日本の歴史認識南京事件 > 6.2.2 国際連盟や米・英も問題にしていない!?

6.2.2 国際連盟や米・英も問題にしていない!?

(再掲)図表6.6 東京裁判まで誰も問題にしなかった!?

東京裁判まで誰も問題にしなかった!?

(1) 否定派の主張

田中氏は、第11と第12の論拠で次のように主張する。(以下、「南京事件の総括」,P90-P95を要約)

「国際連盟も議題にせず」(第11の論拠)

1937年8月13日※1から国際連盟第18回総会が開かれ、支那は北支事変※2を提訴した。つづいてブラッセル会議が開かれ、「日本に抗議する対日宣言文」や「日本の空爆を非難する案」が採択される。

このように当時支那は日本の軍事行動をいちいち提訴し、国際連盟は支那の言い分をうけいれて日本への非難決議をそのたびに行っている。翌年1月26日から第100回国際連盟理事会が開かれ「支那を支援する決議案」が可決された。

もし、南京アトロシティがあったならば、当然この会議にかけられ、日本非難の決議となったにちがいない。しかるに支那代表顧維鈞によるその提訴すらなかった、としたあと、<編注>として { 第100回理事会で顧維均中国代表は、採択を前にして「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行があった」と演説し、国際連盟の「行動を要求」したが、… 採択されなかった。}※3(P93)と述べている。

※1 8月13日は9月13日の誤り。( 註622-1 )

※2 日本政府は9月2日に「北支事変」の呼称を「支那事変」に変更している。( 註622-1 )

※3 顧維鈞が提訴したのは南京事件の非難決議でなく、日本への制裁であった。それを要求する演説で南京での虐殺や暴行に触れた、要求した行動(=制裁)は採択されなかった。( 註622-2 )

5月9日から開かれた第101回国際連盟理事会で、支那は日本軍の空爆と山東戦線での毒ガス使用を非難する提案註622-3を行い、可決された。すなわち、日本軍の南京空爆の非難や毒ガス使用の非難決議はあっても“南京虐殺”の非難提訴はなかったのである。

「米・英・仏等からの抗議もなし」(第12の論拠)

1938年1月以降、中国の日本に対する非難や抗議が続き、王寵恵(おうちょうけい)外交部長声明、蒋介石声明、国民政府声明、… など日本に対する抗議的主張が行われた。しかし、それらの抗議の中に南京事件に関する抗議はまったくない。

中国に多くの権益を持つ米、英、仏等から個別にさまざまな抗議が寄せられ、日本側もその都度謝罪したり、弁償したりしている。しかし、これら3国が共同で抗議したのは、1937年9月22日に行われた南京空爆への抗議だけである。日本軍の空爆、砲撃による南京市民の死者は僅か600人で、そのような被害に対しても抗議しているのに、いわゆる南京アトロシティについては一言半句の抗議もしていない。これは、そのような事件はなかった、なかったから抗議のしようもないわけである。

※なぜか、第11の論拠では「支那」、第12では「中国」を使っている。

(2) 史実派の反論    「13のウソ」,P44-P51を要約

国際連盟や英米などは、9月に都市爆撃の非難、10月に九ケ国条約や不戦条約に違反しているという決議、11月には中国侵略への非難、などを行った。南京事件という一つの不法事件よりもっと根本的な中国侵略そのものが連盟総会で激しく非難されたことを問題にすることもなく、非難決議に南京虐殺の一行がないと得意然としていう、田中氏の国際感覚のお粗末さには、慄然とする。

1938年前半の欧州は、ドイツがオーストリア併合を行うなど、まさに欧州大戦が今にも勃発しそうな情勢に直面していた。そうした状況において、顧維均代表は国民政府が消滅させられる危機的状態から脱するために、列強からの中国援助と対日経済制裁をいかに引き出すかという国運をかけた大きな問題に忙殺されていたのである。

アメリカの国立公文書館の国務省文書の中には、当時の南京大使館から送信されてきた南京事件に関する膨大な資料が保存されている。「当時の駐日アメリカ大使グルーは南京大虐殺全体に対して日本政府に抗議していない」という否定派がいるが、グルーは南京で日本軍が行なった強姦、殺人、略奪などを文書に記録しており、アリソン事件やアメリカ人財産の掠奪、破壊について強く抗議している。日本政府と外交関係を険悪化させてまで南京事件そのものに全体的に抗議をするのは、グルーの職権を逸脱していた。

(3) 各国からの非難等

田中氏の記述には誤りや不明瞭な点があるので、氏がふれていない事象を含めて以下に整理する。

・1937年9月 国際連盟第18回総会; 9月28日に「都市爆撃に対する対日非難決議」を全会一致で可決、10月6日、日本の軍事行動が九か国条約と不戦条約に違反していると判定し、「中国を道義的に支援する」ことを採択。

・1937年10月 米ルーズベルト大統領の「隔離演説」; 日本やドイツを疫病患者にたとえ、平和を守るためにはそれらの「患者を隔離」しなければならないと訴えたが、当時は孤立主義が主流だった米国世論の反発をかった。

・1937年11月 ブリュッセル会議(九か国条約会議); 日本の中国侵略を国際法違反であるとして非難、警告する宣言を採択。

・1937年12月 パナイ号事件でアメリカが日本に抗議; 日本が陳謝し、賠償金を支払うことで決着。

・1938年1月 国際連盟第100回理事会; 中国代表の顧維均が侵略の現状を述べ、日本への経済制裁などを要求したが、第18回総会の「道義的支援決議」を再確認しただけだった。

・1938年1月 アリソン事件でアメリカが日本に抗議; 日本が陳謝し、犯人を処罰した。

・1938年5月 国際連盟第101回理事会; 顧維均は中国への武器・資金の支援などを要請したが、毒ガス使用を非難する決議を採択して終わった。

(4) まとめ

田中氏の指摘どおり、米英中は日本の中国侵略については非難したが、南京事件を公式に非難することはなかった。当時の各国の事情は次のようであり、実質的な効果を期待できない抗議や非難の優先順位は下げざるをえなかったのだろう。また、南京は日本軍が占領しており、事件の詳細や全貌が把握できなかったことも影響しているとみられる。

・中国; ひん死の状態にあった中国が求めたのは、自国への物資や資金の援助と日本の制裁であったが、いずれも認められず非難決議だけで終っている。公式の非難はないが、蒋介石の声明や国民党機関紙などで日本軍の暴虐行為を非難している。(6.2.3項(2)(3)参照)

・アメリカ; 37年当時、アメリカはまだ孤立主義(他国への不干渉主義)の世論が強く、ルーズベルトの隔離演説にも多くの批判が寄せられた。

・イギリス; 欧州ではドイツの不穏な動きが活発化していた。また、イギリスには親日派と反日派の対立があり、日本への対応方針が揺れていた。

犠牲者の規模や事件の全貌は掴めていないものの南京で日本軍の暴虐行為があったことを各国政府は知っており、公式な抗議や非難がないからといって、事件がなかった、ということにはならない。


6.2.2項の註釈

註622-1 田中正明氏の史実認識誤り

「13のウソ」によれば、田中氏は次のような誤りを犯している。

註622-2 第100回国際連盟理事会の議事

田中氏は、<編注>で{ 採択を前にして「南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行があった」と演説し、国際連盟の“行動を要求”した … }と、あたかも南京事件を非難する"行動"を要求したかのような書き方をしているが、顧維均が要求した"行動"は、日本への経済制裁であった。しかし、理事会が決議したのは第18回で採択した道義的支援に対して「もっとも深甚な注意を払う」ことを決議しただけだった。第100回理事会の議事録(顧維均の演説を含む)は ここを参照

註622-3 第101回国際連盟理事会における中国の提案

伊香俊哉氏によれば、第101回理事会で中国が提案したのは、中国への支援と毒ガス使用の非難であり、空爆への非難は提案していない。

{ … 翌(5月)11日、顧維鈞はハリファックスに対して、中国支援の措置として、1.中国の領土防衛における努力を理事会が承認すること、2.中国への貿易と輸送手段の維持を理事会が連盟国に勧告すること、3.中国を武器・資金の供与により支援することを理事会が勧告すること、4.日本の毒ガス使用に対して理事会が厳重な注意を払うこと、という内容を示した。イギリスは結局、第1、第4点を認めることとし、理事会が5月14日に採択した決議は、中国が日本の侵入により脅威されたその独立及領土保全の維持のために行っている果敢な努力に同情を表した上で、毒ガスの使用は「国際法上非議」された戦争手段であり、もしこれを実施するならば文明諸国の排斥を受けるであろうと日本の毒ガス使用の疑いに警告を与えた。}(伊香俊哉:「日中戦争と国際連盟の安全保障機能 1937-1938」,自然人間社会 28, 51-89, 2000-01-31,P75-P76)

※ハリファックス: 当時のイギリス外相