日本の歴史認識南京事件 > 4.6.2 冨澤データベースの批判

4.6.2 冨澤データベースの批判

(再掲)図表4.6 国際委員会が報告した事例の分析

国際委員会の事例分析

冨澤氏は、「南京安全地帯の記録 完訳と研究」の研究編で事例の統計的分析を行っているが、その分析はずさんなもので、もしこれが企業の企画書や学生の論文だったとしたら、不合格になるようなレベルのものである。

データベース(DB)分析を行うときには、分析結果を評価できるように、対象データの範囲や自然言語で記述された情報をディジタル化する基準などを明記するが、冨澤氏はそのような説明をほとんどしていない。こうした分野の経験がほとんどないのかもしれない。

(1) 対象データの範囲の問題

国際委員会が報告した事例は、複数の文書に分れて保存されているが、そのうちどれを分析対象とするか、それはなぜか、がまったく示されていない。分析データを見て、「南京安全区档案」の事例リストに掲載されている398件(4.6.1項(1)の①)だけを対象にしているようだ、と推定はできるが、他の史料に掲載されている事例をなぜ無視したのか、説明すべきである。

「公式文書」である「南京安全区档案」に掲載のものだけに絞ったと思われるが、だとしても、「…档案」の本文中に記載されている事例は分析に含めるべきである。本文には国際委員会が重要と認識したであろう事例が掲載されており、兵民分離に伴う漢中門での殺害などが含まれるのである。データの範囲を絞り込んだ理由を明示しないと意図的に対象データを減らしたのではないか、と疑われても文句はいえない。

(2) 冨澤DBと筆者DBの比較

冨澤氏の分析結果と筆者の結果を比較したのが図表4.13である。範囲Aは、冨澤氏が対象にした範囲で筆者が分析した結果との差を比較した。冨澤氏は1938/1/9以前に報告された事例を第1部、それ以降を第2部として分けて分析しているので、それにしたがっている。
範囲Bは 図表4.7 と同じで、国際委員会が記録したすべてのデータを対象としている。また、範囲Bには図表4.7の「可能性あり」(殺害や強姦の可能性が高い)と「要求」("女性を出せ"という要求)も犯罪件数に含めているが、範囲Aでは冨澤DB、筆者DBともに含めていない。

図表4.13 冨澤DBと筆者DBの比較
冨澤DBと筆者DBの比較

(注)冨澤DBは"事例"を犯罪ごとに"事件"に分けていると思われるので、犯罪件数=事件数になるが、筆者DBは4.6.1(1)に示した方法で分けているので、ひとつの事件に複数の犯罪が含まれることがある。

(3) 事例→事件・犯罪への展開がずさん

ほぼ同じ条件で分析した範囲Aの冨澤DBと筆者DBの差異をみてみよう。第1部の犯罪件数は両者に大きな差はないが、第2部は強姦、掠奪、傷害、その他の件数の変動が大きい。その理由は冨澤DBには次のような処理があるためと思われる。(それぞれの事例は註462-1を参照)

このような差異が発生するのは、「…档案」に記載された事例を犯罪ごとに分割して"事件"としていることが大きく影響しているとみられる。たとえば、「強姦してから殺害した」という事件は、冨澤DBでは強姦という事件と殺人という事件の2つに分割される。そのため、事件数が実態より増えたり、逆に登録すべき犯罪が漏れたり、複数の犯罪の関連が見えにくくなったりする。こういう分割方法はDB処理が簡単になる(ように思える)ので、素人がよくやる方法であるが、できるだけリアルの世界のモデルに近づけてDB化すべきである。また、分割の基準が明示されていないので、人や気分が変わると分割方法が変ってしまう。1部を分割した人と2部を分割した人は別の人かもしれない。

ちなみに、筆者は、事件を犯人、被害者、日時などの差異を基準に区分けし、一つの事件には複数の犯罪が存在することを前提に分析している。

(4) ディジタル化するときの問題

自然言語で書かれている情報はあいまいさを含んでいるので、ディジタル化するときは、その変換ルール(例えば、"夜"は何時から何時までとするのか)を明確にし、分析の前提として記述しなければならないが、冨澤DBはまったくなされていない。事例から事件/犯罪への展開はその典型だが、他にも以下のような不備がある。

①目撃者は外国人だけを有効にして、中国人の目撃者がいるのに"目撃者なし"にしている。
→冨澤氏は目撃者のいる事件は1部2部あわせて30件しかない、というが、筆者の調査では外国人の目撃者がいる事件は44件、中国人の目撃者がいるのは25件ある。事例報告には目撃者名を記入する欄があって記入を義務づけているわけではないので、目撃者を報告するかどうかは報告者に依存する。この事例データから目撃者の多寡を評価すること事態が無意味なのである。

②事件発生場所が特定できないのに、安全地帯内又は外にしている。
→発生場所が明記されていない事件が30件ほどある。

③"夜"の定義が不明で、夕方と書いてあるものも夜になり、時刻が明示されていなくても夜になっているものがある。また、日付不明も夜としているが、夜にしていない日付不明の事例もある。
→冨澤氏は、夜の事件は中国人のしわざで、124件あるというが、夜を19:00~5:59として数えると、夜と判断できる事件は66件しかない。

冨澤氏は、事例リストの記述は杜撰だ、と再三にわたって非難しているが、ご自身の分析方法もかなり杜撰であることを知るべきである。

(5) 事件らしい事件は97件しかない!?

冨澤氏は刑事事件の立件に堪えられる"事件らしい事件"の条件として、①文責者(事例の報告者)が記入されている、②人的事件では被害者名、それ以外の事件では被害場所が明記されていること、の2つの条件をあげ、これを満足する事件は517件中、97件しかない、という。97件のうち、掠奪が51件、殺人は2件、強姦は6件である。そして、こう言い切る。

{ これで見る限り、南京事件の事件とは掠奪であった。}(「安全地帯の記録」,P68)

このように言い切るためには、暴行による死傷者5450人,拉致者4400人と推計したスマイス報告を否定しなければならないが、冨澤氏も東中野氏もまったくふれていない。

国際委員会が事例を記録した目的は、日本や各国関係者に南京で今どんなことが起きているかを訴求するためであり、事件を刑事訴追して犯人を捕らえることではない。だから、刑事事件の立件に堪えられるような情報を収集し記録しようとはしていない。ただし、虚偽の情報は避けようとして国際委員会なりの調査は行ったようである。最初の事例報告をした第8号文書の冒頭で、{ 以下のものは私どもが綿密に調べる時間を持てた事例に過ぎず、私どもの担当者にはもっと多くの事例が報告されています。}(「安全地帯の記録」,P151) と断っている。

また、2月1日付第58号文書の注釈には、{ 事例を報告した中国人の名前は示されていない。報告した一人の職員は殺され、またもう一人はきつく脅されたからである。しかし報告者たちは我々の常勤職員であり、その名を告げておりその事例は件数番号で点検できる。}(「安全地帯の記録」,P311) とあり、第232件(1月29日の事例)以降の事例に中国人の報告者名は記入されていない。つまり、報告者名が記入されていないからといって、信頼度を下げるものではないのである。

次に、人的事件の被害者名であるが、人的事件の大半は強姦である。強姦の被害者は現代でも、自らが被害を受けたことを口外したがらない。より儒教的束縛の強い当時にあってはなおさらであろう。ミニー・ヴォートリンは2月1日の日記にこう書いている。{ … 二人の兵士が彼女を凌辱した。女性たちは、自分から進んでこういう話をしない。そうしたことの恥辱をあまりにも深刻に感じているからだ。}(「ミニー・ヴォートリンの日記」,P148)

もし、残りの400件余りが「信用ならない」とするのであれば、それぞれの事例が虚偽であることを具体的事実で示すべきである。

(6) 新宿区の刑事事件より少ない!?

冨澤氏は次のように述べる。

{ 人口20万~25万の都市で、2ケ月間に97件しか刑事事件が起っていない都市は治安状態の極めて良い都市である。… 人口26万余の新宿区をカバーしている新宿警察署の平成10年(1998)の刑法犯は、年間認知件数が8753件であり、南京の事件の件数は桁違いに少ない。}(「安全地帯の記録」,P30<要約>)

図表4.14は、2015年の新宿区及び東京都の認知件数(=警察が事件の発生を認知した数)と南京の事件数を比較したものである。(冨澤氏のデータは[南京1] )
「南京安全区档案」の事例は、警察の調査のように一定の網羅度を担保して収集したものではない。それを単純に比較すること自体、無意味なのだが、冨澤氏は認知件数の大半を占める すり、万引きなど、南京事件ではほとんど調査対象になっていない犯罪と同列に比較するだけでなく、年間件数を2ケ月の件数と比較している。杜撰を通り越して乱暴な比較である。
 犯罪ごとに比べてみると、冨澤氏が"事件らしい事件"としている97件を対象にした[南京1]でさえ、凶悪犯罪の件数は新宿区の5倍以上東京都の25倍にもなる。事例全件の[南京2]でみると、凶悪犯罪は桁違いに多く、それでも南京事件全体から見れば氷山の一角にすぎないのである。

図表4.14 新宿区・東京都と南京の刑法犯件数
新宿区・東京都と南京の刑法犯件数

(注1)

南京1: 冨澤氏の「事件らしい事件」が対象。掠奪は筆者調査結果である強盗8割、窃盗2割で分配。その他20件には脅迫や器物損壊も含まれるが、冨澤氏が分解していないのでそのままにした。

南京2: 「南京安全区档案」の事例リスト・本文、他文献に記載の事例リストすべてのうち、"実行"された件数(図表4.7)。

(注2) 出典

新宿区: 「新宿区HP/新宿区内の犯罪状勢について(平成27年(2015年))」

東京都: 「警視庁HP/警視庁の統計(刑法犯,特別法犯) 平成27年(2015年)」


4.6.2項の註釈

註462-1 冨澤DBの事件分割例 事例の原文は「安全地帯の記録」による

①事例303; 「60過ぎの老婆がまず強姦され、次に銃剣で膣を刺されて殺された」
→殺人事件のみ計上、強姦は無視

②事例264; 「娘を小屋に掴み入れたが、彼女は逃げたり大声で叫んだ … 兵士たちは逃げた」
→強姦未遂だが、「その他」に分類

③事例422; 「日本兵4人がやってきて強姦しようとした。 … 彼女を放してくれたがめった打ちにし、10ドル巻き上げた」
→強姦(未遂)のみ計上、傷害と掠奪は無視

④事例387; 「家に帰ったところ、兵隊達が来て若い女を要求した」
→「その他」に計上