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古代、京と陸奥の国を結ぶ道として東山道が存在した。現在、県内の東山道は開発に伴う確認調査によって、その全貌が明らかになろうとしている。東山道は駅路としての役割を担っており、30里ごと(但し、1里は530m前後であった)に駅家(うまや)が設置され、馬10頭が常備されていた。延喜式に記録されている駅路は、県内南から、
足利駅家(現足利市)
三鴨駅家(現岩船町)
国府(栃木市)
田郡駅家(後世の多功宿、宇都宮市)
衣川駅家(岡本付近)
新田駅家(旧喜連川町八方口、現さくら市)
磐上駅家(旧湯津上村、現大田原市)
黒川駅家(現那須町伊王野付近)
雄野駅家(現白河市関山付近)
と推定されています。
それでは、道の駅(東山道伊王野)から、追分明神まで歩いてみます。(片道18km程度)
【ブログ記事】
東山道を行く
悲しき乙次郎 |
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