水中工学3(3章)


 
第3章 潜水調査船の設計システム
3.1 潜水調査船の設計システム
1)深海調査を行う潜水調査船の基本的な設計システムの流れを下表に示す。
図-設計システム
        2)先ず設計の基本条件として3つ挙げられる。                    第1は、調査目的と任務の内容                          第2は、調査会息の環境条件                           第3は、洋上及び陸上の支援体制  である。                  第1の調査目的と任務の内容とは、目的が何であるかを明確に定め、その目的達成の  ためにどのような機能が必要であるかを確認することから始まる。第1章で説明した  ように、例えば、地球物理学上のニーズ、災害予知のニーズに基づく地殻変動、海  底調査、火山活動の調査であるか、或いは、生物学、水産資源上のニーズに基づく  生態系調査、微生物の調査であるかなど。  第2の調査海域の環境条件とは、海の深さ、海底の地形、地質、海象、海水の物性   第3の支援体制とは、洋上の母船システム、陸上基地、通信ネットワーク、補給、整  備、定期的なオーバーホール、検査体制など。  海中ロボット本体の方が注目されてしまうが、実は支援母船の果たす役割は非常に  大きい。                                   支援母船の主な役割には次のようなものがある。                  @海に乗り出す手段:どんな海中ロボットであれ、港の桟橋から操縦するのでな    い限り、出航後の沖合での作業になる。したがって沖合に出るための船がなけ    ればどうにもならない。                        
   図3-1 深海潜水調査潜支援母船「よこすか」 図3-2 深海調査研究船「かいれい」  A 着水と揚収:船に搭載されて沖合に出た海中ロボットは、潜航海面で支援母船    から海面に降ろされ、調査作業を終え海面に上ってくると海面から甲板上に引    き上げられる。「よこすか」には全備重量26t近いしんかい6500の着水揚収    装置と巨大なA型クレーンが設置されている。              
     図3-3 しんかい6500の着水作業     図3-4 しんかい6500の揚収     B海上整備工場:潜航毎に陸上に戻り海中ロッボットを整備していると効率が非   常に悪いので、船上で整備することになる。支援船は整備工場でもある。  
     図3-5-1 「しんかい6500」の格納庫 図3-5-2 整備中の「しんかい6500」   C司令塔:海中ロボットは機能上やサイズから潜航地点全体の状況を把握するこ    とはできないが支援船はこれが十分可能で潜航全体の指揮を取る司令塔にな    る。                                 
                           図3-6 「かいれい」の調査機能               D洋上研究所:海中ロボットが収集したデータや試料はその場で直ちに分析・処    理しなければならないものも多い。支援船は洋上研究所でもある。      3)これらの設計上の基本条件に基づき、深海調査方式を研究、設定する。      a. 調査の種類と調査対象                           b. それに対する調査要領と必要な観測機器                   c. 行動要領--着水→潜入→下降→着底→調査→上昇→浮上→揚収、所要時間    d. エネルギー消費要領--行動要領に基づく電力消費量、ライフサポート能力    e. 行動環境--気象、海象、海底地形、底層流                  f. 支援方式--母船の能力、測位システム、通信システム             これらの調査方式の設定に基づく、潜水調査船に必要な機能を表に示す。      ( なお、これらの潜水船に必要な機能については後述する。 )         
                      海底調査の種類、対象、手段と潜水調査船に必要な機能         4)潜水船に必要な機能に基づき、具体的な設計要求条件を設定する。         要求される基本性能項目としては、耐水圧能力、寸法・重量、行動能力、運動法・  操縦法、水中の航海法、コントロール方式、緊急時の安全を確保する保全システム  などの項目が含まれる。                           5) これら項目の性能は、すべて既存の技術だけでは達成できない場合が多いから、こ  れを実現するために必要な設計上および工作上の技術開発を行う。         技術開発によっても尚困難な問題に対しては、設計要求条件を見直す、或いはさら  に調査方式を再検討するなど、いろいろとトレードオフを行って(フ)最終的な設  計・建造の仕様を固める。                          3.2 第1の基本条件である「調査ミッション」が潜水調査船に要求する性能    1)潜水調査船のミッションは、その目的に応じ、深海底の直上で、あるいは海底に着  底して、地形・地質調査、地球物理学的・生物学的・海水の物理学的・化学的・音  響学的調査等を行うことである。                       2)これら調査の調査対象、調査手段として必要な観測機器、またその調査のために潜  水船として必要な機能は、下表に示す。                    3)以上を集約して、「 調査ミッションが潜水調査船に要求する性能 」を示す。要求  される性能としては、「 観測設備に対するもの 」(1〜6)、「 潜水船本体に対す  るもの 」(1〜6)がある。                       
                4)以上が多種多様にわたる海底調査において、十分に性能の高い成果を挙げるために  は、観測機器の能力によることはもとよりであるが、そのCarrier Platformである  潜水船の性能如何による所が極めて大きい。                  3.3 第2の基本条件である「 行動環境 」が潜水調査船に求める性能        3.3.1海面下の環境                                ●潜水調査船の行動する深海底の環境は極めて厳しい。               高圧の水圧下にあり、水温は低く、暗黒の世界である。             ●環境の1例として、深度と海水特性の関係を下図に示す。        
                     図3-7 海水の比重、温度、圧力、塩分濃度等の一例           (1)水温:表面の水温は海域・季節によって色々と変化するが、深くなると世界中     どの海域でもほぼ同様である。                         日本の近海では、夏場は20℃以上、冬場は10℃前後であるが、2〜300mの     深さになると15℃程度でほぼ一定である。                    これより深い1000m位では約5℃、2000mでは、1.035、6500mでは、     1.055と大きくなる。                         (2)比重:比重は水温、圧力と塩分によるが、水温がもっとも大きく支配する表面     では、1.020〜1.025であるが、2000mでは、1.035、6500mでは1.055と     大きくなる。                             (3)水圧:深度圧は深さと比重に比例するので、2000mでは207Lf/B2、     6500mでは685Lf/B2                       (4)塩分:塩分は表面近くが最大、1000m付近が最小で、これより深くなると若     干増し、更に大深度になると減少するという複雑な変化を示している。   (5)体積弾性率:表面から1000m位までは減少するが、さらに深くなると一様に     増加する。                                    体積弾性率が大きい程圧縮される割合が小さい。                 2000mで22500Lf/B2、圧縮率は0.9%( 207/22500 )       6500mで24000Lf/B2、 圧縮率は2.8%( 685/24000 )    ●また、海水中で電波が通らず、情報の伝達は超音波による。            海水中では、空気中より抵抗Rが小さいため導電率σ(V/m )が大きいので海   水中の電波の伝搬ロスは極めて大きい。                     物質中の導電率σの比較                                     R            σ( 導電率 )           空気中     ∞       0             0        海水中             3〜5                    鉄               1.07×107                銅       小       5.75×107         大       銀       ↓       6.1×107         ↓       海水中の伝搬ロス 電 波:10kHzの時3.5db/1m                       超音波:10kHzの時1.0db/1km( 伝搬ロスは少ない )  ●海底地形は複雑で平坦ではなく、傾斜、起伏、急峻も多い。また懸濁物が多いた   め明度は低く、視界が利かない。かつ海底流もある。             5)このような環境下で、安全確実に効率的な調査活動を行うために、潜水調査船に要   求される性能の主なものを次に示す。                       1.耐水圧性と小型軽量化                              内部を大気圧とする区画は耐圧構造とすることが基本条件である。         耐圧部は高強度材を使用し、効率的な構造様式を採用すると共に、極力小      型にすることが、艇全体の軽量小型化に直結する。                このため機器類の小型軽量化をはじめ、一般に大気中で作業する機器類      を、高圧海水環境下で使用することが必要である。すなわち均圧方式の開      発が必要である。                             2.下降・上昇の迅速化と小型軽量化                         深海底の滞在時間を十分にとり、調査活動を効果的なものとするために      は、海底までの往復時間を短くすることが必要である。        3.3.2 深海潜水船に求められる性能                       1.耐水圧性と小型軽量化                              内部を大気圧とする区画は耐圧構造とすることが基本条件である。         耐圧部は高強度材を使用し、効率的な構造様式を採用すると共に、極力小型に    することが、艇全体の軽量小型化に直結する。このため機器類の小型軽量化を    はじめ、一般に大気中で作業する機器類を、高圧海水環境下で使用することが    必要である。すなわち均圧方式の開発が必要である。               耐圧方式とは使用最大水深においても破損することのない十分な耐圧強度を有    する容器の中に収容すべき機器を密封する方式である。この容器には内外の信    号やエネルギーの授受のための電気や光通信用の貫通部が設けられる。形状は    一般に両端蓋付の円筒または球が用いられる。これは円筒や球では水圧による    圧縮力によって、材料のどの部分にも圧縮応力が生じ、引っ張り応力が生じな    いからである。円筒や球では圧縮応力が生ずるため水圧に対して強いが、ある    程度圧力が高くなると、座屈してしまう(圧壊)。              2. 均圧方式                                    均圧方式とは例えば空のガラス瓶にしっかりと栓をして水の中に放り込むとす    る。このビンはおそらく水深100m行くか行かないかの内に壊れてしまう。し    かし栓をせずに放り込むと、中に海水が入ってそのまま沈んでいくものの、決    して壊れることはない。栓をするのが耐圧方式であり、十分な強度をビンに与    えておかなければならないが、栓をしないのがここで述べる均圧方式である。    「均圧」とは内外の差圧が0、すなわち圧力が均等になっているという意味であ    る。水圧が大きくなるにつれて、耐圧方式には様々な問題点が生じる。耐圧能    力が要求され頑丈な容器にしなければならないし、軸貫通水密部にも大きな水    圧が加わり、貫通軸回転シール部分に押し付けによる過大な摩擦力が発生し、    取り出せる回転力は水圧の増加と共に小さくなってくる。さらに、この摩擦に    よって回転水密部は熱損してしまい、ここから海水が浸入して電気的短絡    (ショート)を起こし、電動機は使用不能となる。このような問題が生じるの    は明らかに内外差圧があるためであり、したがって差圧が生じなければこの問    題を発生しない。差圧を生じさせないようにするには前述の栓を外したビンと    同じで非常に単純に、外側の圧力を内側に導いてあげればいい。ただし海水を    そのまま導入すれば電気的短絡を起こしてしまうので、代わりに電気的絶縁性    の良好な油を封入する。さらに、油自身が水圧で圧縮されてかなり縮むので、    この分を補給する仕掛けが必要である。これにはゴム風船で良い。油の収縮に    応じてゴム風船側から容器側に油が自然に補給され、常に均圧が保たれる。そ    の結果として軸受けや水密装置は簡単な構造のものになり、また耐圧容器も不    要になって小型軽量化が達成できる。                 
                            図3-8 耐圧容器と均圧容器               3.下降・上昇の迅速化と小型軽量化                        深海底の滞在時間を十分にとり、調査活動を効果的なものとするためには、海底ま  での往復時間を短くすることが必要である。                          ミッション プロフィール( 時間 )           
                  潜水船の持つ限られた動力源を有効に利用するために、下降・上昇は通常、電力を  使用せず、重量と浮力差を利用してほぼ垂直に行う。このため船型を小型化し、整  流化し少ない重量・浮力差で大きな速度を得ることが必要となる。      
                4.深海環境に適した運動操縦性                          深海域の水温低下は海水密度の増加をもたらすので、水圧による潜水船の浮力減少  も考慮して、適切な上下方向の運動の制御が可能な重量調整機能が必要となる。   また、海底流があるので観測のための位置保持能力を持つこと、視界が悪く複雑な  地形の海底を、安全に行動するための、精細な三次元操縦機能と重量管理機能を持  つことが重要である。                                          潜航の手順と実例               
                5.超音波による航法・通信   潜水船は水中音響機器により、海底地形・障害物などを常に監視しながら、また   支援母船と水中通信機により連絡を取りながら行動することが、安全確保の上で   極めて重要である。                              海中ロボットで使用されている様々な電子機器・音響機器がそれぞれの性能を十   分に発揮できるようにするためには、音響的あるいは電気的な雑音による障害の   ために誤作動を生じたり、機器本来の性能が発揮できなくなるということがない   よう、設計時点からの考慮が必要である。雑音低減においては、どの周波数の雑   音のレベルをどの程度まで低減するかが焦点であり、航走に要する信号や情報伝   送のための信号を特定周波数の音響でやりとりしているので、その帯域の雑音を   集中的に低減することになる。水中放射雑音を低減するための対策は、各機器毎   の対策と海中ロボットへの装備上対策の二つに分けられる。            ●各機器毎の対策                                海中ロボットに装備される機器の内で、雑音発生源となるものは主として油圧    ポンプ、油圧モーター、電動機、プロペラ、変圧器等である。          ●装備上の対策                                 機器の防振取り付け、配管の工夫、遮音等である。             6.安全性・信頼性                                 高水圧下の行動であるから、すべての構成システム・機器・部品を通じて安全   性・信頼性の確保が基本条件である。                      耐圧船体内のライフサポートシステムなど環境制御能力の確保が重要である。     しんかい2000:8時間+3日、しんかい6500:9時間+5日           また、万一の事態でも確実に海面に浮上できることが必須の条件となる。    3.4 第3の基本条件である「 支援体制 」が潜水調査船に要求する性能        1)効果的な深海調査のためには、潜水船・支援母船・陸上基地の三者を包含する   トータルシステムとしての運用体系が必要である。              2)母船は潜水船を調査海域まで運搬し、必要な整備、補給を行うものであるが、母   船による支援作業の内で特に潜水船の性能を支配するものは、潜航海面における   着水揚収と、潜航中の行動支援に関するものである。               1.着水揚収と小型軽量化                              潜水船の全ミッション時間のうち、下降・上昇時間と同様に着水揚収にかか     る時間を短くすることが必要である。外洋で風浪の影響を受けるこの作業     は、人名及び潜水船の事故( Alvinの例 )にもつながるものであるか     ら、安全かつ迅速に行わなければならない。揚収方式やその装置にいろいろ     な検討が加えられるが、この問題に関し最も重要なことは潜水船自体を極力     小型軽量にすることである。                        2.水中音響システムによる潜航支援と低雑音化                    母船の潜航支援は、潜水船と母船をリンクした水中音響装置を利用する通信     航海システムによる。母船は海底に設置するトランスポンダや潜水船に装備     したトランスポンダを使って、潜水船の位置を測定し、これを追尾監視し、     また両者の水中通信機で情報連絡を行う方式をとる。一方潜水船は、水中音     響機器により障害物の探知、海底・海面までの深さ測定など事故周辺の監視     を行うほか、最新の潜水船は装備した計算機により海底のトランスポンダに     対する自船の位置を測定することもできる。したがって、これら水中音響機     器の機能を確実に発揮させるためには、母船と共に潜水船の低雑音化が最も     重要な課題である。                             以上、深海潜水調査船開発の重要性を下記のようにまとめることが出来る。      1)極力小型軽量であること。                         2)耐水圧性能、水密性に確保すること。                    3)微速での操縦性、安定性に優れていること。                 4)精細な重量調整機能を持つこと。                      5)発生雑音、水中放射雑音を極力低減すること。                6)必要な調査観測機能を完備すること。                    7)信頼性、安全性を確保すること。                      深海潜水調査船のキーワード                        (材料、構造強度、油漬均圧式、小型軽量化、低比重材料、高強度材料、低騒音    機器、水中放射雑音の低減)                       3.5 深海潜水調査船による先行調査の具体例                    深海調査計画の具体例を海洋調査船「なつしま」での海底地形調査、ならびに、潜  水調査船「ハイパードルフィン」によって行われた地質学的調査にする。      調査海域西部の富山湾底では比較的緩やかな斜面が広がっている。水深1200mに達  する所でこれらの緩斜面の広がりが収束し狭隘となるため、富山トラフプロパーと  の境界を形成している。深海長谷は波長(約40H)の蛇行を繰り返しながら、概ね  東北東方向に延長しており、深海長谷底の水深は1200〜1300mと非常に平坦であ  る。調査海域東部において、糸魚川沖から続く海底谷と合流し、その進路を北方へ  とかえている。ハイパードルフィンの潜航は、生物学的調査を目的とした七尾湾  沖・新湊沖・黒部沖と、北東‐南西走行の背斜の基部に存在する活断層の活動調査  を目的とした糸魚川沖で実施された。                    
                図3-9 SeaBat8160 によって得られた富山トラフの海底地形と潜航地点      
    
 
水中工学3(3章)終り