アンヌプリのダイヤモンドダスト
スキーはニセコでリッチに…
「空気を運ぶよりは安くても人を運ぶ」と、航空会社が言って、北海道スキーツアーを格安で売り出していた。この「でっかい道スキー」が近年人気になってきて、料金もじわりじわりと様子を見ながら上がり始めていた。
ここ1〜2年が安く行けるラストチャンス、第4コーナー?と思われた。8月から計画して、ユーミの骨折りで、9月のチケット発売と同時に獲得したANA機に乗ったのは、1月14日である。
747機はおよそ500人ほども乗れる大型機なので、高空を飛び大きく揺れることはまずないと言える。晴れて見通しのよい時に機上から遥か遠くの、地上の景色を眺める気分は何ともいえない。
山々の膨らみが連なっている様、川や道路、田、家々などの全体像が掴め、立体模型を見ているようだ。時折眼下に薄い雲が流れ、海面と陸地の境界線がはっきり分る。海上の白い泡が、帯状の緩い流れとなっているのがはっきりと分り、黒潮の流れと認識できる。
地上や海上にあっては、海流があることなどは、まず分らないが高空からは社会科の地図を見ているようにそれと分る。オーさんは飛行機が福島あたりに差しかかった時、窓から地上を見るため後部の方の席へ行った。
747機の場合、後部トイレの前にスチュワーデスの簡易シートがあり、その前の窓際に外に向かって膨らんだ部分がある。ここが地上ウオッチィングの特等席なのだ。スチュワーデスは殆ど席には居ないし、後ろの席には誰も居ないから何の迷惑にもならないし、気を使うこともない。
その内側に出っ張ったカウンターのような部分に肘をつき、ちょっと身を乗り出すようにすると、窓枠一杯にパノラマが広がってきて、次々と変化する地上の景色を堪能できる。下が海であれば白い航跡を引いて航行する船なども見えて、20分位見ていても飽きることはない。陸地の上を飛んでいる時には、地上に綺麗なハート型の湖を見ることが出来た。
ハートの形を左右から少し圧迫し、縦長になっているものの、岸辺がギザギザになっている所はなく、湖面の周囲の線は綺麗なハートの線を描いていた。幾ら考えても湖の名前に思い当たるものはなかった。
少し気になったので後で確認してみると、それはどうやら渡良瀬遊水池のようだ。飛行機が津軽海峡に差し掛かる頃、再び特等席へ(シートはない)海を見に行った。遥か後方に大きな田沢湖が見えていた。
やがて海が見え雲の切れ間から、下北半島が見えてきた。地図で見るあの独特の形、斧の形そのままの海岸線がくっきり見える。地図の形ってホントなんだなあと、子供のような感慨に耽った。
鹿児島の大隅半島を見た時も、同じような感慨に浸ったことを思い出した。高度はおよそ6千メートルか7千メートル位だろう。俯瞰図とはよく言ったものである。
何の抵抗もなく空中に浮かんで立っている自分、下にある雲と陸地を見ている状態は何とも妙なものである。機体の壁に囲まれて守られてはいるけれども、この床の下は紛れもなく空中なのだ。鳥になったような、異次元に来ているような不思議な感覚である。
やがて津軽海峡を渡り、函館に差しかかる頃になると、席に戻りシートベルトを着用するようアナウンスが流れ、着陸の態勢に入る。空港のロビーを出るとツアーの係員が待っていた。ANAのパックなので、添乗員などは居なかったが、結構親切なものになっているらしかった。
ただこの現地の係の女性は、S・Sの一行を待機しているバスの所ではなく、間違えて他の場所へ連れて行ってしまった。天気は良いがヒンヤリとした冷気が、体の表面から芯の中へと染み込んでくるような寒さだった。
そんな冷気の中を一行はスキー板を担いだまま、ぶつぶつ言いながら歩いた。カトちゃんが時折、立ち止まり男8人、女2人の一行の表情、動作などをビデオに撮っている。フージなどはカメラを向けられるたび、何かしらのパフオーマンスを演じている。
この一見添乗員風係員嬢は、一緒にバスに乗り込みホテルまで同行してくれた。バスに同乗したのだからして、やっぱり添乗員?。車内でも点呼をしたり、チケット・クーポンの説明をした後は、もうすることは何もないというムードが蔓延し、ドラマ「北の国から」のパートUだか、Vだかのビデオを見せてくれるのだった。
オーさんはテレ放送を見ていなかったので、このビデオ上映を見ながら車窓の外に広がる雪景色を眺め
た。隣に居たユーミはやがて眠ってしまった。冬の北海道には色はなく、「白と黒」のモノトーンの世界というカンジだ。
積雪はそう多くはなく、バス道路の雪は溶けて舗装路が黒々と見える。その上をスノータイヤなのか、バスがジーッと独特の音を立てて走って行く。雪国に独特の走行音である。道路の多くは平地であり、家々の屋根や田圃と思しき所に40センチ程の冠雪がある。
田舎に見られるような小さな蛇行した川があり、橋を渡る時にすかさず川面を見やると、流れの瀬まで、積もった雪が迫っていて白くなっている為か、水流の部分は黒っぽく眼に映る。途中右手の雑木林の陰に支笏湖が拡がっているのが見えた。
湖面は全面結氷することはないという。宿のすぐ横から、スキー場へ連絡する昔ながらのシングルのリフトに、カタカタと揺られながら登って行く。いよいよ北海道での初滑りである。リフトを降りた所から、緩いスロープが60〜70メートルあり、そこを滑り降りると平坦地があり次のリフト乗り場がある。
この目の前の短いスロープが滑降の第一歩となる。1人1人順番に間を取って滑り降りる。雪面の感じが掴めず、スキーの勘も戻ってこない第一歩は、初心者に戻ったようなぎこちなさがある。
下では先に滑り降りたカトちゃんがビデオを回している。サーさんはスロープは難なく滑ったものの、平坦な雪面になった所で転げた。カメラのすぐ横に来てからこけたので、ビデオには写らなかったかもしれ
ない。
平らな所なので中々立ち上がれない。笑いこけていたオーさんが、ひっくり返ったてんとう虫みたいなその姿を、ビデオに撮るようにカトちゃんに言った。スキーの授業で足を折ってしまった為、それ以来殆どスキーを履いていないというオザがスロープを降りて来る。腰が引けて前かがみになったボーゲンである。
“恐い”といった感じが染み出ているが、こけることもなく降りて来た。続いてリフトを2本程登った所から一人ずつ滑降してビデオで撮影した。カトちゃんとフージはバッジ一級の腕前であり、スーさん、バタ、ユズもウェーデルンのレベルである。
オザは暫く滑ると宿舎へと引き上げて行った。ニセコの雪質はパウダーと呼ばれ、さらさらしている。湿り気が少なくスキー板の裏で踏みしめるたびに、キシッキシッと鳴り、スーッと滑らかに軽やかに滑れる。
まるで片栗粉の上を滑っているようでもあり、パウダースノーとは的を得た言い方であると思えた。滑り降りて来る度に“もう一本”と、つい滑り過ぎてしまうようだ。夕食後もスーさんとオザはホテルに残ったが、他のメンバーはナイターのゲレンデへと出て行った。オーさんは2〜3本滑っているうちに、他のメンバーとはぐれてしまった。
氷点下19度というアナウンスが流れていた。夜ともなれば気温は更に低くなっている。リフトに乗っている時は、耳が冷たくなって痛い程である。ナイターの時間も終わる頃、これが最後と思い、最上部にあるペアリフトに乗った。リフトの下にあるゲレンデは幅が狭く、ほぼストレートのコースでかなりの傾斜がありスピードが出そうだ。
上級コースであり時間も遅い為、殆ど人影は見えない。山の高度もかなり上がってきたので、風は強くなり雪は横からも下からも吹き付け、吹雪の様相を呈してきた。幸いこのリフトはフード付きなので、山の上方から顔面に吹き付ける風雪はある程度カバーできる。
それでも時々、突風が襲ってきてU字形のゲレンデ上を、雪がサーッと走る。ゲレンデの両側・土手の部分、リフトの右側の雪庇の所は雪煙を舞い上げ、あたかもドライアイスの煙が頂上から、一斉に降りて来るようだ。積雪は3メートル、風が木々を揺らし枝の雪を空中に巻上げる。
リフトはまだ終点に着かず、ふと不安に襲われる。左手に流れて行く狭いゲレンデコースには、既にスキーヤーの姿はなく、たまに上から1人が滑り降りて来るかな、という状況である。
そして暫く前に滑り降りて行ったスキーヤーのあとは、もう誰も見ていない。皆が下山を終りつつあっ
た。「雪山」「遭難」という文字が脳裏をよぎる。乗っているリフトの後ろを振り返って見た。
下の方に延々と続いている、見える限りのリフトにはもう誰も乗って居なかった。前方のリフトには誰か乗っていないか、吹雪の中をためつすがめつ眼を凝らして見たが、雪煙に阻まれて良くは見えない。
観察したところでは、上の方にも下の方にも誰も居ないようだった。長く孤独なリフト登山は、まだ延々と続いていた。もうこの辺で降りたいと思うがリフトは止まらない。出来れば何処かでリフトから飛び降りたいのだが、幾ら探してもそんな場所は見つからない。
上の方に終点が今見えるか、今見えるかと眼を凝らして見るが、リフトの終点はまだ見えない。さっき迄滑っていた下の方では、風もこんなに強くなく、こんもりと雪を被った木々が照明に照らされて、幻想的だったのに別の世界に迷い込んでしまったようだ。
このゲレンデは今日来たばかりで、まだコースの全容を把握していなかった。U字形の狭い滑降コースは、強風で走る雪がさざ波のような形を作り、砂丘の風紋のようでもあった。
アンヌプリのダイヤモンドダスト
15日は東山のゲレンデを滑ることにした。前の日は「ひらふ」を滑ったからである。両ゲレンデは山の頂上直下で繋がっているものの、リフト券が共通になっていない。
視界が悪く頂上から下、二番目のゲレンデの樹氷の中を滑った。そして高速リフトの終点に居た時に、一瞬の晴れ間が訪れた。
スーさん、ユーズ、オーさんなどは、すかさず頂上直下まで登る最高高度のリフトに乗った。リフトの終点で降りる場所は、既に急斜面になっていて一人が立ち止まるスペースがやっとある状況だった。
あとは圧雪されていないかのような、新雪の深雪が60センチほどの厚みを作っている。山の頂上はすぐそこで、本当に手の届きそうな所に円錐形を作って、青空の中に伸びている。新雪にすっぽり包まれたアンヌプリ山は、ふんわりとした柔らかい感じを漂わせながら、朝の陽光に輝いていた。
後からリフトを降りて来る人の為に、新雪の中に数歩移動し自分の居場所を作ったとき、空気中にキラキラ光るものが拡がった。空気中の水分が低音のために凍りついた、ダイヤモンドダストであった。
キラキラと輝くその様は確かにダイヤモンドに見える。頭上からの太陽光線にキラキラ輝き、足元までゆっくりと無数に舞い降りてゆく。初めて見るその光景は、幻想的で実に感動的なものであった。
氷点下の北の高山でしか見られない現象である。我々の正面には更に素晴らしい、大パノラマが広がっていた。はるか下にある平野部を挟んで、正面に雪化粧を施した富士山が対座しているのである。
左右両側に長く裾を引き、円錐形の上に平らな頂上を載せている。ホントの名前は羊蹄山であるが、何処を見ても本当に富士山にそっくりである。富士山を二回りくらい小さくすれば、そのまま羊蹄山になると思えた。
リフトを降りた地点から、平坦なゲレンデまでは僅かに、二本のシュプールが刻まれているだけである。今日はまだ二人しかこの斜面を滑走していないようだ。ここのところ、4〜5日は降雪が続いていると聞いていた。
雪崩も2〜3回あり、スキー場の近くでも起こっていた。この寸時の晴天は偶然の産物であり、ラッキーな出来事であったという他ない。オーさんは二度ほどこけながら、新雪の斜面を降りて行った。
3日め更衣室で着替え、帰り仕度をしているとキーヤの飛行機のチケットが落ちているのが眼に入った。空港へ向かうバスの中で、荷物を点検して紛失に気がついたキーヤは青くなっていた。
可笑しくなったオーさんは、暫く間を置いてからチケットを渡してやった。オーさんと隣り合わせに座っていたユーミはすぐ眠ってしまった。オーさんの肩に頭が乗っていた。それと気がついたユーミは「済みません」と言って軽く頭を下げた。
そして「人と上手く付き合うのにはどうしたらいいんですか?」と尋ねた。オーさんは「女の子と?男と?」と聞いてみたが、まともに答えると偉そうな、説教的な、クサイ、長い話になりそうに感じて、沈黙のなかに逃げ込んだ。
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