日本の歴史認識南京事件 > 4.5.1 (市民への暴行)史料について

4.5 市民への暴行

陥落後、南京城内外の市民に対して強姦、掠奪、放火や殺人、傷害などの暴行が行われた。暴行は陥落直後から始まり、2月上旬ごろまでがピークだったが、それ以降も散発的な事件は続いた。この節では、次の4つの期間に分けて事件の状況を述べる。

①激震期(12/13~12/26); 占領直後の敗残兵狩りを含めて市民への暴行が最も激しかった

②余震期(12/27~1/23); 暴行事件はやや減少し、難民の帰宅準備が行われた

③反動期(1/24~2/6); 難民の帰宅が始まり、帰宅先での事件が多発した

④終息期(2/7~ ); 暴行事件が減少し、安全区国際委員会の活動も終息していく

図表4.5 市民への暴行

市民への暴行

4.5.1 史料について

日本軍は市民への強姦や掠奪を厳禁し、兵士たちもそれが罪悪であることを認識していたから、加害者側の記録や証言は少ない。主として、被害者やその近くにいた安全区国際委員会(The International Committee for Nanking Safety Zone)の外国人の記録から事件の全貌を知ることになる。以下、この節で参照する主な史料を紹介する。

(1) 「南京安全区档案」(Document of the Nanking Safety Zone)

洞富雄:「日中戦争 南京大残虐事件資料集Ⅱ」 略称「大残虐事件資料集Ⅱ」

冨澤繁信:「南京安全地帯の記録 完訳と研究」 略称「安全地帯の記録」

「南京安全区档案」は、安全区国際委員会(以下、国際委員会と略す)が、日本大使館などに提出した文書を集めたもので、燕京大学教授の徐淑希博士によって編集され、1939年5月に刊行された。南京事件の現場にいた欧米人たちが残した記録であり、貴重な歴史史料である。

「档案」は、広辞苑によれば「中国で、永久保存用の文書・記録」であり、中華民国が公式に保存する文書となっている。否定派のなかには、これは中華民国の「公式文書」であり、ここに書かれた内容が南京事件のすべてである、と主張する人もいるが、もしそうならば東京裁判で被害者数30万人などと主張するはずもなく、誤りである。

「南京安全区档案」に収録されている文書註451-1は、1937年12月14日の第1号から翌年2月19日の第69号まであり、日本大使館へのクレーム・報告・要請、各国大使館への報告・要請などとともに、南京で起きた不法行為の事例が約400件掲載されている。日本へのクレームや要請に対して、日本政府や日本軍が文書で回答した形跡はない。これら文書の一部は日本を含め、各国大使館を通じて政府中枢にも報告されていた。

日本語訳は、洞富雄氏と冨澤繁信氏のものがある。前者は史実派の元祖ともいえる学者、後者は否定派の研究者で、翻訳のしかたも微妙に異なる。本レポートでは冨澤氏の著書を正とし、洞氏の著書を副として利用させていただいた。冨澤氏の著書の方が体系的にまとめられているのと、翻訳が直訳に近く原文を想像しやすいからである。

(2) 「戦争とは何か」(What War Means: the Japanese terror in China: a documentary record)

洞富雄:「日中戦争 南京大残虐事件資料集Ⅱ」 略称「大残虐事件資料集Ⅱ」

オーストラリア人でマンチェスター・ガーディアン紙記者のH.J.ティンパリー(Harold John Timperley)が編集したものだが、南京事件関係は国際委員会委員で金陵大学歴史学教授のアメリカ人M.S.ベイツ(Miner Searle Bates)と、同じく国際委員会のアメリカ人宣教師G.A.フィッチ(George Ashmore Fitch)が執筆しており、「南京安全区档案」の一部も付録として掲載してある。

ティンパリーは「華中の会戦だけでも、中国軍の死傷者はすくなくとも30万に及び、一般市民の死傷者も同じぐらいあった」と書いており、のちの「30万虐殺説」のもとになったと言われている。

ティンパリーは中華民国、宣伝部の顧問であったことから、否定派はこの本を中国の対外宣伝目的で内容は信用ならない、と批判している。

(3) ミニー・ヴォートリンの日記

岡田良之助、伊原陽子訳:「南京事件の日々 ミニー・ヴォートリンの日記」 略称「ミニー・ヴォートリンの日記」

ミニー・ヴォートリン(Wilhelmina(Minnie) Vautrin)は、金陵女子文理学院の女性教師でアメリカ人宣教師。日記はアメリカのキリスト教伝道団関係者ならびにアメリカにある金陵女学院の理事会などにたいして、ヴォ―トリンの仕事や中国の状況について報告するために書いたものである。原文はイェール大学神学図書館に保管されている。

(4) ドイツ外交文書

石田勇治訳:「ドイツ外交官の見た南京事件」 略称「ドイツ外交官の見た南京事件」

編集・翻訳を行った石田勇治氏はあとがきで次のように述べている。{ 本書に収録した資料の大部分は南京事件当時、中華民国に赴任していたドイツ外交官が作成した公文書である。}

文書の作成者はドイツ外交官ばかりではなく、ラーベなど一般のドイツ人やアメリカ人など様々であるが、「南京安全区档案」と同様、公文書として保管されているものである。


4.5.1項の註釈

註451-1 「南京安全区档案」の序文

編者の徐淑希博士が序文(以下に引用)で書いているように国際委員会が作成した文書はこれだけではない。不法行為の事例も委員会のメンバーが確認できたものだけであり、実態はこの数倍もしくは数十倍あると思われる。

{ 本書に収めた記録は南京安全地帯が保有している文書の全てではなく、国際問題研究所が幸い入手したものだけである。この他、それらの文書の一部は編者の「日人戦争行為(The War Conduct of the Japanese)」にも出ているし、また、重要なものの大部分を含む多数のものがH.J.ティンパリー(H.J. Timperley)氏の「戦争とは何かー中国における日本軍の暴虐(What War Means: the Japanese Terror in China)」の付録にも入っている。しかし、歴史と国際法の研究の材料として、かつ公共精神に充ちた一群の男女の気高い行為の証拠としての重要性に鑑みれば、これらの記録を独自にできるだけ完璧に別個の資料編として出版する事は有意義であると思われる … }(「安全地帯の記録」,P131)

※国際問題研究所(The Council of International Affairs)は中華民国の公的機関で「南京安全区档案」の監修を担当した。