身延山道場
ミミズクが鳴いている。全てが寝静まっている身延山、深更を過ぎた頃だがいまだ夜明けがやってくる雰囲気は更々ない。クロイタドリがやかましくギヨッギヨッと鳴き続けている。常次郎は一睡もできずに闇の中をじっと凝視したままである。朝のお勤めが目白押しにやってくる時間が迫っているものの、起き上がる事は出来なかった。
尻の辺りからずんとした鈍い痛みが背骨に沿って頭の中に突き上げてくる。昨夜、ようやく一日の日課を終えて常次郎が床に就いた時の事だった。くたくたに疲れていた常次郎はすぐに眠気に襲われた。
半刻も経ったころ、常次郎は怖い夢を見た。真上から死神に抑えつけられていた。死神は今にも喉首に噛みつきそうになっていた。
「うわっ」
常次郎は体を左右に捩じって噛まれるのを避けようとした。だが、がっちりと抑えつけられていて肩も腕も動かない。
「これが金縛りか」
と思ってみても死神の恐怖は去ってはくれない。金縛りから逃れようと大声を出してみた。必死に法華経も唱えてみた。しかし一向に死神の金縛りは解けなかった。そして次の瞬間常次郎は目が覚めた。
金縛りは夢ではなく現実だった。先輩の僧侶・日信が大きな目をむいて常次郎の上に乗っかり、更に仲間の修行僧たちが両脇から身動きできないよう抑えつけていた。
「何するんだっ」
初めて常次郎の声が現実の世界に飛び出した。
「ふんっ、これは身延のお山の洗礼よ」
日信が言った。仲間の僧二人は小さく笑った。
日信は常次郎を抑えながら脇に滑り降りた。
「ひっくりかえせ」
常次郎は三人がかりであっという間にうつ伏せにさせられた。必死の抵抗も叶わなかった。尻を剥かれて暫く目でなぶられたあと、肛門は大量の唾でかき回された。常次郎は必死の力を振り絞って逃げようとした。
だが仲間の修行僧・日友が前に回って、常次郎の首の下に右手を差し込み締め上げてきた。もう一人は常次郎の背中に腹ばいに乗っかって抑えつけてきた。日友は常次郎の意識が遠のくと知れると、締める手を緩め頭頂部に膝蹴りをくらわせてくる。
やがて常次郎の臀部に強烈な痛みが走った。火箸で貫かれたような、電気が走ったような感覚である。常次郎はのけぞりその全身は痙攣した。
「交代するぜっ」
闇の中に日信の声が聞こえた。
「おらっ待ってろよ」
日友が応じた。常次郎は暴れながら怒鳴った。
「お前らみんな殺してやるぞっ」
「物騒なこと言うな、みんなが通る修行の関門じゃないか」
日信が冷たく言い放った。
三人の男に凌辱された臀部を中心に、腰まで痛みが広がり立ち上がる事もままならなかった。粘膜は破れ幾つかの静脈から染み出るように出血が続いた。顔は火のようにほてり、悔しさと恥ずかしさで頭の中はガンガンと鐘がなっているようだった。
「このやろうっ」
「このやろうっ」
「いつか殺してやるぞっ覚えてろよっ」
常次郎はうわ言のように吠え続けた。男たちの体液は長い時間をかけて常次郎の中から染み出していく。その感触がある度に常次郎は、全身の毛が逆立つような鳥肌が立つような思いにとらわれた。
深妙寺の本山道場は久遠寺の境内下の参道脇にあった。道場は薄明の訪れる頃、勤行と共にいつもとなんら変わらぬ日課を粛々と消化していった。
深妙寺は信州伊那にある日蓮宗の寺である。常次郎の父は国学者であったが、排斥事件のあおりを受けて信州に避難していた。収入の道を断たれた父が、常次郎を寺に預けた為に必然的に出家する事になった。
常次郎が少年時代を送った安政年間には、マグニチュード7〜8クラスの大地震が相次いで起こった。即ち安政江戸地震・安政東海地震・安政南海地震と呼ばれるものがそれである。この地震の連鎖により凡そ七千人の命が奪われている。
人口密度が当時とは比べ物にならない程に、増加した現代に置き換えれば4倍〜5倍もの被害になるだろうか。世情はまだこの大地震から立ち直ってはいなかった。
常次郎は深妙寺では日得という名前で呼ばれていた。寺の一日は夜明け前から始まる。板木を叩く音で起こされるとまず寝ていた布団を片付ける。そして便所に行き用を足し寺内外の清掃をする。清掃が終わると一堂に会して読経が始まる。
読経が終わると朝食となるが、一汁一菜で食べ終えると茶碗や食椀は綺麗にして重ね、その日の膳係に返す。昼は写経、講座、事務、托鉢などがあり就寝は九時半ころとなる。
日得はあの夜の凌辱事件があった後も山を下りる事はしなかった。行く所がなかったこともあるが復讐心に燃えていた。日信に目に物見せてくれるのは、いつどのような方法を使うか日々考えていた。
「棒で横っ面を思い切り叩いてやろうか」
「着ているものに油をかけて火をつけてやろうか」
「崖から突き落としてやろうか」
「気絶したら木に吊るしてやろうか」
色んな考えが頭の中で堂々巡りを繰り返していた。日信の力は人並み外れて強いものであることは知っていた。まともにやりあったらとても敵わない。日得は自分の腕力を鍛えようと決心した。参拝者が置いて行った金剛杖が庫裏にあった。日得は一間ほどの長さの金剛杖を中ほどで切って半間(三尺)ほどの長さにした。
この半間杖を毎日千回素振りする事を自らに課した。大上段に振りかぶって臍の位置まで水平に振り下ろす。これを日課が終わった後の、僅かに使える自分の時間に行ったのだった。最初の日は三百回ほどしか振ることが出来なかった。
次の日は四百回に伸ばした。だが、次の日には両腕が腫れてきて筋肉痛になった。三日目には五百回振り、一日ごとに百回ずつ振る回数を伸ばしていった。やがて十日ほど振り続けると千回振れるようになり、筋肉痛も出なくなっていた。
日得は片手振りも加えようと思いたった。半間の杖を右手に持ち頭上でくるりと一回転させて右上から左下に袈裟に振った。左手も同じように振る練習を行った。
深夜の決闘
この頃になって後輩僧の「日静」が伊奈の末寺から送られてきた。日静は郷士の二男であり何事にも如才がなく、からっと明るい性格であった。日得とは何かとウマが合いお互いに一番多く会話を交わす仲となった。
ある時、日静が言った。
「日得さん棒術の稽古をしているんですね、見てしまいました」
「いやぁ棒術というほどのもんじゃないさ、少し腕力を鍛えているだけさ」
日得が答えた。
「そうですか、体を鍛えておけば何時かは役に立つ時がありますよね」
「そこまでいけば良いけどなあ」
「私も一緒に練習させてもらえますか?」
「かまわねえけどな、眠る時間が少なくなるぞっ」
「少しくたびれた方がよく眠れるってもんじゃないかな」
日得は自分が切り取って残っていた片方の金剛杖を日静に渡した。一緒にその短杖を振ってみたが日静は息も上がらずにけろっとしていた。
二日後の夜、ただならぬ気配を感じて日得は重い体を起こした。悪僧三人がまた日静を餌食にしようとのしかかっていた。日得は布団の下に隠し持っていた短杖をそっと引きよせた。日静が声を出せないように、日友が口に手拭いを突っ込みその上から手で押さえていた。
日得はものも言わずに、短杖を日信の右首を狙って振り下ろした。日信は咄嗟に腹を日静の腹に叩き付けるようにして背中の位置を低くした。その為に鋭角に肩を打つつもりだった日得の短杖は、日信の背中にほぼ平行にあたり衝撃は減衰された。
前のめりに態勢を崩した日得の鼻柱に日信の正拳が食い込んだ。日得の鼻腔から鼻汁と鼻血が飛び散った。日得はかろうじて手放さなかった短杖を右下から袈裟に振り上げた。日信は後ずさり、短杖は日信のはだけた衣の裾に絡まり破ける音が響いた。
「この野郎っ、またやる気だな」
日信の怒気を含んだ声が低く吐き出された。次の瞬間日得の手首を握って逆に捻りながら肩ごしに日得を投げ飛ばした。投げる瞬間に力はいらなかった。手首が折れる危険を察知した日得が自分から飛んだともいえる。
「そんなに分からないなら、今日は徹底的に教えてやるぜっ」
投げた瞬間に日得の後ろから、両襟を掴む送り襟占めにとっていた。日信はそのままの態勢で庭の中央まで日得を引きずって行った。背中を蹴り飛ばされて、怒りに燃えた日得の目は夜目にもらんらんと輝いて見えた。
「このならず者め、いつか必ず報いを受けるぞっ」
低く呻いて攻撃の機会を窺った。
庭地に下り立った日信は苛立ちながら日得に冷たい目を向けた。両手をだらんと下げたまま、つつっと日得に近づいたと思った一瞬、右足が小さく動き足の甲で日得の金的を的確に蹴り上げた。日信の出方を窺っていただけの日得は、身構える暇があろう筈もなく股間に衝撃が走った。
「ううっ」
声も出せない程の苦痛が襲ってきた。息も詰まってしまい、腰を折って地面に横倒しになる他に術はなかった。日友は暗がりの向こうに立って薄ら笑いを浮かべながら見ていた。
「懲りない奴だなっ」
日静は思わず日得に駆け寄った。
「日得さん大丈夫ですか?」
日静は日得の腰を後ろからトントンと叩いて介抱しようとした。
日信が日得の横に立って言った。
「おいっ、いい加減に身の程を知ったらどうなんだっ」
言いながら日得の横っ面を蹴った。蹴った足は再び戻ってきて、地面にめり込ませるかのようにぐりぐりと日得の横顔を踏み押し続けた。
日静は我慢がならず、日信に体当たりをしようとした。その時だった、日信の日得を押し続けていた右足がふわりと浮いた。日得が自分の顔の上から日信の足を、ずらして外すと共に右手で日信のふくらはぎを抱えたまま、自分の体を左に回転させながら体重をふくらはぎに、もたせ掛けるようにして転がった。
足を逆に取られた形になった日信は、折られないように自ら回転し地面に身を投げ出した。立ち上がった日得が今度は日信の顔をどんと踏みつけた。だがその足は空しく地面を踏んだだけだった。よけると同時に立ち上がった日信は、右足を膝を中心にして回転させ、親指の付け根の腹を日得の左脇腹に突き刺した。
ずんとした重みが日得の体に伝わり痛みと衝撃が上半身に広がった。日得はよろめいたが続いて日信の右こぶしが、自分の顔の左を狙って飛んできているのを感じとった。慌てて首をすくめた、日得の視線が下を向いたとき、日信はすかさず日得の左襟をつかんで腰を入れた。日得の体は弧を描いて背中から地面に叩き付けられた。
後頭部にも衝撃を受けた日得は唸ったまま暫く動けなかった。瞼の裏には赤い世界が広がっていた。
「これまでか」
日信が言った。
「もういいでしょう、やめてください」
日静が叫ぶように言った。
日信は日静を睨み付けた。
「お前も往生際が悪いぞっ」
日信が日得に向かって砂と小石を蹴って浴びせかけた。すると日得がムクリと起き上がった。
目が座っていた。じっと日信を仰視し、右手刀を日信の右首に向かって振り下ろした。僅かに後ろへ上体をそらして避けた日信は、やや前かがみになった日得の襟を掴むや自分の体を後ろの地面に投げ出し、右足を日得の下腹部にあてて後方へ投げ飛ばした。
普通の巴投げであれば、相手の左襟を下に強く引いて相手が頭を中心に一回転し背中から落ちるように配慮する。しかし日信はわざと日得の襟は早めに手を放し、顔面にダメージを与えようと地面と水平に日得を投げた。
このため日得の体は遠くには飛ばずに、顔面と腹から地面に落ちる事になった。日得は両手を地面について顔をかばったが、このため両方の手のひらと顔面はすりむけて血だらけとなった。
「今度からは逆らうなよっ」
去っていく日信の頭を狙って日得は拾った小石を力任せに投げつけた。ひゅーっと飛んだ礫は日信の左耳にあたった。
すたすたと戻ってきた日信はものも言わず、右こぶしで日得の額を撃った。日得は後ろにのけぞりながらも日信の目を狙って二本の指を突きだした。かろうじてこれを避けた日信は、日得の右脇の下に首を差し入れ軽々と担ぎ上げると庭の東端に歩み寄った。
庭の端は雑木が生えていて五メートルほどの崖になっている。危険を察知した日静が駆けつけて日信の衣の背中を掴んで止めに入った。
「日信さん、危ないです、やめてください」
「うるさいっ、どけっ」
日信がうそぶくと同時に日得の体を崖の下に向かって放り出した。
日得は投げ出された拍子に頭が下になり、真っ逆さまに崖を落ちて行った。
「どっしゃーんっ」
重たく鈍い音が闇の中から湧きあがってきた。
暗がりの中、日静は崖の下を覗きこみ、あわてて降りて行った。灌木につかまり後ろ向きに降りたが、掴まった木が根っこから抜けてすべり落ちた。やっと見つけた日得は崖の下に近い所で肩が松の木に引っかかって倒れていた。
武道百般の気楽流
下草が茂り灌木も枝を盛んに伸ばしていた夏だったから、落下する勢いを削がれたようだった。気を失っていたものの頭に打撲痕や出血は見当たらなかった。日得のすぐ上の先輩僧・日空も、殺人事件となっては流石に不味い、として参道から崖の下に回って様子を見に来た。
日得は門前の医者の家に担ぎ込まれ、そこで一週間ほども寝たきりとなった。時間を見つけては日静が様子を見に来た。
「どんな具合ですか」
「うん、体中の関節が熱い」
「日信の使う柔術は、どうも当身技なども含んだ捕手術が基本になっているようですね」
「捕手術?」
「多分、小具足術なんかの古流の武術でしょう」
「おまえ、えらく詳しいんだな」
「私もほんの少しだけど、気楽流柔術の手ほどきを受けた事はあります」
日静は塩尻の出身で義姉・ユイは小諸に近い小さな村から嫁いで来ていた。ユイの弟はバクロウを生業としていたが、馬を連れてあちこち歩くうちに上州で気楽流柔術にであった。その弟・庫助は仕事をそっちのけにして内弟子の形で甘楽村に居ついてしまった。
気楽流を創始した飯塚臥龍斎興義の養子・帯刀の主道場が信州街道(姫街道)沿いにあった。日静は庫助が帰省の折々に手ほどきを受けていた。
「上州から武州にかけて、気楽流が盛んになっていると聞きます」
「誰がそこまで広めたのかな」
「戸田流の流れを汲んでいる飯塚臥龍斎と聞きました。今は二代目のようです」
「おまえはどの辺まで稽古したんだ」
「気楽流は色んな小武器を使うと聞いているけど、私はまだ基本の型くらいです」
「そうか、体が動くようになったら少し教えて貰おうかな」
「境内で一緒に練習してみますか」
気楽流は捕手術・棒術・鎖鎌・居合術・薙刀術などを包含していた。小太刀や大刀、両端が分銅になっている鎖、小太刀及び大刀の先に分銅が付いた武器、手の甲に嵌めて打撃に使う武器、短杖等、そのほかにも様々な武器を用いている。その多くは臥龍斎が考案した物である。
臥龍斎は藤岡の生まれであった事から、帯刀の道場は甘楽から藤岡を中心に数か所に存在していた。そのほかにも三波川などの山間部にも数か所の小道場があるほど盛んであった。臥龍斎の伯父・絹川久衛門が浅草で戸田流銃剣術の師範をしていた。
臥龍斎はここで修行を積み免許皆伝の腕前となり、久衛門の号の気楽斎と気楽流の名前を贈られた。臥龍斎は後に越中藩の柔術師範を四年に亘って務めた他に、高田藩や丸亀藩でも数百人の藩士の指導にあたった。
気楽流は臥龍斎を創始者とする文献の他に、戸田流からの伝統を考慮したものか中興の祖としている資料も見える。臥龍斎は上州・武州に気楽流を広め、その名前は北関東一帯に知られるようになっていた。
江戸においても愛宕などに道場を構え、その門弟は三千人を数えるほどであった。気楽流の流派の一部から、その技法は嘉納治五郎にも伝わり講道館柔道にも影響を与えたといわれる。臥龍斎からは帯刀の他に、小島善兵衛、菅沼勇輔が出て大きく三派となっていった。
小島善兵衛系は伊勢崎系とも呼ばれて、臥龍斎の孫弟子の斉藤武八郎は伊勢崎藩の柔術指南役になっている。菅沼系は主に秩父地方に根付いていった。
日得の怪我が治って体力が回復したのは一ヶ月も経った頃だったが、その間に日信は身延山の道場を去って任地の寺へと去っていた。日得と日静の合同稽古はその後も一年ほど続けられた。日得が道場を去る事になった時には、再会を約して二人は義兄弟の契りを結んだ。更に十数年後、常次郎が深妙寺に立ち寄ると、時を同じくして同寺に日静が来ていた。
ここで常次郎は日静に生前戒名をつけて貰ったのである。この時日静は身延山久遠寺に招聘されて、身延山八十六世法主として宗門の全ての重責を担っていた。
祈祷師 常次郎
信州の北相木村での杉材の伐りだし作業が一段落して、10日ぶりに常次郎は上日野村箕輪に帰って来た。鮎川沿いの幹道から、箕輪耕地への木枯らしが吹き付ける山道を登っていると上から背負子の上に炭を乗せた藤吉が下りてきた。
「おお常さん、いま帰って来たんかい」
「やあ藤吉元気そうだな、寒いのに精が出るなぁ」
「暫く見なかったけど、伐りだしに行ってたんだんべえ」
「おう、今時分は藪も少ないしな、蜂も蛇もいねえからはかどるでのう」
そんな立ち話をした後に、藤吉は深刻そうな顔をして従弟の友治の家が、困っているから相談に乗って貰えないかと言い出した。常次郎はどうせ通り道だし、このまま寄ってみるよと言って別れた。
友治の家の前まで来ると庭の奥の縁側に、ぼんやりと遠くの山を見ている友治が座っていた。
「友さん、なんか元気ねえな具合でも悪いんかいのう」
「まあな、おっかあが寝たきりになっちまってよ、おらもこの頃はやたら頭が重くってな、のろのろしか動けねえ始末だ」
「そうかおカミさんはどんな塩梅だい」
「ちいっとでも起きるとさあ、腰が雷に打たれたように痛えんだとさ、ふんで便所に行くのも這って行ってるよ」
「そりゃ難儀だな、いつからそんな事になっちまったのかな」
「畑で薩摩芋の籠を持ち上げようとしてからだけんど、爺さんも風邪をこじらせてからは寝たり起きたりで、婆ちゃんも腰が曲がってるしなあ、一家全滅だよ」
「爺さんの風邪も治らないのか、そりゃ肺の病気じゃねんかいのう」
「息子はまだちいせえし、娘は奉公先を飛び出したと知らせがあったきり、あとは梨の礫だんべえこのぶんじゃ身代限りも近えで」
「まあそんなに嘆いていてもしょうがねえだんべ、いざという時にゃ俺が保証人になるからさ、暫くは借金でやりくりしときゃ、あとは又なんとかなるだんべえ」
「常さんは他でも保証人になってっから大変だべよ、保証人はともかく、常さん一つおっかあを診てやってくんねえか、他に頼める人も居ねんだよ」
「そりゃかまわねえよ、必ず良くなるとは請け合えねえけどな」
「いやあ常さんは法華宗の山で修行したり、毎日熊野社もお祀りしているしな、三波川では常さんに祈祷して貰って病気が治ったという話も聞いてるよ」
「確かに山岳修行した者には、目には見えねえ念力みたいなものが備わっている場合もあるからな、それを真剣に受け止めてくれれば治る事もあるってもんでのう」
その日、常次郎は友治の妻、カヨを見舞い様子を見届けた。翌日準備を整えて常次郎は養子の亀吉を連れて友治宅を訪れた。常次郎の祈祷は日蓮宗と密教を取り入れた他に、神道の要素まで取り込んだ独自のもので構成されていた。
曼荼羅を掲げた後、痛がるカヨをうつ伏せにして見ると両足の親指の長さが僅かに違っているのが分かった。その状態のままで、常次郎は印を結び鋭く九字を切った。その口元からは真言が空気を切り裂くかのように迸った。
横に一閃
「臨」
縦に一閃
「兵」
横に一閃
「闘」
縦に一閃
「者」
横に一閃
「皆」
縦に一閃
「陣」
横に一閃
「烈」
縦に一閃
「在」
横に一閃
「前」
常次郎は様々な印を結び終えて暫し瞑目した。部屋の中に静寂がよみがえった。
「ナム・ビナヤカシャ・カシティモカシャ・タダヤタ・オン・ナヤカナヤカ・ビナヤカビナヤカ・タラヤカ・フリタラヤカ・カムカシッテイ・カムカ・カチッタ・ソワカ」
「ナム・ビナヤカシャ・カシティモカシャ・タダヤタ・オン・ナヤカナヤカ・ビナヤカビナヤカ・タラヤカ・フリタラヤカ・カムカシッテイ・カムカ・カチッタ・ソワカ」
「ナム・ビナヤカシャ・カシティモカシャ・タダヤタ・オン・ナヤカナヤカ・ビナヤカビナヤカ・タラヤカ・フリタラヤカ・カムカシッテイ・カムカ・カチッタ・ソワカ」
真言を三回唱え、やおら目を開けた常次郎は、カヨの横に立膝をつき右手の人差し指と中指をやや開き、背骨の両脇に添えて首から腰までを軽くさすった。カヨの背骨は湾曲はしていないものの常次郎の人差し指に僅かな違和感が残った。常次郎はカヨの背中にまたがり、腰骨に右手のひらを当てて足元の方へ押した。
右の腰骨には左手のひらをあてて同じように押した。左右交互に二度ずつ押した。足元へ回りこんでカヨの足首を掴み、自分の足の裏を腸骨の下端にあてがい呼吸を合わせぐっと押し上げる。これも左右交互に二度ずつ行なった。
次にカヨを仰向けにして、足を股関節に押し込むように上に向かって押し上げた。この時点でカヨの両足は同じ長さに揃っていた。次に常次郎は傍らの錫杖を手に持って、カヨの背骨から腰をさするように撫でた。
「気は骨の内に満ちて、血の道は体内をめぐる。神よ仏よ気の道を通せ、血の道を通せ、ボウジソワカウンケンソワカ」
この呪文を三回繰り返し常次郎は瞑目した。暫し静寂の時間が流れた。やおら立ち上がった常次郎は、金剛牆の印を結んだ両手をまっすぐにカヨの腰に向けて裂ぱくの気合を放った。
「うりゃああっつ」
常次郎は祈祷が終わると、友治に薬草を煎じた薬を渡した。日野坊を訪れて栗崎喜内に処方してもらってきた物である。喜内は江戸の小石川薬草園をしばしば訪れて、新しい薬草などを仕入れて自宅で栽培していた。二日後に常次郎がカヨの顔を見に行くと、昨夜はよく眠れて何となく気分も良いという事だった。更に四日ほどして常次郎は前回と同様の祈祷と施術を行った。カヨを仰向けにして膝を直角にして足をぐるぐると回した。
膝を深く曲げて下腹部に押し付けられると、カヨは痛さから顔をしかめた。
こうしているうちにカヨの体は徐々に回復して、やがて立って歩けるようになった。カヨが動けるようになると、雰囲気が暗かった友治の家の中にも明るさが出てきた。
前橋監獄の剣士
明治の頃の前橋刑務所は、町中から遠く外れた田んぼの中に煉瓦の塀を高く聳えさせていた。いまその田圃の中の道を風呂敷包みを抱えた小柏ダイがひっそりと歩いていた。空っ風が通り抜ける平坦なその辺りには人っ子一人見当たらなかった。
門番や受付で、ダイはジロジロと見られた後で漸く面会室に通された。ややあって夫の常次郎が姿を現した。
「あんた、寒くなってきたけど大丈夫かい」
「ああ確かに夜は底冷えがするけどな、でも俺は信州の生まれだかんな」
常次郎はダイに心配かけまいとしていたが、顔色はやや青白くなり心なしか頬がほっそりしたように見えた。
「まだ先も長いんだしね、風邪ひいたり具合の悪い時は休ませて貰って薬をもらうんだよ」
「はは大丈夫だって(身延)山で散々鍛えた体だんべえ」
「今日は冬の肌着を持って来たから、霜焼けなんかになんねえように出来るだけ厚着するにかぎるよ、毛布は足りてるんかい?」
「布団は下に一枚上に一枚って決まってらあな、あとは自分の体で暖めろってこった」
「寒くって寝られないんじゃないか、おら体壊すのが一番心配だんべ」
「幾つか工夫もしてるさ、片っ方の膝を折り曲げてな、その間に片っ方のつま先を挟むのさ、うんと寒い日は布団を体にぐるぐると巻きつけんのも悪くねえぞ、ははっ」
「ふんとに、そんなんで大丈夫かのう、他になんか要る物があったら又持って来るから何でも言ってよ」
「来るのだけでも半日がかりなんだからいいんだよ、なあに暇な時に手で擦っていれば摩擦で温まるでえ」
「家の方はあんたが居ない分だけがんばらにゃあなって、皆が精出して稼ぎ仕事をやってくれているから、心配する事はないでよ」
ダイは風邪を引かないように、体に気を付けるように繰り返し言って帰って行った。
常次郎は万場警察に捕えられた後、富岡警察や藤岡警察で尋問を受け、調書を作成され前橋裁判所において重懲役九年の刑を言い渡された。明治13年に施行された旧刑法では、重懲役とは9年から11年の刑期と決まっていた。これに対し軽懲役は6年から8年の刑期である。当時は監獄と呼ばれ今は刑務所と呼称は変わったものの、服役者の日課そのものには殆ど変化は見られない。
朝は五時になるとキンコンカンガラアアンと鐘が鳴り起床、布団を片付けてトイレを済ませると点呼となる。前夜の内に脱獄者がいなかったかどうか確認するのである。そして食堂まで服役者は列を整えての行進となる。
食事の時間は厳密に決まっている。看守の「食事はじめ」の号令と共に食べ始める。木の椀の中の飯には芋や麦が入っていて、不味いものと相場が決まっている。看守の号令がかかると食べ終わっていなくても席を立たなければならない。
食事中でも勿論私語は禁じられている。朝食が終わると次に刑務所内にある工場に移動して作業に従事する事になる。工場への移動も整列した上で行進していく。刑務作業は午前中に10分の休みがあるものの昼休みは40分、午後の中休みも10分と決まっている。服役者同士の話し声などが、聞こえてこようものなら即座に監督看守の罵声が飛んでくる。
常次郎に与えられた作業はヤギの皮をなめしていく工程で、かなりの力を込める必要があった。作業が終わると作業服を脱ぎ、各自が素っ裸になって点検を受けてから行進して雑居坊に戻っていく。一人一人点検するのは作業場から、材料や凶器になる物を持ち出さない為のもので、これは厳重に行われるのが常であった。
夕食が終わると10分刻みで動く日課も終了し、ここで初めて各自の自由時間がやって来る。消灯は九時であるからかなり色々なことが出来るともいえる。また日曜日には工場作業は休みとなる。風呂は一週間に二回だけで湯船に入るのも、出るのも看守の号令で一斉に行動する。体を洗う場合も同様で一種の流れ作業を見ているかのようだ。
自由時間になると常次郎は筋肉が落ちないように、腕立て伏せや腹筋運動を繰り返し、それが終わると正座を汲み法華経を読経するのを常としていた。読経と言っても、声に出しては他の服役者の迷惑になるため口内で黙読するのみである。
読経が終わると結跏趺坐を汲んでの瞑想にひたる事も多かった。丹田に意識を集中させてやや深い呼吸を静かに繰り返していく。意識の重心は丹田に置くが、雑念を払う為に吸って吐く肺の鼓動に意識を添わせていく。
目は完全に閉じるわけではなく、少し外の光が入るように僅かに瞼を開いて置くが、瞑想が深くなると瞼が完全に閉じて無我の境地に近づいていく事がままあった。吸気は鼻で足の裏から吸い込み、体内を通してから脳まで送り込み吐く気は口から長く静かに出していく。
他の服役者たちはこんな常次郎を、変わり者で気味の悪い奴として捉え近づく者はいなかった。刑務所暮らしも長くなると、言葉を交わさなくても自然に相手の性格などが分かってくる。社会でどんな事をやらかして入ってきたのかも、問わず語りに伝わってくる。また自分からどんな罪を犯したのか喋る者も多い。
大きな罪を犯して長く入所しているもの程、上位に見られたりする他、実際に威張っている者もいる。兎に角、刑務所の中には様々な人間が居てそのまま社会の縮図を形成しているのである。剣術の達人も居れば、学校の先生も居るし、やくざの親分から殺人を犯した外国人までが収容されているのである。
他の服役者にはつかず離れずの態度をとっていた常次郎だが、仲間が囲碁や将棋をやって負けた方が悔しがっている時は、あそこの場面でこうすればよかたっと教える事があった。また仲間の会話の中であれが分らない、これは知らないなどの話が聞こえてきた時には常次郎は丁寧に教えてやった。
同室の太一が階段で足を踏み外して捻挫した時は、歯ブラシを足首の両側にあてて、手拭いを割いて包帯として巻いてやった。刑務所内には医務官も居るが予約制なので、順番が回ってくる頃には病気は治っている場合が多かったのである。
こうした常次郎の行動ぶりは落ち着いており、いつも沈着冷静でぶれずに頼りがいのある奴だとの評価が高まっていった。ただ一人同室の嘉平だけは、こうした常次郎の人気を苦々しく思っていた。
嘉平は剣術の鹿島神道流を収めており達人の域に達していた。嘉平は自分に敬意を払う様子もなく、泰然自若と座禅などをしている常次郎に敵愾心を燃やすようになっていた。ある日、嘉平に面会に来た者から、差し入れとして持って来た物が全て看守に没収されたと聞き、嘉平はむしゃくしゃしていた。
そんな時、嘉平が部屋へ帰って来ると常次郎が正座して口内での読経をしていた。嘉平は所内の抗争に備えて箒の柄を切り取った物を持っていた。常次郎の腕を試してみたい気持ちも少しはあった。嘉平は気を殺して静かに常次郎の傍へ歩み寄った。
常次郎に気を悟られないようにするのには躊躇はしていられなかった。嘉平の足が一瞬止まったかと思うと竹の棒は振り上げられ、頭上で小さな弧を描いて常次郎の頭の真上に振り下ろされた。振り下ろす瞬間に嘉平の覚悟の気がほんの僅かだが発せられた。
常次郎の脳は一瞬で危険を察知した。脳が指令を出すと同時に体が無意識に動いて跳ね上がり、二間以上も横方向へ飛んでいた。常次郎の気は足の指先から膝へ、足の指先から膝へと二度に亘って流れ、バネとなった膝を起点として飛び上がり、着地した時には元の姿となんら変わるところは見られなかった。
ただし常次郎の刑務服の袖は右肩から切れて垂れ下がっていた。嘉平の棒は袖を落としたものの、常次郎の肌に傷はつけられなかった。嘉平は一瞬気を飲んだもののすり足で二三歩前に進み、第二撃を加えようとした。その時、目を開いた常次郎の視線と嘉平の視線が空中でぶつかり合った。
嘉平の攻撃は僅かにコンマ数秒ほど遅れてしまった。今度は逃げられないようにと、袈裟掛けより更に下へと狙いを移し右から逆胴を撃った。常次郎は左膝を立てたかと思うと、その右足をバネのように伸ばし嘉平の右膝を蹴り上げた。嘉平の竹棒も常次郎の体に当ったものの、一瞬早く常次郎の関節蹴りが決まった。ぐきっと嫌な音がして嘉平の膝蓋骨が一瞬外れた。膝を蹴られた嘉平は、その場に屈み込んだまま歩く事は出来なかった。
「やっ大丈夫か、嘉平さん」
「へへっまあな、死ぬほどの事もねえだんべえ」
「いやあ、なんか得体のしれねえ恐怖に襲われてさあ、ついやっちまったよ」
「まあいいって事よ、俺はいつかあんたと一勝負してみたかったんだのう」
「そこまで見込まれてものう、おれもまだ中途半端な野郎の域を出てねえからな」
「うむ、俺の打ち込みは滅多に躱された事はなかったんだけど、少し見くびってしまったようだな」
「まあ看守に見つかると二人とも、懲罰房行きになっちまうからな、ここで手当てして静かにしておこうでよ」
「いやほんとに済まなかったで、あんたの腕も本物って事がよく分かったよ」
常次郎は嘉平の膝に包帯を作って巻き付け、濡らした手拭いで冷やしてやった。
この事件があってから常次郎の所へ相談にやって来る服役者が多くなった。ともあれ刑務所内には図書館があって、借りたい本を予約して閲覧する事が出来た。常次郎はこれを利用して主に神道や山岳修行の本を読んで余暇をつぶした。こうした常次郎の読書癖は後年活きてくる事になった。
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