。日本での南京事件論争という内戦を一日も早く終結させ、加害国としての研究を被害国中国と変わらぬ高度な研究の成果として纏め後世に残すことが肝要であると思う。… }(上記論文,P233)

<筆者補足> 残念ながら、前述の東中野氏の指摘は永田氏が懸念するレベルのものではない。


6.4.1項の註釈

註641-1 東中野氏が指摘するラーベの日記の不審点

「南京虐殺の徹底検証」の付章「改めて"ラーベ日記"を読む」の15段落の内容は次の通りである。東中野氏は持論に都合の良い部分は、「事実を記載している」が、そうでない部分は、「過度に脚色、事実を不記載、流言蜚語を事実と誤認、のいずれかであろう」と述べる。いずれも明確な根拠がないなど、論理的説得力に欠ける主張である。詳しくは、各項を参照願いたい。

図表6.15 東中野氏によるラーベの日記の検証

東中野氏によるラーベの日記の検証