日本の歴史認識南京事件 > 6.2.1 世界で報道されていない!?

6.2 東京裁判がねつ造?

南京事件は東京裁判まで日本人も知らず、米英中も問題にしていなかった。東京裁判で日本の悪逆非道ぶりを示すために、ドイツのホロコーストと並ぶ残虐事件として、伝聞証拠ばかりをかき集めて「南京大虐殺」を連合国が捏造したものである、と否定派は主張する。

証拠の信憑性については6.3節で述べるが、ここでは、誰も知らなかった、問題にもしなかった、という否定派の主張について検討する。

図表6.6 東京裁判まで誰も問題にしなかった!?

東京裁判まで誰も問題にしなかった!?

6.2.1 世界でほとんど報道されていない!?

(1) 否定派の主張

田中正明氏は「南京事件の総括」で、第13の論拠として「米英のマスコミ殆んど取り上げず」のタイトルのもと次のように主張する。(以下、「南京事件の総括」,P96-P105を要約)

まず、次の2つ以外は大事件として取り上げていないと言う。一つは、マンチェスター・ガーディアン紙のティンパリー記者の著書「戦争とは何か」であるが、この本は伝聞によるもので信頼できない、と述べている。これについては6.3節で述べる。もうひとつはニューヨーク・タイムズのダーディン記者のレポートである。このレポートは、1937年12月18日と翌年1月9日の同紙に掲載された長文で、日本軍の暴虐に対する非難もあるが、3分の2以上は中国軍による「焼き払いの狂宴」や敗残兵の難民区への潜入などであり、中国軍への非難が主になっている、と言う。

つづいて、その他の報道について以下のように述べる。

①ニューヨーク・タイムズ; トップをにぎわしたのはパネー※1号事件で、ダーディン記者のレポートは大ニュースではない。南京虐殺がトップ記事になったことも、社説にとりあげられたこともない。小さな記事は12月から1月にかけて10回あるが、大量殺害記事など皆無である。

②シカゴ・デイリー・ニューズ; 「中国兵退却時の混乱と日本兵侵入時のパニック状態」を報道しており、どっちもどっちといったとらえ方である。

③ロンドン・タイムズ※2; パネー※1号事件は報道しているが、大量殺害も虐殺事件もない。

④サンデー・エキスプレス; 日本に関する報道は、パネー※1号事件、日本の外交方針、アリソン殴打事件だけで、南京事件の報道はない。

⑤タイム; 南京に触れた記事は3回あるが、いずれも他新聞の記事のダイジェストのようなもので、大虐殺があったとか、日本軍の非人道性を非難するような論説も解説もない。

※1 パネー(Panay)号 … パナイ号とも呼ぶ

※2 「ロンドン・タイムズ」は通称で正式名称は「タイムズ」

そして最後にこうしめくくる。

{ 「当時ナンキン・アトロシティとして海外に大センセイションをまき起こし諸外国から非難をあびた … 」というようなことはないのである。}

(2) 史実派の反論

笠原十九司氏は「13のウソ」で次のように述べる。

{ 南京事件が当時世界で報道されなかったというウソは、旧内務省警保局「出版警察報」( … )を見るだけで見破れる。同書には戦時中、言論・出版の弾圧と統制を仕事にした当局が、南京事件を報道した外国の新聞・雑誌を検閲して発売禁止処分にしたリストが記録されている。つまり、日本当局は、世界の南京事件報道を検閲して税関段階でシャットアウトし、日本国民には見せないようにしていたのである。}(P41)

{ アメリカでは、事件初期に南京で取材していた「ニューヨーク・タイムズ」のF.T.ダーディン、「シカゴ・デイリー・ニューズ」のA.T.スティールの両記者の報道をはじめ、南京事件が多くの新聞・雑誌に報道されていた。また南京安全区国際委員会のジョン・マギー牧師が虐殺の現場を撮影したフィルムを友人のジョージ・フィッチ牧師が密かに持ち出して、アメリカに渡り、政府高官の前をはじめ各地で上映、報告して回っていた。}(P42)

{ 南京事件と同時に同域で日本の海軍機がアメリカ砲艦パナイ号( … )を撃沈するパナイ号事件が発生し、前者はアメリカ国民に日本軍の侵略性、残虐性を印象づけ、後者は日本軍がアメリカに不意打ちの敵対行動をとったという怒りを呼び起こし、両者あいまって対日抗議の日本製品ボイコット運動が展開された。}(P42-P43)

(3) 現場からの報道

陥落後に城内に残っていた外国人ジャーナリストは次の5人である。ダーディン(NYタイムズ)、スティール(シカゴ・デイリー・ニューズ)、スミス(ロイター通信)、マクダニエル(AP通信)、メンケン(パラマウント映画)。この5人は12月15日にアメリカの砲艦オアフ号にのって南京を離れ註621-1、上海に移動している。また、ロンドン・タイムズのマクドナルド記者は、パナイ号に乗っていて撃沈され、上海に戻る途中で15日、南京に寄っている。したがって、これらの記者たちが見たのは、6~7週間続いたという南京事件の最初の2~3日でしかなく、事件の全貌は見えていない段階での報道である。

12月16日以降、南京に外国人ジャーナリストはいなくなり、在留した外国人に対しても報道規制が行われるようになった註621-2ため、南京事件に関する報道は限定的になる。

(4) ダーディンは中国軍を非難?

田中氏はダーディンの書いた2つのレポートは、3分の2以上が中国軍を非難するような内容だ、と述べているが、それは誤りである。

まず、12月18日のレポートの見出しは「捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う」となっている(5.1.1項(4)に記事の一部あり)。本文は約4800字、うち約半分が日本軍の虐殺、掠奪、強姦などについて書かれており、中国軍を非難している部分は全体の30%くらいである。

次に1月9日のレポートの見出しは、「中国軍司令部の逃走した南京で日本軍虐殺行為」となっており、1万3千字を越える長大な記事である。南京攻防戦の経緯を詳しく述べた後、日本軍による暴虐行為や安全区国際委員会の活動などを記している。中国軍を非難している部分は「焼き払いの狂宴」の段落を含めて全体の約20%、日本軍の暴虐ぶりを書いた部分もそれとほぼ同じ分量である。

ダーディンは、自分が南京で見たことをできるだけ客観的に記事にしようとしているようで、中国を非難することに多くを費やしているわけではない。

※「南京事件資料集Ⅰ」に掲載されている日本語への訳文の文字数

(5) その他紙誌の報道

田中氏が取り上げた新聞雑誌のうち次の3紙誌の記事は5.1.1項に掲載したが、田中氏の主張には一部誤りもあるし、どれも読者が南京事件を知るのに十分な内容である。

シカゴ・デイリー・ニューズ

記事の内容はダーディン記者の記事とほぼ同じで、中国軍を非難する記事もあるが、ダーディン以上に日本軍の暴虐行為に関する記述が多い。{ 日本軍の略奪はすさまじく、それに先立つ中国軍の略奪はまるで日曜学校のピクニック程度のものであった。}(「南京事件資料集Ⅰ」,P467) この文章が象徴するように、「どっちもどっち」などという記事ではない。

ロンドン・タイムズ

田中氏は、大量殺害や虐殺にふれていないと述べるが、見出しには「勝者の蛮行」、「看護婦からの強奪」などと書かれており、{ 兵士だったと思われる若者や多数の警官が一堂に集められて処刑された。}(同上,P504-P505) というのはどうみても「大量殺害」である。

タイム

スティール記者の記事を引用しているが、敗残兵狩りを野兎狩りにたとえたり、{ 「日本軍にとってこれが戦争というものであろうが、私の目には殺人としか映らなかった」}(同上,P543) など、「虐殺」を訴求している。

(6) 欧米での報道状況

図表6.7は「南京事件資料集Ⅰ」に掲載されている米英関連の新聞雑誌記事86件のうち、日本軍の暴虐行為に関する記事31件について記事の量と掲載日を新聞・雑誌ごとに整理したものである。半分の16回は新聞紙面にして4分の1以上を占める大きな記事になっている。(5.1.1項に一部の新聞の記事あり)

「南京事件資料集Ⅰ」の掲載記事は、全世界の新聞雑誌から網羅的に収集したものでなく、期間も37年9月頃から38年5月頃までである。ロイター、APなどの記事を掲載した新聞雑誌は他にもあるだろうし、38年夏以降東京裁判までの間に特集記事などでとり上げられたものもあろう。

図表6.7 南京事件に関する新聞・雑誌記事(米英関係)

新聞・雑誌記事(米英関係)

注) 「南京事件資料集Ⅰ」に掲載された記事のうち、日本軍の暴虐行為に関連した記事。

※1 記事量 「南京事件資料集Ⅰ」の日本語訳文の文字数から次の基準で分類
大:本文の文字数が約1600字以上のもの(現在の日本の新聞で紙面の1/4以上)
中: 同 約600字以上1600字以内
小: 同 約600字以内(現在の日本の新聞で2~3段×20行程度の記事)

※2 「世界日報」: サンフランシスコで発行されていた華僑の新聞

(7) 中国での報道状況

田中氏は中国での報道にふれていないが、中国でも南京事件は報道されている。大公報註621-3は陥落直後の南京市内の状況を把握できず、英米系の新聞報道ではじめて暴虐行為を知って、12月25日に大きな記事にする。それ以降は、ほとんど連日のように「日本軍の蛮行」を報じ、3回の社説で日本軍を非難している。

また、南京から帰還した人たちの体験談が、新聞雑誌などに掲載されている。ほかに、徐淑希の「南京安全区档案」(1939年)や「日本人の戦争行為」(1938年)などが出版され、1938年1月(又は12月下旬?)には陥落時に南京にいたロイターのスミス記者による講演註621-4も行なわれた。

図表6.8 南京事件に関する新聞・雑誌記事(中国関係)

新聞・雑誌記事(中国関係)

(注) チャイナ・プレスとノースチャイナ・デイリー・ニューズは「南京戦史資料集」、他は「南京事件資料集Ⅱ」に掲載されている記事のうち、日本軍の暴虐行為に関連した記事。

※1 記事量は図表6.7と同じ

※2 日付が太字&下線は社説

(8) まとめ

田中氏は、南京事件を取上げている新聞・雑誌・著作などを、伝聞によるもので信用できない、主題は中国軍の非難である、大量殺害や虐殺事件はのっていない、社説も日本を非難する記事もない、他紙の焼き直し、などと指摘している。既に述べたようにこうした指摘の多くは事実と異なるが、仮に正しいとしてもそれらは読者が南京事件を知ることに何ら障害となるものではない。

田中氏のあげた新聞雑誌はいずれも販売部数の多いもので、それだけでもかなりの読者がいると思われるが、それ以外にも筆者が「南京事件資料集」などで調べただけで、世界の新聞雑誌19紙誌がのべ59回にわたって記事を掲載している。他にも南京事件を扱った新聞雑誌はあるだろうし、著作や講演なども行われている。世界中の少なからぬ人たちが南京事件を知っていたことは間違いない。


6.2.1項の註釈

註621-1 ダーディンが南京を離れた理由

{ ―― ところで、あなたが南京を離れなければならなかった理由は。
南京を離れたのは南京からニュースを送る手立てがなかったからです。すでに南京攻略戦も終わったわけですから、それ以上南京に留まる理由がなかったのです。…
―― 日本軍から圧力のようなものはありませんでしたか。
私が南京を離れる時は、日本軍部の圧力はありませんでした。ジャーナリストはニュースが記事にならないことには仕様がありません。とにかく、私の特種記事を送信する無線が必要だったのです。 それでも、もしそこに留まってさらに取材を続けた場合、じゃまだてがあったかもしれません。日本軍は、南京でおきている虐殺行為を世界に知られないようにせねばと気づき始めていました。私は日本軍の圧力なしに南京を離れましたが、もし留まっていたなら、そうしたことがおこったかもしれません。 }(「南京事件資料集Ⅰ」,P561 <F.T.ダーディンからの聞き書き>)

註621-2 外国人に対する報道規制

当時、南京では外国人に対しても厳しい検閲が行われていた。それを裏付ける証言がある。

(a) ティンパレーは「戦争とは何か」の序文で次のように述べている

{ 昨年12月南京を占領した日本軍が中国市民に対して行った暴行を報ずる電報が、上海電報局の日本側電報検閲官にさしおさえられるという事実がなかったならば、おそらくこの本が書かれることはなかったであろう。こうして削除され、あるいは不完全なものになった電文の中には、著者がマンチェスター・ガーディアン紙に打電しようとした電報がいくつかはいっていた。}(「大残虐事件資料集Ⅱ」,P20)

(b) ラーベは帰国が決まったあとの2月10日の日記に次のように書いている

{ 昨日の夕方、福井氏が訪ねてきた。昨日、日本大使館に会いにいったのだが、会えなかったのだ。なんと、氏は脅しをかけてきた。「よろしいですか、もし上海で新聞記者に不適切な発言をなさると、日本軍を敵にまわすことになりますよ」 … 「それならばどう言えばいいんですか?」私が聞くと福井氏は言った。「ラーベさんの良識に任せます」 「つまり、報道陣にこう言えばいいんですね。南京の状況は日に日によくなっています。ですから、日本軍兵士の恥ずべき残酷な行為についてこれ以上報道しないでください。そんなことをすると、日本人と我々の不協和音をますます大きくしてしまうだけですから、と」 すると非常に満足そうな答えが返ってきた。「それでけっこうです!」 … }(「南京の真実」,P274-P275)

※福井氏: 日本大使館の福井淳総領事代理

註621-3 大公報 … 註511-1と同じ

{ 大公報は、1902年に天津で創刊された新聞で、南京国民政府成立後は、基本的には国民政府を支持する立場をとりながらも、不偏不党の看板をかかげて、ブルジョアジー、小ブルジョアジー、知識人の支持を受けた。 … 日本軍の圧迫を避けるために1935年末に上海に支社を開設して上海版を発行しはじめ、日中全面戦争勃発後は、漢口で、ついて重慶で発行をつづけた。本書に収録した記事は漢口で発行されていたときのものである。} (「南京事件資料集Ⅱ」,P6)

註621-4 ロイター スミス記者の講演

講演が行われた場所や日時は不明だが、1938年1月6日付のドイツの駐華大使トラウトマンから、ドイツ外務省(ベルリン)宛ての文書に次のように書かれている。

{ ドイツ通信社の代表から入手した、南京陥落前後に生起した出来事に関する、ロイターの南京通信員スミス氏の報告の抜粋を同封する。この報告によると、当地で一大センセーションとなった日本軍部隊のふるまいに関する報道は、誇張されたものではないようだ。}(「ドイツ外交官の見た南京事件」,P43)