今月の牧師メッセージ

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日本キリスト教団 大船教会牧師 松下道成
しばらくお休みを頂きます
4月3日 牧師所感 マタイ28:1-2
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地差が起二つた。主の天使が天から降っ}'"・ て近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。(マタイ28:1-2
サン・テグジュペリの星の王子様で、狐が王子様に言うように、大切なことは目に見えない。イースターの出来事は、4つの福音書でも食い違いがある。墓を訪れる女性の数や、墓の入り口の石の記述、香油についての言及、番兵の有無、天使の数、天使から告げられたこと、復活のイエスの現れ方など、いくつもの点において食い違いがある。特に、マタイ福音書は、地震が起こって墓石が女性たちの目の前で取り除かれ、墓石の上に天使が座り、番兵が死んだようになったと詳しいにも関わらず、女性たちの香油の記述や、墓石を誰が移動してくれるのか?を心配する記述は、一切欠いている。恐らくこれらの違いは、誰も実際にイエスは復活されたその瞬間を目撃していないからだろう。あるいは、聖書はそういう目に見える、科学的に証明できることだけを、伝えたい訳ではないということ。では、聖書はイエスの復活について何を語りたいのか?
私は、復活の話しに触れる時、いつもある同僚の牧師を思い出す。彼は私と同じ年だったが、10年ほど前にくも膜下出血で突然亡くなった。まだ、お子さんは小学校低学年だったと思う。奥さんとお子さんが病院に駆け付けた時には、意識はなかったが、必死のご家族の声に、彼の目から一筋の涙が流れたそうだ。彼をいつも思い出すのは、彼が生前こんなことを言っていたからだ。「どんなに相手から無礼に、激しく、機関銃で打たれるように罵られても、私はその相手を抱きしめてあげたいと思う」。それを聞いた私は、そんなことを簡単に口に出す奴は、ぶん殴ってやると思った。そんなことが出来るはずがないではないか。でも、この彼は、それが果たしてでき得たかどうかは知らないが、それをしようとする人だった。だから、私は彼が亡くなってからも、ことあるごとに、「相手を抱きしめてあげたいと思うのだ」という言葉を思い出し、問いかけられてくるような気になる。不思議なことに、彼は私の人生に確かに生きていて、必要に応じて語りかけてくる。
最近、彼の奥さんが文章を書いていた。彼が亡くなった時「神様はこんなひどいことをするんだ」と思い、二度と教会には行かないと恩った。でも、生活の苦しみ、困難を覚え、希望を失う時、いつも支えてくれたのは教会の人たちの励ましであり、祈りだった。そして、やはり教会こそが私の帰る場所だったと知らされたと書かれていた。
マタイ福音書は、絶望のどん底で、確かに信じたわけではないけれど、何かを期待して行動する、墓を訪れる女性達を描いている。それは単に死体に香油を塗るためではなく、その先を見ようと一歩を踏み出す姿を。そして、その女性たちに主の復活知らせが伝えられ、復活の主との出会いがある。
パウロは、1コリント15章で復活の主が、弟子に加えて、500人もの人に現れたと言っている。復活は、どこまでいっても科学的に証明はできない。でも、復活の主はたくさんの人の所に自ら現れて下さった。それは、実にたくさんの人の人生に復活主が現れて下さったということだ。そして、あなたの人生にも確かに現れて下さる。確かに信じたわけではないけれど、何かを期待して行動する時、あなたはいろいろな人との出会いを与えられ、その人たちを通して、主イエスは確かに生きて働かれているのだということを教えられる。だから、私たちはこの人生で必ず復活の主と出会うだろう。だからその希望を持って歩んでいくのだと聖書は語っている。
前月までのメッセージ
2月28日 「二つの世界」 コリント信徒第二 4章8-12
多くの人が直面している苦難と困難の度合いは、増すばかりのように思える。尊厳と目的を奪われ、虚無や絶望に支配されていく。いっそのこと、この世との関係をすべて断ち切って生きるのはどうだろうか? あるいは神の存在しない世界に生きてみたらどうだろうか?
昨年10月31日、神奈川教区部落差別問題小委員会学習において、部落解放センター所長東谷誠さんを講師にお迎えして「吾らの叫び」というテーマでお話いただいた。チラシの講師コメントには「世の中には不条理な事がいっぱいある。今、敗戦後70年を迎えて日本の国はどのようになっていくのか危惧する。日本の国にある被差別部落への差別は千年を越えて続いている。被差別部落へ行き、出会い、運動を続ける者が心からの叫びの声をあげる」とある。東谷さんは、昔ほどではないがしかし、一昨年は四国で自死があったこと、また離婚率が高いことを挙げられ、被差別部落への差別が依然大きな悲しみを生み出す実際を話してくださった。そして、ある結婚差別のことを語って下さった。友人は、「おれらなんか悪いことしたか? 悔しくて悔しくて仕方がないねん」と言う。それを聞いていた別の友人たちは「僕のとこもこんなことあってん」と語り始めた。みんな大なり小なり何かを経験している。そして、悲しんでいる友達を何とか慰めた{,・。自分をさらけ出していくしかない。
東谷さんは40年前に結婚し、1年後に子どもが生まれた時、教会に行ってお祈りをしました。「神様この子どもが与えられて感諏します。この子どもが大きくなるまでに、差別をなくしてください。そのために自分は一生懸命、教会の奉仕も解放運動もいっぱいします。たくさんします。どうかなくしてください」。・…でもまだなくなっていない。ある人は差別なんかなくならないと言う。一つなくなれば、また出てくる。メゲテくる、悲しい現実が続けばメゲテくる。東谷さんは憐れんだり、同情で聞かないで欲しいという。ああかわいそうだね、とそんな恩いで聞かないでくれという。こういう現実が事実があるのだと確かにあるのだと、理解し、認識して欲しいと言われる。
人は何事につけても2つの世界に生きている。人は、日々必要なこと、有益で利用できることだけが世界を形成しているのではなくて、何が善であり何が本当に尊いのかということが世界を形成していることを知っている。あるいは、社会に健全な秩序と調和と平和を与えるのは「力」ではなくて、「神の義」なのであるということを知っている。本来、人は誰でもそれらを知っているし、願い求めている。しかし、人間はやはり、空腹と暴力とが猛威をふるう目に見える世界の中に生きている。物質的な必要や不足、また病気が人の精神的自由を奪い、人の傲慢と悪が、弱者作り出し、差別、支配する。いつも、何が善であるかという問題は、何が役に立つのかという問題に圧倒され、正義は力をもってしか成し遂げられないと錯覚して、いつも力が最優先させられる。善より利益を得た人間の方が成功していると思っている。しかしその世界で、キリストの福音を受け入れ、その真理を晦一の指針として従い歩むならば、その人は確かに、パウロ的に言うなら、肉ではなく霊に生きている。パウロは「四方から苦しめられる世界、途方に暮れる世界」に生きると同時に、不安も絶望もない見えない世界にも生きている。そしてこの見えざる世界から、パウロは、目に見える世界の苦難に打ち勝つ力を得ている。それは日々の困難や不自由の中でも、私たちにも出来ることであり、その者はあらゆる困難と苦しみにあって、神を思い、他者を大切にする心を、互いに愛をもって接し合い、他人の権利を守り、たとえ意見の相違があってもこれを忍耐をもって耐え忍ぶことを求め続ける。そしてこの目に見える世界で、必ず目に見えない世界と共に生きていける。東谷さんは最後に言われた。「正しく知ることで、入は変われる。いっぺんにはいかないけど。あなた自身も解放されるのだ。人は変わっていけるのだ」。一つなくなれば、また出てくる。メゲテくる、悲しい現実が続けばメゲテくる。その中で、私たちは学ぶべきことがある。それでも生きていくために。あなたのためにキリストが十字架に死んだことを。その死を私たちはこの世界でも、この身にまとって生きていくのだと言うことを。それが私たちのアイデンティティーなのだということを。それが、この2つの世界で、我々が決して見失うことの出来ないことだということを学んだ。
1月31日 「二つの世界で」 コリント信徒への手紙II 4章7-12
人が直面している苦難と困難の度合いは増すばかりだ。米軍普天間飛行場を抱える沖縄県宜野湾市の市長選の結果を受け、菅官房長官は翁長雄志知事が唱える「オール沖縄」について、「実態と大きくかけ離れている」と批判し、辺野古基地移設に向けた工事を着実に推進する考えを示した。政府はこれまでスラップ裁判で、弱者に対して、恫喝・発言封じを行い、辺野古の反対運動に機動隊を派遣している。沖縄の人が「日本は平和じゃないですね」と叫ぶ。そして翁長知事は、沖縄の現状を「魂の飢餓」と表現する。
東谷誠(部落解放センター所長)さんは、40年前に結婚し、1年後に生まれた時、教会に行ってお祈りをした。「神様この子どもが与えられて感謝します。この子どもが大きくなるまでに、差別をなくしてください。そのために自分は一生懸命、教会の奉仕も解放運動も一つなくなれば、また出てくる。メゲテくる、悲しい現実が続けぱメゲテくる」と続ける。東谷さんは憐れんだり、同情で聞かないで欲しいという。ああかわいそうだね、とそんな思いで聞かないでくれと言う。こういう事実があるのだと、理解し、認識して欲しいと言われる。
パウロにとって「四方から苦しめられる」、「途方に暮れる」「虐げられる、打ち倒される」は「私たちはイエスの死を体にまとっています」に要約される。言い換えると、パウロは私たちすべての苦しみを十字架の光の中で理解している。すなわち、目に見える世界、人の欲求とエゴに満ちた涙と死の世界、しかしパウロは同時に、不安も絶望もない見えない世界にも生きている。そしてこの見えざる世界から、パウロは、目に見える世界の苦難に打ち勝つ力を得ている。いや、それだけではなく、この目に見える世界の苦難は、パウロにとって目に見えない世界の存在をより確かにする手がかりに他ならない。すなわち「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるためにj。
人は、日々必要なこと、有益で利用できることだけが、世界を形成しているのではなくて、何が善であり何が本当に尊いのかということが、この世界を形成していることを知っている。社会に健全な秩序と調和と平和を与えるのは「力」ではなくて、「神の義」なのであることを、本来、人は誰でも願い求めている。しかし、人間はやはり、空腹と暴力が猛威をふるう目に見える世界の中に生きている。物質的な必要や不足、また病気が人の自由を奪い、傲慢や権力が他者を差別、支配する。いつも、何が善であるかという問題は、何が役に立つのかという問題に圧倒されている。正義は力をもってしか成し遂げられないと錯覚して、力はいつも最優先させられ、善より利益を求める人間の方が成功していると思っている。しかし、だからこそ、目に見えない聖霊と恵みの世界の存在を信じ、
これに忠実であることが重要だ。キリストの伝える、神の国は、特別な力も知識もいらない。キリストの福音を受け入れ、その真理を唯一の指針として、従い歩むならば、その人は確かに、神の御国に生きている。その者は必ず、見えないその世界から、この見える世界を生き抜いていく力を得ている。あらゆる困難と苦しみにあっても神を恩い、他者を思いやる心を、互いに愛をもって接し合い他人の権利を守り、たとえ意見の相違があっても忍耐をも?て耐え忍ぶことを、人はこの目に見える世界でも必ず、目に見えない世界と共に生きていける希望を得ている。
東谷さんは言っていた。「正しく知ることで、人は変われる。いっぺんにはいかないけど。あなた自身も解放されるのだ。人は変わっていけるのだ」。一つなくなれば、また出てくる。メゲテくる、悲しい現実が続けばメゲテくる。その中で、私たちは学ぶべきことがある。あなたのためにキリストが十字架に死んだことを。その死を私たちはこの世界でも、この身にまとって生きていくのだと言うことをそれが、私たちの世界で、始まった新しい年の歩みで、決して見失うことの出来ないことだ。
12月27日 牧師所感 マタイ1:23
「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ1:23)
クリスマスの由来は諸説あるが、古代ローマで冬至の日に行われていた「太陽神の誕生祭」や「農耕神への収穫祭」が、後にイエス・キリストの生誕祭と結びついたと考えられ、12月25日には、日付的根拠はない。そう考えるとクリスマスは作り物でお祝いする意味が無いことになる。ではサンタクロースはどうか?。誰も見たことがないだろう。私たちがクリスマスを心待ちにし、見たことのないサンタクロースを待ち望むのは、私たちがcure(癒し/治療)ではなく、その根底でcare(心配、注意、世話)を求めているから。有名な子どもの絵本「サンタクロースっているの」で、子どもの「サンタクロースっているの?jという質問に対して、新聞記者が「この世の中に愛や人への思いやりや真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいる」と答えている。私たちは誰もが、どこかで自分が変わること、自分の環境が今より目に見えて良くなること、癒され、治されることを望んでいる。サンタクロースが何かを運んできてくれることを願っている。ところが私たちの人生において本当に大切な救いをもたらしてくれるものは、かっこいい助言や解決策、あるいは目に見える変化を与えてくれることではなく、自分のこの痛みにそっと手を置いてくれる人、絶望し、混乱しているときに黙って側にいてくれる人ではないだろうか。その意味を教えてくれなくても、治せなくても、癒せなくても、私たちの無力に一緒に向き合ってくれる人たちだと、私たちは知っている。そういうことを追求していくと、私たちに本当に必要なのは、cureではなくcareであることを知る。 care「心配する」とか「お世話する」と言うと、強くて、何かを持っている者が、自分より弱い者に対してとる態度だと思っているが、本来careは「心を痛めること、悲しみを経験すること、共に叫ぶ」と言う意味を持っていた言葉。イエスキリストが私たちの世界に誕生される、それは私たちが意識しようともしまいとも、私たちの心の一番奥で確かに求めている「共にいて下さる」ということが現実に起こったということを示している。ヨハネ15章では「イエスの愛に留まることによって私たちはキリストに留まり、またキリストも私たちの愛に留まって下さる」と書かれている。キリストを信じること、それはキリストの掟、つまり 「互いに愛し合う」そのことに留まることを意味している。キリストが私たちに教えてくれた愛、それはまさしくcare、心を痛めること。悲しみを経験すること、共に叫ぶこと。そう、それはまさしく、キリストの十字架。その愛は、一人だと恩い悲しみ苦しんでいる、寂しがっている人と共にいて下さる愛。共に涙して下さる愛。その愛を私たち一人一人が信じられますように。受け入れることが出来ますように。その愛に生きることが出来ますように。その愛に留まる事が出来ますように。そして、キリストが私たちの心に留まって下さいますように。その事を願って、クリスマスを過ごしたい。
11月29日 牧師所感 ルカ2:1-7
イエスの誕生の知らせに、ヘロデは不安を抱きました。エルサレムの人びとも不安を抱きました。父親のヨセフも、恐れを感じていました。現在の日本の中では誰もが「不安」を抱いています。今、世界ではアメリカ、EU諸国連合が空爆を続け、泥沼のような自爆テロや残忍な報復が行われています。テロの恐怖のなかでクリスマスを迎えるでしょう。核兵器を開発する国、互いに威嚇し、武器を輸出し、思想や知る権利を制限し、憲法を変えようとし、税金が上がり、生活保護が制限され、原発を再稼働させ、基地を作り、他民族に罵声を浴びせる。暗さを感じます。だからなのか、今年も嫌なニュースが多くあります。子どもを親が殺し、子どもは子どもをいじめ、親も子を殺す。自殺、虐待、高齢者への詐欺暴力、若者による違法ドラッグや残虐極まりない殺人。クリスマスぐらい、そのような暗い現実を忘れて、美しいイルミネーションとクリスマスキャロルのなかで安らぎたいという気持ちになります。しかし、聖書を注意深く読んでみれば、最初のクリスマスは、美しい生誕劇とはかけ離れた、苦しみと悩みに満ちたものであったことが分かってきます。イエスの誕生から2000年、今この時代の中に、イエスが生まれるとしたら、どのような場所であったか、そして成長したイエスが、この時代でどのような福音宣教をするだろうか?、そして、私たちは、そのイエスの誕生を心から祝うことができるだろうか?、あるいはまた2000年前と同じように、生まれたイエスを十字架にっけようとしているのだろうか?と考えさせられます。
聖書が語る平和(シャローム)とは、単なる戦争・災害のない平穏無事という、あるいは個人の内面的満足という消極的な意味ではなく、むしろ、人が共に生きていくという積極的な価値を告げています。聖書のいう正義は、神の御心にかなった状態であり、人の正しさではありません。だから人は、神の御心を、どのような時代、地域、文化・環境の中にあっても常に問われ、その神の真理こそが常に求められるのです。ある人は、沖縄の基地で、ある人は原発事故で苦しむ福島で、ある人は学校で、家庭で、「あなたはどこに立っているのか?」と問われます。かつてサッカーの中村俊輔さんが文章を書いています。「あと10センチ近寄って肩に手をかけてみて。同じ言葉でも、もっと気持ちが伝わるはずです」。「あと一歩」、いや「あと10センチ」近づくことによって、心の闇の中で苦しんでいる友達を助けることができるかもしれません。
それが神の正義、クリスマスのメッセージです。御子が神であることに固執することなく、私たちと同じ「肉」となってこの愛と憎しみに満ちた私たちの間に宿られた。そして、私たちの代わりに十字架に架かり、私たちを闇の中から、光へと救い出してくださった。その主は今もこの時も一緒に座り、手を握っていて下さる。この世界の中で、イエスの誕生を祝い、神の支配を求め神の求める平和の実現のために、人と人があと10センチ近づけるために、私たち一人ひとりが豊かに用いられるように祈ります。
10月25日 牧師所感 ゼキエル37:3
そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返る ことができるか」。わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです」(ゼキエル37:3)
2011年3月11日の大地震、大津波から4年とおよそ8ヶ月。大船教会の方8名と一緒に、東北教区被災者支援センターエマオの働きに参加してきました。1121人これが現在、仙台市内のプレハブ仮設住宅に入居されている方の数で、その率は40.5%となりました。市内33箇所に建設中の災害公営住宅(ほとんどがマンション型)もそのほとんどが完成しています。仙台市はこれらを判断し、仮設住宅の入居期限を2016年3月としました。そのような状況に中、「もう復興作業は終わった」、仮設住宅に未だに残っている人は、「家賃がかからないからだ」という声が聞こえてきます。でも、実際には復興ということには、個人差、格差があります。家族構成、年齢、健康状態、経済状態、住んでいる地域や市町村で、みんなが違っているのです。集団移転を待っている人、家族の事情がある人、身体に障がいのある方、そして全てにおける(人間関係、経済力の)「貧困」の問題が横たわっています。故に、家族を失い高齢の独り暮らしの入たちは、行政の言うところの復興のペースについていくことが出来ないで1います。実際、仙台市内仮設住宅での調査では、47.6%の方がこれからのことが依然未定であると答えています。仙台市若林区荒浜、ここには仙台の人にとっても憩いの海水浴場があり、1200個あまりの住宅がありました。現在では危険区域とされ、居住が認められない地域。ここに住んでいた人のことを思います。命を失った者、愛する者を失った者、それでも生きていかなければならない。「ここに帰って来る」という思いの黄色い旗が、4年たった今も風に厳しくたたかれています。名取市閖上地域の人口は、大震災前5612人。しかし大津波は、かつて活気に満ちた閑上の漁港をほとんど更地化してしまいました。人口は2000人ほどになり、犠牲者だけでなく多くの住民が閑上から離れていっています。その閖上地区は現在32ヘクタールを'均3メートル宅地かさ上げしています。眺めてみると広大な土地に、古墳をつくるほどの土を集積し、固めるといった言じられない作業です。計画では3年後に終了するというのですが、、、実際その上に家が建ち、人が住むようになるは、もしかしたら10年、20年後かと思わされます。そうなれば、元々この地区に住まわれていた年配の方は、本当に帰ってくることが出来るのでしょうか。それならぱ、一体誰のための復興なのか。そもそも復興とは…。
もう4年、いや、まだたった4年… 。震災から、復興から4年、移り変わっていく町の景色。新しい家や道路が出来、農作物が実っていく中で、生々しく浮き彫りになっていく現実の矛盾、不条理、格差や差別。復興住宅に移った人たちが、寂しくて寂くて、また仮設住宅に、人を求めて帰ってくる現実。被災者のコミュニティーは3回崩壊すると教えられました。1.震災で、2.避難所や仮設に移るとき、3.仮設から移るとき。そんな中で、それでも誰かの笑顔を見たくて、取り戻したくて働いている人たちがいます。北教区被災者支援センターエマオは、4年前の震災直後から変わらず(具体的な作業の内容は変化していくが)、誰かに寄り添うために、誰かの笑顔を見るために活動しています。今もまた、人数の減った仮設住宅で、体操をし、一緒に飲んで食べて、お話しし、一緒に泣いて、一緒に笑っています。きっと、人は誰かとの出会いと、笑顔がなければ、生きていけないのだと教えられます。何もなくなり、ただ土だけが盛られ続ける関上地区で、現実の遠い復興に呆然とする私に、教会員の方が言われました。「10年、20年後の復興のその姿を、若い世代のあなたたちが見届けないといけない」。その声が、こだまのように、海の上を渦巻く風に、行き来していました。
9月27日 牧師所感:東湘南地区信徒大会に参加して
9月23日(水)横須賀小川町教会で行われた、神奈用教区東湘南地区信徒大会に参加しました。講師は、横須賀キリスト教社会館館長阿部志郎氏で、「光に照らされてー三浦半島の宣教−」と題して講演をしていただきました。大船教会からは7名参加、全体では170名以上の参加者があった、非常に大きな集会となりました。阿部先生は1947年に関東を襲ったキャサリン台風に、ご自身が学生ボランティアとして参加した時の話からはじめられました。
以下は、講演の内容で、皆様と分かち合いたいと願います。きっと、神様のご計画の素晴らしさを思わされるのではないでしょうか。信仰の素晴らしい繋がりと、一人一人の働きの大切さを思わされるでしょう。そしてその輪の中に、私たちも置かれていることを感謝します。
カトリックの「ゼノン・ジェプロフスキ」という修道士「ひげのゼノ」さんは、このキャサリン台風の災害時に、浅草の闇市に行ってロウソクとマッチを買い込み、そして流された家の2階に逃れている被災者に「1本のロウソクjを配って回りました。濁流の中、真っ暗で水も食べるものもなく、恐れ慄き、おびえていたお年寄りや子どもたちがこの「1本のロウソク」が放つ光にどれほど大きな励ましを受けたか。災害を受けた人は希望の光を求めたのだ。戦争の時は食べるものがなかった。戦中のエンゲル係数は75%だった。軍隊でもそうだった。コウリャン米とニラばかりだった。ひもじさを経験した。こうした時代を10年間耐えて、ようやく日本の経済か復興し始めた。その節目は1958年で東京タワーが建った年。この年に日本はアメリカに初めて車を輸出した。そして20年経って1年240万台を売る日がきた。が、その高度成長は早すぎて我々の意識がついていかなかった。産業社会は競争社会で、子どもたちにもアチーブメントテストを課し、平均以下は「落ちこぽれ」とされた。このあたりから、社会はおかしくなり新しい問題が生まれた。いじめ、校内暴力、登校拒否、虐待、自殺、孤独死など、横須賀では中学生が箸を使わないで弁当を食べる「犬食い」という事が広まった。パンは本来生きる手段だが、そこではパンが目的化され、人は生きる意味を失っていた。あるいは、今の給食で、給食費を払っていゐのにどうして「いただきます」を言わねばならないのかとのクレームがつき、「いただきます」を止めた学校もある。あるいは、経済成長は自然と共生してきたか?神奈川県には2850の鎮守の森があったが、25年前には41に。鎮守の森は壊され、家に駐車場になった。田中正造は「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と言ったが、我々の社会はその逆ではないか? 本来「文明」という言葉は、人と人を指す言葉。ところが成長期のキャッチフレーズは「カー付き、家付き、ババ抜き」だった。これは物を大切にし、人を軽んじる風潮を示している。しかし、震災災害で最も重要だったのは、人であり、助けて助けられるという相互性である。人のパンを願い、人の幸せを願うところに光がさしている。同じくこの光が三浦半島を照らした。1853年ペルー来航。この船にJ..ゴーブルが水兵として乗っていたが、帰国後神学校を卒業し、宣教師として米国バプテスト教会から日本に派遣された。(N.プラウンと共に横浜第一バプテスト教会を設立した。これは日本で二番目のプロテスタント教会)。あるいは、禦。S.マクレー宣教師が日本に来て今の青山学院をつくった。そしてハリスが総鎮事として下田に来た。この船に乗っていた水兵を葬ったのが横浜外人墓地(後に下田、玉泉寺に移された)。さらに多くの軍人達や日本の人々に「マザー」と呼ばれて慕われた、miss.エステラ・フインチ(40才で日本に帰化し、星田光代となる)は、横須賀で海軍の軍人に伝道し、1000人もの人を信仰に導いたといわれる。その中には、海軍の山中朋二郎や小野徳三郎(青山学院の8代院長、横須賀に青山学院の分校をつくりこれが横蛋賀学院)、千葉愛爾(久里浜に教会を作った)がいる。戦時中、聖書を没収されたにも関わらず、横須賀学院の一期生の35パーセントの家庭に聖書があった。また戦後アメリカ司令官ベントン・W・デッカーが横須賀にやってき、横須賀を日本復興のモデル都市として民主主義の手本となれるように、保育所、学校をつくり。病院を開き、教会を設けた。自由・平等・博愛の理念を示し、福祉や慈善の活動を実践した。このデッカーは三浦半島の伝道も考え、旧海軍の兵舎をつかって横須賀キリスト者社会会館事業をおこなった。この会館の初代館長はエペレット・W・.トムソン宣教師。トムソンはアメリカで戦時中日系人が砂漠の強制収容所に送られたとき、一緒に行き、そこで日系入を支え、伝道をした。そして敗戦後の日本に必要な社会学を学んでいた。トムソンが死んだとき、息子さんは「今日は父のcerebration(お祝い)です」と言った。それは「天国に凱旋した」という意味だろう。私たちの人生もそうだ。「老いの坂」は「下り坂」が常識だが、キリスト教では、賛美歌284番に「老いの坂をのぽりゆきjとあるように、人生に下り坂はない。人生は一足一足最後まで上って行く。上って上って上り詰めたところに死がある。それが「天国の門」。そういう理解。人生は祝福されて生まれ祝福の内に終わる、そのことをトムソンから学んだ。デッカー司令官の呼びかけに答えたのか、雪ノ下教会の松尾造酒蔵牧師などでこの三浦半島を宣教圏にするという幻を抱き、トムソン、ドラモンド宣教師、小川町教会の宮内俊三牧師、孜笠の中島房雄牧師、横須賀上町教会の斎藤雄一牧師、田浦教会の鈴木和男牧師、鎌倉の高田彰牧師など多くの牧師が賛同した。わずか8年の間に11の教会をつくることになる。そして横須賀小川町教会はその中心として建てられた。さらに学校、団体、福祉施設がつくられ、発展してきた。帝民クリスマスやカトリックとの合同祈祷会ももたれた。この地区の特色は、教会と施設と学校と団体がカを合わせて、教派、宗派を超えて、伝道の責任を負ってきたこと。この地区はキリスト教なしに語ることは出来ない。
ハリスの進言で70人の宣教師が来た。その中に」.C.ヘボンもいたが、へボンを支えた人物に井深梶之助と熊野雄七がいたが、2人は明治維新において、賊軍・官軍という敵味方にあったが(関東学院の初代学長坂田祐も会津白虎隊隊長の孫)、その敵味方が親友になる。まさに福音書にあるように「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」である。ソニーの創設者、井深大さんの娘さんは知的障害がある。井深さんは「たえ子は私の十字架、光です」と言っている。大さんは娘さんのその光に照らされて、この神奈川で児童福祉の仕事をされた。聖書にあるよう1こ、私たちは主の栄光の光に照らされて、地の塩、世の光とされている。この半島にあって、この地域にあって、人々に光を届けることができるか、それが今問われている。(文責松下牧師)
8月30日 牧師所感 フィリピ2:1-2
そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、”霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。(フィリピ2:1-2)
「わたしたちの志」
ドイツの詩人、思想家、劇作家シラーは「人を偉大にしたり、卑小にしたりするのは、その人の志」であると言ったそうだ。先の日曜日、沖縄の話を白須克紀兄、又吉勝男兄からうかがいながら、この言葉を思わされた。又吉兄は「赤ん坊たちの記憶」という本で、戦後直後の沖縄の生活を書かれている。すさまじい生活の中で志を貫き通される。そして最後に「戦争はいかなる大義があろうとも絶対にいけない。不幸なこども達をつくってはいけません。『世界に平和あれ』」と願い文章を締めくくられている。「世界に平和あれ」という志は、その生涯をかけた志に証されている。フィリピの信徒への手紙2章の2節「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」という箇所を「志を一つにして」と訳しているものがある。「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして」は1節の「キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心」と対応している。つまり、「志を一つ」というのは「キリストによる慈しみや憐れみの心」と考えられる。決して人間の道徳能力や義務的な、同情心や情愛を言っているのではない。「キリストによる慈しみ、憐れみ」それは「はらわたからの思い」と「父なる神の示す憐れみ」であり、これは明らかに、キリストの十字架の出来事を前提に語られている。だから、「志」とは、あなたの目標や願望ではなく、キリストの志である。偽善者ファリサイ派を厳しく批判するマタイ23:23でイエスは「律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしている」と言われる。確かにファリサイ派は律法を知っているということにおいて誰よりも優れた人たち。しかし神の義と愛の具体性である慈しみと誠実を取り違えて考えている、あるいは知っていてないがしろにしている。律法の重荷にあえいでいる人々をただ非難し、裁くだけで、その重荷を一緒に担うとただ指一本さえ動かそうとはしない。自分ひとりが義人、自分ひとりが立派な生活をすることではなく、互いに重荷を負いながら歩むことが求められているのに。「神の義と神の愛」とは「相手のためを思う気持ち。大切に思うという志」。加藤周一が「私にとっての二十世紀」で「今は戦争がなくなったのだから、過去の事実としての戦争に責任はないという単純なことではなく、戦争を生み出した文化背景は持続していて、戦後の人々はその中に育っている。だからその文化に対してどういう態度をとるのかについて責任がある。戦争を生み出した文化を承認すれば、それは間接に戦争に対しての責任があるということ。将来の可能な戦争に対しての責任がある。未来に対して責任がある。未来に対して責任をもつということは、過去に犯した過ちをきちんと分析し、なぜその過ちを犯したかをきちんと反省しなくては、未来に対する責任はもてない」。今日、我々が過去の罪を反省するというとことは、預言者たちを殺した先祖たちの血が、あるいは戦争を起こしてしまう人のエゴや愚かさや弱さが、今の自分たちの中にも確かにあるのだと十分自覚するということ。でも、キリスト者は本来このことに長けているはず。なぜなら、私たちの信仰は、この私のためにキリストが死んでくださったという、神の「はらわたからの思い」と「父なる神の示す憐れみ」である「志」から始まるのだから。だから、私たちは人を愛し、平和を望んでいきたいと願い続ける。その唯一真の志が、自身の生涯をかけた志に証されるものでありたいと心から願う。
7月26日 牧師所感 ヨハネ14:27
戦後70年を迎える今、平和を願うすべて人と共に、平和への決意を表明したい

聖書:「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ14:27)
序文:先の戦争は、日本人にとって悲惨iなものでしたが、特に1945年までの日本の朝鮮半島に対する植民地支配、中国や他のアジアの国々に対する侵略行為は、アジアの人々に大きな苦しみと犠牲をもたらしました。日本が行った虐殺行為、従軍慰安婦といった、非人道的な重い過ちの歴史に目をつぶることは決してゆるされるものではありません。戦後70年を経て、過去の戦争の記憶が遠のくにつれ、戦争への責任と実際を書き換え、否定しようとする動きがあります。沖縄戦の惨劇の地に、アメリカ軍基地を置き続ける残酷さを思います。特に辺野古基地建設は沖縄県民の思いを顧みようとしない歴然たる暴力であり、断固これに反対します。特定の民族への激しい攻撃や差別扇動発言における他者排斥と、自己肯定は結局、憲法9条を変え、海外で武力行使できるようにする今の政治の流れと連動し、それは先の戦争における同じ過ちを犯すことです。日本基督教団は1967年「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出し、先の戦争において、教会は「見張り」の使命をないがしろにしたばかりか、戦争に同調し、是認し、支持し、その勝利のために祈ったものであることを深く懺悔し、主に対して、そしてアジアの諸国からのゆるしを願い請いました。そして、教会が再びこの過ちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを折り求めました。
戦後70年を迎える今、再び我々はこのことを深く心に刻み、以下を宣言します。

主文:我々は、主が十字架と復活の恵みによって残して下さった「平和」にこそ、その礎を置く。
我々は、いかなるものであっても、条件付きの平和を「平和」とは呼ばない。
我々は、この「平和」にあって、隣人に、我々の犯した過ちを告白し、その赦しを心から願い続ける。
我々は、この「平和」にあって、隣人を尊重し、共に歩んでいくことを心より願う。
我々は、この「平和」にあって、主が我々を愛して下さったように、すべての隣人を愛することを心より願う。また、社会的に差別、偏見、暴力にさらされる人たちに解放を願い、そのために働く。
我々は、この「平和」にあって、あらゆる武力行為を正当化せず、これに抗する。
我々は、そのためにあらゆる人々の上に、主の「平和」を祈る
我々は、真の希望の光として、「敵のために祈る主の平和の福音」を、未来を担う子どもたちに確かに伝えるために、さらに勇敢に、さらに忠実に、さらに喜び、さらに祈りつつ歩んでいくことを心から誓う。
折り:人を愛するが故に、十字架で死なれた主イエス・キリストのいのちが、
すべての人を、生きることの尊さと喜びと平和に導き、歩ませてくださいますように。
6月28日 「みる<世がやゆら」 ヨハネ14:27
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
私はこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ14:27)
        「みる<世がやゆら」
1945年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸した沖縄戦、その実際は本土決戦のための時間稼ぎの「捨石」だった。「鉄の雨」「鉄の暴風」と言われるほどの激しい砲撃の中、14歳の子どもまでもが戦争にかり出され、最終的に集団自決強要や、スパイ容疑での虐殺なども加わって、多くの民間人が、実に悲惨でむごたらしく犠牲となった。その数は20万人以上。その沖縄に現在74%の米軍基地が集中存在し、慰霊の日、基地負担軽減に全力を尽くすと述べた安倍首相は、その裏腹に辺野古基地に関しては一切触れようとしない。安倍首相は、夏に発表する戦後了○年談話の内容を、未来志向の内容にしたい考えで、過去の談話で言及された「植民地支配と侵略」、「痛切な反省」と「心からのおわび」の文言をそのまま盛り込むことには否定的だそうだ。さらに中国や韓国から反発があることを予想して、個人的な見解として、閣議決定を見送る方向だそうだ。日本基督教団は1967年「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出し、先の戦争において、教会は「見張り」の使命をないがしろにしたばかりか、戦争に同調し、是認し、支持し、その勝利のために祈ったものであることを深く懺悔し、主に対して、そしてアジアの諸国からのゆるしを願った。そして、教会が再びこの過ちをくり返すことな<、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めた。この告白の背景には、戦後直ぐ1945年10月に発せられたドイツ福音主義告白教会の「シュツットガルト罪責宣言」があった。「われわれは大いなる痛みをもって次のように言う。…われわれがさらに勇敢に告白しなかったこと、さらに忠実に祈らなかったこと、さらに喜びをもって信じなかったこと、そしてさらに熱烈に愛さなかったことを、自らに向かって責めるものである。…われわれは神に願う。諸教会の共同の奉仕を通して、今日新しく力を得ようとしている暴力と復讐の精神が全世界において抑止され、悩み苦しむ人間がそこにおいてのみ癒しを見出しうるような、そういう平和と愛の精神が支配する日が来るようにと」。告白教会を結成したボンフェッフアーは。「共に生きる生活」ですべての罪の根源は「傲慢」であるという。誰でも「誰が一番か?」という自己義認を求める自然的人間の闘争を持つ。しかし自己義認は暴力と支配しか生み出さない。一方、恵みによる義認は、互いに仕えることと結びつく。自己義認は恵みによる義認によってのみ克服される。そのために、罪の告白が必要なのだと言う。そもそもキリストの福音は、罪人の悲惨さと神に憐れみにこそあり、キリストにおいて神の愛が罪人のもとに来たのである。故に我々信仰者は、教会はこの真理にこそ生きている。罪の告白は、罪ゆえに一人でいようとする我々に、交わりへの突破を、罪の告白という最も深い屈辱、苦痛、へりくだりを通して、十字架への突破をもたらす。何故ならキリストは、私たちの代わりに罪人の恥すべき死を身に受けられたのだから。そして、新しい生活への突破が生じる。罪が認識され、憎まれ、告白され、赦されるところでは、すべてを捨ててキリストに従う服従がある。そこでは、我々は罪人の死を通って神の子の命へと導く神の憐れみの愛をもって、兄妹姉妹を愛する者となる。
「みる<世がやゆら」。沖縄慰霊の日、高校三年生か「平和でしょうか?」と問うている。薄れゆく記憶、ねじ曲げられる歴史、忘れ去られる無念さ、閉ざされる人の罪。
それでも「潮風に吹かれ、私は彼女の記憶に心を留めて、みるく世の素晴らしさを、未来へと繋ぐ」ために、我々は今、過ちの罪を深く深く謝罪したい。そしてそこから、さらに勇敢に、さらに平和を求め、さらに愛をもって、未来へと歩みだしたい。
5月31日 「知らない食べ物」 ヨハネ福音書4章31−42
ヨハネ福音書4章の「イエスとサマリアの女」は有名な箇所。前半部、サマリアの女とイエスの対話が「水」に 関してのことであると言えるならば、後半部は「食べ物」 であり、どちらも人が生きていく上において必要不可欠 なもの。そもそも弟子たちがイエスの側を離れたのは食べる物を調達するためであり、イエスが喉の乾きを覚えられ始まるのが、サマリアの女の話し。イエスも我々と同じで、喉も渇きお腹も空く。そして時には疲れ、恐れ、痛みを感じられる。しかし結局イエスが、水を飲んだり、食べ物をロにしたりしたことは描かれていない。話しの論点は欠くことのできない「大切なもの」を「水や食べ物」で考えさせている。この「大切なもの」に対するイエスと登場者とのズレが問題。結論から言えば、イエスは人が生きていくための、物理的に必要な物について話しているのではなく、イエスが神の子であり、イエスを信じ、その御心を行うこと、そのことこそが真に人を生かすということであり、それが最も人にとって大切なことであると言われている。私達は当然、毎日喉が乾くし、お腹も減り、病気をしないで健康に生きたいと願う。だから聖書の中に、私達の願いを満たしてくれる答えを見出そうとする。そしてそれを見出し食べることが「喜び」だと思っている。しかし、イエスはその私達自身の願いに対し、私達の出会ったことのないような人との出会いを提示してくる。伝統に従い、異邦人・サマリア人との接触をタブー視していた弟子たちは、イエスがサマリアの女性と話しておられるのに驚く。弟子達は自らの思い煩いだけにとらわれ、決してイエスの思いを知ろうとはしないし、他者の痛みを知ろうとしない。それこそが「私達の知らない食べ物」。イエスはこの時、弟子達の食べ物を食べなかったが、イエスは、この時満たされ、喜びを感じておられた。カルヴァンが「イエスは人に救いを得させることを至上の喜びとした」と言うように、「イエスの喜び」それは毎日満腹においしい物を食べることでもないし、ありあまる物を持つことでもない、また単に健康に生きることだけでもない。イエスが最も喜び、イエスを満たしたもの、それは、福音の喜びが隣人に伝えられ、その人が本当に生きるということを知ること。ロに入れようとしなかった、隣人の悲しみはイエスによって確実に変えられ、実を結ぶ者とされている。イエスの蒔かれた御言葉の種は既に実り、穂を色づけ、イエスの心を満たしている。私達の知らない食べものこそが、人を生かし、育て、そして喜びをもたらす。その力は私たちの想像以上に大きい。聖霊を豊かにいただいた私たちは、今こそ、また知らない隣人と出会うための歩みを始めようではないか。それが大船教会の65年の歩みであり、これからの歩みでもあるのだから。
4月26日 牧師所感 フィリピの信徒への手紙4章19〜20節
わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。       (フィリピの信徒への手紙4章19〜20節)
人は誰でも悩みや弱さを抱えていることを知る。病気の方を訪問する、誰かの相談を受ける時がある。時として、何を話したらいいのか、どう励まし、どう慰めの言葉を探したらいいのかと思う。しかし、共に祈るということが出来ることはとても素晴らしい。それが、同じ信仰に生かされている私共の交わり。パウロはキリストを信じれば苦しみは無くなるというようなことは言わない。我々の中には、希望が実現する根拠がない。しかし、私たちは自身で根拠づけたりすることができない救いを求め、信じることが出来る。それが、キリストが自らの死と復活を通して示してくれたこと。そしてこれを私たちは希望と呼ぶ。ただそれは非常に困難な事。しかし、そのために聖霊が私たちを助けてくれるとパウロは言う。パウロはフィリピの教会から何度も物質的な援助を受けてきた。パウロはそれに感謝をしつつ、しかし直接的に「ありがとう」と言うのではなくて、「あなたがたの益となる豊かな実」が結ばれたと喜んでいる。それはパウロが、自分が神様の養いによって生かされているということを覚えていたから。決定的に重要なことはその親しさの度合いではなく、その交わりの中に神様がおられるということ。その確かなしるしが、「共に神様をほめたたえる」ということ。キリスト者の交わりには、神を讃美するということが必ずついてくる。確かに教会の交わりは時として問題もある。しかしその中でも、神様がおられるということは少しも揺るがない。むしろそのことを通して、互いに祈りあうことを学ぶのではないか。どんな時でも共に主をほめたたえることが出来る交わりだから、うるわしいその神の豊かさで生かされていることを知るパウロは、たとえ自身が獄中にあっても神を賛美し、その姿は多くの人々を慰め、励ます。聖霊の働き、それは言い換えれば神の養いと言えるそれは単に、物質のことではなく、神をどんな時にも、讃美できるようにしてくれるということ。だから19節「わたしの神はご御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださる」は本当である。そして、もし一人の者がこの真実を知るならば、それはキリストの恵みに生きる者の共通の喜びとなり、共に主をほめたたえることが、そこに起きるのだ。何をしても欠けがある私達。しかし、その欠けのある業を主が必ず用いて下さる。その時、私達の群れに主への讃美が生まれる。だから、主がすべてを、何よりも良いものへと変えて下さることを信じ、主をほめたたえる為に、主の養いの中を確かに歩んでいきたい。
3月29日 牧師所感 マルコ15:29-32
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」。同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。  (マルコ15:29-32)

3月21日(上)神奈川教区の平和フェスタが行われました。平和フェスタは神奈川教区の社会委員会に属する6つの小委員会と特別委員会が参加して、それぞれの活動の内容、問題を参加者に紹介、分かち合う目的があります。今年は「ヘイトスピーチに抗して」と題して、講師に「ネットと愛国」などの著作で知られるジャーナリストの安田朧一さんを通して学びの時を持ちました。「ヘイトスピーチ」は在日韓国人・朝鮮人への激しい罵声や言葉の暴力をイメージしますが、実際には被差別部落への差別発言や、性同一性障がい者、生活保護受給者や、基地建設反対の沖縄の人々へ、教会などへの攻撃、様々な場面に登場します。スイスのジュネーブで行われた国連規約人権委員会で実際に映し出されたヘイトスピーチのビデオを見ましたが、中学3年生の女の子がおぞましい、暴力的な発言をしているのを見て、暗潅たる思いになりました。ヘイトスピーチを、国内メディアでは「憎悪表現」と訳す場合がほとんどですが、それは直訳に過ぎないと安田さんは言います。安田さん自身は「差別扇動表現」と説明し「ヘイトスピーチの本質は、人種や民族、性別など自分の努力だけでは変更できない属性を差別し、攻撃し、扇動すること。多数派による少数派の攻撃や社会的な力関係の中で生じるもの」と定義付け「ヘイトスピーチは言葉の暴力ではなく、人間や地域、社会を傷つける暴力そのもの。それによって傷ついている人がいる、被害者を生み出しているという現実がある」と語られました。
 部落問題小委員会学習会で「荊冠の神学」を読みました。そこでは疑似カーストとも指摘される、つまり社会全体を出生の区別によって分割する社会構造としての被差別部落とイエスの時代との間には、共通性があることが指摘されます。イエスの時代も、浄・不浄と関係する身分制、「ケガレ意識」、民族の純血性が社会構造の大きな要因でした。その社会構神の恩恵はイスラエルの浄い血統を持った者に与えられ、構造ピラミッドの最底辺外に置かれるアウトカーストに対しては、嫌悪感情だけでなく、法的・公的に差別され、市民としての権利、政治の権利、生活の保障の一切を奪われました。一緒に歩くことも、座ることも、接触も忌避されるのです。この社会構造において、政治指導者や宗教はアウトカーストに対して、明確な理由なしに物理的隔離やタブー化し、人々の深層心理へ働きかけ、それをもって自己の意義を高め、社会的怒りや不満のはけ口として用いて、社会秩序を構築していきます。そして著者の栗林輝夫さんは、イエスは、まさにそのアウトカーストであり、アウトカーストとして生きた、その明確な意識なしにイエスの福音を語ることは不十分であるとします。
 ヘイトスピーチは、この差別構造と共有しているところがあると思います。まさに明確な理由なしに攻撃し、人々の深層心理へ働きかけ、それをもって自己の意義を高め、社会的怒りや不満のはけ口として用いているのです。しかし、それならばイェスはまさにヘイトスピーチを受けたのです。十字架のイェスのへの罵声やあざけりは、単なる悪口や暴言ではなく、まさにイエスの命をえぐる暴力であり、その時代を生き
る、・いわれなく虐げられ差別された人々に対する暴力です。
 イエスは「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と言われましたが、安田さんは、ヘイトスピーチを行う人は、どこにでもいる普通の若者、壮年、老人だと言います。そして「政治的な要求・欲求があまり見られず、何を訴えたいのかがよくわからない。ただひたすら憎悪と差別煽動の言葉を撒き散らす。しかし、日本社会は昔から抱えてきたように思う」と言われました。
 我々は十字架を仰ぎつつ、しっかり覚えねばなりません。その怒りのはけ口に、差別の対象となった人たちを、イエスは愛し、寄り添い、その者自身であられたことを。だからこそ何よりも先に、その人たちに解放の福音を伝えたのだと、復活の恵みが伝えられたのだということを。
3月1日 牧師所感
日本基督教団が「信教の自由を守る日」と定める2月11日。昔は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日、日本の建国された日として祝う[紀元節]。戦後、GHQの意向で祝日から削除された。しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることになった。その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正され、1967年から適用された。神奈川教区湘北地区の2・11集会の講師は、作家で、元NHKの職員、教団の教会のメンバーの小中陽太郎さんです。以下は、その内容と感想。
開会礼拝で「We Shall 0vercome/勝利を望み」、アメリカ公民権運動に歌われた讃美歌を歌いました。小中さんは、キング牧師の「私には夢がある、皮膚の色ではなくて、それぞれの特質によってのみ区別される時代がくることを」を印象的に覚えている。それは本当に、言葉によって力づけられる力。Overcomeは、勝利と言うより「乗り越える、この苦難を乗り越える」であり、キング牧師の働きにそれを思い起こす。また先に亡くなった後藤健二兄弟のことを覚える。
2月6日の東京新聞に佐藤優さんが書いている。「イエス・キリストは、99匹の羊を残してでも、迷った羊を探すべきだといった。旧約聖書詩篇54篇の「神は私を助けてくださる」という言葉を後藤氏は『この言葉を、いつも心に刻みこんで、私は仕事をしています。多くの悲惨な現場、命の危険を脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います』」。「目には目を、歯には歯を」は、文明史における最初の罪刑同刑法で、限度を置いている。今の法律には教育法があり、法を犯す者に対して更生の教育をする、故に死刑廃止論とせめぎ合い。聖書のヨナ書、バビロニアのニネベは悔い改める。しかし、ヨナは気に入らない。これらの話は、旧約聖書と新約聖書を結び付けている。それまでは、異邦人を殺してよかった。しかし、イエスは、すべてを愛する神の存在を教えてくれる。立教大学の原子力研究所の原子炉が出来た時、祭司は祝福の祈りを奉げたし、最初はキリスト者の多くが原子炉の開発に賛成した。例えば、「原子炉の科学性は、あの悲惨な広島原子爆弾であるが、その化学は電気を作れることに感激する」と言う。それは何とか原子炉を受け入れるための、自分で作ったまやかし。ニーバーは「イエスの時代原子爆弾がなかった」と言った。そういう限界かおる。バベルの塔は、巨大科学への警告ではないか。アメリカから入ったプロテスタントは、科学とキング牧師の教えを区別できていないのではないか。「残念ながら教会も、神学者も原発に関して、社会が歓迎したときには歓迎し、社会が危機を感じ始めた時には危機を語り始め、それに聖書的根拠を与えてきた。世に先駆けて、原発技術のあるべき方向を語ることはなかった」(小久保正)。権力者が言葉を支配している。それがバベルの塔であり、それで神は塔を壊し、一人一人に言葉を与えられた。ユダヤ人を殺害した収容所の所長アイヒマンは徹頭徹尾F上官の命令を遂行しただけだ」と言い続ける。これに対して、ユダヤ系ドイツ人の哲学者ハンナ・アーレントは「悪の陳腐」と言いきった。 NHK の会長も、「決まったものは仕方がない。政府の決定が出れば放送する」と言う。それは恥ずかしいことだが、放送局には、組織や構造の問題がある。だからNHKのOBなどで発言や運動を行っている。やはり「放送の自由を守るのは、一人一人の自由と正義感」だ。イ固を守るのは全体だが、全体だけではダメだ。よく、「一人はみんなのためにみんなは一人のために」と言うが、ここのバランスが大切。個の自覚、みなさんの声が必要だ。「無い物ねだり」をするのではなく、事実が違うなら、自分で探し、発信していく。作家の大江健三郎は、常に電話で抗議している。メディアは反響を気にしている。我々は声をあげなければならない。教会はそういう議論をする場として、大いに参与し、親は子に、孫に語っていくことが、とても大切なことだ。 「日本人が自国の建国記念を祝ってどこが悪い!」「日本のどこで信教の自由が妨げられている?」と盛んに言われる昨今。我々が、引き続いて考え、声を出していくことの大切さを教えられました。
1月25日 牧師所感 ルカ福音書 14:25-27

大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。(ルカ福音書 14:25-27)
エルサレムへの旅を続けるイエスに多くの群衆がついてくる。恐らくイエスの不思議な奇跡や、その説く教えに強く惹きつけられたのだろう。あるいは、ファリサイ派への反感からか?。または病気や苦しみを救って欲しいと思っていたのか。はたまた単なる好奇心か?そのように考えると、私自身の顔がその群衆の中に浮き上がって来る。
イエスはその群衆に対して、非常に厳しい言葉を投げかける。「両親、妻子、兄弟、自分の命さえ憎まなければ、私の弟子であり得ない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、弟子であり得ない」と。
この厳しい言葉を聞いて、恐らくそのほとんどの人がついていくのを止めたに違いない。そして私たちもまた、足を止めざるを得ない。一体、この言葉を聞いて誰が従い続けられるというのか。イエスの語ろうとしていることは、後半部の2つの譬えから明らかにされる。「塔を建てる者の譬え」と「戦いを始める者の譬え」。共に「何かを始める時の決意」が問題とされる。単に思いつきであるのではなく、それを最後まで成し遂げられるのかどうかじっくり考えるべきで、もし出来ないのであれば初めからしない方がよいということ。イエスに従うことも同じで、多くの困難があるということをあらかじめ覚悟する必要があると言うのだ。それは私達の生活の最も痛いところをついてくる。例えば、ある人は身内によって拒まれ、ある人は人間関係に、経済的に、健康面につまずく事がある。私達の日常生活には、このような事はありふれている。ある研究者は、イエスのこの箇所で挙げられた肉親、財産、そして命というものは「私達が生きる上でなくてはならないわずらい」だと指摘する。誰でも肉親を愛し、生きていくための財産が必要。日々快適に過ごしたいと願い、誰でも健康に長生きしたいと考える。しかし、そのことを捨て去らなければ、むしろ憎むほどでなければ、イエスに従うことは出来ない。これはある意味、究極の選択だろう。だから、この箇所を読んだとき、多くの人は自らにその資質がないと思う。しかし、私達は重要なことを見落としている。私達がイエスに従うと言うことは、自らの力で何かを成し遂げたから従えるという事ではない。何か特別な資質があるからでもない。イエスの弟子全てがイエスを裏切ったではないか。ペトロが弟子であり得たのは、イエス自身がそれでも彼を愛し、欲して下さったから。そしてその愛は私達にも向けられている。しかし、私達は得てしてこの尊い愛に気付かない。何故なら、私達はイエスに従うに際しても、まず「こうして欲しい」という願いがあるから。
私達は、様々な理由で教会に来る。ある人は自分を変えたくて、ある人は友達や恋人を作りたくて、ある人は西洋文化に興味があって、ある人は歌を歌いたくて。しかし、イエスはその一人として拒むことはない。むしろ、「私に従いなさい」と声をかけてくれる。しかし、その声に気付くためには、私達はまず何に目を向けなければならないのか。何を最も優先して、何に一番集中しなければならないのか。そのことを知る必要がある。それはキリストの十字架の死を見つめるということ。その時、私達に投げかけられる声を聞く。そして、その声を聞いたとき、私達は自らが背負っている十字架に気付くだろう。それはキリストの愛。イエス・キリストの十字架の命に裏打ちされた、神の愛。それは私達の能力や、禁欲の証ではなく、私達がかかげる、キリストの愛の証。
塔を建てる者、戦いを始める者は、よくよく先を見通して、もし出来ないなら初めからしない方がいい、確かにその通り。ただ、それでは、私達の塔を建てるための十分な費用とは何か。戦いを始めるための私達の力とは何か。もし、それが私達の能力や資質であるならば、私達は確かに塔を建てることは出来ないし、戦う前に降伏すべきかもしれない。しかし、そうではなく、私達の塔を建てるための元手は、キリストの十字架の死によって全ての人に差し出された、神の愛。
確かに、私達のキリスト者としての歩みには大きな困難があります。この世との確執、矛盾、時にはくじけそうになるし、時には自分のふがいなさに涙します。しかし、その時にこそ、私達は「腰を据え付けてじっくり考えるべきです。私達の歩みは誰によって、何によって支えられているかということを。218日は灰の水曜日、つまりレントに入ります。願わくは、よりキリストの十字架に、深く思いをはせ、その十字架の愛を背負う者であることを覚えることを願います。

1月11日 牧師所感 マタイ1:21-23
「良い子のところに」
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ1:21-23)
皆様今年のクリスマスはどうでしたか?
教会では各家庭集会のクリスマス会に始まり、鎌倉市民クリスマス、子どもの教会のクリスマス礼拝・おたのしみ会、そして21日のクリスマス合同礼拝、愛餐会、24日イブ燭火賛美社拝と、本当に様々な場面で、たくさんの方と一緒に礼拝を守ることが出来ました。久しぶりの方や遠方の方々も来て下さり、本当にうれしく思います。特にご高齢で、あるいは病があって普段なかなか礼拝にお見えになれない土井愛子姉と高橋千秋兄が礼拝に出席下さったことをとても嬉しく思います。その反面、クリスマス礼拝に出席したくても様々な事情や、痛みのために出席できなかった兄姉もおられます。
クリスマスのイメージは、笑顔と歌声、温かさと、人のつながり、輝かしいイルミネーションとプレゼント、サンタクロースなどなど‥‥。よく子どもたちは「良い子にしてないとサンタさんは来てくれないよ」と言われて育ち、25日の朝にプレゼントと見つけて、「ああ、サンタさん来てくれた。自分は良い子だったんだ」と胸をなでおろします。
21日のクリスマス礼拝後、ある方を病院にお訪ねしました。清潔感のある病室でしたが、そこには病院特有の寂しさがあるように思えました。辛さと痛み、不安が、やるせない思いがそこにはあります。窓の外の町は、クリスマスイルミネーションが一杯で、楽しそうにショッピングをする家族やカップルで満ち溢れています。でもこの病室には2人っきりで、笑い声もない。こんなクリスマスかおるだろうか?先の子どもへのサンタクロースの理論でいけば、我々は良い子ではなかったのだろうか?
でも、決してそうではないことを強く、強く教えられました。その方と2人で讃美歌を歌い、御言葉を読み、一緒にお祈りをしました。「お祈りしています」と伝えると「ええ、いつもお祈りくださっていることは知っています」と答えられる。
「宿屋には彼らの泊まる場所はなかったからである」(ルカ2:7)。
だから、ここに確かに御子イエス・キリストが生まれて下さったと、確かに教えられました。確かに信じるのです。
この世界は、この世は、むしろクリスマスの時に、喜びを感じられないで過ごしている人の方が多い。クリスマスの時も一人寂しく、孤独で悲しみを感じている人、痛みを抱え病室で過ごす人もたくさんいる。そして人は、本来誰も神の前に「良い子ではありえない」。しかし、それでもイエスは来てくれるのです。それでも、確かに「私はあなたと共にいる。あなたのことを愛している」とイエスは言って下さる。そしてその言葉通り、十字架に向かって歩みを始められる。
そういうクリスマスを共に喜び、賛美したのだと、しっかり覚えて、新しい年を歩んで行きたいと願っています。
11月30日 牧師所感 ホセア11:8
ああ、エフライムよお前を見捨てることができようか。イスラエルよお前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨てツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ憐れみに胸を焼かれる。(ホセア11:8)
クリスマスと言えば、私たちにとって一年で一番楽しく、待ち達しい時。しかし、イエスは満ち足りた環境に生まれたのではなく、泊まる宿もなく、馬小屋の飼い葉桶の中。人間社会によって閉め出されたのに、飼い葉桶の中に寝かされたのに、従順に眠っておられた。それが主イエスの姿であり、イエスの平和のメッセージ。 2009年米国のオバマ大統領がノーベル平和賞授与式で「暴力的争いは私たちが生きている間は根絶できない、そういう現実を認めることから始めなければならない。平和を維持するために、戦争が果たす役割があるのだ。しかし、どのように正当化されようとも、戦争は人類の悲劇だ。ガンジーやキング牧師の非暴力は、あらゆる状況で有効ではないかも知れないが、彼らが説いた愛や、人類の進歩への信頼は、我々を導く北極星でなければならない」と言っている。
預言者ホセアは、神から目を背ける人々に、神と民が知り合うきっかけとなった出エジプトの出来事を思い起こさせる。神は子どもを育てる父親となり、歩くことを教え、身をかがめて食べ物を与え、そして憐れみの綱と愛の絆をもって導かれた。しかし、子は成長するにつれ、父の憐れみと愛を忘れてしまう。裏切られた神は怒るが、民を憐れみ言われる。「ああ、どうしておまえを見捨てることができようか。イスラエルよ、おまえを引き離すことができようか」と。神は愛に留まられる。神と人を結ぶ愛故に、裏切った民を憐れみ、自らの一人子さえ与える。神が自らの子を失ってでも、残そうとしたもの、示そうとしたもの、それが愛するということ。私だちと神との絆。それなのに私たちは、そのありえないほどの愛に目をつぶり、聞こえないふりをし、軽んじ、あたかも別のものが価値あるもの、自分たちを生かしているかのごとく考えている。だからどこかで、私たちはキリストの誕生さえ拒んでいる。
主は言われる「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってばならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」。もし、本当にクリスマスを喜び、キリストの誕生を求めるならば、それは親や子、民族を超えるような愛を知ろうとすること。もし本当にそれを知るのなら、私たちは今の価値観だけに留まることは出来ない。それを超えていかなければならない。それは身を切られるように痛いだろう。それは何よりも腹立たしいだろう。しかし、そんな私たち自身を、神は自らの子の命を通して乗り越えさせてくれようとしている。その絆の愛の美しさ、尊さに、もう一度気づかされたいと願う。それが、どんな時も私たちを導く北極星でなければならないと思う。
10月26日 牧師所感 エゼキエル13:10

エゼキエル 13:10「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰 を上塗りするようなものだ」
紀元前597年の捕囚でバビロンヘ連れて行かれたエゼキエルは、ケバル川のほとりで神の顕現に接し、預言者として呼び出される。エゼキエルは、捕囚は長く、いずれエルサレムは徹底的に破壊されるだろうと預言したが、エルサレムでは偽預言者や偽指導者が盛んに捕囚はすぐ終わる、神は我々をこのままに放ってはおかれないと、耳に聞こえのよい事ばかり言っている。エゼキエルは神の言葉を伝える。「偽預言者の言う「平和」は、漆喰で上塗りをすることと同じ」だと。それはまやかしのものを本物のように仕立て、人々をより一層「偽りの平和」へと導くのだと。本物の「平和」とは、たとえ大雨・電・暴風においても決して剥がれるはずのないも。[平和]とは、単なる心の問題でなく、個人的、社会的なあり方が、主との契約関係において正常な状態にあることを指しているもの。無風の状態ではなく、嵐の中にあっても揺がない基礎を神との間に持っている状態、それが聖書のいう平和。
ある人は書いている。「原爆が生み出しだのは地獄。」「原爆がなければ」と思うことは何度もあった。一方で、原爆のおかげで戦争が終結したという肯定的な見方も確かにある。結局投下は、良し悪しの判断を下す問題ではないのだろう。国が肥大して別の国と衝突し、一方的な主張をするようになったことが戦争、ひいては原爆を招いたのだ。国と国の争いは、一般の個人の関係と同じようなものなのだろう。一人一人が相手の気持ちを優しく見守れる世の中であれば、戦争のない静かな生活ができるのではないか]。マルティン・ルターが次のような話を言っている。「二匹のヤギが、川にかかった狭い橋の上で出会ったら、彼らはどうするだろうか。橋は狭すぎて、もとにもどることも、おたがいに横をすりぬけていくこともできない。それぞれ自分が通ろうと、むりやり進んでぃくと、ぶつかって両方とも川に落ち、おぼれてしまうだろう。彼らはどうするだろうか。ただ一つの方法は、一匹が橋の上に伏せて丿目手に自分の上を踏んで渡ってもらうことだ。こうすれば、二匹とも無事に橋を渡ることができる。人間同士の間でも、このようにしなければならないことが、しばしばある。他人と争って勝つよりも、自分の上を他人に踏みこえさせるべき時があるものだ。」
私たち人間もこの話と同じ状況に立っている時が確かにある。教会の中で、親子の間で、夫婦の間で、嫁と姑の間で、自国と隣国との間で、上司と部下の問で、仲のよいはずの友人や仲間の間で。確かに相手と意見が違う時、相手から無視されたり、軽んじられたりする時、こちらも何か仕返しをしたいような気持ちになる。あるいは「相手のことは知らない、だから自分は自分のことだけ考える」という心に陥ると、視野は狭くなり、相手の気持ちも周囲の状況も見えなくなり、より関係は悪化していく。そんなとき、あなたはどうするのか?
ディートリッヒ・ボンヘッファーは、私たちの交わりを「ただキリストを仲介者としてのみ他者と出会える。それは私か行動できたときよりはるか前に、すでにキリストは私の兄弟に対して決定的な行動をされたのだから」と説明している。偽預言者達は捕囚の出来事を単なる時代の流れの中で起こった不運な出来事だったとしか考えない。しかし預言者エゼキエルは過去のこの出来事から、神の言葉を聞くことを人々に求めた。それは起こった出来事の中に、一人一人が自分を見出し、自分を見つめ、神が何を求めておられるのか、自分が何を学び、冷何をなしてぃかなければならなかのか、そのことを深く厳しく求めたということ。もし、私たちが狭い橋をぶっからずに、川に落ちて溺れずに渡りたければ、その橋で誰よりも身を低め、すべての人のための踏み台となって下さっている主イエス・キリストを見出すべきだろう。それが聖書の言う「平和」への道、すべての人が歩んでぃくべき道ではないだろうか。

9月28日 「向こう岸にわたろう」 マルコ4:35-41
イエスの短い言葉が好きだ。ヨハネ14:31「さあ、立て。ここから出かけよう」など。中でも、この「向こう岸に渡ろう」という言葉にいつも心惹かれる。ガリラヤで伝道を始めたイエスは、癒しの奇跡や悪霊を追い出したりと積極的に行動を開始された。そのほとんどは、ガリラヤ地方のユダヤ人に対して宣教。ところがイエスは突然、弟子達と一緒に舟に乗って、湖の反対側に渡ろうとされる。そこは異邦人の町、デカポリス地方だった。どうしてイエスと弟子達は異邦人の地へと渡っていくのか不思議に思う。もしかしたら、宣教がある程度成功したので別の場所に移ってみようかと考えたのか、あるいは身内がいるガリラヤでは宣教活動がしにくかったのか、ファリサイ派の人々との確執が深刻化し、一時的に身を隠したのか…。しかし、いずれにせよ、異邦人を軽蔑し、汚れた者と考え、付き合うとしなかった当時のユダヤ人にとって、イエスのこの行動は非常に不可解だっただろう。
この話は、マタイ・ルカ福音書にも同じ話がある。しかし良く読んでみると、少しずつ異なっている。マタイでは導入句とも言える「向こう岸に渡ろう」というイエスの言葉が削除されている。ルカ福音書では「湖の向こう側に渡ろう」と「湖の向こう」という具体的な場所を表す言葉が加えられている。各福音書が書かれた背景、年代が違うためだろうが、しかしやはり私はこの「向こう岸に渡ろう」という言葉に惹かれる。「向こう岸とは一体どこだろう」「私にとっての向こう岸とは?」といつも考えさせられる。
弟子達と渡った向こう岸の地で、イエスがいた期間は非常に短く、行った奇跡はたった一つです。墓場にいた悪霊にとりつかれた人を癒したことだけ。それは、湖の反対側のガリラヤで行われた奇跡の数とは比べものにならない少なさ。恐らく、この時イエスの伝道は異邦人には受け容れられなかったのだろう。イエスは、この地の人々から出ていってくれと言われている。
危険を冒して、湖に漕ぎ出した結果がこれだった。それは弟子達の目にも、今これを読む私たちの目にも、あまりにもばかげた結末だ。「何でたつた一人のために、そんなことをしなくてはならないのか? ガリラヤに残っていたら、イエスを慕って向こうから人が押し寄せてきていたのに」と。 しかし、伝道とは、人に何かを伝えるとはこの様なことではないだろうか。たった一人であっても、そこには確実にイエスに出会い、癒され、イエスを信じる人が生まれたのだ。
ユダヤの人々が異邦人と蔑み、はじめから眼中になかった人々の中に、イエスを信じる者が生まれた。
私たちはイエスの御言葉を一人でも多くの人に伝えていく、証ししていくという使命を持っている。しかし、人に何かを真剣に伝えようとすることは非常に難しいこと。とりわけ環境や価値感の違う人に対しては、それがたとえ肉親であっても困難だ。時には、それに恐怖すら感じる。自分の立場を、価値観を理解してくれる人、同じ信仰を持っている人とだけ接していたい、それが私たちの本音。
 イエスが渡られた「向こう岸」とは何でしょうか。私たちにとっての「向こう岸」とは何でしょうか。
もし、私たちが私たち自身にそれを問わなければ、この話は単に能率の悪い、失敗の話で終わる。私たちにとっての「向こう岸」、それは私たちの心の「向こう岸」。私たちが日頃から自らの価値観や、偏見、立場で知らず知らずに作り上げてしまっている心、自分を評価してくれる、愛してくれる人だけを求めて見ている私たちの心。その心の「向こう岸」に、イエスは今、「私と共に渡ろう」と呼びかけられている。
8月31日 「目に見えない恵みをいただいて」
前のアメリカ日系人教会では、日曜日に3つの礼拝を守っていま した。一つは、朝8:30からの早朝礼拝。大体3曲ぐらいみんなで 歌い、メッセージを聴き、祈りを分かち合います。大体15名前後 の方が出席されています。礼拝の奏楽は、毎回違った人たちが ボランティアで奉仕して下さっています。ピアノあり、ギターありと いつも新鮮な気持ちになります。また選ばれる歌は歌いやすく、 新しい讃美の曲にふれる事ができます。私は、2ヶ月に1回程 度、メッセージを担当していました。英語での朝の礼拝は結構つらいものでした。しかし、礼拝の雰囲気に償れてくると、段々楽しくなってきます。やはりなんといっても、一日の始めに礼拝に出席出来ると言うことはとても大きな恵みと言えます。歌の苦手な私には新しい歌は、歌いにくい時もありますが、意外と知っているメロディーのものもあり、楽しめました。祈り、讃美の歌を歌うことは、言葉をこえて心を晴れ晴れとしてくれます。たとえ上手く歌えなくても、上手く祈れなくても、讃美の歌詞に思いをはせる時、誰かのために祈ろうとする時、不思議と心が落ち着かせられます。奈良の母教会で、韓国から日本に仕事で来られていた方が礼拝でお祈りをされたことがあります。あまり上手ではない日本語で、でも一生懸命に「神様を愛します。神様が私達を愛してくれるように」とお祈りされました。それだけの短いお祈りでしたが、私は非常に感動した覚えがあります。
水野源三さんの詩に次のような作品があります。
目には見えない主イエスよ  新しい朝迎えるたび深いみ愛を思わせたまえ
目には見えない主イエスよ  いかなるときも事あるごとにみ旨いかにと尋ねさせたまえ
目には見えない主イエスよ  一人の時も私と共におられることをおぼえさせたまえ
目には見えない主イエスよ  あふれる涙胸の中まで曇らす時もあおがさせたまえ
目には見えない主イエスよ  わき道にそれやすい私の手を強く取り歩ませたまえ
私たちの心は非常に移ろいやすいものです。そして私たちの心は時として弱く、もろいものです。だから私たちは、日々神様の恵みを、愛をいただかなければなりません。礼拝は私たちの目には見えない主イエスの恵みを感じさせてくれるところです。神の愛に気づかせてくれるところです。そこは、何か自らの能力を示すところでも、人と競うところでもありません。そこは、与えられる恵みに対する喜びと感謝のあふれるところです。私達の毎日にはいろんな事があります。良いことも悲しいことも。でも必ず私達は、神様を讃美する礼拝を通して新たな生きる希望と喜びにめぐりあえるはずです。
7月27日 牧師所感 マタイ5:9
「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5:9)
山上の垂訓は誰もが知っているが、もはや何も感じないし、自分とはかけ離 れたことだと感じている。しかし山上の垂訓は、やはりこれを実践することにこ そ焦点がある。マタイは5;43で「隣り人を愛し、敵を憎め」とするが、「敵を憎め」は旧約聖書には根拠がない。恐らくマタイによって付加されている。そのことを通して、イスラエル同胞との関係に限定される愛の業と、イエスの要求する「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」との違いを際立たせている。イエスの愛の戒めは、国と国の関係がいかなるものであろうが、人種がいかなるものであろうが、性別がいかなるものであろうが、経済状況がいかなるもので あろうが、それを回避する理由にはならない。人間社会で「あたりまえ」とされ ている態度をとるべきと主張するのか、 それとも無限の愛という目標に、自らを積極的に開こうとするのか。その答はマタイにとって明瞭であり、無条件で後者である。何故なら、その無限の愛の行為、キリストの十字架の愛の対象は、敵でもあった私自身のためでもあったのだから。
 熱心なヒンドゥー教徒であったガンディーは、イギリスの平和主義者とのやりとりの中で、次のように言っている。「今日の危機にあっても、意気消沈するいわれもなければ、自分の信仰を否定するいわれも全くない。平和のために確固たる礎をおき、自らの信念を最も確実に試すことになるだろう。たとえ事件の経過に明らかな効果は生み出せなくとも、自己の信念に従って行動しなければならない。「山上の垂訓」に厳格に従って生活しなければならない。そうすれば棄てるべきものがいかに多く、改めるべきものがいかに多くあるかが、ただちにわかるだろう」。 東京新聞の記事:「安倍晋三首相は『積極的平和主義』を掲げる。自衛隊を紛争解決に積極的関与させることで、平和構築に貢献するという。この1年足らずで米国との機密情報の交換を進める特定秘密保護法の成立、武器輸出の容認、集団的自衛権を認める憲法解釈の変更など次々と断行した。首相の言う平和主義とは何か?例えば平和を乱す国やテロ組織があれば、自衛隊が出かけて行き、地域の安定に向けた活動を行う。中国が台頭するなら、米国やアジア諸国と連携して抑えるという考え方。つまり武力を背景に、平和を作り出すことを意味する。だがイラク戦争、アフガニスタンの現状を見ても、平和といえない状況を変えるのに武力が効果的でないのは明らか。ノルウェーの現在平和学者ヨハン・ガルトゥング氏は平和の概念を、病気になって初めて治療するのではなく、病気にならないようにどうするかを考える健康学と譬える。 『積極的平和』とは、食べ物、医療、教育などが不足し、社会に貧困や差別がある状態の「構造的暴力」をなくすことだと訴える。戦争になる前に、目に見えにくい原因を一つ一つ取り除くことの重要性を説く。首相も「積極的平和」を口にするなら、戦争につながる小さな芽を摘むことに力を注ぐべきだ。」 マザー・テレサは、ある兵土に「あなたは何か戦う武器を持っていますか」と尋ねられた時、「私の武器は祈りです」と答えている。そのマザー・テレサはアッシジのフランシスコの祈りが大好きだった。
 力こそすべて、やられる前にやってしまえ1やられたらやり返せ!自分さえ良ければいい、そんなことが当たりまえの世界だから、山上の垂訓は現実不可能な要求で、私は何も出来ないと、たたずむのだろうか? いや、こんな時代に、私たちは子どもたちに、次の世代に、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と、伝えるものを持っていることを素晴らしく思う。「私の武器は祈りです」と籔えて由1拘れ着=と揮でき石百びを一思う.。
 「主よ,わたしをあなたの平和の道具にLてください。.憎Lみのある所に愛をもたらす人に、.争いのある所に許L左、疑いのある所に喜びをもたらすひとにしてくだし。主よ、慰められるよりも慰める事を、理解されることよりも理解することを、愛されることよりも愛することをできますように。私たちは、人に与えることによって、多くを受け、許す時に許されるのですから」と誰かに伝えられますように。
6月29日 「一人ではできないこと」 IIコリント1:3-7
サッカーのワールドカップ、日本は残念でしたね。また次のワー ルドカップを目指して頑張って欲しいです。サッカーを見ていると、 個人技もすごいですが、やはりチームとしていかに機能するかが 大切だということを思わされます。One for all, all for one.「一人は みんなのために、みんなは一人のために」日本人の大好きな言 葉です。でもあるスポーツ選手が言っていました。『本来、これは自 己犠牲の精神ではないのだ。11人がプレイしていると、前に走っている奴が違ったセオリーにないプレイを始める。『チームプレイを乱すな!』ではなく『あいつ、何かをやり始めたぞ。よし、残りの10人であいつをフォローするんだ! だから"All for one, One fbr all"』 パウロが書いた第二コリント信徒への手紙と、フィリピ信徒への手紙、この二つの手紙を考えた時、非常におもしろいのです。一方は、パウロを援助してきた教会、当然パウロと仲良しの教会。方や、パウロを非難し拒否し始めている、冷え切った関係の教会。方や「喜びの手紙」と呼ばれ、方や「涙の手紙」と呼ばれる。しかし、パウロはこの二つの手紙に実は同じことを伝えようとしています。こんなことは普通、私達の感覚からはありえないことです。私達は好きな相手と嫌いな相手に対する態度や言葉は違うものです。しかし、パウロは両方の手紙で 「兄弟たち」と教会の人々に語りかけます。この言葉は、ユダヤ教の文化の中で育った者にとって、ごく自然な言葉であったのでしょう。しかし、パウロの教会は異邦人もユダヤ人もいたのです。さらに、友好的なフィリピの教会に対しても、拒絶しているコリントの教会にも同じように「兄弟たち」と語るのです。自分との関係が上手くいっていようがいまいが、異邦人だろうがどこの国の人であろうが、パウロにとって「兄弟(姉妹)」に違いはない。それは、彼らが「共に福音に交わる者」であり、苦しみも慰めも共にしているという意識があるからです。神が苦難にある者と、キリストにあって共にいてくださる、そして力づけてくださる。だからパウロの悩み苦しみは、キリストを通して励まされ、同時にそれはキリストを信じる者への励ましになる。だからパウロの苦しみは、キリストを通して、誰かを励ましている。そのように考えたとき、私たちはキリストを通して、「一つの思い」を抱ける。それが手紙で、パウロが希望として望んでいること。パウロは、別に自分の受けた苦しみを同じように味わえとか、自分はこんなに耐え忍んでいるのだから少しは見習えと言っているのではないです。パウロの言いたいことは、自分のこの辛い出来事でさえ、神は用いて福音の前進のために使っていてくれる、このことを通してみんなが福音に参与できる、つまり「キリストを通して」という同じ意識を持てる、一つの思いにたどり着ける、そういう希望であり、確信なのです。フィリピ書には書かれています。「あなたがたに幾らかでもキリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」。 上から見下すのではなく、むしろ相手より低くなって思いやること。パウロは、その思いがキリストの励まし、神の愛、霊の交わりという恵みに触れた者には、必ずあると確信しているのです。
パウロにとって自分が困難から脱出出来るとか、使徒として有名になるとか、尊敬されることが目標ではありません。彼は、キリストというチームが栄光を勝ち取るために働くのです。人々がキリストと一つになれるためにはその命も借しまないのです。だから個人的に、好意を持ってもらえるとか、非難されているとか、彼には関係ないのです。ただ、「キリストの為に」という思いが人々の心に届いているか、刻まれているか、それが彼の最大の関心なのです。それが伝わっていれぱ、人々の思いは必ず一つにされるからです。その最大の関心事がパウロに伝わるように、パウロは祈りで援助してくれと頼んでいます。私たちは生きる上で、様々な人との言い争いや、トラブルに巻き込まれます。どうしても赦せないこともあるでしょう。しかし、私たちは自らの栄光のために生きるのではありません。キリストにあって生きる者です。キリストにあって生きるとは、決して一人で成し遂げられるものではありません。誰かに支えられ、祈られ生きてきたし、これからも生きていくのです。誰かの思いに生き誰かに思いを伝えるのです。キリストが命をもって伝えてくれたように。
パウロは、そのことを私たちに今問いかけています。今日から、たった今からまた、私たちはその間いに真剣に取り組んでいきたいと願います。キリストはみんなのために、みんなはキリストのために。
5月25日 牧師所感 使徒2:36
「だから、.イスヲエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。(使徒2:36)
十字架に死に、三日目に復活された主は、40日間、弟子達に現し、天に昇られた。それから10日後五旬祭の日、聖霊降臨の出来事は起こつた。弟子達の上に炎のような舌が、神の霊である聖霊が一人一人の上に降ったのだ。すると弟子達は様々な国の言葉で、神の御業を語り始めた。そしてペトロが語り始める。ペトロが語った説教のポイントは次の3点。1.ナザレ人イエスは神から遣わされた方なのに、あなた方は殺した。2.神はこのイエスを復活させメシアとした。3.私達は聖霊を注がれたその証人である。このペトロの説教は、キリスト教会における最初の説教ばかりか、その後二千年にわたって教会が語り続けてきた内容。だから教会が語るべきことは、これと全く変わらないし、変えることが出来ない。聖書によると、聖霊はイエスによって父なる神に約束されていた出来事である。使徒言行録によれば弟子たちは「エルサレムを離れず、父の約束されたものを待ちなさい」と言われているし、ヨハネ福音書でも何度もイエスの名によって聖霊(弁護者)が送られることが記されている。しかし、私たちは「確かな約束」というヤツほど胡散臭いものはないと思っている。そもそも人と人との約束が信用ならならないから、規則や罰則が存在する。しかし、おかしなことに、人を創造し、人という存在を誰よりもよく知っておられるはずの神が、この不安定で頼りない人と約束するというのだ。
そもそも約束とは、私たちの理論から言えば、両者がその内容を遂行するであろう予測のもとに成り立つものである。だから本来、相手が不相応であると考えればその約束の話さえもちあがらない。ところが、聖書の語る神の約束の歴史は、これと明らかに異なっている。それは、約束の相手としては明らかに不相応なものに対する神の一方的な約束の歴史。新約聖書における神と私たちの約束を一言に表わすとすればどうだろう。色々な言い方があるかもしれない。例えば、パウロ的に言えば、それは人を義とする神の義、ということかもしれないし、和解・平和かもしれない。ヨハネで言えばもっと身近になる。それは「神はその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。一人子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ということになるだろう。ところが私たちはその約束を破っただけでなく、その約束そのものである一人子、イエスを殺したのだ。なんと恐ろしい事だろう。なんとおぞましい事か。それは誰かの事ではなく、私の、あなたのことなのだ。
大船教会40年史の冒頭の岡崎牧師は書かれる。「我々が、歴史を振り返るのは、ただ過ぎ去った昔をなつかしむためではない。過去の業績や功績を数え上げるためでもない。どんな教会でも、この地上の教会の歴史は汚辱にまみれている。思い出したくない苦い経験や、いやな出来事がいっばいある。それらをきっちり見つめ、悔い改めをもって新しい歩みを始めるためにこそ、歴史を振り返るのである。過去に眼を閉ざすのではなく、歴史に学ぴつつ現在を生きることが、大切な事」
神の、私たちへの約束の成就は、私達がこれからも、たとえあらゆる困難があったとしても、それでも「わたしはあなたを決して忘れない」という神の言葉を聞き、それをまた伝えていくこと。
この約束に、今日も生かされるのだと胸を張りたい。
5月11日 牧師所感 使徒言行録1:11
「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのを あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」使徒言行録1:11
福鳥の子どもたちの疎開プログラム、「リフレッシュ@かながわ」が 5月3日から6日まで行われました。14家族53人の参加でした。ナビオス 横浜に宿泊しながら、親子で自由な時間をGW中過ごしてもらいます。
教区被災者支援実行委員会、社会委員、ボランティアですべてを運営実行 しています。今年は大船教会からも3名の方が参加くくださいました。
費用は、そのほとんど神奈川教区内の有志、教会からの献金でまかなっています。終わったばかりですが、参加者からのアンケートが届きました。
・「保養に行ける方は、なんだかんだ、やはり金銭的に余裕が有ってまわりに理解があっての状態だと思います。日帰りの保養にも中々いけない人もいます。何も考えず出ていけるものなら、すぐ福島から出ていきたいのが本心ですがなかなかそうも行かず、自分は何て親なんだろうと、毎日考えています」。
・「今福島に住んでいると、毎日毎日、天気予報のついでに放射線量をTVで流します(しかも一番低い数値です)異常が日常になってあり得ない状態です。県はウソばかりだし(放射能を気にしているというと、笑いとぱされて終わりです)。本当に少しの間でも線量の少ない所で、子どもたちを沢山外で遊ばせてあげられて良かったです。木や草や花にもさわれました。思いっきり外で転んでひざの痛みも知りました。マスクもここにいる間はつけさせませんでした。普通に過ごせる幸せをかみしめました」。
・「遊びつかれて眠る子供を見ていて、涙が出ます。今日は福島に帰りたくないと駄々をこ ねていました。私も帰りたくなくて、泣けてしまい困ります。本当にお世話様になりました。 次回も楽しみにしています!」。
3日目に復活し、40日に渡って弟子たちのもとに現れて下さった、復活の主イエス・キリストは、弟子たちの見上げる中、再び天へと帰っていかれます。呆然と空を見つめる弟子たち。すると白い服を着た二人の人が言う「なぜ、天を見上げて立っているのか?」。聖書学者ハンス・コンツェルマンは、その代表的著書ルカ神学の研究「時の中心」で、律法と預言者との古い時と、イエスの時、そしてキリストの再臨までの教会の時を定義しました。そして我々、教会の時代は、イエスによってもたらされた新しい秩序の中に生きていると。ある牧師が問うています。「教会の光は輝いているか?教会が主に受け入れていただけない礼拝を守り、与えられていると。
ある牧師が問うています。「教会の光は輝いているか?教会が主に受け入れていただけないなら礼拝を守り、与えられていると。もし火を升の下に隠されるなら、教会は光を輝かせることはできない」。主に受け入れられる礼拝は、明確に記されている。イザヤ58:6以下  「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、痴の結び目をほどいて 虐げられた人を解放し、鞄をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え さまよう貧しい人を家に招き入れ 裸の人に会えば衣を着せかけ同胞に助けを借しまないこと。そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で あなたの傷は速やかにいやされる」。
弱肉強食の原理が高度に組織化され、地球全体を覆い尽くしています。しかしイエス・キリストの新しい秩序、つまり「神の国」はそのような弱肉強食の原理を根底からひっくり返すものです。キリストは力によってではなく、徹底的に「仕える者」となって生きられたのです。その究極が十字架です。そしてそれは復活を通して、私たちを主にあって豊に変え、人との交わりに生かすのです。
人とは、アントローポスとギリシャ語でいいます。「上」という言葉と 「見る」という言葉の合成語と言われます。人とは上を見上げる存在です。上を見るとは出世や、栄誉を求めるという事ではなく、「神を見ながら歩く」ということです。私たちは復活の命に、新しい時を生かされる者です。だからこそ+私たちは、しっかりとイエス・キリストの歩みを見つめ、歩んでいきたいと願うのです。
4月13日 牧師所感 (マルコ15:33-34)
昼の十二時になると、全地1ま暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエス1ま大声で叫ばれた。「工ロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコ15:33-34)
奥さんの直子さんは、アメリカの教会にいた時、近所で小さな子供達に日本語を教えていました。そこでは子ども達に日本語を教えるだけではなく、様々な日本の伝統、文化に触れてもらう機会を持っていました。三味線、琴、尺八演奏や人形作りなど、日本人でさえめったにお目にかかれないものもありました。またお正月には鯛の尾頭付きを食べるというのだから、びっくりしてしまいました。またアメリカではめずらしい紙芝居もよく行われ、ある時「金太郎」の話をしたそうです。「金太郎・… !」。皆さんは金太郎の話を知っていますか?!!!。直子さんも言っていたのですが、良く知っていると思われるこの話、意外と知られていない話なのです。私たちは、恐らく金太郎が変な前掛けをして、まさかりを担いで、熊と相撲をとってこれに勝ったというぐらいしか知らないのではないでしょうか。じつはその場面は全然序の口で、その後帰り道、川を渡ろうとすると橋がなく、金太郎が木を押し倒して橋にします。これを源頼光が見て、自分の家来になれと誘いにくるのです。金太郎はこの時「坂田金時」という名前をもらいます。そして金太郎は鬼退治に行きます。門番の鬼の前で、おかしな歌を歌って油断させ、一気にやっつけます。そして源頼光から、褒美の刀をもらい、立派なお侍さんになったのです。めでたし、めでたし。みなさん知ってました?(神奈川だから当然知ってた!?) そういうことは聖書を読んでいてもあるのではないでしょうか。マルコ福音書ではイエスは死ぬ直前アラム語で「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」と叫んだとあります。これは「我が神、我が神、侮故私をお見捨てになったのですか」という意味です。マルコ福音書の十字架のイエスは、他のどの福音書よりも徹底した孤独と虐げられた者の姿として描き出されています。「他人を救ったのに、自分は救えない」とののしられ、祭司や兵士、通行人からさえ嘲けられ、弟子たちは誰一人として側にはいないという、最も惨めな死に方をしています。それはイエスが、この世にあって最も貧しく、不浄な民と差別され不条理な苦しみにいる人間として、最も残酷で惨めな死に至ったということです。そしてそのことを通して、主イエス・キリストが私たち一人一人の苦しみを担って下さることが告げられているのです。しかし、話はそれだけではないのです。イエスが最後に口にした言葉、これは詩編22:1節の言葉ですが、この詩編がやがて神を賛美する歌へと変わっていくことを知っていますか。詩編22縞は確かに、神への悲痛な嘆きの叫びから始まりますが、すぐその後、神が必ず救い出してくれたことに対する信頼を歌っています。つまり、22編の歌は「苦しみの叫び」と「神への信頼の歌」が交互に繰り返されているのです。そして、最後にゆるぎない神への讃美があるのです。ただ、この歌は「なぜ神が今、苦しみに直面している自分を救わず、見捨て、答えて下さらないのか」という問いを神に投}ずかけておきながら、その答えが何一つ示されていないのです。ここにあるのは、ただ「それでもなお神を慕う」「それでもあなたを信頼する」という思いだけです。そして「その者の魂は必ず命を得る」と歌うのです。イエスは十字架にあって神に「なぜ見捨てたのか」と問いながらも、それでもなお、その魂は神に向けられたのです。 詩編22はイエスの苦難を予告するとともに、私たちがこの世で経験する苦しみを良く表しています。しかし、そこには苦しみだけがあるのではなく 「それでも我が魂はあなたを慕う」という告白が歌われています。「わたしのネフェシュ(魂)は必ず命を得」とあるように、たとえ苦しみの中で、神を信じられなくなり、その辛さを神に投げかけたとしても、救いと癒しを求める「魂」は神に触れることによってのみ癒やされ、生かされるのだと歌っているのです。 イエスの十字架の死は、最も苦しみを受けた悲惨な死を知るだけでも、全てを神に委ねたイエスの姿を知るだけでも不十分です。ましてや、話の一部だけを変えて、目先を変えることに何の意味もありません。イエスのその両方の姿を知り、「それでも神を信じた」このことを私たちは知らなければならないのです。長いレントの期間も終わろうとしています。そしてその物語の続きが始ります。続きを知らずして、物語を語る事無かれ。その続きこそが、我々の本当に歩んでいく力なのですから。
3月9日 牧師所感 エレミヤ31:1-21
主はこう言われる。ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、無く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから。主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。(エレミヤ31:1-21)
東日本大震災の発生から3年を迎える。展災による死者・行方不明 者は18,524人、建築物の全嬢・半壊は合わせて39万9284戸あまり。現在も27万以上が避難を余儀なくされている。大地震で地震に 恐怖し、津波に愛する者を失い、原発の生きることを脅かされ、 すべてを奪われた。
会津放射能情報センター代表 若松栄町教会牧師の奥さん片岡輝美さんは、福島原発事故直後、会津から三重県鈴鹿市へと避難した。しばらくして友人から「どこにいるの?」「避難しないっていったじゃない!」と非難の電話やメールが来た。避難と信仰は相容れないのだろうかと、片岡さんは今でも考える。でもある時友人から「モーセだって避難したんだよ。」と言われ、随分楽になったそうだ。片岡さんは、ずっと聖書の「人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る」(ルカ23:29)を不思議に思い、理解できなかった。しかし、避難先から戻り、子どもを守りたいが故に嘆き苦しむ親に出会い始めた時、この一節が突然胸に迫ってきて次のように言っている。「イエスが生きていたころ、人々は飢餓や戦争などで命がいつ取られてもおかしくない世界に住んでいました。今、私たちの目の前にいるお母さんたちも、我が子の明日の生命を案じています。理解できなかった一節は、これでした。だからといって、子どもがいなければよかった、ということではありません。むしろ子どもがいるからこそ幸せを感じ、生きる力が与えられます。ただ、今この状況の中、親は「これで子どもの生命を守れるか」との判断を日々付きつけられているのです」。
神の救いは常に、我々の悩みや苦しみの闇と、神の救いの光という、一見もっとも離れた対極にあるものが、実際は隣り合わせで起こるのではないだろうか。
マタイ福音書2:18は、ヘロデがこどもたちを惨殺した事件にエレミヤの言葉31:15を引用する。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」。
ラケルはヤコプの妻で、エジプトで宰相になりイスラエルを救ったヨセフの母親。ラケルは不妊の女性だった。故に彼女は同じくヤコプの妻である姉レアとの関係で激しい争いをする。子を産めないラケルは召使をヤコブに与え子を得る。そうしてレアと勝ち負けを決めるのだが、6人の男の子と一人の女の子を産んだレアの勝ちのように思える。そもそも聖書にはレアが子だくさんで、ラケルが不妊なのはレアがラケルに比べてヤコブから疎んじられていたからだと記している。でも最後に聖書は「神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れた」と記し、ラケル自身もヨセフを生む。さらに、ベニヤミンを産むが、難産でラケルは命を失う。ヤコブに愛され、念願の子供を得たのに、不幸の死に方をしたラケル。しかしそのラケルに後の預言者エレミヤは、イスラエルの民の母としての大切な役割を与えている。イスラエルを救ったヨセフの母であり、ヨセフの子エフライムの 母で るラケルは、エフライムとも呼ばれた北イスラエルの捕囚を最も激しく嘆いた人物としてイメージされている。ラマはエルサレムの北方8kmほどにある町で、バビロンに移住させられる前に捕囚民が集められ、嘆いた場所でもあり、ラケルの墓もこの近くにあった。そして重要なことは、エレミヤの預言には「その子らが帰って来る」という希望が確かにその預言にあること。涙が涙で終らず、悲しみが喜びへと変えられる。なぜなら「私は更に、彼を深く心に留める」と神様が言って下さるから、主なる神は私たちと新しい契約を結んでくださると宣言してくださるからだと、エレミヤは言う。
新しい契約とは、イエス・キリストにおける新しい契約。それこそが、我々の悲しみに終止符を打っ希望の使信となる。この新しい契約は、すべての人たちの人生に主が生まれ、関わって下さるという恵み。あなたのその人生の中心に必ず主が共にいてくださるということ。そのことを通して、我々を生かし続けようという神様の御心。涙が涙で終らず、悲しみが喜びへと変えられていくのだという確かな約束。この確かな希望と、信仰がなければ何も始まらないし、変わらない。でも、信じて歩んで行くとき、私たちはより豊かに用いられ、すべては変えられていくのだと信じる。
2月9日 牧師所感 出エジプト33:15-16
「モーゼは主に言った。「もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。一体何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。」 (出エジプト33:15-16)
大船教会の牧師として赴任してがら、まる5年を経ようとしています。この間、教会では様々な事がありました。楽しいことも、喜びも、悲しみ、いやなことも、いろいろありました。最近イチロー選手をはじめ、様々なスポーツ選手が「体幹を鍛える」と言います。体幹とは、体を支える胸筋、背筋、腹筋、太腿など、要は体を支える為の筋肉です。これが弱くなると、姿勢が悪くなったり、腰が曲がったり、物を待ったときにぎつくり腰になったり、ちょっと走っただけで肉離れをおこしたりと、日常の生活に支障をきたします。信仰生活も、体幹をしっかり鍛えたり、訓練したりする必要があるかも知れません。教会は様々な人が集うところです。集う理由も様々です。歌を歌いたい人もいれば、魔史に興味ある人もいますし、友達を作るために来られる人もいます。様々な動機があることはあたりまえで、どれが正しいとか間違っているとかはありません。ただいかなる理由であろうと、教会に集い共に礼拝を守るということは、我々は等しく神様の恵みの内におかれているのだというこ、とに気づくことが大切です。そのためにも、共に祈り合う、証を通して主の恵みを分かち合う、聖書に共に聴く事が、信仰を支える体幹であり、日々私たちが意識して行うことでしょう。 出エジプト記において、エジプトからモーセに連れられて脱出したイスラエルの民は、モーセがシナイ山に登って十戒を授けられている間に、不安になり金の子牛を作って、それを神とし礼拝を始めます。神はこれを知り怒られ、モーセを除いた民すべてを滅ぼそうと考えられます。しかしモーセの必死のとりなしもあって、民は赦されるのです。赦しを与えられた神は、再びモーセに十戒を与え、民に約束の地に行くように命じられますが、驚くことに、一緒には行かれないと宣言されるのです。その理由はもし神が民と共に行ったら、その途中で頑な民を滅ぽしてしまう危険性があるからでした。民はこのことを知りとても悲しみます。その民に神はモーセを通して、幕屋の建設を命じられます。幕屋とは言うまでもなく、礼拝をするところです。生贄の捧げも物を捧げ、祭司により取り成しの礼拝が行われるのです。イスラエルの民は流浪の途中ですので、この幕屋はその地を移動するときしまわれ、次の移動先まで運ばれます。このことは後にソロモンが神殿を立てるまで続きます。いずれにせよ、大切なことは、一時は神から「共にいない」と告げられた民が、幕屋、つまり礼拝を通して、再び神が共にあって下さる恵みを受けたと言うことです。つまり現在の私たちの礼拝も、形こそは違いますが、礼拝を通して「神がいつも私たちと共にいてくださる」、この恵みを覚えることにこそ意味があるのです。教会は私たちの主イエスが私たちと共にいてくださるそのことを覚える場所です。ただし、そのことを覚えるということは、何かすでに決められたことを形式的に守ることでも、マニュアル的な生き方をするということではありません。例えば、マルコ1:21 節以下、イエスがカファルナウムの会堂で教えられたとき人々はその教えに非常に驚きます。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった」からです。イエスの教えに触れるものにはこの「驚き」があるとい'うのです。そしてその驚きは、律法のようなマニュアル的なものではなく「権威ある者としてお教え」に由来するのです。「権威」と訳されている言葉はもともと「何ものにも拘束されない自由」という意味です。その「何ものにも拘束されない自由」を具体的に示しているのがマタイ11:4-6でしょう。洗礼者ヨハネが「イエスは何者か?」と尋ねさせます。イエスは次のように答えています。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」。イエスはこういう理由で私は救い主だとか、そうではないと説明するのではなく、ただ「実際あなたが見なさい、あなたが判断しなさい、あなたが感じなさい」と言われたのです。実はこれがイエスの「権威ある者としての教え」であり、私たちが求めるべき信仰であり、すべき礼拝なのです。
私たちの信仰も教会も、完成されたわけではありません。イ<ウロの言うように目標を目指してひたすら走るのです。しかし時として疲れたりくじけることもあるでしょう。しかし教会はそれを裁く場所ではなく、それでも神が共にいて下さる、そういうことを改めて覚える場所なのです。さあ、また新たな歩みのために、まず共に喜びの礼拝を守ろうではありませんか。
1月12日 牧師所感 マタイ2:I2
「帰リ道」
ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った(マタイ2:I2)

1月6日は通常エピファニーと呼ばれ、日本語では「公現日」と訳される。英語のappearはここから来ている。言棄通り、表れるという意味で、イエスがその姿を人々の前に現したことを記念する。実はこの「公現日」、クリスマスより古くから祝われ、東方教会ではこの日をイエスの伝道の開始日(最初に奇跡を行った日)であるとか、洗礼を受けた日、あるいは誕生を祝う日とした。一方、西方教会は、4世紀に12/25をクリスマスに定めたので、この日はイエスの異邦人への最初の現れとして、「三人の博士が来た日」と考えるようになった。いずれにせよ、公現日とは私たちのもとに来てくださったイエスを、全世界の人々が(人種・民族・宗教を越えて)見る日ということ。占星術の学者(前の聖書では博士)たちはギリシャ語ではマゴイ、英語のマジックの語源となったことからも分かるように魔術者である。ただしこの時代の魔術者は、あらゆる分野に精通する自然学者という方が正しい。皆さんご存知の通り、聖書からは彼らが何人で、どこから来たかは不明。ただ、贈り物の種類から、3人で今のイラン、インド、アラビア半島などを連想させる。いずれにせよ、彼らが異邦人、つまりイスラエルの神を信じる人達でなかった。ただその職業柄、星によって、特別な兆しを知った。恐らく彼らは、救い主に興味があったわけではなく、自分の研究や考えを実証するためにはるぱる旅をしたのだろう。そう考えるならぱ、彼らには信仰心はない。しかし、彼らは幼子イエスに出会って、自分の知識もテクニックも経験も役に立たないと知ったに違いない。だからすべては、イエス・キリストと会った後ということになる。幼子を拝み、黄金、乳香、没薬を献げた。ここからが、彼らの帰り道であり、本当に歩むべき道。聖書は彼等がヘデロ王の報復を恐れ「別の道を通って帰った」とだけ書く。しかしそれは、彼らが今までの生き方、歩みと違った道を歩み始めたということを暗に示しているのではないだろうか。救い主に出会い、誰に従うべきかを如り、神の愛に溢れた幼子イエスに触れたとき、彼らは神と共に、神に指し示される道を歩むことを、選び取ったのだ。異邦人で信仰を時つ人ではなかった人達が、イエスと出会い、変えられていく。それはまた、私たちの自身の姿だとも思わされます。幼子イエス・キリストに出会った羊飼いや学者たちがその後、どのように生きたのか聖書は何も記していない。しかし、記していないということは、単に分からないということだけではなく、時代を超えて私達、一人一人に問われているという事だろう。御子の誕生に招かれたあなたは、どう感じたのですか。喜んだのですか。悲しんだのですか。この上ない喜ぴを感じたのなら、それはあなたが心から何かを感じ、恵みを受けたのだ。そしてその恵みは、私達を確かに変えてくれる。行きと帰りでは、あなたは確かに変えられている。だから、今あなたが歩んでいる道は、自分の思いだけに囚われる道ではなく、神様の恵みに応えていこうとする道だと信じることができるはずです。
以下2013年
12月8日 牧師所感 マタイ1;23
見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ぱれる。」
この名は、『神は我々と共におられる」という意味である(マタイ1;23)

東北教区被災看支擾センターエマオの働きには、本当に頭が下がります。文句一つ言わず、黙々と作業をされている姿を見ると、ああ、こういう人たちの働きがあって初めて、人は復興していくんだろうなと思わされるのです。
2013年10月7-10日こかけて、神奈川教区被災者支援の働きの一環として、各教会に呼ぴかけられて、7名のボランティアが派遣されました。神奈川教区は大震災の後、教区役員や社会委員長、有志がすぐ現地を訪問されていますが、教区としてボランティアをエマオに派遣するのは初めてです。ただ、個別にボランティアを派遣している神奈川教区の教会は多いようです。それぞれの地で、それぞれの教会で、それぞれの人達が、今自分に出来ることを捧げ、支え合っていることを教えられます。その恵と働きが、共に分かち合えるような機会が、今螢もっと与えられればと思います。
被災地では依然、多くのボランティアを必要としていると思います。エマオでの働きは、年齢、性別に関わちず、また体カに自信のある方も無い方も、参加できるよう配盧してくれています。今回、私と佐藤兄は、農家の方の家の稲刈り、脱穀、袋詰めを手伝いました。今は畑となっていたり田んぼになっている家の周囲は、津波に覆い尽くされた所です。残った家で、また農業を再開されているのです。ただ家はまだ住めなくて、仮設で住まわれていました。お母様と息子さんを津波で失われました。沢山いた従業員もいなくなり、今は2人で田植えから、収穫までやらなければなりません。被災した土地からは、若い世代の人がどんどん流出し、一層の過疎化、高齢化が進んでいます。でもそこで住み、生活し、生きていく人がいます。復輿とはそういう人たちが、また自分の足で歩き続けられるように、いつも覚え、いつも声をかけ続けることでしょう。そういう働きをエマオは地道に、コツコツとやってこられたし、これからもやっていかれようとしています。
幸い体験を話して下さり。「人生いろいろあるよ」と何度もかみしめるように語られるその言葉の重さに、想像を超える困難と絶望と、悲しみがあったことを感じます。その人たちが、また歩きだせるためには、やっぱり人の思いと、祈りと、差し出される手の温かさが必要なのだとまた強<感じました。イエス様はそのために、また私たちと同じ人として、私たちの世に生まれて来て下さる、そう思わされ、喜び、心から感謝するのです。
11月17日 牧師所感 Uコリント12:9
すると主は「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いにご喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえわたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(Uコリント12:9)
 イエス・キリストがその生涯において、多くの病人を癒されたことは、みなさんよくご存知のことです。しかし、同時に、聖書は病とその癒しについて別の角度からも光を当てているのではないかと思う時があります。例えぱ、キリスト教を世界に広めたパウロは、「肉体の棘」と記されているような「持病」を持っていました。しかも、パウロの再三の祈りにもかかわらず、病は癒されませんでした。そもそもこの時代のユダヤ社会では、病は伝統的に災禍として考えられ、因果応報的な解釈が与えられていました。しかし、新約聖書は、伝統的なユダヤ社会の考え方とは異なり、病の肯定的な側面を強調していると考えられるのです。
 昔、日野原重明先生の講演会に出席しました。日野原先生は、聖路加国際病院の理事長として、また「生き方上手」などの多くの著書を書かれている方です。
 日野原先生はその講演会の中で、「人は病の中でも、希望を持って生きることが出来る」と言われました。「人は痛みを、弱さを、自らの内に認めながら、労りながら、よりよく生きることが出来る」と言われるのです。私たちは、自らの体が健康で何の問題がない状態だけが有意義に生きられる時だと考えています。しかし、パウロは自らの弱さの中に、痛みの中にかけがえのないものを見出しました。パウロの言う「弱さ」は、キリストと切り離して考えることは出来ません。病気であれ、外的困難や迫害であれ、それはキリストを通して、新たな視点から見ることが出来ると言うのです。それが、パウロにとって「誇る」ことであり「満足する」ことなのです。弱い存在はパウロ自身です。そのパウロが自らの弱さの中に働く「キリストのカ」を見出したとき、彼は「強い」ものとなるのです。
 日野原先生は、講演会の結論として次のように言われていました。
 「新老人は『質素に生き、深く考える』生き方を生きるべきだ。そして、次の世代の子どもたちと若い人々に、これを生き方の手本として示すべきだ」。
 二れは、年を経た人々だけに語りかけられる言葉ではないと恩います。それは、キリスト者である私たち一人一人にも問いかけられる言葉です。
 私たちは生きると言うことにおいて、誰もが痛みや弱さを持っています。その弱さを私たちは自分の中にしっかり見つめつつも、その弱さに生きてくれるキリストをめいめいが見出すべきではないでしょうか。その時、人はその弱さをも自らの一部とし、労り愛し、歩み出せるのではないでしょうか。その時、人はきっと変わることが出来るでしょう。そのことを通して、私たちは「隣人に対する思いやり」「人に対するやさしさ」を覚えることが出来るはずです。そして、その姿を通して、私たちは隣人にまた、キリストを伝えていくことが出来るのではないでしょうか。真に生かされる喜びを覚えつつ、歩んでまいりましょう。
10月13日 牧師所感 詩篇84:6-7
いかに幸いなことでしょうあなたによって勇気を出し心に広い道を見ている人ば。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も蜂リ、祝福で覆ってくれるでしょラ,」(詩篇84:6-7)
 ようやく夏の暑さが和らいだと恩えぱ、急に冷え込んできました。秋はいろいろな行事があり、なんだか忙しくなります。しかし忙しくなると、どうも心のゆとりというか、余裕がなくなってしまうのが人間。
 ある時ルカ福音書の「良きサマリア人の譬え」(ルカ10:25-37)について話し合う機会があリました。その中で、出席看それぞれが、この譬えに登場する人物達の誰に当てはまるだろうと考えてみました。「祭司やレビ人だ」と言う人もあれば、「自分は追い剥ぎです」という意見や、「宿屋の主人」だとか、「いつもそうではないけど時にはサマリア人だ」とか、「追い剥ぎに襲われた人」だとか、様々な意見が出てとても良い学びの時を与えられました。終わり頃に「じゃあ、この登場人物の中で誰が一番幸せだったのか」を考えてみました。すると出席者の意見は統一され、「それは追い剥ぎにあった人だ」ということになりました。追い剥ぎにあった人が、どうして一番幸せなのでしょうか。普通に考えたらあり得ないことです。しかし、この人は、一人のサマリア人と出会えたのです。その人のことを真剣に心配し、親身になって世話をしてくれた見知らぬ一人の人と出会えたから、彼は一番不幸な人から一番幸せな人にかわったのです。
 創世記21章に出てくるハガルは、アブラハムに追われ、たった一人で子どもを守りながら荒野をさまよう。やがて食料も水もつき彼女はrこのまま自分の赤ん坊は死ぬのだ。」と絶望し、子どもを一本の小さな木の陰に寝かせて泣きます。すると、そこに天使の語りかけがハガルの耳に聞こえてきます。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞,かれた。立って行って、あの手を抱き上げ、お前の腕でしっかリと抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする」。すると、その次の瞬問、「神はハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた」とあリ、ハガルとその子どもイシュマエルは助かるのです。荒野をさまよっていたとき、ハガルば、追い詰められた精神状態の中で心の視野がせまくなってしまって、だんだんと周りが見えなくなってしまい、希望などあるはずがない、喜ぱしいことなど今後あるはずがない、と思ってしまうのです。ではそのハガルに、神は何をなされたか? 神はハガルに「水はすぐ近くにあるのだ」と教えたのです。神はわざわざ井戸を作って与えたわけでばあリません。何故なら、井戸はもともとそこにあったのです。希望ば実は近くにあるが、わたしたちばそれを発見できないときがある。それに気づかせるために、頑なになってしまった心を変えてくださるために、神の恵みがあったと聖書は言うのです。
 私たちは、生きていく上で、「自分は追い剥ぎに会った者のように辛いことぱかり経験している、自分ぱかリ貧乏くじを引いている」と思う時があります。そんな時は、意識しなくても自分の視野や思いが狭くなり、自分中心的な思いになってしまいます。しかし、そんな時にこそ、すこし立ち止まって周りを見てみたいと願います。そうすればきっと、あなたのために一生;懸命祈ってくれている人、声をかけてくれる人、手を差し伸べてくれる人を知り、出会うことが出来るはずです。それが私たちの渇いた心を潤してくれる命の水です。それはきっと私たちの灰色の心の色を塗り替え、一輪の花を咲かせてくれるのです。
9月8日 牧師所感 ヨハネ11:11
「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」(ヨハネて1:11)
つらいときや悲しいとき、悔しいとき、また逆にうれしいときや感動したときに、自然に流れる涙。感情の揺れ動きによって涙腺が緩み、涙が流れると、不恩議と「すーっ」と気持ちが落ち着いてくるように感じないだろうか? 実は涙というのは、自律神経と大きな関係がある。たとえぽ、悔しいときや怒ったときは感情が昂ぶり、落ち着かない気分になっている。こうした感情のときに流れる涙は、心身を緊張させる神経「交感神経」が刺激されることによって分泌されている。反対に、うれし涙や悲しい涙。こうした涙は、心身をリラックスさせる神経「副交感神経」が刺激されることによって分泌されている。交感神経が刺激されて流れる涙も、副交感神経が刺激されて流れる涙も、ひとしきり涙を流した後は、気持ちがすっきりするが、これは、涙がストレス物質を排出する重要な役目を果たしているからだそうだ。
人は、日々の生活の中で、様々な困難に出会い、ストレスを感じる。人との口論、仕事や勉強、また愛する者を失うことを経験する。悲しみでどうにかなってしまうのではないかとさえ思える。しかし、神様は人を創造された時、人に涙することを与えて下さっている。悲しみや辛さに直面した人がそれに押しつぶされないように。涙を流すように作られている。
実はこういう事は脳に対しても言えるそうだ。人間の心というものは、今までは心理学によってのみ解読されていたが、最近では脳科学もしくは神経科学という分野によって研究されている。心とは脳に非常に関係があり、脳の広範なネヅトワークで成り立っていると考えられている。例えぱ「誰かを嫌い」と感じたなら、それは脳のネットワークのある部分とある部分が結びついたから。そして脳の働きは(つまり心ということになるが)体に大きな影響を与える。故に、この組み合わせを自ら変える必要がある。その結びつきの組み合わせを変えることが、私達が言うところの「赦し」とか「寛容」と呼ばれるものである。
つまり、人は創造された時から、本当に人を赦すことの出来る存在として作られているのだという二と。聖書によれば、イエスはラザロの死に際して、憤り、涙を流された。イエスが何に対して怒り、涙を流されたかはいろいろ考え方、受け取り方があるだろう。しかし、この話の根底にあることは「愛する」ということだから、イエスのこれらの感情もそこから考えるべきだろう。イエスがラザロを愛していたことは、11章からのこの話で何度も出てくる。しかし、これは別段ラザロだけが特別扱いされていたということを示したいのではなく、有名な3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」ということを示している。と言うのも、この話し全体が、イエスの十字架の受難を暗に示しているからである。イエスは、危険を冒してラザロに会いに行く。会いに行くということは、イエスの十字架の死が決定的になるということ。しかし、イエスはそれでもラザロを愛するが故に出掛ける。実はそれが、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とハうことであり、十字架の贖いの根底にあるもの。そして、イエスはこのことを通してラザロを「友」と呼んでいる。ヨハネ福音書においては「友」という言葉は限られた回数しか登場しないが非常に重要。特に15章14以下では「命じることを行うなら、友である」とあり、さらに「僕ではなく、父から聞いたことを全て知ったものとして友」とされている。これは、奴隷のように主人の命令を意味も知らずに、実行するものではなく、相手の意志を知り、それを求めて行う存在を示している。ヨハネはそれが「互いに愛し合う」ことを通して実現するという。
この話は、ラザロの出来事に、神が人を愛し、人がそれに習って互いに愛し会うという救いの完成を見ている。ただしそれにはイエスの死が必要である。それによって人は、起こされ、新しい人を着るということになる。人は、神によって創造されたのだから、神は主人であり、人は奴隷という関係に過ぎない。しかし、聖書はその枠を超えようとしてきた。それが「人は神にかたどって創造された」ということ。それは、人がストレスを自然と涙で解放する、または、人はもともと人を赦すように出来ているということとも言えるが、何よりまして人は「友」とされるために作られたということではないか。友とは、神に呼ぴかけられた時、応える存在。愛されたとき、愛を覚え、愛する存在。信じられたとき、信じ返すことの出来る存在。そして、ラザロだけがそう呼ぱれるのではなく、十字架を通して、私達全てが「友」と呼ぴかけられているのだ。
「Aha!アハッ体験」というのがはやったことがある。分からないものが分かったときの感情をこう呼ぶそうだ。人はたくさんのことを考え、体験して、脳の中にたくさんの情報をたくわえている。「アハッ体験」によって、それらの情報が一瞬に繋がるのだそうだ。このうれしさが脳を変え、ネットワークが変わる。だから、何だかわからなくて一生懸命考えているときが、脳が活発に働いているとき。問題を考えてもやもやしているのも大切だし、気づいたときの「アハッ体験」も大事。そのために、いろんなことを体験し、不思議だと思う心を持ち続けることが大切。聖書には、そんなイエスとの「アハッ体験」がたくさん詰まっているのではないだろうか。
8月11日 牧師所感 マルコ426=29
また、イェスは言われた。神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。(マルコ4=26=29)
大船教会から再び、東北教区東目本被災者支援センターエマオを通して、仙台、若林地区七郷、笹屋敷地区にボランティアに行ってきました。私を含めて6人の参加で、2泊3目の日程です、今回は、教会員の方が「是非行きたい」と声をあげてくださり、皆さんがエマオとコンタクトを取り、皆さんで宿を取り計画されました。宿泊費は2泊で7千円台、新幹線往復2万数千:円、計三万円台で行けます。また教会からも一人、1万円の交通費補助をいただいていますので実質は2万円台になります。この方法であれぱ、宿泊や交通手段に不安のある年配の方でも安心して行くことが出来ると思います。
さて、今回エマオのワークに参加して思わされたことは、ボランテイアの関わり方が、変化しつつあるという二とです。昨年であれぱ、被災地も津波の傷跡が生々しかったりしましたが、今年は多くの農地が整備され田植えをされ、青々としていました。被災地に住む農家の人たちも、自分の農地に多くの野菜を生産し、目々の生計とされていました。少しずつではありますが、確実に被災地の人は前を向き、復興しています。少しでも以前の生活を取り戻しつつあるのです。涙し、絶望し、うずくまる人たちのために、泥をかき出し、瓦礫整理をし、荒地を整備する、そういう作業はなくなりました。今のワークは実際に生活をされている人の仕事を手伝うことです。畑の収穫や玉ねぎを天目干しにしたり、畑の雑草を抜いたりと…それは、そこの住む人たちの日々の生活のお手伝いです。
1日を終えてミーティングの中で、スタッフの方が、「復興、復興というが、すでに回復している人たちもいる。今度は、エマオはその人たちとどう関わつていくのか、考えていく必要がある。」 教団派遣専従者 佐藤真史さんは「エマオとしての活動は後2年です。今のボランティアのあり方は、明らかに初期の頃とは違う。それをしっかり確認しながら関わっていく必要がある」と語ってくださいました。
ボランティァはこれからも必要です。被災して身内を失い、あるいは若い世代が故郷を去っていく中、被災地はますます高齢化しています。たとえ畑や田んぼが残って、もとのようになっても、それを維持していくのは不可能です。そしてその不可能な思いが人をまた絶望へと押しやっていくでしょう。だから、これからも形を変えつつ、差し出される人の思い、人の手が必要です、忘れず祈ることが大切です。また、みなさん一緒にボランテイァに行きましょう!
P.S.女性陣は食事作りだけでなくエマオの建物内の大掃除もして下さいました。とてもとても喜ばれていました。
7月14日 牧師所感 ロ一マ8:3-4
肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまリ、罪を取り除くために御子を,罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉でばなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。(ロ一マ8:3-4)
 有吉佐和子の「江口の里」という作品がある。有吉佐和子は「悦惚の人」で有名な作家。彼女はカトリヅクの信者。「預かり信者の弁」の中で、彼女は次のように言っている。「小説を書くようになる前から、私はカトリヅク信者である自分に自信が持てなくなっていた。教会が示す戒律や規則や信者の義務を完全に果たすことがしんどくなっていたのである。罪を犯すことをおそれていると、小さな悪いことをせずに天国に行けるかもしれないが、思い切って大きな善いこともできなくなるのではないだろうか・・」。「江口の里」はまさに彼女のこんな気持ちを語っている。東京の下町にあるカトリック教会のグノー神父は、信者が熱心すぎることで悩んでいる。グノー神父は礼拝の説教は短いことにこしたことはないと考えているが、信徒から説教はもっと長くして欲しいと批判される。また、神父は毎日曜日に持たれる委員会が意味もなく長いことに苛立ちを覚える。「日本のカトリック信徒達は異様なほど熱烈な信仰を持っているようである」。グノー神父は、日本のカトリック信者にはカトリック信者以外の人間的部分が無いのではないかと時折懐疑する。そして「聖職者である彼よりも、数倍熱心に信仰について語り続ける彼らを見ていると、いっそう胃が収縮してきて、空腹に耐えきれなくなってくる」。ある時、献金の額が桁違いに多いときがあった。献金したのは和服姿の美女に違いないと見当をつける。しかし彼女は芸者で、信者達は彼女に洗礼を授けることに断固反対する。動じない神父に業を煮やした信者達は、教会を管轄する管区長に話を持ち込むが、グノー神父も管区長も、芸者である小ふみの責任を問うならぱ、花柳界の存続を許している杜会にこそ責任があるはずだと考える。そしてグノー神父は、教会に潤いを与えてくれた芸者小ふみを神に感謝し、その願いを叶えてあげようと考えるのである。ヨハネ福音書中の9章に安息日に生まれつき目の不自由な人が癒された話が載せられている。生まれつき目が不白由だった人が癒されたのだから、どれほど周りの人も喜んだだろうかと思いきや、そのことを不満に思う人たちばかりである。特にファリサイ派の人たちは、その治療が安息日に行われたということで、我慢ならない。安息日にいかなる仕事をしてはならないという律法の掟に従えぱ、確かにイエスの行いは律法を違反している。しかし一方で、イエスは確かに目を癒し、見えなかった者を見える者へとして下さった。それは、単に見えるという肉体的な事だけでなく、イエスが真の救い主という信仰に対して目が開かれたということ。
 つまりここで、見えなかった者は見えるようになってイエスを神の子だと告白し、見えると思っていた者は、結局何も見えていなかったのだという対比がなされている。規律、教義に従いまじめに神について学び、神の事を知っていると思っていた者が、結局救いそのものであるイエスを救い主だと認める事が出来ない。それどころか罪人と見なしてしまう。どうしてこのような事が起こるのだろうか。
 ヨハネ福音書は他の福音書と違い、イエスが安息日に人を癒す理由として「わたしの父は今なお働いておられる。だから私も働くのだ」どしている。(マノレコでは「安息日は、入のために定められた、人が安息日のためにあるのではない」と理由づけられている).。イエスの時代、生まれつき目の不自由な者は、周りの人々から「罪人」だと見なされた、それは犯罪者という事ではなく、神から愛されていない者として見なされたと言うこと。ところが、イエスの行いは、私たちがとらわれている価値観、伝統、習慣といったものを、いとも簡単にひっくり返してしまう。そしてその根拠が、イエスは父なる神の思いを誰よりも知り、その思いを実行するからだと言われる。
 私たちは時として「神はそう思われないだろう」と知りながらも、自分の価値観が崩される事を嫌って、目を閉じ、耳をふさいでしまってはいないだろうか。そしてそれを正当化するために、キリストの教えさえ利用する時がある。神の切なる思いを求めるのではなく、規牽や表面的な正しさや、評価によって自分を守ろうとする。それは一見悪いことをせずに天国に行けるように見えるかもしれないが、神の私たちに与えてくれた恵みに私たちの目は開かれているだろうか、そしてその恵みに本当に応えていると言えるだろうか思わされるのです。
6月9日 牧師所感 イザヤ53:4-6
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた 髪の手にかかり、打たれたから、 彼は苦しんでいるのだ、と。 彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪を全て 主は彼に負わされた。(イザヤ53:4-6)
実山事件とは今から、50年前の1963年5月1日埼玉県狭山市で女子高生が誘拐・殺害された事件です。警察は偏見、先入感、差別意識のもと、被差別部落を見込み捜査し、石川一雄さん(当時24歳)を5月23日別件逮捕し、過酷な脅しや誘導的な訊問で、石川さんから「ウノの自白」を引き出しました。浦和地裁では死刑判決、無実を訴える石川さんでしたが、1974牢東京高裁で無期懲役が確定し、1994年に仮出所するまで、実に20年に渡って千葉刑務所で過ごしたのです。2006年に第三次再審講求が掛され、2009年狭山事件三者協議会(裁判所・検察・弁護団)が始めて持たれ、現在13回目の三者協議会がもたれています。
福音書において、イエスが洗礼者ヨハネからヨルダン川でバプテスマを受けた時、聖霊が鳩のように降り、天が裂け、「あなたは、私の愛する子、私の心に適う者」という声が聞こえる。二れは、我々にイザヤ書42:1節を連想させる。つまり、「私の愛する子」とは「主の僕」であることが示唆される。主の僕は言うまでもなく第ニイザヤ書にあるもので、それは苦難の僕として13章において頂点をなす。「彼が担ったのは私たちの病・…」という有名な箇所。そもそも、イエスが何故、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けるのか? マタイはわざわざ言い訳を載せるが……。ようは、罪のない方が、罪あるこの世の人間として来て下さった。罪かないのに、罪人として生きる。そして、その苦しみこそが、多くの人を救う。
5月22日築地本顧寺に300名以上の宗教者が集まりました。仏教、神道、キリスト教、宗派、教派を超え、ただただ「石川さんの幸せを願う」ためにです。各宗派は、各自の形式で石川さんの解放を願いアピールしました。(プロテスタントからは教団エパタ教会の牧師亀岡顕牧師の司式のもと、讃美歌を歌い、リタニー、説教、祈りの時を守りました。)その後、らは日比谷公会堂までの1時間余りの道をパレードし、一人でも多くの方にこの事件に対する問題意識を持ってもらいたいと願いました。(キリスト教は讃美歌を歌い、仏教は般若心経を唱え、行進しました。日比谷の大きな交差点の車を止めて、パレードが横断するのは圧巻でした。〉
前を歩く、石川さんの背中を見ながら、「彼が担ったのは私たちの病・…」と先の苦難の僕を思い起こします。石川さんに、「あなたはそんな方ですね」と言えぱ、きっと「とんでもない」と言われるでしょう。石川さんは、小さくなりたくてなった訳ではない、小さくさせられたのです。無理やりに。だから、そんなことを言われればいい迷惑でしょう。
今年秋上映予定の石川一雄のドキュメンタリー映画、「みえない手錠をはずすまで」の監督 金聖雄さんは石川さんについて次の様に書いています。『2010年、はじめて狭山を訪れ石川さんを撮影させてもらいました。撮髭終了後スタッフが無くしてしまった小さなネジを、我々があきらめた後も石川さんはずっと地面に這いっくばって懸命に探してくれました。その姿に、スタヅフー同「石川さんは無実に決まってる…」と改めて確認しあいました。石川さんは、50年さんは、50年間、ずっと無実の罪を背負い続けているのです。しかし石川さんはこう言います。「我が人生に悔いはなし!」。半世紀近く強いられた人生を送りながらどうして「悔いが無い」なんていえるのだろうか? はじめは不思議でした。しかし撮影を重ねるうちにその言葉の意味が少しずつわかるようになってきました。獄中で文字を獲得したこと、妻早智子さんをはじめたくさんの人との出会い、狭山事件を通して生まれた固い絆、そして同じ冤罪を闘う仲間との友情…。石川さんは過酷な環境の中にありながらも、自会の人生を生きぬいてきたのです。そのあきらめない姿は、時として美しく、人々に感動を与えます。獄中で両親を亡くし、無実が証明されるまでお墓参りはしないと決めている74歳の石川一雄さんにば夢があります。「無実を証明して中学校に行きたい!」』。
キリスト教のいう罪は、違法や道徳観の問題でほなく、生き方そのものが的を外していて、神との間に平和がない状態です。そういう罪は、満たされ、権カを持ち人からあがめられ、いつも自分の方が正しく常識的なのだと思っている者のほうが深刻なのだ、逆に虐ばられ、小さくされ、苦しみを負い、痛みを知る人たちこそが、真実を見ているのだ、と聖書は語るのです。
聖霊がイエスに降るとは、イエスの中に神の国が実現したということです。そしてそれは、神の子であり、同時に苦難の僕として、生き抜いたイエスの生涯を通して、私たちに伝えられるのです。最も小さくなるとは、憐れんで、時々「なってやる」ではないのです。そんなことは不可能だし、小さくなったとは言いません。イエスはその歩みをなされた時から、最も小さいのです、小さくされた者として来られたのです。その姿が私たちに、真実を教えてくれるでしょう。私;たちの生きる方向を示してくれるでしょう。そして、本当の悲レみ、喜び、愛を教えてくれるのです。
5月12日 牧師所感「約束の成就」 使徒言行録2章22-42節
使徒言行録2章の14節から始まり36節まで、ペトロが語り始める内容は、この後二千年にわたって教会が語り続けてきた内容の全てが詰まっていると言える。重要なポイントは次の3点になる。1.ナザレ人イエスは神から\遣わされた方なのに、あなた方は殺した。2.神はこのイエスを復活させメシアとした。3.私達は聖霊を注がれたその証人である。
弟子達は別に専門家でも教養のある人たちでもなかった。だから、当時の人々は、とても驚いただろう。しかし、それは必然の出来事だった。なぜなら、それが聖霊というものの働きだから。使徒言行縁によれぱ弟子たちは「エルサレムを離れず、父の約東されたものを待ちなさい」と言われているし、ヨハネ福音書でも何度もイエスの名によって聖霊(弁護者)が送られることが記されている。ルカ福音書にもあるし、マタイ福音書には「父と子と聖霊の名によってバプテスマを授けること」が弟子たちの大きな使命として描かれている。だから、聖霊というものが弟予たちに与えられるということは、ゆるぎないことであり、確かなことであったということ。しかし、私たちは「確かな約束」というヤツほど胡散臭いものはないと思っている。そもそも人と人との約束が信用ならないから、規則や罰則が存在するのだろう。しかし、聖書というのは、すべては神と人との約束の物語であるといえる。おかしなことに、人を創造し、人という存在を誰よりも:く知っておられるはずの神が、この不安定で頼りない人間と約束をするというのだ。旧約聖書のアダムは神との約束を破った。アブラハムは約束の地に移住したが、神の約束である、息子を授かるということについては、信用していない。モーセは召命に際して、神の名を教えてもらっても、奇跡の杖を貰っても信じる事が出来ず、拒んでいる。
私たちの理論から言えぱ、そもそも約束とは対等な関係者の間に成り立つものである。つまり両者がその内容を遂行するであろう予測のもとに。だから本来、相手にその可能性が見受けられず、不相応であると考えれば、その約束の話さえもちあがらない。ところが、聖書の語る神の約束の歴史は、これと明らかに異なっている。それは、約束の相手としては明らかに不相応なものに対する、神の一方的な約束の歴史。
新約聖書における神と私たちとの約束、ということを一言に表すとすれぱどうだろう。色々な言い方があるかもしれない。例えば、パウロ的に言えば、それは人を義とする神の義、ということかもしれないし、和解・平和かもしれない。ヨハネで言えばもっと身近になる。それは「神はその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。一人子を信じるものがー人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ということになるだろう。ところが私たちはその約束を破っただけでなく、その約束そのものである一人子、イェスを殺したのだ。なんと恐ろしい事だろう。なんと螂呆の局凹」1更促冒欄2草22〜421即使徒言行録2章の14節から始まり36節まで、ペトロが語り始める内容は、!、・この後二千年にわたって教会が語り続けてきた内容の全てが請ま?てい一二一ると言える。重要なポイントは次の3点になる。1.ナザレ人イェスは神から\遣わされた方なのに、あなた方は殺した。2.神はこのイエスを復活させメ!'\シアとした3.私達は聖霊を注がれたその証人である。与子達は別に専門家でも教養のある人たちでもなかった。だから、当時の人々は、とても驚い二だろう。しかし、それは必然の出来事だった。な晋なら、それが聖霊というものの働きだから。巨徒言行縁によれぱ弟子たちはrエルサレムを離れず、父の約東されたものを待ちなさい」と芋われているし、ヨハネ福音書でも何度もイェスの名によって聖霊(弁護者)カ童送られることカミ己されている。ルカ福音書にもあるし、マタイ福音書にはr父と手と聖霊の名によってバプテス吃授けること」が弟子たちの大きな使命として描かれている。だから、聖霊というものが弟予二ちに与えられるということは、ゆるぎないことであり、確かなことであったということ。しかし、私二ちはr確かな約東」というヤツほど胡散臭いものはないと思っている箏そもそも人と人との約巨が信用ならならないから、鰯uや罰則が存在するのだろう。しかし、聖書というのは、すべて主神と人との約東の物語であるといえる。おかしなことに、人を創造し、人という存在を講よりも:く知っておられるはずの神が、この不安定で頼りない人間と約束をするというのだ。旧約聖季のアダムは神との約束を破った。アブラハムは約束の地に捗崔したが、神の約束である、ま子を授かるということについては、信用していない。モーセは召命に際して、神の名を教え=もらっても、奇跡の杖を貰っても信じる事が閑来ず、拒んでいる。ムたちの理論から言えぱ、そもそも約東とは対等な関係者の間に成り立つものである。つまり司者がその内容を遂行するであろラ予測のもとに。だから本来、相手にその可能性が見受け。れず、不相応であると考えれば、その約束の誘さえもちあがらない。ところが、聖書の語る神)約束の歴史は、これと明らかに異なっている。それは、約束の相手としては明らかに不相応眺のに対する、神の一方的な約束の歴史。玩約聖書における神と私たちとの約束、ということを一言に表すとすれぱどうだろう。色々な言・方があるかもしれない。例えば、パウロ的に言えば、それは人を義とする神の義、ということ1・もしれないし、和解・平和かもしれない。ヨハネで言えばもっと身近になる。それは「神ばそD一人子をお与えになったほどに、世を愛された。一人子を信じるものカミー人も滅びないで、k遠の命を得るためである」ということになるだろう。ところ沸私たちはその約東を破っただけeなく、その約束そのものである一人子、イェスを殺したのだ。なんと恐ろしい事だろう。なんとおぞましい事か。それは、誰かの事ではなく、私の、あなたのことなのだ。
私たちが眼を塞ぎたくて、知らないふりをしたくてしたくてたまらない、汚辱にまみれた出来事。それがイエスキリストの十字架の出来事。あなたが、私がその出来事の真ん中に確かにいる。しかし、ではすべてがそこで終わってしまうのか? 約束はついえてしまったのか? そうではなかった。主は復活なされた。それは、神の力を示すためや、偉大さや、すぱらしさを示すためではなく、私のためだ。あなたが生きるためだ。あなたを神が愛されるからだ。あなたには、何も誇るものが無いのに。だから私たちは、その神の一方的な約束を愛とよび、恵という言葉で置き換える。
神の、私たちへの約束の成就は、これから、たとえ私達があらゆる困難があったとしても、それでも「わたしはあなたを決して忘れない」という神の言葉を聞き、それを伝えていくこと。
忘れられない約束に生かされることを、聖霊降臨の時、しっかりと覚える者でありたい。
4月14日 牧師所感 使徒2:32-33
神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。(使徒:32-33)
復活日のメッセージはただ一つです。「主イエスはよみがえられた」ということです。そもそもキリスト教の伝道は、まさにこのことを伝えることから始まったのです。十字架の意味づけや、キリスト論といったことが形成されたのはもっと後のことです。使徒言行録を見ると、ペトロをはじめ最初の教会の宣教の中身は、十字架で死んだイエスを神はよみがえらせた、この事だけを証言しています。そこでは復活の意味についてすら述べようとはしていないのです。ただ「イエスが死に支配されるはずはなかった」ということ、その証が復活だったとしています。復活の意味について語るのではなく、復活の事実について語る、それが福音の内容であったのです。しかし、そうなると問題は、死人のよみがえりなんてことがあるかということです。そもそもイエスの弟子も信じていなかったのです。後に、使徒パウロが当時の文化の中心ともいうべきアテネで説教をしたとき、人々は「死人のよみがえりの事を聞くと、「この事については、いずれまた聞くことにする」といってパウロをあざ笑いました。今日だけではなく、いつの時代でも信じるなんてことはできないことだったのです。我々には復活などは到底信じられない、この事をしっかりと認めなくてはならないでしょう。
小学生に国語のテキストに阪神大震災の時の少女の話か載っています。少女は地震が襲ってきたとき、飼っていた犬バロを見捨ててしまう。「バロが死んだのは自分のせいだ」と言って、泣きやまない少女に、保健室の先生はこう話しかけます。「あんたは、やれることは、みーんなやったんよ。あれ以上は無理なんよ。わたしたちは、人間なんやもん。人間の力には、かぎりがあるの。人間は思いどおりにいかんことも、たくさんあるの。このことを、忘れたらあかん。わたしたちは、人間として人間のカのかぎり、できることをやるしかないのよ。これまでも、これからも」。弟子達がイエスの復活を信じたのは、復活の主が出会って下さったからであり、自分たちの信仰の力で信じたのではありません。むしろ到底信じられないという自分の無力さ、小ささを知らされたのです。しかし、その上で主は「信じない者にならないで、信じる者になれ」と言って下さった。そして弟子は信じたのです。
日本の歌手、平井堅が歌の中で「永遠はどこにもない、誰も触れることはない、でも君が笑うとその先を信じてみたくなる。手を伸ぱしたくなる。答えなどどこにもない、講も教えてくれない、でも君を思うとこの胸は痛みを抱きしめる。それだけが真実」と歌っています。
人生の目的が愛するということならぱ、十字架はその本当の愛を私たちに教えてくれます。本当の愛は、私たちに自分の限界を知らせ、自分が卑怯で小さく、何も出来ないことに気づかせます。それは私たちを打ち倒し、立ち止まらせるのです。何よりもの痛みとなるかもしれません。しかし、それでもキリストは私たちを求め、あなたの人生で出会って下さり、声をかけて下さるのです、だから私たちはそれがたとえ見えなくても、その先を信じることが出来るのです。手を伸ぱしてみようと思うのです。それはもしかしたら、死は死ではなくなるということかもしれない。死は空しくされ、より大きな愛のうちを生きることだと信じます。そしてそれが復活ではないかと信じるのです。
3月10日 牧師所感 コ・リントU4:14
主イェスを復活させた神が、イェスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてぐださると、わたしたちは知っています。
本州最東端の学校・岩手県宮古市の重茂半島にある千鶏小学校近くに住む昆愛海(こん・まなみ)ちゃんは今年の5.月が来たら7歳になるはずだ。この写真(省略)は2012年5月愛海ちゃんが補助輪なしで自転車に乗れるようになった時のもの。東日本巨大地震の日。保育園にいたときに強い揺れがあり、愛海ちゃん(当時4歳)は迎えに来た親と自宅に戻った。入り江を望む高台の家は、震災時の避難場所となっている小学校とも隣接していたが、帰宅した瞬間、巨大な津波が襲った。波は入りくんで狭くなった小さな湾に押し上げられ30b以上もの高さに達したのだという。両規と2歳の妹は引き潮にさらわれ亡くなり、愛海ちゃんだけは助かった。市内に住む祖母は愛海ちゃんをすぐに自分たちの家に避難させたいと考えたが、愛ちゃんは「ママが帰ってくるまでここで待ってる」「パパから電話かかってくるかな」と言って聞かなかった。愛海ちゃんが書いた両親への手紙は新聞報道され、大きな話題となった。
「ままへ いきているといいね おげんきですか 
おりがみとあやとりと ほんをよんでくれてありがと
ぱぱへ あわぴとか うにとか たことかこんぶとか いろんなのおとてね」

テゼ共同体の創設者、ブラザー・ロジェは、「それでは神はいったいどこにおられるのか」とい孤独の奥底からこみ上げる究極的な問いの中で、それでもあなたは「キリストのできごと」を待ち続けられるか」と問う。さらに「『できごと』はうきうきするようなことでもないかもしれないし、ましてあなたの主観の投影でもない。それは祈りの内に待ち望む心から生まれる、神の不思議な航跡の中に具体化されるもの。永遠に続くかと思える神の沈然。実はその時、あなたが意識しようとしまいと、神はあなたのすぐそばにおられるのだ」と語る。

私たちはまた、今も、「主の復活は本当にあるのか?」と問うている。この苦しみと不条理と、悲、みの人生の中で。でも、本当は知っている。信じている。復活はあるのだと。だから自分は、また生きていけるのだと。悲しみは悲しみに終わらないのだと、死は主のいのちに確かに飲み込まれたのだと。そのことを確かに、誰かに伝えられたのだと知っている。だからこの自分がここに愛するものと共に生き、たとえ目に見えなくても、また一緒に歩んで行くのだと知っている。
2月10日 牧師所感 ローマ5:6-8
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んで<ださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのだめに死んでくださったことによリ、神はわたしたちに対する愛を示されました。(ローマ5:6-8)
アメリカにいた時、「ナルニア王国物語」を映画で見ました。皆さんもよくご存知のC.S.ルイス原作の7章からなる物語です。映画の感想はというと、美しい王語句の風景といきいきした動物描写(CG)、戦いの場面の迫力には圧倒されます(英語が分からなくても十分楽しめました)。ただ、ストーリーというと、少し首を傾げることも。この話は明らかにキリスト教の恩想に基づいて描かれています。ライオンはキリストを表し、犠牲となり、命を与えるものとして復活します。そして神の国を実現するのです。それに敵対するのは、愛という存在がない氷の国の魔女。それは世界を赤しているのか。そして終末恩想に基づき、最後の戦いが行われ、悪は滅んでいく。実に明確な善悪の世界。しかし、そもそも私たちの世界はそんなに明確でないから大変なのです。善に見えるものが次の目には悪に見える。そんな世界に生き、そんな弱さを持つのが私たちなのです。
救いは、どのようにもたらされるか。それは、バビロン捕囚ということを経験した人たちにとっても、大きな問題でした。イザヤの求めた救いは、一言で言えぱ、「贖い主」ということによって示されます。「贖う」という言葉は、借金のために失った土地を買い戻すことがもとになっていまナ。つまり、神は失われた私たちを買い戻して下さる、一番近いしい親戚・存在だと、イザヤは言うのです。神は、ただ近いしい存在だから、一方的に助けて下さるのだというのです。ただし、この神に対して私たちは「僕」であることが求められます。それは、神を信じ、そのなされることを自身の人生を通して他者に反射させることです。ところがこの「僕」であるべきイスラエルの民は、そうではななかった。彼らは目に見えるカと富みに心奪われていくのです。イザヤの失望は大きかったでしょう。彼は結局苦しみだけを味わい、救いの完成を自分の目では見られなかったのです。しかし、それでも「主の僕」として生きたイザヤは、その人生を通して、私たちに大きな道しるべを与えてくれました。それが「苦難の僕」としての救い主です。「屠り場に引かれる子羊のように、口を開かず、捕らえられ、裁きを受けて、命を取られる」存在です。そしてその苦しみを見て、人々は気づいたというのです。その苦しみは我々の病や痛みを背負っているからなのに、彼自身のせいだと考えていた。刺し貫かれて打ち砕かれたのは、私たち自身の罪と咎を背負っていたからなのに…。彼が受けた傷によって私たちは平和と癒しが与えられたのに、私たちはそれを見ようとさえしなかった…と知らされるのです。全ての原因を他者に押しつけて、自分とは関係ないと言うことも出来ます。または正義と称し、人を裁くことも出来ます。
でもそうせずに、黙って口を開かず背負ってくれる存在がいてくれる。そしてその苦難の僕の姿に、私たちは確かに主イエス・キリストに見ることが出来るのです。十字架の命を通して、敵である私たちさえをも愛して下さった。だからキリストの復活は私たちの復活でもあるのです。この私たちがキリストにあって新たに生きる希望であり、確かな恵みなのです。今年もこのことを特に考える季節がやってこようとしています。
苓当に大切なことは何か、しっかり見つめて歩んでいきましょう。
1月13日 「始まりを探しに」 Iコリント8:1-3
偶像に備えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。
2013年おめでとうございます。正月そうそう嫌な話だが、世界第1位の死亡原因は何でしょうか? 飢えです。世界中の食料は世界人口に対して十分と言うから、飢えがあるのは、誰かが食べ過ぎているから。言うならぱ食べすぎが死亡原因。どこかの国はデフレデフレと言って物があふれかえる一方で、世界では、食糧価格の高謄のために、1億1500万人もの人が新たに飢餓に陥りました。現在、世界の飢餓人口は10億人とも11億人とも言われます。世界の全人口のうち、およそ7人に1人が飢えています。世界では、飢餓やそれに関連する病気のため、毎日2万5千人が命を落としています。そのうち、5歳以下の子どもは1万4千人を占めます。時間に直すと、6秒に1人、子どもが飢えを原因と二て命を落としています。
パウロは本日の聖書の箇所で、「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は知らねばならぬことをまだ知らない」と言います。それは、知識が足りない、だからもっと謙遜になって、もっともっと勉強しましょうということではありません。パウロはそうはいわないで「神を愛する人がいれぱ、その人は神に知られている」という言葉を続けています。つまり、ただ知識が足りないということではなく、知るということは自分が神を知るということではなくて、自分が神に知られている、つまりは自分が神に愛されているということを知ることなのだということを言いたいのです。
旧約聖書は、ヘブライ語アルファベットの2番目の文字から始まり、諸説があります。
@それはアルファベヅトの形と関係している。上下と右側はふさがり、左側だけが開いている。そして、右は過去であり・左は未来。だから、未来に向けて開かれている。後ろを振り返るな! 自分より上ぱかり見るな、自分より下ばかり見るな! そこからは何も生まれない、前に向かって歩け。と
A私たちは第二番目のアルファベヅトを知っているが、第一番目のアルファベツトを知らない。何故なら・最初の働きを示すものは、人のものではなく神によるものだから。だから第一番目はいつも隠されている。神の全てを人が理解していると考えるのは大きな誤りである。
ある体育の先生が次のような文章を書いています。「中学生は自分の体を他者と比較して劣等感を持ち、必要以上に悩むとき。成長の過程では、劣等感を持っことも必要だと私は思う。何故ならこの感情を通して、他者の痛みを理解できるから。でも、そこに留まらず、他人と逢う自分を発見し、何とか劣等感を克服して欲しいと願っている。自分自身は、オリンピックの選手になれなかったから今の自分があると思っていたが、そうではなく神様から与えられたのだと、生徒との交わりで教えられた。だから生かされている喜びを子ども達に伝えていきたい」。
パウロは「偶像に供えられた肉を食べてよいかどうか」という間題に、これが正論だから、このようにしましょう! と言うのかというと、全く違います。彼は、これが正しい考え方、知識だと知りながら、その正論通りに出来ない人と同じように、肉を食べないでおくと言います。これは、私たちにとって納得出来ないことかもしれません。正論があり、合理的で、正しい知識があるのならぱ、それにみんなが従うのが道理だと考えるからです。しかし、聖書のいわんとしている所は、正論や正しい知識はべート(2番目)であって、アレフ(1番目)ではないと言うことです。どんなに正論や合理的な知識を振りかざしたとしても、それは人を一つにすることは出来ず、逆に2つに別れさせてしまいます。そうではなくて、表面的に得られる知識を求めるのではなく、目に見えないかもの働きを求める、そのことが大切なのだとパウロは教えています。人は、聖書に対する知識さえ、自分を誇るため;に、人を裁くために用いたりします。しかし、聖書が本当に語る事は、全ての始まりである神の働きは、この私を知っていて下さるだけでなく、全ての人が神にとってとても大切な存在だということを知らせることから始まっていくのです。2013年、新しい年、私たちの進む方向は、そこに見えています。後ろや、上や下ぱかり見るのではなく、前に向かって。神の働きの始めに向かって。
以下2012年
12月2日 牧師所感 Tコリント13:13
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(Iコリント13:13)
メサイア、「救い主」と名付けられたオヲトリオ(宗教音楽)はチャールス・ジェネンズという人が聖書の有名な詩句の中から主の物語を語るにふさわしい聖句を精選して作詞をし、ヘンデルに作曲を依頼したもの。「キリストの降誕」「受難と贖罪そして復活」「永遠の生命」を、50曲近くの⊥種の組曲で表現している。
ゲオルグ・フリードリヅヒ・ヘンデル(1685-1759)はドイツ生まれの大作曲家で、天才的音楽家。すでに5歳の時、3歳と1歳の妹のために子守歌を作って歌ったというから驚きます。13歳の時彼の楽才が認められ、宮廷に招かれ自分の作曲したものを演奏して賞賛を博しました。その後王室の保護のもと、30以上のオペラを作曲上演し大成功を収めるのです。作曲活動は20年間続きますが、彼に対する支持と批判は相半ばする状態となり次第にその人気は後退していきます。負債と病苦に悩まされるようになります。1737年、彼は突然、脳出血で倒れ、右手が麻痺して指揮がとれなくなります。音楽家として致命的なことです。温泉治療でなんとか回復することができましたが、その半年後、彼の熱烈な後援者で、恋い慕っていた王妃キャロインが亡くなるのです。まさに、彼は物質的に、精神的に追いつめられます。その彼を友人達が救ってくれました。友人達は彼のために・音楽会を開催してくれ、それによって彼は借金をすべて返済することができたのです。ところが、再び不運は訪れ、戦争が始まり、次々と劇場が閉鎖されていくのです。人々は音楽に興味を示さなくなったのです。ヘンデル自身も激しいリューマチスの痛みを患い、音楽活動から遠ざかり自宅に引きこもるようになりました。次第に世間は彼を忘れていきました。そんなある日のこと、ヘンデルが思い出にふけっている突然イザヤ書56章の御言葉が浮かび上がってきたのです。「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり'彼が打ち砕かれたのはわたしたちの答のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように毛を切る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった。(53:5-7)」 
彼の心に深い喜びが湧いてきました。それは今までどうしても解らなかったことの解決が与えられたからです。それまでヘンデルは、音楽家の使命は;神を讃えることと、そして一人でも多くの人々にその喜びを分かつことにあると考えていましたが・彼はもう一つの使命を見いだしたのです。それは音楽を聴く人々が、互いに愛をもって結ばれる「和解」といら使命でした。彼は喜びの涙を流しながら、その聖句に音楽をつけていくのです。これが後に名曲とされた「メサイア」の23番〜26番。
クリスマスから年末にかけて、私たちはこの「メサイア」を聞く機会が多くなるでしょう。その美しい音色に魅了されることでしょう。しかし、それは私たちがキリストの生涯を思い起こす時。それは苦しみの中から、希望を見いだす時。それは、どんな時にも、私たちは「キリストが共にある」という恵みをいただいていることを思い出すとき。私たちの心の内に、もう一度隣人への愛を、和解を、強く思い起こすときでありたいと願います。
11月11日 牧師所感
大船教会からの東北教区エマオを通して、被災地のボランティアに行ってきました。大船教会から行くのが念願でした。田淵淑子姉、高瀬みどり姉・平松国子姉・平松健男兄と私の計5名です。
10/15(月)、16(火)の2日間の働きです。お見送りの方に励ましを受け、14日(日)の午後、新幹線で仙台へ。およそ3時間。(交通費の援助を教会からいただきました。感謝。) 15日 朝7:30にエマオの事務所に。建物が立派でびっくりしました。手続きと説明を受けます。写真は撮らない。観光ではない。現地の方も不愉快。・震災の話はこちらからは聞かない。相手から話していただく場合は可。・ワークはあくまでも相手め家の方のぺ一スで。急ぎずぎない。会話やお茶の交わりを優先する。その後、ボランティアの人全員(15名程度)が集まり、ミーティングと祈りがなされます。教会の支援と祈りによって、働きが支えられていることを説明されていました。チーム編成をします。大船の女性陣は、ボランティアのための夕食作りです。買い出し、献立、などすぺて自分たちでします。しかし、食材費などはエマオから支給されます。また缶詰やレトルトの食材が多くストックされていました。大体15人分を用意します。(夏場などのボランティアの多い時は70人もの食事をまかないます。)私と平松兄はワークヘ。若林地区七郷 笹屋敷地区。私は、2人の若いボランテイアの方々と一緒に自転車で現地に向かいました。片道自転車で50分程度。もう20代の若者と一緒に50分自転車は辛いし、危険です。申し出れば、車で行けるので無理しない方がいいと思いました。現地到着。自転車はいつでも、逃げられるように道路に向けて並べます。今でも地震は生々しい出来ごとなのです。私は、もう一人のボランティアの方と一緒に、個人宅の庭の手入れに行きました。この方は、学校を休学して、2か月程度の予定で来ているそうです。すでに、先方の家の方と強い信頼関係を持っていて、まるで孫のように可愛がられていました。そのお家の方とお茶を飲んで、沢山お話します。雑草抜き、畑の手入れ、松の剪定を少し手伝います。、その家には1枚の写真が飾ってあります。被災直後で、ボランティア十名ぐらいと、この家のご夫婦が映っています。本当は震災を思い出すので飾りたくないとのこと。でも、このボランティアの人がいたから、今の私たちがあると涙ながらに語られました。エマオのボランティアは人と人との信頼と絆の再構築を行っています。辛いことがあってもこの信頼があるから歩んでいけるのだと教えられます。代々のボランティが築いてきた信頼があるからこそ、私も参加出来るのです。感謝。この絆を次に引き継ぐ必要があります。3時にワークは一斉に終わりました。「明日もおいでよ」とお家の方に送り出されます。その日の夕食は、中華丼とスイートポテト。大人気です。翌日は、8時に集合。車で七郷の仮設のラジオ体操に参加しました。町中にある仮設で見落としそうです。60世帯ぐらいの小さな仮設。ラジオ体操には10名程度の女性が来られていました。エマオが始めたプログラムで大事にしているそうです。ラジオ体操の後に、お茶を飲みます(おちゃっこと言う)。どこでもこれが大切。仮設の方の会話の節々に、震災で亡くなった方の話が自然と出てきて、言葉に詰まります。またある女性か、どこにワークに行くのと聞き、笹屋敷というと、私たちの方にも来て欲しいのにと言われます。でもその方の住まいは荒浜で、今もそこに住むことは許可されていないのです。終了後、車でワークの場所に。昨日と同じ作業。お昼休みに、希望者で荒浜に行きました。小学校だけが奇跡的に残っています。仙台市民の誇りの松林は、ほとんど見る影もありません。空き地の所々に、黄色い旗がなびいています。帰宅希望者のしるし。しかし、許可はおりないでしょう。家と土地を失った人はどこに行くのでしょうか? 仮設は3年の期限付き。夕食はチラシ寿司。お汁(名前は忘れたが高瀬姉が作られた)。どれも美味しく、心も体も温まります。しかし大船に帰るので、ミーティングが終わった後、すぐに帰路につきました。食事作りはとても喜ばれました。このボランティアは不可欠です。現地の方はできるだけ同じ人に来て欲しいと言われます。でも、杜会人には難しい。エマオのボランティアはほとんどが学生で、私たちは、こういった思い切った参加はできません。でも、焦らず、自分だけの満足を求めず、信頼の輸の申に参加させてもらうことの喜びを大事に、そして、誰かが私たちを支え励まレていてくれていることに気づき、感謝するなら、私たちの出来ることは、実はとても多いのだと思います。
10月7日 牧師所感 ルカによる福音書13:22-30、ピリピの信徒の手紙4:4-7
一時、さかんに「勝ち組」「負け組」という言葉が使われていた。アメリカをはじめとする先進国は勝ち組なのか?経済的に軍事的に世界をリードし、世界の警察、正義としてその存在感を示す。豊かな食料を、莫大な物を消費し続けている。便利な器具が氾濫し、誰もが快適に過ごせるよう思っている。イエスは町々村々を通り、エルサレムヘ旅を続けている。その途中一人の人が『主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と訊ねる。信じがたいことだが、この時代、ユダヤ人の間では盛んに救われる人々の人数」が予測され、論議されていたそうだ。言わぱ「勝ち組」「負け組み」を考えていた。イエスはこれに対して「狭い戸口から入るように努めなさい」と答えられる。実はマタイ福音書にも同様の話があり、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」とある。ほとんど同じだが、マタイにおいて、道は2つ示されていて、一つは命に通じる狭い門、一つは滅ぴに通ずる広い門。そして多くの人が広い方を選ぶが、私たちは狭い門からこそ入ることを求められる。私たちは、今この2つの道のどちらにいるのかと不安になるだろう。ところがルカ福音書においては、示される道は一つ「狭い戸口」だけ。つまり、ここでは決断がテーマとされている。入ろうとした時に速やかに入らなけれぱ、後になってからでは間に合わないということが強調されている。パウロはキリスト者が生きていく上で、喜ぶということが不可欠であると言う。しかしそれは、自分の満足や達成感を示すものではない。それは感謝するということの一表現と言える。パウロにとって、神に対する感謝がまずあって初めて喜びがある。だから彼は祈る時、求めているものを神に打ち明けるとき、まず感謝があるのだと言う。彼にとって感謝のない祈りや願いは、私達を神との平和には導かないという。逆にこの感謝をもつて生きる者には、一つの特徴がある。それが「広い心」。この言葉で、パウロは人の弱さの中に示される神の力を示そうとしている。寛容さ、優しさ、憐れみと、どのように訳してもいいだろうが、その本質は、弱い人間に対する神の愛があることを覚える必要がある。これが無けれぱ「広い心」は道徳的な態度や、自分の力でなした緒果のようにしかみなされない。そうではなく、「広い心」それは神が私達を愛することの証として与えられたイエス・キリストにこそ示されるもの。イエスは力を誇ったか、知恵を誇ったか、人を裁いただろうか。そうではなく、すべての人に仕えるために来てくださった。私達が馬鹿にし、嘲る生き方を、道を歩んでくださった。だから私たちの価値観における「負け組み」はキリストにおいて存在しない。ルカ福音書において、マタイの2本の道がどうして1本にされているか。私達の歩む道はキリストによってすでに1本だから。キリストがエルサレムの十字架に向かって歩まれたそのときから私達の道も1本。ただその扉をくぐるか否かだけ。その扉は重いものではないし、修行や修練を伴うものではない。それは喜びの扉、感謝の扉。その道に全ての人が招かれている。だからその扉を・勇気をもつて、喜びをもってくぐりたいと願う。
9月9日 牧師所感 マルコ12:33
「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということはどんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。(マルコ12:33)
聖書の究極の教えは「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということでしょう。「どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」と書かれています。隣人を自分のように愛する、よく知られた聖書の言葉ですが、何を一体どうすればそうなのか、その教えに近づくのかいつも頭を抱えてしまいます。私たちは、どのように自分を愛しているか、それさえよく分かっていないと言えるのではないでしょうか。実はコンプレックスという存在へのアプローチの仕方がこの教えへの大きなヒントを与えてくれます。コンプレックスは正式には「フィーリング・トーンド・コンプレックス(Feeling Toned complex)」と呼ばれます。精神分析的概念で、無意識に抑圧されている、自我を脅かすような心的内容が一定の情動を中心に絡み合って構成されているまとまりのことを言います。一般的に「コンプレックス」と呼ばれているものは、劣等感コンプレックスというもので、コンプレックスは劣等感(inferiority feeling)だけを指し示すものではありません。有名なのにはエディプス・コンプレックス、カイン・コンプレックス、プロメテウス・コンプレックスなどがあります。コンプレックスの解消が多くの場合困難であることの最大の理由は「感情」です。逆に言えば、感情を伴わない劣等感はコンプレックスとは結びつきません。そこに怒りや悲しみ、羨望などの感情が動き始めて、自我によってコントロールできないものがコンプレックスなのです。(だからコンプレックスの中には劣等感に相反する優越感が存在する)。このコンプレックスという存在は、様々に私たちの生活に影響を及ぼしその力が強いときは殺人事件までに発展するものです。このコンプレックスはしばしば他者に「投影」されることがあります。投影とは自分の持っているコンプレックスを他人に投げかけて、あたかも他人がそのような人間であるように思いこむことです。例えば自分が強い敵意を持っている場合、他人が自分に対して敵意をもっているように感じるごとがあります。人間関係や生活においていらいらしたり、気分が沈んでくる時はこの「投影」の可能性があります。その時に私たちは、努力して自分自身を観察する必要があります。その時、多くの場合隣人の問題にして感じていたことが、自分の問題として引き受けなければならない事象であったことを知るでしょう。これを「投影のひきもどし」と言うそうです。つまり、相手の問題を自分の問題として見るための「対決」が必要なのです。
私たちが自分を愛するということも実は頭でいくら考えようとしても、限界があるのでしょう。何故ならそれは頭で行っていることではなく、感情が大きく関係しているからです。愛することにおいても喜んだり、悲しんだり、怒ったり様々な感情が働いています。当然この愛の感情は他者に対しても同様に働いています。例えば愛するが故に憎むという事例は多くあります。自分白身に対する愛の感情さえ私たちの中で未整理であるとするなら、他者に対するそれはなおさらと言えるでしょう。だから「対決」において大切なことは「相手に対して行われているようで、自分の心の内に対しても行われるべきだということを知る必要があるのです。一方的な敵対心だけではそこには建設的なものは生じません。相手の問題を指摘しつつ、自分の方に目を向けていくこと、これを「愛」と呼ぶことが出来るのではないか」と河合隼雄は言っている。人を愛するとは、自分の心を見つめることを通して初めてなしえると言えるでしょう。自分の、他者の問題から目を背けることでも、いたずらに批判することでもなく、自分自身のあり方と対決しながら接していく、そういう作業の積み重ねと言えます。その時私たちは嫌なみすぼらしい面を切り捨てるのではなく、それを自分の事として受け入れていこうとする姿勢を見出すことが、自分に対しても他者に対しても出来るのではないでしょうか。とても難しい事ですが、イエスの言葉に従い、自らの生きるという意味を共に深めていきたいと願います。
8月5日 牧師所感
エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら......。しかし今は、それがお前には見えない。」(ルカ19:41-42) 私は戦争を経験していない世代。だが、それは、戦争=先祖が犯した不幸な過ち、アンラッキーな出来事として、忘れ去ってしまってよいということではない。ある人が新聞に書いていた。「原爆が生み出したのは地獄だ。国が拡大して別の国と衝突し、一方的な主張をするようになったことが戦争、ひいては原爆を招いたのだ。国と国の争いは、一般の個人の関係と同じようなもの。一人一人が相手の気持ちを優しく見守れる世の中であれば、戦争のない静かな生活ができるのではないか。原爆はそういったささやかな気持ちも含めて何もかも吹き飛ばしてしまった。あの惨劇を生んだ原爆は二度と使ってはならない。」
イエスが人々の歓喜をよそに涙し、言われた言葉。「おまえも平和への道をわきまえていたなら」。ここで使われる「平和」は単に戦争のない状態を示しているのではない。ここでイエスの言われる「平和」は「和解」の意味で用いられている。それは人と神との和解。神との和解による平和は、イエスが平和の都エルサレムで十字架にかかることによって実現する。しかしエルサレムはそのことを「知らず」、「見えていない」。自分たちがイエスを殺すとも知らずに。だから人々は口々に「主の名によって来られる方、王に祝福あるように、天には平和、いと高き所には栄光」と叫び、本物に見せかけた漆喰を塗っていく。イエスを迎え入れた人々の歓喜は何か?彼らが口々に叫んだ平和とは何か、栄光とは何か。かつて日本が「大東亜共栄圏」をかかげ、神の民と称し、西欧からの独立を求めて起こした戦争ではないか。「これを落とせば、戦争が終結する」と思ったこと、「やられたらやり返す、それのどこが悪いのか」そう叫ぶ声、人の決して持つべきものではない、バクダンではないか。広島・長崎の原爆の悲劇は、今の原子力の事故に何を語るのか。いじめや自殺の陰鬱な事件は、かつての戦争で死んでいった方々の命の尊さをないがしろにしていないか。どちらが正しいかではなく、どちらも偽りの平和。だから、イエスはまた十字架に架かられるだろう。だから、私たちは今、決して自らの耳を、目を、偽りの平和に惑わされてはならない。私たちの平和はいついかなる時も、この主イエスの十字架の愛に基づくもの。私たち一人一人がかつてイエスを十字架に付け、それでも愛されたという確かな事実。戦争が確かに人を殺し、それに私たちもまた確かに関わった思い。このことから目を逸らさない、耳をふさいではならない。それが、命を受け継ぎ、与えられた者の、人生をかけて伝えて行くべき事ではないだろうか。
7月1日 牧師所感
第12回部落解放全国会議が大阪で行われました。また、今年は教団部落解放センター開所30周年です。全国から180名あまりの方々が参加され、3日に渡って学習の時、自分の目で現状を見つめる機会、互いに話し合う時を与えられました。初日、実行委員長大阪教区議長向井希夫牧師の挨拶の中で「本当に恐ろしいのは在特会などの人々ではなく、そういう人たちの極端な発言を、ネッ卜やメ−ルなどの匿名性の強いところから支持している普通の市民。私や教会自身の中に、差別を、排除を生み出すものがあるのでは?」との問いを与えられました。続く、基調講演では部落解放センター運営委員長東谷誠さんが、非常にカ強く、印象的なお話をして下さいました。東谷さんが差別の中で教会と共に歩んでこられたこと。教会の中にも差別があること。同じ聖書を読んでも、差別する人としない人がいるということ。教会が様々な取り組みをしないのは聖書の読み方に問題があるのではないかということ。そして、本当の人間解故のために宗教家が立ち上がらなけれぱならないということ。宗教者だからこそ人の心に踏み込んで訴えていけろのだから。教団部落解故方針に立ち返ってすベての差別が無くなるように務めていきたいと訴えられた.そして最後に、全国氷平社創立9O周年記念集会での宣言文を唱和しました。そこには「吾々は人の世に熱と光を求め続ける。吾等部落解放同盟はその歴史的使命を自覚し、前進していくことをここに誓う」と書かれてあります。
続く記念講演は、近畿大学の教授であり、部落解放同盟大阪府連委員長の北口未広さんでした。その話しは明確です。差別ということを考えるとき、まずその慕準を明確にする必要がある。例えぱ、セクハラは加害者と被害者の関係が前提となる。同じように肩をもまれても、相手とどういう関係かということで全く違う。差別は人が人を差別することからしか生まれないから、平等にするには、人と人の関係こそが問題である。関係はシステムにより支配されるが、システムは感党と強い結びつきを持っている。そして流動的である。しかし、変えることが出来る。だからその為に、内容・関係・時間・場所・対応・方法を踏まえ、現実を正しく見る必要がある。甘すぎてはいけない。到達できないから。厳しすぎてもいけない。何も出来なくなるから。そうではなく、事実を認定し差別の問題点を整理し、原因・背景(つまり経済・政治・法・社会)を識別し、課題を見出し、それに対する政策化を行い、実践する。差別を変えるというより、システムを変えること、基準を変えることが犬切。そうすれば、確かに人の関係は変わるのだ。本当に舌を巻くような、理路整然とした講演でした。
ただ、終了後の質問で、講演に対して「怒りがない」という意見がなされました。二日目のフィールドワークでは、大阪人権博物館・リバティ大阪を初めて見てきました。実はこのリバティ大阪、大阪の財政難を背景に、現市長は補助金支援を打ち切ることを打ち出しています。(最終日にはこれに反対する抗議文書を賛成多数で承認しました。) 市長は、今年4月この施設を視察して展示内容を指摘して「内容が差別や人権に特化されていて、子どもが夢や希望を抱ける展示になっていない」と批判したそうです。見学した印象は、人権博物館というのにふさわしい というものでした。命の誕生を先頭に、セクシャルティーのテーマ、HIVの問題、さらには多様な文化として アイヌ、在日韓国、大阪にf主む沖縄の人達の文化やくらし、障碍がある人が牛きる事、ハンセン氏病、部落問題、それぞれが、多くの資料と共に並べられてありました。最後には、子どもたちが働くということの意昧や、大阪が生んだ有名人の写真パネルがありました。すごく目新しいものではありませんでしたが、悪くはないと思いました。分かりやすいし…、にぎやかだし。ところが、フィールドワークを終えて、振り返りの時を持っていると、ショックを受けたという人が多くいました。その方々は「今まで何度も、何度もリバティー大阪に行ったことがあった。しかし残念な二とに今回の展示は、今までのそれとは全く違っていた。恐らくこの展示は現大阪市長の好みだろう。以前の展示は、先ず部落差別との闘いの歴史が先頭にあった。生きる権利、学ぶ権利、信じる権利、働く権利 それが掲げられていた。まさに、精気が満ちていた。でも今のは達う。唯の文化の違いの展示であり、闘いの歴史ではない。更に決定的に違うのは、展ホの流れが、「感謝しなさい、努力しなさい、社会に貢献しなさい、そしたらはじめて権利をあげましょう という市長Q思惑くになっている。生きる樵利とはそんなものではない。ここには確かに、部落差別との闘いがあった場所なのに。闘いのない解放なんてないのに」。
先の記念講演の北口さんは、このリパティ大阪の存続にも大きく関わっておられる。なのに、講演では全く触れられなかった。また部落解放同盟犬阪府連合の執行委員長であり、部落解放同盟中央執行委員でもある。部落解放同盟は長く狭山事件を支持してきたが、ここに来て、少し活勤が弱くなっている。狭山はすでにマスコミの喜ぶ冤罪事件であり、差別事件ではなくなりつつあるようだ。そのあたりを語ろうとしなかった北口さんに批判が集まったのだろう。分科会は狭山事件についてだったが、石川さんを実際に支援し続けている方は言います。石川さんはとても人を信じている。誰より再審請求がなされる事に確信を抱いている。人を決して疑わない。検察に対しても。チヨットあり得ないと思いました。差別され一度は死刑判決.31年間の刑務所。未だに見えない手旋をされ、70歳を越えているのです。怒りが無いはずがない。でも、石川さんを支え続ける様々な人がいる。だから、石)llさんは人を信じ続けるのです。闘い続けるということは、結局、人を信じ続ける、神を信じ続けるということなのだろうと教えられます。そしてそれは闘い続けないと見えてこないのでしょう。.だから、私たちも信じなくてどうするのか? と間われます。
生きていくことは、闘い続けること。そこには当然、怒りがあるはず。でもすべては怒りに終わるのではなく、結局、信じることだと教えられます。人を信じ、神を信じて、また歩んでいきたいと思わされるのです。
6月3日 牧師所感 (ヨハネ3:8)
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を間いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」。(ヨハネ3:8)

いずみ会で、フラワーセンターに行きました。バラや芍薬が満開で素晴らしい時を 経験しました。かつて、写真家の森本二太郎さんに「野の花がどうして育つ」 というテーマで話を聞いたことがあります。二太郎さんは日本の高度成長期にともなう自然破壊の実状を目の当たりにして、「生きていく上での自然の大切さを考えさせられるようになり、教師を辞職して写真家とレて歩まれたそうです。当初は人々が望むであろう、雑誌に掲載されそう な写真を撮ることに必死だったそうです。しかレ、その結果小さな植物、森の命の営みを無視してしまうことになりました。ある時、 撮影で登った山で、花の香りに気付かれました。すると今まで視界に映っていたはずなのに、見ようとしていなかった花々の姿が晃えてきたそうです。「花の美しさは、命を受け継いでいくためのもの。その為に必要なものを神様はそれぞれに与えている。例えば高山植物は、その命を次の世代に伝えるために、短い雪解けの時にまず花を咲かせ、そしてそれを追うようにして緑の菜が顔を出す。.それは神様が与えた命の尊さを教えてくれる」。また、次のような経験をされました。自然植物を撮影するためには、その植物の目線になるために様々な不自然な体勢で写真を撮る必要があります。ある時、いつものように腹這いになって撮影しようとすると、胸に何か堅い物があたっていたそうです。石かとおもって取り除こうとすると、それはツクシだったそうです。そこにも確かに生命の力強い営みがあったのです。私達は、神様がそれぞれの命に配慮して下さっている恵みに対して無関心になってしまってはいないでしょうか。創世記1:31で神様が6日間かけて天地を造り、動植物、人間を造られた後にそれらを見て「極めて良かった」と言われたように、私達の世界は互いが関係しあって生きているのです。それは命与えられたものが、他の命を大切にするという関係です。詩編8:4-5に「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは」と歌われるように、またローマ書1:20でパウロが「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠のカと神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」と言うように、私達は神様が作り出された自然から、神様の私達一人一人への配慮を知ることが出来るはずです。神様は、私達一人一人を違いをもった存在として見て下さっている.一.人一人を認め、大切な存在として関係を持って下さっています。
「tンス・オプ・ワンダー」という言葉を用いたのは、アメリカの作家レイチェル・カーソンです。彼女は驚きと不思議に満ちたいのちの営み、自然の仕組みに感動して夢中になること、それを「センス・オブ・ワンダー」と定義レています。私達キリスト者にとってのセンス・オブ・ワンダーは、ただ自然を見て感動し、美しいと感じるだけではなく、その背後にある神様の創造のカ、偉大さに目を向けていくことと言えます。そして、イエス・キリストの十字架の出来事こそが、私達一入一人を真の命へと導くことを知ることです。神様はそのことに気付かせて下さるために、私達に様々な出来事、出会いを用意して下さっているのです。それを通して、私達は相手と真剣に関わること、自分の価値観に左右されるのではなく、相手を知ろうとすること、そのことを学び合います。そして、それを通して神様の愛を知らされ、神への畏れと感謝の思いを感じる者とされていきます。驚くべき方が私達と共にいて下さることへの感謝、イエスが共に歩んで下さって、「ありがとう」と思わずにはいられないのです。その喜びのもと歩んでいくのです。
5月6日 牧師所感「イースターのために最後の晩餐を常に覚えて」
イースターおめでとうございます。イ一スターの喜びのうちに、日々の生活を歩まれていますか? 日々、その恵みを覚え、新たないのちに生か されることに感謝していますか?些細な不和やプライドや、様々な彫、 い煩いによってこの恵みを見失っていませんか?私たちの教会では、 イースターを迎えるために、受難週の金曜日に「受難日礼拝」を守っ ています。皆様は出られたことがあるでしょうか。イースター.はイエスの十字架がなければ成り立たないことです。どんなに素晴ら しい恵みの日であったとしても、十字架抜きでは考えられません。その十字架に付けられる前の夜にイエスは弟子達と食事をしました。それが、今、私たちが月に一度礼拝で守っている聖餐の大きな要因の一つです。ですから、毎月の聖餐もイエスの十字架抜きでは考えられません。イエスの「最後の晩餐」はヨハネ福音書以タトでは 「過越の食事」です。しかレ、この過越の食事においてメインディノシュであるはずの小羊の肉は出てきません。なぜでしょうか。それは、イエスご自身が翌日、屠られ る小羊となって十字架で死なれることを意図していたからです。この晩餐の最も大切 な食事は、イエスの命です。.バンを裂いて弟子たちにお与えになる時、イエスは「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」ぶどう酒をお与えになったとき「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約 である」と言われます。それはすなわち「わたしは明日あなたの救いのために、十字架の上でこの体を裂き、わたしの血を流します」という意味です。ですからこのバ ンを食べ、この杯から飲みなさい」ということは「私の命を受け取りなさい」と同じです。そして小羊の血が塗られた家の人が救われたように、イエスの血が心に塗られ た者は枚われるのです。イスラエルの民トニとって絶対に忘れてはいけない救いの業が 出エジプトであったとするなら、クリスチャンにとってのそれは、キリストの十字架 の出来事です。ですからユダヤ人が毎年過越の貪事を繰り返すのと同じように、私たちの教会では毎月聖餐を繰り返すのです。子どもたちから「教会でパンを食べてぶどうジュ一スを飲むのはどういう意味があるの」と問われるとき、答えてください。 「それはね、イエス様が.十字架の上で私たちの代わりに死んでくださって、私たちを救ってくださったから。そのことを忘れないためにしているんだよ」と。このことが親から子へ、あなたから隣人へと伝えられることにより、これまで2000年間以ヒ、十字架の御業が忘れられることはありませんでした。そして、今度は私たちが伝えて いかなければなりません。
そして「最後の晩餐jは「神の国の食車」を意味しています。私たちは必ず、天の御国において、イエス主催の晩餐会に出席する希望を、喜びを、聖餐に見るのです。イスラエルにおいて、一緒に食事をするということは和解を意昧する行為です。、黙示録3章20節「わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれぱ、わたしは中に人ってその者と共に食事をし、彼もまた、わた しと共に食事をするであろう」これは、これまでイエスに対して戸を閉ざしていた者 が心を開くときに、イエスはその人と共に和解の食事をされるという約束です。ですから聖餐もまた和解の食事です。私がこれまで神様に対して背を向けていたとしても、また神と敵対関係にあったとしても、キリストよリ一方的に(私たちのカや行いの結果得られることではない)差し出されるパンと杯を受け取るならば、それは神との和解のしるしとなるのです。神だけではありません。神の家族との和解の食事にもなるのです.聖餐を通して一つの食卓を囲み、一つのパンをいただき、私たちが互いに和解するとき、私たちは、再びイエス主催の晩餐に、神の国で招かれるのです。そして、主は、今、この晩餐会にあなたが出席するのをとても楽しみにしておられるのです。
4月1日 牧師所感 ルカ24:30-32
一緒に含事の席に着いたとき.イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語リ合った.(ルカ24:30-32)
2人の男が歩いている。彼らは憂鬱な而もちだった.2人はつい最近起こった出來事について語っている。.するとそこに見知らぬ人物が近づいてきて、話しかけてくる。2人はそれが誰だか分からない。2人はこの見知らぬ男の質問に何も知らないことを知り、失望または怒りを感じながら、自分たちの現実がいかに絶望的なものかを語る。
これに対して、この見知らぬ男は「物わかりが悪く、心鈍く、信じられないものよ」と批判する。その男は怒っているのか、2人を残したまま、先に進もうとする。2人は慌てて、相手を食事に誘う。そして2人の心は撚え上がった。ある牧師さんは牧師をやめようと考えていた。きっといろんな事があったのだろう。そんな時、ある小学生に『牧師さん。何かお話をしてくれませんか。イエス様がいろいろなところに出かけて行つて病気を治したり、人を慰めたりしたってことを聞いたことがあります。どうして今も私たちに同じようにしてくれないの?』と尋ねられた。その牧師は、神が人となったことや、イエス様がその小学生のことをどれくらい愛してくださっているかを話した。子どもは、愛に飢えた目を大きく開けてまっすぐに牧師を見つめていた。話しながら、牧師の目から涙があふれてきた。「こうして神は子どもたちへの愛を示され、私の心を砕き、私を再び神に仕える者としてくださったのだ」と気づいた。2人の弟子達の目が開けて、この見知らぬ男性が復活のキリストであると分かったのは、食事の時だった。ところが不思議なこと}こ、弟子達の目が開かれてキリストであることが分かると、その姿が見えなくなった。目の前にイエスがいても目が遮られていれぱ、それがキリストであることが分からず、目が開かれてキリストであることが分かれぱ、姿が見えなくなったのだ。これこそが、キリストの復活の出来事。
私たちは得てして、希望とは、救いとは自に見えるもの、私たちの望むものでなければならないと考えている。そして、私達の目は、誰よりも開かれ、全てを知っていると考えている。しかし、そのように考え、固執しているとき、実は私達は何も見えていないし、何かを知っているようで何も知らない。真のイー一スターの出来事とは、枚いとは「キリストは、私たちには見えなくても、いつも私たちと一緒にあって、私たちにキリストの十字架を示し、キリストの愛を感じさせてくれるもの」ということを知り、生きている主イエス・キリストを感じ信じるということ。そして、そのことに私たちが心燃やされること。主が生きておられることが分からなくなったとき、私たちの信仰は過去形になる。「昔は私も熱心だった」と過去形にしてしまってはいけない。生きている主に出会うために、私たちはもう一度自らの心を、十字架を通して、砕いていただき、もう一度、主の解き明かして下さる御言葉に耳を傾けたい。.もう一度、主とともに食卓に着き、主から渡されるパンを共に食し、見えない主が、いつも私たちと一緒に歩んで下さっていることを知りたい。
3月4日 牧師所感 Uコリント12:9
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。カは弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストのカがわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮滓、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

 イエス・キリストがその生涯において、多くの病人を癒されたことは、みなさんよくご存知の事です。しかし、同時に、聖書は病とその癒しについて別の角度からも光を当てているのではないかと思う時があります。例えば、キリスト教を世界に広めたパウロは、「肉体の棘」と記されているような「持病」を持っていました。しかも、パウロの再三の祈りにもかかわらず、病は癒されませんでした。そもそもこの時代のユダヤ社会では、病は伝統的に災禍として考えられ、因果応報的な解釈が与えられていました。しかし、新約聖書は、伝統的なユダヤ社会の考え方とは異なり、病の肯定的な側面を強調していると考えられます。 アメリカの教会にいた時、94歳の日野原重明先生の講演会に出席しました(先には横須賀学院で100歳で講演された)。日野原先生はその講演会の中で「人は病の中でも、希望を持って生きることが出来る」と言われました。「人は痛みを、弱さを自らの内に認めながら、労りながら、よりよく生きることが出来る」と言われるのです。私たちは、自らの体が健康で何の問題がない状態だけが有意義に生きられる時だと考えています。しかし、パウロは自らの弱さの中に、痛みの中にかけがえのないものを見出しました。パウロの言う「弱さ」は、キリストと切り離して考えることは出来ません。病気であれ、外的困難や迫害であれ、それはキリストを通して、新たな視点から見ることが出来ると言うのです。それが、パウロにとって「誇る」ことであり「満足する」ことなのです。弱い存在はパウロ自身です。そのパウロが自らの弱さの中に働く「キリストの力」を見出したとき、彼は「強い」ものとなるのです。日野原先生は、講演会の結論として次のように書かれています。「新老人は『質素生き、深く考える』生き方を生きるべきだ。そして、次の世代の子どもたちと若い人々に、これを生き方の手本として示すべきだ」と。これは、年を経た人々だけに語りかけられる言葉ではないと思います。それは、キリスト者である私たち一人一人にも問いかけられる言葉です。私たちは生きると言うことにおいて、誰もが痛みや弱さを持っています。その弱さを私たちは自分の中にしっかり見つめ、その弱さに生きてくれるキリストをめいめいが見出すべきではないでしょうか。その時、人はその弱さをも自らの一部としていたわり、愛し、歩み出せるのではないでしょうか。その時、人はきっと変わることが出来るでしょう。そのことを通して、私たちは「隣人に対する思いやり」「人に対するやさしさ」を覚えることが出来るはずです。そして、その姿を通して、私たちは隣人にまた、キリストを伝えていくことが出来るのではないでしょうか。真に生かされる喜びを覚えつつ、歩んでまいりましょう。
2月5日 牧師所感
 神奈川教区離落差別問題小員会は、神奈川の部落吏を学んでいます。今回は、1月21日(土)午後から、涛トリック雪の下教会、北鎌倉の光照寺の儘力をいただいて、「鎌倉のキリシタン弾圧と被差別部落の歴史をたどる」というテーマで、学習会を持ちました。小雪の舞う寒い日でしたが、後援団体、神奈川同宗連の方々も含め35名以上の多くの方と一緒に学びを持ちました。雪の下カトリック教会では、聖堂を入って、祭壇手前の左にあゐ洗礼盤の周りに、置かれた三枚の大きな絵に関連する、隠れキリシタンの歴史を、高木一雄さんから伺うことができました。高木さんは江戸−明治期のカトリック教会史が専門の方で、多くの輿味深いお話しをして下さい凌した。玖下は講演から、またカトジック雪の下のHPから、カトリック雪の下の協力司祭であられる山口道孝先生の書かれた「古都鎌倉のキリシタン」(あけぼの2012,2p.21以下)から参考にしながらまとめたいと思います。カトリック雪の下にある3枚の絵は、カトリック雪の下教会のメンバーで画家の村田佳代子さんが、江戸時代のキジシタン弾圧を描いたものです。その絵は、ヒラリオ孫左衛門が火あぶりにされている絵、フランシスコ・ガルベス神父がマリアに洗礼を授けている絵、獄中のマリアが描かれています。長崎で26聖人殉教事件が起こった翌年、!598年権力者豊臣秀吉が死にます。皮肉なことに、今度は徳川家康が天下の実権を握るため、スペインとの貿易を望み、キリスト教の布教を許します。また家康は、小田原の北条攻めの後、秀吉から小田原北条氏の旧領をもらい江戸に入るために鎌倉を通った時、鎌倉の極楽寺村で弾左衛門という人物に出会っています。家康は、弾左衛門の統率力を見抜き、現在の関東、伊豆、甲斐、駿河の一部を含み膨大な地域にある、被差別部落の統括を依頼しました。被が「長吏頭」となり長吏、非人、猿飼を支配しました。そして二代目の弾左衛門力が浅草に巨大な屋敷を構えます。そういう流れで、鎌倉極楽寺村の人たちは、頻繁に浅草を訪れるようになり、そこでキリシタン宣教師と出会ったと思われます。家康が関ヶ原で勝利したi600年から1606年ごろは、江戸においてもキリシタンの全盛時代であり、家康から浅草に教会堂建設の許可を受けた宣教師たちは、ハンセン病患者の医療施設などを建設し、宣教していく。そのころのキリシタン人口は70万人とも75万人ともいわれるのです。しかし、1612年には「バテレン追放令」が発布され、多くの宣教師が海外に追放されます。そして三代将軍家光の時、キリシタン迫害が始まったのです。弾圧が激しくなるに従って、江戸浅草近在のキりシタンたちが親戚を頼って極楽寺村付近に移って来ました。そして江戸浅草から神父や伝道士たちが巡回するようになったのですが、1623年(元和9年)、フランシスコ・ガルベス神練父、キリシタン伝道所の責任者ヒラリオ孫左衛門と妻マリアとジョアン長左衛門、ペトロ喜三郎の5人が、懸賞金目当てに密告され、鎌倉極楽寺村の海辺で逮捕され、江戸は小伝馬町の牢屋敷へと送られ、48人が火あぶりにされ、最終的には88人もの人たちカミ殉教するのです。
 続いて、鎌倉駅から、北鎌倉先までバスで移動して、光照寺でも住職の河野憲胤さんよリキリシタンに関するお話しを伺いました。このお寺には本尊の阿弥陀如来の他に、キリシタン大名九州中川藩菩提寺東渓院の本尊釈迦如来があります。また隠れキリシタンが使っていた燭台が残ります。そして山門には中川氏の家紋のひとつである「中川クルス紋」が掲げられています。
 いわゆる十字架をかたどった家紋です。1612年キリスト教禁令が出されるとともに、人々は強制的にどこかの寺に所属することになりました。実は、この光照寺は転びキリシタンの檀那寺です。江戸時代、迫害の中、キリスト教を棄教した者は6代まで(女性の場合は3代)監視され、出産・結婚・供養にいたゐまで届け出が義務付けられ、記載された者が死亡した場合は、火葬(古いキ'リスト教では火葬を嫌う)を指示されたそうです。しかし、光照寺には戒名と名前が記された台帳があるそうですが、現在見ても、その人がキリシタンかそうではないのか全く区別がつかないそうです。ただし、その当時、マニラなどにこの台帳の幾人分かの写しが送られ、宣教師に渡された形跡があり、それは隠れキリシタンであった可能性が考えられます。いずれにせよ、私たちが考えるような、厳しい監視ではなく、光照寺の住職がお参りのその家に行けば、隠れキリシタンは首を切られずに済んだそうです。
 鎌倉で差別や迫害の歴史を意識することは少ないでしょう。しかし、学びを繰り返していくと、そこには私たちの知らなかった鎌倉を見出します。これからも、様々なことを知り、学ぼうとしていきたいと思っています。
1月1日 牧師所感 マタイ2:10
「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(マタイ2:10)
クリスマス、そして、あけまして おめでとうございます。
日本はこの時期、「おめでとう」づくし。しかし、きっと『「おめでとう」どころではない』とおっしゃる方もおられるでしょう。昨年3月11日に大地震と津波がありました。多くの方が命を失い、多くの方が愛する者を失うという悲劇を経験されました。いまだに放射能に恐怖して暮らす人たちがおられるのです。ある方は、「今年はあのような大震災が起ったのだから年賀状を自粛すべきだ」と言います。確かに、世界的に見ても災害が多かった年でしたし、「おめでとう」という気分でもないかもしれません。しかし、クリスマスというのは、まさにそういう状況にある人たちが、それでもあえて「おめでとう」と言える出来事なのです。マタイ福音書には東の国からやって来た学者たちが、イエスの生まれた場所の上にとどまる星を見て「喜びにあふれた」と書かれています。この「喜びにあふれた」と日本語に訳されている言葉は、原文に即すともっとすごい喜びの言葉なのです。直訳すると 「この上もない喜びを、この上もなく喜んだ」です。このときの学者たちに「今どんなお気持ちですか?」とインタビューしたら、おそらく 「今まで生きてきた中で一番幸せです」と答えただろうと思うような喜びです。イエス・キリストが生まれたのは、ローマ帝国に支配を受ける「ヘロデ大王の時代」です。それは、あまり良い時代ではありません。ヘロデ大王というのは、自分の地位を守るためならたとえ肉親でも殺してしまうという王でした。キリストの誕生の情報に、自分の地位へ不安を覚えたヘロデ大王が、ベツレヘム一帯の幼子を皆殺しにするという、残酷な出来事が記録されています。イエスの誕生の状況自体もそうです。宿が満員で出産する場所さえまともになかったのです。誰も助けてくれる人もなく、家畜小屋の中で、マリアはイエスを生んだのです。だからイエスが生まれになった時、このことを聞けば、何も知らない人は、「それは不幸なことだ」とか、「なにか呪われているのだ」と言うでしょう。そういう中で、際立っているのが、学者たちの喜びです。私たちが寒くて凍えてしまうと感じているその時に、そんな人生の停滞期とも不況と思っているその時に「一番幸せだ」という告白が確かになされたのです。ベツレヘムの幼子キリストのいる場所の上空で、彼らを導いてきた星が止まった。星が止まる・… それはどういうことなのか。諸説にあるように、木星と土星が非常に接近した紀元前7年のことを言うのだとか、木星と金星が再接近した紀元前3年のことを言うのだとか、あるいは当時現れた彗星のことを言っているのだ・… とか。しかし大切なのは、星が動いたかどうかではなく、あり得ない状況で「喜びが」もたらされたことではないでしょうか。それは学者達の心に星が留まってくれたという事ではないでしょうか。わたしたちの人生の歩みで考えもしなかった、経験したことのない出来事が、心に湧き起二つたということではないでしょうか。聖書の時代も、現在も冬の時代と言える。災害があり、戦争があります。しかし、その冬の時代が、喜びの時への希望とされる出来事が起こる。それがクリスマスの出来事。それはまるで希望など見いだせる筈がないと思える状況に輝く光。それは神が私たちに示してくれる愛。神はイエスを私たちに与え、「どうしてあなたを捨てることが出来よう」と語りかけて下さる光。だから学者達は希望を失うことなく、それを求めていくことが出来る。それが、星が留まるという事ではないでしょうか。それゆえ彼らは、野を越え山を越え危険を冒して、はるばるとやってきました。そしてその光は「確かにここに救いがある」という希望を示したのです。だからこそ、彼らは、「この上もない喜びを、この上もなく喜んだ」のです。だから「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という出来事だったのです! 星を動かすことのできる神様は、暗黒のヘロデ王の時代さえ変えることができます。星を動かし、止める神様は、私たちの心に留まり、私たちの心を動かすのです。苦しみや、あきらめを、とんでもない喜びに変えることができるのです。
以下2011年
12月4日 牧師所感 ルカ2:11-14
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して宮った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地に'ま平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2:11-14)
 もう、町はクリスマス、クリスマス一色ですね。町のあちらこちらには、電飾がほどこされ、とても締麗です。お店はプレゼントを買いに来た人たちで.あふれています。誰もが、幸せに感じ、嬉しくて、自然と微笑みがこぼれてしまう時と言えます。しかし、世界中の人たちが本当に幸せなのかというとどうでしょう?世界には貧困の中で生きている人たちがたくさんいます。たとえば、1日1ドル以下というわずかなお金で生きて。いる人が約12億人もいます。また、1日約3万人、言いかえるとおよそ3秒に1人、子どもが死んでしまっています。地球には、地球に暮らす全員分の食糧があります。多くの病気を治療できる薬もあります。それなのに、貧困の中で暮らす人々は、日々ご飯を食べることができなかったり、治せるはずの病気なのに治せなかったりして、命を落としてしまうのです。また、このクリスマスのシーズンを病院で過ごさなければならない人たちもいるでしょう。クリスマスのシーズンなのに何か悩み事を抱えていたり、悲しみを感じていたりして、クリスマス所ではないと思っておられる方もいるでしょう。しかし、聖書に描かれているキリストの誕生、つまりクリスマスの出来事とは本来そういう人たちにこそ伝えられたのだと言います。
 ルカ福音書に登場するザカリアとエリサベト夫妻は、社会的に重要な地位にあり、正しい人たちでしたが、彼らには子どもがありませんでした。聖書には不妊の女性達が多く出てきますが、この不妊とは単に子どもの有無だけが語られているのではなく、系図の終焉を示しています。つまり、そこで人の営み、歴史は終わってしまうのです。それは、全く希望のない状態、人が自らの力でどうすることも出来ない状態を示しています。しかし、そういうどうしようもない絶望に神様が希望を与えられる、それがザカリアとエリサベトが経験したことなのです。
 キリストが誕生したことを天使によって知らされた羊飼い達がいます。彼らの生活は貧しく、その日その日の暮らしも大変であったのです。羊のための牧草を求めて異邦人の地にも足を踏み入れるので、ユダヤ教からは罪人として見なされていた人たちです。社会的にも差別された貧しい人に、キリストの誕生は誰よりも早く知らされたのです。
 東から来た学者達は、ヘロデにキリストが誕生するだろうと知らせます。これはあの悪名高いヘロデ大王のことで、彼は多くのユダヤ人を殺し、自分の身内も少なくども8人も殺したと言われています。キリストの誕生を聞いて彼は「不安を抱いた」と書かれていますから、富と権力を持ちながら、その実体は、富と権力を守るために誰も信用できず不安な毎日を過ごし、怯え続ける小心な人であったのだろうと思います。クリスマスはそういう、自分を守るために人を傷つけてしまう小さく悲しい存在の人たちにも伝えられたのです。
 誰よりも弱く、貧しい存在として生まれて下さったのが、イエス・キリスト御自身と言えます。宿屋には部屋はなく、救い主は汚く臭い家畜小屋で生まれられたのです。赤ん坊のためのかわいらしい産着はなく、おしめのような布にくるまれるのです。そして寝かされた所は、飼い葉桶でした。この当時の飼い葉桶は石で出来ていました。この言葉の本来の意味は棺や墓を指す言葉です。さらに、東から来た学者たちがイエスの捧げたプレゼントの中に没薬があります。それは、死体に塗るための一種の防腐剤です。つまり、イエス・キリストは単に貧しく汚らしい所で生まれたというだけではなく、その生まれた時から「死」というものを背負っておられるのです。生まれたその時から十字架につく道を歩み始められているのです。
 何故でしょうか。それはこの争いのある世の中に、貧困と差別のある世の中に、「自分だけがよければ」と思う私達の心に、光を灯すためです。本当の平和をもたらすためです。十字架を通'して、私達が赦され、キリストの愛を知らされ、本当に歩むべき道を歩むためです。
 クリスマスはいつも華やかで、楽しく、幸せなもの。しかし、その背後にキリストの命があることを忘れてはならないのです。そして、その命に私達一人一人、みんな生かされていることを、しっかり覚えるクリスマスの時を迎えたいと心より願います。
11月6日 牧師所感 マルコ4:1-2
イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。イエス1よたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。

アメリカの教会にいた時、教会員の方が家で日本野菜をよく作ら.れていました。トマトにしても、キュウリ、ジャガイモ、ゴボウ、レンコンも!小さなスペースにでも、あまり日当たりが良くない場所でも、見事に実が生っているのを見ますと、きっと丹念に手入れをされているんだろうなと思いました。私も牧師館で挑戦しました。しかし何一つ上手くできませんでした。苗木をくれた方に申しわけなくて… 。
イエスの時代、パレスティナの農耕は大ざっぱで、農道や石地、雑草の生えた畑などおかまいなしで種を蒔き散らし、その一帯を鋤で起こすといった、今では考えられない農耕を行っていました。警えでは、農夫が収穫を期待して、非常にたくさんの種を蒔きます。蒔かれた種は様々な運命に出会います。耕されない小道に落ちた種は、小鳥に食べられてしまう。岩場に落ちた種は、岩のために根をはることが出来ない。茨の中に落ちた種は他の植物に遮られて、実を結ぶことが出来ない。このたとえの意図するところは、現在の不成功や反抗にも関わらず、神は最後にその支配、神の国を実現を果たすという希望でしょう。しかし同時に、私たちは「自分はどんな士地であろうか」と考えさせられるのです。
我々の中に良い土壌を持つ人はいるのでしょうか。日本人にはキリスト教が合わず、日本の風土にも馴染まないと言われ続けて久しくなります。文化も習慣も違う国の宗教です。そもそも良い土壌とは一体なんでしょうか。良い土壌、それは、「御言葉を聞いて受け入れる人」であると聖書は言います。しかし、現在の社会に置いて、どこにそんな日当たりのよい土地があるでしょうか。恐らくそんな場所は存在しないでしょう。私たちはそういう場所を、人を捜して、それが美しいと思っているのではないでしょうか。そうではありません。この警えが我々に教えてくれていること、それは「あなた」に種が蒔かれたという事。そして、それが確かに実を結ぶのだという約束。もはや「誰が、どこが良い土壌か」とは問う必要はありません。良くない土壌にも福音が蒔かれることに我々は喜びを感じるべきです。良くない土壌は確かに、多くのロスを生み出します。多くは育たないかも知れない。しかし、イエスはそのような土壌の人々に福音を伝えて下さったのです。種を蒔いて下さったのです。それは、豊かな収穫を期待してなのです。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」キリストという種はすでに「私たちの心」に蒔かれているのです。私たちのためにキリストが死んで下さった、この恵みに私たちはどう感じるのか。どう答えるのか。実りある美しい人生のために、共にしっかり御言葉に聞き、従って歩んで行きたいと願います。
10月2日 牧師所感
皆さんは自分にいくつの「いのち」があると考えるでしょうか?当然1つだと考えるでしょう。実は聖書には「いのち」を意味する言葉が三つあります。日本語ではそれを「いのち」「命」、「生命」と書くと分かり良いでしょうか。「生命」は生物学的なもの。これに対して「命」は神の息吹から与えられたもの。これらの逆はともに死です。旧約聖書において、当初、死は罪の結果であると考えられていました。故に死につながる病や障がい、貧しさとい.うものは、神の祝福からはずれた罪の結果と考えられました。旧約聖書において基本的に死は「行き止まり」なのです。その先は陰府で、神とのつながりを断ち切られた場所で、神との関係を断ち切るものとして恐れられました。つまり「命」の逆としてのどうしようもない「死」が存在するのです。しかし時代が経つと、正しい者=長生き、罪人=短命という定義が壊れ始めます。コヘレトなどはまさにその矛盾を感じています。その中で生まれてきたのが終末思想、黙示思想と言えます。
現在を生きる私たちにとって一番関心があるのが、生命としての生命でしょう。安楽死や臓器移植、脳死問題、遺伝子操作など生命倫理がさかんに問題となっています。このように多くの問題をはらんでいるのは、生命の死が多くの苦しみ、痛みを伴うからです。そして「行き止まり」だと感じているからです。人は病において、もしくは死にいたる過程で4つの痛みを感じると言われます。@身体的な痛み A社会的痛み B精神的苦痛(その人が死を、病を受け入れるまでの過程 1.拒否 2.怒り 3.取引 4.鬱 5.受容)、C霊的な痛み。「なぜ私だけが」という思い。BやCの痛みに対して、カウンセリングや宗教の働きが必要になるのでしょう。これほど科学や医学が発展しても「なぜ死があるのか、なぜ自分だけが」ということに対しての明確な答えはありません。ただ一つ、言えることは「命」「生命」の反対の死を見つめるだけではなく「いのち」の反対の死を見つめなければ、死はどこまで行っても「行き止まり」であり、そこから何も生まれてこないということです。アメリカと日本では葬儀の雰囲気も随分異なります。例えば日本の葬儀で、笑うことはありえません。厳粛で、悲しみだけが支配します。それは、日本の葬儀の多くが、死んだ人に対する葬りの儀式、もしくは周りの人に対する「死の宣告」だからでしょう。しかし本来、キリスト教の葬儀は、残された家族・友人が悲しみを乗り越えて、新たな希望を持てるようにすること(grief work)に重きを置いているはずです。ですから共に思い出を語り、その人の人生と主が共に歩まれた事を、笑いも涙も喜びも悲しみも共有します。
「いのち」とはイエスの復活のいのちを指すキリスト教特有の「いのち」です。人が生きるとは「生命」「命」だけではなく、この「いのち」に生きるということを欠くことはできません。ただ「いのち」は「命」「生命」を、つまりその人の人生を大切にし、その「死」を見つめることから始まることを、聖書は教えていると思います。「キリストのいのちjの反対は「キリストの十字架の死」です。キリストは神の子でありながらなぜ死んだのか?どのように人を愛されたのか?キリストの死は何を私たちに伝えるのか? そして、その「いのち」は死に打ち勝たれたキリストのいのちだと気づかされるでしょう。だからたとえ私たちが死に直面しようとも死を乗り越え、前向きな死を知ることができるのだと思います。
人は死に絶望するのではなく、それを見つめることから「生きる、いのち」というものを見いだせる、そのことを通して死をも乗り越えられるのだと、主は教えてくれたのだと信じます。
9月11日 牧師所感
レンブラント作
聖家族
 オランダの画家に、レンブラント(1606-69)がいます。レンブラントはよく「光の画家」と言われますが、実際、光と闇のコントラストがどの絵にもよく描かれています。上の絵でも、小さなイエスを抱く母親マリアに光の焦点が合わせられている一方で、右隅の暗い奥まったところで、父親のヨセフが薪割りをしています。最終的に暗くよく分からない部分となる箇所も、レンブラントは非常に丹念に正確に書いています。光と闇とを際だたせることによって、絵における奥行きと遠近感を強調し、光をより鮮明に映し出す技法です。しかしレンブラントにとって暗い部分は、単に光を強調するための技巧ではなく、自分が直面している現実として捉えられていました。例えば、彼は妻が病の床で死にゆく姿を、何枚もスケッチしています。そこには、病状の変化に一喜一憂する妻の心情が実によく描かれ、現実の人間の姿をリアルに描いています。そういう意味で、彼は現実主義者と言えます。しかし、光と闇が織りなすコントラストの彼の完成した絵には、現実を乗り越えた暖かみと、希望を感じさせます。だから彼は彼の作品において理想主義者と言えるでしょう。
 恐らく、イザヤ書56章以下を書いた第三イザヤと呼ばれる預言者も、ちょうどレンブラントのような姿勢を持っていたのではないかと思います。第三イザヤが活躍した時代は、イスラエルの民が50年以上もの長い捕囚時代から解放されたばかりの時でした。民にはまだ全く希望がなく、これからどう生きてゆけぱいいのかと途方に暮れる日々であったでしょう。イザヤ書60:2に「見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる」という言葉がまさにこのことを示しているでしょう。しかし、その苦しみの、闇の中でもがく人々に預言者を通して、まさにレンブラシトが描くような光の言葉が語られます。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く」と。
 大地震と津波発生から半年が経ちました。被災は過去の事ではなく、現在進行形です。新聞のアンケート調査では、「4か月前から改善せず、生活再建のめど立たず」と答えた人が62%に上ります。変らぬ被災地の苦しみと困難、その一方で私たちの意識からはどんどん簿れてしまっている現状です。どちらが光で闇なのだろうか?衛星写真は地震津波発生後の、光を奪われた東北地方の様子を示しています。光の溢れる首都圏と、闇に沈む東北を。しかし、長くボランティアに関わってきた牧師は、次のように言います。「今、日本ではさかんに『東に元気を!』と言うが、本当だろうか。実は今、本当に大切なのは、『東から元気を!』、つまり東に立って何かを感じること、あるいは東から何かを教えられていることに気づくことではないだろうか」と言われた。どちら.が光で闇か。
 預言者イザヤの描き出した光とは一体何でしょうか?イザヤは言います。「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となりあなたの神があなたの輝きとなられる。あなたの太陽は再び沈むことなくあなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となりあなたの嘆きの日々は終わる」
 レンブラシトがそうであったように、イザヤは闇から、真の姿から目をそらすことなく、その中に差し込む光を見出しました。光は、自分の願望でも、欲望でも利権でも、自分の正義でもありません。それは「神」そのものであり、神の愛が私達に照らされているという信頼です。すべての人が、今この光照らされて、歩んでいける事を願います。
8月7日 牧師所感 ローマ13:8
「互いに愛し合うことのほかには、だれに対しても借りがあってほなりません」
二人目は少しなれるのかもしれませんが、一人目が赤ん坊の時、子育てがこんなに大変だとは思いもよりませんでした。「ウチの子はおとなしい」、と思ったのも束の間、やがて日々「ギヤーギヤー」泣くようになりました。特にあまり寝てくれずまいってしまった時がありました。こちらが疲れると、対応が雑になるのか、赤ん坊はさらに泣きます。まさに悪循環です。
赤ん坊の世話をしていると、よく思います。「さあ、おしめを替えてあげたんだから」「ミルクを飲ましてあげたんだから」「だから、おとなしくしてね、寝てね」と。でも、赤ん坊はそんなこと関係なく、何故か起きているし、泣いています。つまり、赤ん坊には「私はこれだけしたのだから、あなたはこうしてねJという理論は通じないのです。それなのに、泣いてる赤ん坊の声を聞いて親はまた寝床からはいだし、抱っこして「どうしたの」と聞きます。通常の理読で考えると、赤ん坊は親にとても負担をかけているし、負債を負っていることになる。しかし、親は決してそうとは考えない。赤ん坊は思い通りにならないけど、それでも大切に思い、愛おしいと思うのです。
パウロはローマ書で「互いに愛し合うことのほかには、だれに対しても借りがあってはならない」と言います。これは、愛し合うことにおいては、積極的に、'互いに貸し借りをしなさいという教えです。パウロは、人は社会において生きる上で、出来るだけ自分のことは自分でし、できるだけ経済的に貸し借りをしないように、また自分の義務はちゃんと果たすようにと言います。しかし、愛だけは違って、むしろ積極的に貸し借りするようにしなさいと言うのです。何故なら、愛するということは、相手に何か見返りを求めることではないからです。本当に誰かを愛するということは、良い緒果を期待して投資することでも、自分の希望や願望を反映させるものではないからです。「そんな愛見たことがないし、聞いたこともない」と患われるかも知れません。しかし、誰しもかつては、赤ん坊だったのです。親の世話になって成長したのです。そのように考えると.私達は知らず知らずのうちに、多くの人にたいして、愛の負債を負っているのではないでしょうか。そして、何よりも、私達はイエス・キリストに愛されたという負債を背負っているのです。
でも、パウロはrそれを返しなさい、利子をつけて」なんては言わないのです。そもそも、それは返されることを期待されているようなものではないし、実はそもそも私連に返済のカはないのです。ただ、そのことを知らされた私達が、どう生きるのか、そのことだけが問われています。r互いに愛し合う」、それは自分がいかに多くの人に支えられ、生かされているかを知り、自分もまた同じように、生きていくのだと、嬉しく思うことで1よないでしょうか。
7月3日 牧師所感 列王下5章7
「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」(列王下5章7)
 午前中の聖書研究会は列王記を学んでいる。その中にアラム人の将軍ナウマンと言う人物が預言者エリシャを通して神に癒される話しがある。富と名声と地位のすべてを持つナウマンは皮膚病だった。奴隷として連れてきていたイスラエルの少女の助言に従い、エリシャに出会おうとするが、彼はまず自分の主君の意見を聞き、アラムの王からイスラエルの王に紹介状を書いてもらう。ところが、その紹介状を読んだイスラエルの王はびっくりして、上の聖書箇所のように言ったという。
 6月20日から22日まで、聖公会の鎌倉聖ミカエル教会の吉川先生と一緒に東北の被災地にボランティアに行ってきた。3日という短い日程だったし、ボランティアといっても1日半ほど仕分けや支援物資運びをお手伝いしたに過ぎないが…。そして後の1日は被災地の現状を見る機会があった。はじめて訪れた仙台の町は「杜の都」と呼ばれるだけあって、若葉の美しさがひときわ際立った町並み。空前絶後の地震に見舞われた都市だとはとても思えない。人々が盛んに行きかい、交通量も多く、コンビニでは何でも売っている。ただ、話しを間くと、「どこどこのホテルは地震の被害で、つい5日前までオープンできなかったとか、どこどこのお店は今も開店できていないとか、地震の後、客足が途絶えたお店がついに閉店した」など、地震の影響は確かにある。中心地から車で10分ほどのところにある、聖公会仙台聖フランシス教会の先生が地震当日の様子を話してくれたが、ピアノが動き、家具が倒れ、それはそれは恐ろしかったということ、さらに相次ぐ余震で数日後に幼稚園ホールの屋根が崩れたこと(幸い園児はいなかった)、ライフラインは即座にすべてストップし、特に水の復旧は遅く、長くトイレや風呂、飲料水に不便したとのこと。ガソリンや灯油の不足も、テレビで報道されていた通りであったことを教えてくれた。
 我々の計画としては、ボランティアの合間に、時間を見て出来るだけ現地の様子を見てみたいということがあった。当初は岩手県の釜石ぐらいまでと考えていたが、聖公会の先生に聞いてみると、「とても1日で岩手までは足を伸ばせない。官城県の南三陸から海岸線を仙台まで降ってくるのにまるまる1日かかるだろう」ということだった。東北自動車道を北上し若柳金成(仙台から以外と遠い)で降りてから、国道を海に向かって走って1時間、志津川、南三陸町に入った。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている南三陸町は、町役場が跡形もなくなり、多くの町職員や警察官、消防職員が亡くなられた。「早く逃げてください」と津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員のことも記憶にあるだろう。彼女が避難を呼びかけていた、役場別館の防災対策庁舎(3階建て)は現在も骨組みだけを残して、無残に立っている。津波に襲われ、病院の屋上から助けを求めたその病院も、今は廃塊になって真っ黒な空ろさをさらしている。
 その後、雄勝町、女川町、石巻市、松島町、塩釜市、を見て仙台に帰ってきた。海岸線の道は、いたるところで寸断され、そのつど内陸に迂回路を探さなければならない。地震や津波の影響か北上川のいたるところで河川工事を行っている。恐らく、梅雨の水害防止のためだろう。また、自衛隊の支援車両にもひっきりなしに出会う。まだまだ、組織的な支援は欠かせない。
 被災地を目の当たりにして感じたことは、月並みだが、聞くのと実際見るのとでは大違いということだった。聖公会の先生は「見れぱすべての考えが変わるよ」と言われていたが、まさにその通りで、あまりにも巨大な力の前に、あまりにも小さな自分を痛感せざるを得ない。自分は何か出来る、しなければならない、ある意味そういきこんで来たが、自分の出来ることなんて微々たるものだ。聖公会の先生は「これまでに多くのボランティアが来たが、その多くが「自分は何も出来なかった」と帰っていった。しかし、すべてはそこから始まるんですよ」と語られた。
 日本聖公会東日本大震災被災者支援は、「いっしょに歩こう!プロジェクト」というタイトル。スローガンは、@わたしたちは、東日本大震災により困難を負って生きる人々に敬意を払っていっしょに歩きます。Aわたしたちは、被災地の方々の生活と地域の再創造に向けていっしょに歩きます。Bわたしたちは、主イエス・キリストが、共に歩いてくださることに励まされていっしょに歩きます。
 「どうしてこのタイトルにしたのですか?」と尋ねると、「最初は東日本大震災被災者支援本部という肩書きを考えたが、どうも違うと思った。私たちが行おうとしていることは、歩いていこうとする人と一緒に歩ませてもらうこと。些細なことかも知れないが、その人と一緒に何かをしていくこと。決して何かをしてあげるとか、こんなに助けましたと誇示することではないから」という答えが返ってきた。
 手紙を受け取ったイスラエルの王は、自分がナウマンの皮膚病を治さなければならないと考えたようだ。恐らく、そう考えたのは、自分はすべてをもっていて、すべてを自分の力で成し遂げてきたという自負があるのだろう。だから、彼は唯一真の神が癒して下さるとは考えない。実はこの話、単に病が癒された、癒されなかったという話ではなく、洗礼を受けるということの本質を教えている。それはレビ的な清めの儀式ではなく、キリストと共に死に、キリストに生きること。異邦人もユダヤ人もキリストにあって一つにされること。救われ新たに生きること。実は、それはこれまでのナウマンの生き方、イスラエルの王の生き方とあまりにも異なっている。彼らは、この世の地位や名声に信頼を置き、力の中に支配の根拠をもつ。しかし、それでは真の神の存在にも気づかない。そうではなく、私達が幼子のように、自分が無力でありあまりにも小さいと知るとき、私たちは真の救い主、イエス・キリストと歩みだすことができる。
 「いっしょに歩こう!プロジェクト」では、毎朝、すべてのボランティアが集まって祈りをもってはじめる。最後にそれを紹介して、私たちもまた主とともに、隣人と一緒に歩いていきたい。
 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のため 慈悲の神、天の父よ、東日本大震災によって命を失った人びとの死を悼みます。どうか主の深い慈しみのうちに、この人びとを安らかに憩わせてください。また、愛する者を失って悲しむ人びとがみ力により、あなたの愛の慰めのうちに生きることができますように。この震災によって離散させられた人ぴと、住まいを失った人びと、傷つき病のうちにある人びと、弱い立場に置かれている人びと、ことにしょうがいのある人びと、ご高齢の人びと、外国からの人びとを愛のみ手をもって守り支えてください。また悲しみ、悩み、苦しみ、孤独のうちにある人びと、希望を失いかけている人ぴとを慰め、生きる勇気と希望をお与えください。今、避難生活を余儀なくされている人びとや不自由な生活を強いられている人ぴとに、必要な保護が与えられますように。また、震災復興のために働くすべての人びと、ことに危険な作業に従事する人びと(、ーーー)を導き支えてください。そしてわたしたちが心を合わせて祈り、いつもともにおられる慰めの主のみ姿を見出すことができますように。これらの祈りを主イエス'キリストのみ名によってお献げいたします。アーメン
6月5日 牧師所感 使徒2:1-4
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から闇こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に病たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
私達は6月12日、共にペンテコステの恵みに与る。聖霊降臨の日、具体的には、何が起ったのか。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ」とある。聖霊はしばしば風になぞらえられる。(何故ならこの言葉はもともと「息」とか「風」を意味するから)。風は日本語でも、新しい出来事が起こることを象徴して用いられる言葉。「新しい風が吹く、風向きが変わる」などと言う。つまり神様の霊、聖霊が、新しい風として吹きっけ、弟子たちに出来事を起し、彼らを新しくしたということ。「炎のような舌」。「炎」それは神様が人間にご自身を示し、人間と関わりを持とうとされる時に現れるもの。神様からの炎に焼かれるような体験の中で、私たちは神様との出会いを与えられる。「舌」は聖書において語ることとの関連で出てくる。「炎のような舌」は「語る力」が与えられたということだろう。聖霊の風が吹き、神様の炎に焼かれる弟子たちは、言葉を語る者として新しく生かさ れた。それは「ほかの国々の言葉」だったと書いている。この記事は恐 らく旧約聖書のバベルの塔物語とつながる。散らされた人々の言葉が ペンテコステの出来事を通して、主イエスを語るということにおいて、再び一つの言葉を語るようになった。しかし、神の霊が私たちの生の中 に突入してくるとはどういうことか。ある人にとっては、何か超自然的 な経験を意味することかもしれない。(決してそういうことがないとは言 えない)しかし、それ以上のことが存在すると聖書は言う。例えば、パウロは、コリント信徒への手紙で、異言、奇跡や癒しを行う力、神からの知恵を伝える力など、驚異的な能力について語っているが、これ以上に大きな賜物、最高の道があると言う。それがあの有名な愛の賛歌、コリント13章。そこでパウロは、「愛がなければ、天使達の異言を語ろうが、最も深い知識も無に等しい」と語っている。さらにパウロは、ローマ書15章7節で「あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」と勧める。何故なら、私たちが互いを受け入れあうことが神の栄光を表すからだとする。「受け入れる」という言葉は単に、うわべだけ仲良くするのではなく、「場所を与える」という意味にも受け取れる。その人の居場所を確保する、ということ。しかも同じ家族としての居場所。つまり、聖霊とは、私たちと他者との関係が新しいものとされる、そのことを通して示される、神との新しい関係を意味していると言えるのではないか。5月24日は、メソジスト教会の祖であるジョン・ウェスレーの回心記念日。彼は1738年5月24日の夜、ロンドンのアルダスゲイト街での集会に出席し、ルターのローマ人への手紙の序文を聞いていたとき「只ひとりの救い主であるキリストを信じた、と感じた。私の罪を、私の罪をさえも取り去って下さった。私を罪と死との律法から救ってくださったとの確証が、私に与えられた」という。
聖霊を受けるとは、キリストにうち負かされた自分を受け入れる事だろう。まずキリストが私たちを受け入れて下さった。そこにキリストが人間となって十字架にかかってくださった目的がある。私たちが互いに受け入れあうことができるのはキリストが受け入れてくださったから。私たちすべてに居場所を与えて下さるため、キリストは十字架に死に復活された。その恵みを知らされるから、私たちは今、喜びをもって歩み始めることが出来る。それこそが、私たちの希望であり、聖霊の力なのだと信じる。
5月1日 牧師所感 サムエル上16:7
人問が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。
 私は本来、人見知りの気があります。さらに大体にして私は小心者です。アメリカに初めて旅行したときは、外の世界が怖くて一歩も外に出なかったことがありました。アメリカでの生活も、背の高い白人の人や黒人の人、早口の人にしゃべりかけられると萎縮して、気もそぞろになって一刻も早くその場を立ち去りたいと思ってしまいます。しかし、そういう生き方は自分の世界を小さくしてしまっているとよく感じます。(妻は恐るべき事にこういう面が非常に少なく、誰に対しても自由に、普段通りに振る舞っているから驚きます)。人は多くの場合、目に見えるものや言葉によって考え方を左右されたり、先入観を抱いて裁いたりしてしまう傾向があると思います。
 作家猿谷要さんの本のなかで、要さんが奥さんと一緒に北海道の釧路に行ったときの話が描かれています。二人はそこで特産のジャガイモを買おうとして店に入ると、値段の違うジャガイモが並べられてあり、どれにしようか迷ったそうです。要さんは当然値段の高い物がおいしいに決まっていると思ってそれを購入しようとすると、店のご主人が以外にも安いジャガイモが一番おいしいと教えてくれたそうです。
 聖書によれば、神が人を判断する基準は、「心」です。神は人を先入観によって、外見で判断するということはなさらず、人の内面にまで目を注がれるということです。しかしそれは単に「外見ではなく、内面が大切」ということではありません。「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」を直訳すれば「人は外見をみるが主は心臓を見る」となります。つまり、心は具体的に訳せば「心臓」なのです。神は人の心臓を見られる。人が生きる上で最も大切な部分「心臓」の鼓動とその痛みを神は知っておられる。それがこの箇所の言わんとしていることです。旧約聖書の預言者エレミヤは、「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探りそのはらわたを究めるのは主なるわたしである」(エレミヤ17:9-10)と言っています。ここでの「心」も同じ言葉です。つまり神は他人にはとても分からないような心の痛み、またはらわたの痛みを知っていて下さる。神とはそのような方だとエレミヤは証しているのです。それこそが「主は心で見る」という本来の意味だと言えます。
 「目に見えないこと」このことに目を向けると言うことは、難しいだけでなく、むしろ矛盾しているとさえ思われます。しかし、人と人との交わりを真剣に考えるなら、私達が本当に生き生きと生かされることを望むならとても大切な事です。見た目や先入観にとらわれて自分の世界観を小さくしてしまうことは、自分の生き方を色あせてしまうことになるでしょう。また隣人の痛みに無関心な歩みは、人を傲慢にし孤独にさせます。そして、何より大切なことは、我らの主が「人が目に見えること」によって逆に見失ってしまった「人の本来の姿」を見て下さるという事です。
 神は私達に独り子イエス・キリストを与えて下さり、本当に生きるための、真の愛を示して下さいました。だから、今勇気をもって自らの殻を主イエス・キリストと共にうち破って、新たな歩みを始めていきたいと願います。
4月3日 牧師所感 エレミヤ書14章17節
あなたは彼らにこの曾葉を語りなさい
「わたしの目は夜も昼も涙を流しとどまることがない
娘なるわが民1ま破滅し、その傷はあまりにも重い」

 どの時代であれ、人間が生きるということは同じ。そこには、苦しみや涙がとまらない悲しみが存在する。人は苦しむために神によって創造されたのかとさえ思うときがあります。また、人と人との交わりの中にも苦しみを見出します。隣人に蹟き、人間の醜さや弱さに嫌悪を感じ、赦すこと、認める'こと、自らを省みることを忘れ、関係を断ち切ってしまおうとします。これほどの苦しみ 'の中に神は存在するのか。存在するとしても、「それは苦しみを増すだけにすぎない」と神に対し目を背け、この世のものに自分の力にのみ依り頼むことによって神の存在を覆い隠そうとしてしまいます。
 14章は南ユダ王国が干ぱつに見舞われたとき、エレミヤが神から受けた言葉です。国の状況は飢え渇きだけではなく、敵である大国との戦争状態も加わっていたようです。16節には飢謹と剣に遭い、葬る者もなくエルサレムの巷に投げ捨てられる」と書かれてあるように、多くの人が死に、町も大地も損害を被ったのです人々は嘆きの声を上げて、ただただ神の栄光のために契約を思い出して下さいと、神に祈るのです。このような苦難の時にこそ主なる神は国の、人間の希望であり、救い主であると信じて祈るのです。そして、神は、この苦しみの中にある人々を見て涙を流したと17節でエレミヤは言います。「夜も昼も止まることのない涙を流し、野で倒れる者、町で苦しむ者のもとを尋ねたと言うのです。神は決して人間の苦しみを当然の報いだとして、その成り行きをよそにひとり天の高みに無傷でおられるのではないのです。どんなにか神もまた、地上の惨事に対して身をよじって涙を流し、とまどいを感じられているか。そして一人一人の安否を問うて下さるのです。
 ヨハネ福音書は唯一、神の子イエスが涙を流したことを記している福音書です。私たちはイエスの喜怒哀楽の感情をほとんど聖書から知ることは出来ません。それだけにイエスが「心に憤りを覚え」また興奮され、涙を流されたと記すヨハネ福音書のイエスの姿に思いを馳せます。愛するラザロの安否をとうべく、イエスは危険を顧みず、やってこられます。しかし、ラザロの姉妹、マリアとマルタはともに「主よもしここにいてくださいましたなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」とイエスに告げる。イエスの「私は復活であり、命である」という言葉を理解できないから。マルタ、マリアの二人、そしてマリアが墓に泣きに行くのだろうと思って後を追った群衆全てが、イエスという救いそのものに目を向けていない。墓は死の象徴。イエスが来たのにも関わらず、死を見つめる群衆はまさに私たちの姿です。イエスの怒り、イエスを信じることによって死の悲しみすら乗り越えることが出来る、このことを信じようとしない人間の弱さに対するものだろう。しかし、イエスはその人間の悲しみ、辛さを知って下さる存在でもある。自らも涙をながし、その悲しみを担って下さる方。死にゆく人間の存在、悲しみの中にうずくまる人間の存在、その一人一人を涙を流されながら尋ねて下さる。だから誰が一体復活させられたのか。だれが生きる者とされたのか。それは「私は復活であり、命であるJと今告げられる、私たち一人一人。
 神は涙を流しながら人を尋ねられ、一人子の命を持って私たち一人一人の涙を拭おうとされる。私たちの救いは目の前に涙を流されながら立っておられる。人の目は、苦しみに絶望し、人に傷つけられて、全てに目を閉ざすこともできるが、逆にその苦しみ、人と人の交わりの中にも確かに神の愛を恵みを見いだすことができるように創られている。だから人はそれでも神を愛するし、人をこれからも愛していくだろう。神の涙と、御子イエス・キリストの命に支えられて。そう信じ、祈ります。
3月6日 牧師所感 ヘブライ:15-16
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情出来ないかたではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練にあわれたのです。だから、憐みを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

13節「神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません」。いくらカッコつけて、わかったようなことを言おうと、神の前ではさらけ出されている。「神の言葉」は、「両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すように刺し通して、心の思いや考えを見分けることが出来る」とある。私達の精神の奥深く、存在の奥深くに神の言葉は届き、知り尽くすことが出来る。「自分のことを申し述べる」というのは、「総決算をする」事を意味する。自分のすべてを知っている方の前で、自分を総括する。人は「自分探し」をするというとき、常に自分が中心にいて、中心にいる「わたし」が自分の心と体を点検している。しかし、もし自分の顔や背中を見たければ、鏡や写真や何か道具がいるのと同じように心の中にも顔や背中のような場所があるのではないか。確かにあるけれど、まだ見たことのない自分の部分。確かに存在するけれども決して見ようとしない部分。
東アフリカのお話。ある女性がいつも大きな聖書を携えて歩いていた。村人たちは、彼女をからかい始めた。「どうしていつも聖書をもっているのか、読む本ならたくさんあるのに」。ある日、彼女は自分をからかう者たちの前にひざまずき、聖書を頭上高くに掲げて、大きな微笑みを浮かべて言った。「ええ、もちろん、わたしが読める本はたくさんあります。しかしわたしのことを読みとってくれる本はこれ一冊しかありません。」私たちが自分の顔を鏡に映してみるように、実はわたしたちの心を読みとり、映し出してくれるのが聖書。聖書のメッセージを通して、私達は自分と出会い、自分自身と向き合うことが出来る。
そもそも人間は、何かの関係の中で存在するもの。家族や社会、様々な場で人間関係が築かれる。そんな関係の中でしか、自分を見いだせない。そして今、聖書から「私達は神の前では一体どんな存在か」という問いを受けている。世の中で自分はうまくやっている、侮とかやっていると思っていても、神様の前ではまた違った見方があるかもしれない。あるいはこんなに自分はダメだ、不幸だ、どうしようもない、と思っていても、神様の目には全く違って映るかもしれない。
もちろん、神の前であっても、自分と向かい合えなかったり、素直に告白できないこともあるだろう。しかし、ヘブライ人への手紙は「大祭司、神の子イエス」が私達に与えられていると述べる。もちろん、イエスがエルサレム神殿の大祭司に就任したわけではない。ここで言われていることは、イエスが人間と神の問を取り持ってくれること。そしてこの大祭司は「自ら進んで共に苦しみを担おうとしてくれる方」だと聖書は言'う。イエスはわたしたちの弱さを同情してくれる、それ以上に弱さを共に苦しむことのできる方だと言うのだ。私達は肉体的にも、道徳的にも、信仰的にも、様々な弱さがあり、その弱さによって悩んだり苦しんだりしている。あとから振り返って、何でもっとこうしなかったのだろう、なんて自分は弱いのだろうと悩むこともある。しかしその悩みや苦しみは、決して一人のものではない。何故ならイエスがその弱さを共に苦しんでくれるからだ。
それはイエスが「わたしたちと同様に試練に遭った」から。イエスの十字架の苦しみ、,試練が、私の苦しみを共にしてくれる根拠。イエスが我々のように肉体を持ち、人間としての感情や心をもっていたからこそ、その弱さや限界を知っただろうし、死の痛みや苦しみを味わられた。そのイエスだからこそ、私たちを理解し、取りなしてくれる事を確信して「大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」と聖書は呼ぴかけている。「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために恵みの座に近づ
こう」と。"
「こんな自分だから、こんなに弱くて醜くて」そう思ってためらっている私たちが、イエスのとりなしによって、大胆に近づいてくことができる。
私達は、喜びをもって恵みに近づいているでしょうか。レントは、キリストの苦難と、十字架の出来事に思いを向け、イースター、復活日に心を備える時。もちろん、キリストの十字架の痛み、苦しみを重々しく受け止める必要がある。しかし、キリストの受難を深く受け止めるからこそ、喜びも大きくなる。f可よりも喜びに向かってしっかり歩んでいきたいと願う。
2月6日 牧師所感 マタイ 5:13
「あなたがたは地の塩である。だが、'塩に塩気がなくなれぱ、その塩は何によって塩味が付けら
れよう。もはや、何の役にも立たず、外に撰げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。

 
私は塩昆布や、お茶漬け、漬物などが好きです。塩ジャケも塩辛いのが好きです。子どももその傾向にあり、気をつけねばと思います。
食生活にとって、塩は貴重です。例えばスイカやサツマイモに、(甘みを増すすと同時に、スイカなどに多く含まれるカリウムとのバランスを取るためだそうです)また塩は味噌や醤油の発酵過程で大変重要な働きをしています。原料の大豆や米、小麦が腐らないようにするとともに、酵素の働きにブレーキをかけ、味が出るようにするのです。さらには、ジャガイモや枝豆、青菜をゆでるときに加えると、甘みが出て、やわらかい味になります。赤ワインを作るときに、腐敗菌が入り、ワインが腐って酸っぱくならないように、一握りの塩を発酵桶に入れたりします。それぐらいに貴重な塩は日本の平安時代には賞与として、ローマ帝国では給与の一部として与えられていました。
 しかし、このような有意義な塩、使い方一つで、大きく味を損なわせてしまいます。現在では、塩ゐ取りすぎはよくないことが盛んに言われています。塩を多く取ると胃がんになりやすいし、高血圧や心臓病、脳卒中の危険性も高くなると言います。塩の持つ性質に対比作用というものがあります。これは他の味の中に、わずかな塩が加わる.と、塩の味は分からないが、素材の味が豊かに強く、よく分かるようになる作用のことです。例えば、おにぎりを作るとき、手に塩をつけて握ります。それによって米の旨味がより引き出されることは、よく知られたことです。
 イエスは私たちを地の塩であると警えられました。地の塩ということは、この世における有用な働きを、影響をなすものであるということです。しかし先にも述べたように、塩は用い方によって体に害を及ぼしたり、味を台無しにしたりします。塩は賢く、適切に使わなければなりません。何のために?それは自らの味や辛さを主張するためではなく、対象となるものの味を一層際立たせるためです。対象になるものとは何でしょうか。それはイエス・キリストの福音です。
 私たちキリスト者が、自らの塩気を大切にし、働きをなすの1ま世の人々によりキリストの福音を知ってもらうため、キリストの愛を感じ恥らうためです。しかし、私たちは得てしてキリストのために働いているはずなのに、いつの間にか自分のために働いているような時があります。そんな時には、他人の評価ばかりに気をとらわれてしまったり、他人の欠点ばかりが目に付いてしまったりしがちです。それはキリストの味を自らの思いで覆い隠してしまっています。そのような料理を出され孔、誰もおいしいとは思わないし、喜びは感じないでしょう。そしてなによりも、私たち自身が大きなストレスを抱え込むことになるのです。いつでも食事のメインはキリスト、私たちはそれをより多くの人に喜んでもらうための隠し味であることを願い求めてゆきたいと思います。
 新しい年の教会のすべての活動において、私たちが地の塩として働き、一人でも多くの人と喜びを共有できますことをお祈りします。

2011年1月2日 牧師所感 (詩編34:12-15)
子らよ、わたしに聞き従え。主を長れることを教えよう。喜びをもって生き長生きして拳いを見ようと望む者は舌を悪から呑を偽りの言葉から遠ざけ悪を避け、警を行い平和を鼻ね求め、追い求めよ。(詩編34:12-15)
おいしいおせち料理をたくさん食べましたか?体重の増加とは反比例して、最近体を動かすことがとんと少なくなった私です。忙しいとか、時間が無いとか、疲れたとかいろいろ言い訳をしていますが、ようはめんどくさがりです。昔、こんな話を奥さんの直子さんとしたことがあります。運動不足解消のために、かっこいい自転車を手に入れて、車に乗せて、山に走りに行く。考えただけでも素晴らしい。意気込んで、直子さんに話してみました。すると彼女も意気込んで答えました。即座に。「もしあなたの奥さんが、自転車に乗って山なんか駆け降りたくないと考えていたら、どうするの?」と。それ以来、自転車の話はしていません。渡辺和子さんの「現在の忘れもの」という本を読んでいて、「の」の字の哲学というのを知りました。例えば、自分の夫が会社から帰ってきて「ああ疲れた」と言ったとします。すると奥さんは「何言ってるの、私だって疲れているわよ」と言いかねない。ところが「の」の哲学とは、そう言わないで奥さんが「疲れたの」と相手を認めるように答えるということです。夫もしくは、妻が「あー今日は暑かづた」と言えば、相手は「夏は暑いのがあたりまえでしよ」ではなく、「暑かったの」と言って受け止めること。それが大切だと言います。見た目はこの「の」の哲学は「オウム返し」のように思われるかも知れない。しかしオウム返しに相手が「痛い」と言ったら「痛いの」と答えること、「寂しい」と言ったら「なぜ」と聞くのではなく 「寂しいの」と受け止めてあげる、これが思いやりの中の具体的な一つの方法になると教えています。そして、例えば誰かが尋ねて来て「こんにちは」と声をかけてきたときに「こんにちは」と答えるのと、「何かご用ですか」と答えるのではまるっきり違うのだと言っています。ちょっとした受け答えの仕方によってでも、人は隣人と心地よく生きることができる、そう考えさせられました。またこの本で、仏教の教えの「無財の七施」を紹介しています。これは財産のない人でも七つの施しが出来るという教えです。それは@目の施し(優しい目で相手を見つめる。決して自分は忙しいという様子を見せるまなざしではなく。)、A顔の施し(優しい顔つきで相手に接する。人は忙しい時は怖い顔をしている)、B言葉の施し(同じ言葉をかけるなら、毒のある言葉ではなく、優しい言葉を、素直なほめ言葉、いたわりの言葉を。)、C感謝すること (心の施しと呼ばれる。誰でもrありがとう」と言われるとうれしいもの。だから相手にも「ありがとう」を)、D身体の施し(人助けをすること。自分の体を用いて何かできることをさせていただくこと)、E席を譲る施し(相手の居心地をよくしてあげること)、F一宿一飯を分けること(自分が持っているなんでもない物をく持っていない人に分けて差し上げること)。
こう考えると、私たちにはどれほどたくさん出来ることがあるだろうかと思います。大抵、私たちは「到底イエスの教えなんか実行出来ない。自分なんて…」と考えています。しかし、イエスの教えを実行するということは、実に身近なこと、ささいな事から始められるのです。たとえどんなに忙しくても、心掛け次第では1つ2つのことは出来るはずです。忙しい時ほど、また疲れている時ほど、どれか一つでもやって見てはいかがでしょうか。心の肥満になったら、もともこうもありませんから。やっぱり心もトレーニングが必要ではないでしょうか。
以下2010年
12月5日 牧師所感 ルカ 1:48
「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです」(ルカ1:48)
 福音書におけるイエスの出生には、実は矛盾する見解が存在しています。その矛盾は、(1).イエスはダビデの子孫として生まれる(2).イエスははじめから「神の子」として生まれるという異なる立場から生じています。ルカより古い伝承の言葉によればイエスは「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば復活を介して神の子として定められた」と定義されています。つまり、イエスが神の子と認められたのは復活を経た後です。ところがこの神の子の判断が誕生物語にまで用いられたことが問題となったのです。ルカ、マタイが系図を記しているのは(1)を説明するためです。しかしこの説明も、イエスがはじめから「神の子」であったとするための理由、マリアの処女懐胎によって意味をなさなくなってしまっているのです。つまり一方を立てれば他方が立たない状況となってしまっているのです。
 実は処女降誕というモチーフは、神話上、歴史上の英雄の誕生において用いられる技法です。これをもって英雄を誕生の時点から神格化するのです。しかし、福音書の場合、マリアが婚約していたという点において特殊であるといえます。この時代婚約は、ほぽ法的に結婚と同様の効力がありました。故に、婚約者と関係を持たずして身ごもることは姦通の結果と判断されます。これは石打の刑に相当する罪になります。神が霊によってマリアを身ごもらせたと言いますが、実際には神はこうしてマリアを「卑しいはしため」にしたということになるでしょう。
 実は、「卑しさ」がルカ福音書においてイエスの「十字架」の出来事と対応しているのです。ルカ福音書と使徒言行録はイザヤ書53:7-8を引用して、イエスが卑しめられて死んだことを強調していますし、ルカ23:35以下によればイエスは多くの人々から潮られ罵られ侮辱されています。つまり卑しさの極みにおいて十字架が存在し、その中ででもイエスは神に全幅の信頼を寄せて死んでいくのです。そしてこのことを通して、イエスは「正しい人」「神の子」と認識されるのです。このイエスの姿勢は実は、マリアの受胎告知における姿勢と対応しています。マリアも卑しいものとされる状況においても、ただ神を信頼し、神の言葉に自らの心を開くのです。
 確かにイエスは歴史的にはダビデの子として誕生しました。しかし、それはイエスのほんの一面なのです。イエスの真の誕生は、卑しさの中で誕生し、卑しさの中で死んでいったという姿をもって語られるのです。それはユダヤの思想を、民族を越え、人の歴史観を越え与えられた神の救いの出来事なのです。その姿を通してのみ、私たちは神の愛に、救いに触れることが出来るのです。
 神の存在を無視して、自らを神のように考える私たちの社会。権力や、富や、美しさばかりに目をとらわれてしまう私たちの価値観。それは私たちの聖審理解にも反映されているのかもしれません。
 しかし、聖書はそのような価値観をすべてひつくり返したところで、私たちの救い主が誕生したと言うのです。処女降誕?ダビデの子孫?そのことにとらわれるのでなく、最も卑しさの中で生まれて下さった、死んで下さった主の生き様にこそ、心とらわれたいと願います。主の誕生を待ち望むアドヴェントに入りました。ご一緒に御子の誕生をお祝いする準備をなしていきましょう。
11月7日 牧師所感 Tコリント1:23-24
わたしたちは、十宇架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。(Tコリント1:23-24)
 私が、最初に働いた教会、土佐教会の礼拝堂には十字架がありませんでした。私の母教会にはこの大船教会のような美しい十字架が礼拝堂にありましたから、礼拝堂に十字架がないことに違和感がありました。
 しかし、イエスは「見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われましたし、プロテスタント教会は、「聖書のみ」「信仰のみ」の立場ですから、ない方が当然なのかと思ったりもしました。しかし、落ちこんだ時、悩み事がある時、やはり心のどこかで美しい十字架を求めてしまうときがありました。しかし、望んでいた十字架は意外な場所で見いだすことが出来ました。土佐教会の礼拝堂の雨漏りを直すために、剥いだ天井裏からでした。虫に食われ、雨水にさらされ腐食し、それでも礼拝堂を40年以上支え続けてきた縦の柱と、横の梁でした。それは私が求めていた美しい十字架とはあまりにもかけ離れた姿でした。しかし、それは私に、キリストの十字架とは本来このようなものではなかったのかと思わせるものでした。私たちの罪と倣慢さによって惨めな姿になって十字架で死なれたイエスの姿、それでも私たちを愛して下さった姿を。
 実は礼拝におけるシンボルr象徴」は非常に大切であると言えるでしょう。シンボルとはもともとギリシア語の「スユンバレイン」「共に投げる」という意味の言葉です。私たちは事物を知るために、見る、聞く、嗅ぐ、味わうという五感を用います。さらに考え、あるいは過去の経験などを総合的に判断するなど、いろいろな方法を使っています。それらをフル活動して出来るだけ正確な事柄や情報を認識しつつ生活しています。しかし、では、人は自らの認識能力を超えた事柄をどのように知り得るのでしょうか。そもそも神の存在や恵みの力は、どのように私たち知るようになったのでしょうか。それは、私たちの五感・思索・感覚によって知ったものではありません。私たちが神を知ることが出来たのは、ただ神ご自身が、私たちも分かるような方向に向けてご自分を「投げかけ、投げ出して」下さったからです。ベツレヘムの幼児から十字架の死と埋葬に至るまでの人生を、人々と共に生きて下さったからです。その生涯は聖書に証しされ、時代を超えて私たちに投げられるシンボルとなりました。このような神の自己投与(啓示)に、私たちが応答し、自らを投げ出すのが礼拝です。その出会いの接点が様々なシンボルと言えます。その中でも、最も重要なシンボルが「ことぱ」です。私たち祈る言葉、聞く説教の言葉、聖書の言葉、これらがキリストを指し、私たちをキリストへと投げかけていくのです。つまり、そのものの価値や理解にとどまらず、それが指し示す意味を共通に我々に認識させるもの、それがシンボルだと言えます。エドゥアルト・ウーレッヒという 「象徴事典」の著者はこう書いています。「シンボルとは音楽における音譜のようなものである」。つまり、あのオタマジヤクシ記号は音楽そのものではないが、読みとれる人にとっては、それは音を発し、そこから壮大な音楽が響きだすということを言うのです。私たちも聖書、説教、祈り、讃美歌、聖餐という神から投げかけて下さる恵みを指し示しめすシンボル、礼拝を通して、より豊かな恵みを共に受け、より大胆にそれに答えてゆきたいと願います。
10月3日 牧師所感 Tコリント12:12-13
体は一つでも。.多くの部分から成り、体のすべての部分の教は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり.一つの霊によって.わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗札を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。(Tコリント12:12-13)
パウロは聖書で、教会を「キリストの体」にたとえました。そして「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分です」と教えます。つまり、教会に集う私たち一人一人がキリストの体を形成しているのです。しかし、教会には様々な人が集います。例えば、礼拝を静かに守りたいと恩う人、歌や音楽に惹かれて集う人、友達や交わりを楽しみにして集う人。悲しみや悩みを持って来る人。喜びに満たされている人。誰一人として同じ人生を歩んでいる人はありません。一人一人の顔が違うように、性格や価値観や能力も異なります。しかし、一つ共通していることがあります。それは、私たち一人一人はイエス・キリストによって求められた者であるということです。イエスは12弟子を集めるとき、「自分自身が欲した者たち」を呼び集めたと書かれているからです。私たちは、姿形、価値観や能力は違っても、イエス・キリストに求めたられたという点において全く同じなのです。イエス・キリストが私たちを求めるという事は、単にある目的のために私たちを利用もしくは用いるという意味ではなく、一人の人生にキリストがとことんつきあって下さるという事です。私たちの人生にとことん付き合って下さるイエス・キリストが、求められていることは何でしょうか。それが、Tコリント12:26節に書かれている「一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶ」という事です。つまり、キリストに求められてこの場に集い、キリストの体を形成する者たちは、互いに悲しむ者と共に悲しみ、喜ぶ者と共に喜べというのです。しかし、私たちは思います.「本当にそんな事が可能なのか。その人生の背景も、悩みも痛みも、環境も価値観も異なる人々が思いを共感できるのか」と。確かに、愛する者を失った者の痛みは、その事を経験した者でしか分からないでしょう。手を切ったときの痛みを理解できるのは、やはり手を切った者だけです。
私が牧師を志したきっかけに、ハンセン氏病との関わりがあります。ハンセン氏病は聖書にも登場する古くからの病気です。末期症状になると顔の形が崩れたり、手足の指が欠けたりすることがあります。それ故に、古くからこの病気は恐れられ、忌み嫌われてきました。しかし、本当は、感染力が弱く「きれいな水と石験」があれば起こらない病気です。現在、先進国といわれる国々ではほとんど忘れられた病気といえます。しかし、その忘れられようとする病気には忘れることの出来ない、おぞましい迫害と差別の歴史があります。日本では強制的に隔離され、人としての人権をことごとく奪われました。現在でも、その隔離された療養所には病気が治っても、帰るところを失った人々が生活しています。ある療養所の中に小さな小さな教会があります。そこで私は共に礼拝を守り、ある人に出会いました。6歳の時に療養所に入れられ、それ以来両親にも兄弟にも会ったことがないという方でした。その方は話して下さいました。「その苦しみ、悲しみ故に何度も何度も死のうと思った。しかし、私を救ってくれたのは、この教会での人と人の交わりだった」「隣人の優しさだった」「今は、生きていて本当に良かった」と心から言える。
私たちは、どこかで人と人は決して共感できないと思っています。それはあまりにも自分と遠く離れているし、違いすぎていると。しかし、私たちは共にイエス・キリストに愛されている、共に全てをキリストに知っていただいているということにおいて同じなのです。私の知らない、隣人の悲しみ、苦しみをとことん知り尽くして下さっているキリストを私たちは信じ、知っているのです。だから、私たちは隣人のその悲しみをイエス・キリストを通して感じることが出来るはずです。イエス・キリストがその命を持ってまで愛した隣人と共に歩んでいきたいと願ってやみません。
9月5日 牧師所感 ヨハネ 4:23-24
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理とをもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
私がまだ神学生の頃、教会学校のことについて、話し合いを持つときがありました。「教会学校に来る子ども達の数が最近減ってきた。一体、どうしたら良いのだろう」ということでした。私は、「楽しいことを提供して、礼拝を出来るだけ短く。あるいは、札拝をなくして、遊びの場にしては?」と提案しました。子供には礼拝は難しいと思ったからです。しかし、どんなに楽しいことを提供しても、その核となるものがなければ続かないのです。楽しいことや目新しさだけでは必ず飽きるからです。礼拝は確かに時には難しく、退屈であると感じることがあるでしょう。あるいは古臭いとお思いになるかもしれません。しかし、礼拝こそ私たちの信仰の、人生の核です。それなくしては信仰・教会が見えてこないと言えます。前号で、礼拝とは、神と人間両者の働きにより起こるものであるということや、礼拝には受け身の態度ではなく、能動的な姿勢で臨むことが重要であるということを学びました。さらに今回は礼拝でもう一つ、とても重要である「礼拝は神と人との対話」であるということを考えてみたいと思います。礼拝とは、単なる人間の集会ではありません。神様が一人一人を招いて下さり、そこに神様との生き生きとした出会いや交わりを体験できるのが礼拝と言えます。つまり、私たちには礼拝を通して生ける神様との出会いが許され、神様と私たちの「対話」が起こるべき場所といえます。この対話は何気ない日常会話のようなものではなく、真剣であるはずです。なぜなら、そこには招き、願い、告白、赦し、信頼、希望、決断等のやりとりが行き来するからです。それは沸き上がるような熱い思いに満たされるものではないでしょうか。確かに自己陶酔型の礼拝形式には私たちは疑問を感じます。それは神様を賛美しているのではなく、自己の欲求を満たしているに過ぎないと言えます。神様の語りかけを聞くためにも静かに耳を澄ませることには反対の余地はありません。しかし、礼拝が「講演会」のようになってしまっては意味がありません。礼拝のプログラムはこの「対話」を意識して作られています。「神様から人へ」「人から神様へ」。例えば「神様から人へ」は、招詞、聖書朗読、説教、祝祷があります。「人から神様へ」としては、讃美歌、祈り、献金があります。そう意識すれば、プログラムは全てつながりを持ち、「聖書朗読」「祈り」「讃美歌」への姿勢も変わるはずです。神様と対話できるということは本当に大きな恵みです。私たちは礼拝に招かれることに喜びを感じるはずです。そして教会という共同のわざに参加していることを意識しましょう。その時には能動的、積極的に参加していく姿勢を自分なりに考え工夫することが必要です。最後に、豊かな礼拝を通して、私たちはその場から散らされ、「一一人でも多くの人に神様の福音を伝える」という宣教へと送り出されることを覚えたいと願います。神様によって集められた人々が神の民へと形造られ、そして各々が生きる場所へと押し出されるのです。教会は人が神様との関係を豊かにするところであり、同時に隣人との横の繋がりをも豊かにするところです。礼拝は会衆一人一人の思いと姿勢において、より豊かなものとなると思います。
8月1日 牧師所感 ローマの信徒への手紙12:1
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

 わたしが初めて、キリスト教会の礼拝に出席したのは、中学1年生の時でした。父親に連れられて出席しました。そのころの思い出は「礼拝はとはなんとつまらないものだろうか」、「早く終わらないかな」というものしか残っていません。高校生になっても実はそう思っていました。しかし、ある時礼拝で知っている讃美歌が歌われた時があり、その時初めて大きな声で歌ってみました。礼拝は退屈ではなくなりました。聖書を読んで見て、自分の感じたことと、説教と比べてみました。「自分の人生でどんな意味があるだろう」と考えてみました。ほとんど聞こえなかった牧師の言葉が心に響きました。
 礼拝とは一体何であろうか。そもそも一般的に礼拝という言葉は、ある宗教の信者達が彼らの神ないし神々を崇拝するために集まって行う儀式という意味で用いられ、あるいは神、神々、聖なるものに対して敬意と崇拝の念を表明すること、として使われています。まさに文字通り、人間が礼(畏敬)をもって神を拝むということです。
 しかし、キリスト教において礼拝は、人間側の行為という意味だけで理解されることはありません。キリスト教礼拝で強調されるのは、むしろ神がその礼拝において働く主体であるということ。すなわち、礼拝はわたしたちの側からではなく神の側から始まるものであって、神の救いの先行に発するのです。(それは神の救いがイエスを通して行われたことで明らかです。)ある神学者は、礼拝とは「神がイエス・キリストを通してわたしたちに近づいて下さった故に、私たちは神に近づき、神がまず私たちを愛して下さった故に、私たちも神を愛し、そしてまた、神がわたしたちの全ての崇拝と感謝と信頼を捧げるに値することを自ら示して下さった故に、私たちは神に至高の価値を見いだすのです」と言います。
 実はここに「啓示」と 「応答」という礼拝を理解するためのキーワードが2つ与えられます。別の学者は「キリスト教礼拝とは、神がイエス・キリストを通してご自身を啓示することであり、またそれに対してなされている人間の応答のこと」と定義しています。この神からの働きとしての啓示と、人間の働きの応答は「礼拝の二重性」という言葉で表現されます。ある学者は、啓示や応答という言葉を使わず、礼拝は「人間に対する神の奉仕」と「神に対する人間の奉仕」という言葉を用いて「二重性」を表現しています二、いずれにしてもこの「二重性」が礼拝には不可欠な要素なのです。もちろん先に述べたように、神が礼拝の主体であり、人間の応答も神の啓示から引き出されるものですが、神と人間(信仰者)の両者の働きにより礼拝は起こるのです。
 さらに、礼拝は何か、別の視点から考えてみます。英語で「礼拝」を意味する言葉は「Worship」、「Service」、「Liturgy」という言葉を用います。どの言葉も辞書から「礼拝」という訳を見いだしますが、もともとの意味は異なっています。「Worship」は「何かに対して価値や尊敬を帰する」という意味を持ちます。「Service」は礼拝と訳されるよりも 「奉仕」と訳すほうが多いでしょう。「Liturgy」は「儀式」とも訳されますが、もともとギリシア語に起源を持ち、「他者のために働く」とか「人々に仕える」という意味があったようです。この3つの言葉に共通しているのは、どれも受け身の態度を示すものではなく、他者に対して能動的な姿勢を表す言葉といえます。例えばJ・F・ホワイトという学者は「Liturgy」という言葉から 「礼拝がLiturgicalと表現される場合は、それは札拝参加者が共に礼拝を守るために、それぞれの役割を積極的に果たしている状態のことを意味する。しかし、会衆が単に受動的な聴衆としての立場に置かれている礼拝にはそのような表現はあてはまらない」と指摘しています。
 礼拝に出席することは、その自らの姿勢、意思において能動的であるということです。そのことを、もう一度しっかり覚えて、感謝と喜びの礼拝を一緒に守りたいと願います。
7月4日 牧師所感 エフェソの信徒への手紙2:14-16
 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。
 それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。


2010年6月7日から行われた第11回部落解放全国会議の2日目のフィールドワーク多摩全生園見学に参加しました。これまでも、栗生楽泉園、長島愛生園、邑久光明園、大島青松園を訪ねたことがあります。どの場所も、とても自然の美しい所であり、それだけに、人の住むところから意図的に遠ざけられた感を否めません。 多摩全生園の自然の美も目を見張るばかりです。さながら、町の真ん中にある大きな森のような印象を受けます。また、園内にある国立ハンセン病資料館の立派さと、内容の濃さは、1日中いても飽きを感じさせません。しかし何より驚く事は、この療養所は、24時間、町の人達が療養所を通り抜けることが出来るということでした。フィールドワークで、園内を案内してもらっている間も、町の人達が自転車にのって普通に横を追い越していきます。なんと、あの宮崎駿さんの散歩コースでもあるそうです。桜の季節になると近所の花見客で一杯になるそうです。
この療養所が出来たのは、1909年。患者を「癩予防ニ関する件」が制定された2年後、全国5ヶ所に設置された公立療養所の1つです。その後。「癩根絶ノ策ハ隔離収容ニアル」との確信のもと、戦時中も「無癩県運動」が続けられ、1940(昭和15)年末、国公私立のすべてのハンセン病療養所の患者収容能力は1 万人に達し、1946年には1200人あまりの人たちが多磨全生園に隔離されました。それが現在では入居者は288人となっています。それは、この病気が完全に治る病気であり、(だから療養所の居住者は患者ではない)、現在では日本国内で数人程度の発生しか認められていないからです。つまり、療養所内に暮らす人達の平均年齢が80歳を越えることを考えれば、この療養所はいずれなくなっていくことになります。しかし、例え病気がなくなり、建物がなくなったとしても、私たちはこの国が、歴史が、私たち人間がこの病気に苦しむ人達に対して行ってきたことを忘れることはできない。
1931年「癩予防法」制定、これによって人々は強制的に療養所に隔離されます。幼くして連れてこられた人、家族に迷惑をかけまいと思って入所した人、1年で帰れるからと言われ決断した人。名前を変え、18畳に12人が生活をしました。職員不足を補うため、健康な患者は療養所の作業の大半を率先して行わなければなりませんでした。療養所とは名ばかりで、治療はしてもらえず、実際は刑務所のような所だったのです。非人道的な堕胎や断種が1992年まで平然と行われたのです。
ホルマリン漬けにされた胎児が発見され、現在療養所に「尊厳回復の碑」が建てられています。プロミンの有効性が発見され治療が始まり菌陰性となったのに、1953年「らい予防法」が制定され、退院はおろか外出さえできなかったのです。それは、1996年のこの法廃止まで続けられました。
結核に似ているが、発症力や感染力は極めて弱く、正しい治療と認識で治る病気、ハンセン氏病。この病気、療養所の歴史は、人間の差別とエゴの歴史といえます。「自分だけが良ければ」という私たち自身の中にある自己的な思いが作り出したといえます。それはどんな病気よりも醜く、おぞましい。そのことから決して目をそらしてはいけない。決して忘れてはいけない。
公演で語ってくださった多摩全生園自治会長の平沢保冶さんは「人をうらみ、嘆き、それを人に投げ返すことも出来る。でも私たちはそうはしない。その代わりに木を植えたのです」と教えてくれた。多摩全生園の自然の美しさ、大きな森は、この人達の思いによって出来ています。
療養所内を、近所の人達が自然と行きあう風景。それはきっと、この塀の中に隔離されてきた人たちの一番願っていた姿なのだと思います。それは帰るところも故郷も奪われた人達が憎しみを捨て、人を赦し、自らその塀を乗り越えていくところに作り上げた風景なのです。人も建物も変わり、なくなっていくでしょう。でもこの森はきっと次の世代、さらに次の世代にも、こうした人達がいたことを、その人達が伝えてくれた大切なものを教えてくれるに違いないと思わされました。
6月6日 牧師所感 イザヤ40:28-31
 あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
 主は、とこしえにいます神 地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
 倦むことなく、疲れることなく その英知は究めがたい。
 疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが主に望みをおく人は新たな力を得鷲のように翼を張って上る。
 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。


イスラエルの民はもともと遊牧民です。恐らく定住民族とは違い、いつも自然の厳しさに直面し生活も苦しかったでしょう。そんな中で、人々は神を信じ、互いに助け合い、社会的に弱い立場の人々に対する配慮を抱いて生きていました。しかし、そんな民も定住し、生活が安定してくると富を愛し、自己中心的になり、神の御心から目を背けるようになります。旧約聖書の詩人や預言者達は、人々に荒野時代のイスラエルを支えていた気持ちを思い起こさせようとしたのです。もう一度初心に戻って生きることを求めました。「初心に戻る」とは、言うなれば、人生のやり直しです。ヘブライ語で「戻る」と「やり直す」とは同じ言葉です。急いで歩くことばかりに気を取られてきた私達。だからこそ、時には「戻る」ということが必要だと聖書は教えます。実は聖書の関心は、人が猛スピードで歩んでいるときよりも、大切なことに気付いて後戻りするときにこそあると言えます。つまり「人生のやり直し」にこそ、聖書の強調点があると言えます。ヘブライ語の「若者」は小さな少年、20歳〜40歳を越えた人まで含みます。これは聖書が実際の年齢ではなく心の年齢を問題としていると言えるでしょう。アブラハムも、モーセも歳を重ねてから、第二の人生を歩み始めました。多くの苦難や挫折を味わいながら、その中から新たな自分を発見し、失敗を恐れず、新たな挑戦を新たな一歩を踏み出したのです。聖書は人の新たな人生の歩みを愛します。聖書は人生の結論を急がず、むしろそこに向かう過程を大切にするのです。
聖書は天体や動物、植物に関する記述が多数あります。乾燥した長い夏の夜に降る露が育む果実を語り、草花を観察し、空の星を眺めて考えることをさせます。そしてヨブ記にあるように、私達に問いかけます。「お前は岩場の山羊が子を産む時を知っているか。雌鹿の産みの苦しみを見守ることができるか。月が満ちるのを数え産むべき時を知ることができるか。」
時が満ちなければ、動物も植物も生まれないし、成長しません。人間も同じです。
むしろ人間ほど成長に時間がかかる生き物はいません。だから、人は神のもとに帰るその時まで、人と出会い、互いに学び支え合い続けなければなりません。だから聖書は、私達に、あわてず、時にはもどる道を進みながら、本当に人を生かす真理を求めるよう教え、他者に対する思いやりを大切にしながら自らをより豊にすることを何よりもの喜びとしてくれるのです。
5月2日 牧師所感 ヨハネ11:25-26
私は復活であり、命である。このことを信じるか?
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」。有名な松尾芭蕉、奥の細道の書き出し(月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である)。大船教会に来て、すでに1年が過ぎました。月日が流れるには本当にあっという間です。過ぎ去った1年を振り返って、どんなことをしたかな?と思ってみても、沢山したようで、何も出来なかったような気もします。新しいことをしたようで、結局は同じことの繰り返しであったような気もします。
コヘレトは様々な時があるといいます。生まれる時、死ぬとき、喜ぶとき、悲しむとき・・・28ものリストを挙げます。それは私たちの人生そのものに起こる全てのことを示しています。つまり、どんな人間であろうと、おおよそ同じことを経験している。さらにコヘレトはこれらのこと全てが神に定められたものだといいます。だから、人が労苦したとしても何も残らないのだと言う。たとえどんな知者でも、富者でも、正しく、優しい親切な人でも、そしてそれらの逆でも・・・。
最近、前の教会のメンバーから手紙をもらいました。そこには、自分が年老い病を持つこと、友人、教会のメンバーが亡くなって、とても寂しいことが書かれてありました。6年半同じ礼拝を守り、同じ信仰の道を歩んだ人の嘆きの言葉は、私自身の無力さと、老いと病とに対する悲しみと全てに対する空しさを感じざるを得ませんでした。
牧師は人の死に立ち会うことの多い職業です。この大船教会にきてすでに3つの葬儀を行いました。違う国だろうと、違う人種だろうと、どんなに優れた人、親切な人であっても、その時を免れることは出来ないのです。そしてその都度、悲しみと無力感にさいなまれる。だからその空しさは、コヘレトにいまさら言われなくても十分に知っている。
コヘレトのあげる28のリストは、時計が正確に時を刻むように、どんなことがあっても続いていく平面的な時間をイメージさせます。だからそれは全ての人が平等に経験するものと言えます。しかし、そこには何か決定的に欠けている。そうそれは、まさに決定的な時。神が私たちに介入される決定的な時が。新約ではそれをカイロスという言葉で表現したり、「イエスの時」と表現し、それはイエス・キリストの救いの出来事、つまり十字架の死と復活を表しているのです。
香川県高松市国立ハンセン氏療養所 大島青松園に「風の舞い」というモニュメントがあります。海を見下ろす高台に、風と共に舞い踊る夕日をあびて、厳かに光を放つ石碑をいまでも思い起こす。ここには世に忘れ去られた骨が収められている。幾つもの、幾千もの。差別を受け、帰るところを失い、家族からも忘れ去られた人々。だから「死んで灰になって風にのって、それぞれのふるさとへ帰ろう」とこのモニュメントに思いがこめられた。
私たちはエゼキエルに語られた主の言葉を忘れてはならない。
『そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」 そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。』(37:3-5)
あなたの人生が、私の人生が空しいのかどうか?それは「神、あなたのみがご存知です」と答えたい。その骨が、風に舞い、再び霊を吹き込まれることを信じる。そのためにイエスは十字架で死に、確かに復活されたのだから。それ以外に、この空しさを埋めるものはなく、今この時を生きる道は、他にないのだから。「今こそ風よ吹け」と心から祈るのです。
4月4日 牧師所感
 イースターおめでとうございます。イースターは主イエス・キリストの復活を共にお祝いする日です。聖書によれば、復活したイエス・キリストは40日間に渡って、人々に現れ、教えを説かれ、そして再び天に昇られたとあります。この復活の出来事で有名なのは、マタイ福音書では復活のイエスが11弟子に現れ「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」という言葉。ルカ福音書ではエマオへの道でイエスが弟子達に現れた出来事。ヨハネ福音書ではトマスに現れたイエス、七人の弟子達に現れたイエスの話。そして使徒言行録ではサウロに現れた復活のイエス・キリストの話が有名です。
 復活が弟子達にとっていかに大きな転機となっているかは容易に想像がつきます。(だからこそ、福音書も年代を経るにつれ、復活の出来事を多く載せるようになったのでしょう)しかし、逆に現在の私たちにとっては、この復活がゆえにキリスト教を分かり難くしているとも言えるかも知れません。死人が生き返るという出来事を私たちは古今東西聞いたことがないし、科学的にも常識的にも考えられないことだと言えます。だから、イエスの時代、人々はイエスの遺体は弟子達によって盗まれたのではないか(復活の出来事をねつ造するために)と考えたし、現在にいたっても復活の出来事はなかったとする本も多く出版されています。確かに、復活を物理的出来事としてのみ見なすならば、そういう考え方も出来るでしょう。
私が、牧師の按手礼(牧師になる時の式)を受けたときのことを思い出します。按手礼のメインは何と言っても多くの先輩牧師に手をおいてもらって「父と子と聖霊の名において、あなたに手をおき、主の教会の正教師たる職に任じます。その務めを全うするために、聖霊を受けよ。忠実に神の言葉を宣べ伝え、聖礼典を執り行え」と命じられるときです。
通常、按手式には多くの先輩牧師が集まり、牧師にならんとする後輩の上に、強い力で手を置きます。私の時もそうで、この置かれる手の重さ、重圧は相当なものでした。「これでもか、これでもか」と押さえつけられるのです。初めのうちは何とか踏ん張ろうとしたのですが、結局は押しつぶされてしまいました。日本のある牧師からこの按手の意味を聞いたことがあります。それによると「手をおく多くの先輩牧師も同じように手を置かれて牧師となった。そのもとをたどっていくとキリストの手にまでさかのぼる。だからあなたに置かれた手もまぎれもなくキリストの手なのだ」と。
 使徒言行録によると、復活のイエスは迫害者サウロのもとに現れ、その目を三日に渡って見えなくします。しかし、そのサウロのもとに主はアナニアという弟子を遣わし、手を置かせその目を癒しています。 迫害者サウロにとってこの時、置かれた手の重さはいかなるものであったでしょうか。自らの拠り所、自らの力としていたことをことごとく否定されたサウロ。
自分こそ正しいと信じ、神のために迫害していたのに、そのイエスこそが唯一の救い主であったのです。さらに目さえ見えなくされ、無力の極みにいます。そのサウロはキリストの弟子アナニアによって手を置かれました。それはまさに敵サウロに置かれたキリスト御自身の手です。それは敵をも包み込む愛の手です。律法によって人を裁くこと、自分が救われることしか見えていなかったサウロにとってこの手の重さは想像を絶するものであったに違いないと思います。
 私に置かれた手もまた、主の愛の重さを感じさせるためのものでした。自らの力を誇示したり、人に仕えてもらうことに喜びを見出そうとする小さく愚かで、敵でさえあった私が神の愛に押しつぶされ、新たに生かされるそんな時であったと思います。
 復活とは単に目に見える奇跡的なことを言うのではないのです。それは人が神の愛に触れて、自らの小ささ、愚かさに気づき、どうしようもないほどの絶望の中で、それでも神を信じようとするならば、人はもう一度立ち上がることが出来ることなのではないでしょうか。そしてその時、私たちは赦されていることを知るでしょう。復活とは、主の愛と赦しを、私たちが本当に、知るときなのです。
3月7日 牧師所感 ヨハネ14:67
スウェーデンの租税負担率には驚きます。負担率は日本のちょうど2倍で56%、それに社会保障負担を足すと、国民負担率は75%にものぼります。国民はさぞかし不平ブーブーだと思うと、そうではない。むしろ国民は高福祉政策を支持しています。「ここに住む人が幸せに暮らせるなら少し高い税金は、「社会の潤滑油」だと考えているようです。
 スウェーデンは90年代初頭、不況と財政赤字に苦しみながらも「強い福祉」を実現するために「協力して強い財政」を築こうと国民に訴えかけました。「福祉を削れば弱者が痛みを受ける。だから豊かな人々は税で痛みを分かち合って欲しい」と協力を呼びかけました。
「米国や日本のような弱肉強食の社会はいけない思う人、手を挙げて」とあるスウェーデンの学校のクラスの子ども達に聞くと、クラス全員が手を挙げたそうです。「どうしていけないの?」と尋ねると「強い者が一人勝ちする社会は民主的ではないから」という答えが返ってきます。弱肉強食社会を否定できる考え方の背後には、徹底された連帯意識があります。子ども達は義務教育の小中学校に進学すると、併設されている養護学校の子ども達との交流や、ディスカッション形式の授業を通じて、弱者に対する連帯意識や民主主義の仕組みを学ぶことになります。こうして「連帯の大切さ」を教えられて育ったスウェーデン人は、例えば失業者にたいしても「敗者」という暗いイメージを持ちません。スウェーデンでは何度でもやり直しのチャンスが与えられるからです。例えば、20世紀前半の世界大恐慌の前後に全国各地に作られた成人学校がそれです。対象は20歳以上、学費はゼロ、生活費も保証されます。30歳前後になって大学へ進もうとする人や、再就職のための専門知識を身につける人、移民してきた人、中退者などが通います。スェーデンでは35歳ぐらいで、自分が何をやりたいのか分かるのが普通だそうです。
私たちは、20世紀共産主義思想の国々の経済が破綻し、資本主義社会こそ正しい道だと確信しました。しかし、はたして現在の社会は正しい道を歩んだ結果でしょうか。所得格差の拡大は留まることがなく、社会統合に大きな亀裂を生じています。
スウェーデンの政策すべてが正しいわけではないでしょう。しかし、少なくとも「自己が幸せになるために、他者の幸せを考える」ことは、今の日本や米国の「競争社会」において最も欠けている考えかも知れません。 
聖書に登場する人々も、実は「人が人と共に生きる」ということをその歴史を通してずっと求め続けてきた人々です。何故なら、神は人が共に支え合い、愛し合って生きることを求められ、それこそ神にかたどられて創造された人間本来の姿だとされるからです。人々はそれに応えるべく、律法を守り学び、数々の福祉制度を確立しようとしました。しかし、それはいつしか自らの救い、自らが認められ、自分だけが幸せになるために逆に利用するようになってしまいます。どんなに優れた法則、思想が、戒律が作り出されても、人と人との交わりの中に「共に生きよう」という思想がなければ意味がないのです。そのことをイエス・キリストはその命をもって教えて下さいました。正しい道は、必ずイエス・キリストを通るのです。
2月7日 牧師所感 詩編51;3.4
有名政治家の、政治献金問題があとを絶ちません。多くの場合、はじめは強気に否定し、だんだん沈黙し、最後には罪が暴かれ、涙ながらに謝罪なんてことが多いですね。そんなことなら初めから潔く「ごめんなさい」と言えないものか、その方がどれだけ印象がいいことか、とよく思います。さて、2月17日水曜日から(灰の水曜日)からレントにはいります。四旬節、大斎節、受難節とも呼ばれるイースター前の教会暦上の期間で、キリストが荒れ野で断食した40日間(イスラエルの40年間の荒れ野の旅など)にちなんでいます。なぜ、レントの始まりが「灰の水曜日」と呼ばれるかというのは、「灰」が深い悔い改めや悲しみを表す象徴として聖書で用いられているからです(ヨブ記2:8,イザヤ61:3,ヨナ3:6,マタイ11:21参照)。Lentという言葉は英語ですが、昼が少しずつ長くなることに由来する古代英語 lengten(春)の変化形に基づいて出来た言葉で、その意義内容を示す名称ではありません。レントの歴史は、4世紀まで遡ります。西方教会においてはこの期間を霊的修練の40日間と定義しました。さらに、遡ると2世紀の初期教会においては、イースター前の一定期間を受洗準備期間としていました。それがやがて、コンスタンティヌスのキリスト教公認以来、信徒への再教育の場となります。現在における、レントの意味はキリストの受難を想起して克己・修養・悔い改めに励みながらイースターを迎える準備をする時とされています。
詩編51篇は、ダビデ王が罪を犯したことに由来して、歌われた歌です。ダビデが、犯した罪が、サムエル記下11章以下にあります。ダビデにはウリヤの妻バトシェバを力ずくで自分のものとし、それがバレそうになると夫ウリヤを戦いの最前線で戦死さるのです。ダビデは預言者ナタンにこの事について厳しく指摘され、さらにはバトシェバに宿った子供は出産後重い病にかかるのです。ダビデは神に願い求め、断食し、地面に横たわって寝て、悔い改めを示します。そんな背景がこの詩編51篇にあるのです。良心の呵責に耐えかねる気持ちを持つダビデは、詩編で自己の罪を見つめ苦しみ、神にその告白をしています。その苦しみは、神を否んだその結果だと知っているのです。しかし、そのダビデは自己の罪を清めて欲しいと願うにあたり、驚くべき事を歌います。
「あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます」
ダビデは自己の罪とそれに悩む苦しみを、単にまやかしの儀式や言い逃れで神に赦してもらうとするのではなく、また単なる奇跡による回復を祈るのではなく、知恵を求めるのです。つまり、ダビデは、自らの罪を洗い清めるのみならず、これを通して新たな神の御心を知る者となりたいというのです。ここに、詩篇51篇において「罪」に対する、新たな理解が見られるのではないでしょうか。
「罪」という言葉は、旧約聖書では大きく3つの流れから成り立っています。一つは、「道を誤る」こと。これは多くの場合誰かに対して犯す罪を示す。つまり人に対して、神に対して過ちです。2つ目は、曲がった状態・真っ直ぐない状態を意味します。これは、人自らが犯す罪を通して陥る状態を示しています。3つ目は関係の断絶です。それは子の父に対する反逆、民の律法に対する反逆などが例として挙げられます。この3つの要素を持つのが「神の目に悪をなす」という事なのです。ダビデの場合も、彼自身が「神の目に悪をなした」と告白するように、この3つの状態によく当てはまっています。彼は、人に対して罪を犯し、それを当然の事とし、人の道として真っ直ぐない状態になりました。さらに預言者ナタンの叱責が何を示しているのか、初めは全く気付かず、自分が神との関係において断絶状態にあることにすら気付いていなかったのです。しかし彼は自らの中に「罪」を認めた時、神の前で涙とともに罪をあからさまに告白したのです。罪に面と向かい合うとは、何か気取ったり、格好をつけたり、知らないふりをしていたのでは、本当に罪に向き合っているとは言えないのです。私たちには自らの本当の姿、弱さに目を向ける事が必要です。たとえ、それが、見栄がしなくとも、格好が悪くても、辛くとも、私たちが変わるために、そのことが必要なのです。「罪」を知るとは、それほどの事なのです。しかし、ダビデはそのことを通して、「まこと」と「知恵」を得たのです。それは、「神によって作り出される」という事です。神に創造されると言うことです。「罪」にしか生きられず、誤った道を進み、無に進みゆく者が「新たに生きること、真に生きること」を知らされるときです。そして、それは私たち一人一人が、イエス・キリストの十字架に出会い、キリストと共に死にキリストと共に生きると言うことなのです。
ダビデの子は、ダビデの罪のために死にました。その子が死ぬまで必死に祈り、断食したダビデは、その子が死んだとたんに、断食をやめます。何故でしょうか。ダビデの子の死は、まさにダビデそのものの死です。自らの罪におののき、苦しみ生きる人が、新しく創造されたのです。だから、彼は自らの弱さ、醜さの中に希望を見出し、歩みを再び始めようとしたのです。
キリスト者は、変わらなければならない。いや変えられゆく存在であると信じます。ある者は、自らの本当の姿を受け容れられるように変えられる。ある者は、絶望から歩み出す力を与えられる。何故なら、私たち一人一人は、イエス・キリストに出会うからです。イエス・キリストによって、「罪」を知る苦しみが、喜びに変えられることを知っているからです。だからこそ、今、私たちは希望を持って、自らの罪を見つめつつ、レントの時を過ごしたいと願います。
2010年1月3日 牧師所感 ヨハネ5:24-25
2010年、新しい年が始まりました。昔の歴(陰暦)では、1月のことを「睦月(むつき)ともいいました。「むつびのつき」が縮まって「むつき」になったそうです。むつまじくする、仲よくする、親しくするといった意味がこめられていたようです。新しい年、このように世界のみんなが仲良くすることのできる年であることを祈ります。昨年は、どちらかと言えば「睦まじい」年というよりは、「せちがらい」年であったように思えます。「せちがらい」は「暮らしにくい」「住みにくい」 ということです。また打算的で抜け目がない人のことを「せちがらい男」ということもあります。もともとは仏教用語で、仏の知恵を「仏智」、俗世間の知恵を「世知」といったことから始まったそうです。つまり「世知」は仏の知恵の対極に置かれるもので、世間の普通の知恵のことを指しています。
さて、午前中の聖書研究会でのヨハネ福音書の学びも大詰めになってきました。
ヨハネ福音書の一つの特徴として、イエスは明確に自分自身の意味について語られています。「私は命のパンである」、「私は世の光である」「私は門である」、「私は良き羊飼いである」、「私は復活であり、命である」、「私は道であり、真理であり、命である」、「わたしはまことのぶどうの木である」と。このような「「わたしは・・・ある」という言辞は他の共観福音書には見られないことです。
さらにマルコ福音書によれば、イエスと弟子達の最後の晩餐において「主の晩餐」が制定されています。それからイエスは弟子達を連れてゲツセマネに祈るために向かわれます。しかしヨハネ福音書では弟子達との最後の食事の席で、イエスは4章にもわたる説教をされていますが、聖餐の制定の言葉はありません。さらにはゲツセマネの記事もないのです。そこには確信に満ちたイエスの姿が描かれています。ご自分の方から捕まえに来た兵隊のもとに進み行かれるのです。そして「わたたしである」と言われるのです。そして「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」と確信をもって言われるのです。そこには悲しみや苦しみはないのです。ヨハネ福音書では「悲しみの人イエス」ではなく「栄光の王イエス・キリスト」なのです。
ヨハネ福音書も当然、他の福音書と同様に単にイエスの伝記を描くものではありません。しかし他の福音書が、地上でのイエスを描くことを通して、救い主、キリスト・イエスを描こうとしたのに対して、ヨハネ福音書は初めから救い主、復活の主であるイエスの地上での生き方を、教えを、対話を大胆に描いているのです。
それは、救いは必ずあること。それは真理であり、確かなことであるということを私たちに語りかけています。それは、私たちの考えや思いをはるかに超えた、神の恵みです。
この年、果たして良いことがあるだろうか、この年もきっとろくなことはない、とぼやく私たち。しかし、そうではなく、逆に、確かな救い、希望が、すでに与えられている、そのことを通して新しい年を歩み始めてはいかがでしょうか。
以下2009年
12月6日 牧師所感 ヨハネ6:25-27
クリスマスのシーズンが来ました。皆さんはどんなプレゼントをお願いしているでしょうか?
え、もう欲しいものはない?そうですね、そういう私も何が欲しいと言われても、(家計のこともあるし)ぱっと思いつかなくなっています。寂しいことですね。
私は今年で40回目のクリスマスとなります。皆様はどんな思い出をクリスマスにもっておられるでしょうか。私はあまり皆様の感動にそえるような話はないのですが、幾つかあげてみたいと思います。小さいときにクリスマスツリーを買ってもらいました。作り物の小さいやつでしたが、初めての経験で、飾り付けがとても楽しくて感動しました。しかし、次の年には、そのツリーは出してもらえず、それ以来実家でツリーは見ていません。理由は、ツリーを出してもらった年にちゃんと後かたづけをしなかったからです。次の思い出は、もう少し大きくなっていて、クリスマスプレゼントの思い出です。テレビか何かで見た大きなロボットのおもちゃをクリスマスのプレゼントに親に頼みました。ところがクリスマスに父親が買って来てくれたのは、小さな小さなロボットのおもちゃでした。私は泣きました。わんわん泣きました。2日ほど泣いていました。もしかしたら小さいやつの方が精巧で高価だったのかも知れません。しかしそんな事を考えるほど私の頭は良くなく、泣き続けたのです。父親は3日目に根負けして品物を交換しに行ってくれました。次の思いではさらに少し大きくなっていて、親にゲームか何かを願いしました。ところが当日もらったのは、靴でした。親は足の悪い私に、少しでも良い靴をと思って買って来てくれたのです。しかし私は小学校低学年ごろだったので、日常品より遊ぶ物に目がいっていたのでしょう。そんな親の思いも知らず、私はふてくされて、せっかくもらった靴をはかず、しばらく投げやっていました。本当にこんな人間が牧師になっていいのか!と思うほどの悪ガキです。自分の子どもだったら尻たたきますよ、ほんと!
皆さんもこのシーズン、プレゼント選びには苦労すると思います。あげる相手が少しでも喜んでくれるよう願うからです。そしてそのために相手の趣味や嗜好、性格といったものをよくよく思い起こそうとするのです。しかしもらう側は、自己中心的な思いからか、その相手の意図や思いやりを無視したり、感謝出来なかったり、喜びを感じられなかったりするのではないでしょうか。大体、自分自身で自分に何が最も必要なのかさえ、本当のところよく分かってはいないのではないでしょうか。
ヨハネ福音書におけるイエスの奇跡行為には明確な意図があります。病気が治ってよかった、空腹の人が満腹してよかった、で終わるのではなく、その奇跡を経験した人が、目撃した人がイエスのことを救い主、復活の主であると知る、信じるということが一番求められていることです。5000人の給食の奇跡を体験した人々は、イエスを追って対岸のカファルナウムにまでやって来ます。しかし、イエスはその人々を見て「あなたが私を捜しているのは、奇跡のしるしを見て、私を救い主と信じたからではなく、パンを食べて味をしめたからだ」と言われるのです。要するに、人々はイエスからの一番大切なプレゼントに気づいていないのです。自分勝手にあれが欲しい、あまり欲しくないけど誰かが持っているからもらっておこう、という具合です。私たちは自分に必要なものさえ本当のところ知らないのですから、あたりまえと言えばあたりまえです。クリスマスの意味をそっちのけで、雰囲気に酔いしれているのと同じかもしれません。
では、イエスからの一番大切なプレゼントとは何か。それはイエスの「わたしが命のパンである」というメッセージです。イエス自身が私たちを養う糧となってくださる。イエスこそが、私たちが生きることにおいて欠くことのできない存在ということです。
しかしパンは見ているだけでは腹に入らないのと同じように、イエスをながめるだけでは意味がないのです。イエスを食べる、つまり信じる、祈る、イエスのなされたことを少しでも行っていく、そのことが大切です。プレゼントは開けなければ始まらないのです。開けることが実は教会であり、礼拝に出席し、交わり、伝道に参加することなのです。イエスは神を信じるという姿勢をその人生を通して私たちに示して下さいました。それはヨハネ15章の教えで集約されます。そのイエスを通して私たちは神を信じます。神様が私たちのことを本当に愛し、考えて下さり、与えてくれた贈り物、イエスというプレゼントを本当に喜び、受け入れ、信じ、共にこの時感謝いたしましょう。
11月1日 私の目標 ヨハネ20:24-27

サッカーの全日本の監督で、次のワールドカップでベスト4を目標にあげる岡田武史氏はテレビのインタビューで「日本代表がベスト4に入る根拠は何もない」と言われて気色ばみ、「二度とこんな番組デネエ」と言い、そして「根拠のある目標なんて目標とは言わない。目標とは根拠がなくてもそれに向かって死にものぐるいで、全力を注いで向かっていくものだ」と言った。
2009年10月9日アメリカのバラク・オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞することが決まった。この日の読売新聞は、このことを称えながらも、社説で「何も描かれていない白いキャンバスが名画と選ばれた」とコメントしている。現在のオバマ大統領の支持率は、保険制度改革に伴い、急降下中だ。さらには、アフガニスタン問題もあいまって、「オバマ氏は“武力衝突のエスカレートと市民殺害のノーベル賞”を受賞すべきだった」と述べたりする人もいる。オバマ大統領がこの賞を受ける大きな要因は、4月チェコのプラハでの演説した「核兵器なき世界」の構想である。そこで次のように言う。「ある人たちは核兵器の拡散は防ぎきれないと言います。さらに多くの国の多くの人々が、この最終破壊兵器を所有する世界で生きていくことを運命づけられている、と言います。しかし、この論理こそが、私たちの大敵なのです。何故なら、もし、核兵器の拡散が不可避的だ、と我々が信じ込んでしまえば、次には、我々自身が核兵器の使用は不可避的だと信じることになるからです」。
思えば世界は、第二次世界大戦後東西冷戦下で、核抑止理論のもとひたすら軍事力による平和を目指した。軍事力と平和という矛盾にさえ気がつかない世界も、ソ連にゴルバチョフが登場し、90年にドイツ東西の壁が壊され、ようやくその異常な状況を脱したが、それからの20年はむしろより「平和」ということの難しさをより考えさせられるにいたる。湾岸戦争やテロに始まる人種、思想や文化、宗教の争いは、実は「持つ者がさらに豊かになろうとすること」と「持たない者」との「共存」いう、意外に私たちの身近な問題こそが「平和」の根っこにあるのだと教えている。
オバマ大統領のアメリカ大統領になるにあったってのスローガンは、「対話」であり、「ここには黒人のアメリカ人とか、白人のアメリカとか、ラテン系のアメリカとか、アジア系のアメリカとか、アジア系のアメリカとかいったものはない。あるのはアメリカ合衆国である」というものだ。一方的に自分の正しさや正義を振りかざすのではなく、「いろいろな人がいて、いろいろな正しさがあり、いろいろな考えがある、そして共に生きていく」そのことを前提として、相手を尊重し話し合っていくということだ。実はこれは、先ほど日本の総理大臣になった鳩山由紀夫氏のスローガンとする「友愛」と共通している。この言葉が、彼の祖父鳩山一郎氏に由来し、彼がオーストリアの貴族カレルギーの著書に由来していることはご存知だろう。そこには「民主主義とは自分の自由と人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と人格の尊厳をも尊重する思想が基礎になくては成立しない。民主政治完成のためにはどうしても友愛革命が必要である」と書かれている。
これに対して読売新聞は「性善説」の危うさと題して、「友愛」とは人間の善意を信じ、みんなと仲良くするべきだということで、無限抱擁的理念でその根底に性善説があるが、ここには人のもつ両義的な人間存在へのあきらめの認識が欠けている。」とコメントしている。
復活のキリストは、死んだイエスの釘の傷に指を入れない限り復活なんて信じないというトマスに現れた時、最初に「シャローム」と言われた。
トマスは私たちの姿によく似ている。イエスを愛すると言いながら十字架のとき逃げ去った姿。それにも関わらず、「根拠は何か、証拠を見せろ」といかにも自分だけは正しく、冷静に判断しているように人を裁き、批判する姿。そんな人間に復活のキリストは「平和があるように」と声をかけられる。キリスト教の根底は、パウロが言うように「見えないものを希望」にすることであり、キリストが敵であり、過ちをおかした私たちを愛し、その私たちのために死んでくださったことにある。だから神と私たちには平和があるという。だから、真っ白いと思うキャンバスには、「何も描かれていない」ではなく、あなたが見落しているだけで、すでにキリストの平和が描かれているのだ。「その証拠を見せろ」といわれれば、それは、私たち自身が「キリストの愛をどう感じているか」ということにおいて答えていくしかない。そのことを真剣に、切実に自分の人生で答えていくしかない。キリストの愛と平和のキャンバスに何を描くのかは、あなた自身に問われている。
確かに、人は善いほうにも悪いほうにも転び、天使になったり悪魔になったりする。だから、確かに政治には力が必要だろう。倫理が必要だろう。「友愛」だけでは成り立たないというかも知れない。教会にもいろんな人がいて、いろんな状況がある。「あーしたらいいのに! こうするべきだ!」と声を荒げたいときもあるだろう。しかし、逆に「平和」や「友愛」の前提のない政治が、力と倫理と正義だけの政治が存在するのか? 世界が存在しえるのか?愛のない教会が存在しえるのか?
そうではなくて、「善も悪もある」、「失敗も過ちもある」、でも私たちはそれでも「平和」を叫ぶのだ。だから、根拠を探すよりも、まずなにより「平和があるように」と声をかけ合う群れでありたい。あなたもそう主に声をかけられたのだから。声高らかに自分を主張するのではなく、「まず平和があるように」、それが私たちの目標であり、私たちがすべてを注いで全力で向かっていく道ではないだろうか。

10月4日 牧師所感 列王記上8:27-29
10月の第1聖日は、世界聖餐日と世界宣教の日です。
これは世界各地で覚えられる時で、つまり、多少の前後はあるとしても、この日は世界のキリスト者が心を一つにして、聖餐にあずかるのです。これは、ちょっと考えると、すごいことだと思います。顔を見たことのない人、話もしたこともない人、文化や生活習慣、環境や言語や肌の色が違う人たちが、同じ思いを抱き、同じことをするのですから。私たちが知らない人と心を一つにすることは、通常考えられないことです。病気を負っている人、悲しみを抱えている人の思いは、所詮同じ境遇、病、痛みを経験する人しか分からないと知っているからです。もっと厳密に言えば、それらの人たちにも違いはあるのだから、結局のとこ、本人一人だけしか分からないと思います。確かにその通りでしょう。ただし、そう考えれば、私たちはなんと孤独だろうと思います。あらゆる人間は所詮、生まれてきた時から、死ぬまで、どんな時も一人ぼっちではないか!まして、私たちが知らない世界の多さ!例えば、この日は、世界宣教の日でもありますが、日本から牧師が各国に宣教師として派遣されていることもほとんど知られていません。教団の発行している「共に仕えるために」によれば、日本キリスト教団が派遣している宣教師だけでも、20人以上になります。各国それぞれの場に、日本人がいて、日本語の礼拝を心から求めているからです。そういう私も、今年の2月までアメリカのサンノゼ、ウェスレー教会日語部で派遣宣教師として働きをなしました。皆さんは太平洋戦争と言えば、日本が悲惨な戦争の中で、多くの尊い命が失われ、家や財産が失われたことだと思われるでしょうが、アメリカに移住していた日本人にとってもそれは悲惨な出来事だったのです。どれだけの日本人が、同じ日本人がアメリカで強制収容所に入れられていた歴史を知っているでしょうか。どれだけの人が、2つの祖国を持つ人の苦しみを知っていますか。アメリカで住み、言葉・文化の違いに苦しみ、時として人に裏切られるような経験をしながらも、それでも主を信じて歩んでおられる方がいます。そこでは日本語による礼拝は当たり前ではありません。ある人は車で2時間近くかけて礼拝や集会にこられました。その方は言われます。「私たちの教会には4人しか日本語を話す信徒がいません。でも毎週自分たちだけでも集まって祈祷会を守り、聖書の学びをします。だからこのように教会を越えて、日本語の礼拝を守れることは私たちの救いなのです」。私たちは礼拝に来られることを救いだと感じているでしょうか。1週間の中の「おつとめ」ですか?何も感じない惰性のひと時ですか?
私たちは、確かにそれぞれが違う環境、違う世界に住んでいます。しかし、ただ一つ確かなことがあります。それは、私たちすべてが「主にあって生きている」ということです。主にあって喜び、感謝し、主の中にあって悲しみ、苦悩して生きています。だから、主はあなたの全てを知ってくださっている。だから、たとえ自分は一人ぼっちだ、誰も理解してくれないと思うときがあったとしても、実はあなたは一人ではなく、あなたのことを誰よりも知っていてくださる主と共に歩んでいる。私たちはそのことを信じるから、隣人を思い主に祈るのです。私はあの人の全てを知りえないが、主は知っていてくださるから、祈りを通して、主を通して、一つの思いにつながっていく。礼拝の場とはそういう所ではないのでしょうか?
私たちは所詮赤の他人だと言う事はたやすいし、この世の中、その方が当たり前です。
全てを知りえることは当然できないし、するつもりもないと思っています。でも、それなら、私たちは何を信じてきたのか?あなたは今も一人ぼっちなのですか?だから、このときもう一度、私たちの信仰とは何かよく考えてみてください。なぜ教会に来るのか、なぜ兄弟姉妹と呼ぶのか、そんな当たり前のようなことを考えるとき、きっと私たちは新しい1歩を共に歩み出せるのではないでしょうか。
9月6日 牧師所感 ヨハネ3:6-8

早くも秋を感じさせる季節となりました。本当に月日が経つのは早いものです。4月に赴任し、まる5ヶ月が過ぎました。大船に来て、一番に気に入っていることは、風が心地よいことです。私の育ちは奈良なので、海がなく、盆地なので、風をあまり感じることがなかったのです。風があると、たとえ湿度が高く過ごしにくい時でも、不快感をずいぶん和らげてくれます。
今年は、天候不順で、7月8月は大変でした。梅雨明け宣言がなされてから雨が続いたり、西日本で大きな被害をもたらしたりと心配な時を過ごしました。少し前まで大船もよく水害の被害があったと聞いています。私が初めて勤めた教会は、四国の高知県にある土佐教会でした。ここは、非常に激しい気候の地で、雨などが降り始めると大変です。「これが雨か?滝に違いない」と思えるような激しさです。高知の雨は上からと下からと両方から降るといわれ、いくら傘をさしても下からの降り返しで、結局、体は濡れてしまいます。それに比べると雨が降っても風が心地よい大船はとても好きです。
私たちは実は自然現象の中で風というものに対して一番無頓着といえるかもしれません。地震、雨や雷、日照り、雪といったことには敏感ですが、天気予報で風のことを中心に語られることはないでしょう。しかし、風は私たちの生活でとても大切なものです。
植物の中では、風によって種子を運んでもらいますし、お茶の栽培には冬の冷たい霜を防ぐのに風が必要です。何より、新しい空気は、私たちのふさぎこんだ思いを新たな思いへと変えてくれます。しかし、最近ではエアコンの普及にしたがって、あまり窓を開ける機会が少なくなってきているのではないでしょうか?エアコンは快適ですが、あの窓を開けて風を受けたときの爽快感には遠く及びません。だからたまには、窓を開けて、大船のすばらしい風を感じたいと思うのです。
この度、大船教会の月報を再開することができました。タイトルを大船の風にしたのは、この大船の気候もありますが、大船教会がペンテコステに創立し、神様からの聖霊の恵みによって歩みを続けているのだということを覚えたかったからです。
皆さんご存知の通り、聖霊とはもともと風を現す言葉です。そういう神様からの恵みは、たとえ私たちが困難な時にあっても、悲しみの時にあっても、豊かに私たちに吹き続けています。ただ、私たち自身が、自分の快適さだけを優先して、心の窓を閉ざしてしまっているから、そのことに気づかないだけなのかも知れません。
どうか、この大船の地にあって、これから豊かに神様の風の恵みを感じていくことができますように。この大船教会が、いかなる困難にあっても、その帆に神様の恵みを一杯に受けながら、主の福音を、神様が与えてくださる風を、一人でも多くの人たちに伝えるために、これからも前に進んでいくことができることを、心から願います。

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